<葦名家花見ヶ森廟>
住所:福島県会津若松市花見ヶ丘2丁目
駐車場なし
<現地解説>
会津初代城主である葦名家は、初代佐原義連(後に葦名氏を称した)から1589
年に20代義広が磐梯山麓摺上原において伊達政宗に敗れて会津を去るまで400
年にながきにわたった。
この墳墓は16代盛氏を中心として左が17代盛興、右が18代盛隆の墓である。
特に16代盛氏は徳望があったばかりでなく、武略に優れ、長沼・二本松・須賀川
郡山などを従わせ、越後の上杉氏・甲斐の武田氏・相模の北条氏・古河の足利氏と
交わり、威を四方にはったので葦名家中興の祖と言われる。
<葦名盛氏の墓>
<葦名盛興の墓>
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会津若松市にある葦名家花見ヶ森廟に行ってきました。
葦名氏はながらく会津の領主を務めた家です。戦国期には葦名盛氏のもと勢力を
拡大しましたが、伊達政宗との摺上原の決戦で敗れ葦名家は滅亡します。
そんな葦名家16代から18代の墓があるのが花見ヶ森廟です。
先日紹介した小田山西軍砲陣のある小田山公園のすぐ近く、住宅地の中に花見ヶ森廟
がありました。
会津観光の客の多くが鶴ヶ城とか飯盛山とか行くかと思いますが、花見ヶ森廟に来る
人はまずいません。今の会津で葦名氏の影はうすいなと思います。
会津若松には葦名氏の歴史、その後に来た蒲生氏郷、そして上杉景勝・直江兼続の
歴史、江戸時代の松平氏と濃い歴史がつまっています。
葦名氏にもスポットをあてると見る場所も増えるのかなと思うところです。
平成27年夏旅 最北の地へ
http://rover.seesaa.net/article/424226743.html
著名人の墓
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