<福山城>
住所:広島県福山市丸之内1丁目
駐車場あり(有料)
<福山城について・wikipedeaより>
福山城は1615年(慶長20年)の一国一城令発布後の元和8年(1622年)に竣工した
城である。
大規模な新規築城による近世城郭では最後の例となった。備後福山藩の藩庁かつ藩主
の居城であった。
形式は輪郭式の平山城だが、2重の堀や瀬戸内海へ抜ける運河を持つために海城とし
ても知られる。五重の天守と7基の三重櫓を有していた。
1873年(明治6年)の廃城令によって、大蔵省の所管となり、建物の払い下げ、取り
壊しが実施されていたが、翌1874年(明治7年)に所在自治体の福山町などの請願に
よって、本丸の天守(付櫓を含む)・筋鉄御門・伏見櫓・御湯殿・鐘櫓の5棟の建築
物が残されることとなった。その内鐘櫓を除く4棟について、国宝保存法の国宝に指
定された。天守以外のこれらの現存建築は、福山城の築城時に伏見城から移築され
たものであったが、昭和20年(1945年)の福山大空襲によって、伏見櫓、筋鉄御門
(ともに、国の重要文化財)を残して焼失している。
一方、本丸以外の城郭遺構については、昭和初期までに城北側にある堀をかねた吉津
川以外のすべての堀が埋められ、三の丸は大半が市街地と化すなど遺構の破壊が進ん
だ。石垣も概ね本丸と二の丸の大部分と三の丸のごく一部に残る。
現在の天守(付櫓含む)、月見櫓、御湯殿は1966年(昭和41年)に鉄筋コンクリート
構造で復興されたのものである。
再建された天守内部は福山市立福山城博物館として利用され、天守最上階の回縁から
は市街を360度見渡せ、晴れた日には瀬戸内海を望むこともできる。三の丸南側はJR
福山駅が東西に貫き、新幹線や福塩線のホームからは、天守や伏見櫓が聳立する本丸
跡を間近に望むことができる。
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福山城に行ってきました。
福山駅の目の前にあり、前回ここに来たのはもう15年位前の話になります。
日本百名城にも選ばれる福山城。立派な天守閣がありますが、天守閣は戦争で焼失
したものを戦後に再建したものです。
今回は元日の訪問で城は休館につき中には入れませんでした。
外からだけぐるっと観光してきました。
<福山城>
幕末の福山藩主・阿部正弘の銅像です。幕末の幕府老中で、島津斉彬らの意見
を取り入れ幕府の軍事改革などに尽力しました。
令和元年〜2年・年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/472938573.html
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html
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