<吉川経家の墓>
住所:鳥取県鳥取市円護寺1159
駐車場あり(無料)
<現地解説>
吉川経家公は1581年の羽柴秀吉による鳥取城攻略に備え、中国地方の雄
毛利氏から鳥取城将として派遣されたものである。
羽柴秀吉の包囲作戦と、吉川経家の籠城とによる対陣は鳥取城の歴史の中で
最大の攻防戦であった。
この戦いは天下統一を目指して中国地方を征討しようとする織田信長と、これを
阻止しようとする中国地方の雄毛利氏との対立の中で展開された。
織田信長への服属の意を示した鳥取城主山名豊国の方針を不満とした森下道誉、
中村春続らの因幡国方衆は豊国を追放して毛利氏に鳥取守城のための城将派遣を
要請した。
1581年3月18日、毛利氏の一族で石見国福光城主吉川経安の嫡男経家が
城将として鳥取城に入った。
1581年7月12日、信長の派遣した羽柴秀吉は鳥取に到着し、鳥取城背後の
東北の山頂に本陣を置き、前面の袋川沿いに各陣をしいて2万余の軍勢により
兵糧を断つ鳥取城包囲作戦を展開した。
これを迎え撃つ鳥取城の兵力は芸州毛利氏よりの400と因幡国方衆1000余
であった。毛利氏からの援軍・食料の補給が阻止され、包囲後3ヶ月過ぎる頃に
は籠城兵糧つき、牛馬人等喰い候という状況となった。
ついに10月25日、吉川経家は城兵を助けるために開城し、自身は城中広間で
切腹した。時に35歳であった。
死の前日、10月24日に本家・吉川広家にあてた遺言状に「日本二つの御弓矢
境において切腹に及び候事、末代の名誉たるべく存じ候」と経家は記している。
織田信長と毛利氏という日本二つの御弓矢の正面対決による鳥取城包囲戦での
切腹を大きな名誉と感じていたのである。
この五輪塔はその吉川経家主従の墓と伝えられているののである。
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鳥取市にある吉川経家の墓を参拝しました。
鳥取城のある久松山の浦側の住宅地の中にひっそりとその墓はありました。
現地は円護寺吉川公園という公園になっています。
先日大河ドラマ『黄金の日日』を見てまして、鳥取城包囲戦の回がありました。
吉川経家は毛利氏より派遣された将で、もともと因幡の将である森下道誉や中村
春続らすれば経家は毛利氏を後ろ盾としているという旗印にすぎないという感じ
でした。実際そうだったんでしょう。
吉川経家は最期、秀吉からの助命の話を固持し城主として潔く自刃するという
事になります。ドラマでも経家は名将として、森下・中村の2名は悪人風に
描かれてました。
正直吉川経家について、表舞台ではこの鳥取での話しか知らないので、これが
僕の中でもすべてです。大河のシーンを思い返しながら経家の墓を参拝して
きました。
<吉川経家の墓>
大河ドラマ『黄金の日日』では浜畑賢吉さんという役者さんが演じております。
昨年の大河ドラマ『軍師官兵衛』では鳥取城包囲戦は割愛されました。
平成27年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/418505052.html
著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html
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