三重県玉城町にある田丸城に行ってきました。
<田丸城>
住所:三重県玉城町田丸字城郭114-1
駐車場あり(無料)
<現地解説>
田丸城は、南北朝動乱期の1336年、後醍醐天皇を吉野に迎えようと
伊勢に下った北畠親房が、愛洲氏や度会氏などの援助を得てこの玉丸山に城を
築いて南朝方の拠点のしたことが始まりとされる。
南朝方の拠点である吉野から伊勢神宮の外港大湊に通じる道は、軍事・経済の
面からも吉野朝廷にとっては最重要路線であり、玉丸城は北朝・南朝の攻防の
舞台となった。
室町時代には伊勢国司となり多気に館を構えた北畠氏の支城として伊勢志摩支配
の拠点となっていた。1575年織田信長の次男で北畠氏を継いだ織田信雄が
玉丸城に大改造を加え、本丸・二の丸・北の丸を設け本丸には三層の天守閣を
建て田丸城の誕生となった。1580年にはこの天守閣は炎上した。
江戸時代には紀州藩主徳川頼宣の家老久野宗成が田丸城主となり、久野家は
代々城代をつとめた。城は明治2年に廃城となり明治4年に取り壊された。
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南北朝時代からのお城、田丸城に行ってきました。
戦国時代までは北畠氏の居城、江戸時代は紀州徳川家の居城となります。
今残ってるのは石垣くらいでしょうか。しかしながらその立派な石垣からは
かつてこの城の大きさや、防衛拠点としての重要性を感じる事が出来ます。
立派な石垣です。
虎口から入ると本丸跡につきます。
天守閣らしきものが見えます。
お、何だこの城は(笑)
中に入ってみましょう(^-^)
単管パイプで出来てるじゃないですか(^^;
単管にシートをはっただけという構造です。
恐れ入りました。この日は風が強くて、シートがバタバタと凄い音を
たてておりました。
ここからは遠くまで見渡すことが出来ます。
良い天気でしょ。余談ですが、この数時間後に猛吹雪に遭おうとは、想像も
つかなかったです。
平成26年・27年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/411697633.html
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
令和5年12月31日再訪しました。
この単管パイプ製の天守閣はまだ健在でした(^^;
令和5年〜6年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/501967567.html
2015年04月05日
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