<天沢寺>

住所: 山梨県甲斐市亀沢2609
駐車場あり(無料)
境内自由
天沢寺は武田家譜代・飯富兵部少輔虎昌の招きで鷹岳宗俊和尚が開山したのが
始まりと伝えられています。山県昌景が中興し、武田家の庇護のもと繁栄しま
した。武田家滅亡後も徳川家から寺領18貫文が寄進され庇護されていった
そうです。


立派な山門は江戸時代後期の建築と推定されています。
武田家の名将・飯富虎昌と山県昌景の墓がこのお寺にあるという情報を入手した
ので今日訪問しました。
本堂や立派な山門は良いんですが、お墓が見つかりません。どこにも案内出てない
しどこにあるのかな〜と車に戻ってネットで検索していると、お寺の方から声を
かけられました。
「飯富虎昌のお墓はどちらですか?」って聞いたら親切に案内して頂いて、解説も
していただきました。
本堂を左側から回り込み、裏のお墓の中断よりやや上に飯富虎昌・山県昌景の供養
塔及びお墓がありました。
<飯富虎昌・山県昌景供養塔>

こちらは近年造られた供養塔です。
その脇に小さなお墓ですが、飯富虎昌と山県昌景の墓がありました。

飯富虎昌は武田家譜代の家臣。名将として名高く、武田家嫡男武田義信のおもり役
を努めます。
しかしながら、武田信玄と嫡男義信はうまくいかず、それにからみ飯富虎昌
は義信をたて武田信玄暗殺を企てたとして処刑されます。その企てを密告したのは
実弟の山県昌景であったとか。
だいぶ昔ですが、大河ドラマ『武田信玄』で、このシーンは今でも覚えているシーン
です。
虎昌と昌景の兄弟、信玄と義信親子、戦国時代は親類での血で血を洗う惨劇がいろ
いろありますね。虎昌・昌景のこのシーンは義信の為やむなくこの事態に追い込ま
れた飯富虎昌を、武田家家臣としてやむなく密告する山県昌景という状況だった
かと思います。
今日は、飯富虎昌・山県昌景のお墓をそんな大河のシーンを思い返しながら参拝し
てきました(._.)
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html
[ここに地図が表示されます]
コメントありがとうございます(^^)/
ご縁ある方に当ブログを見て頂けて、私もうれしいです!
墓を参拝にうかがい、どこにあるか分からずさまよっていたところ、お寺の方に案内頂いて参拝したのを覚えています😊
実は、祖父は戦時中、多くの戦友を南方諸島で亡くしたことで、戦後の平和な時代になっていても、ひたすらに鎮魂の写経を綴っておりました。
それが、きっかけで、お二方の墓標を書くこととなりました。
残念ながら、藤沢市民病院の医療過誤で亡くなってしまいましたが、祖父の遺志は孫である私が繋いでいこうと思っております。