和歌山市にある日前神社・國縣神社を参拝しました。
<日前神社・國縣神社>
住所:和歌山県和歌山市秋月365
駐車場あり(参拝者は無料)
境内自由
<日前神社・國縣神社について>
日本で最も歴史のある神社の一つで、神話と関わりが深い。『日本書紀』に、天照
大神が岩戸隠れした際、石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した鏡が日前宮に祀られ
ているとの記述がある。社伝によれば、神武東征の後の神武天皇2年、紀国造家
(紀氏)の祖神である天道根命(あめのみちねのみこと)が、八咫鏡に先立って
鋳造された鏡である日像鏡・日矛鏡を賜り、日像鏡を日前宮の、日矛鏡を國懸宮の
神体としたとしている。
当初は名草郡毛見郷浜宮に祀られ、垂仁天皇16年に現在地に遷座したと伝えら
れている。なお、伊太祁󠄀曽神社の社伝では、元々この地に伊太祁󠄀曽神社があったが、
紀伊国における国譲りの結果、日前神・国懸神が土地を手に入れ、伊太祁󠄀曽神社は
現在地に遷座したとしている。また、日前・國懸両神宮の遷宮前の旧社地には浜宮
神社が鎮座している。
朱鳥元年(686年)には國懸神に奉幣したとの記事がある。『延喜式神名帳』では
名神大社に列し、紀伊国一宮とされた。中世には、熊野詣での途中で参拝されたと
の記録がある。
天正13年(1585年)に豊臣秀吉に攻め込まれ、社領が没収された。その際社殿が取
り壊され境内が荒廃したが、江戸時代に紀州藩初代藩主徳川頼宣により社殿が再興
された。しかし現在は最盛期の5分の1の広さになっており、社殿や施設などは往時
を忍ぶに及ばない。さらに1919年(大正8年)には国費による改善工事によって
境内の建物はすべて一新されており、旧観は大きく変化している。1926年(大正15
年)3月の工事完成をもって現在の左右対称の姿となった。
1871年(明治4年)、近代社格制度において両宮ともに官幣大社に列せられた。
現在は神社本庁などの包括宗教法人に属さない単立神社となっている。
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日前神社・國縣神社に行ってきました。
2つの神社は同じ敷地内にあり、2つの神社をあわせて日前宮とも言うそうです。
日前神社は日前大神 (ひのくまのおおかみ)
日像鏡(ひがたのかがみ)を神体とします。
國縣神社は國懸大神 (くにかかすのおおかみ)
日矛鏡(ひぼこのかがみ)を神体とします。
神域が非常に広くて、荘厳な雰囲気が漂ってます。
向かって左の日前神社、次に右の國懸神社を参拝してきました。
<日前神社>
<國縣神社>
令和4年夏休み旅 奈良・和歌山
http://rover.seesaa.net/article/490701559.html
2022年09月19日
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