宇都宮城跡をご紹介します。
宇都宮にお城なんてあったっけ?と思われる方が多い
かと思います。堀や石垣、天守閣がのこるお城ではあ
りません、本当に「跡」なのです。
<宇都宮城>
宇都宮市本丸町1他
宇都宮城は1063年、宇都宮氏の祖宗円の築城と
言われています。その後戦国時代まで宇都宮氏が城主
をつとめますが、秀吉の怒りをかい領地を没収されます。
江戸初期に本多正純により宇都宮の町の整備と城内の
大改修が行われます。
正純後、幕末まで城主は転々としますが、幕末に戊辰戦争
にまきこまれ消失します。
今は小さな公園という感じです。
僕のイメージですが、宇都宮城というと本多正純と
きます。本多正純は家康の側近本多正信の子で、正信の
引退後、家康のもとで権勢をふるいます。
しかし、家康の死後、秀忠派の家臣(古河藩主土井利勝ら)
の台頭とともに急激に権力を失います。そこで出てきた
宇都宮城釣り天井事件。本多正純が秀忠を釣り天井で
暗殺しようとしていたという話。まあ秀忠派に陥れられた
んでしょうね。秀忠派には家康の元で権勢をふるった人物
は邪魔だったのでしょう。
本多正純は改易されます。その後正純がどうなったかとい
うと秋田佐竹家おあずかりで、余生をおくり秋田で亡くなっ
たという事です。
いつの時代も政治の世界の権力争いはすごいですね。
城跡は小さな公園で、歴史の重みを感じさせるものはあり
ません。ただ、そんな本多正純の話を思いながら見て
みるとまた違うのかもしれません。
(宇都宮城跡 おすすめ度 ★ 歴史マニア度★★★★)
平成21年2月、久々に行ってみました。
なんと、櫓が出来て綺麗に整備されていました。
まあ今までが寂しかったですから、公園風になって良かった
のかな。
2005年10月03日
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