令和5年8月12日、四国中央市にある川之江城に行ってきました。
<川之江城>
住所:愛媛県四国中央市川之江町1087−4
駐車場あり(無料)
入場料:100円
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<川之江城について>
南北朝時代、南朝方の武将であった河野氏の砦のひとつとして、土肥義昌が南朝:
延元2年/北朝:建武4年(1337年)に川之江城を築いた。しかし南朝:興国3年/
北朝:暦応5年・康永元年(1342年)に細川頼春の攻撃を受けて落城、土肥義昌は
討ち死を遂げた。交通の要衝であった川之江城はそれからも攻略対象となり、
南朝 : 正平19年/北朝 : 貞治3年(1364年)と、南朝 : 天授5年/北朝 : 永和5年・康暦元年
(1379年)にも落城の憂き目にあっている。
その後細川野州家の持城になっていたが、細川通薫は独力での川之江の維持が不可能
として、毛利氏の助力を求めて備中国へと去り、この地は河野氏に譲渡された。
河野氏の所領になった川之江城は妻鳥友春が城主となったが、元亀3年(1572年)に
三好氏配下の薦田大和守の攻撃を受けている。
その後、妻鳥友春は金子元宅を通じて土佐の長宗我部氏へ寝返ったため、河野氏配下
の河上安勝の攻撃を受けて落城、河上安勝が城主となる。
しかし、天正10年(1582年)に土佐の長宗我部氏の攻撃を受けて、川之江城は再び
落城、河上安勝も討ち死にした。
長宗我部氏の攻略からわずか数か月後の天正10年(1582年)5月上旬に、豊臣秀吉の
四国平定軍が四国へ侵攻を開始(四国攻め)。
怒涛の勢いで四国各地を席巻する。
川之江城も豊臣軍による攻囲を受けたが、攻囲中の7月25日に長宗我部氏は降伏して、
川之江城は開城となった。
以後の川之江地方は小早川氏、福島氏、池田氏、小川氏と目まぐるしく領主が変わっ
たが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後に伊予国に移封された加藤嘉明が
川之江を領すると、慶長7年(1602年)に城を織豊系城郭へと改築した。
しかし、嘉明が居城を伊予松山城へ移すと川之江城は廃城になった。
一柳直家が寛永13年(1636年)に川之江藩を立藩し、城を再築しようとしたが、寛永19年(1642年)に死去。領地は収公され、以後の川之江は天領になったため再築されることはなかった。
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川之江城に行ってきました。
川之江城は四国の交通の要衝にある城で南北朝時代からのお城です。
現在は昭和になって作られた摸擬天守があり、石垣の一部は加藤嘉明の時代の
構築物だそうです。摸擬天守は、犬山城を模したものだとか。
天守閣も100円で入場出来るので入ってきました。
この川之江城天守、景色が良い。目の前が海です。当時からそうだったのかは不明
ですが、海に面してる様な城なので、水軍との連携とかもあったのかなと。
非常に良いお城でした。ここまで行く道は狭いので、注意が必要です。
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
令和5年夏休み旅
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2023年11月19日
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