2022年12月31日

若神子城址   (山梨県北杜市)

北杜市にある若神子城址に行ってきました。

<若神子城址>
若神子城.jpg
住所:山梨県北杜市須玉町若神子
駐車場あり(無料)

<若神子城について>
若神子城2.jpg

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若神子城に行ってきました。
『甲斐国志』では、城主を甲斐源氏の祖にあたる新羅三郎義光とし、義光からその
子孫である源義清・清光に伝えられたとしています。
その事〜甲斐源氏発祥の地と言われています。
また天正壬午の乱では、北条氏直が入城し本陣をおいた場所でもある様です。

現在はふるさと公園という公園になっていました。
現地を歩いてみましたが、これと言って城を思わせるものが残っていないのが残念。
一応旗とかははためいているんですが・・・。

富士山の景色が非常に綺麗。富士見スポットとして良さそうな感じです。

<若神子城址>
若神子城3.jpg

若神子城4.jpg

若神子城5.jpg

令和4年秋旅
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日本の城を巡る
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2022年12月11日

甲州街道・駒飼宿    (山梨県甲州市)

甲州街道・駒飼宿を散策しました。

<甲州街道・駒飼宿>
甲州街道駒飼宿.jpg
住所:山梨県甲州市大和町日影
駐車場無し

駒飼宿は甲州街道の宿場町で、日本橋から数えて33番目の宿場町になります。
駒飼宿は甲州街道最大の難所である笹子峠の麓にあった為、宿泊客も多く、賑
わった宿場町であった様です。

駒飼の名前の由来は聖徳太子が甲斐の黒駒をこの地で飼っていたからという様
な話もある様です。

そんな駒飼宿、歩いてみましたが、本陣跡・脇本陣跡など表示はありましたが、
建物等は残っておらず、本陣跡には明治天皇休憩所跡の碑が建っているだけ
でした。全体的にそんなに昔の雰囲気は残ってないのかなという感じです。

<駒飼宿>
甲州街道駒飼宿2.jpg

脇本陣跡
甲州街道駒飼宿3.jpg

甲州街道駒飼宿4.jpg

甲州街道駒飼宿5.jpg

本陣跡
甲州街道駒飼宿6.jpg

明治天皇の碑
甲州街道駒飼宿7.jpg

甲州街道駒飼宿8.jpg

芭蕉句碑
甲州街道駒飼宿  芭蕉句碑.jpg

令和4年秋旅
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日本の古い町並み
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勝沼氏館跡  (山梨県甲州市)

甲州市にある勝沼氏館跡に行ってきました。

<勝沼氏館跡>
勝沼氏館跡.jpg
住所:山梨県甲州市勝沼町勝沼 字御所
駐車場あり(無料)

<勝沼氏館跡について>
勝沼氏館跡7.jpg

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勝沼氏館跡に行ってきました。
勝沼氏館跡は15〜16世紀に営まれた武田氏の居館跡で、武田信虎の弟である
武田(勝沼)信友が勝沼衆を率いてこの地を拠点にしていました。

1973年〜1977年にかけて発掘調査が行われ、土塁や建物の礎石などが発見
され、国の史跡に指定されました。

現地は駐車場も完備した綺麗な史跡公園になっています。
礎石等を見る事が出来ますが、復元建物などはありません。
すぐ裏は日川という川が流れ、自然の堀の形になっています。
勝沼氏館跡8.jpg

<勝沼氏館跡>
勝沼氏館跡2.jpg

勝沼氏館跡3.jpg

勝沼氏館跡6.jpg

勝沼氏館跡5.jpg

勝沼氏館跡4.jpg

令和4年秋旅
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日本の城を巡る
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源有雅の墓   (山梨県甲府市)

甲府市にある源有雅の墓を参拝しました。

<源有雅の墓>
源有雅の墓.jpg
住所:山梨県甲府市小瀬町99
駐車場無し

<源有雅について>
源有雅の墓4.jpg

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源有雅の墓を参拝しました。

前の記事でも書きましたが、源有雅は平安時代末期〜鎌倉時代初期の公卿。
後鳥羽上皇の近臣。
承久の乱では後鳥羽上皇側の将として参戦し宇治で戦うも敗北。
出家し恭順しますが、捕らえられ甲斐の小笠原長清預かりとなり鎌倉に護送
される事に。
有雅は北条政子に助命嘆願を送りますが、その返事が戻る前に甲斐で処刑され
ました。

甲府の小瀬団地の中にある富士塚が源有雅の墓という事で参拝しました。
団地内の公園みたいな場所に富士塚と碑などがあり、とても違和感がありました(^^;
駐車場は無く、少し路駐してささっと見学・参拝しました。

<源有雅の墓・富士塚>
源有雅の墓3.jpg

源有雅の墓2.jpg

令和4年秋旅
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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2022年12月08日

源有雅幽閉の地   (山梨県甲府市)

甲府市にある源有雅幽閉の地に行ってきました。

<源有雅幽閉の地>
源.jpg
住所:山梨県甲府市小瀬町338
駐車場無し

源有雅幽閉の地に行ってきました。
源有雅は平安時代末期〜鎌倉時代初期の公卿。後鳥羽上皇の近臣。
承久の乱では後鳥羽上皇側の将として参戦し宇治で戦うも敗北。
出家し恭順しますが、捕らえられ甲斐の小笠原長清預かりとなり鎌倉に護送
される事に。
甲斐での幽閉の地が、この場所。かつて浄福院というお寺があった場所です。

有雅は北条政子に助命嘆願を送りますが、その返事が戻る前に甲斐で処刑され
ました。

浄福院というお寺は既になく、現地には古い碑が残るのみでした。
源2.jpg

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』もいよいよ承久の乱。
有雅は出てくるのか、、多分出ないかな。
承久の乱がどの程度大河ドラマで描かれるのか気になるところです。

令和4年秋旅
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大河ドラマの舞台
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2022年11月20日

四郎作古戦場の碑    (山梨県甲州市)

甲州市にある四郎作古戦場に行ってきました。

<四郎作古戦場>
四郎作古戦場.jpg
住所:山梨県甲州市大和町初鹿野
駐車場無し

四郎作古戦場に行ってきました。
1582年、家臣らに離反された武田勝頼は甲斐・天目山に逃れ最後の戦い
の末滅亡します。
四郎作古戦場はその最後の戦いのひとつ。
武田家譜代の家臣・小宮山友晴は穴山梅雪らご親族衆らも離反する中、最後まで
主君に忠節を尽くす為駆けつけ、この地で奮戦しましたが、衆寡敵せずこの地で
討ち死にしました。

四郎作古戦場2.jpg

四郎作古戦場3.jpg
この地のすぐ奥に、勝頼が最期を迎えた景徳院があります。

令和4年秋旅
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古戦場めぐり
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2022年11月16日

昇仙峡散策と仙娥滝   (山梨県甲府市)

昇仙峡を散策して仙娥滝を見てきました。

<昇仙峡>
昇仙峡5.jpg
住所:山梨県甲府市上帯那町3221
駐車場あり(無料)

令和4年11月3日、昇仙峡を散策してきました。
昇仙峡は巨岩が見所の渓谷。その昔、山岳信仰の地として甲府方面から昇仙峡を
通過し金峰山頂に至る吉沢口など修験道の道として御嶽道が存在していたそうです。

昇仙峡2.jpg

昇仙峡.jpg

昇仙峡4.jpg

昇仙峡3.jpg

昇仙峡7.jpg

<昇仙峡・覚円峰>
昇仙峡8.jpg

昇仙峡6.jpg

昇仙峡9.jpg
この巨岩が覚円峰という昇仙峡の見所。
澤庵禅師の弟子僧侶覚円が畳が数畳敷ける広さの頂上で修行したという伝説が
名前の由来です。修験道の地だったんですね。

明治時代には観光地として有名になっていた様で、多くの観光客で賑わった様です。
そんな昇仙峡、一番良いのが紅葉の時期。
11月3日の訪問で、紅葉しているところ、そうでないところまちまちでしたが、
一部非常に綺麗に色づいていてとても綺麗でした。
紅葉の写真はつづきを見て下さい。

昇仙峡、もうひとつの見所は日本の滝百選・仙娥滝です。
こちらも見事でした(^-^)

<仙娥滝>
仙娥滝.jpg



令和4年秋旅
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紅葉の名所巡り
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日本の滝巡り
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2022年11月06日

弥三郎岳とうぐいす谷   (山梨県甲府市)

昇仙峡ロープウェイを登って弥三郎岳に行ってきました。

<弥三郎岳>
弥三郎岳.jpg
住所:山梨県甲府市猪狩町
駐車場あり(無料)
昇仙峡ロープウェイ(1300円)

昇仙峡散策、まずはロープウェイを登って弥三郎岳とうぐいす谷に行って
きました。
ロープウェイは20分間隔で運行。11月3日は繁忙期という事で時刻表に
関係無くフル稼働運転中でした。
04昇仙峡2.jpg

山頂に着くと、八雲神社と和合権現という二つの神社。
昇仙峡 八雲神社.jpg

昇仙峡 和合権現.jpg
まずはこの2つの神社を参拝です。

そこから歩いて2分ほどで、うぐいす谷という展望スポットがあります。

<うぐいす谷>
うぐいす谷.jpg

うぐいす谷からは主に西側(南アルプス方面)の景色を見ることが出来ます。
うぐいす谷2.jpg

うぐいす谷3.jpg

うぐいす谷5.jpg

天気が良い事もあり絶景です(^-^)

次にここから徒歩15分〜20分、弥三郎岳に向かいます。
ここからはちょっとした山登りです。
山登りとは言ってもそんなにハードではありません。
が、最後だけは少しデンジャーな感じ。
弥三郎岳の展望スポットは巨大な岩の上です。そこは鎖を伝って登ります。

弥三郎岳2.jpg

弥三郎岳9.jpg
油断すると怪我をしかねません。慎重に行きます。

弥三郎岳の頂上です。
弥三郎岳3.jpg
何気なく座ってる人がいますが、ここ結構傾斜になっていて、足が竦みます。
落ちたら死にます(^^;

大きな岩で、そこそこの広さがあるんですけど、ちょっと怖かった。
濡れてたりしたら滑って怖いなと。
景色は最高です。
うぐいす谷と同じように西側は南アルプスの眺望。
弥三郎岳4.jpg

弥三郎岳5.jpg

弥三郎岳8.jpg

また、ここからは東側も良い景色が見えます。
弥三郎岳6.jpg

弥三郎岳7.jpg

ロープウェイで登って約1時間ちょっとの時間を過ごしました。
ここは景色が良い時期に行くと本当に良いですね(^-^)

うぐいす谷だけでしたら普通の靴でも大丈夫ですが、弥三郎岳まで行くの
でしたらトレッキングシューズ等必要かと思います。

令和4年秋旅
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2021年08月29日

山口の関所跡   (山梨県北杜市)

北杜市にある山口の関所跡に行ってきました。

<山口の関所跡>
山口の関跡.jpg
住所:山梨県北杜市白州町上教来石
駐車場無し

<山口の関所について>
山口の関跡4.jpg

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山口の関所跡に行ってきました。
甲州街道にある関所跡で、信州と甲州の境にある関所になります。
武田信玄によって設置されたという伝承がある旨説明板にありましたが、詳細は
不明の様です。

構造物等は何も無く、碑と説明板のみという感じでした。

山口の関跡3.jpg

山口の関跡2.jpg

山口の関跡5.jpg

令和3年春旅2 大遠征
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2021年08月28日

武田信義の墓を参拝   (山梨県韮崎市)

韮崎市の願成寺で武田信義の墓を参拝しました。

<願成寺>
願成寺5.jpg
住所:山梨県韮崎市神山町1111
駐車場あり(無料)
境内自由

<願成寺について>
願成寺2.jpg

願成寺.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
武田信義の墓を参拝しました。

<武田信義について>
願成寺 武田信義の墓2.jpg

武田信義は甲斐武田氏4代当主。
韮崎に館を構え、願成寺を祈願寺としました。

ここに武田信義の墓があります。

<武田信義の墓>
願成寺 武田信義の墓.jpg

願成寺4.jpg

信義公の墓を参拝して帰還しました。

令和3年春旅2 大遠征
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著名人の墓
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武田信義像  (山梨県韮崎市)

韮崎市にある武田信義の像を見てきました。

<武田信義像>
武田信義像.jpg
住所:山梨県韮崎市水神1丁目3
駐車場あり(市役所駐車場)

<武田信義について>
武田信義像3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
武田信義は新羅三郎義光の孫である源清光の次男。
平安時代末〜鎌倉時代初期の武将です。甲斐源氏の四代当主。
韮崎に館を構えました。

そんな武田信義の像が韮崎市役所の前にあります。
市役所の駐車場に車を停めて銅像を見てきました。

武田信義像2.jpg

令和3年春旅2 大遠征
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銅像めぐり
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2021年08月01日

鳴沢氷穴   (山梨県鳴沢村)

鳴沢村にある鳴沢氷穴に行ってきました。

<鳴沢氷穴>
鳴沢氷穴.jpg
住所:山梨県南都留郡鳴沢村鳴沢8533
駐車場あり(無料)
入場料:350円

<鳴沢氷穴について>
鳴沢氷穴07.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鳴沢氷穴に行ってきました。
久しぶりの訪問です。
富士山周辺には、過去の富士山の噴火によって出来た地中空洞が数多くあり、その
数は100を超えるそうです。
そんな穴の何ヶ所かは観光スポットとなっています。
鳴沢氷穴は、常に低温で、その中には自然に出来上がった氷柱などがあります。
その氷がライトアップされ、幻想的な雰囲気を醸します。
GWの訪問、コロナ禍とはいえやや混んでいて、入洞まで30分位並びました。

中の気温は0度。気温差が激しいです。
氷穴の中、見る事が出来る場所はあまり多くなく、10分位で見ることが出来ます。
狭い洞窟で後ろからもどんどん人が来るので、ゆっくり写真も撮ってられません。
ささっと見てくる感じですね。

鳴沢氷穴02.jpg

鳴沢氷穴03.jpg

鳴沢氷穴05.jpg

鳴沢氷穴04.jpg

鳴沢氷穴06.jpg

令和3年GWの旅
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2021年07月17日

勝山城址    (山梨県都留市)

都留市にある勝山城址に行ってきました。

<勝山城址>
勝山城址.jpg
住所:山梨県都留市川棚字城山922
駐車場あり(無料)

<勝山城について>
勝山城址2.jpg

勝山城址3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
勝山城に行ってきました。
勝山城は戦国時代、小山田氏の谷村館の詰城として築城され、後に浅野氏が入城
の後大規模改修が行われ山城として整備されました。
甲斐国は当時、江戸に入った家康に対する備えとして、秀吉の親族筋でもある浅野
氏が配置されます。

相模川を天然の堀として利用した山城。駐車場に車を停めて歩いて10分もあれば
本丸までたどり着けます。

勝山城址4.jpg
入口です。熊に注意の案内板あり!

勝山城址5.jpg

勝山城址7.jpg
こちら本丸跡。

勝山城址6.jpg
本丸からの景色。

勝山城址8.jpg
帯郭

令和3年GWの旅
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日本の城を巡る
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2021年07月11日

アッツ観音    (山梨県都留市)

都留市にあるアッツ観音を見てきました。

<アッツ観音>
アッツ観音.jpg
住所:山梨県都留市四日市場439
駐車場あり

都留市の保寿院にあるアッツ観音を参拝しました。
ここ保寿院は、第二次大戦におけるアッツ島の戦いを指揮し戦死した
山崎保代大佐(死後中将に昇格)の生家。
アッツ観音はアッツ島の戦いで戦死した戦没者を弔うとともに、世界平和を
願い造立されたものです。

サイパン島や硫黄島の玉砕、沖縄戦など知られた戦いがあるなか、アッツ島の戦い
って知ってる人がほとんどいないですよね。
かくいう自分もよく知りませんでした。
昭和18年5月、アリューシャン列島のアッツ島に米軍が侵攻し、守備隊2600名
は山崎大佐の指揮のもと激戦となります。
17日間の激戦の末、守備隊は全滅。日本軍はアリューシャン列島を放棄し、撤退しました。
アリューシャン列島はアラスカ半島から続く島々。北方の島です。
北方戦線でこんな戦いがあった事を知らず、正直驚きました。

そんな埋もれた歴史の供養の為の観音様。
現地にも詳しい解説が無いのが残念。市とかの主導で解説文の1つでも設置してみては
どうなのかなと思ってしまいました。

戦争の惨禍を偲びながら参拝して撤収しました。

アッツ観音2.jpg

アッツ観音3.jpg

令和3年GWの旅
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2020年05月06日

涙の森    (山梨県韮崎市)

韮崎市にある涙の森に行ってきました。

<涙の森>
涙の森.jpg
住所:山梨県韮崎市上ノ山3657
駐車場無し

<涙の森について>
涙の森4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
韮崎にある涙の森に行ってきました。

新府城に火をかけ岩殿向けて退去する武田勝頼一行が、燃える火を見て涙したとい
う伝説の地です。
勝頼夫人の
「うつつには おもほえがたき このところ あだにさめぬる 春の夜の夢」
という句碑が現地にたっていました。

ここで岩殿ではなく、真田の岩櫃城に向かっていればどうだったか。
歴史のタラレバの話ですが。。

涙の森2.jpg

涙の森3.jpg

平成30年3月31日訪問

大河ドラマの舞台
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2020年05月01日

自元寺で馬場信春の墓を参拝   (山梨県北杜市)

北杜市にある自元寺で馬場信春の墓を参拝しました。

<自元寺>
自元寺.jpg
住所:山梨県北杜市白州町白須1364
駐車場あり(無料)
境内自由

自元寺2.jpg

<自元寺について>
自元寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
北杜市にある自元寺で馬場信春の墓を参拝しました。
馬場信春は武田家3代に使えた武将で、後世の軍記物などで武田二十四将や、武田
四天王など武田家の勇将として描かれる名将です。

馬場信春は1575年、長篠の戦いで殿を務め勝頼が退却した事を確認し最後は織田
方に切り込み討ち取られたとも、自刃したとも言われています。

自元寺は馬場信春開基の寺で、境内に馬場信春の墓があり参拝しました。

<馬場信春の墓>
自元寺 馬場信春の墓.jpg

平成28年11月13日訪問

大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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2019年10月20日

南部光行像    (山梨県南部町)

山梨県南部町、道の駅なんぶにある南部光行公像を見てきました。

<南部光行像>
南部光行像.jpg
住所:山梨県南巨摩郡南部町中野3034−1
駐車場あり(道の駅なんぶ)

南部光行は加賀美遠光の三男で、1180年石橋山の戦いで頼朝を助け
その功により甲斐国南部牧を与えられ南部姓を名乗りました。
てっきり南部氏の発祥は青森・岩手方面かと思ってましたが、意外にも
山梨だったんですね。加賀美遠光の館跡の記事を先に書きましたが、
その子が南部氏の祖だったというのは知りませんでした。

南部光行像2.jpg

南部光行像3.jpg

山梨県南部町は南部氏発祥の地の看板も建っており、気になってはいた
んですが、そういう事だったんですね。

意外な発祥と言えば、毛利氏の発祥も神奈川という事で。

令和元年夏旅(山梨〜静岡)
http://rover.seesaa.net/article/469930427.html

銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html

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2019年10月09日

法善寺@加賀美遠光館跡   (山梨県南アルプス市)

南アルプス市にある法善寺に行ってきました。

<法善寺>
法善寺加賀見遠光館跡.jpg
住所:山梨県南アルプス市 加賀美3509
駐車場あり(無料)
境内自由

法善寺は822年に空海が創建したと言われる古刹。
平安時代末期に、加賀美遠光という人物が館を構えた場所でもあります。
法善寺加賀美遠光館跡4.jpg
加賀美遠光は、甲斐源氏の祖源義光(新羅三郎)の曾孫にあたる人物。
名将として知られ、頼朝の鎌倉幕府設立に甲斐源氏の一人として貢献した
人物です。
加賀美氏は鎌倉時代に起きた霜月騒動により没落し、この地は大井氏が
勢力をはる事になります。
法善寺は館跡という事ですが、館らしい物は特に無く、普通のお寺という
感じでした。

<加賀美遠光館跡>
法善寺加賀美遠光館跡2.jpg

法善寺加賀美遠光館跡3.jpg

令和元年夏旅(山梨〜静岡)
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赤沢宿   (山梨県早川町)

山梨県早川町、赤沢宿に行ってきました。

<赤沢宿>
赤沢宿.jpg
住所:山梨県南巨摩郡早川町赤沢
駐車場なし

<赤沢宿について>
赤沢宿9a.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
赤沢宿は身延山久遠寺と霊場七面山を結ぶ身延往還の宿場町です。
江戸時代初期、徳川家康の側室お万の方の功績により七面山の女人禁制がとけ、
身延講が盛んになると、宿泊客も増え赤沢宿も栄えたそうです。

現在は交通の便の不便さなどから衰退しましたが、往時の雰囲気を感じさせる
町並みが残り、国指定重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

ここはずっと前から知っていたんですが、車で行くのがしんどいという噂があった
為、ずっと躊躇していました。
今回事前にgoogle ストリートビューで確認して、これなら行けるのではないかと
判断し、突撃しました。ところが・・・・

赤沢宿2.jpg
事前確認していた道がなんと通行止め(>_<)
一応迂回路があるようですが・・。ここまで来たら行くしかないと迂回路を進みます。
迂回路も道が狭い。普通のルートだと2キロ位走れば良いところ、迂回路はその倍
くらいの距離がありました。まあ他の車とのすれ違いはほぼ無かったので、無事
赤沢宿に到着しました。

赤沢宿には駐車場がありません。
妙福寺の駐車場に一時停めさせて頂きました。

感想なんですけど、よくぞこんな山奥に宿場が造られたなと。
行ったのが平日という事もあって、観光客の姿は見えませんでした。閑かな町並み
を散策しました。
そんな日本人もほとんど来ないような場所に、欧米系の若い女性が1人でパンフレッ
ト見ながら散策しているのに驚きました。一般的な観光名所じゃなくて、こんな
ところまで来るんだと。外人の方がこういう昔の日本みたいなところが好きなのか
もしれませんね。

<赤沢宿>
赤沢宿3.jpg

赤沢宿4.jpg

赤沢宿5.jpg

赤沢宿6.jpg

赤沢宿7.jpg

赤沢宿8.jpg

赤沢宿9.jpg

赤沢宿9b.jpg

赤沢宿9c.jpg
昔風にセピア色で(^-^)

令和元年夏旅(山梨〜静岡)
http://rover.seesaa.net/article/469930427.html

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

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2019年10月06日

古長禅寺で大井夫人の墓を参拝   (山梨県南アルプス市)

南アルプス市の古長禅寺で大井夫人の墓を参拝してきました。

<古長禅寺>
古長禅寺.jpg
住所:山梨県南アルプス市鮎沢505
駐車場あり(無料)
境内自由

古長禅寺2.jpg

<古長禅寺について>
古長禅寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
古長禅寺に行ってきました。武田信虎の墓を参拝したという記事を前に書きました。

その次に訪問したのは、武田信虎の妻である大井夫人の墓です。
大井夫人の子が武田晴信(信玄)、信繁、信廉です。
寺の裏に大井夫人の墓があり、参拝してきました。

<大井夫人の墓>
古長禅寺 大井夫人の墓.jpg

古長禅寺 大井夫人の墓2.jpg

<大井夫人歌碑>
古長禅寺大井夫人歌碑.jpg
「春は花 秋はもみじの色いろも 日かずつもりてちらばそのまま」

令和元年夏旅(山梨〜静岡)
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著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

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2019年10月02日

大泉寺で武田信虎の墓を参拝   (山梨県甲府市)

甲府市にある大泉寺に行ってきました。

<大泉寺>
大泉寺.jpg
住所:山梨県甲府市古府中町5015
駐車場あり(無料)
境内自由

大泉寺は武田信玄の父である武田信虎の菩提寺です。

武田信虎は武田家18代当主で信玄の父です。甲斐国を統一し、諏訪へ出兵
するなど勢力範囲を拡大して恐れられました。
しかし、嫡子である武田晴信(信玄)と対立し、遂には駿河の今川氏のもとに
追放される事に。
そして遂に生きているうちは甲斐に戻る事はありませんでした。
死後、葬儀がここ大泉寺で行われ葬られました。81歳の長寿を全うしました。

大泉寺は信虎が創建したお寺で、この寺の裏に信虎の墓石があります。

<武田信虎の墓>
大泉寺4武田信虎の墓2.jpg
真ん中が信虎の墓です。

大泉寺4武田信虎の墓.jpg

大泉寺3.jpg

大泉寺4.jpg

令和元年夏旅(山梨〜静岡)
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著名人の墓
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甲斐善光寺     (山梨県甲府市)

甲府市にある甲斐善光寺に行ってきました。

<甲斐善光寺>
甲斐善光寺.jpg
住所:山梨県甲府市善光寺3丁目36−1
駐車場あり(無料)
境内自由

<甲斐善光寺について>
甲斐善光寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
甲斐善光寺に行ってきました。
善光寺と言えば長野ですが、その長野の善光寺が川中島の戦いで戦火にあう事を
恐れた武田信玄が仏像や経典をここに移す為に創建したというのが甲斐善光寺です。

立派な山門は1767年の建築で国指定重要文化財です。

本堂も1796年の竣工でこちらも国の重要文化財になります。
甲斐善光寺4.jpg

甲斐善光寺5.jpg

山門、本堂ともに江戸時代の再建ですが、規模も大きく威厳がありました。

令和元年夏旅(山梨〜静岡)
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2019年04月03日

本遠寺    (山梨県身延町)

身延町にある本遠寺に行ってきました。

<本遠寺>
本遠寺.jpg
住所:山梨県南巨摩郡身延町大野839
駐車場あり(無料)
境内自由

<本遠寺について>
本遠寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
本遠寺に行ってきました。桜が綺麗なお寺という事で訪問したところ、意外な人物
ゆかりのお寺であることが分かりました。
それは家康の側室で紀州徳川家の初代徳川頼宣、水戸徳川家の初代徳川頼房の母であ
るお万の方です。

お万の方の帰依を受けた久遠寺22世・日遠が1609年に創建。
お万の方(養珠院)が1653年に亡くなると遺言によりこの寺に葬られました。

<お万の方(養珠院)>について>
本遠寺2お万の方の墓2.jpg

<お万の方の墓>
本遠寺2お万の方の墓.jpg

江戸ではなく甲州の奥地にお万の方の墓があることに驚きました。先日千葉の勝浦で
お万の方の銅像を見たばかりでしたので、旬な感じもしました。

境内に山梨県指定の天然記念物クスノキがありました。
本遠寺クスノキ.jpg
樹齢は約1500年だそうです。

<本遠寺の桜・平成31年3月31日撮影>
本遠寺 桜1.jpg

本遠寺 桜2.jpg

本遠寺 桜.jpg

本遠寺 桜3.jpg

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

著名人の墓
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原間のイトザクラ      (山梨県南部町)

南部町にある原間のイトザクラを見てきました。

<原間のイトザクラ>
原間のイトザクラ.jpg
住所:山梨県南巨摩郡南部町本郷1374
駐車場あり(無料)

原間の旧法眼寺境内にある樹齢約400年の枝垂れ桜です。
南部町指定天然記念物。

<原間のイトザクラ・平成31年3月31日撮影>
原間のイトザクラ2.jpg

原間のイトザクラ3.jpg

原間のイトザクラ4.jpg

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

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本郷の千年桜    (山梨県南部町)

南部町にある本郷の千年桜を見てきました。

<本郷の千年桜>
本郷の千年桜5.jpg
住所:山梨県南巨摩郡南部町本郷3230
駐車場あり

<本郷の千年桜について>
本郷の千年桜6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
樹齢600年超、山梨県指定天然記念物のエドヒガンザクラです。
樹齢は600年ですが、元山梨県知事が千年桜と命名してしまった様です(笑)
まあ威厳のある桜だから良いのかもしれませんけどね。

現地までの道はやや狭いですが、車のすれ違いは問題無い感じです。
現地には車の駐車スペースが10台分くらいはあります。

<本郷の千年桜・平成31年3月31日撮影>
本郷の千年桜.jpg

本郷の千年桜2.jpg

本郷の千年桜3.jpg

本郷の千年桜4.jpg

<クリックすると拡大します>
本郷の千年桜7.jpg

<桜の名所まとめのページはこちら>
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万沢小学校の桜     (山梨県南部町)

山梨県南部町にある万沢小学校の桜です。

<万沢小学校の桜>
万沢小学校の桜1.jpg
住所:山梨県南巨摩郡南部町万沢4119
駐車場無し

万沢小学校の校庭裏に江戸彼岸桜の古木があります。樹齢は不明です。
桜越しに富士山を見る事も出来て良かったです(^-^)

<万沢小学校の桜・平成31年3月31日撮影>
万沢小学校の桜2.jpg

万沢小学校の桜3.jpg

万沢小学校の桜4.jpg

万沢小学校の桜5.jpg

<桜の名所まとめのページはこちら>
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感応寺の枝垂れ桜      (山梨県身延町)

身延町にある感応寺で枝垂れ桜を見てきました。

<感応寺の枝垂れ桜>
感応寺の枝垂れ桜.jpg
住所:山梨県南巨摩郡身延町大島4317
駐車場あり(無料)

身延の感応寺に樹齢200年の枝垂れ桜があります。
県道から寺に入る道は狭いので躊躇いますが、すぐに寺に着きますし
駐車場もありますので、突っ込んで大丈夫です。

平成31年3月31日桜は満開でした(^-^)

<感応寺の枝垂れ桜・平成31年3月31日撮影>
感応寺の枝垂れ桜2.jpg

感応寺の枝垂れ桜3.jpg

感応寺の枝垂れ桜4.jpg

感応寺の枝垂れ桜5.jpg

感応寺の枝垂れ桜6.jpg

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朝日祖師堂の桜        (山梨県身延町)

身延町にある朝日祖師堂で枝垂れ桜を見てきました。

<朝日祖師堂の枝垂れ桜>
朝日堂の桜1.jpg
住所:山梨県南巨摩郡身延町身延
駐車場あり(無料)

朝日祖師堂に樹齢400年超の枝垂れ桜があります。
国道52号線から県道805号線に曲がり、久遠寺方面に向かう途中にあります。
桜の時期は久遠寺方面には抜けることが出来ない様で、北側から現地に向かいます。
大きな駐車場もありますが、ここを目的に来る人はいない様で、来ているのは僕だけ
でした(^^;

1本樹齢400年の桜があります。
<朝日堂の桜・平成31年3月31日撮影>
朝日堂の桜2.jpg
午後に行ったら日陰になってしまい、やや暗い状況になっていたのが残念。
午前中に行くのが良いかと思います。

樹齢400年の桜の他にも桜があり、とても綺麗でした。
朝日堂の桜.jpg

朝日堂の桜5.jpg

<桜の名所まとめのページはこちら>
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円実寺の枝垂れ桜       (山梨県身延町)

身延町にある円実寺で枝垂れ桜を見てきました。

<円実寺の枝垂れ桜>
円実寺の枝垂れ桜.jpg
住所:山梨県南巨摩郡身延町波木井1132
駐車場あり(無料)
境内自由

円実寺には樹齢300年超の枝垂れ桜が数本あります。
裏の墓地にあるので、写真を撮るとどうしてもお墓も写ってしまうんですが、
とても綺麗な枝垂れ桜でした(^-^)

<円実寺の枝垂れ桜・平成31年3月31日撮影>
円実寺の枝垂れ桜2.jpg

円実寺の枝垂れ桜3.jpg

円実寺の枝垂れ桜4.jpg

円実寺の枝垂れ桜6.jpg


<桜の名所まとめのページはこちら>
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2017年04月17日

大善寺【再】    (山梨県甲州市)

山梨県甲州市にある大善寺に行ってきました。

<大善寺>
大善寺山門.jpg
住所:山梨県甲州市勝沼町勝沼3559
駐車場あり
拝観料:500円(駐車場に入るとき徴収されます)

<大善寺について>
718年行基によって創建されたお寺です。
本堂(薬師堂)は北条貞時が後宇多天皇の勅を奉じ、甲信2国において
棟別10文を徴収し再建の費用にあて、1286年の立柱した県下最古
の和様建築です。
1473年造営の厨子(国宝)に薬師三尊が安置。
1582年武田勝頼一行は新府城を出発し、岩殿城再興をはからんと
東走中にこの大善寺で戦勝祈願をして一夜を明かしました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
13年ぶりに大善寺に行ってきました。13年前も桜のシーズンに
訪問してました(すっかり忘れてましたが)

<過去記事>
http://rover.seesaa.net/article/15004087.html

大善寺は奈良時代創建の古刹です。
見所はやはり、国宝建築物である本堂(薬師堂)です。

<本堂・薬師堂>
大善寺薬師堂.jpg

<本堂について>
大善寺薬師堂2.jpg
本堂は鎌倉時代の建築です。この建物は、本当に美しいです。国宝の名に
恥じない名建築ですね。

一番上の写真は大善寺山門です。
こちらは、幕末戊辰戦争の錦絵。
大善寺山門2.jpg
ここに大善寺の山門が登場します。甲陽鎮撫隊として勝沼に陣取った
新撰組と新政府軍との戦い。柏尾の戦いの錦絵です。
近藤勇は大善寺を本陣としようとしましたが、徳川ゆかりの寺宝などに
戦火が及ぶことを避けるため、山門前に陣取ったそうです。

<大善寺の桜・平成29年4月16日撮影>
久しぶりの大善寺の桜です。このお寺は桜も綺麗ですね。とても良かったです(^-^)
大善寺薬師堂 桜1.jpg

大善寺薬師堂 桜2.jpg

大善寺薬師堂 桜3.jpg

大善寺薬師堂 桜5.jpg

大善寺薬師堂 桜4.jpg

大善寺薬師堂 桜6.jpg

<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

国宝建造物を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21220842.html

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2017年04月16日

乙ヶ妻の枝垂れ桜    (山梨県山梨市)

山梨市にある乙ヶ妻枝垂れ桜を見てきました。

<乙ヶ妻枝垂れ桜>
乙ヶ妻枝垂れ桜.jpg
住所:山梨県山梨市牧丘町室伏
駐車場あり(無料)

乙ヶ妻枝垂れ桜(おっかづましだれざくら)を見てきました。
山梨市指定の天然記念物で、樹齢は約200年との事です。
標高約680mの丘の上に自生しています。

ふもとにある無料駐車場(7〜8台駐車可)に車を停め、歩いて5分
くらいで桜に到着します。

この桜の良さは、富士山を借景に花を見ることが出来る事です。
今日は天気も良く、富士山も綺麗に見え、素晴らしい桜を見る事
が出来ました。

日本全国の桜を見て歩いていますが、この桜は借景もあって日本屈指
の美しさだと思いました。心癒やされる感じがしました(・o・)

<乙ヶ妻枝垂れ桜・平成29年4月16日撮影>
乙ヶ妻枝垂れ桜2.jpg

乙ヶ妻枝垂れ桜3.jpg

乙ヶ妻枝垂れ桜4.jpg

乙ヶ妻枝垂れ桜5.jpg

乙ヶ妻枝垂れ桜6.jpg

ここからは富士山込みの写真です(^O^)
乙ヶ妻枝垂れ桜7.jpg

乙ヶ妻枝垂れ桜8.jpg

乙ヶ妻枝垂れ桜9.jpg

<桜のある風景>
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西念寺の枝垂れ桜       (山梨県山梨市)

山梨市にある西念寺で枝垂れ桜を見てきました。

<西念寺の枝垂れ桜>
西念寺の枝垂れ桜.jpg
住所:山梨県山梨市牧丘町倉科1838
駐車場あり(無料)
境内自由

樹齢100年と言われる西念寺の枝垂れ桜です。
有名な乙ヶ妻枝垂れ桜から距離にして数キロ。こちらは観光客もいない状況
で閑かに桜を鑑賞出来ました。

<西念寺の桜・平成29年4月16日撮影>
西念寺の枝垂れ桜2.jpg

西念寺の枝垂れ桜3.jpg

西念寺の枝垂れ桜4.jpg

<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

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常光寺の桜    (山梨県韮崎市)

韮崎にある常光寺で桜を見てきました(^-^)

<常光寺>
常光寺.jpg
住所:山梨県韮崎市清哲町青木2878
駐車場あり(無料)
境内自由

<常光寺について>
常光寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
常光寺に行ってきました。常光寺は武川衆の名門青木氏によって創建
されたお寺です。青木氏の子孫は後に柳沢氏の跡を継ぎ、その血脈から
将軍綱吉のもと権勢を誇った柳沢吉保を輩出します。

さて、今日はそんなお寺ながら寺を参拝しにきた訳ではなく、桜を見に
きました。桜は枝垂れ桜で、今日ちょうど見頃を迎えていました。
寺中が桜の花の中にある様でとても綺麗でした(^O^)

<常光寺の桜・平成29年4月16日撮影>
常光寺3.jpg

常光寺4.jpg

常光寺5.jpg

常光寺6.jpg

常光寺7.jpg
桜越しに見た八ヶ岳です。

<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

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2017年03月19日

於曽屋敷        (山梨県甲州市)

山梨県甲州市にある於曽屋敷跡に行ってきました。

<於曽屋敷跡>
於曽屋敷6.jpg
住所:山梨県甲州市塩山下於曽539−2
駐車場あり

<於曽屋敷について>
於曽屋敷.jpg

於曽屋敷2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
於曽屋敷跡に行ってきました。
塩山の駅の南側、歩いても数分の場所にあります。カーナビをセット
して行きましたが、車だと本当に分かりづらい場所です。

於曽氏は甲斐源氏の一族で、於曽屋敷は鎌倉時代に於曽氏によって築城
された中世城郭との事です。

その後誰が在城したかよく分かっていない様ですが、武田家滅亡の時に
この地で於曽氏の家臣・板垣権兵衛が自刃したという伝説があるそうです。

現在、於曽屋敷跡は公園として整備されています。
土塁らしきものがはっきりと見てとれました(^-^)

<於曽屋敷跡>
於曽屋敷3.jpg

於曽屋敷4.jpg

於曽屋敷5.jpg

平成28年〜29年 年末年始の旅
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日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

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2017年03月15日

連方屋敷     (山梨県山梨市)

山梨市にある連方屋敷に行ってきました。

<連方屋敷>
連方屋敷.jpg
住所:山梨県山梨市三ヶ所新町
駐車場なし

<連方屋敷について>
連方屋敷3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山梨市にある連方屋敷(跡)に行ってきました。
城巡りゲームの城攻略の一環で訪問しました。
この屋敷跡は、諸説ありよく分かっていない様なのですが、南北朝時代
の権力者の屋敷跡(城跡)と推定されています。
約100m四方の土塁に囲まれた館跡で、発掘調査では青磁器やかわらけ
などが出土している様です。

現地は野球場の様なだだっ広い広場になっていました。
連方屋敷2.jpg

平成28年〜29年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/445480957.html

日本の城を巡る
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2017年03月03日

清白寺        (山梨県山梨市)

山梨市にある清白寺に行ってきました。

<清白寺>
清白寺.jpg
住所:山梨県山梨市三ケ所620
駐車場あり(無料)
境内自由

<清白寺について>
清白寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山梨市の清白寺に行ってきました。ここに来るのは2回目です。
前に来たのはいつだったか忘れてしまいましたが、国宝の仏殿の事
だけははっきりと覚えていました。

たまたま近くを通ったので久しぶりに国宝の仏殿でも拝んでいくかという
事にしました。

清白寺は臨済宗妙心寺派のお寺で、室町時代初期に夢窓疎石の高弟清渓
通徹によって建立されたお寺です。

江戸時代初期の火災で寺のほとんどを焼失。室町時代中期に建築された
仏殿は火災を逃れ、現在国宝に指定されています。

<国宝・仏殿>
清白寺 仏殿.jpg

清白寺3.jpg

この仏殿はさすがに威厳がありますね。屋根の感じが江戸時代の建物とは
違うなと思います。

<庫裏・重要文化財>
清白寺4.jpg
江戸時代の火事の後に再建された庫裏です。

<本堂>
清白寺5.jpg

平成28年〜29年 年末年始の旅
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国宝建造物を巡る
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2017年03月02日

中牧城址      (山梨県山梨市)

山梨市にある中牧城(浄古寺城)に行ってきました。

<中牧城址>
中牧城址.jpg
住所:山梨県山梨市牧丘町城古寺
駐車場あり(無料)

<中牧城について>
中牧城址7.jpg

中牧城址8.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
中牧城址(浄古寺城址)に行ってきました。
中牧城は武田信玄が土地の豪族大村氏に命じて築城させたものです。
武田家滅亡後は徳川家康によって再建修復されました。
城の規模は東西330m、南北430mほど。石垣は無く土塁が残され
ています。

城の一部であった八幡神社があり、ここに車を停めることが出来ます。
この八幡神社に城の解説板もあります。
中牧城址6.jpg

本丸跡は、八幡神社の前に広がるブドウ畑の中です。
中牧城址5.jpg
ここから登っていきます。

中牧城址2.jpg
こんなブドウ畑が広がる中に、一番上の写真にある中牧城本丸跡の
碑がポツンとあります。本当にこれを見つけるのは大変でした(^^;

中牧城址からは遠くに富士山が見えます。
中牧城址3.jpg
中牧城本丸跡から見た富士山です。

拡大してみます。
中牧城址4.jpg

平成28年〜29年 年末年始の旅
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日本の城を巡る
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2017年02月17日

小山城址       (山梨県笛吹市)

笛吹市にある小山城址に行ってきました。

<小山城址>
小山城址.jpg
住所:山梨県笛吹市八代町高家
駐車場無し

<小山城について>
小山城址3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小山城址に行ってきました。
カーナビに目的地をセットして行きましたが、場所がよく分かりません。
少しさまよって到着しました。老人ホーム小山荘(笛吹市八代町北760)
を目指して行くと良いかと思います。すぐ近くに小山城址があります。

小山城は室町時代中期に築城された城で、穴山氏が居城としていたよう
です。1523年、南部下野守の攻撃を受け落城。

信長の死後起こった天正壬午の乱では、家康が鳥居元忠に命じてこの城
を改修させたという事です。

土塁や空堀跡が結構綺麗に残っていました。確かにここは城だったんだろ
うなというのが見てとれました。

<小山城址>
小山城址2.jpg

小山城址4.jpg

小山城址5.jpg

小山城址8.jpg

小山城址からは甲府市の町並み越しに南アルプスの山々を望むことが
出来ます。これがまた綺麗でした(^O^)

<小山城址から見た南アルプス>
小山城址6.jpg

小山城址7.jpg

平成28年〜29年 年末年始の旅
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日本の城を巡る
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2016年12月27日

自元寺 / 馬場信房の墓     (山梨県北杜市)

北杜市にある自元寺に行ってきました。

<自元寺>
自元寺.jpg
住所:山梨県北杜市白州町白須1364
駐車場あり(無料)
境内自由

自元寺に行ってきました。ここに武田家の名将馬場美濃守信房の墓があると
いうので訪問した次第です。
旧街道を車で走っていると自元寺の案内があります。
自元寺4.jpg
ここに武田四名臣馬場美濃守信房菩提寺の文字が。さっそく自元寺に向かいます。

自元寺3.jpg
この写真は自元寺の総門です。この総門は馬場美濃守の屋敷の門を
移築したものだそうです。

自元寺2.jpg

寺の墓地に突撃します。どこに馬場美濃守の墓があるのかな〜、墓地に案内が
無いので少し探す事になりましたが発見しました。

自元寺 馬場信房の墓.jpg
これが馬場美濃守のお墓です。以前長篠古戦場でも馬場美濃守の墓を参拝し
ました。こちら自元寺のお墓は、馬場氏の菩提寺という事で、ここが本当の
お墓って事なんでしょうね。

著名人の墓
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2016年12月26日

笹尾塁跡    (山梨県北杜市)

山梨県北杜市にある笹尾塁跡を見に行ってきました。

<笹尾塁跡>
笹尾塁跡8.jpg
住所:山梨県北杜市小淵沢町下笹尾
駐車場あり(無料)

<笹尾塁について>
笹尾塁跡9.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
笹尾塁跡に行ってきました。
笹尾塁は釜無川左岸の急崖上にあった防塁です。
本塁跡は東西80m、南北260mほどの規模があった様です。
史実に登城するのは、諏訪市の上宮「当社神幸記」1531年頃の記述
にあります。武田・諏訪氏の戦いに笹尾塁が使われた事が伝えられて
います。
笹尾塁は、武田信虎が甲斐国を統一するにあたって、重要な城だった様
です。
笹尾塁はその後、武田家滅亡後の天正壬午の乱において、北条方の陣所
となりましたが、北条・徳川の和議後廃城となった様です。

現在は一部私有地となっているものの、公的に整備され城跡として見学
する事が出来ます。
本塁跡からは東に富士山を見る事も出来て、とても景色が良かったです(^-^)

<笹尾塁跡>
笹尾塁跡4.jpg

笹尾塁跡3.jpg

笹尾塁跡7.jpg

<笹尾塁からの景色>
笹尾塁跡6.jpg

笹尾塁跡5.jpg
左奥に富士山が見えます。

笹尾塁跡 富士.jpg
拡大するとこんな感じです。
とても良かったです(^O^)

日本の城を巡る
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2016年12月21日

谷戸城址     (山梨県北杜市)

山梨県北杜市にある谷戸城址に行ってきました。

<谷戸城址>
谷戸城址.jpg
住所:山梨県北杜市大泉町谷戸
駐車場あり(無料)

<谷戸城について>
谷戸城址8.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
先月ですが、北杜市にある谷戸城址に行ってきました。
谷戸城は平安時代末期に逸見清光(源清光)によって築城されたお城
です。源清光は甲斐源氏の祖である新羅三郎義光の孫にあたります。

源清光の子、武田信義の代になり頼朝からの参戦要請を受けるのです
が、その時頼朝の使者である北条時政を迎えたのがこの谷戸城との説
があります(異説もあり)

平安時代の城という事ですが、土塁や空堀などが綺麗に残っています。
国の史跡という事もあり、綺麗に整備されてますね。
甲斐武田氏の発展のきっかけにもなったお城、とても良かったです(^-^)

山城ではありますが、道も綺麗ですし大して登りませんので、気軽に
行くことが出来るかと思います。

<谷戸城址>
谷戸城址2.jpg
スタート地点。

谷戸城址3.jpg

谷戸城址4.jpg

谷戸城址5.jpg

谷戸城址6.jpg

谷戸城址7.jpg
谷戸城からは八ヶ岳が綺麗に見えます(^O^)

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2016年08月21日

真田信伊の墓 / 龍岸寺      (山梨県北杜市)

山梨県北杜市にある龍岸寺に行ってきました。

<龍岸寺>
龍岸寺.jpg
住所:山梨県北杜市長坂町長坂上条1666
駐車場あり(無料)
境内自由

北斗市の龍岸寺を訪問しました。
ここに真田昌幸の弟である真田信伊の墓があるという事での訪問です。
真田信伊は真田幸隆の四男。昌幸の弟にあたりますが、歴史的にもそんな
にメジャーな人物ではありません。
僕も正直ほとんどノーマークの人物でしたが、今年の大河ドラマ『真田丸』
では重要な役割を果たしており、改めて注目してみました。
真田信伊は松代藩の真田家とは別に江戸時代生き残り、子孫は旗本として
明治維新まで続くことになった様です。

そんな真田信伊の墓は知行地であった現在の山梨県北杜市にある龍岸寺に
葬られました。

<真田信伊の墓>
真田信伊の墓.jpg

ここには3代にわたっての墓があり、一番右側が信伊の墓です。

真田信伊の墓2.jpg

本堂の中には、今回の真田丸に関連する写真なども展示されていました。
大河で信伊を演じている栗原英雄はなかなかしぶいですね(^-^)

龍岸寺2.jpg

龍岸寺3.jpg

平成28年初夏ミニ旅
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著名人の墓
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大河ドラマの舞台
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2015年10月04日

天沢寺 / 飯富虎昌・山県昌景の墓     (山梨県甲斐市)

山梨県甲斐市にある天沢寺に行ってきました。

<天沢寺>
天沢寺2.jpg
住所: 山梨県甲斐市亀沢2609
駐車場あり(無料)
境内自由

天沢寺は武田家譜代・飯富兵部少輔虎昌の招きで鷹岳宗俊和尚が開山したのが
始まりと伝えられています。山県昌景が中興し、武田家の庇護のもと繁栄しま
した。武田家滅亡後も徳川家から寺領18貫文が寄進され庇護されていった
そうです。

天沢寺.jpg

天沢寺 山門.jpg
立派な山門は江戸時代後期の建築と推定されています。

武田家の名将・飯富虎昌と山県昌景の墓がこのお寺にあるという情報を入手した
ので今日訪問しました。
本堂や立派な山門は良いんですが、お墓が見つかりません。どこにも案内出てない
しどこにあるのかな〜と車に戻ってネットで検索していると、お寺の方から声を
かけられました。
「飯富虎昌のお墓はどちらですか?」って聞いたら親切に案内して頂いて、解説も
していただきました。

本堂を左側から回り込み、裏のお墓の中断よりやや上に飯富虎昌・山県昌景の供養
塔及びお墓がありました。

<飯富虎昌・山県昌景供養塔>
飯富虎昌の墓・山県昌景の墓2.jpg
こちらは近年造られた供養塔です。

その脇に小さなお墓ですが、飯富虎昌山県昌景の墓がありました。
飯富虎昌の墓・山県昌景の墓.jpg

飯富虎昌は武田家譜代の家臣。名将として名高く、武田家嫡男武田義信のおもり役
を努めます。
しかしながら、武田信玄と嫡男義信はうまくいかず、それにからみ飯富虎昌
は義信をたて武田信玄暗殺を企てたとして処刑されます。その企てを密告したのは
実弟の山県昌景であったとか。
だいぶ昔ですが、大河ドラマ『武田信玄』で、このシーンは今でも覚えているシーン
です。

虎昌と昌景の兄弟、信玄と義信親子、戦国時代は親類での血で血を洗う惨劇がいろ
いろありますね。虎昌・昌景のこのシーンは義信の為やむなくこの事態に追い込ま
れた飯富虎昌を、武田家家臣としてやむなく密告する山県昌景という状況だった
かと思います。
今日は、飯富虎昌・山県昌景のお墓をそんな大河のシーンを思い返しながら参拝し
てきました(._.)

大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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岩殿城          (山梨県大月市)

山梨県大月市にある岩殿城に行ってきました。

<岩殿城>
岩殿城.jpg
住所:山梨県大月市賑岡町強瀬81−1
駐車場あり(無料)

<岩殿山について>
岩殿山は9世紀末、天台宗の岩殿山円通寺として開創されたと伝えられる。
10世紀の初めには三重塔、観音堂、僧房その他建物が並び岩殿は門前町を
形成した。
16世紀に至り戦国大名領国制が成立する中で、武田、小山田両氏の支配を
受け岩殿山は岩殿城として武蔵、相模に備える戦略上の拠点とされた。
そして1582年武田、小山田両氏が滅亡すると徳川氏により利用されたが、
17世紀はじめに廃城となった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
今日は天気が良かったので、思い立って岩殿城に行ってきました。
岩殿城は国道20号からすぐのところにあり、山に大きく「岩殿城」の看板が
あるので、気になる城ではありましたが、なにぶん山城。制覇するには山登りの
覚悟が必要になります。せっかく登るなら晴れた日が良いですしね、今日はもって
こいの日でした。
岩殿城は歴史的には、1582年武田家滅亡のおり、武田勝頼が小山田信茂をたよ
り岩殿城に行こうとしますが、小山田信茂が寝返った事が明らかになり、天目山で
織田軍と戦い武田家は滅亡するという因縁の城です。

朝9時40分くらいに現地に到着。麓に10台くらい車を停めることが出来る駐車
場があります。着いた時点で7台くらい埋まってました。
ギリギリセーフです。
車を停め、岩殿山登山口に向かいます。岩殿城は城ではありますが、来ている人は
城を見に来ている人はほとんどいなくて、ほぼ普通の登山として来ている感じです。

登山口にこんな掲示が(笑)
岩殿城3.jpg
半沢直樹やってた時に作ったのかな。
山頂まで片道1キロです。山道の1キロはこたえます。

歩き始めて5分くらいで上の写真のお城の様な建物があります。これはふれあい館
という建物です。ここにトイレがあります。山にはトイレが無いので、行くならこ
こで入ってからです。

岩殿城8.jpg
途中まで階段があり、階段が終わると普通の山道です。それなりに山道を歩きます
ので、靴はしっかりとした靴が必要です。

岩殿城4.jpg
途中には巨大な岩がごろごろ。これは自然の岩を利用した城門があった場所です。

ヒーヒー言いながら歩く事30分ちょいで展望台に到着します。
岩殿城7.jpg
ここ、山頂かと思っちゃうんですけど、山頂ではありませんでした。
展望スポットです。ここからの眺望が一番綺麗な場所です。

岩殿城5.jpg
下に見えるのは中央自動車道です。

岩殿城6.jpg
遠くに見えるのは富士山。まだ冠雪はしてませんでした。
とても景色が良いです。苦労して登ってきたかいがありました(^-^)

この展望台のところに岩殿城の解説文もありました。
岩殿城9.jpg

ここから歩く事5分くらいで山頂に着きます。
岩殿城 山頂.jpg
山頂は携帯の電波塔かな、そんなのがありますが、景色はあまりよくありません。
景色はやはり手前の展望台ですね。

山頂の標高は634mです。これって、新潟の坂戸城と同じ標高です。
坂戸城も苦労して登りました。懐かしいです。
ちなみに東京スカイツリーも634mです

今まで八王子城、砥石城、坂戸城と登山がらみの山城を制覇してきましたが、
岩殿城も登って満足の山城でした(^O^)

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2014年07月09日

円光院     (山梨県甲府市)

山梨県甲府市にある円光院に行ってきました。

<円光院>
円光院.jpg
住所:山梨県甲府市岩窪町500−1
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
円光院は武田信玄公の先祖・逸見太郎清光が創建、清光院と号し、小石和に
あり、のち武田信守が父信重の位牌寺とし、成就院と改め1560年に信玄
公が当地に移し甲府五山の一つ円光禅院と改めた。
1570年信玄公正室三条夫人が50歳で逝去「圓光院殿梅岑宗蘤大禅定尼」と
号す。

円光院2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
武田家ゆかりの円光院に行ってきました。
ここには武田信玄公正室三条夫人のお墓があります。

円光院 三条夫人廟所.jpg

円光院 三条夫人廟所2.jpg

三条氏は京都の公卿三条公頼の二女で、1521年に生まれ1536年
に武田晴信に嫁し、1570年7月28日になくなっています。
武田信玄は夫人の生前その位牌所として円光院をあて死後、説三らの
名僧を請じて盛大に葬儀を行ったそうです。
このお墓(五輪塔)はその時につくられたものだそうです。

円光院 三条夫人廟所3.jpg

三条夫人というと、昔の大河ドラマ『武田信玄』での紺野美沙子のイメージが
強いです。のちの『風林火山』では池脇千鶴が演じています。

大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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2014年07月04日

積翠寺 / 武田信玄公生誕の地   (山梨県甲府市)

山梨県甲府市にある積翠寺に行ってきました。

<積翠寺>
積翠寺.jpg
住所:山梨県甲府市上積翠寺町984
駐車場あり
境内自由

<現地解説>
積翠寺は臨済宗妙心寺派の末寺で要害山城の南麓に位置し、古くは
石水寺と書いた。寺伝によると行基の開山。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
積翠寺に行ってきました。15年ぶりの訪問です。
1521年11月3日、武田信玄はこの寺で生まれています。

積翠寺 信玄公誕生時.jpg

当時、今川氏親の家臣福島正成が甲斐に侵攻しており、信玄の母である
大井夫人は躑躅ヶ崎館から要害山城に避難しようとしましたが、険しい
要害山を登れず、引き返してこの寺で出産したという事です。
要害山城にも「武田信玄公生誕之地」の碑がありましたが、実際には
この積翠寺の生まれになります。

寺自体は大きな伽藍があるわけでもなく、小さなお寺ですが、信玄誕生の
寺という碑と、お堂には武田信玄公の銅像がありました。

積翠寺 武田信玄公像.jpg

大河ドラマの舞台
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2014年07月03日

逍遙院    (山梨県甲府市)

山梨県甲府市の逍遙院に行ってきました。

<逍遙院>
逍遙院1.jpg
住所:山梨県甲府市桜井町999
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
逍遙院は武田信玄の弟・武田逍遙軒信廉が建てた自らの位牌所のお寺です。
武田信廉の位牌は信州岩村田竜雲寺の北高全祝の書を武田信廉が自ら彫ったものです。
この寺には別に、武田氏関係の古文書も保存されています。
武田信廉は武田信玄の実弟にあたり、一時信州高遠城の城代などをつとめたことも
あります。武田家滅亡の1582年3月に織田軍に捕らえられて相川河原で殺されまし
たが、武将としてよりもむしろ画家としてすぐれていたと言われています。
父武田信虎を写した武田信虎画像(大泉寺所蔵)は肖像画としてすぐれており、特に
有名です。

逍遙院2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
甲府市にある逍遙院に行ってきました。
国道140号バイパス(西関東道路)の入り口付近にお寺はあります。
ここは甲府から家に帰るときに毎度通るところなんですが、この寺の事は知らず、
初めての訪問です。
この寺には武田信玄の弟・武田信廉の墓があるというので行ってきました。

<武田信廉の墓>
武田.jpg
どこにも案内板が無いので分かりづらいですが、寺の正面から墓地に入りすぐのとこ
ろに大きい五輪の塔があり、その下に武田信廉の墓がありました。

武田信廉は武将というより文化人という感じの人物です。
ただ、武田信玄に非常に似ていたという事で、信玄亡き後影武者として信玄の
死を隠すために活躍した様です。

大河ドラマの舞台
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2014年07月02日

要害山城    (山梨県甲府市)

山梨県甲府市の要害山城に行ってきました。

<要害山城>
要害山城.jpg
住所:山梨県甲府市上積翠寺町
駐車場なし

<現地解説>
要害山城は1520年に武田信虎が築いた山城です。居館と政庁を兼ねた武田氏館に
対し、緊急時に立てこもる詰めの城としての役割を担っていました。
信虎・信玄・勝頼と三代にわたって使用され、武田氏滅亡後も修築再整備されました。
城は山腹から主郭に至る通路に沿って枡形虎口や郭が複雑かつ連続的に付設されて
いるほか、竪堀や堀切を要所に設けて防御を固めています。
山頂の主郭には規模の大きな建物が存在したものと推定されます。
南東尾根上には支城の熊城があり、深い堀切で区切られた連続的な小郭と畝状竪堀が
特徴的です。また、ふもとには根古屋の地名が残り、城番を勤める武士の屋敷が想定
されています。
要害山城は熊城とともに遺構の保存状態がきわめて良く、記録が豊富に残されてい
るなど、戦国期の山城の様相を今日に伝える貴重な山城です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
甲府にある要害山城に行ってきました。
ここは武田信玄生誕の地と言われる積翠寺の裏にある山城です。
山城という事で、主郭に行くには山登りになります。

要害山城2.jpg
こんな山道を進みます。比較的綺麗な道ですが、山道ですので、ちゃんとした
靴は必要です。
登山道には階段状に石が残っている場所がありますが、この石も古く、もしか
すると戦国期のものなのかもしれません。
随所に石垣なども残り、保存状況は比較的良い感じです。

要害山城 石垣.jpg

要害山城 門跡.jpg

要害山城 不動明王.jpg

登山道の入口から歩くこと片道25〜30分くらいで主郭に到着します。

要害山城 主郭.jpg
ぱっと開けた空間です。
ここにはかつて建物があった様です。
現在主郭には何もありません。
ただひとつ東郷平八郎元帥書「武田信玄公誕生之地」の碑のみあります。
武田信玄公はふもとの積翠寺の生まれと言われています。

要害山城 武田信玄公誕生の地.jpg

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2012年10月08日

清光寺  (山梨県北杜市)

山梨県北杜市にある清光寺に行ってきました。

<清光寺>
清光寺 総門.jpg
住所:山梨県北杜市長坂町大八田6600
駐車場あり(無料)
境内自由

1151年、谷戸城主源清光が信光寺を創建したのが始まり。
一端衰退するが、1475年悦堂宗穆和尚が中興、寺号を清光寺
と改め再び栄えます。
境内には源清光の墓があります。
源清光は新羅三郎義光の孫で1110年、源義清の子として生まれました。
父と開拓した逸見地方を拠点に勢力を広げ、谷戸城を築きました。
1168年59歳で谷戸城で没し、城の西側に葬られ、同所の五輪塔は
清光寺本堂裏山に移されて、再建されている。
源清光の二男信義は武田の庄で勢力を培い、武田氏の祖となった。

清光寺1.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山梨県北杜市の清光寺に行ってきました。
清光寺は新羅三郎義光の孫で、武田氏の祖武田信義の父にあたる
源清光の墓があります。

<源清光の墓>
源清光の墓.jpg

北杜市の中心からは少し外れたところに、古刹あり。
総門や本堂も見事な建築。いずれにも武田菱が入り、武田家ゆかり
の寺であることが分かります。

著名人の墓
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正覚寺  (山梨県北杜市)

山梨県北杜市にある正覚寺に行ってきました。

<正覚寺>
正覚寺1.jpg
住所:山梨県北杜市須玉町若神子2739
駐車場あり(無料)
境内自由

正覚寺は1129年、源義清が父・新羅三郎義光の菩提寺として創建したお寺です。
寺には甲斐武田氏の祖新羅三郎義光、その子義清の位牌が安置されています。
このお寺には武田信玄のいわれのある味噌なめ地蔵があります。
川中島の戦いのおり、川中島の地蔵様を甲州に移そうとしたが、この地で動かなく
なり、この寺に安置したそうです。
この地蔵は味噌なめ地蔵と言い、自分の体の悪いところと同じ場所に味噌を塗って
祈れば病気が治ると言われています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
車で走っていたら気になる石碑を発見。立ち寄りました。
「甲斐源氏始祖新羅三郎義光公菩提所」なんて書いてあるじゃない
ですか。こりゃびっくり。
新羅三郎義光は、八幡太郎義家の弟で、甲斐武田氏や佐竹氏などの
祖先になります。
そのお墓は滋賀県大津市の園城寺にあるそうですが、ここ正覚寺には
位牌があり供養塔が建立されています。

<正覚寺本堂>
正覚寺2.jpg

<新羅三郎義光の供養塔>
新羅三郎義光の供養塔.jpg

著名人の墓
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