<龍廣寺>
住所:群馬県高崎市若松町49
駐車場あり(無料)
境内自由
高崎の龍廣寺に行ってきました。
この寺の山号は「高崎山」、高崎の地名の由来になった寺です。
慶長三年(1598)井伊直政が幕府の命により箕輪から和田宿へ移り住み、
城地を決定するために、鷹を放ったところ、現在の城跡の松の木にと
どまったという、旧称「和田」を改めて、鷹が崎にしたら、いや、
松が崎がよいと議論百説が出て決まらなかった。
そこで、城主直政は箕輪時代から信頼厚かった箕輪龍門寺の僧、白庵秀関
の意見を求めた。白庵は「生物には、生死栄枯あり、公が命を奉じて、
この城を築かれることは、盛事大名である。成功高大の義を取って『高崎』
とされては」と答えた。(近藤章氏「龍廣寺物語」より一部抜粋)
高崎の名前の由来は井伊直政に関わる話だったんですね、知りませんでした。
境内に井伊直政の供養塔があるという話を聞き、参拝しようと思って今日は
訪問しました。
<本堂>
本堂は大正5年の建築だそうです。
寺に入ると、寺にあるお墓の案内がありました。
が、しかし、井伊直政の供養塔はどこにあるのか書いていません。
そのかわり、元ロシア兵の墓と村上鬼城の墓の案内がありました。
<元ロシア兵の墓>
元ロシア兵の墓です。日露戦争のおり、ロシア兵の捕虜が日本に連行され
ました。龍廣寺にもロシア兵が監禁されましたが、ここで亡くなった数名
の兵の墓が残っています(高崎市指定史跡)
<村上鬼城の墓・高崎市指定史跡>
この方、知らなかったんですが大正時代に活躍した俳人だそうです。
<満州事変・忠霊碑>
満州事変の忠霊碑がありました。
碑の文字は陸軍大臣・荒木貞夫氏。
<井伊直政供養塔>
やっと見つけた井伊直政供養塔です。
まったく解説等無く、案内もありません。村上鬼城の墓とロシア兵
の墓は案内も説明もあるんですが・・・。直政公の供養塔は何でこ
んな扱いなんでしょう(^^;
供養塔の側面に、高崎城主・兵部少輔 井伊直政とありました。
高崎の由来を知ることが出来て良かったです。またこんなところに
井伊直政の供養塔があるのに驚きました。
何度もここの前通ってるんですけどね。。。。
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html
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