<沼の柵跡>
住所:秋田県横手市雄物川町沼館429
駐車場あり
境内自由
<現地解説>
平安時代、1086年「沼の柵」合戦が起きた。
前九年の役後、奥羽二州を清原氏一族が支配しており、真衡の死後、陸奥六郡
を清衡・家衡兄弟が二分していた。
しかし土地や人民に対して統制ある支配を行うためには同族的連合の形では
不可能になり、族長権をめぐって一族に不和が生じて起こった戦いである。
清衡は朝廷から陸奥守に任ぜられて赴任した源義家の加勢を得て家衡の籠もる
沼の柵を攻めたのである。
水柵といわれた沼の柵は簡単には落城せず、やがて激しい風雪の中での戦い
になった。
清衡・義家軍は大雪と寒さ、その上食料の欠乏にあい、馬肉を食って飢えを
しのぎ仮死状態の兵を懐に抱いてぬくもりをあたえ、蘇生させたりしたが多く
の兵を失い苦戦した。
このように自然の要害に守られた沼の柵を攻め落とすことの出来なかった清衡
義家軍はいったん陸奥へ引き上げた。
その後、家衡は叔父武衡の信玄により沼の柵よりも要害堅固の地である金沢柵
へ移る。再び戦いが始まり、激しい攻防戦の後、清衡・義家軍は金沢の柵を
攻め落とし、後三年の役は終わった。
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後三年の役の古戦場である沼の柵跡に行ってきました。
現在は蔵光院というお寺になっているあたりが沼の柵推定地という事になって
います。ここで清原家衡軍と清原清衡・源義家軍がぶつかりますが、堅固な沼の柵
は落ちず、清衡・義家軍は撤退します。
柵というのは本当に柵があった訳ではなく、要塞とか砦という様なものです。
戦国時代には、稲庭城主小野寺氏が沼館城を築城し本拠地としました。
また、あわせて別の場所にあった蔵光院をこの地に移し不動明王や観世音菩薩を
信仰したという事です。
蔵光院は山門も立派で、由緒ある古刹という感じのお寺です。
寺を外側から見ると堀の様に見える部分もあり、ここがお城だったという事を
偲ばせます。
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