<大隣寺>
住所:福島県二本松市成田町1-532
駐車場あり(無料)
境内自由
<現地解説>
二代丹羽長重公は、初代丹羽長秀公の菩提を弔うため、1627年越前国の
融法全祝和尚を招き、白河の地に大隣寺を建立した。
三代光重公は白河より二本松へ国替えとなり同年冬には大隣寺も当地に移り、
二本松藩主歴代の菩提寺となった。寺領は100石余り。その後、方角などの
理由から城下内において二度移転し、現在地へ移った。伽藍は数度となく改築や
改修が行われたが、1811年の大改築によって現在の本堂が出来た。戊辰の役
直後には二本松藩庁の仮事務所や藩校などにも使用された。
寺号は初代丹羽長秀公の法名「総光寺との大隣宗徳大居士」の大隣に由来し、
寺紋には丹羽家の家紋「違棒」を用いている。
境内には歴代藩主の霊廟、丹羽家の位牌堂である御霊屋、戊辰の役で幼い命を
散らした二本松少年隊の墓がある。
<丹羽氏歴代廟>
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二本松の大隣寺に行ってきました。
二本松城や戊辰の古戦場は以前行ってましたが、二本松少年隊や丹羽家歴代藩主
の墓がある大隣寺には行っていませんでした。
目的はやはり二本松少年隊の墓参拝です。
境内左側に少年隊の慰霊碑を中心に墓が並んでいます。
二本松少年隊は13歳から出陣しています。
白虎隊より更に下の年齢の少年たちが出陣して、戦死しているという戊辰戦争
の悲劇のひとつです。
大河ドラマ『八重の桜』では、隊長の木村銃太郎が「二本松は敵に寝返って生き
延びるより、死すとも同盟への信義を貫く方途を選んだ。誇りを持って戦え」
という号令のもと大檀口の戦いに挑みました。
この言葉、この大河ドラマで一番心を打たれました。
大隣寺の石段の前には副隊長・二階堂守衛、岡山篤次郎(13才)戦死の地碑があります。
大河ドラマでも、二人が討たれるシーンは涙ものでした。
篤次郎が「若先生(木村銃太郎)の仇」と敵兵にかかり鉄砲で撃たれました。
家に帰って、改めて八重の桜のそのシーンを見返して泣きました。
平成27年夏旅 最北の地へ
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著名人の墓
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大河ドラマの舞台
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