<小田山西軍砲陣>
住所:福島県会津若松市花見ヶ丘三丁目
駐車場あり(無料)
<現地解説>
1868年8月23日、会津軍は城門を閉じ籠城に入りました。翌24日、東部
戦線にあった会津藩兵も漸次退き、ひとまず城内に入りました。
25日に侵攻してきた西軍に地形上すぐれている事を内通する者がいて、西軍は
小田山に砲塁を築きました。
薩摩・肥前・松代、大村、土佐、岡山、加賀の諸藩は城を眼下に見下ろしながら、
一斉に砲門を開きました。
小田山と城までの距離は約1600メートル。鍋島藩のアームストロング砲は
2000数百メートルの射程距離が有り威力を発揮しました。
当初本丸まで弾丸が届かぬ大砲がありましたが、砲口を上に向けて発射する
ようになって、本丸まで無数の弾丸が届くようになりました。
焼き玉も使われて、しばしば城内に火災が発生し、城中の驚きは一方ではあり
ませんでした。
会津軍も急遽砲を豊岡東照権現堂の付近及び三の丸に出して応戦し、一時は
小田山上の砲門を沈黙させたと言います。
西軍は更に館の荒神、慶山村の畑地に砲門を据え小田山と合わせて三方から
天守閣を目標にしてさかんに砲撃を開始しました。
会津軍も8月27日、青木・小田の線より小田山奪還を試みましたが猛反撃
を受け奪還は失敗しました。
9月14日より3日間、西軍は小田山・館・慶山の砲門をはじめ若松城下外郭
十六門に砲列を布き、一斉に砲撃を開始しました。この総攻撃により、城内は
修羅場と化し、将卒婦女子に多数の死傷者を出しました。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
会津若松市にある小田山西軍砲陣跡に行ってきました。
一昨年の大河ドラマ『八重の桜』で鶴ヶ城が攻撃される時、小田山の話が出て
きました。
小田山からの砲撃に対し、八重と夫の川崎尚之助が小田山に砲撃して反撃する
シーンが印象的でした。
小田山からは鶴ヶ城を見下ろす事が出来、砲撃する陣場としてはもってこいの
場所です。
城までは距離にして1.6キロあるので鶴ヶ城は小さく見えます。
こちらは望遠で撮ってみました。
昨年鶴ヶ城は瓦の葺き替えなどして、幕末時と同じような感じになりました。
小田山は現在小田山公園として整備されています。
入り口のところに小田山公園の看板があります。
曲がった先の道がとにかく狭い(>_<)
すれ違い不能の狭さの道が200m〜300m位です。正直入っていくのが
躊躇われますが、ほんの少しなので勇気を出してつっこみましょう(^^;
奥にはちゃんと広い駐車場があります。
駐車場から砲陣跡までは歩いて15分位です。
西軍砲陣より更に先があり、会津藩家老の墓があったりしますが、今回は砲陣
まで行って引き返しました。山頂まで行くようだと片道30分以上はかかると
思います。
<小田山案内図・クリックすると拡大します>
平成27年夏旅 最北の地へ
http://rover.seesaa.net/article/424226743.html
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html
[ここに地図が表示されます]