<吉田郡山城>
住所:広島県安芸高田市吉田町吉田
駐車場あり(無料)
<吉田郡山城について>
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今回の旅の最終目的地、吉田郡山城登城です。前回来たのはいつだった
かな〜、画像ファイルのタイムスタンプを確認しました。
平成11年8月12日。17年ぶりの訪問か〜、久しぶりだな〜。
あの頃はまだ何も知らない頃で、何でも見て回りたい時期でした(^-^)
吉田郡山城は、毛利氏の本拠地で、強敵尼子氏の大軍もこの城を落とす
事が出来なかった要害の山城です。
毛利元就もこの地で生まれ、毛利家の家督を継いでこの城の城主になり
ます。戦国期の毛利家の本拠で、後に戦国の世が終わり山城が不要に
なり、本拠を広島城に移すまで毛利家は吉田郡山城を本拠とします。
早速登城します。
毛利家墓所付近から登山口が入り口があります。
最初は綺麗な石畳がありましたが、途中から荒れた山道になります。
片道20分位は見ておいた方が良いかと思います。そんな急な山道では
ありません。
山道を歩き、開けた場所に出ます。御蔵屋敷跡です。
屋敷跡と思われています。
御蔵屋敷の場所には人の手が加わったと思われる石がゴロゴロ。
高い石垣があったものと思われています。
御蔵屋敷のすぐ上に二の丸跡があります。
本丸跡です。
本丸から二の丸方面を眺めます。
吉田郡山城から見た吉田の町並みです。
写真も多いので、続きます。
吉田郡山城の麓には、洞春寺という毛利家の菩提寺があったそうです。
今はお寺は無く、毛利家の墓所のみが残っています。
<毛利元就墓所>
戦国の謀将・毛利元就もこの地で亡くなり、ここに葬られています。
<毛利家墓所>
こちらは元就の兄・興元、その子興松丸らの墓です。
<毛利隆元の墓>
少し離れた場所に、毛利元就の長男隆元の墓があります。
毛利隆元は41歳で急死します。その状況から考えて暗殺ではないかと
も考えられていますが、真相は今でも分かっていません。
タラレバ論ですが、隆元が生きていれば織田家との戦いやその後の流れ
も毛利家にとってどんな事になっていただろうと思いをめぐらせてしまい
ます。隆元のあとを継いだ輝元が凡庸な人物だったがゆえにねえ・・。
<百万一心の碑>
吉田郡山城の拡張工事の際、毛利元就が人柱の代わりにこの文字を刻んだ石を
埋めたものです。
縦書きで「一日一力一心」と読めるように書かれており、「日を同じうにし、
力を同じうにし、心を同じうにする」ということから、国人が皆で力を合わせ
れば、何事も成し得ることを意味しているそうです。
<毛利元就像>
郡山城のふもとにある元就の像です。
<毛利元就火葬塚>
元就を火葬したという場所。火葬塚という史跡になっています。
<毛利家墓所・1999年撮影>
18年前に来たときに撮影した毛利家墓所です。35万画素のデジカメです(^-^)
あの頃は車はフェスティバに乗ってました(笑)
平成29年春旅 安芸国城攻め
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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日本の城を巡る
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銅像めぐり
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