2021年06月13日

旧二条城跡及び足利義輝邸跡   (京都市上京区)

旧二条城跡及び足利義輝邸跡に行ってきました。

<旧二条城跡及び足利義輝邸跡>
旧二条城跡.jpg
住所:京都府京都市上京区五町目町
駐車場無し

<旧二条城跡について>
旧二条城跡3.jpg

旧二条城跡及び足利義輝邸跡に行ってきました。
今も二条城はありますが、現存する二条城とこの二条城は違います。
この二条城は織田信長が足利義昭の為に築城したお城で、現在の二条城
の北東にありました。
現在は平安女学院という学校がある場所、ここに二条城はありました。
1569年に築城され、その後信長と敵対した義昭が槇島城で挙兵すると二条城
には伊勢貞興と三淵藤英らが配置されましたが、一戦も交えることなく降伏。
その際廃城となった様です。

それ以前には、足利義輝の館(二条御所武衛陣の御構え)がありましたが、
ここで松永久秀らの襲撃を受け義輝が殺されるとこちらも廃城となっています。

<足利義輝邸跡>
足利義輝邸跡.jpg

足利義輝邸跡2.jpg

どちらも現在は遺構等残っている訳ではなく、碑と説明文のみとなっています。

旧二条城跡2.jpg

令和2年〜3年 年末年始の旅
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日本の城を巡る
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大河ドラマの舞台
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2021年06月12日

紫式部・小野篁の墓    (京都市北区)

京都市北区にある紫式部と小野篁の墓を参拝しました。

<紫式部・小野篁の墓>
紫式部・小野篁の墓.jpg
住所:京都府京都市北区紫野西御所田町
駐車場無し

紫式部と小野篁の墓を参拝しました。
紫式部は私が解説するまでもありませんが、平安時代中期の歌人で
『源氏物語』の作者と言われる人物。

小野篁は平安時代初期の官吏。昼は官吏として朝廷に仕えながら、夜な夜な
冥府において閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたというあやしい
伝説を持つ人物です。

何でのこの二人の墓が並んであるのか??不思議です。
現地にも特に解説がありません。
あとで調べたらこんな事が分かりました。

紫式部は『源氏物語』で愛欲を描いた咎で地獄に落とされました。
その紫式部を、小野篁が閻魔大王にとりなしたという伝説に基づくもの
だそうです。

紫式部が地獄に落ちたという伝説はその後、源氏供養という式部と
源氏物語を供養するという風習となり日本各地で行われたという事。
こういう話は今回初めて知りました。ちとびっくりです。

<紫式部の墓>
紫式部の墓.jpg

<小野篁の墓>
小野篁の墓.jpg

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建勲神社     (京都市北区)

京都にある建勲神社に行ってきました。

<建勲神社>
建勲神社.jpg
住所:京都府京都市北区紫野北舟岡町49
駐車場無し
境内自由

建勲神社に行ってきました。
建勲神社は1869年明治天皇の命により創建された神社で織田信長を祀って
います。
1880年に船岡山に社地を賜り、社殿を造営し今に至ります。

<船岡山>
船岡山.jpg

船岡山2.jpg

船岡山は平安時代より和歌に詠まれる地で、室町時代には応仁の乱で西軍の陣
があった場所でもあります。
信長が本能寺の変で倒れ、山崎の戦いで秀吉が光秀を討つと秀吉は正親町天皇
の勅許を得て船岡山に信長を祀ろうとします。
以来船岡山は信長ゆかりの地となったそうです。

船岡山・建勲神社の場所は京都の北、大徳寺の南側。大徳寺に立ち寄った後
参拝しました。
信長を祀る神社という事で、多くの観光客が来ていました。
船岡山からの景色も良かったです。

京都観光の常ですが、この神社には駐車場が無いので車で行かない方が良い
です。

建勲神社2.jpg

建勲神社4.jpg

建勲神社5.jpg

建勲神社3.jpg
信長と言えば敦盛。敦盛の碑も境内にありました。

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2019年10月02日

浦嶋神社       (京都府伊根町)

京都府伊根町、浦嶋神社に行ってきました。

<浦嶋神社>
浦嶋神社2.jpg
住所:京都府与謝郡伊根町字本庄浜191
駐車場あり(無料)
境内自由

<浦嶋神社について>
浦嶋神社.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
浦嶋神社に行ってきました。
ここは浦島太郎のモデルになった浦嶋子を祀った神社です。

浦島太郎伝説はここ以外にもあり、ここはその伝説地のひとつになります。
浦島太郎って雄略天皇の頃の話だったんですね。かなり古い話です。

神社と、その隣には浦嶋公園という公園があり、浦島太郎の伝説を伝える
像などがあります。

<蓬山の庭>
浦嶋神社蓬山の庭.jpg

浦嶋神社3.jpg
神社に掲げられていた絵。弁慶と義経ですね。

<浦嶋公園にあった像>
浦嶋神社4.jpg

令和元年夏休み旅
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2019年09月29日

盛林寺で明智光秀の首塚を参拝   (京都府宮津市)

宮津市にある盛林寺に行ってきました。

<盛林寺>
盛林寺.jpg
住所:京都府宮津市字喜多696
駐車場無し

<盛林寺について>
盛林寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
盛林寺に行ってきました。宮津の市街地から南に10キロ弱の距離です。
盛林寺は元々一色氏の家臣小倉播磨守の菩提寺として建立された寺です。
その後、一色氏が攻め滅ぼされた後は細川氏によって庇護されました。

盛林寺3.jpg

この寺には明智光秀の首塚があります。これは光秀の娘で細川忠興の妻になって
いたガラシャがこの寺に光秀の首を葬ったというものです。
同じく京都の亀岡にも首塚がありますが、どちらに首が葬られているんでしょう。

<明智光秀の首塚>
明智光秀首塚.jpg

明智光秀首塚2.jpg

<三界唯心塔婆>
三界唯心塔婆.jpg

寺に駐車場は無い様です。僕は寺の前に停めて、ささっと観光してきました。

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蒲入展望台    (京都府与謝野町)

与謝野町の蒲入展望台に行ってきました。

<蒲入展望台>
蒲入展望台.jpg
住所:京都府与謝郡伊根町字蒲入
駐車場あり(無料)

経ヶ岬から伊根の舟屋に向かっているときに見つけた展望台です。
この辺は丹後半島先端部で、リアス式海岸が続いています。
国道沿いにあるので、ふらっと立ち寄る事が出来ます。

<蒲入展望台>
蒲入展望台4.jpg

蒲入展望台3.jpg

蒲入展望台2.jpg

蒲入展望台5.jpg

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大内峠一字観    (京都府与謝野町)

京都府与謝野町、大内峠一字観公園に行ってきました。

<大内峠一字観>
大内峠一字観.jpg
住所:京都府与謝郡与謝野町弓木3211
駐車場あり(無料)

天橋立を見るポイントは何ヶ所かありますが、ここ大内峠は天橋立
が横一線に見えるポイントで「大内峠一字観」と呼ばれます。

他の場所と違い、知名度が低いですしここに着くまで車でやや細い
道を走っていかなくてはならない事もあり、観光客はあまりいません。
ここに来るのは2回目ですが、天橋立を見る良い場所だと思っています。

<大内峠一字観>
大内峠一字観2.jpg

大内峠一字観3.jpg

大内峠一字観4.jpg

大内峠一字観5.jpg
昭和5年5月に、与謝野鉄幹・晶子夫妻が大内峠一字観を見に訪れています。
その時詠んだ詩が残されています。

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伊根の舟屋         (京都府伊根町)

京都府伊根町にある伊根の舟屋を見に行ってきました。

<伊根の舟屋>
伊根の舟屋3.jpg
住所:京都府与謝郡伊根町字平田
駐車場あり(無料)

伊根の舟屋を見に行ってきました。
舟屋は伊根湾の海面にせり出して建築されていて、1階に船揚場、物置、作業場があり、
2階が居室となっています。
舟屋は江戸時代から続く物で、この地の漁師たちの職住一体化した建物と言えます。
2000年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。

今回は伊根湾遊覧船で海から舟屋を見てきました。

<伊根湾遊覧船>
https://www.inewan.com/02yuransen.html

1航行25分(800円)
30分ごとに運行しています。
海から舟屋を見れて非常に良かったです。

<伊根湾めぐり遊覧船より>
伊根の舟屋4.jpg

伊根の舟屋5.jpg

伊根の舟屋6.jpg

伊根の舟屋2.jpg

伊根の舟屋.jpg

伊根の舟屋7.jpg

伊根の舟屋8.jpg

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2019年09月25日

経ヶ岬         (京都府京丹後市)

京丹後市にある経ヶ岬に行ってきました。

<経ヶ岬>
経ヶ岬灯台.jpg
住所:京都府京丹後市丹後町袖志
駐車場あり(無料)

<現地解説>
経ヶ岬は丹後半島の先端に突出した近畿最北端の岬です。
この岬の海岸には規則的な縦の割れ目をもち、何本もの柱が積み重なった様に
見える岩石が露出しています。
この割れ目は噴出した熱い溶岩が冷え固まる時に出来た柱状節理と呼ばれる
割れ目です。
この柱状節理の様子が、いくつもの経巻を立並べたよう見えることから
「経ヶ岬」の名前が付いたと言われています。
経ヶ岬には海抜140mの位置に灯台があり、ここから見える景色は「京都
百景」に選ばれています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
10年以上ぶりで経ヶ岬に行ってきました。
駐車場に車を停めて、そこから片道10分位歩いて経ヶ岬灯台へ。

真夏でとにかく暑いなか、汗かきながら灯台に到着。

<経ヶ岬灯台>
経ヶ岬灯台2.jpg

経ヶ岬灯台3.jpg

灯台付近は一応ひらけてるんですが、景色的には灯台に着く前の方が荒々しい断崖
が見えて凄かったです。

経ヶ岬2.jpg

経ヶ岬3.jpg

経ヶ岬.jpg

ちなみに、経ヶ岬には野生の猿がけっこうウロウロしてます。

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屏風岩展望台    (京都府京丹後市)

京丹後市にある屏風岩展望台に行ってきました。

<屏風岩>
屏風岩.jpg
住所:京都府京丹後市丹後町筆石
駐車場あり(無料)

<現地解説>
屏風岩は1500万年ほど舞えんい堆積した火山灰などの地層中に貫入したマグマ
が固まった物です。貫入した岩石は周囲の岩石より硬いため、削り残され、現在の
様な姿となりました。
この井田城の岩は屏風を立てたような形から「屏風岩」と言われています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
屏風岩展望台に行ってきました。
正直屏風岩というより、綺麗な海に魅了されました。沖縄の海を思わせる様な色。
ここが京都だという事を忘れる様な場所です。
京都ってとにかく海のイメージが薄いですからね。
いつまでも見ていたいような素晴らしい景色でした。

屏風岩2.jpg

屏風岩3.jpg

屏風岩4.jpg

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2018年02月14日

笠置寺     (京都府笠置町)

京都府笠置町にある笠置寺に行ってきました。

<笠置寺>
笠置寺.jpg
住所:京都府相楽郡笠置町笠置山29
駐車場あり
拝観料:300円

<笠置寺について>
笠置寺5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
笠置寺に行ってきました。創建年代は不明ながら飛鳥時代には既にあったという
古刹です。
僕がこの笠置寺に行ったのは、城巡りの一環もあっての訪問です。
鎌倉時代末期、後醍醐天皇は笠置寺に籠もり鎌倉幕府軍と戦います。
行ってみて思うのは、笠置山が巨大な岩が天然の要塞の様な形になっており、
まさに天然の城といえるものでした。

<笠置寺正月堂>
笠置寺3.jpg

<笠置寺本尊>
笠置寺 本尊.jpg
度重なる火災などで消えてしまった笠置寺本尊の弥勒磨崖仏です。
平成22年に特殊カメラによってその姿が映し出されました。

笠置寺 本尊2.jpg

<笠置石>
笠置寺4.jpg

笠置寺2.jpg

笠置石.jpg

<虚空蔵磨崖仏>
笠置寺6.jpg

笠置寺7.jpg
これは弘法大師作という虚空蔵磨崖仏です。

どうやって刻んだのかとても不思議です。梯子かなにかかけて刻んでいったの
かな〜。

<続きます>


続きを読む
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2016年09月11日

御霊神社     (京都府福知山市)

福知山にある御霊神社に行ってきました。

<御霊神社>
御霊神社.jpg
住所:京都府福知山市字中ノ238
駐車場あり(無料)

<御霊神社について>
御霊神社3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
福知山の御霊神社に行っていました。
福知山は明智光秀ゆかりの地。この御霊神社には明智光秀が御祭神と
して祀られているという事で訪問しました。

御霊神社2.jpg

御霊神社には明智光秀に関する古文書や資料も残されている様です。

境内に、頼山陽の碑が建ってました。
御霊神社 頼山陽 本能寺.jpg
お題は「本能寺」。江戸時代後期の歴史家。
その頼山陽による本能寺の変に関する評です。

御霊神社 頼山陽 本能寺2.jpg
光秀はちょっと甘かったのでは、という内容ですね。

確かに、味方すると思っていた細川忠興や筒井順慶らも光秀につかなかった事な
ど、事前の根回しは甘かったと言わざるをえないところはあるかと僕も思います。

平成28年夏旅 目指せ名護屋城ツアー
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福知山城    (京都府福知山市)

京都府福知山市にある福知山城に行ってきました。

<福知山城>
福知山城.jpg
住所:京都府福知山市字内記
駐車場あり(無料)

<福知山城について>
福知山城4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
福知山城久しぶりの訪問です(^-^)
福知山城は明智光秀が丹波を平定した後の縄張りで、娘婿の明智秀満を
城主としました。
しかし、本能寺の変で明智が滅ぶと、羽柴秀勝が、そして関ヶ原の戦い
の論功で有馬豊氏が入城します。
有馬豊氏は近世城郭として整備を行い、現在の福知山城の姿はこの時期
のものという事です。

あいにく明治維新後の廃城令で破却されましたが、昭和61年に再建
された鉄筋コンクリートの天守があります。

福知山城5.jpg

RC造という事ですが、外から見ると木造の様な雰囲気を感じさせ、
再建天守としては良い雰囲気を出しているなと思いました。

この日は朝早く訪問したので天守の中には入ることが出来ませんでした。
天守に登れば市内を広く見渡すことが出来そうです(^-^)

<福知山城>
福知山城7.jpg

福知山城3.jpg

福知山城6.jpg

福知山城2.jpg

<福知山城からの景色>
福知山城からの景色.jpg

福知山城からの景色2.jpg

平成11年訪問時の写真。上の写真と同じ方向を撮ったものです。
福知山城からの景色3.jpg

平成28年夏旅 目指せ名護屋城ツアー
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日本の城を巡る
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2016年09月06日

猪崎城址    (京都府福知山市)

京都府福知山市にある猪崎城址に行ってきました。

<猪崎城址>
猪崎城.jpg
住所:京都府福知山市猪崎城山
駐車場あり(無料)

<猪崎城について>
猪崎城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
猪崎城址に行ってきました。
福知山城から見て由良川を挟んで北側対岸にあるお城です。
明智光秀が福知山城を築くまで、この地の防衛の拠点はこの猪崎城
でした。
築城したのは塩見利勝と言われており、戦国時代前期の山城です。

今も土塁の跡などが残り、城址公園として綺麗に整備されています。
猪崎城3.jpg

猪崎城4.jpg

猪崎城址からの景色です。
猪崎城5.jpg

遠くに福知山城が見えます。
猪崎城から見た福知山城.jpg

猪崎城6.jpg

場所は少し分かりづらかったです。
三段池公園という公園を目指して行って、その南西側という感じです。

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2015年07月15日

円隆寺       (京都府舞鶴市)

京都府舞鶴市にある円隆寺に行ってきました。

<円隆寺>
円隆寺 舞鶴1.jpg
住所:京都府舞鶴市引土72
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
奈良時代に行基が開き、平安時代に皇慶上人が中興した古刹。往時は知恩院、
成就院、理正院、吉祥院等、七十坊を擁する大規模なものであったが、1595年
の山崩れで知恩院など四坊を残すのみで他は壊滅した。

本堂、総門、多宝塔、鐘楼、鎮守堂からなり、本尊は三体一具の木造阿弥陀・薬師
釈迦如来座像いずれも重要文化財で平安時代の定朝の作出である。

<本堂>
円隆寺 舞鶴2.jpg

<多宝塔>
円隆寺 舞鶴3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
舞鶴の円隆寺に行ってきました。
かつては大寺院であったという円隆寺、寺域は広く、残る本堂と多宝塔からはかつて
の大寺院の面影を感じます。

田辺城の北側の一角に寺が並ぶエリアがあります。この円隆寺もその一角にあります。
平安時代から国司が赴任し町が栄え、戦国時代には細川氏の入城により栄えたこの町
の過去をうかがうことが出来る様な気がします。

円隆寺 舞鶴4.jpg
寺の植生から見て、おそらく紅葉時には綺麗なのかなと思われます。
そういう時期にも行ってみたいです(^-^)

平成27年GWの旅
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2015年07月09日

養源院        (京都市東山区)

京都市東山区にある養源院に行ってきました。

<養源院>
養源院.jpg
住所:京都府京都市東山区三十三間堂廻り町656
駐車場無し
拝観:9時〜16時
料金:500円

<現地解説>
豊臣秀吉の側室淀殿が父の浅井長政の追善のため、1594年に政伯法印を
開山として建立した寺で、長政の法号「養源院」を寺号とした。

養源院2.jpg

建立後まもなく火災に遭ったため、1621年に淀殿の妹で徳川秀忠夫人
の崇源院が伏見城の遺構を移して本堂を再建し、以来徳川家の菩提寺となり、
歴代将軍の位牌を祀っている。
本堂の廊下の上の天井は、関ヶ原の合戦前、家康の命を受けて伏見城を死守
した鳥居元忠以下の武士が自刃した時の廊下の板を天井に上げ、その霊を
弔ったもので、俗に血天井として知られている。
本堂の杉戸及びふすまの絵は俵屋宗達の筆によるもので、杉戸には唐獅子、
白象、麒麟等の珍しい行動が描かれており、奇抜で新鮮味にあふれ、中学
高校の美術の教科書にも用いられている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
養源院に行ってきました。
前日、この近くの智積院の宿坊に泊まり、そこから歩いて行ける範囲で観光し
ました。三十三間堂は何度も行っているので、その近くを散策していると、
「血天井」なる文字を発見。気になって立ち寄りました。

養源院3.jpg

以前、徳島の丈六寺で長宗我部元親に惨殺された武将の血が染みついた血天井を見た
事がありました。なので同じようなのかなと思いました。

結論から言うとその通りなんですが、そもそもこのお寺が伏見城の遺構だという
事に驚きました。
関ヶ原の戦いで、伏見城に籠もった鳥居元忠は石田三成方の攻撃を受け全滅。
元忠以下武将は自刃します。関ヶ原の戦い序章の有名なシーンですね。
鳥居元忠らが自刃した伏見城の廊下の板を、そのままこの養源院の天井にした
っていうんですからすごい話です。昔だからそういう事があるんでしょうけど、
今の感覚からいったら考えられません。

お寺の方が解説をしてくれます。
天井の部分部分を説明してくれました。鳥居元忠の影と言われる部分があり、
確かに血の色と人の形の様なものが見えます
その他、部下の血の跡とか、まざまざと見えます。こりゃ恐い・・・。
写真不可なので、写真はありません。
写真OKと言われても撮るのを躊躇してしまいます。本当に恐いです。

お寺のゆかりも淀殿が浅井長政を祀ったもの。
そこに敵方であった家康の家臣のゆかりのものがあるのも不思議な感じが
しました。

今回のGWの旅で一番衝撃を受けたのがこのお寺でした。
三十三間堂の隣にあるお寺ですが、こんな所がある事を全然知りませんでした。
歴史マニアとしては、恐かったけど見る事が出来て良かったです。

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大河ドラマの舞台
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2015年05月31日

静神社         (京都府京丹後市)

京都府京丹後市にある静神社に行ってきました。

<静神社>
静神社.jpg
住所:京都府京丹後市網野町磯
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
悲劇の英雄源義経の愛妾であった静御前を祀っているのがこの神社です。
静は磯の禅師の娘として生まれ、京に出て白拍子となり義経に見そめられる
のですが、義経が追放された後は故郷に戻り晩年を過ごしたという事です。

義経が磯の惣太という船持ちの豪族にあてた手紙が残っていたという江戸
時代の記録もあります。しかし、この手紙や多くの遺品は天明2年の大火
で神社とともに焼失してしまいまい残念ながら残っていません。
現在の社も元のところから西へ200m離れた位置に建てられ、静御前の
木像を祀っています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
静神社に行ってきました。
前にも書きましたが、静御前の晩年はよく分かっていない様です。
淡路島や埼玉の栗橋にも墓が残っています。義経を追って奥州に向かう途中で
病になり亡くなったという話もあります。
いろいろ伝説があって、思いを巡らせると面白いですね。

静神社はその静御前を祀っていますが、江戸時代の火事で燃えて今は再建された
ものだそうです。本当に小さな社です。
神社の入り口に静御前の碑がたっていました。

静神社2.jpg
「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」の詩が刻まれて
います。
これは頼朝に召し出された静御前が鶴岡八幡宮で舞った際に歌ったもので、義経を
慕う詩であった事から頼朝を激怒させたというものです。

平成27年GWの旅
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2015年05月24日

静御前生誕の地     (京都府京丹後市)

京都府京丹後市にある静御前生誕の地に行ってきました。

<静御前生誕の地>
静御前生誕の地2.jpg
住所:京都府京丹後市網野町磯
駐車場なし

<現地解説>
静御前はこの地に生を受け、父は磯野善次といい「磯の衆」と呼ばれた海士の
一族であった。幼名を静尾といい7歳で父を牛無し母に連れられて都へ上った。
母は白拍子として有名になり、静かも都で指折りの白拍子へと成長していった。
やがて源義経に見初められ、愛妾となるが義経はその後、兄頼朝に追われる身
となり、離ればなれに、その後疲れ果てた身を休めるため生まれ故郷の磯へと
帰ってきた。
静は眺望の良い三つ塚法成に草庵を結び、義経の無事と由比ヶ浜で殺された
愛児の冥福を祈りつつ花月を友として暮らしたと伝えられている。
また一説には草庵は静の出生地の屋敷跡で母娘共々余生を送ったとも言われ
ている。今もこの屋敷跡下の海岸を「尼さんの下」と言っている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
京丹後市にある静御前生誕の地に行ってきました。
静御前って丹後半島の出身だったんですね、知りませんでした。
海岸沿いを走る県道665号線から磯の集落に入った奥に生誕の地碑があります。

静御前生誕の地.jpg
これが県道からの案内板。この先には車で入れません。

静御前生誕の地3.jpg
こういう道無き道を歩き、ここは個人の私道か?、歩いて大丈夫かと不安になりな
がら進み、民家の裏に上の「静御前生誕の地」碑を発見しました。

日本海に面した集落の奥にひっそりとこういう碑があるんですね。
静御前生誕の地4.jpg
そこからの風景です。

静御前の墓は淡路島や埼玉県久喜市の栗橋駅の前にあったり、義経を追って奥州に
向かって途中で亡くなったとかいろんな伝説がありますね。
まあよく分かってないんでしょうね。

源平の話の中で静御前は欠かせない人物で、ひとつのアクセントになっていますね。
いろんな伝説があって、それを思って歴史を見ると面白いなと思います。

平成27年GWの旅
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大河ドラマの舞台
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2015年05月18日

細川ガラシャ隠棲地     (京都府京丹後市)

京都府京丹後市にある細川ガラシャ隠棲地に行ってきました。

<細川ガラシャ隠棲地>
細川ガラシャ 隠棲の地.jpg
住所:京都府京丹後市弥栄町須川
駐車場あり(無料)

京都府京丹後市にある細川ガラシャ隠棲地に行ってきました。
細川ガラシャは明智光秀の娘で、細川忠興に嫁ぎます。

<細川ガラシャ略伝・クリックすると拡大します>
細川ガラシャ略伝.jpg

本能寺の変で、織田信長が明智光秀に討たれ、明智光秀は娘婿である細川忠興に
味方するように書状を出します。
しかし細川忠興及びその父細川藤孝は光秀の誘いにのりませんでした。
逆臣明智光秀の娘という事で、殺されそうになったガラシャを忠興は丹後半島の
味土野に幽閉します。
ガラシャはこの味土野で2年間を過ごすことになります。

今回訪問したのがその味土野(みどの)です。
途中までは道路状況は良いのですが、ラスト3キロからが地獄の道のりとなり
ました。
味土野にむけて坂道を登って行きます。道路はどんどん狭くなり、一番狭い所
では2mそこそこという状況です。しかもガードレール無し(^^;

細川ガラシャ 隠棲の地4.jpg

すれ違える場所も少ないんです。前から車が来ないことを祈ります。

そんな道を走り行き止まり地点に味土野の里があります。
山奥深いところにガラシャは幽閉されていたんですね。

細川ガラシャ 隠棲の地2.jpg
本当に山以外ありません。民家も見当たりません。

細川ガラシャ 隠棲の地3.jpg
男城と女城といううのがあり、女城がガラシャの幽閉されていた場所。
ここに隠棲地の碑があります。
ここを見渡す先の丘に男城があります。こちらはガラシャを警固するため置かれた
城だそうです。

無事隠棲地を訪問して、帰り路につきます。
ここで悪夢が。。。
前から車が来てしまいました(>_<)

さあどうする。お互い動かず(動きたくない)
結局仕方なく自分がバックする事に。こっちはバックでしかも登りを戻る
事になるんですが(^^;
前に進むのも恐いところで、バックで登り。しかもこっちはMT車ですよ。
もう生きた心地がしません。すれ違える場所まで戻るのに10分以上はかかり
ました。神経をすり減らし、へとへとに。

味土野に来ることは二度と無いでしょう。
人生で最初で最後の到達でした。

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2015年05月17日

田辺城      (京都府舞鶴市)

京都府舞鶴市にある田辺城に行ってきました。

<田辺城>
田辺城.jpg
住所:京都府舞鶴市南田辺15−22
駐車場なし(近隣コインパーク利用)

<現地解説>
田辺城は舞鶴城とも称され、その築城は戦国群雄のなかで智将であり歌聖と
言われた細川藤孝が1580年8月、織田信長より丹後国をあてがわれ、摘子
細川忠興とともに縄張りしたことにはじまり、1582年に完成したと言われ
ている。
1600年7月、石田三成方15000騎の大軍に攻められた細川藤孝は、わず
か500人の兵力で田辺城に籠城して50余日を戦った。
古今和歌集の秘伝の継承者であった細川藤孝が八条宮智仁親王の使者に古今相伝
の箱に和歌一首を添えて献上した、世に言う古今伝授は籠城のさなかの事である。
その後細川忠興は関ヶ原の戦いの功により豊前中津に加封され、代わって京極高知
が入国。1622年京極高知の遺命により丹後国を二分し、庶子の京極高三が
城主となって3万5000石を領し田辺藩が成立した。
1668年京極氏が但馬豊岡に移封のあと牧野親成がこれにかわり、以後牧野氏
が明治2年の版籍奉還まで代々田辺藩主として在城した。

城は細川氏の築城後、京極氏・牧野氏が拡張・改修を行い現在の舞鶴公園地にあた
る本丸を二の丸・三の丸・外曲輪とそれぞれの堀が囲む輪郭形式の平城として整備
されさたに東の伊佐津川、西の高野川、南の低湿地、北の湾海は惣構としての役割
をはたした。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
舞鶴市にある田辺城に行ってきました。
田辺城は別名「舞鶴城」と言い、明治維新後に城の名前から舞鶴藩と改称された
事から現在の地名舞鶴市の由来になったものです。

田辺城が歴史的な表舞台に出るのは関ヶ原の戦いです。
石田三成方の小野木重勝や前田茂勝率いる15000の兵に対し、500余の兵力で
籠城した細川藤孝の籠城戦です。
最終的には後陽成天皇の仲介で和解。藤孝は城を明け渡しますが、2ヶ月近く
15000の兵をくぎ付けにし、この兵力は関ヶ原に駆けつける事が出来なかったと
いう事で、関ヶ原の戦いにも影響を及ぼした籠城戦と言えるかと思います。

現在田辺城は昭和に入ってから再建された二層櫓の彰古館があり、簡単な博物館とし
て田辺城の歴史などが展示されている他、舞鶴公園として憩いの場となっています。

<田辺城>
田辺城2.jpg

田辺城3.jpg

田辺城4.jpg

田辺城5.jpg

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日本の城を巡る
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2015年05月13日

五老ヶ岳公園     (京都府舞鶴市)

京都府舞鶴市にある五老ヶ岳公園に行ってきました。

<五老ヶ岳公園>
五老ヶ岳公園.jpg
住所:京都府舞鶴市上安237
駐車場あり(無料)

五老ヶ岳公園は近畿百景第1位に選ばれた舞鶴湾の美しいリアス式海岸や舞鶴市街地、
国際ふ頭である舞鶴国際ふ頭が一望することができる公園です。
舞鶴のちょうど中心に立地し眼下に眺める事が出来る五老ヶ岳の山頂に整備されて
います。

僕は2回目の訪問なんですが、前に来たときに良い場所だったなという記憶がありま
した。行ってみて改めてその眺望に感動しました。やっぱ良いですね(^-^)
ここは夕暮れ時なんかも良いんじゃないでしょうか。
穏やかな舞鶴湾を眺めると心穏やかな気分になります。

<五老ヶ岳公園からの眺望>
五老ヶ岳公園2.jpg

五老ヶ岳公園3.jpg

五老ヶ岳公園4.jpg

五老ヶ岳公園5.jpg

【大きい画像・クリックすると拡大します】
(クリック後もう一回クリックすると更に拡大します)
五老ヶ岳公園  大.jpg

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2015年05月08日

普門寺の藤とつつじ   (京都府福知山市)

京都府福知山市にある普門寺に行ってきました。

<普門寺>
普門寺 福知山.jpg
住所:京都府福知山市大江町南有路1247
駐車場あり(無料)
境内自由

普門寺は室町時代の創建で、応仁の頃兵火に焼かれ現地に移ります。
文亀年間(1501〜1504)に伽藍を再興し、門前は繁栄して市をなしま
した。
その後幾多の盛衰をを経て田辺城桂林寺の末寺となります。
1791年火災にあい、山門のみ残して焼失、1799年に再建されます。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
室町時代からの古刹普門寺に行ってきました。
お寺の歴史的由緒もそうですが、このお寺に白藤があるというので行ってみました。
この普門寺に来る前に京都府の天然記念物である才ノ神の藤を見てきました。
才ノ神の藤から距離にして数キロのことろに普門寺はありますので、一緒に見ると
良いかと思います。

<普門寺の白藤・平成27年5月3日撮影>
普門寺の白藤1.jpg

普門寺の白藤2.jpg

普門寺の白藤3.jpg
白藤って珍しいですね。
埼玉県さいたま市にある青葉園にも白藤がありました。僕の中で印象に残って
るのはここの白藤くらいでしたから、久しぶりに白藤を見ました。

<青葉園・山下奉文大将遺愛の白藤>
http://rover.seesaa.net/article/94783853.html

普門寺の藤(こちらは普通の藤です)
普門寺の藤1.jpg

あと見事だったのはつつじ。こんなにつつじが綺麗とは。結構な規模でつつじ
が植えられていました。

<普門寺のつつじ・平成27年5月3日撮影>
普門寺 つつじ.jpg

普門寺 つつじ2.jpg

普門寺 つつじ3.jpg

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2015年05月07日

才ノ神の藤     (京都府福知山市)

京都府福知山市にある才ノ神の藤を見てきました。

<才ノ神の藤>
才ノ神の藤.jpg
住所:京都府福知山市大江町南有路
駐車場あり(無料)
藤見学に関して協力金(寸志)あり

<現地解説>
才ノ神の藤は樹齢2000年、当地に自生したやま藤です。京都府の天然記念物
にも指定されている名木です。
藤は東西32m、南北27mの藤棚に支えられ、太古の昔から悠久の時の流れの
中で脈々とその命を育んできました。
藤を支えるケヤキもまた樹齢2000年の古木です。
ご神木として大切に保存されてきましたが、度重なる落雷のため、今はその一部
を残すのみとなっています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
福知山(旧大江町)にある才ノ神の藤を見に行ってきました。
この藤の木は京都府指定の天然記念物です。
この藤について知っていた訳ではありません。現地を走っているときにこの藤に
関する案内看板が出ていたので立ち寄った次第です。

この藤の木の樹齢は2000年。藤を支えるケヤキも同じく2000年の樹齢という
事です。すごいですよね、この樹齢。
埼玉に牛島の藤っていう樹齢1200年、特別天然記念物の藤があります。
これが最古の藤かと思ってましたが、才ノ神の藤の方が古いんですね。

神話の中で、この藤の木の下で才ノ神を名乗る老人の話があり、藤の木の下に
才ノ神を祀る社があります。

才ノ神の藤7.jpg
ここから才ノ神の藤という名前になった様です。

5月3日に訪問しましたが、藤は満開。藤棚の下に入ると藤の良い香りがしま
した(^-^)

<才ノ神の藤・平成27年5月3日撮影>
才ノ神の藤2.jpg

才ノ神の藤3.jpg

才ノ神の藤4.jpg

才ノ神の藤5.jpg

才ノ神の藤6.jpg

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2014年04月29日

妙心寺     (京都市右京区)

京都市右京区にある妙心寺に行ってきました。

<妙心寺>
妙心寺.jpg
住所:京都府京都市右京区花園妙心寺町1
境内自由:雲龍図等拝観(500円)
駐車場あり

妙心寺は花園天皇(1296〜1348)が離宮を営まれた地に、その後
関山慧玄を招き離宮を改めて禅寺としたのが始まり。
臨済宗妙心寺派の大本山で、全国に3500寺を傘下に治める大寺院です。
応仁の乱で伽藍を焼失しますが、その後雪江宗深により中興されています。
今ある建物の多くが1500年代後半〜1600年代に再建されています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
妙心寺に行ってきました。
地図で見ても本当に大きな寺域を誇ることが分かります。
京都では西の御所とも言われるそうです。
寺域には多くの塔頭があり、歩いていても現在地がよく分からなくなる
様な感じでした。ちょっと迷路チックです。

妙心寺 仏殿2.jpg
こんなところが続くとよく分からなくなりますよね。

表門からじゃなくて、北側から来たので迷いましたが、本堂(大方丈)付近
に到着。中を拝観する事にしました。
500円払うと、案内が始まるまで待ちになります。案内役のもと拝観する
事の様で、タイミングが悪いと30分位待ちという事になりそう。
僕も15分待ちとなりました。
まず重要文化財の法堂(はっとう)の中に入ります。

<法堂>
妙心寺  法堂.jpg

法堂の天井には、狩野探幽の傑作「雲龍の図」が描かれています。
壮大な天井画です。
写真撮影不可の為、拝観でもらった紙のパンフレットを写真で撮った
ものをアップします。

妙心寺  雲龍図.jpg

狩野探幽が何年もの年月をかけて描いた作品です。
見る位置により、様々な見え方をする龍になります。法堂内では、皆で
見る位置を変えながら説明を受けるような感じでした。

法堂が終わると、明智光秀を祀るために作られた浴室(何故に浴室!?)
を見学しました。本能寺の変の後、明智光秀は妙心寺を訪れ、自害しよ
うとしたのを住職が思いとどまらせたという様な話があるそうです。
本当ですかね??

<仏殿・重要文化財>
妙心寺 仏殿.jpg

平成26年春の京都
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等持院     (京都市北区)

京都市北区にある等持院に行ってきました。

<等持院>
等持院 方丈.jpg
住所:京都府京都市北区等持院北町63
拝観:500円
駐車場あり

1341年足利尊氏が天竜寺の夢想国師を開山に迎え、衣笠山の南麓に
創建されたのがこの等持院です。後に尊氏・義詮将軍当時の幕府の地
にあった等持寺もこちらに移されて足利将軍家歴代所の菩提所となりま
した。応仁の乱の戦火や火災に見舞われましたが、豊臣秀吉も秀頼に
建て直させたほどこの寺を重んじました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
足利将軍家菩提所の等持院に行ってきました。
龍安寺から歩いて5分位の場所で、立命館大学の脇のひっそりと
したところにあります。
ちょっとマニアな観光スポットなので、賑わう近隣の仁和寺・龍安寺・
金閣寺の雑踏からは嘘のような静けさです。

見所は福島正則創建の方丈、夢想国師作と言われる庭園、足利尊氏墓所、
足利歴代将軍の木像などを飾った霊光殿など。
写真不可だったので掲載できませんが、足利歴代将軍の木像が鎮座する
霊光殿はとても威厳があって良かったです。

<庭園・夢想国師作>
等持院庭園1.jpg

等持院庭園2.jpg

<足利尊氏墓所>
等持院 足利尊氏墓所.jpg
庭園内にある足利尊氏墓所です。

著名人の墓
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平成26年春の京都
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2014年04月26日

龍安寺    (京都市右京区)

京都市右京区の龍安寺に行ってきました。

<龍安寺>
龍安寺.jpg
住所:京都市右京区龍安寺御陵下町13
石庭拝観:500円
駐車場あり(石庭拝観者は1時間無料)

<現地解説>
龍安寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、1994年に世界文化遺産に登録された。
もと徳大寺家の別荘であったが、1450年に細川勝元が譲り受け、妙心寺
の義天玄承を招いて禅院とし、玄承はその師日峰宗舜を開山として、自らは
創建開山となった。一時応仁の乱により焼失したが、1499年に細川政元
が再興し、その後名僧が相次いで住し、豊臣秀吉や徳川氏も寺領を寄付する
などして、最盛時には塔頭23を数えるほど栄えた。
しかし、1797年に火災に遭い、その後次第に再建されたが、盛時の寺観
は復興していない。
方丈庭園は室町時代末期の作と伝えられ、枯山水の石庭として有名である。

龍安寺 石庭.jpg



長方形の敷地の中に白砂を敷き、15個の石を配し、一木一草も用いず
象徴的に自然を映し出しており、枯山水庭園の極致を示した物と言える。
あたかも渓流を虎が子を連れて渡っているようにも見えるため
「虎の子渡し」とも呼ばれる。

龍安寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
龍安寺に行ってきました。ここも12年ぶりの訪問です。
龍安寺と言えば石庭という程有名な枯山水庭園があります。
上に写真をつけましたが、その庭園目当てに来る観光客がほとんどです。
まあ正直言うと、他にも良い枯山水庭園ってあるだけに、際だって
ここが良いかというと、個人的には考えてしまいます。

今回は龍安寺に桜を見に行ってきました。
龍安寺と桜ってあまり結びつかないですが、寺内に桜苑なるものがあって
枝垂れ桜、八重桜を見ることが出来ます。

<龍安寺の桜・平成26年4月16日撮影>
龍安寺 桜1.jpg

龍安寺 桜2.jpg

龍安寺 桜3.jpg

龍安寺 桜4.jpg

龍安寺 桜5.jpg

<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

平成26年春の京都
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2014年04月23日

退蔵院     (京都市右京区)

妙心寺の塔頭のひとつ、退蔵院に行ってきました。

<退蔵院>
退蔵院1.jpg
住所:京都府京都市右京区花園妙心寺町35
拝観料:500円

臨済宗大本山妙心寺の山内は、石畳で結ばれた一つの寺町を形作って
おり、46もの塔頭があります。
その中でも退蔵院は1404年に建立された山内屈指の古刹です。
方丈(本堂)は開祖無因宗因禅師をお祀りしています。
退蔵院にはこの方丈を取り囲むように作庭された枯山水庭園「元信の庭」
、池泉回遊式庭園「余香苑」と異なる趣きの庭園が広がり、1年を通じて
多くの樹木や草花に彩られます。

<元信の庭>
退蔵院 元信の庭.jpg

<余香苑>
退蔵院3.jpg

<石庭>
退蔵院2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
妙心寺退蔵院に行ってきました。
妙心寺自体久しぶりに行きましたが、多くの塔頭があり、寺域も広く
本当に大きなお寺だなという印象です。
そのなかの一つ、退蔵院で枝垂れ桜が見頃というので行ってきました。
ここの桜は、平成25年のJR東海「そうだ京都行こう」のポスターの
写真に使われています。

平成25年 JR東海「そうだ京都行こう」ポスター
http://souda-kyoto.jp/campaign/img/archives/2013_spring.jpg

さて桜ですが、ちょうど満開を迎えていました。
ただ、ポスターの様なくっきりとしたピンク色には写真を撮れません
でした。青空じゃなかったのも残念です。でも、こういう枝垂れ桜は
風流ですね。石庭との借景もとても良かったです。

<退蔵院の桜・平成26年4月16日撮影>
退蔵院 桜.jpg

退蔵院 桜2.jpg

退蔵院 桜3.jpg

<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

平成26年春の京都
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2014年04月20日

上賀茂神社    (京都市北区)

京都市北区にある上賀茂神社に行ってきました。

<上賀茂神社>
上賀茂神社.jpg
住所:京都市北区上賀茂本山339
駐車場あり(有料)
境内自由

上賀茂神社は賀茂別雷神社と言い、創建は古く7世紀末にはすでに有力な神社となっており、さらに平安建都以降は国家鎮護の神社として朝廷の崇敬を集めていました。
社殿は11世紀初頭までに現在に近い姿に整えられましたが、その後衰微し、1628年に再興されました。
この時の整備は境内全体におよび、記録や絵図を参考に平安時代の状況が再現されています。
再興後は本殿造替が7回実施されており、現在の本殿と権殿は1863年に再建されたものです。
国宝の本殿と権殿は同大・同形式の建物で、東西に並んで配されています。
これらの他、境内には拝殿以下34棟の重要文化財の建物が残り、古代の神社景観を
現在に伝えています。なお京都三大祭のひとつである葵祭が催されるなど、様々な神事や祭事の舞台としても親しまれています。

<細殿>
上賀茂神社2.jpg

<拝殿>
上賀茂神社3.jpg

<楼門>
上賀茂神社4.jpg

<境内>
上賀茂神社5.jpg
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
久しぶりに上賀茂神社に行ってきました。
上賀茂神社は雷の神を祀る神社っていう事で、その歴史も古い由緒ある神社
です。ここに以前来たのはもう10年以上前。ほとんどうる覚え状態です。
今回は上賀茂神社の桜を見ようと思い訪問しました。

京都駅からバスに乗り、約30分。
一応京都市バスの均一料金区間内にあるので、1日パスも利用出来ます。
桜は一面に咲くという感じではなく、1本1本の枝垂れ桜が美しいという
雰囲気。
長くなってきたので、写真は続きをごらんください。

<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

平成26年春の京都
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油小路の変に関する碑   (京都市下京区)

京都市下京区にある油小路の変の碑を見てきました。

<油小路の変に関する碑>
油小路の変 新選組.jpg
住所:京都市下京区油小路通木津屋橋上ル
駐車場なし

<現地解説>
新撰組の参謀であった伊東甲子太郎が意見の相違から新撰組から脱党し御陵衛士(高台寺党)となります。
その後薩摩藩の援助を受け盛んに倒幕を説きました。
しかし新選組との対立は深く、1867年11月、近藤勇らは伊東を招いて酒を振る舞い、酔った伊東をその帰路にこの地で刺殺しました。
この知らせを聞いた伊東一派は直ちに駆けつけましたが、待ち伏せしていた新選組数十名の隊士に襲われ藤堂平助らが殺されます。これを世に油小路七条の変と言います。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新選組関連の史跡めぐりという事で、油小路の変の現場に行ってみました。
京都駅から近く、大体の場所は分かっていたんですけど、碑とかあるのかとか全然知らずにとりあえず油小路を歩いてみることにしました。

油小路の変 新選組2.jpg
現地は至って何の変哲もない通りです。

歩いていたら見つけたのがこの記事の上の写真です。
「伊東甲子太郎他数名殉難之跡」と書いてありました。
伊東甲子太郎は新選組に殺され、七条油小路の交差点付近に死体が晒されたそうです。
今の七条油小路交差点がこちら。
七条油小路交差点.jpg

碑以外には当時を思わせるようなものは何もありません。

新撰組関連の史跡
http://rover.seesaa.net/article/26835008.html

平成26年春の京都
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2014年04月17日

仁和寺 / 御室の桜    (京都市右京区)

京都市右京区にある仁和寺に行ってきました。

<仁和寺>
仁和寺 山門.jpg
住所:京都府京都市右京区御室大内33
入場料:500円
駐車場あり(有料)

仁和寺は真言宗御室派総本山のお寺。
本尊は阿弥陀如来、は宇多天皇で出家後宇多法皇が住んだことから
御室御所と言われます。
皇室のゆかり深いお寺で、明治時代に至まで住職を皇室の人物が努めています。

金堂は1613年に建築された旧内裏紫宸殿を移築した物で、当時の宮殿建築
を今に伝える最古の建造物だそうです。

<金堂・国宝>
仁和寺.jpg

<五重の塔・重要文化財>
仁和寺 五重塔.jpg
高さは36.18m。

今回仁和寺に行ったのは、御室の桜を見るためです。
永年の悲願でした。
御室の桜の特徴は樹高が低く、根本より単弁の香りの高い白花を咲かせる
事です。開花はソメイヨシノより1週間から10日遅く、京都の春の終わり
を飾ります。起源は古く平安時代にまで遡りますが、現在のものは江戸時代
初期に植えられたものです。

<御室の桜・平成26年4月16日撮影>
御室の桜.jpg

御室の桜1.jpg

御室の桜2.jpg

御室の桜3.jpg

御室の桜4.jpg

御室の桜 大.jpg
クリックすると拡大します。

御室の桜は木の高さが2mくらいしかないので、ちょっと不思議な感じです。
前を歩いていた人が、雲の中を歩いている様という話をしていたんですが、
そういやそんな感じもするねと思いました。



<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

国宝建造物を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21220842.html

平成26年春の京都
http://rover.seesaa.net/article/394830586.html

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2014年04月16日

原谷苑の桜    (京都市北区)

京都市北区にある原谷苑に桜を見に行ってきました。

<原谷苑>
原谷苑1.jpg
住所:京都市北区大北山原谷乾町36
駐車場なし
入園料:平日1200円、土日1500円

原谷苑は金閣寺より衣笠山を、御室より八十八ヶ所の山を越えた洛北原谷の不毛の土地を戦後の原谷開拓団の方より依頼うぃうけて、昭和32年から花好きの村岩二代目が景色の良い丘を選び、数百本の桜や紅葉ほか数十種の樹木を植樹したことに始まります。
当初は親類・友人等の身内だけのお花見をしていましたが、人づてに評判が広がり、現在は桜・梅・もみじのシーズン中一般公開しています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
原谷苑に行ってきました。
今回の旅の目的は仁和寺の御室の桜。
その近くで他に見るべきものがあるかなと調べていたところ、この原谷苑を発見しました。
原谷は交通の便が悪く、市バスもあるのですが、本数がものすごく少ないため無きがごとしです。自家用車で行っても止める場所がなく、近隣にも停めることが出来なさそうなので、ほとんどの人がタクシーで来ていました。
僕も金閣寺脇でタクシーをつかまえて原谷苑に向かいました。

平日の今日は入園料が1200円。高いな〜と思いながら入園しました。入ってみて、この入園料に関する不満はふっとびました。
とにかく素晴らしい光景でした。福島の花見山にも似たような感じもしましたが、一面桜が咲き誇る園内の美しさは他に比べようもありません。
日本全国いろいろ桜の名所を見てきましたが、ここはトップ3に確実に入る素晴らしい桜です。感動しました。
このあと、御室の桜も見に行きましたが、美しさは圧倒的に原谷苑です。暖かい日差しのなか、この美しい桜の風景のもと1日中でもぼけ〜っとしてたい気分になりました。
京都で思いがけない発見があって、旅の良い思い出となりました。

<原谷苑の桜・平成26年4月16日撮影>
原谷苑2.jpg

原谷苑3.jpg

原谷苑4.jpg

原谷苑5.jpg



<桜のある風景>
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平成26年春の京都
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2014年02月08日

宝積寺    (京都府大山崎町)

京都府大山崎町にある宝積寺に行ってきました。

<宝積寺>
宝積寺 山崎2.jpg
住所:京都府乙訓郡大山崎町銭原1
境内自由(閻魔堂は400円)
駐車場なし

<現地解説>
一般には宝寺の名で知られており、本町に現存する寺院の中で最も
古い歴史を誇る。
寺伝によると奈良時代に聖武天皇の勅願寺として僧行基が開創した
と伝え、その後、長徳年間(995〜999)寂照が中興し、室町
初期には八幡宮油座からの寄進も多くあり寺運は大いに盛り上がった。
戦国時代の終わり、山崎合戦の折には羽柴秀吉が一時当寺を陣所と
し、合戦後宝寺も山崎城の一部として利用されたと伝えられる。
しかし、幕末の動乱は宝寺にもおしよせ、1864年の兵火と
廃仏毀釈で寺運はすっかり衰微したが徐々に寺観、寺域も復興され
現在に至った。

<本堂>
宝積寺 山崎1.jpg

<宝積寺 三重塔>
宝積寺三重の塔 山崎.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山崎の宝積寺に行ってきました。ここも山崎古戦場の天王山の
麓にあるお寺で、山崎の戦いの際、秀吉が陣を置いた場所と言われ
ています。

境内には秀吉が腰掛けたという石があり、「秀吉の出世石」と
書かれていました。
宝積寺 秀吉の出世石 山崎2.jpg

またお墓には「殉国十七士の墓」という大きな碑があります。
これは禁門の変で敗れこの地に逃れ、天王山で自刃した真木和泉ら17名の
お墓です。今は墓自体は天王山山頂付近に移されているそうです。

※平成27年7月1日追記
先日の大河ドラマ『花燃ゆ』を見ていたら、宝積寺が出ていました。
禁門の変の時、久坂玄瑞の一隊はこの宝積寺に陣取っていたんですね。
全然知りませんでした。

宝積寺 殉国十七士の墓 山崎1.jpg

平成25年〜26年年末年始の旅
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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山崎聖天/観音寺   (京都府大山崎町)

京都府大山崎町にある山崎聖天・観音寺に行ってきました。

<山崎聖天>
観音寺 山崎1.jpg
住所:京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字白味才62
駐車場なし

<現地解説>
寺伝によると899年、宇多法王の勅願寺として創建したと言うが明確ではない。
記録上はっきり分かるのは江戸時代前期の1681年、摂津国勝尾寺の木食上人
以空が夢告によって当寺を中興開山し、聖天堂を興して歓喜天を祀った。それ
以後、霊元、東山、中御門天皇の厚い帰依を受け、また、商売繁盛家運隆昌を
願う住友家、鴻池家、三井家など巨大商人の信仰を集め、京都・大阪の商人の
参詣を得て大いに発展した。
江戸時代を通じて栄えたが、1864年禁門の変の兵火で一山灰燼に帰してしまい
その後明治23年以降順次復興され現在の姿となった。

観音寺 山崎2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山崎聖天と言われる観音寺というお寺です。
羽柴秀吉の天下取りのきっかけとなった山崎の戦い。その天王山の
ふもとにあるお寺です。
山崎聖天の脇には天王山への登山口。

観音寺 山崎3.jpg
ここから約30分ほどの登山で天王山山頂に行くことが出来ます。

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2014年01月22日

山崎古戦場     (京都府大山崎町)

京都府大山崎町にある山崎古戦場跡に行ってきました。

<山崎古戦場>
山崎古戦場.jpg
住所:京都府大山崎町大山崎天王山
駐車場なし

<山崎の戦い>
1582年6月2日、京都本能寺で織田信長が討たれた。
その報は2日後、中国地方備中高松城攻めを信長から命ぜられた
羽柴秀吉のもとにも届いた。秀吉は急遽毛利氏との和睦をなし、
山陽道、西国街道をひた走り京をめざした。
一方、主君信長を討ち、京、近江を征圧した明智光秀は秀吉が
京を目指して兵を移動させていることを知り、軍勢を摂津、河内
境へと進めた。
6月13日午後4時頃戦いは始まった。秀吉軍3万数千、光秀軍
1万数千の軍勢が小泉川付近で激突した。戦いは短時間で決し、
軍勢に勝る羽柴軍の一方的な勝利に終わった。敗北を知った明智
の兵は方々に逃散し、光秀も本陣背後の勝竜寺城に一時退去、夜陰
に乗じてわずかな手勢を伴って近江へと逃れていった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山崎古戦場の天王山に行ってきました。
麓の観音寺から山道を歩くこと約20分ほど。山崎古戦場の碑に到着
しました。
山崎の戦いは天王山を制した秀吉軍が勝ったという話になってますが、
実際の戦いは天王山ではなく、麓の小泉川を挟んだ戦いだったそうです。

天王山からはその様子が一望出来たでしょう。

山崎古戦場2.jpg
こちらが天王山からの風景。

山崎古戦場 陣容.jpg
こちらがその陣容です。

山崎古戦場 旗かけの松.jpg
旗立松です。この松に秀吉が旗をたて、軍勢を鼓舞したもの。
現在の松は5代目との事。

現地には山崎の戦いの合戦図屏風がありました。
山崎古戦場4.jpg
まさに天下分け目の天王山。山登り疲れましたが、行って良かったです。

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古戦場めぐり
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2014年01月19日

平清盛西八条殿跡/若一神社   (京都市下京区)

京都市下京区にある平清盛西八条殿跡に行ってきました。

<平清盛西八条殿跡/若一神社>
平清盛西八条殿跡 若一神社.jpg
住所:京都府京都市下京区七条御所ノ内本町98
境内自由
駐車場なし

1166年平清盛がこの地に別邸を建て「西八条殿」と称し、熊野の若一王子の御霊を祭ったのが始まり。
平清盛が後に出世したことから、出世の御利益があるとされます。

境内には清盛ゆかりの御神水
平清盛西八条殿跡2.jpg

祇王の歌碑
平清盛西八条殿跡 祇王歌碑.jpg

神社の外に、清盛手植えと言われる樹齢800年を越える楠があります。
平清盛西八条殿跡 清盛手植えの楠.jpg

今回は車で走っていて、ふと見たら清盛の屋敷跡という碑があったので
立ち寄りました。現在は若一神社(にゃくいちじんじゃ)という神社です。
御神水を飲んで、参拝。自分も出世出来れば良いんですが(^^;

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2014年01月15日

山名宗全の墓/真乗院     (京都市左京区)

京都市左京区、南禅寺真乗院にある山名宗全の墓を参拝してきました。

<山名宗全の墓/真乗院>
山名宗全の墓.jpg
住所:京都府京都市左京区南禅寺福地町86-11
駐車場なし

山名宗全・持豊(1404〜1473)は守護大名山名氏の当主。
山名氏全盛期の当主で、全国の1/6を領した事から「六分の一衆」と呼ばれる
など勢力を誇りました。
嘉吉の乱の鎮圧などで名を馳せますが、何と言っても応仁の乱の西軍の総大将と
して知られています。
また、最近天空の城として有名になった竹田城は山名宗全の築城と言われています。

そんな山名宗全の墓を参拝しました。
何度か南禅寺に行ってるんですが、今回初めて山名宗全の墓に気がつきました。
真乗院という塔頭の前に「山名宗全の墓」という碑が建っていたため、立ち寄り
ました。

<山名宗全の墓>
山名宗全の墓 2.jpg
こちらが山名宗全の墓。
天下の大大名の墓とは思えないこじんまりとした感じ。
現地には解説も無く、注意して探さないと通り過ぎそうな感じでした。

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新島襄夫妻の墓/同志社墓地   (京都市左京区)

新島襄夫妻の墓を参拝しに同志社墓地に行ってきました。

<新島襄の墓>
同志社墓地 新島襄の墓.jpg
住所:京都市左京区鹿ヶ谷若王子山町 同志社墓地内
駐車場なし(近隣コインパークあるも料金高いです・・・)

<現地解説>
同志社の創立者新島襄先生は、1890年(明治23年)1月23日に神奈川県大磯で
46才で天に召され、1月27日の葬儀のあと学生達に担がれて此処に埋葬されました。
そして翌年1月、鞍馬産の自然石に勝海舟の揮毫になる碑銘を刻んだ墓碑が建立されました。

それから90余年をへて、次第に墓碑の風化が進んだため、再建が協議されましたが、たまたま
1986年6月不慮の事故によって倒壊しました。
そこで新島先生がアメリカ留学から帰国される際に「日本にキリスト教義学校を」と
声涙倶に下る募金演説をされたゆかりの地であるヴァーモント州ラットランド産の花崗岩
をもって1987年に再建しました。碑銘は元の墓碑から移し刻んだものです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新島襄夫妻の墓を参拝しに、京都の同志社墓地に行ってきました。

哲学の道の入り口付近、熊野若王子神社の脇に同志社墓地への道があります。
同志社墓地への道.jpg
こんなあやしげな道を進むと、登山道になります。

同志社墓地はちょっとした山の上にあります。
同志社墓地の山道.jpg
こういう山道を片道20分くらいは歩くことになります。
行くならちゃんとした靴を履いていく必要があります。

山道を進んで、かなり疲れましたが、同志社墓地に到着。
新島襄の墓を中心に、その隣に妻八重の墓。

同志社墓地 新島八重の墓.jpg

そして取り囲む様に関係者の墓が並びます。

<山本覚馬の墓>
同志社墓地 山本覚馬の墓.jpg
会津藩士。新島八重の兄。

<山本権八・佐久・三郎の墓>
同志社墓地 山本権八の墓.jpg
新島八重の父母及び弟の墓。

<山本久栄の墓>
同志社墓地 山本久栄の墓.jpg
山本覚馬の娘。徳富蘆花の小説『黒い眼と茶色の目』は蘆花と久栄の恋を
えがいた自叙伝と言われている。

<徳富蘇峰の墓>
同志社墓地 徳富蘇峰の墓.jpg
明治〜昭和初期のジャーナリスト。同志社設立に協力する。

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2012年10月06日

下御霊神社  (京都市中京区)

京都市中京区にある下御霊神社に行ってきました。

<下御霊神社>
下御霊神社.jpg
住所:京都府京都市中京区寺町通丸太町下る
駐車場なし

平安時代の初期、863年に神泉苑で行われた御霊会で祀られた
早良親王、伊予親王、藤原吉子、藤原広嗣、橘逸勢、文屋宮田麻呂の
六座に、吉備聖霊と火雷天神を加えた八座、即ち八所御霊を出雲路の
地に奉祀したのが始まり。
いずれも無実の罪などにより非業の死を遂げた人物で、疫病流行や
天変地異はこの怨霊によるものと考えられ、それを鎮めるために御霊
が祀られた。
1590年に豊臣秀吉の命により当地に移転。
古来より京都御所の産土神として崇敬され、享保年間に霊元天皇が
行幸し、震筆の祈願文を納めている。

下御霊神社2.jpg

下御霊神社3.jpg

下御霊神社に行ってきました。
えん罪で殺された人物を祀る神社。今みたいに公正な裁判もなく、
貴族の勢力争いなどで陥れられ殺された人も多かったでしょう。
そんな人たちの呪いで天変地異などが起こっているのではないか
という事で、お祀りする神社がここという事です。
昔はそういう話あったんでしょうね。
菅原道真の呪いで、藤原時平が死んだとかいう話もありましたし。

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革堂/行願寺  (京都市中京区)

京都市中京区にある革堂・行願寺に行ってきました。

<革堂・行願寺>
革堂1.jpg
住所:京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町
駐車場あり(有料)

天台宗の寺院で、西国三十三ヶ所観音霊場の第19番目の札所である。
1004年に行円上人によって、一条小川に創建された。
子を孕んだ母鹿を射止めてしまった事を悔いた上人が常にその皮を
まとって鹿を憐れみ、人びとから皮聖と呼ばれていたことからこの寺
も革堂(こうどう)と呼ばれるようになったと言われている。
以後、人びとから厚い信仰を受け、町堂として大いに栄えたが、度々
の災火により寺地を転々とし、1708年の大火の後、この地に移された。
現在の本堂は1815年に建てられたもので、堂内には行円上人の作と
伝えられる本尊千手観音像を安置している。

革堂2.jpg

寺の名前の由来がなんか面白い感じですよね。
上人様が鹿の皮をまとってたんですね。

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横井小楠殉節の地   (京都市中京区)

京都市中京区にある横井小楠殉節の地です。

<横井小楠殉節の地>
横井小楠殉節の地.jpg
住所:京都市中京区寺町丸太町下る東側

 横井小楠(1809〜69)は、熊本藩出身で江戸で朱子学を学び藩政改革に尽力するが、
反対派のため挫折。福井藩松平春嶽に招かれ改革を指導した。
明治維新後、新政府の参与として出仕。
明治2(1869)年正月5日、御所参賀の帰途この地で暗殺された。
維新の十傑の一人。

横井小楠殉節の地2.jpg

京都御所の南、寺町通の下御霊神社の近くにこの石碑はあります。
偶然通りかかって発見しました。

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2012年09月29日

平安宮一本御書所跡  (京都市上京区)

京都市上京区にある平安宮一本御書所跡に行ってきました。

<平安宮一本御書所跡>
平安宮一本御書所跡.jpg
住所:京都府京都市上京区下立売通智恵光院西入508
駐車場なし

平安時代この付近は天皇の住まいである内裏の東側に当たり、
一本御書所があった。一本御書所は、平安時代中期の948年頃
から『貞信公記』などの文献に現れ、世間に流布した書籍を各
一本(一部)書き写して保管、管理したところで侍従所の南にあっ
て公卿別当をもって長官に任じ、その下に預や書き手などの役が
あった。
『日本書紀』964年10月13日の条には一本御書所え清書し
た222巻を大蔵省の野御倉に遷納したことが記されている。
また平安時代後期には鳥羽天皇や崇徳天皇が度々ここに行幸され
ている。
『平治物語』によると1159年の平治の乱に際して、藤原信頼
らが後白河上皇を一本御書所に押し込めたことが書かれ、つとに
有名である。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平安宮一本御書所跡に行ってきました。
たまたま歩いていて通りかかったところにありました。
現地は山中油店というお店になっています。この油店も江戸時代
文政年間の創業という事で、歴史あるお店ですが、そのはるか
昔にはここに一本御書所というものがあった様です。
平治の乱のおり、後白河上皇がここに閉じこめられたという場所
だそうです。
ちょうど大河ドラマで平治の乱を見た直後くらいだったので、
何ともタイムリーだなと思いました。

平安宮一本御書所跡2.jpg

平安宮一本御書所跡3.jpg

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神泉苑   (京都市中京区)

京都市中京区にある神泉苑に行ってきました。

<神泉苑>
神泉苑.jpg
住所:京都府京都市中京区御池通神泉苑東入門前町167
入園:無料
駐車場なし

794年、桓武天皇が平安京の造営にあたり大内裏の南の沼沢
を開いて設けられた苑池であり、常に清泉がわき出すことから
神泉苑と名付けられました。
その境域は南北四町東西二町という広大な者で、境内には大池
と中島のほか、乾臨閣、釣殿、滝殿などあり歴代天皇や貴族が
舟遊び、観花、賦詩、相撲などの行事や遊宴を行ったと言われて
いる。

神泉苑は源義経と静御前の出逢いの地と言われています。
今でも貴族の舟遊びの宴が行われているような雰囲気が何とも
言えません。
入園無料なので、気軽に行けるのも良いですね。

<神泉苑>
神泉苑2.jpg

神泉苑3.jpg

神泉苑4.jpg

神泉苑 カメ.jpg
池には亀も。

大河ドラマの舞台
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2012年09月22日

本能寺  (京都市中京区)

京都市中京区にある本能寺に行ってきました。

<本能寺>
本能寺.jpg
住所:京都府京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522
境内自由
駐車場あり(有料)

本能寺は法華宗本門派の大本山で1415年日隆上人によって
創建されました。当社は本応寺と称していましたが、1433年
六角大宮に移転した際、本能寺と名を改め、更に1545年、
油小路蛸薬師一帯に広大な寺域を得て大伽藍を再興しました。
本能寺は1582年、織田信長が明智光秀によって襲撃され自刃
した所として名高いですが、その折り、三十あまりの宿坊を構えた
大伽藍は灰燼に帰しました。
その後、豊臣秀吉の都市計画により、1589年現在の地に移転
再建されましたが、江戸時代天明元治の大火により焼失。
現在の本堂は昭和3年に再建されたものです。

本能寺 本堂.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
10年以上ぶりで本能寺に行ってきました。
本能寺の変で有名ですが、その時の本能寺とは場所が違います。
ここは再建されたもので、後に作られた織田信長廟もあります。

<信長公廟>
本能寺 信長公廟.jpg

本能寺 信長公廟2.jpg

<本能寺の変戦没者供養塔>
本能寺 本能寺の変戦没者廟.jpg
森蘭丸ら本能寺の変で亡くなった人の供養塔です。

<徳川家重夫人・菅中納言局庸子・島津義久夫人の墓>
徳川家重婦人の墓.jpg
手前から徳川9代将軍家重夫人の墓、霊元天皇に仕えた菅中納言局の墓、
一番奥が島津義久夫人の供養塔です。

こういう風に重なり合う様にあるお墓や供養塔も珍しいですが、島津家の
供養塔や徳川家重夫人の墓など時代や家も違うものが並ぶのは不思議だな
と思いました。

著名人の墓
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大河ドラマの舞台
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平成24年夏旅
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2012年09月01日

磯清水  (京都府宮津市)

京都府宮津市、天橋立の中にある磯清水を飲んできました。

<磯清水>
磯清水.jpg
住所:京都府宮津市天橋立
駐車場:近隣有料駐車場利用

<現地解説>
この井戸「磯清水」は四面海水の中にありながら、少しも
塩味を含んでいないところから、古来不思議な名水として喧伝
されている。
そのむかし、和泉式部も
「橋立の松の下なる磯清水 都なりせば君も汲ままし」
と詠った事が伝えられているし、俳句にも
「一口はげに千金の磯清水」などともあることから橋立に遊ぶ
人びとには永く珍重されてきたことが明らかである。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ここも久しぶりに訪問した磯清水です。
天橋立の砂嘴の中にある不思議な湧き水。それが磯清水です。
解説にもあるように、天橋立という海に突き出た細長い砂の道の
中に湧く湧き水にもかかわらず、一切塩味がしない水。
何とも不思議です。
和泉式部の句に詠まれているので、平安時代にはこの磯清水が
あったことは間違いないですし、昔から不思議な水という事で
珍重されたんでしょうね。
水は特に冷たくもないんですけど、一口飲んできました。

磯清水2.jpg

今は、環境相指定の日本名水100選に選ばれています。

日本の名水巡り
http://rover.seesaa.net/article/21971174.html

平成24年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/286702986.html


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天橋立ビューランドからの眺望  (京都府宮津市)

京都府宮津市にある天橋立ビューランドに行ってきました。

<天橋立ビューランド>
天橋立ビューランド1.jpg
住所:京都府宮津市文珠437
駐車場なし(近隣の民間駐車場は1回500円〜1000円という価格帯)
料金:リフト・モノレールとも往復850円

天橋立ビューランドに行って天橋立を見てきました。
ビューランドにはリフトまたはモノレールを使います。
どっちを使っても良いんですが、リフトの方がすぐ乗れるので
リフトで向かいました。リフトは往復850円ですが、JAF
割引が使えるので、それを使いました。

上に登り、素晴らしい景色に感動です。
ここからの景色は天橋立「飛龍観」と呼ばれ、龍が天に昇る姿
に見える事からその呼び名になっているそうです。

<天橋立飛龍観>
天橋立ビューランド.jpg

天橋立ビューランド.jpg
以前、大内峠の横一文字を見ましたが、飛龍観は比べものになら
ないほど素晴らしい景色。ずっと見ていたいなと思う風景でした。



平成24年夏旅
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2012年08月28日

智恩寺   (京都府宮津市)

京都府宮津市にある智恩寺に行ってきました。

<智恩寺>
智恩寺.jpg
住所:京都府宮津市字文珠466
境内自由
駐車場あり

<現地解説>
ここ智恩寺は「知恵の文殊」と呼ばれ、またこのところの
名から「切戸の文殊」・「九世戸の文殊」と呼ばれて古くから
の信仰の厚いところであった。
寺伝によればその開創は千余年の昔、延喜年間という。
世に三文殊と称するのはここ智恩寺に加えて奈良県桜井市の
阿部文殊院、京都市左京区の金戒光明寺(あるいはこれに代えて
山形県高畠町の大聖寺)の三寺の文殊のことである。
国指定の特別名勝「天橋立」というのは、海の中に3.6km
にわたって連なる砂嘴の部分だけでなう、それを展望できる
成相寺山麓の傘松の地、そしてここ智恩寺の境内地をも含めて
いるのである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天橋立の付け根にある智恩寺に行ってきました。
天橋立には前にも来ていますが、前回来たときは智恩寺には
寄らなかったので、今回が初訪問です。
創建は平安時代の延喜年間(901〜922年)
歴史ある古刹です。
天橋立も和泉式部のゆかりなどもあり、この地が平安時代から
の歴史のある地なんだという事が分かります。

智恩寺は日本三文殊と言われ、文殊菩薩が本尊です。

<文殊堂>
智恩寺 文殊堂.jpg

<多宝塔・国指定重要文化財>
智恩寺 多宝塔.jpg

大きな山門、重要文化財の多宝塔など境内は見応えがあります。

<扇みくじ>
智恩寺 扇の的.jpg
智恩寺の扇みくじです。松の木にくくりつけられていました。

平成24年夏旅
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2012年08月15日

桂小五郎像/長州藩邸跡  (京都市中京区)

京都府中京区にある桂小五郎の像を見てきました。

<桂小五郎像>
桂小五郎像.jpg
住所:京都府京都市中京区河原町二条南入一之船入537−4

京都ホテルオークラの敷地内にある桂小五郎像です。
ここはかつて長州藩邸のあったところ。
禁門の変で長州藩邸も焼けて、現在はホテルオークラになっています。

そんな長州藩邸跡に維新三傑のひとり、長州藩の桂小五郎(木戸孝允)の
銅像があります。

銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

平成24年夏旅
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2012年05月27日

城南宮     (京都市伏見区)

京都市伏見区にある城南宮に行ってきました。

<城南宮>
城南宮.jpg
住所:京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町7
駐車場あり(無料)
境内自由

平安遷都の際、都の南に国の守護神として創建され、国常立尊、八千矛神、
神功皇后をお祀りする。
平安時代の末、この地に白河上皇によって城南離宮が造営されると一層
崇められ、城南祭では流鏑馬や競馬が行われた。
また、離宮では方違えの宿所や熊野詣での精進所となり方除の信仰が高まった。
1221年、後鳥羽上皇が城南流鏑馬の武者揃えと称して兵をあつめ、
鎌倉幕府との間で承久の乱が起きたことは名高い。
江戸時代以来、城南祭では三基の神輿が氏子地域を渡御「餅祭り」とも
称され大いに賑わう。
皇室の崇敬あつく、孝明天皇は攘夷祈願の際に行幸されて吹散を賜り、
1868年正月、城南宮に陣をかまえた薩摩藩の大砲が轟き、鳥羽・伏見
の戦いが始まり、明治維新を迎えた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
城南宮に行ってきました。城南宮は何度か行ってるんですけど、ここ
最近行ってなかったので久しぶりの訪問です。
承久の乱や鳥羽伏見の戦いなど、歴史の舞台にもなった城南宮。
今は神苑源氏物語花の庭など、静かな雰囲気の境内。
今回は冬に行ったので、あまり花は咲いていませんでしたが、梅や
枝垂れ桜、つつじ、桔梗などいろいろな花が咲く様です。
そういう四季折々の花を楽しみにも行ってみたいものです。

<城南宮>
城南宮 2.jpg

城南宮 3.jpg

城南宮 4.jpg

城南宮 5.jpg

城南宮 6.jpg

大河ドラマの舞台
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古戦場めぐり
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平成23年末〜24年年始の旅
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2012年02月07日

亀山城    (京都府亀岡市)

京都府亀岡市にある亀山城に行ってきました。

<亀山城>
亀山城.jpg
住所:京都府亀岡市荒塚町内丸1
駐車場あり(無料)
見学:受付で申し込み後、お払いを受けてから入城

<電池でもらった解説文>
丹波亀山城は織田信長の命を受けた明智光秀公が丹波攻略の拠点
として天正五年(1577年)頃築城されました。
本能寺の変後、豊臣時代にはその重要性から城内や城下町の整備が
なされ、ついで江戸時代に入り、幕府が西国大名に命じ、「天下普請」
により近代城郭として大修築がなされました。
しかし、明治維新後の廃城令を受け、天守はもとよりすべてが
払い下げとなりました。残された城跡は荒れ果てました。
1919年、亀岡出身の宗教法人「大本」の教祖、出口王仁三郎
は荒れ行く亀山城に憤慨し、亀山城を買い取りました。
その後、大本信徒を動員し、亀岡城を修復。
大本教の聖地として亀山城をよみがえらせました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
亀山城に行ってきました。
現在は宗教法人「大本」の施設であり、現地にある大本教の事務所
に城を見たい旨伝えると、普通に見せてくれます。
ただ、ここは聖地という事で、見学前に簡単なお払いを受ける
必要があります。
敷居高そうに思えますが、特に大げさな事はありません。

明治維新後荒れた亀山城を大本教の教祖が買い取って今に至るという
事で、全国に残る城跡では異質な感じです。

今は復元された石垣が当時の石垣かの様に立派な感じでそびえていま
す。見学できる所は少なく、建物もあるわけではないので、ちょっと
物足りないかなと思いました。

<亀山城趾>
亀山城2.jpg

亀山城3.jpg

亀山城4.jpg

亀山城5.jpg

なぜに亀岡市なのに亀山城かと言うともともと地名も亀山だったのが、
三重県の亀山と混同するというので、明治時代に亀山に変わったとい
う事だそうです。そんなあっさり地名変えちゃって良いんですかね(^^;

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

平成23年末〜24年年始の旅
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2012年02月02日

谷性寺    (京都府亀岡市)

京都府亀岡市にある谷性寺(こくしょうじ)に行ってきました。

<谷性寺>
谷性寺.jpg
住所:京都府亀岡市宮前町猪倉土山39
駐車場あり(無料)
境内自由

谷性寺は平安時代の創建になる真言宗の古刹で、大覚寺派に属し、
不動明王を本尊としている。

<本堂>
谷性寺2.jpg

天正年間に明智光秀公は不動明王を厚く崇敬し、将兵はその加護
を得て、本能寺の変を決意するや、この不動明王に「一殺多生の
降魔の剣を授けたまえ」と誓願をこらし、その高徳を得て本懐
を遂げる。
1582年山崎の戦いで無念の最後を遂げるも、公の崇敬厚い
当山不動明王のもとに墓碑建立、従者の記しが小型石碑に見える。
1855年、明智光秀公を慕う志士あり、光秀公首塚を残す。

<明智光秀公首塚>
明智光秀公首塚.jpg

毎年初夏、境内は桔梗花一色に咲き乱れるところから、人呼んで
「桔梗寺」という。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
亀岡市の郊外にある谷性寺に行ってきました。
ここは明智光秀公ゆかりのお寺という事で行った次第です。

うえの解説にもあるように、本尊の不動明王を明智光秀公が崇敬
したところからのゆかりの様です。
境内には明智光秀公の首塚や、光秀公を供養顕彰する七重石塔
などがあります。

<七重石塔>
谷性寺 七重石塔.jpg

<明智山門>
谷性寺 明智山門.jpg
明智の家紋「桔梗紋」からでしょうか、桔梗の紋が刻まれた門です。

亀岡は光秀公ゆかりの地。市街からは離れていますが、ここも是非
立ち寄りたいスポットですね。

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

平成23年末〜24年年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/244046668.html


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