<長福寺>
住所:福島県喜多方市岩月町大都前田252
駐車場なし
<現地解説>
この寺は1233年、飯島筑後守開基、密侶看信の開山した飯島山長福寺と言い
ます。1612年、若松徒之町一乗寺の僧良讃が再興して浄土宗となりました。
本堂、庫裏合わせて42坪の大きさでしたが、老朽化が進んだため、昭和56年
現在の堂宇に再建されました。本尊は阿弥陀如来です。
<この寺の逸話1>
明治元年戊辰戦争の終結後、会津藩士は東京と高田に謹慎させられ、その家族の
老幼婦女子は城下の混乱を避けてこの地方に避難しました。
この時、この寺もその住まいとして使用されました。戊辰の戦いで勇名を馳せた
佐川官兵衛の家族はこの寺に移り住んでおりました。官兵衛は明治10年の西南
の役に従軍して阿蘇山中で壮烈な戦死をとげましたが、本籍地は大都村となって
おります。この寺を本籍地にしたのかもしれません。
<この寺の逸話2>
社会福祉の先駆者として著名な瓜生岩子が小田付の幼学校跡が手狭になったため、
明治12年この寺を借り受け貧困者を住まわせ仕事を世話し、また裁縫教授所を
解説して近隣の農家の娘に裁縫や礼儀作法を教え、僧侶の法話などを聞かせ教育
しました。
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佐川官兵衛の墓があるという喜多方市の長福寺に行ってきました。
佐川官兵衛は幕末の会津藩家老で、戊辰戦争で活躍しました。
明治10年の西南の役で戦死しています。
佐川官兵衛は愛妻家で、死んだら妻の側に埋葬して欲しいという願いがあったそう
です。熊本で戦死した官兵衛は熊本に葬られますが、近年熊本の土とともに長福寺
の妻の墓の隣に墓が建てられたそうです。
また、日本のナイチンゲールと言われる瓜生岩子はこの地で貧困者の教育などを
行ったという事で、その顕彰碑が境内に建てられていました。
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