<板額御前像>
住所:新潟県胎内市表町7-22
駐車所なし
<板額御前について>
板額御前(はんがくごぜん)は代々秋田城介を司っていた城氏の一族で、平安時代
末期から鎌倉時代初期の人物です。
城氏は源平の戦いで平氏方で戦い没落、1201年梶原景時が誅殺されると
その庇護下にあった城長茂は鎌倉幕府倒幕の兵をあげます。
幕府は佐々木盛綱らの討伐軍を送りますが、鳥坂城に籠もった反乱軍に苦戦、
その鳥坂城の戦いで活躍したのが城長茂の妹である板額御前です。
弓の名手で、『吾妻鏡』には「女性の身たりと雖も、百発百中の芸殆ど父兄
に越ゆるなり。人挙て奇特を謂う。この合戦の日殊に兵略を施す。童形の如
く上髪せしめ腹巻を着し矢倉の上に居て、襲い到るの輩を射る。 中たるの
者死なずと云うこと莫し」と書かれています。
最後は足を矢で射貫かれ生け捕りになります。
鎌倉へ連れて行かれ、将軍源義家のもとに連れて行かれ尋問されますが、
その憶することの無い態度に惹かれた浅利与一という武将が妻として
めとり甲斐国で子をもうけその後は平穏な生涯を送ったそうです。
板額は巴御前と並んで女傑として名をはせる人物との事ですが、巴御前
は有名ですが、板額の知名度は低いですよね。
僕も正直あまりよく知りませんでした。
<板額御前像・中条駅前>
平成28年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/437560904.html
銅像めぐり
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