<静御前生誕の地>
住所:京都府京丹後市網野町磯
駐車場なし
<現地解説>
静御前はこの地に生を受け、父は磯野善次といい「磯の衆」と呼ばれた海士の
一族であった。幼名を静尾といい7歳で父を牛無し母に連れられて都へ上った。
母は白拍子として有名になり、静かも都で指折りの白拍子へと成長していった。
やがて源義経に見初められ、愛妾となるが義経はその後、兄頼朝に追われる身
となり、離ればなれに、その後疲れ果てた身を休めるため生まれ故郷の磯へと
帰ってきた。
静は眺望の良い三つ塚法成に草庵を結び、義経の無事と由比ヶ浜で殺された
愛児の冥福を祈りつつ花月を友として暮らしたと伝えられている。
また一説には草庵は静の出生地の屋敷跡で母娘共々余生を送ったとも言われ
ている。今もこの屋敷跡下の海岸を「尼さんの下」と言っている。
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京丹後市にある静御前生誕の地に行ってきました。
静御前って丹後半島の出身だったんですね、知りませんでした。
海岸沿いを走る県道665号線から磯の集落に入った奥に生誕の地碑があります。
これが県道からの案内板。この先には車で入れません。
こういう道無き道を歩き、ここは個人の私道か?、歩いて大丈夫かと不安になりな
がら進み、民家の裏に上の「静御前生誕の地」碑を発見しました。
日本海に面した集落の奥にひっそりとこういう碑があるんですね。
そこからの風景です。
静御前の墓は淡路島や埼玉県久喜市の栗橋駅の前にあったり、義経を追って奥州に
向かって途中で亡くなったとかいろんな伝説がありますね。
まあよく分かってないんでしょうね。
源平の話の中で静御前は欠かせない人物で、ひとつのアクセントになっていますね。
いろんな伝説があって、それを思って歴史を見ると面白いなと思います。
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