<気比神宮>

住所:福井県敦賀市曙町11−68
駐車場あり(無料)
境内自由
<気比神宮について>

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社伝では、上古に主祭神の伊奢沙別命は東北方の天筒山に霊跡を垂れ、境内北東方
にある土公の地に降臨したという[2]。そして『気比宮社記』によれば、仲哀天皇の
時に神功皇后が三韓征伐出兵にあたって気比神に祈願をすると、海神を祀るように
神託があり、皇后は穴門に向かう途中で海神から干・満の珠を得た。
そして仲哀天皇8年3月に神功皇后と武内宿禰が安曇連に命じて気比神を祀らせたと
いい、これが神宮の創建になるとしている。
またこの時、気比大神は玉姫命に神憑りして三韓征伐の成功を再び神託したとも
伝える。
その後大宝2年(702年)に文武天皇の勅によって社殿を造営し、本宮に仲哀天皇・
神功皇后を合祀、東殿宮・総社宮・平殿宮・西殿宮の4殿に各1柱を祀ったという。
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敦賀市の気比神宮に行ってきました。
702年の創建と言われる神社で、越前国一之宮でもあります。
気比神宮の境内にある角鹿神社という神社が「敦賀」の名前の由来になっている
そうです。
気比神宮は20年以上前に行っているんですが、今回久しぶりに訪問しました。
寺とか神社とか、一度行くと次に行くのが最低でも10年位はあきますね。
それだけあくともうほとんど覚えていない様な感じになります。
気比神宮もそんな状況。ホテルを出て朝一で訪問しました。
早朝という事もあり、参拝客もほとんどいなくてゆっくり参拝しました。

松尾芭蕉は奥の細道の中で気比神宮を参拝し、以下の句を残しています。
「月清し遊行のもてる砂の上」
これは芭蕉が気比神宮を参拝し、月明かりに照らされた神前の白砂やかつてこの地
を訪れた遊行上人を思っての句になります。
<芭蕉像>

<旗掲の松>

南北朝の騒乱時、北朝の足利軍に対し気比神宮の大宮司気比氏治が南朝後醍醐
天皇を奉じ気比大明神の神旗を掲げたと伝えられる松です。
今の木は二代目との事です。
令和4年GWの旅
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奥の細道の旅
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