<羽生城趾>
住所:埼玉県羽生市東5丁目7
駐車場なし
<羽生城について>
羽生城は天文年間の中頃(1540年代)に古河公方(足利晴氏)の配下であった
広田直繁・木戸忠朝の兄弟によって築かれました。
三方を沼地で囲まれた天然の要害であり、上杉謙信の関東攻略の最前線基地で
したが、1574年に落城し、忍城主の支配となりました。
徳川家康の関東入国後は大久保忠隣の支配となりましたが、慶長19年忠隣の
改易に伴い廃城となりました。
現在名残をとどめるものは何も無く、当地は天神廓の推定地です。
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羽生城趾に行ってきました。
現在は何も残っていない羽生城趾です。現地には古城天神社という神社があります。
もとは古河公方の傘下のお城だったようですが、上杉家、そして徳川の城になって
いったようです。
古城の図を見ると、この辺は沼地だったんですね。今はその気配すら感じられません。
日本の城を巡る
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