<志方城趾>
住所:兵庫県加古川市志方町志方町720
駐車場あり(無料)
<現地解説>
曹洞宗の寺院で、本尊は観世音菩薩です。観音寺の付近一帯は、志方城趾です。
現在の観音寺の境内を本丸とし、本丸を囲む内堀の周囲に二の丸(志方小学校
所在のあたり)、西の丸(旧志方町役場のあたり)とかなりの規模の城であった
ようです。この城の城主・櫛橋家は伊朝と祖とし赤松氏の家臣でした。
伊朝より五代の孫、櫛橋左京亮則伊は、赤松政則に仕えて大いに重んじられ、祖父
の例にならって播備作三国の財産出納の役をつとめ1481年志方天神山に城を
築き1492年この地に志方城を築きました。以来、伊家、伊定、政伊と父子
4代つづき1578年羽柴秀吉の侵攻にあって落城しました。
伊定の娘、光(てる)は秀吉の軍師として活躍した黒田官兵衛の妻となり、結婚
した翌年に嫡男が生まれました。後の福岡藩主黒田長政です。現在の観音寺は、
志方城落城後の1587年宝岩宗珍和尚が城主の菩提を弔うために城の本丸跡に
禅寺を建立したのが始まりです。
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加古川の志方城跡(観音寺)に行ってきました。
現在は観音寺というお寺で、これは落城後に城主を供養する為に建立されたもの
だそうです。城主櫛橋家の墓所もお寺裏の墓地にありました。
<櫛橋家墓所>
黒田官兵衛は有名なので何ですが、妻の光については今回の大河ドラマ
『軍師官兵衛』で初めて知りました。官兵衛が仕える羽柴秀吉が妻の実家
を攻める形になるのは戦国時代ならではの悲劇だなと思った次第です。
志方城趾には官兵衛ゆかりの地という事で旗がたてられたりして、観光客も
私以外にも何人か来ていました。
平成26年・27年 年末年始の旅
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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日本の城を巡る
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