<母成峠古戦場・東軍殉難者慰霊碑>

住所:福島県耶麻郡猪苗代町大字蚕養
駐車場あり(無料)
<母成峠の戦いについて>

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
母成峠の戦いは、戊辰戦争において新政府軍と会津藩がぶつかった戦いです。
新政府軍は会津藩の防衛戦の薄かった母成峠を会津侵攻のルートに選びました。
ここは急峻な街道だったがゆえに、会津藩はここに主力部隊を配置しません
でした。
会津藩は、旧幕府の大鳥圭介率いる伝習隊、新選組の土方歳三らが率いる800名
が守備。それに対する新政府軍は土佐の板垣退助、薩摩の伊地知正治らが率いる
3000の軍勢。
戦いは数で勝る新政府軍優勢にすすみ、会津藩・旧幕府軍は敗走しました。
新政府軍は、戦死した会津・旧幕府軍の死者を葬る事を認めなかった為、死体が
そのまま放置されたそうです。
その後、地元の人達が新政府軍の目を盗んで死者を埋葬したのがこの場所です。

埋葬地はその後分からなくなっていたのですが、昭和53年に発見され、昭和
57年に慰霊碑が建立されました。
<東軍戦死者埋葬地>


以前、古戦場の碑だけ見た事があったんですが、すぐ近くに慰霊碑があるのは
知らず、今回初訪問になりました。
令和元年秋旅 気仙沼大島へ
http://rover.seesaa.net/article/471443107.html
[ここに地図が表示されます]