2022年06月15日

由加山参拝   (岡山県倉敷市)

岡山県倉敷市にある由加山を参拝してきました。

<由加山>
由加山1.jpg
住所:岡山県倉敷市児島由加2855
駐車場あり(無料)
境内自由

<由加山について>
現在の由加山蓮台寺と由加神社本宮を総称して「由加山」と俗に称されている。
日本三大権現の一つである瑜伽大権現の総本山、また厄除けの総本山として知られ、
二千有余年の歴史を自称している。

その歴史は、前述の山岳に733年(天平5年)、聖武天皇の勅願により、行基の開基
によって経尾山瑜伽寺摩尼珠院(現・蓮台寺)が建立されたとされる。

その後、室町時代初期に増吽僧正が中興したのを経て、江戸時代中期には岡山藩主
池田家の祈願所となり、正月・五月・九月には藩主自ら由加山に参拝した。 また、
蓮台寺境内に池田公が権現造りの本殿・拝殿を新築・寄進した。

元は神仏習合の施設であったが、明治の神仏分離の法難にあい、前述の神社の場所
だけを由加神社とし、分離。後に各地に分社が建立されたため、由加神社を由加
神社本宮と称するようになる。

かつてはこの由加山と讃岐国の金刀比羅宮の両方に参拝する「両参り」という風習
があったという。『東海道中膝栗毛』の続編、『宮嶋参詣 続膝栗毛』にも登場して
いる。

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岡山県倉敷市にある由加山に行ってきました。
ここは知ってて訪問した訳ではなく、たまたま現地で調べて行くことにした場所
です。
由加山は瑜伽山とも書き、古くから山岳信仰の地であったそうです。

現地には行基の開基という蓮台寺と由加神社本宮というお寺・神社が鎮座しています。
後で調べたところ、同じ敷地にあるのですが、寺と神社は現在はまったく関係無く、
1998年には寺と神社で建物の占有を巡って裁判まであったとか。
現在もお互いの関係は断絶中との事なのですが、参拝客にはそんな事分からず。
実質一体化しているので、両方参拝してきました。

<由加山本宮神社>
由加神社本宮.jpg

由加神社本宮2.jpg

由加神社本宮3.jpg

由加神社本宮4.jpg

由加神社本宮5.jpg

由加神社本宮6.jpg

<蓮台寺>
由加山2.jpg

由加山3.jpg

<真田幸村頌徳碑>
由加山4.jpg
蓮台寺多宝塔の脇に真田幸村頌徳碑なるものがありました。

これはかつて由加山参道の土産として真田紐を売っており、それが児島地区の
繊維業の興りという事からこの碑があるとの事でした。

令和3年〜4年 年末年始の旅
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2022年05月08日

備前国分寺跡    (岡山県赤磐市)

赤磐市にある備前国分寺跡に行ってきました。

<備前国分寺跡>
備前国分寺跡.jpg
住所:岡山県赤磐市馬屋
駐車場あり(無料)

<備前国分寺について>
備前国分寺跡4.jpg

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備前国分寺跡に行ってきました。
泊まった桃太郎温泉から近かったので立ち寄ってみました。

国分寺は奈良時代に聖武天皇の勅願によって全国に建立された寺院です。
その後、荒廃したところが多く、そのほとんどが跡地となっています。

備前国分寺も跡地です。
昭和49年の発掘調査により、国分寺の存在が確認されました。
心礎という石の塔のみが残っている感じです。

<心礎>
備前国分寺跡2.jpg

<国分寺跡>
備前国分寺跡3.jpg

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宇喜多直家国とりはじまりの地・乙子城址  (岡山県岡山市)

岡山市にある「宇喜多直家国とりはじまりの地」に行ってきました。

<宇喜多直家国とりはじまりの地>
宇喜多直家国とりはじまりの地.jpg
住所:岡山県岡山市東区乙子
駐車場無し

<乙子城について>
宇喜多直家国とりはじまりの地2.jpg

<乙子城>
宇喜多直家国とりはじまりの地  乙子城址.jpg

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岡山市にある「宇喜多直家国とりはじまりの地」の碑を見に行ってきました。
ここは乙子城という城がある場所で、宇喜多直家が天文13年(1544年)、備前の
守護大名赤松晴政との合戦に初陣し武功をたて、宗景より最初に任された城である
と伝えられています。
宇喜多直家は数々の謀略でのし上がり、主君である浦上氏から備前国を奪う事に
成功します。
そんな下克上のスタート地点がこの乙子城。国とりはじまりの地と言えます。
最近、この石碑が出来たようです。あまり観光地って感じではありません。

駐車場はありませんが、碑の道路向かいに停めておける様なスペースがあるので、
そこに停めて碑を見学してきました。

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日本の城を巡る
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宇喜多與太郎神社    (岡山県玉野市)

玉野市にある宇喜多與太郎神社に行ってきました。

<宇喜多與太郎神社>
宇喜多與太郎神社.jpg
住所:岡山県玉野市八浜町大崎2764
駐車場あり(無料)

宇喜多與太郎神社に行ってきました。
ここは柳畑の戦いで討ち死にした宇喜多與太郎基家を祀った神社です。
宇喜多基家は柳畑の戦いで足を負傷、その後敵に討たれます。
地元の人達は基家を祀る神社を建立。
現在は足腰の病気を治す神さまとして、信仰を集めています。

小さな神社で、神社のとなりに與太郎せんべいの店がありました。
あいにく年末という事もあり、せんべい屋さんはお休みでした。

宇喜多與太郎神社2.jpg

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柳畑古戦場    (岡山県玉野市)

玉野市にある柳畑古戦場跡に行ってきました。

<柳畑古戦場>
柳畑古戦場跡.jpg
住所:岡山県玉野市八浜町大崎1250−56
駐車場無し

<柳畑の戦いについて>
柳畑古戦場跡2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
八浜合戦の緒戦となった戦いが柳畑の戦いで、その古戦場です。
宇喜多直家の死を好機ととらえた毛利氏は、穂井田元清を総大将に常山城に進軍
しました。
秀吉の傘下に入っていた宇喜多氏は、宇喜多基家を総大将に迎え撃ちます。

柳畑での激戦のすえ、宇喜多基家は討ち死に。宇喜多勢は八浜城に籠城して秀吉
の援軍を待つ事になります。

柳畑の古戦場にはその戦死者を供養する供養塔が建てられています。
駐車場は無いので、路駐してささっと見学しました。

<現地の風景>
柳畑古戦場跡3.jpg

柳畑古戦場跡4.jpg

令和3年〜4年 年末年始の旅
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古戦場めぐり
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2021年10月03日

出雲街道・新庄宿   (岡山県新庄村)

出雲街道・新庄宿を散策してきました。

<出雲街道・新庄宿>
出雲街道新庄宿.jpg
住所:岡山県真庭郡新庄村中町
駐車場あり(無料・道の駅新庄駐車場利用)

<出雲街道について>
出雲街道新庄宿2.jpg

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出雲街道・新庄宿を散策してきました。
新庄宿は難所の四十曲峠の手前にあり、江戸時代参勤交代や出雲詣の参拝客で賑わい
ました。
今でも本陣や脇本陣などが残り昔ながらの雰囲気を感じる事が出来るとともに、明治
39年、日露戦争戦勝記念で植えられた「がいせん桜」と呼ばれる桜並木が見所です。

個人的には良い町並みだと思うのですが、肝心の町並みが桜の木によってよく見えな
いのが残念。桜が咲いてるシーズンは最高に良いんでしょうけど、夏は葉っぱがう
っそうとして町並みが見えないのがいかがなものかと思いました。

<出雲街道・新庄宿>
出雲街道新庄宿3.jpg

出雲街道新庄宿4.jpg

出雲街道新庄宿5.jpg

出雲街道新庄宿6.jpg

出雲街道新庄宿7雲州公本陣.jpg
新庄宿の本陣です。

出雲街道新庄宿8.jpg

<阪神時代の新庄 剛志選手来村記念>
出雲街道新庄宿9新庄.jpg

出雲街道新庄宿9新庄2.jpg
新庄つながりで来た模様。記念の足形がありました(笑)

令和3年春旅2 大遠征
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日本の古い町並み
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作楽神社・院庄館跡   (岡山県津山市)

津山市にある作楽神社・院庄館跡に行ってきました。

<作楽神社・院庄館跡>
作楽神社.jpg
住所:岡山県津山市神戸433
駐車場あり(無料)

<作楽神社について>
作楽神社4.jpg

作楽神社2.jpg

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作楽神社・院庄館跡に行ってきました。

<院庄館について>
作楽神社3.jpg

この地は院庄館と言って、鎌倉時代〜室町時代にかけて美作国の守護の館があった
場所です。
鎌倉時代末期に後醍醐天皇が隠岐に流される際この地に滞在し、その際
児島高徳が天皇を慕って桜の幹に十字の詩を記したという伝承の地です。

神社は江戸時代末期に道家大門によって建立されたものです。

<院庄館跡>
院庄館跡.jpg

院庄館跡2.jpg
神社他が堀で囲まれた様になっています。

院庄館跡3.jpg

院庄館跡4.jpg

<児島高徳像>
児島高徳像.jpg
南朝方の忠臣児島高徳の像です。児島高徳は『太平記』の作者とも言われています。

児島高徳像2.jpg
児島高徳の像をよくよく見たらカタツムリが(笑)

児島高徳像3.jpg

令和3年春旅2 大遠征
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日本の城を巡る
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銅像めぐり
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中山神社   (岡山県津山市)

津山市にある中山神社に行ってきました。

<中山神社>
中山神社.jpg
住所:岡山県津山市一宮695
駐車場あり(無料)
境内自由

<中山神社について>
中山神社7.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
奈良時代の707年創建の神社。美作国一宮です。
1533年、尼子晴久が美作に攻め入った際焼失。その後、晴久自身が本殿等を
再建しました。本殿は国指定の重要文化財になっています。

さすが一宮という事もあり、重厚感ある本殿。神社の雰囲気もすばらしかったです。

中山神社6.jpg

中山神社5.jpg

中山神社4.jpg

中山神社3.jpg

中山神社2.jpg

令和3年春旅2 大遠征
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一之宮を巡る
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2021年09月26日

出雲街道・勝山宿   (岡山県真庭市)

出雲街道・勝山宿を散策してきました。

<出雲街道・勝山宿>
勝山宿9.jpg
住所:岡山県真庭市勝山
駐車場あり(無料)

出雲街道は姫路から出雲松江へ繋がる街道です。
勝山宿はその出雲街道の宿場町として栄え、今でも昔ながらの町並みが残って
います。昭和60年には岡山県初となる「町並み保存地区」に指定されています。

今回の旅で,一番印象に残ったのがこの町です。
雨の中の散策になりましたが、とにかく町並みが素晴らしい。
旧宿場町の雰囲気を非常に良く残しています。晴れてたらもっとゆっくり観光
したかった・・。

しかし、町並み保存地区に指定されているものの、国の重要伝統的建造物群保存
地区には指定されていません。
岡山では、倉敷や吹屋、矢掛宿、津山などが指定されてるんですけどね。
ここが指定されてないのが不思議なくらいです。今後指定の最有力候補かなとは
思いますが。とにかく良い町並みでした。

男はつらいよのロケが行われたり、谷崎潤一郎が疎開してきた場所でもあるそう
です。

<勝山宿>
勝山宿8.jpg

勝山宿2.jpg

勝山宿9a.jpg

勝山宿7.jpg

勝山宿5.jpg

勝山宿6.jpg

勝山宿4.jpg

勝山宿3.jpg

勝山宿.jpg




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出雲街道・勝間田宿   (岡山県勝央町)

出雲街道勝間田宿を散策してきました。

<出雲街道・勝間田宿>
勝間田宿2.jpg
住所:岡山県勝田郡勝央町勝間田
駐車場あり(無料)

<勝間田宿について>
勝間田宿.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
出雲街道勝間田宿を散策しました。
勝間田宿は津山藩主、松江藩主の本陣も置かた出雲街道の大宿場町でした。

勝間田は戦国時代、宇喜多氏、小早川氏の支配を受け、江戸時代に入り森氏が津山
に入ると勝間田も森氏の支配となりました。
江戸時代初期に出雲街道が改修されると、美作七宿のひとつとして勝間田は発展
したそうです。

今は昔ながらの建物が点在し、かつても宿場町の雰囲気を感じる事が出来ます。
観光客向けの店等は少なく、町を見て歩くだけという感じでした。

町並みの真ん中付近に商店街の駐車場があったので、そこに車を停めてしまし散策
させて頂きました。

勝間田宿4.jpg

勝間田宿5.jpg

勝間田宿9.jpg

勝間田宿8.jpg

勝間田宿6.jpg

勝間田宿7.jpg

勝間田宿3.jpg

令和3年春旅2 大遠征
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日本の古い町並み
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2021年02月11日

伝・源為朝の墓   (岡山県井原市)

井原市にある源為朝の墓を参拝してきました。

<伝・源為朝の墓>
源為朝の墓.jpg
住所:岡山県井原市門田町
駐車場無し

<為朝の墓について>
源為朝の墓3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
井原市にある伝・源為朝の墓を参拝してきました。
源為朝は源義朝の弟で保元の乱で崇徳上皇側につき戦い敗れ伊豆大島に流され
ました。
伊豆大島で亡くなっているはずなんですが、ここに墓があるのはどういう事なのか。
現地の解説を見ると、為朝にも生存伝説があり、琉球から備中に移り、この地で
亡くなったというものです。
いろんな歴史上の人物に生存伝説がありますよね。そんなひとつという感じです。

<伝・源為朝の墓>
源為朝の墓2.jpg

令和2年夏旅3 九州大旅行
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著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html



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大岩刻    (岡山県井原市)

井原市にある大岩刻を見てきました。

<大岩刻>
大岩刻3.jpg
住所:岡山県井原市東江原町
駐車場無し

<大岩刻について>
大岩刻4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大岩刻を見に行ってきました。
北条早雲没後200回忌に元家臣の家柄の人物が供養の為に岩に戒名を刻んだもの
です。江戸時代の話です。
また大岩刻の下には幕末に作られた道了尊という石仏がありました。

<大岩刻>
大岩刻.jpg
結構大きい岩に文字が刻まれています。

大岩刻2.jpg
拡大するとこんな感じで文字が書かれています。

<道了尊>
道了尊2.jpg

道了尊.jpg

令和2年夏旅3 九州大旅行
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高越城址   (岡山県井原市)

井原市にある高越城址に行ってきました。

<高越城址>
高越山城2.jpg
住所:岡山県井原市神代町
駐車場あり(無料)

<高越城について>
高越山城9.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
高越城に行ってきました。井原市にある山城です。
歴史は古いようで、鎌倉時代末期に元寇に備えての築城だった様です。
室町時代には備中伊勢氏の居城となっており、備中伊勢氏出身の北条早雲はこの
城で生まれました。

駐車場から10分かからない位の距離を登っていきます。
入口には北条早雲生誕の地の旗がはためいていました。

高越山城.jpg

頂上には早雲生誕の地の碑と、陸軍大将宇垣一成の筆による忠魂碑がありました。

<北条早雲生誕の地碑>
高越山城4.jpg

<忠魂碑>
高越山城5.jpg

城からの景色は良いですね。麓の田園風景が綺麗に見えました。

高越山城7.jpg

高越山城8.jpg

高越山城6.jpg

令和2年夏旅3 九州大旅行
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日本の城を巡る
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法泉寺   (岡山県井原市)

井原市にある法泉寺に行ってきました。

<法泉寺>
法泉寺.jpg
住所:岡山県井原市西江原町4841
駐車場あり(無料)
境内自由

<法泉寺と北条早雲について>
法泉寺5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
法泉寺に行ってきました。
法泉寺は1430年、高越山城主伊勢新左衛門盛定が古澗仁泉を招き創建した
お寺で伊勢氏の菩提寺となりました。

法泉寺3.jpg

伊勢新左衛門盛定の子が伊勢新九郎盛時で、この盛時が後の北条早雲です。
早雲は幼少の頃この寺で古澗仁泉に学問を学びました。ここは早雲学びの地なの
です。

法泉寺4.jpg

北条早雲というと伊豆の韮山城とか神奈川の小田原城という様なイメージで、西国
岡山とはなかなか結びつかないところがありますが、出身はこちらなんですね。

本堂の裏にお墓がありました。

<北条早雲とその父伊勢盛定の墓>
法泉寺6北条早雲の墓.jpg
左が北条早雲の墓です。亡くなったのはこちらではないので、供養塔かもしれません。

寺の一角にこんなものが。
法泉寺2.jpg
我が地元川越市も「北条5代を大河ドラマに」の運動に参加しています。
川越が北条氏と係わるのは2代氏綱以降の話ですけどね。
期待はしてませんが、北条氏の大河も実現してほしいものです。

令和2年夏旅3 九州大旅行
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著名人の墓
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2019年09月18日

日本一の親子孫水車     (岡山県新見市)

岡山県新見市にある日本一の親子孫水車を見に行ってきました。

<日本一の親子孫水車>
日本一の親子水車2.jpg
住所:岡山県新見市神郷下神代1977-1
駐車場あり(無料)

日本一の親子水車5.jpg

日本一の親子孫水車という案内板が出ていたので、寄り道という事で
立ち寄りました。
現地には紙の館という施設があり、そこで紙漉き体験が出来る様です。
訪問したのが夕方だったので、紙の館は閉館していましたが、親子孫水車
は見る事が出来ました。

日本一の親子水車.jpg
親水車、大きいです。この日はメンテナンスの様で、親水車は非稼働でした。

日本一の親子水車4.jpg

日本一の親子水車3.jpg

昔は各地にこういう水車があった様ですが、今はほとんど見ませんね。
これからの時代、逆にエコな水力が注目されても良いような気がします(^-^)

令和元年夏休み旅
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広兼邸      (岡山県高梁市)

高梁市の吹屋にある広兼邸に行ってきました。

<広兼邸>
広兼邸.jpg
住所:岡山県高梁市成羽町中野2710
駐車場あり(無料)
入場料:400円

<広兼邸について>
広兼邸3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
広兼邸に行ってきました。江戸時代に造られた豪商の屋敷です。

吹屋は江戸時代からベンガラの産地として栄え、そこで富を得た大野呂の庄屋・
広兼氏の邸宅がこちらです。

商人の屋敷と言うより、城と言った方がしっくりくる様な巨大な石垣に驚きます。
石垣の中は普通の商人の屋敷って感じなんですけどね。
ここは1977年放映の映画『八つ墓村』のロケが行われたそうです。

<八つ墓村予告編>


吹屋の町並みからは少し距離があるので、移動は車が無いと厳しいかと思います。

<広兼邸>
広兼邸2.jpg

広兼邸4.jpg

広兼邸6.jpg

広兼邸5.jpg

広兼邸7.jpg

令和元年夏休み旅
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2019年09月16日

山陽道・矢掛宿    (岡山県矢掛町)

山陽道矢掛宿を散策してきました。

<矢掛宿>
山陽道矢掛宿.jpg
住所:岡山県小田郡矢掛町矢掛
駐車場あり(無料)

<矢掛宿について>
山陽道矢掛宿9a.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
矢掛宿を散策してきました。
山陽道の宿場はまだほとんど未制覇。矢掛はだいぶ前に一度訪問しているんですが、
最近篤姫の関連でニュースになった事もあり再訪しました。

大河ドラマ『篤姫』放送後に発見された資料で、篤姫は船で江戸に向かったのでは
なく、陸路向かった事が明らかになりました。
篤姫が矢掛宿に泊まった記録が発見されました。
その事もあって、矢掛宿では今篤姫関連の地としてアピールがいろんな所にありま
した。
山陽道矢掛宿5.jpg

今回は町並み散策をして、その後本陣の中などを観光してきました。
駐車場は宿場の東端に無料の観光駐車場があったので、そこに停めて観光して歩き
ました。
昔ながらの建物が多く残り、とても雰囲気の良い町並みでした(^-^)

<矢掛宿>
山陽道矢掛宿2.jpg

山陽道矢掛宿3.jpg

山陽道矢掛宿4.jpg

山陽道矢掛宿6.jpg

山陽道矢掛宿7.jpg

山陽道矢掛宿8.jpg

山陽道矢掛宿9本陣.jpg
こちらが矢掛宿本陣です。篤姫もここに泊まったものと思われます。

令和元年夏休み旅
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日本の古い町並み
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大河ドラマの舞台
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2019年09月15日

【再】吹屋の町並み      (岡山県高梁市)

岡山県高梁市、吹屋の町並みを散策してきました。

<吹屋の町並み>
吹屋の町並み9.jpg
住所:岡山県高梁市成羽町吹屋
駐車場あり(無料)

<吹屋の町並みについて>
吹屋の町並み.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
吹屋の町並みを散策してきました。
前回行ったのは平成18年の夏休みだったので、13年ぶりの訪問です。

<前回訪問時の記事>
http://rover.seesaa.net/article/23263317.html

江戸時代にベンガラの産地として栄えた吹屋。町並みもベンガラ色で、日本各地に
ある昔ながらの町並みの中でも、吹屋はここならではの独特の雰囲気を醸しています。
前回初訪問時、とにかく驚いた町並み、13年ぶりの訪問でも改めてその町並みの
素晴らしさに見入りました。

吹屋の町並み、昔町好きの僕の中でも特に好きな町です。

<吹屋の町並み>
吹屋の町並み2.jpg

吹屋の町並み3.jpg

吹屋の町並み4.jpg

吹屋の町並み5.jpg

吹屋の町並み6.jpg

吹屋の町並み7.jpg

吹屋の町並み8.jpg

令和元年夏休み旅
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日本の古い町並み
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2019年09月12日

笹畝坑道     (岡山県高梁市)

高梁市にある笹畝坑道に行ってきました。

<笹畝坑道>
笹畝鉱山.jpg
住所:岡山県高梁市成羽町中野1987
駐車場あり(無料)
入場料:400円

<笹畝坑道について>
笹畝鉱山8.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
笹畝坑道に行ってきました。ここは吹屋銅山の坑道跡です。
吹屋銅山の歴史は長く、発見されたのは平安時代初期まで遡るそうです。
戦国時代には毛利氏、尼子氏によって争奪戦が繰り広げられました。

江戸時代には住友家が、明治以降は三菱金属が吹屋銅山を経営しました。
昭和47年に閉山。その後、昭和54年に笹畝坑道として一般公開されました。

鍾乳洞と違って人工の坑道。入口付近は狭いんですが、ある程度進むと銅の採掘
が行われた広い空間が広がります。
戦国時代にはこの銅山の争奪戦があった事を思いつつ、中を見学してきました。
採掘の様子を表した人形などがあります。またここにはコウモリが生息している
様で、飛んでる姿を目撃しました。

<笹畝坑道>
中にはヘルメットをかぶって突入します。
笹畝坑道.jpg

笹畝鉱山2.jpg

笹畝鉱山3.jpg

笹畝鉱山4.jpg

笹畝鉱山6.jpg

笹畝鉱山7.jpg

笹畝鉱山5.jpg

令和元年夏休み旅
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2019年09月01日

備中松山城      (岡山県高梁市)

高梁市にある備中松山城に行ってきました。

<備中松山城>
備中松山城.jpg
住所:岡山県高梁市内山下1
駐車場あり(無料)
天守閣入場料:300円

<備中松山城について>
備中松山城9a.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
日本百名城のひとつ備中松山城に行ってきました。
前に行ったのはいつか全然覚えていない位前です。
久しぶりの訪問で、ほぼ初訪問の様な状況でした。

まず車で現地に向かう時、城への道の入口で誘導員に停められました。ここから先は
道が狭くすれ違いが難しい為、誘導員が上からの車が来るタイミングで車の進入
を止めていました。また城の駐車場が十数台しか停められない為、満車の場合、
登山道の入口で待つ事になります。

この交通整理が非常にありがたかったです。狭い道でのすれ違い回避、そしてせっか
く上に行っても駐車場が満車だと大混乱になってしまいます。
平日の訪問でほぼ満車だったので、休日はもしかするとかなり待つのではないかと
思いました。

駐車場から城までは山道を15分ほど歩く必要があります。山城だからそんなもん
ですね。そしてたどり着く城の石垣に感動しました。
すごい石垣です。
備中松山城5.jpg

こんな山の上によくぞこれだけの石垣を築いたものだと。ただただ驚きです。
大河ドラマ『真田丸』のロケにも使われました。

備中松山城6.jpg

備中松山城8.jpg

備中松山城2.jpg

備中松山城3.jpg

備中松山城4.jpg

備中松山城7.jpg

備中松山城9.jpg

この城は備中兵乱において、織田方に通じた三村氏を毛利の大軍によって攻め落とされ、
その後は毛利氏の拠点となります。この城で実際に合戦があり、攻略した攻め方もすごい
なと思います。

<備中松山ねこ城主・さんじゅーろー>
備中松山城 さんじゅうろー.jpg

備中松山城 さんじゅうろー2.jpg

備中松山城のネコ城主・さんじゅーろーさんの写真も撮ってきました(^-^)

令和元年夏休み旅
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日本の城を巡る
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大河ドラマの舞台
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2018年10月17日

通仙園       (岡山県倉敷市)

倉敷の通仙園に行ってきました。

<通仙園>
通仙園.jpg
住所:岡山県倉敷市児島通生
駐車場あり(無料)

倉敷にある通仙園です。ツツジの名所だそうです。
ツツジの時期じゃないので、観光客は一人もいませんでした。
瀬戸内海の眺望が良いって話だったんですが、木で隠れ気味で、いまひとつ
かな〜って感じでした(^^;

通仙園2.jpg

通仙園3.jpg

通仙園4.jpg

平成30年夏休み旅(後半)
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鷲羽山第二展望台   (岡山県倉敷市)

鷲羽山第二展望台に行ってきました。

<鷲羽山第二展望台>
鷲羽山展望台.jpg
住所:岡山県倉敷市下津井田之浦
駐車場あり(無料)

<鷲羽山展望台について>
鷲羽山展望台5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
15年ぶりくらいで鷲羽山第二展望台に行ってきました。
ここは瀬戸大橋の付け根にあり、瀬戸内海と瀬戸大橋を眺める絶景スポットです。
この日は天気も良かったので、素晴らしい景色を見ることが出来ました(^-^)

鷲羽山展望台2.jpg

鷲羽山展望台3.jpg

鷲羽山展望台4.jpg

前回訪問時の写真(平成11年8月12日撮影)
鷲羽山展望台6.jpg
35万画素のデジカメ(カラリオPhoto CP-100)での撮影なので画質悪いです(^^;


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2018年10月15日

下津井の町並み    (岡山県倉敷市)

倉敷市の下津井の町並みを散策してきました。

<下津井の町並み>
下津井の町並み.jpg
住所:岡山県倉敷市下津井1丁目
駐車場あり(無料)

<下津井の町並みについて・クリックすると拡大します>
下津井町並み保存地区.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
倉敷の下津井に行ってきました。
倉敷と言えば美観地区が有名ですが、他にも何ヶ所か昔ながらの町並みが残って
いる場所があります。
下津井は江戸時代に北前船の寄港地として栄えた港町です。
今も昔ながらの町並みが残っていました。

<下津井の町並み>
下津井の町並み2.jpg

下津井の町並み3.jpg

下津井の町並み4.jpg

下津井の町並み5.jpg

下津井共同井戸.jpg
下津井の町には多くの井戸が残っています。井戸はそれぞれ使う家が決まっており、
その家が管理してきたそうです。

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日本の古い町並み
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2018年10月14日

源平藤戸古戦場    (岡山県倉敷市)

倉敷市にある藤戸古戦場に行ってきました。

<藤戸古戦場>
源平藤戸古戦場.jpg
住所:岡山県倉敷市藤戸町藤戸
駐車場無し

<藤戸合戦について・クリックすると拡大します>
源平藤戸古戦場3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
藤戸古戦場に行ってきました。
一ノ谷の戦いのあと、西へ追討の兵を進める源範頼軍と平行盛の軍がぶつかった
古戦場です。

今は陸地になっている場所も、源平の頃は島が点在する海で、水軍の無い源氏軍は
敵の挑発になすすべの無い状況でしたが、佐々木盛綱らが海を馬で渡り敵軍を
壊走させることに成功しました。

佐々木盛綱の先陣に関しては、浅瀬を教えてくれた地元の漁師を殺した話があり、
その話をもとに能の演目「藤戸」がつくられたそうです。

<盛綱橋にある佐々木盛綱像>
源平藤戸古戦場佐々木盛綱像.jpg

源平藤戸古戦場2.jpg

<倉敷市のPR動画>


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古戦場めぐり
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永倉新八の墓を参拝    (岡山県岡山市)

岡山市にある永倉新八の墓を参拝しました。

<永倉新八の墓>
永倉新八の墓.jpg
住所:岡山県岡山市南区飽浦135
駐車場あり(無料)

<解説・クリックすると拡大します>
永倉新八の墓2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岡山にある永倉新八の墓を参拝しました。永倉新八の子孫は岡山に移り住み、
ここ松光院が菩提寺になっているそうです。

墓の脇に新八の顕彰碑がありました。

「武士の 節を尽して 厭(あく)までも 貫く竹乃 心一筋」
永倉新八が浪士組に参加したときに、両親に送った詩です。戦いの時に
着た陣羽織の裏にこの詩が縫い込まれていたそうです。
格好良いですね。

岡山と永倉新八の繋がりがよく分かりませんでしたが、子孫の移住地という事で
納得です。

松光院に行っても特に説明書きが無く分かりづらいです。
入って左側の坂を上り墓地に行くと、入ってすぐのところに顕彰碑が脇にある墓が
あります。

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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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2018年10月10日

和意谷池田家墓所    (岡山県備前市)

備前市にある和意谷池田家墓所に行ってきました。

<和意谷池田家墓所>
池田家墓所2.jpg
住所:岡山県備前市吉永町和意谷
駐車場あり(無料)

<墓所図>
池田輝政の墓2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
和意谷池田家墓所は岡山藩主であった池田光政が、京にあった菩提寺が火災で焼失
したのを機に、祖父輝政、父利隆の墓を岡山に移すことを決意し、この地に改葬した
ものです。
旅の途中で、偶然「岡山藩主池田家墓所」の看板を発見して立ち寄りました。
看板から道を曲がり、走ること5〜6キロでしょうか。細い道になり不安になりま
したが、その先に墓所がありました。
駐車場から更に山登り、片道20分位かかります。夏の暑い時だったので、かなり
疲れました(´Д`)

池田家墓所.jpg
こんな道を進んでいきます。

最上部の一の山という場所に光政の祖父にあたる池田輝政の墓がありました。

<池田輝政の墓>
池田輝政の墓.jpg
初代姫路藩主で、現在の姫路城の形を作った人物でもあります。

登り疲れもあり、輝政の墓を参拝してあとはそのまま帰還しました(^^;
ちょっとした山登りなので、靴はトレッキングシューズなどあると良いかと思います。

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著名人の墓
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日野富子の墓及び足利義政供養塔   (岡山県赤磐市)

赤磐市にある日野富子の墓を参拝してきました。

<日野富子の墓>
日野富子の墓.jpg
住所:岡山県赤磐市沢原1208
駐車場あり(無料)
境内自由

<日野富子の墓について>
日野富子の墓3.jpg

<日野富子の墓(右)、足利義政の供養塔(左)>
日野富子の墓2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
日野富子の墓を参拝しました。
日野富子と言えば、日本の歴史上悪女の一人として数えられる人物ですが、僕は
まあそれはそういうイメージを植え付けられただけで、実は有能な人物であったと
思っています。足利義政が政治への意欲を失うなか、日野富子なくしては室町幕府
もたちゆかなかったのではないかと。

そんでもって何故に岡山に日野富子の墓があるのかという感じですよね。
解説を見るに、晩年に将軍義尚と対立し、この地に安住の地をもとめ移ったという
事だそうです。

意外なところに意外な人の墓があったのにびっくりしました。

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2017年07月23日

本源寺    (岡山県津山市)

岡山県津山市にある本源寺に行ってきました。

<本源寺>
本源寺.jpg
住所:岡山県津山市小田中1373
駐車場あり(無料)

<本源寺について>
本源寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
津山市にある本源寺に行ってきました。
ここは津山藩を治めた森氏の菩提寺。森蘭丸の兄で、初代津山藩主と
なった森忠政の墓もここにあるというので、参拝しようと思って訪問
しました。

本堂はあまり古く見えなかったのですが、江戸時代の建築物だそうです。

<本堂>
本源寺2.jpg

本堂裏に、津山藩主森家墓所があります。本堂裏の墓地にまわりこみます。
入り口はどこかなと探しましたが、なんと、封鎖されてました(>_<)
一般公開されてない様です。残念でした。

外から、森家墓所を撮影。手を合わせて帰ってきました。
本源寺 森家墓所.jpg

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著名人の墓
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2017年07月21日

誕生寺 / 法然上人誕生の地   (岡山県久米南町)

岡山県久米南町にある誕生寺に行ってきました。

<誕生寺>
誕生時.jpg
住所:岡山県久米郡久米南町里方808
駐車場あり(無料)
境内自由

<誕生寺について>
誕生寺.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岡山県久米南町(くめなんまち)にある誕生寺に行ってきました。
誕生寺?誰が誕生したんだって事ですが、浄土宗の開祖法然誕生の地
です。
上の解説にもありますが、熊谷直実が法然上人誕生の地に寺院を建立
したものです。

熊谷直実は源平の戦い後、平敦盛を討ったことに無常観を覚え、また
頼朝との不和や相続争いなどから仏教に傾倒。法然の弟子となり出家
しました。

師である法然の生誕の地に、誕生寺を建立し念仏修行に励んだ様です。

<御影堂>
誕生寺 御影堂.jpg
御影堂のある位置は、美作の豪族漆間時国、秦氏君夫妻の館跡でした。
この漆間時国が法然の父親です。

<勢至堂>
誕生寺 勢至堂.jpg

誕生寺 勢至堂2.jpg
両親である、漆間時国、秦氏君の墓所です。

<法然上人産湯の井戸>
誕生寺 法然上人産湯の井戸.jpg

誕生寺 法然上人産湯の井戸2.jpg

<奥の院六角堂>
誕生寺 奥の院六角堂.jpg

<森重政の墓>
森重政公墓所.jpg
初代津山藩主の長男。

<法然縁の公孫樹>
誕生寺2.jpg

<法然像>
誕生寺3.jpg

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2017年07月19日

西今町の町並み    (岡山県津山市)

岡山県津山市の西今町の町並みを散策しました。

<西今町>
西今町4.jpg
住所:岡山県津山市西今町
駐車場なし

<西今町について>
西今町7.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
津山市の西今町の町並みを散策しました。
津山と言えば、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている城東地区
があります。城東地区は11年前に訪問しているので、今回は訪問せず。
ちょっとマニアな西今町という町を訪問しました。
本源寺というお寺に森忠政(初代津山藩主・森蘭丸の兄)の墓を参拝し
ようと思い行ったところ、近くにこの西今町という町がありました。

城東地区の様に、密集して古い町並みが残っている訳ではありませんが、
点在するように昔ながらの建物が残り、雰囲気の良い町並みでした(^-^)

<西今町>
西今町.jpg

西今町5.jpg

西今町2.jpg

西今町3.jpg

西今町6.jpg

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備中高松城【再】      (岡山県岡山市)

岡山市にある備中高松城址に行ってきました。

<備中高松城址>
高松城址0.jpg
住所:岡山県岡山市北区高松
駐車場あり(無料)

<高松城について>
高松城址1.jpg

高松城址 中国の役.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
11年ぶりに備中高松城に行ってきました。今回の旅で行く予定は無か
ったんですが、岡山城が混んでて行けなかったのと、お昼ご飯用に
キムラヤのパンを買ったんですが、キムラヤのパンをこの近くで買った
ので、久しぶりに行ってみようかなと思い訪問しました。

高松城と言えば、秀吉による水攻めの城として有名ですね。
大河ドラマ『軍師・官兵衛』でも水攻めシーンはとても良かったです。
毛利側から見ると、城将清水宗治の見事な最期と、それを追った家臣達
の忠義に感動します。

城跡として、何かコレというものが残っている訳ではありませんが、
今も多くの観光客を引き寄せるゆえんでしょうね。
久しぶりに高松城を散策し、資料館で高松城についての展示を見て
きました(^-^)

<備中高松城>
高松城址2.jpg

高松城址.jpg

高松城址3.jpg
菖蒲の花が咲いていました。

<清水宗治首塚>
清水宗治首塚.jpg

高松城址 清水宗治辞世の句.jpg
辞世の句碑です。
「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」

<清水宗治自刃の跡>
高松城址 清水宗治自刃の跡.jpg
城址公園の隣接地にある清水宗治自刃の跡碑です。

<清水宗治・胴塚>
清水宗治胴塚.jpg

清水宗治胴塚2.jpg

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日本の城を巡る
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著名人の墓
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<備中高松城・過去記事>
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福岡城址     (岡山県瀬戸内市)

岡山県瀬戸内市にある福岡城址に行ってきました。

<福岡城址>
福岡城址 岡山.jpg
住所:岡山県瀬戸内市長船町福岡
駐車場なし

備前福岡城は南北朝時代初期に赤松氏によって築城されたお城です。
嘉吉の乱で赤松氏が一時滅亡して山名氏が備前守護に任じられると、
再興した赤松氏と山名氏の間で福岡の支配を巡ってしばしば福岡城の
攻防戦が行われました。
特に文明15年(1483年)には、山名氏に内通した松田元成が赤松氏
の守護代浦上則国支配の福岡城を包囲して50日の籠城戦の末に陥落
させる福岡合戦がありました。

現在現地はゴルフ場になっており、城の気配はまったくありません。
福岡城址 岡山2.jpg
ゴルフ場から道路を挟んだ反対側に「福岡城跡の丘」という碑が建って
います。

福岡県の「福岡」という地名は、ここ備前福岡がルーツで、かつてこの地で
黒田氏の祖が居住し財をなした事から、黒田長政が名島城(現在の福岡市東区)
を福岡城と改名した事からきています。

平成29年GWの旅
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日本の城を巡る
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富田茶臼山城址    (岡山県備前市)

岡山県備前市にある富田茶臼山城址に行ってきました。

<富田茶臼山城址>
茶臼山城址.jpg
住所:岡山県備前市西片上
駐車場あり(無料)

富田茶臼山城(とだちゃうすやまじょう)は富田松山城の出城として築城された
お城という事ですが、それ以外の情報がほとんど無いお城です。
現地は茶臼山公園という公園になっていますが、ここが城跡であったという事は
入り口のところにある碑でのみ分かります。

現地は綺麗な公園で、瀬戸内の海を眺める事が出来るので、家族連れなどにも良い
のかもしれません。道路は狭いので注意が必要です。

<富田茶臼山城址>
茶臼山城址2.jpg

茶臼山城址3.jpg

茶臼山城址4.jpg

<生田玄利の墓>
茶臼山城址 生田玄利の墓.jpg

茶臼山城址 生田玄利の墓2.jpg

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2017年07月17日

宇喜多直家供養塔 / 岡山寺   (岡山県岡山市)

岡山寺にある宇喜多直家供養塔を参拝しました。

<岡山寺>
岡山寺.jpg
住所:岡山県岡山市北区磨屋町5-5
駐車場無し

岡山寺は奈良時代創建の古刹。
岡山城の拡張に伴い現在地に移転してきました。

<宇喜多直家供養塔>
岡山寺 宇喜多直家供養塔.jpg

岡山寺の一角に宇喜多直家の供養塔と言われる五輪の塔があります。
文字などは見る事が出来ないため、本当に直家の供養塔なのか見て
分かる事は残念ながらありません。

宇喜多直家は、謀略を駆使してのし上がった典型的な戦国大名として
名をはせた人物で、岡山城の築城主でもあります。

平成29年GWの旅
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著名人の墓
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2017年07月14日

イナバ化粧品      (岡山県津山市)

岡山県津山市にあるイナバ化粧品に行ってきました。

<イナバ化粧品>
イナバ化粧品.jpg
住所:岡山県津山市川崎78-17
駐車場あり

岡山県津山市にあるイナバ化粧品に行ったというか、前まで行ってきま
した(^^;
ここは知る人ぞ知る、B’zの稲葉浩志氏の実家です。
さすがに化粧品屋に一人で入る勇気もなく、外から眺めてきました。
稲葉氏は津山市の名誉市民になってるんですよね。

僕もB’zは好きで、大学生の頃からカラオケでよく歌ったものです。
好きな曲は多くて、これが一番というのは難しいですが、一押しは
「TIME」ですかね。


店頭にもB’zのポスターがありました。
B’zポスター.jpg

駐車場には稲葉氏の似顔絵(^-^)
イナバ化粧品2.jpg

何はともあれ、一度どんなところか見たかっただけに、行くことが出来て
満足しました(^-^)

平成29年GWの旅
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2017年06月15日

亀山城址/沼城址    (岡山県岡山市)

岡山市にある亀山城址(別名:沼城)に行ってきました。

<亀山城址(沼城址)>
亀山城.jpg
住所:岡山県岡山市東区沼
駐車場なし

<亀山城について>
亀山城説明.jpg

亀山城6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
亀山城(別名:沼城)に行ってきました。
岡山市東区にある浮田小学校を目指して行くと分かりやすいです。
小学校の東側にある小高い丘が沼城址です。
築城は浦上氏の家臣中山信正。
1559年に、中山信正は謀反を疑われ同じく浦上氏の配下だった宇喜多
直家によって誅殺されます。
宇喜多直家は褒美として亀山城を与えられ城主となりました。

その後宇喜多直家は謀略を駆使しのし上がり、主君の浦上宗景を追放し
戦国大名へと成長します。その拠点となった沼城は宇喜多直家出世の城
と呼ばれています。

亀山城3.jpg

後に豊臣秀吉のもとで五大老の一人に出世する宇喜多秀家もこの城で生まれ
ました。城跡には、「直家飛躍の地」「秀家生誕地」の碑が建ちます。

後に直家が岡山城を築城して移るまで、この城に在城しました。

現在城跡には小さな神社があり、小さな城跡公園の様な感じで整備されています。

亀山城2.jpg

亀山城4.jpg

亀山城7.jpg
「兒」は宇喜多氏の旗印です。「兒」の字は「児」の旧字体。
この旗印は、宇喜多氏が南北朝時代の武将、児島高徳の子孫である事から
きています。児島高徳は『太平記』の作者とも言われていますが、実在の
人物かどうか実は分かっていない人物でもあります。

僕はこの「兒」の旗印、家に所有しております(^-^)

平成29年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/449677065.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

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2014年01月12日

小早川秀秋の墓/瑞雲寺    (岡山県岡山市)

岡山県岡山市にある瑞雲寺に行ってきました。

<瑞雲寺>
瑞雲寺 岡山市.jpg
住所:岡山県岡山市北区番町2丁目6−22
駐車場なし
境内自由

<現地解説>
この寺は歴応年中、多田頼貞の嫡子能瀬太郎左衛門頼仲の創建と言われ、満願山
成就寺と呼んでいたが、岡山城主小早川秀秋を葬ってから、その法号
「瑞雲院殿前黄門秀厳日詮大巨士」にちなみ瑞雲寺と改称。
小早川秀秋の墓は本堂の中にあり、秀秋の木像も安置しており、これを稲葉塚と
呼ぶ。

瑞雲寺 小早川秀秋.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岡山市にある瑞雲寺に行ってきました。
小早川秀秋は、もともと木下家定(秀吉室ねねの兄)の子として生まれ、秀吉の養子になって
いましたが、豊臣秀頼の誕生とともに状況は変わり、小早川隆景の養子に出される事になり
ました。
関ヶ原の戦いでは、東軍に寝返り関ヶ原の戦いの勝敗を決定づける働きをしています。
関ヶ原の戦いの功により、宇喜多秀家の領地だった岡山の領地を得ます。
しかし関ヶ原から2年後に21歳にして亡くなります。
小早川秀秋の死に関しては、石田三成・大谷吉継の祟りという様な話もありますが、
実際の所はよく分かりません。

岡山で亡くなった秀秋はこの瑞雲寺に葬られたそうです。
お寺の境内には「小早川秀秋菩提寺」の碑があります。
お墓は本堂の中にあるそうですが、中には入れない様です。
外から参拝して帰ってきました。
現地は道路も狭く、車で行くのはしんどいです。しかも駐車場なし。
どこかに停めて歩いて行くしかないですね。

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html


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2013年02月20日

本蓮寺   (岡山県瀬戸内市)

岡山県瀬戸内市にある本蓮寺に行ってきました。

<本蓮寺>
本蓮寺1.jpg
住所:岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓3194
駐車場なし
掲題自由

本蓮寺は南北朝時代の1347年、京都妙顕寺の座主であった大覚大僧正が法華堂を建立
したことに始まる古刹です。
牛窓は昔から風光明媚な港町として栄え、江戸時代に本蓮寺は朝鮮通信使を持てなす宿と
して利用されました。
本堂は国指定の重要文化財、祖師堂・三重塔は岡山県指定の重要文化財になるなど、歴史
ある建物が残るお寺です。

<本堂>
本蓮寺 本堂.jpg
1492年再建の本堂です。

<祖師堂>
本蓮寺 祖士堂.jpg

<三重塔>
本蓮寺 三重塔.jpg

<本蓮寺からの景色>
本蓮寺より.jpg
本蓮寺より海を望みます。牛窓は「日本のエーゲ海」と言われる風光明媚の地。
その牛窓の海を望む本蓮寺です。

平成24年〜25年・年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/311230132.html


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2013年01月03日

しおまち唐琴通り   (岡山県瀬戸内市)

岡山県瀬戸内市にあるしおまち唐琴通りを散策してきました。

<しおまち唐琴通り>
しおまち唐琴通り.jpg
住所:岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓

岡山県瀬戸内市にある「しおまち唐琴通り」に行ってきました。
ここは瀬戸内市の中でも旧牛窓町エリア。牛窓はその風景から「日本のエーゲ海」と
言われる場所です。
江戸時代より港町として栄え、岡山城下から牛窓港に至る「牛窓往還」という街道
も整備されました。
しおまち唐琴通りには古い建物が残り、かつての牛窓の繁栄をしのぶ事が出来ます。
また、しおまち唐琴通りでは映画のロケも行われています。
1998年公開『カンゾー先生』、2005年公開『男たちの大和』、
テレビドラマ『蜜の味〜A Taste Of Honey〜』などなどです。

<しおまち唐琴通りの町並み>
しおまち唐琴通り2.jpg

しおまち唐琴通り3.jpg

しおまち唐琴通り4.jpg

しおまち唐琴通り5.jpg

しおまち唐琴通り6.jpg

平成24年〜25年・年末年始の旅
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日本の古い町並み
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五福通り    (岡山県岡山市)

岡山県岡山市にある五福通りを散策してきました。

<五福通り>
五福通り1.jpg
住所:岡山市東区西大寺中三丁目9番地周辺

 五福通りの名前の由来は、人生の五種の幸福、寿(長寿)、富、康寧(健康)、好徳、終年(天命をもって人生を終える事)で、五福通りの南側にある西大寺で催されるはだかまつりで奪い合う宝木は、この五福を授ける意味で与えられたことから、五福通りの名前がついたという事です。
そんな五福通り、レトロなイメージの商店街で、映画「ALWAYS三丁目の夕日」のロケ地になりました。
昭和の雰囲気漂うこの通りが映画のイメージに合ったんでしょうね。
とても良い雰囲気の通りでした。

<五福通りの町並み>
五福通り2.jpg

五福通り3.jpg

五福通り4.jpg

五福通り5.jpg

五福通り6.jpg

平成24年〜25年・年末年始の旅
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日本の古い町並み
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2009年06月30日

名水岩井と岩井滝   (岡山県鏡野町)

岡山県鏡野町にある名水岩井と岩井滝に行ってきました。

<名水岩井と岩井滝>
名水岩井と岩井滝.jpg
住所:岡山県苫田郡鏡野町上斎原中津河
駐車場あり(無料)

中津河の山並みを「通り岩」と称する安山岩が南北に連なり、鳥取県境
まで約25キロ続いている。
岩井滝は通り岩の一部で岩盤が突き出して岩屋えお形成し、不動明王
が祀られており、数少ない裏見の滝の一つです。
昔、この地に住んでいた忠左衛門は子だからに恵まれなかったので、
岩井滝不動に願掛けをし、お告げによって岩井の水を21日間飲んで
念願の女の子を授かり、美しく成長して養子を迎え、家業の木地挽
によって長者となりました。
このことから娘が生まれた7月10日を岩井滝祭りと定め、岩井の水
は美と健康・子宝に恵まれる水として語り継がれています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
相当前ですが、岡山・鳥取県境付近にある日本名水百選「岩井」に
行ってきました。
湧き水とともに、滝も一緒になって観光スポットになっていました。
ちょっとした山道を登ること10数分で名水岩井と岩井滝に到着。

<岩井滝>
岩井滝.jpg
見ての通り、裏に人がいます。いわゆる裏見の滝です。
滝を裏から見ると不思議な感じになります。
そんでもって涼しさも倍増しますね。

<名水岩井>
名水岩井.jpg
こちらは日本名水百選の名水「岩井」です。
美と健康の水。暑い夏に行ったので、この水のうまい事!
疲れも癒えました(^-^)

日本の名水巡り
http://rover.seesaa.net/article/21971174.html



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2009年02月01日

円通寺   (岡山県倉敷市 観光名所)

岡山県倉敷市の円通寺に行ってきました。

<円通寺>
円通寺 本堂
所在地 岡山県倉敷市玉島柏島451
電話番号 086-522-2444

元禄十一年四月、徳翁良高和尚円通庵を建立。
二世雄禅良英和尚の代に円通寺と改む。
後西天皇の皇女宝鏡寺門跡紫景愛尼公の筆になる「円通寺」の寺号
をたまわり、現在も本殿正面入り口に掲げられている。
以後、高僧が相継ぎ現在にいたっている。

また若き日の良寛が修行した寺としても知られています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
倉敷市玉島の町並みを散策し、そこからちょっと坂道を上り円通寺に
たどり着きました。
ここは若き日の良寛が修行したお寺だそうで、良寛が寝泊まりした
建物も残っています。

<良寛堂>
円通寺 良寛堂

良寛は、江戸時代の僧、詩人、書家として名高い人物。

良寛について(Wikipedia)

以前、良寛ゆかりの新潟出雲崎を散策した事があります。
岡山にも良寛ゆかりの地があることは今回初めて知りました。

<若き日の良寛像>
玉島の良寛

修行の地であった事を思わせる庭園。石がゴロゴロとしていて、
普通の庭園とは一風違った感じです。

円通寺 庭園

円通寺 庭園

庭園の片隅に種田山頭火の歌碑が。
円通寺 種田山頭火の歌碑.jpg
「岩のよろしさも良寛さまのおもいで」

種田山頭火もこの円通寺を訪れ、良寛について詠んでいるのです。

<円通寺からの風景>
円通寺 玉島の風景
円通寺は高台にあるため景色も良好。玉島の町並みを眺める事が
出来ます。行ったとき、ちょうど菜の花も咲いていました。

平成20年冬旅
http://rover.seesaa.net/article/112075386.html

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2009年01月30日

玉島町並み保存地区  (岡山県倉敷市 古い町並み)

岡山県倉敷市の玉島町並み保存地区に行ってきました。

<玉島町並み保存地区>
倉敷市玉島町並み保存地区1.jpg
住所:岡山県倉敷市玉島中央町 他

玉島港は、17世紀後半、備中松山藩主水谷氏の新田開発に伴い、
藩の外港として整備が図られ、北前船が寄港し高瀬舟が行き交う
物資の集積地として栄えました。
港周辺には白壁の蔵や問屋が建ち並び、山陽の小浪華とも言われ備中
一の産業港として発展し文人墨客の出入りも盛んで、経済・文化の
両面で繁栄した港町であった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
倉敷市玉島町並み保存地区です。
倉敷で古い町並みというと、いわゆる「美観地区」が有名ですが、
玉島町並み保存地区は、旧倉敷ではなく、合併で倉敷になった玉島町
が前身の町並みになります。

海沿いの港町。蔵造りや板塀の建物などなど、昔ながらの町並みが
残っていました。
倉敷の美観地区は観光地として全国区ですが、玉島は知名度が低い
せいもあって、ほとんど観光客がいませんでした。
こちらの町並みもなかなか良いので、是非立ち寄ってみてはいかが
でしょう!

【写真は続きをどうぞ】

平成20年冬旅
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日本の古い町並み
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2006年09月07日

備中高松城   (岡山県岡山市 城跡 史跡 観光名所)

平成18年夏旅3日目(8月12日)は備中高松城からスタートです。

<備中高松城跡>
備中高松城
住所:岡山県岡山市高松561
駐車場あり(無料)
城内自由

古戦場としても有名な高松城に行ってきました。
実は7年前にも1回行ったことがあるので久しぶりの訪問になりました。
高松城というと、香川か?と思う方もいるかと思いますが、備中高松城は
岡山市にあります。
備中高松城が歴史的に名を残すのは、なんと言っても羽柴秀吉による備中
高松城水攻めがあるからでしょう。
1582年、織田信長は毛利氏を攻め羽柴秀吉は高松城を守る清水宗治の
軍と交戦します。攻めあぐねた秀吉は軍師の黒田官兵衛の意見と取り入れ
水攻めに出ます。
備中高松城は完全に孤立し、落城寸前になりますが、この時京都では
本能寺の変が起こり信長が殺されるという事件が起こります。その報を
受け、秀吉は城主清水宗治の自刃と引き替えに城兵の命を保証し、講和の
うえ撤収していくというお話です。

備中高松城 水攻めの図.jpg

現在城跡は公園になり非常に長閑な雰囲気です。

備中高松城.jpg

傍らには自刃した清水宗治の首塚、辞世の句を刻んだ石碑などがあり
ます。
ちょうど蓮の花が咲いていました。昭和57年に岡山市が城沼復元を行った
際、永年眠っていた蓮が自然に花を咲かせたものだそうです。
古代蓮と言って、昔の蓮が花を咲かせる事がある様です。
戦国の世の蓮の花が何百年の時を経て咲いたのかもしれません。

平成18年夏旅
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著名人の墓
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日本の城を巡る
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2006年09月04日

吹屋の町並み  (岡山県高梁市 古い町並み 観光名所)

平成18年夏旅2日目の最後の観光地、岡山県高梁市の吹屋の町並みです。

<吹屋の町並み・伝統的建造物群保存地区>
吹屋 岡山
住所:岡山県高梁市成羽町吹屋
駐車場あり(無料)

吹屋銅山とベンガラの生産で栄えた町。
1707年、日本で初めてベンガラを生産し、江戸、明治、大正と賑わい
をみせた。往時をしのぶベンガラ色の町並みが現在も残り、昭和52年に
伝統的建造物群保存地区に指定されている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平成18年夏旅の一番の目的地、吹屋に行ってきました。
着いたのがちょうど17時くらい、予想以上に時間が遅くなってしまい
かなり焦りましたが、無事到着。時間より天候の方が気になりました。
ここに着くまでに猛烈な雨がふったりして、一時はどうなるかと思いました
が、吹屋に到着した時には無事雨があがりました。
高梁市(旧成羽町)のかなり標高が高い場所にあります。高梁駅からは
バスで約1時間という距離で途中の道は結構細かったりします。

吹屋の町並みは事前に調べて、ベンガラ色の町並みという事で、非常に期待
しておりました。往々にして期待すると裏切られる事が多いんですが、吹屋
はというと。。。
想像通り!、というより想像以上の感銘を受けました。
「いや〜すごい!」
古い町並みをいろいろ見てきましたが、間違いなく全国でも1・2を争う
良い町並み(僕の印象で)だな〜と思いました。
町全体の色が統一され、茅葺きの町並みや土蔵の町並みとは全然違った
趣があります。町並みは坂道になっており、上の方から下りながら町並みを
散策しました。もう夕方だからでしょうか、それともさっきまで凄い雨が
降っていたからでしょうか、観光客の姿は無し。町で歩いているのは僕一人
みたいな状況でした。そのおかげで、また良い雰囲気を独り占めできて感動
も増しました。

なんて良い町並みなんでしょう。岡山の古い町並みといえば、倉敷は全国区
ですが、僕は吹屋の町並みの方が良いなと思う。それほど人にもおすすめ
したい町並みでした。
観光マニアとしても、ここは超おすすめスポットです。

平成18年夏旅
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日本の古い町並み
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吹屋の町並み

続きをご覧ください

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2006年09月03日

萬歳の泉   (岡山県新見市 史跡 湧き水 観光名所)

岡山県新見市の湧き水「萬歳の泉」に立ち寄りました。

<萬歳の泉>
萬歳の泉
住所:岡山県新見市哲多町矢戸
駐車場なし(停車可)

平安前期宇多天皇がご巡幸の折、この清き水に感嘆され「萬歳」と叫ばれ
たと言われる。
先年の昔より枯れることなく涌く泉は、飲んで玉露の味がすると言われ、
平安中期すでに都では、萬歳の名泉として知られ、和歌にも詠まれている。
また南北朝期には後醍醐天皇がこの泉で休養されたとのこと。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
偶然道ばたで泉を発見しました。
その名も「萬歳の泉」。現地の石碑を見ると上のような解説がありました。
うまい水を飲んで「萬歳」ってのも何か変な気もしますが、まあそれは
良しとしておいて、宇多天皇や後醍醐天皇の伝説の残る泉という事で、
単なる泉ではなく、史跡に選ばれている珍しい泉です。

【萬歳の泉】
萬歳の泉

ちょうど直前にものすごい雨が降っていた関係で、泉は濁っていました。
石灰岩の層からわき出る泉は綺麗らしいのですが、あいにく清らかな泉
を見ることは出来ませんでした。
でもまあ、史跡の泉なんて珍しいので、偶然見つけてちょっと得した気分に
なりました。

平成18年夏旅
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萬歳の泉(史跡・湧き水)

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2006年09月02日

満奇洞   (岡山県新見市 観光名所)

岡山県新見市にある鍾乳洞「満奇洞(まきどう)」に行ってきました。

<満奇洞>
満奇洞(岡山)
住所:岡山県新見市豊永赤馬2276-2
駐車場あり
入洞料:1000円
営業時間:8:30〜17:00

<満奇洞について>
満奇洞は江戸時代末期、猟師が狸を追っているとき発見したと言われ、
古くから知られてきました。
昭和4年、歌人与謝野鉄幹・昌子夫妻はこの地を訪れ「槇」という地名
から「槇の穴」と呼ばれていた名勝を地名にちなんで奇に満ちた洞窟
「満奇洞」と命名されました。

まきの洞 夢にわが見る 世の如く 玉より成れる 殿づくりかな
                       (与謝野鉄幹)

満奇の洞 千畳敷の蝋の火の あかりに見たる 顔を忘れじ
                       (与謝野晶子)

洞窟は迷路にとむ閉塞型の平面に発達した横穴で、総延長は450m、
最大幅は25メートルあります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岡山県新見市の満奇洞に行きました。
以前同じく新見市の井倉洞に行ったことがあったんですが、その時は
洞窟2連発も何だな〜と思って満奇洞には行きませんでした。

満奇洞は命名が与謝野鉄幹・晶子夫妻という事で、「へ〜」という感じで
した。
昭和4年に与謝野夫妻が来たという事ですが、もうその時には観光地と
して中を見ることが出来る様になってたんだっていう事に驚きました。
正直鍾乳洞の観光なんて戦後になってからの話かと思ってました。

洞窟内は天井画低く、歩くのが大変。結局帰り間際に背中をぶつけまし
た(^^;
満奇洞の特徴としては地底湖があること。岩手の龍泉洞みたいな深淵の
地底湖ではありませんが、 ライトアップされて独特の雰囲気が良かった
です。
あと満奇洞で思ったのは赤いライトアップが異様な感じを醸し出して
いるなって事。赤いライトアップってあんまり見ないですけどね。
何か地獄の様な光景を思わせました。
ここは1000円しますが、おすすめ出来る観光スポットです。

平成18年夏旅
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満奇洞

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2006年09月01日

津山城   (岡山県津山市 城跡 史跡 観光名所)

岡山県津山市の津山城に行きました。

<津山城>
津山城 備中櫓
住所:岡山県津山市山下135
駐車場あり(有料)
入場料:210円

<津山城について・現地看板より>
津山城はもと山城のあったこの鶴山の地に森忠政が1604年に起工し、
1616年の完成まで13年の歳月をかけて築いた輪郭式の平山城。
往時には五層の天守閣がそびえていましたが、この天守閣は弓狭間、鉄砲
狭間、石落としの備えを持ち、唐破風・千鳥破風等の装飾のない実践的
なものでした。
また本丸・二の丸・三の丸には備中櫓をはじめ、粟積櫓・月見櫓など
数多くの櫓が建ち並び、本丸には七十余の部屋から成る御殿と庭園がありました。
この城が築かれた当時は、日本の築城技術が最盛期を迎えた時期にあたり、
津山城の縄張りの巧妙さは攻守両面において非常にすぐれたもので、近世
平山城の典型とされています。
明治6年(1873)廃城令によって城郭は公売され、翌7年から8年
にかけて天守閣をはじめとする一切の建物が取り壊されましたが、豪壮
堅固な石垣は残りました。
その後明治33年城跡は鶴山公園として津山町の管理となり、昭和38年
に国の史跡に指定されました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
津山城に行ってきました。実に7年ぶり。
でもここは石垣の雰囲気など非常に印象に残っていました。
入場料210円を払い城内へ。階段を上り天守跡に向かいます。

ここで7年前とは違うことに気がつきます。
7年前は何もなかったんですけど、今回は櫓らしきものがありました。
これが備中櫓です。
平成16年に津山城築城400周年を記念して再建したものだそうです。
中ではビデオによる津山城についての解説などを見ることが出来ます。

津山城は津山市内を一望出来る場所です。景色良好なので、津山の観光で
は外せない場所かと思います。
津山城は、桜の名所としても有名です。出来れば桜の時期に来てみたいです。

平成18年夏旅
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日本の城を巡る
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津山城跡

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2006年08月31日

津山城東町並み保存地区  (岡山県津山市 古い町並み 観光名所)

古い町並みの残る津山を散策しました。

<津山城東町並み保存地区>
津山の町並み
住所:岡山県津山市勝間田町
駐車場なし(民間のコインパーク等利用)

<津山城東地区の古い町並み>
城東地区は丹後山南麓の広範な地域に位置し、江戸時代初期に森忠政によ
って造られた津山城下町の一角である。中世には林田宿と呼ばれ繁栄して
おり、1603年頃には林田町と呼ばれる在町であった。
城下町造りにあたり、この地区の商人を中央部に移住させている。
城下町の整備によって、1630年頃までに上之町の武家屋敷敷地と
数ヶ寺からなる寺院街、出雲往来に沿った6つの町人町が形成される。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
古い町並みの残る岡山の津山に行きました。
津山を観光するのはこれまた7〜8年ぶり。以前は津山城と衆楽園を
散策しただけでした。今回は古い町並みを巡ろうと思って津山に行き
ました。津山の城東地区に古い町並みが残る事を最近知ったからです。
津山に到着し、まずは車を津山城の駐車場にとめます。
そこから歩くこと5分くらいで、城東地区の古い町並みに到着します。
城下町らしくクランクになった道路を進むと、今度は一直線に古い町並み
が続く通りがありました。
基本的に商家の町並みという事で、土蔵があったり、酒蔵があったりとい
う感じです。
ここもあまり観光地化されておらず、観光客もほとんどいませんでした。
また、抜け道か何かになっているのか、やたら車通りが多かったので、
写真を撮るタイミングにも苦慮しました。
古い町並みとしては、まずまず。規模も数百メートルって感じです。


余談ですが、津山といえばB’zの稲葉浩志さんの出身地。
実家は化粧品屋さんです
http://www.momotown.net/beauty_health/inaba/

稲葉さんは津山市の名誉市民にも選ばれているそうです。
僕も昔からB’zは大好きなので、津山市内ではB’zの曲を流しながら
走りました(カラオケでもよく歌ってます)

平成18年夏旅
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日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

津山の町並み

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2006年08月30日

宮本武蔵生誕の地   (岡山県美作市 観光名所)

岡山県美作市の宮本武蔵の生家に行ってきました。

<宮本武蔵生家>
宮本武蔵生家
住所:岡山県美作市宮本94
駐車場あり

宮本武蔵は1584年生まれ、父、祖父ともに武術家の家柄。
佐々木小次郎との決闘は有名。

宮本武蔵
http://www.optic.or.jp/musashi/

宮本武蔵について

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
宮本武蔵の生家に行きました。
実は行くの2回目。前回は7〜8年前、本当に久しぶりの訪問になりまし
た。武蔵の生家付近は、生家だけでなく武蔵に関連するものがいろいろ
あって、ぐるっと巡ってみると面白いです。

生家は新しいな〜って思うかとおもいますが、これは昭和17年に焼失
し再建した物だからです。大黒柱の位置等は昔のままだそうです。

続きをどうぞ

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