<傑山寺>

住所:宮城県白石市南町2丁目7-20
駐車場あり(無料)
境内自由
<現地解説>
1608年初代片倉小十郎景綱が妙心寺第十一世天心智寛大和尚を開山として
建立したのが傑山寺である。
片倉家の菩提寺として、初代片倉小十郎景綱はじめ代々の領主とその奥方、家族
が葬られている。
【片倉家墓所】

初代景綱の墓は、敵にあばかれないように墓標を作らず一本杉をその墓印にしたと
言われている。
【片倉小十郎景綱の墓】

墓所には初代谷風(江戸時代の力士)の墓や片倉家とゆかりの深い北海道松前藩縁故
の松前安廣そその子孫の墓所などがある。
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片倉家ゆかりの傑山寺に行ってきました。
ずっと前に行ったのですが、久しぶりすぎて完全に記憶から消え去っておりました。
寺の入り口のところに、ここ数年で造られた片倉小十郎景綱の銅像が出来てました。
【片倉小十郎景綱像】

凛々しい銅像ですね!
片倉小十郎景綱は伊達政宗の軍師として活躍した人物で、人取橋の戦いや摺上原の戦い
など政宗と行動をともにし戦功をあげています。
また、伊達家の騎馬鉄砲隊を考案したのも景綱と言われています。
傑山寺にある佐藤孝郷氏のお墓です。
【佐藤孝郷の墓】

佐藤孝郷は藩政時代に片倉家の家老を務めた人物です。
戊辰戦争のあと、旧片倉家中の者達は家屋敷を失い、この白石で刀を捨て
農民となるか、士族として北海道へ入植するかの岐路に立たされます。
この時、若干19歳の青年家老佐藤孝郷の決意は片倉家中の心を動かし、士族
として生きることを決意させました。
北海道に渡り、北海道最月寒(現在の札幌市白石区)に104戸が入植しました。
若き指導者佐藤孝郷は一団をまとめながら士気を鼓舞し現在の白石区の礎を築き
あげました。
明治7年初代札幌区長に登用された孝郷は亡き後ここふるさと白石に戻り、彼の
郷愁を感じさせる墓所で静かに眠っています。
著名人の墓
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平成26年秋旅
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