2015年10月18日

勇払会所跡    (北海道苫小牧市)

北海道苫小牧市にある勇払会所跡に行ってきました。

<勇払会所跡>
勇払会所跡.jpg
住所:北海道苫小牧市勇払50-4
駐車場なし

江戸時代の間、勇払は河海両域にわたる交通の中心で、その内陸部はシコツと
呼ばれた漁業・狩猟の盛んな地帯でもありました。
また、アイヌと和人の交易の拠点として「運上屋」が置かれ、東蝦夷地屈指の
商業物資の集散地として栄えました。
1799年、瀑布は東蝦夷地を直轄し、直接経営に乗り出しました。
これまでの運上屋は「会所」と改名され、従来の交易施設だけでなく幕府の役所
としての機能も持つようになり、1800年には八王子千人同心一行50人が
勇払に移住して開拓と警備に従事しました。
1821年幕府は蝦夷地の直轄をやめて松前藩に返還しましたが、1855年
再び直轄を行いました。
1868年に勇払会所を記述した文書によると、その規模は梁間6間・桁間28間
半に拡大されており、幕末期の勇払は当寺の主力産物であった鰯の〆粕の重要
な集積地や出荷地としての位置づけが高まっていたことが分かります。
1869年、開拓使が設置され、勇払に出張所が置かれましたが1873年に出張
所が苫細村(苫小牧)に移されるにおよんで、勇払中心の時代は終わりを告げまし
た。

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苫小牧市東部にある勇払地区、そこにある勇払会所跡に行ってきました。
上の説明にあるように勇払会所とは幕末期に江戸幕府によって置かれた交易及び
行政事務所の様な施設です。

幕末は交易もそうですが、外国船の来航など緊張も高まった時期ですので、幕府も
蝦夷地への関与を強めた事がうかがわれます。

勇払会所跡は建物などは残っておらず、勇払会所跡の碑のみが残ります。
勇払会所跡2.jpg

平成27年夏旅 最北の地へ
http://rover.seesaa.net/article/424226743.html

[ここに地図が表示されます]

posted by 南行 at 09:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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