秋田県横手市にある本多正純終焉の地に行ってきました。
<本多正純終焉の地>
住所:秋田県横手市城南町8
駐車場あり(無料)
<現地解説>
徳川幕府創業の権臣であった本多正純、正勝父子は2代将軍秀忠暗殺謀反の
企て(宇都宮城釣り天井)があるとの疑惑を受け1624年佐竹義宣に預か
りの身となり、横手城代須田美濃守盛秀のもと横手城三の郭の居館に移し
た。子正勝は1630年35歳で病死。父正純は悲嘆の日々をすごし、
1637年73歳で寂しく一生を終えた。
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本多正純終焉の地に行ってきました。
横手城の脇のちょっと狭い道の傍らに本多正純終焉の地の碑があります。
解説にあるように本多正純は宇都宮城釣り天井事件で徳川秀忠暗殺未遂の疑惑を
かけられ失脚。横手に流されます。
この釣り天井事件は濡れ衣であったと言われています。
本多正純は家康のもと、権勢をほしいままにした人物。しかし2代将軍秀忠の
治世になり、秀忠の側近である土井利勝らが正純を快く思わなかった為、正純
を陥れたでのはという事です(実際は分かりませんがね)
昔も今もよくある話ですよね。
うちの会社でもその様な光景を見てきました。
前の権力者の下で権勢を誇っていた人間は、次になると邪魔な存在になります。
会社でも前社長の側近は閑職に追い込まれたりします。
まあ、正純の追放もそういう事なんでしょうね。
<本多正純父子の墓>
明治時代に造られたものの様です。
現地にある本多正純の句碑
「陽だまりを 恋しと想う うめもどき 日陰の紅を 見る人もなく」
これは横手で詠んだものだそうです。寂しい句ですね。
平成27年夏旅 最北の地へ
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2015年08月27日
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