群馬県太田市、太田駅前にある新田義貞公像です。
<新田義貞・群馬県太田駅前>
新田氏は源義家を祖とし、新田の荘を開発し領した。
1333年に新田義貞は後醍醐天皇の呼びかけに応じ、生品神社に挙兵。
一路鎌倉へ攻め入り、小手指ヶ原、分倍河原で鎌倉幕府軍を破り、鎌倉幕府を滅亡においやる。
建武の新政においては左兵衛督に任ぜられ、武者所の長となる。
その後もいろいろ話はあるが、建武の新政は破綻し、南北朝時代へ。
南朝方につく新田義貞は足利尊氏と抗争の末、1338年越前国藤島燈明寺畷
で戦死する。
<ひとこと>
群馬県太田市(旧新田町含む)には新田義貞関連の史跡が多々存在します。
太平記の面影をたどる太田の町を散策してみるのも良いですね。
燈明寺畷(福井市)には新田義貞を祭る碑があります。
<太田市の新田義貞関連史跡>
金山城
金龍寺
生品神社
反町館跡
円福寺
2005年10月19日
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