<高須城址>
住所:岐阜県海津市海津町高須町126
駐車場無し
高須城の築城年代は定かではありません。1300年代には既に築城されて
いたようです。
関ヶ原の戦いにおいて、城主・高木盛兼は西軍に与し後に改易となります。
関ヶ原の戦い後は徳永寿昌が入城しますが、後に改易。その後幕府天領などを経て
1700年に尾張藩第2代藩主徳川光友の次男松平義行が入城します。
その後、高須藩は尾張藩の支藩の様な扱いとなり、尾張藩に世継ぎが無い場合、高須
藩より養子を迎えるなど、小藩ながら存在感のある藩として幕末を迎えます。
高須城は、現在の海津明誠高校付近にあったものと思われていますが、今は遺構は
完全に消え去っています。
高須小学校の北側に城跡公園があり、城の説明などを見る事が出来ます。
現地は何の変哲もない普通の公園です。
高須藩というと、幕末に人物を輩出し存在感を示します。
第10代藩主松平義建は子が多く、その中で徳川慶勝(尾張藩主)、徳川茂栄(一橋)、
松平容保(会津藩主)、松平定敬(桑名藩主)の4人は高須四兄弟と言われます。
兄の徳川慶勝は御三家でありながら、新政府側につき、弟松平容保は会津藩主として
戊辰戦争を戦うという兄弟の悲劇がありますね。
平成29年〜30年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/455939953.html
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
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