多磨霊園で著名人の墓参りをしました。
<多磨霊園>
住所:東京都府中市多磨町4丁目628
駐車場無し
多磨霊園は府中市・小金井市にまたがる都立霊園です。
1923年に開園、日本初の公園墓地です。
著名人の墓も多いですが、1923年に開園という事もあり明治時代以降
の人物の墓がメインになります。
著名人の墓
続きに巡った墓をまとめてアップしました。
<宇垣一成の墓>


宇垣一成の墓は銅像付きでした。宇垣一成は陸軍大将で、首相への就任を
要請された人物ですが、石原完爾らの策謀により首相にはなれなかった人物。
最近フリーになった宇垣美里アナは宇垣一成の親類だそうです。
<宇垣纏の墓>

海軍中将。終戦の日に自ら特攻し沖縄で戦死。死体は見つかっていない。
宇垣一成とは名字は一緒ですが、親戚とかではないそうです。
<岡田啓介の墓>

第31代首相。二・二六事件で殺されかけるも人違いで難を逃れる。
<岡本太郎の墓>

昭和を代表する芸術家。墓も特徴的です。
<加藤建夫の墓>

陸軍少将。「加藤隼戦闘隊」こと飛行第64戦隊を率いたエースパイロット。
<吉川英治の墓>

<金森通倫の墓>

キリスト教伝道者。熊本バンドの一員。
自民党の石破茂氏は金森通倫の曾孫にあたります。
<荒木貞夫の墓>

陸軍大将。陸軍皇道派の主要人物。東条英機と対立し失脚。
<高橋是清の墓>

第20代首相。大蔵大臣として活躍。
二・二六事件で暗殺される。
<山下奉文の墓>

陸軍大将。マレーの虎と恐れられた勇将。戦後フィリピンで処刑される。
<山本五十六の墓>

海軍大将。言わずもがなの海軍きっての名将。
<東郷平八郎の墓>

海軍大将。日露戦争における日本海海戦等で活躍。
山本五十六の墓と並んでお墓がありました。
<児玉源太郎夫妻の墓>

陸軍大将。長州藩出身の軍人。箱館戦争が初陣。
日露戦争で活躍。
<新渡戸稲造の墓>

教育者・思想家。代表作は『武士道』
5000円札の肖像にもなりました。
<杉山元の墓>


陸軍大将。太平洋戦争開戦時の参謀総長。
終戦後自決。
<西園寺公望の墓>

第12・14代首相。最後の元老。
大正時代に桂太郎と交互に首相を務め桂園時代と呼ばれる。
政友会総裁。
<西郷従道の墓>

海軍大将。西郷隆盛の実弟。
<川村純義の墓>

薩摩藩出身の軍人。海軍大将。
西郷隆盛に弟の様に可愛がられた同郷の人物。
西南戦争の時は県令・大山綱良と会談し制止につとめる。
明治天皇の信任厚く、昭和天皇の教育係に。
<大久保一翁の墓>

徳川家斉の小姓をつとめ、その後勝海舟の能力を見いだし阿部老中に推挙
するなどした人物。外国奉行・大目付・御側御用取次など幕府にて歴任。
明治時代には東京府知事などを務める。
<大平正芳の墓>

第68・69代首相。
< 丹波哲郎の墓>

俳優。最近映画『二○三高地』を見ました。この映画で丹波哲郎が演じた
児玉源太郎の演技は素晴らしかったです。
自分の中では丹波哲郎と言えば霊界研究家って感じですが。
<田中義一の墓>

第26代首相。長州藩出身。薩長藩閥政治の最後の首相。
昭和天皇には信用されていなかった様です。
<徳富蘇峰の墓>

宗教家、ジャーナリスト。熊本バンドの一員。
明治〜昭和初期を代表するジャーナリスト。
戦後A級戦犯の容疑をかけられるも不起訴。
若き日の中曽根康弘首相とも交友があったとの事。
<内村鑑三の墓>

キリスト教思想家
<内田康哉の墓>

熊本藩医の子として生まれ、明治〜大正時代に活躍した政治家。
首相にはなっていませんが、原敬暗殺後、加藤友三郎急逝後の2度
首相代行を努めています。
加藤首相急逝の時、ちょうど関東大震災が起き、震災対策の指揮を
とる事になりました。
<平沼騏一郎の墓>

第35代首相。元司法官僚。
戦後A級戦犯として終身禁固刑。
<北原白秋の墓>

詩人、童謡作家
<木戸幸一の墓>

昭和初期の政治家で昭和天皇の側近。内大臣。
戦後A級戦犯の終身刑に。
<与謝野鉄幹・晶子夫妻の墓>

詩人。
<林銑十郎の墓>

第33代首相。陸軍大将。
日露戦争にて活躍。
<リヒャルト・ゾルゲの墓>


ソ連のスパイ、ゾルゲの墓。よもやゾルゲの墓が多磨霊園にあるとは思い
ませんでした。
<堀辰雄の墓>

作家。
<岸田劉生の墓>

洋画家。
<渡辺錠太郎の墓>

陸軍大将。二・二六事件で射殺される。事件時は教育総監。
<阿南惟幾の墓>

今月、阿南の伝記的な本である『大義に死す』を読み、是非お墓を参拝したいと
思い訪問しました。終戦時の陸軍大臣。終戦の詔勅の後、自刃。
現地には辞世の句である詩の碑もありました。

「大君の深き恵に浴みし身は 言ひ遺こすへき片言もなし」
これは昭和13年、第109師団長への転出にあたり昭和天皇と2人で
食事をした際の感激を詠ったものです。