きました。
<千人同心の墓>
住所:北海道苫小牧市勇払132−32
駐車場あり(無料)
<現地解説>
江戸幕府は蝦夷地を外国から守ることや開拓することを考えた。これに志願した
同心頭の原半左衛門を隊長とした100名の八王子千人同心が1800年にはる
ばる海を渡ってきた。
隊長を含めた50名は白糠場所に向かい、隊長の弟の新介を副士とした50名が
勇払場所(蝦夷地でも一番交易が盛んで大切な場所だった)に移り住み、次の
年にはさらに白糠・勇払に15名ずつの応援をえて警備・畑作・道路整備・交易
などを行った。
だが気候の違う北国の生活は厳しく犠牲者も多く出て惜しくも解散となり、開墾
地などは放棄された。勇払原野に開拓のくわを入れた先駆者達の行いはすぐれて
大きく、八王子千人同心関係の墓石を市の文化財に指定している。
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勇払にある移住千人同心の墓に行ってきました。
全体として公園になっており、公園の中には千人同心に関する資料などを展示する
勇武津資料館(入館無料)などがありました。
千人同心は一般に八王子千人同心と言い、武田家の旧臣などを江戸幕府が取り込み
幕府の直参でありながら、平時は農耕に従事するなど半農民であり、八王子で甲州
口の警備を固める役割も担いました。
そんな千人同心が幕末に蝦夷地勇払に渡り、蝦夷地の開拓を行ったそうです。
気候の厳しさに、多くの犠牲者を出し、何年か後に撤退となりましたが、この開
拓がその後の勇払の発展に寄与したとの事です。
平成27年夏旅 最北の地へ
http://rover.seesaa.net/article/424226743.html
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