<伊奈城趾>
住所:愛知県豊川市伊奈町柳38
駐車場なし
<伊奈城について現地解説>
15世紀の中頃、本多定忠・定助の築城で、上嶋城とも言われていた。
1590年本多康俊が下総国小篠へ移封されるまでの百数十年間伊奈本多氏の居城で
あった。
伊奈城主の菩提寺東漸寺に伝わる古図によると、三方を河川と沼地に囲まれた要害
堅固な地に加えて、城下まで舟運の便の良い地であった。
永禄年間に大塚城主の岩瀬氏に攻められたが、時の城主本多忠俊は兵を柳堤に出して
防ぎ、御馬・梅藪に出て戦いこれを退けた。伊奈城の攻防はこの一戦だけである。
下総国小篠へ移封後は廃城となり、それ以来400年余りを経た現在も土塁の一部と
本丸跡の郭跡が残っている。特に土塁は室町時代の地方の平城を今に伝える数少ない
貴重な遺構である。
伊奈本多氏は遠州今川方と三河松平方の境に位置し、ある時は今川方にまたあるとき
は松平方に従い、戦国時代を生き抜いてきた。
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伊奈城跡に行ってきました。
ここは本多氏の居城跡です。現地を探すのが意外に大変でした。
隣に花ヶ池牧場という牧場があるので、それを目指して行くのが良いかと思い
ます。牧場のとなりで、すこし良いにおいがしておりました(^^;
現在伊奈城趾は伊奈城趾公園という公園になっており、復元された櫓などがあります。
また、この地は徳川の家紋「三つ葉葵」発祥の地と言われているそうです。
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平成27年〜28年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/432024561.html
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
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