<山本勘助の墓 / 医王寺>
住所:静岡県富士市比奈1546
駐車場あり(無料)
<現地解説>
山本勘助の生誕地は富士宮市山本。1493年吉野貞幸、安女の三男として
生まれ、12才で三河国牛窪、大林勘左衛門の養子となり、名前を勘助と
改めた。
しかし、実子が生まれたため35才の時に離縁し、山本勘助と名乗り、再び
修行の旅へと出る。
勘助52才の時、武田信玄の家来となり、1546年には足軽隊将になり
800貫の知行取りにまで出世したが1561年第4回川中島の戦いで
自らの啄木鳥戦法の裏をかかれ69才で戦死する。
吉野家に伝わる徳川家康本領安堵状によれば天正十一年に所領を安堵したと
あり、所領吉原の郷とは富士市中里天念寺である。
山本家が医王寺の檀家になったのは江戸時代の事で、山本家に勘助の祖吉野
貞久の墓があるのは所領であった事と貞次の子孫の家とも推察されます。
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富士市の医王寺にある山本勘助の墓を参拝してきました。
以前、愛知県豊川市にある勘助の墓を参拝してきました。
<愛知県豊川市にある山本勘助の墓>
http://rover.seesaa.net/article/102023019.html
豊川にあった解説だと、勘助は豊川の牛窪の出身という事だったんですが、
ここの解説だと富士宮の出身という事になってました。
山本勘助は武田信玄の軍師として名が通っていますが、実際のところ存在した
のかどうかすらよく分かっていない謎につつまれた人物なんですね。
だから出身地やら墓やらも実際の所はよく分かってないという感じなんでしょう。
山梨県北杜市にも勘助の墓があったと思っています。
ここ富士市の勘助の墓はあまり知られていませんよね。
歴史マニア向けの観光地かと思います。
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http://rover.seesaa.net/article/411697633.html
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