<助川海防城跡>
住所:茨城県日立市助川町5丁目10番4号
駐車場なし(多分無いと思う)
<現地解説>
水戸藩9代藩主徳川斉昭公は、天下に率先して海防の重要性を強調し、
1836年家老山野辺義観を海防総司という新設の重職に任命し、太平洋
を一望におさめるここ助川村の高台、要害の地形に拠って城郭を築いて
居住させ、異国船の無断侵入に備えさせた。
これが助川海防城である。これを海防城と通称するのは、一大名の城と
異なり、わが国にも当時類例の無い海防を目的とする城郭だったからで
ある。
この城は完成までに5年の歳月を要し、総面積は約68万兵法メートル
で、助川小学校の校門付近にあった館入り口から三の丸、二の丸、本丸
と進むに従って高く、本丸には、異国船を見張る櫓もあった。
<助川海防城全体図・クリックすると拡大します>
海防城は1864年9月、幕府水戸藩の内乱の時に焼失し、当時の遺構
としては本丸表門の礎石の一部と、二の丸にあった鳩石だけとなった。
大佛次郎の『夕顔小路』に、この海防城の落城前後の模様が興味深く
書かれている。
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日立市にある助川海防城跡に行ってきました。
徳川斉昭は海防の重要性を認識して、この海防城を築城させたというお話です。
1836年というと、まだ世の中は水野忠邦の天保の改革の最中という頃で、
その先進性に驚かされます。まあ幕末にはペリーの来航以前から異国船が来て
いたわけで、それに真っ先に対応したという事ですね。
<助川海防城跡>
遠くに太平洋を一望出来ます。
城の規模も非常に大きいです。
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
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