2023年10月11日

尼崎城   (兵庫県尼崎市)

令和5年8月10日、尼崎市にある尼崎城に行ってきました。

<尼崎城>
尼崎城5.jpg
住所:兵庫県尼崎市北城内27番地
駐車場あり(有料)

<尼崎城について・wikipediaより>
元和3年(1617年)、戸田氏鉄(うじかね)が5万石で入封し築いた。
3重の堀をもち、本丸には2重の付櫓を2棟付属させた複合式の四重天守
と3棟の三重櫓が上げられた。

城主は、築城から廃城まで3氏12代が入れ替わった。戸田氏の後は、青山氏4代、
そして正徳元年(1711年)桜井松平家の松平忠喬(ただたか)が4万6千石で入り、
以後桜井松平家の支配が7代と続き幕末を迎えた。
最後の藩主は松平忠興である。歴代城主については尼崎藩の歴代藩主の一覧に
記載がある。

弘化3年(1846年1月28日、本丸の女中部屋付近より出火。
本丸御殿が即日全焼した。再建の速度は領民の協力もあって甚だ早く、その年の
7月には着工、翌年の1月28日には上棟式、そして6月28日に完成したという
(「尼崎城本丸平面図」)

明治6年(1873年)の廃城令により建物が一部を除き取り壊されたが、明治7年
(1874年)、本丸御殿の一部である金之間が、菩提寺・深正院(市内大物町)の
本堂として移築された。
この本堂は戦前まで残っていたが、戦災に遭い焼失した。
「金之間」は、「牡丹之間」と「菊之間」を合わせた名称であり、「菊之間」と
「牡丹之間」は4面とも全て金箔張りであったことから「金之間」と呼ばれた。
本丸御殿で最も高い格式を持った来客専用貴賓室であった。

現在は本丸が尼崎市立明城小学校の敷地として利用されている他、他の曲輪および
埋め立てられた内外の堀跡の大半も市関連施設の敷地や宅地などで占められており、
西三之丸の北半が尼崎城址公園として整備されているにとどまる。
しかしながら、城址公園には石垣および土塀が模擬復元され、平成30年(2018年)
には資産家の寄贈による外観復元天守が完成した。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
尼崎城に行ってきました。
前回尼崎の寺町界隈を散策したのは2005年12月でした。
18年ぶりにこの付近を歩き、尼崎城を訪問しました。
前回来たときには、この尼崎城はこれと言ったものがありませんでした。

実は最近、家電量販店・旧ミドリ電化(現エディオン傘下)創業者の安保詮氏が
10億円という私財を投じて尼崎城天守閣を再建したという話を聞きました。
その天守閣を見てみようと思い訪問しました。

2018年(平成30年)再建の天守閣。
新しいだけあって非常に綺麗。
天守閣の前も芝が綺麗に敷かれていたり、城址公園として整備されています。

天守閣の中は尼崎城に関する展示などがされています。
入場料は500円です。

新しい城だけあって、中もハイテク。映像設備とか、VRとかいろいろ。
エレベーターだってありますし、エアコン効いてて涼しく快適です(^_^)
最近名古屋城の再建で、エレベーター付ける付けないで揉めてますが、旧来の
手法での再建ならエレベーターなんて付ける必要無いですし、そうでなく新しい
形の城だっていうなら、こういう近代的な城も良いよねと思いました。

<尼崎城>
尼崎城2.jpg

尼崎城.jpg

尼崎城6.jpg

尼崎城7.jpg

尼崎城8.jpg

<尼崎城からの景色>
尼崎城4.jpg

尼崎城3.jpg

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

令和5年夏休み旅
http://rover.seesaa.net/article/500373303.html



posted by 南行 at 10:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 兵庫県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック