<豊田館跡>
住所:岩手県奥州市江刺区岩谷堂下苗代沢
駐車場あり(無料)
<現地解説>
豊田館は亘理権太夫藤原経清その子清衡の館であった。
経清は、ムカデ退治の伝説で知られる田原ノ藤太・藤原秀郷の子孫と言われ、
陸奥の国司に従って奥州に下り、初の宮城県亘理地方を支配して亘理権大夫と
呼ばれたが、後に俘囚の長と言われた大豪族安倍頼時の娘婿となって、江刺
郡に移り住みこの地で清衡が生まれた。
経清は安倍氏征討のための「前九年の役」が始まると、初め朝廷軍の源頼義に
従ったが、中途から妻の父である安倍頼時に味方して、源頼義・・義家父子と
出羽の清原武則の連合軍と戦い、厨川柵で敗死し、経清の妻は清衡を伴って
敵将清原武貞に再嫁した。
後に清原氏の内訌からおこった「後三年の役」で清衡は源義家の援けを得て
勝ち残り、生誕のこの地に戻って奥六郡の主となった。
安永三年(1774年)銘の石碑に、ここが藤原経清、清衡父子の館跡で
あり、付近に舟橋の地名や高清寺跡、白旗の池がある、と刻まれている。
<安永の碑>
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先に紹介した館山史跡公園同様、藤原経清の館跡推定地です。
推定地なので、いろいろありますが、この地には江戸時代に記された石碑があり、
それにはこの地が経清の屋敷跡であると記されています。
まあ江戸時代の碑だって経清の時代から700年も経っているわけで、正しい
かどうかは定かではありません。
昭和54年「豊田館想像図」です。
これもよく分からないスケッチが現地にありました(^^;
ここ、豊田館跡には敷地内に「藤原清衡生誕の地碑」があります。
また、敷地の裏の方には藤原清衡産湯の泉と清衡のへその緒を祀った
十二藍婆社があります。
<清衡公産湯の泉>
この泉は枯れること無く今も水をたたえています。
<十二藍婆社>
藤原清衡公のへその緒を祀っています。
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