<鉄砲の町国友>
住所:滋賀県長浜市国友町
駐車場あり(無料)
<現地解説>
鉄砲は1543年、ポルトガルから種子島に伝来しました。
その後、根来・堺でも生産されていますが、国友では足利将軍からの製作の命に
よって生産が始まりました。
以来、国友鍛冶は信長・秀吉の保護を受け特に国友の技術に目を付けた徳川家康は
『天領』として統治しました。
一方国友鍛冶は御用鍛冶として結束を固め、分業体制を導入して大量生産につとめ
ました。こうして国友は我が国最大の鉄砲工業地として栄えていきました。
江戸時代の初期が国友鍛冶の最盛期でしたが、世の中が平和になると鉄砲の受注
は少なくなり、鍛冶師たちは金工彫刻や花火などに活路を見いだしていきました。
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鉄砲の町国友を散策してきました。
浅井氏を姉川の戦いで破ったあと、国友は信長の管理下となり秀吉に命じて
鉄砲を生産させました。
戦国の戦の世で発展した国友も平和が続いた江戸時代は鉄砲だけでは食べていく
事が出来ず、そこから派生した金工細工などの工芸品の制作を行っていた様です。
今の国友の町には大きなお宅が多くのこり、かつての国友繁栄を今に伝えている
様に見えます。司馬遼太郎は『街道をゆく』でその光景を記しています。
町の中心に国友鉄砲の里資料館があり、そこで国友鉄砲の歴史を見てから町の
散策をしました。
鎖国と江戸時代の平和が国友鉄砲の衰退をまねきました。
幕末の動乱期には国友の影は見えません。輸入されたエンフィールド銃、ミニエー
銃などが戦いで使われています。
<国友の町並み>
国友の町の中には、個人宅の前にかつての鍛冶職人の名前が石碑で記されています。
平成27年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/418505052.html
日本の古い町並み
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