2012年02月01日

篠八幡宮     (京都府亀岡市)

京都府亀岡市にある篠八幡宮に行ってきました。

<篠八幡宮>
篠八幡宮.jpg
住所:京都府亀岡市篠町篠八幡裏4
駐車場あり(無料)
境内自由

創建は不明であるが、鎌倉初期をあまり降らない頃と思われる。
社伝によると、1071年後三条天皇の勅命により河内の誉田から神霊を
遷したといい室町時代は将軍足利家の庇護を受け大いに栄えた。
1333年、足利高氏は当社に願文を奉ずるとともに上差の鏑矢一筋を
添えて奉納して、京都六波羅北条仲時を討ち建武中興の先駆けをなした。

<足利高氏旗揚げの地>
篠八幡宮 足利高氏旗揚げの地.jpg

この時、高氏の旗印「源氏の白旗」を掲げた楊の木の二代目が「旗立て楊」
として現存している。
<旗立て楊>
篠八幡宮 旗たて柳.jpg

本殿は明智光秀の丹波攻めの兵火で焼かれたが後に亀山城主松平氏により
再建された。

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足利高氏旗揚げの地、篠八幡宮に行ってきました。
新田義貞旗揚げの地は、群馬にあるので行ったことがありましたが、
足利高氏旗揚げの地がここにあるのは全然知りませんでした。
足利高氏が足利尊氏になるのは建武の新政において、後醍醐天皇
から「尊」の字をもらってからなので、旗揚げ時は高氏が正しい
漢字です。
篠八幡宮には足利高氏旗揚げの地の石碑がありました。
また、高氏はじめ諸将が矢を奉納したという話から矢塚という碑も。

<矢塚>
篠八幡宮 矢塚.jpg

観光客は誰もいなくて、ひっそりしていましたが歴史を充分に感じる
事が出来ました。

平成23年末〜24年年始の旅
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2012年01月28日

坂本龍馬避難の材木小屋跡   (京都市伏見区)

京都市伏見区にある坂本龍馬避難の材木小屋跡の碑を見てきました。

<坂本龍馬避難の材木小屋跡>
坂本龍馬避難の材木小屋跡.jpg
住所:京都市伏見区過書町(大手橋西詰北側)
駐車場なし

1866年1月、薩長同盟を締結した坂本龍馬が長州藩の三吉慎蔵と寺田屋に
いるところを伏見奉行所配下の役人に取り囲まれました。
風呂場にいたお龍は不穏な気配を察知して、2階の龍馬に危機を告げたので、龍馬
らは応戦。龍馬はピストルで、三吉は槍を構えて戦いましたが乱闘になり、
龍馬は両手首を切られてしまいます。
負傷した龍馬を肩にかけ、裏口の物置をぬけて逃走した三吉は、途中の寺に探索者
がいるのに気付き、方向転換して川端の材木小屋を見つけて密かに忍び込み、龍馬
をその小屋に置いて豪川沿いの伏見薩摩藩邸に駆け込みました。
この事件の顛末は「三吉慎蔵日記」に記されており、龍馬が潜んだとされる西浜の
材木小屋は豪川の左岸南方にあったと言われています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
寺田屋で襲われたあと、坂本龍馬が避難した材木小屋跡の碑があると
いうので行ってみました。
寺田屋で襲われた後、材木小屋に避難したという話は、せんだっての
大河ドラマ『坂本龍馬』で初めて知りました。

現在この地には碑のみあり、また実際の小屋跡はこの碑から川を渡っ
た対岸にあった様です。

大河ドラマの舞台
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平成23年末〜24年年始の旅
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寺田屋お登勢の墓   (京都市伏見区)

京都市伏見区にある寺田屋お登勢の墓に行ってきました。

<寺田屋お登勢の墓>
寺田屋お登勢の墓.jpg
住所:京都府京都市伏見区鷹匠町
駐車場なし

京都伏見にある船宿寺田屋。
寺田屋は大阪と京都をむすぶ通船「三十石船」の京都側の発着地のひとつ
南浜に寺田屋浜という船着き場を持つ大きな船宿でした。
寺田屋六代目伊助の女房で女将のお登勢は多くの志士達を助けたことで
寺田屋といえばお登勢と言われるほど後世に名を残しました。

お墓は寺田屋から数キロのところにある松林院というお寺にあります。
表には何も表示が無いので、知らないと立ち寄ることの無いところです。
行けて良かったなと。

大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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平成23年末〜24年年始の旅
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2012年01月22日

大黒寺    (京都市伏見区)

京都市伏見区にある大黒寺に行ってきました。

<大黒寺>
大黒寺.jpg
住所:京都府京都市伏見区鷹匠町4
駐車場なし
境内自由

円通山と号する真言宗のお寺で、空海の開基と伝えられる。
もとは長福寺といい、豊臣秀吉が深くこの寺を信奉したのをはじめ、
武家の信仰もあつかったとされる。
江戸時代はじめ、この近くに薩摩藩邸が置かれ、薩摩藩主・島津家の
守り本尊「出世大黒天」が当寺に祀られていたことから1615年に
薩摩藩の祈願所と定められ、大黒天を本尊として、寺名も大黒寺と
改められた。通称「薩摩寺」とも呼ばれた。
本尊・秘仏大黒天は60年に一度、甲子の年に開帳される。
幕末に西郷隆盛や大久保利通などが国事を論じたという一室があるほか、
明治維新の志士の遺墨等を所蔵する。
境内には西郷隆盛が建てたという、有馬新七ら寺田屋事件で犠牲となった
九烈士の墓碑をはじめ、木曽川治水工事の犠牲となった薩摩藩家老
平田靱負の墓もある。

<本堂>
大黒寺2.jpg

<寺田屋事件九烈士の墓>
大黒寺 寺田屋事件九烈士の墓.jpg

<薩摩藩家老・平田靱負の墓>
大黒寺 平田の墓.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
寺田屋の近くにある大黒寺に行ってきました。
ここは寺田屋事件で散った九烈士の墓があります。
大河ドラマ『篤姫』で、寺田屋事件が演じられていたのを懐かしく
思いました。
寺田屋事件は薩摩藩士同士の同士討ちだけに、悲劇でした。

また、家老平田靱負の墓もあります。
これは長良川の治水工事の件で切腹した家老です。
この治水の件は、名古屋だったかその辺の博物館で見たことがあり
少し知っていましたが、その時の家老の墓がここにあるのは知りません
でした。

境内には金運清水という何ともありがたそうな名前の清水が
ありました。
大黒寺 金運清水.jpg
歴史があるのかなと思いきや、平成13年に掘られた新しい
の井戸だそうです。大黒様の霊験あらたかな、ありがたい
清水だそうです。
僕も金運を祈願して一口飲んできました。

大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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2012年01月16日

伏見土佐藩邸跡    (京都市伏見区)

京都市伏見区にある伏見土佐藩邸跡に行ってきました。

<伏見土佐藩邸跡>
伏見土佐藩邸跡.jpg
住所:京都市伏見区南浜町
駐車場なし

1670年の『山城国伏見街並近郊図』に「南浜三丁」とあり、その
東部に松平土佐守屋敷と記されており、それが伏見土佐藩邸です。
現在現地は月桂冠情報センターになっており、遺構は残っていません。

伏見土佐藩邸は、藩主らの生活の場ではなく、家臣の生活や労働の場
であったと考えられています。

鳥羽伏見の戦いでは、山内容堂が戦いを控えるように指示していまし
たが、藩の大目付板垣退助は「京都で事が起これば黙って薩摩と行動を
共にせよ」と密命を出していました。
藩士の一部は藩主の命令を無視して参戦したとの事です。

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2012年01月14日

寺田屋     (京都市伏見区)

京都市伏見区にある寺田屋に行ってきました。

<寺田屋>
寺田屋.jpg
住所:京都府京都市伏見区南浜町263
駐車場あり(無料)
入場:400円

京都伏見の寺田屋は大阪と京都間の通船「三十石船」の京都側の発着地
の一つ南浜に「寺田屋浜」という船着き場を持つ大きな船宿でした。
薩摩藩の定宿として使われ、有馬新七らが切られた寺田屋事件の舞台
でもあります。
坂本龍馬も薩摩藩の紹介で、ここ寺田屋に停まっていたそうです。

寺田屋 龍馬の間.jpg
こちらが龍馬の間と言われる「梅の間」です。
1866年に坂本龍馬は伏見奉行所の捕方にここで襲われ、命からがら
逃げるという事件が有名です。
その時のエピソードと言えば、お龍さんが、お風呂から裸で階段を
駆け上り、龍馬に奉行所の来襲を伝えたというもの。
そのお風呂も階段もそのままに残っています。

寺田屋 風呂.jpg

寺田屋 階段.jpg
こういうのを見ていると、時代に引き込まれるような感じがしますね。

<お登勢の部屋>
寺田屋 お登勢の間.jpg
こちらは寺田屋の女将として有名なお登勢さんの間です。

寺田屋は今でも泊まることが出来るそうです。
すごい事ですね(^-^)

大河ドラマの舞台
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平成23年末〜24年年始の旅
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会津藩駐屯地跡  (京都市伏見区)

京都市伏見区にある会津藩駐屯地跡(伏見御堂)に行ってきました。

<伏見御堂>
伏見御堂1.jpg
住所:京都市伏見区大坂町
駐車場なし

伏見御堂は慶長年間に東本願寺第12代法主・教如が創建しました。
幕末の1868年1月2日、鳥羽伏見の戦いが始まる前日夕刻、会津藩の
先鋒隊約200名が伏見京橋に上陸、ここ伏見御堂を宿陣としました。
翌日の戦いでは、本堂の畳を盾に鉄砲の撃ち合いがあったとも言われ、建物
は大きな損害を受けたと伝えられています。
平成2年に建物は老朽化のため取り壊され、今は大銀杏、鐘楼、山門のみ
残されています。

伏見御堂2.jpg

たまたま通りかかった伏見御堂です。
鳥羽伏見の戦いにおいて、会津藩が陣取った場所です。
今は当時の建物は無いようで、中は幼稚園になってるみたいでした。

古戦場めぐり
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平成23年末〜24年年始の旅
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2012年01月10日

御香宮神社    (京都市伏見区)

京都市伏見区にある御香宮神社に行ってきました。

<御香宮神社>
御香宮神社.jpg

御香宮神社2.jpg

住所:京都府京都市伏見区御香宮門前町
駐車場あり(有料)
境内自由
石庭拝観:200円

御祭神は神功皇后、仲哀天皇、応神天皇など九柱を祀る。
社伝によれば、862年に境内から清泉が湧き出て、その香気が
漂い、その水を飲むとたちまち病が癒えたので「御香宮」を賜った。
以後、伏見の産土神として人々の信仰を集めたが、度々兵火や
天災により荒廃した。
文禄年間(1592〜96)豊臣秀吉は当社を伏見城内に移し、鬼門
の守護神としたが、1605年徳川家康により旧地である当地に戻され、
現在の本殿が建立された。

<伏見城の岩>
御香宮神社3.jpg

<本殿>
御香宮神社4.jpg

表門は旧伏見城の大手門と伝えられている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
伏見桃山駅から歩いてすぐの所にある御香宮神社に行ってきました。
ここは何年か前に一度来て居るんですが、夕方の訪問で薄暗かった
記憶しか無く、実質初訪問という感じです。

御香宮の名前の由来になったのが、「御香水」という名水。
この湧き水は日本名水100選に選ばれる名水です。
御香水.jpg
井戸は明治時代に一時涸れてしまったそうですが、昭和57年に復元され
現在に至ります。
僕も一口いただいてきました。

数々の歴史の舞台にもなった神社ですが、幕末の鳥羽伏見の戦いにおいて
は、まさに戦場となったところです。
この神社の東側の台地に薩摩藩の大山巌が陣取り伏見奉行所の幕府軍に攻撃
をしました。
神社内には、鳥羽伏見の戦いの石碑があります。

御香宮神社 鳥羽伏見の戦い.jpg

もう一ヶ所見所は、小堀遠州作の石庭。
御香宮神社 石庭1.jpg

御香宮神社 石庭2.jpg

小さな庭園ですが、伏見奉行を務めた小堀遠州の作で、落ち着きの
ある庭園です。

伏見の歴史を感じることが出来る神社です。

新撰組関連の史跡
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古戦場めぐり
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日本の名水巡り
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平成23年末〜24年年始の旅
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2012年01月07日

鳥羽伏見の戦い弾痕   (京都市伏見区)

京都の伏見にある魚三楼にある鳥羽伏見の戦い弾痕を見てきました。

<魚三楼>
魚三楼.jpg
住所:京都府京都市伏見区京町3丁目187番地

京都、伏見桃山駅のすぐ近くに魚三楼(うおさぶろう)という料亭が
あります。江戸時代から続く料亭で、今も営業を続けています。
その魚三楼の建物に、鳥羽伏見の戦いにおける弾痕が残っています。

こちらがその弾痕です。
魚三楼 鳥羽伏見の戦い弾痕.jpg

鳥羽伏見の戦いでは、魚三楼の前に布陣した新選組が薩摩藩の陣へ白刃で
切り込んだそうです。
鳥羽伏見の戦いで、伏見の町はかなりの建物が焼失したそうですが、ここ
魚三楼は銃弾は受けたものの焼失は免れたそうです。

大河ドラマの舞台
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新撰組関連の史跡
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2012年01月04日

建仁寺    (京都府京都市)

京都市にある建仁寺に行ってきました。

<建仁寺>
建仁寺.jpg
住所:京都府京都市東山区小松町584
駐車場あり(有料・拝観者は1時間無料)
拝観:500円

建仁寺は臨済宗建仁寺派の大本山で京都五山の三位に列するお寺です。
お寺は臨済宗を伝えた栄西が1202年、鎌倉幕府2代将軍源頼家の援助を
受けて建立したものです。
その後、応仁の乱などで度々焼失し、創建当時の建物は残っていません。
応仁の乱後、天正年間に安国寺恵瓊が方丈や仏殿を移築し、復興が始まり、
徳川幕府下で堂宇が再建されました。
所蔵文化財としては俵屋宗達の「風神雷神図屏風」などが特に有名です。
これは拝観すると見ることが出来ます。
また、創建800周年に法堂天井に小泉淳作画伯により双龍が描かれました。

<双龍>
建仁寺 天井絵.jpg
この絵は本当に見事です。写真撮影okという事で、以前撮影したものです。
でもこれは現地で実際に見ないと良さが分からないと思います。

<法堂>
建仁寺 本堂.jpg

<方丈石庭>
建仁寺 庭園.jpg

<三門>
建仁寺 山門.jpg

臨済宗の栄西は日本に茶をもたらした人物としても知られます。
『喫茶養生記』は有名ですね。

<茶碑>
建仁寺 茶碑.jpg

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2012年01月03日

伏見奉行所跡    (京都府京都市)

京都市にある伏見奉行所跡に行ってきました。

<伏見奉行所跡>
伏見奉行所跡.jpg
住所:京都府京都市伏見区西奉行町
駐車場なし

伏見は平安時代には鳥羽とならぶ貴族の別荘地帯であったが、都市として繁栄
したのは豊臣秀吉がこの地に伏見城を築き、城下町と伏見港を整備してからで
ある。江戸時代には徳川家光の時に豊臣ゆかりの伏見城を完全に壊し、1624
年に富田信濃守の屋敷のあったこの地に伏見奉行所を建設した。
その場所は現在の桃陵団地の敷地で伏見城の跡地への入り口と港を監視する
位置にある。
伏見奉行所は明治維新の時、幕府軍が立てこもり、官軍の攻撃により焼け落ちる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
伏見奉行所跡に行ってきました。
戊辰戦争では、攻撃の対象となった場所です。また寺田屋に龍馬を襲った
のも伏見奉行所です。
そんな奉行所も今は桃陵団地という団地になっています。

伏見奉行所跡2.jpg
その入り口に、伏見奉行所跡の石碑がありました。

大河ドラマの舞台
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平成23年末〜24年年始の旅
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六道珍皇寺     (京都府京都市)

京都市にある六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)に行ってきました。

<六道珍皇寺>
六道珍皇寺1.jpg
住所:京都府京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595
駐車場あり

大椿山と号する建仁寺の塔頭で「六道さん」として親しまれている。
この付近はかつて死者を鳥野辺へ葬送する際の野辺送りの場所で、
「六道の辻」と呼ばれ、この世とあの世の境と言われていた。
六道とは仏教で、すべての生き物が生前の善悪の行いによって
必ず行くとされる地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六種の
冥界のことで、本堂の裏にある井戸は、昼は嵯峨天皇、夜は閻魔大王
に仕えた小野篁が冥土へ通った入口であったという伝説が残されて
いる。

【冥土通いの井戸】
六道珍皇寺 冥土通いの井戸.jpg

創建についてはあきらかでないが、平安・鎌倉時代には東寺に属して
隆盛した。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
六道珍皇寺に行ってきました。
ここも以前、この近辺を散策していたときに偶然見つけたお寺です。
六波羅蜜寺のすぐ近くにあるので、今回六波羅蜜寺に行ったついで
に寄ってみました。

ここは小野小町や小野道風の祖父にあたる小野篁ゆかりのお寺です。

六道珍皇寺2.jpg

本堂裏にある井戸から小野篁は冥土へ行き、閻魔大王に仕えていた
とか・・・。
本堂にはこんな提灯も。
六道珍皇寺3.jpg
「あの世への入り口」だそうで。何ともあやしげなところですね。
京都の観光名所の中でもちょっと異質なところです。

平成23年末〜24年年始の旅
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六波羅蜜寺    (京都府京都市)

京都市にある六波羅蜜寺に行ってきました。

<六波羅蜜寺>
六波羅蜜寺.jpg
住所:京都市東山区五条通大和大路上ル東
駐車場あり
拝観料:600円

951年疾病平癒のため空也上人により開創された
真言宗の寺院で、西国三十三ヶ所観音霊場の第17番札所として
古くから信仰をあつめている。
空也上人の自刻と伝えられる十一面観音像を本尊とする。
空也上人は醍醐天皇の第2皇子で、若くして出家し六斎念仏の始祖
である。
往時は寺域も広く、平家の館や鎌倉幕府の探題が置かれるなど、源平
盛衰の史跡の中心でもある。

六波羅蜜寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
今年の大河ドラマが『平清盛』という事で、久しぶりに平清盛像を見よう
と六波羅蜜寺に行ってきました。
六波羅と言えば、鎌倉幕府の六波羅探題が有名ですが、六波羅探題もかつて
はこの六波羅蜜寺の寺域にあったようです。

今の寺域は狭いですが、かつては大寺院だったようです。
六波羅蜜寺の見所は何と言っても有名な空也上人像と平清盛像でしょう。
どちらも歴史の教科書に写真が載る名作です。
平清盛像は何かを語りかけるような表情がとても印象的。
写真撮影禁止なので、載せる事が出来ませんが、あの像を見たいがために
もう3回も六波羅蜜寺に行ってしまいました(^^;
今年の大河ドラマがどんな感じなのか、今から楽しみです。

大河ドラマの舞台
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平成23年末〜24年年始の旅
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2011年10月09日

勝竜寺城     (京都府長岡京市)

京都府長岡京市にある勝竜寺城に行ってきました。

<勝竜寺城>
勝竜寺城1.jpg
住所:京都府長岡京市勝竜寺13-1
資料館:無料
駐車場あり(無料)

この城は1339年に細川頼春が京都へ進出してくる南朝方に対抗するため、
北朝方の前線基地として築いたと言われ、京都盆地の南西部を防衛する要所に
ありました。
応仁の乱では西岡地方における西軍(畠山義就)の拠点となり、戦国時代に
なると1568年に織田信長が上洛し西岡一帯を攻略し、細川藤孝に城が
与えられ、堅固な城に改修しました。
1582年の山崎の合戦では明智光秀が本拠としたが落城しました。

勝竜寺城4.jpg

勝竜寺城3.jpg

勝竜寺城2.jpg

この城は、1578年に明智光秀の娘玉(のちの細川ガラシャ)が16才で長男
の忠興のもとに輿入れしたところで、歴史とロマンを秘めた城として全国的に
知られています。

勝竜寺城 ガラシャ輿入れ.jpg

細川忠興・ガラシャ像.jpg

城の中心部は本丸と沼田丸に分かれ、外郭施設には城の北側を守るための土塁跡や
空堀跡が神足神社周辺にいまも残されています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
長岡京市の勝竜寺城に行ってきました。
ここも2回目の訪問です。
前回は電車で来たんですが、今回は車。駐車場を探します。
公園脇に、公園の無料駐車場があり、そこに停めて公園に向かいます。

復元天守は博物館になっています。
細川忠興や細川ガラシャについての簡単な展示などがあります。
この城は忠興・ガラシャゆかりのお城で、現地には二人の銅像があります。

平成23年夏旅
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大河ドラマの舞台
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日本の城を巡る
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2011年09月22日

淀城     (京都市伏見区)

京都市伏見区にある淀城趾に行ってきました。

<淀城趾>
淀城趾.jpg
住所:京都府京都市伏見区淀本町
駐車場なし(近隣コインパーク利用)
入城自由

徳川秀忠は1619年の伏見城廃城に伴い、新たに桂川・宇治川・木津川の
三川が合流する水陸の要所であるこの淀の地に松平定綱に命じて淀城を築城
しました。1623年に着工、1625年に竣工しました。
1626年には徳川秀忠・家光父子が上洛の際、この城を宿所としています。
1633年の国替えにより、永井尚政が城主となり、その後諸大名が次々に
入城しましたが、1723年に春日局の子孫である稲葉正知が下総佐倉から淀
へ移り、明治維新までの百数十年間この淀城は稲葉氏10万2千石の居城とな
りました。

なお、淀殿ゆかりの淀城は現在の淀城跡ではなく、この位置から北へ約500m
の地点にあったと推定されています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
10年ぶりくらいで淀城趾に行ってきました。
京阪淀駅からほど近いところにあります。淀城といえば淀殿と来ますが、
現在の淀城趾は淀君の淀城とは違うそうです。

個人的には淀というと、幕末の鳥羽伏見の戦いの際、逃げ帰る幕府軍が
淀城に入ろうとするのを、淀藩の城代が入れさせなかったという話が
印象的です。淀藩は藩主が江戸詰の老中稲葉正邦で、幕府の老中の藩
が藩主の意に反して新政府軍に恭順するというすごい事態。戦という
のは状況次第でいろんな事がおこります。

現在の淀城趾は公園になっています。
「淀城趾」の石碑の他、石垣がわずかに残る程度。
往時を偲ぶのは難しいかもしれません。

淀城趾 2.jpg

淀城趾 3.jpg

淀城趾 4.jpg

平成23年夏旅
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大河ドラマの舞台
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日本の城を巡る
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2010年08月28日

豊臣秀次公墓所    (京都市中京区)

京都市中京区にある豊臣秀次のお墓を参拝してきました。

<豊臣秀次墓所・瑞泉寺>
豊臣秀次の墓 瑞泉寺(京都).jpg
住所:京都市中京区木屋町三条下る石屋町114-1
駐車場なし
境内自由

瑞泉寺は豊臣秀吉の甥、豊臣秀次一族の菩提を弔うために建立された寺です。
秀次は秀吉の養子となり関白の位を継いでいましたが、秀吉に嫡男秀頼が生まれてか
らは次第に疎んぜられ、1595年7月高野山において自害させられました。
ついで8月には秀次の幼児や妻妾たち39人が三条大橋西畔の河原で死刑に処せられ
ました。遺骸はその場に埋葬され、塚が築かれ石碑が並んでいましたが、その後鴨川
の氾濫などで次第に荒廃しました。
1611年、角倉了以が高瀬川の開削中にこの墓石を発見して、墓域を再建するとと
もにこの地に堂宇を建立しました。これが瑞泉寺です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三条大橋の近くで、先の関白豊臣秀次公の墓なる石碑を発見。こんなところに
お墓があるんだとびっくりしつつ、お墓を参拝してきました。

豊臣秀次は秀吉の姉の子で秀吉の養子となり関白となりますが、秀頼の誕生により
高野山に追放され、仕舞いには謀反容疑で切腹させられてしまいます。
この切腹も悲劇ではありますが、それ以上に僕としては最上義密の娘駒姫が、秀次の
側室(実際は正式に側室になる前だったとも)になったばかりで殺された事が
秀吉の恐ろしさを感じました。駒姫は15才。
駒姫を殺された事に最上義光は激怒し、関ヶ原の戦いで東軍につく要因に
なったと言われています。

羽柴秀次の墓.jpg
暮域は中央に豊臣秀次の墓、そしてまわりに殺された秀次の妻妾たちの墓が並びます。
もちろん駒姫もここに祀られています。

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2010年08月27日

酢屋/海援隊京都支部  (京都市中京区)

京都市中京区にある酢屋/海援隊京都支部に行ってきました。

<酢屋>
酢屋(海援隊京都支部).jpg
住所:京都府京都市中京区河原町三条下ル一筋目
営業 : 日月火木 10:00〜19:30 金土 10:00〜21:00
定休 : 水曜日
駐車場なし

酢屋は材木業を営んだ店の屋号で300年近く続いています。
酢屋は高瀬川の近くにあり各藩との折衝や伏見・大阪方面への連絡にも好都合だった
ため、坂本龍馬は酢屋に身を寄せました。
酢屋嘉兵衛は龍馬の活動に興味を示し、その活動の援助をしました。

坂本龍馬はこの建物の2階に住みました。
1867年6月24日には姉に宛てた手紙の中で酢屋に投宿している旨を伝えています。
この家に、海援隊京都支部を置き、陸奥宗光・長岡謙吉らが滞在しています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
坂本龍馬寓居「酢屋」に行ってきました。
正直言って、ここは知りませんでした。河原町を歩いていて、維新関連の地図を
見たときに「坂本龍馬寓居」の文字があったので行ってみた感じです。

酢屋(海援隊京都支部) 坂本龍馬寓居.jpg
現地には「坂本龍馬寓居」の碑。

酢屋(海援隊京都支部)2.jpg
さらにはギャラリー龍馬なんてあるので、気になって中に入ってみました。
中は写真撮影禁止のため、写真はありません。
2階が簡易な龍馬関連の展示室みたいになっていました。
池田屋もほど近く、幕末の歴史を感じる良いスポットだなと思いました(^-^)


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2010年08月26日

池田屋跡       (京都市中京区)

京都市中京区にある池田屋跡に行ってきました。

<池田屋跡>
池田屋跡.jpg
住所:京都市中京区三条通木屋町西入北側
駐車場なし

池田屋事件は、1864年6月5日、長州・土佐・肥後らの尊攘派志士達が中川宮や松平容保らを暗殺
し、孝明天皇を長州に連れて行く企てをしているところ、新選組が急襲し壊滅させたという事件です。
この事件により新選組の名声は知れ渡りました。

池田屋は今は残っていません。
数年前に京都市内を歩いていたときに偶然石碑を発見。
池田屋事件の碑.jpg
なんだ、今はパチンコ屋なんだ〜と思った記憶があります。
1年くらい前だったでしょうか、新聞に池田屋跡地のビルに居酒屋がオープンという記事。
しかも池田屋っていう居酒屋じゃないですか!
よくよく見てみたら、私が株主をしているチムニーだし(笑)
おもしろい出店だなと思いました。

メニューが出てました(クリックすると拡大します)
池田屋 メニュー.jpg
新選組決起の酒とかありますしね(^^;
店内をのぞいたら、店員が新選組の法被を着ていました。
いつかここで飲みたいものです(^-^)

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2010年08月25日

岬神社    (京都市中京区)

京都市中京区にある岬神社(土佐稲荷)に行ってきました。

<岬神社(土佐稲荷)>
岬神社(土佐稲荷).jpg
住所:京都市中京区蛸薬師通河原町東入
境内自由
駐車場なし

<現地解説>
室町時代初期、鴨川の中州の岬に祠を建てたのが由来とされている。
その後、祠は鴨川の西岸など数度遷され、江戸時代初期、この付近に
建てられた土佐藩の京屋敷内に遷されることとなった。
一般に「お稲荷さん」の愛称で親しまれる「倉稲魂命」を祀るため、
「土佐稲荷」と呼ばれるようになる。
以降土佐藩士のみならず、先斗町・木屋町など周辺の町衆からも
「産土神」として熱心な信仰を集め、わざわさ土佐藩邸内に一般人
が自由にお参りするための通路を確保したほどである。
藩士達の信仰も厚く、坂本龍馬や中岡慎太郎らも詣でていたと考えられる。

その後、明治維新により土佐藩邸が売却されるとともに、神社も移転
を余儀なくされ、その後幾多の変遷を経て現在地に鎮座、1913年
に現在の社殿が建立された。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
京都散策中に偶然発見した神社です。坂本龍馬ゆかりの神社って書いて
あったもので立ち寄りました。
解説を見たら土佐藩邸にあった神社とのこと。
境内には小さいながら坂本龍馬の銅像がありました。

岬神社 坂本龍馬像.jpg

隠れ龍馬関連スポットという感じですね(^-^)

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武市半平太寓居   (京都市中京区)

京都市中京区にある武市半平太(瑞山)寓居に行ってきました。

<武市半平太寓居>
武市半平太寓居.jpg
住所:京都市中京区木屋町通三条上る東側
駐車場なし

武市瑞山(1829〜65)は土佐藩の郷士で尊皇攘夷派の志士。土佐勤王党を結成し尊皇攘夷活動を行い
ました。1862年に藩主と共に京都に上洛しこの地に居住しました。
現在は金茶寮という料亭があります。

武市半平太寓居2.jpg

後でこの店について調べたんですが、武市半平太寓居の一部がこの料亭に残っているそうです。
中には入りませんでしたので、外から寓居跡の石碑など写真にとってきました。

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2010年08月24日

光縁寺    (京都市中京区)

京都市中京区にある光縁寺に行ってきました。

<光縁寺>
光縁寺 壬生.jpg
住所:京都市下京区綾小路通大宮西入四条大宮町37番地
駐車場なし
墓参拝:100円

<現地解説>
当寺の門前近くに新選組の馬小屋があり、毎日、門前を新選組の隊士達が往来し、その中には
総長の山南敬介もいた。山門を見上げれば、瓦に「丸に右離れ三つ葉立葵」の山南家と同じ
家紋が目に入った。当時の住職は22世良誉上人で年齢も山南と同じであった。
この時代、筵に巻かれた死体がよく当寺門前に放置されていた。
それは葬儀を出せない困窮した人たちが、この寺の住職がそのような死人であっても分け隔て無く
弔っていたのを知っていたのである。
この住職、山南と親交が生まれ、その後山南を含め、多くの新選組隊士が良誉上人に弔われ
当寺に埋葬されることになった。

<光縁寺に埋葬されている新選組隊士・クリックすると拡大します>
光縁寺 埋葬者.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新選組隊士の墓参拝をすべく光縁寺に行ってきました。
阪急の大宮駅から近いんですが、なかなか分かりづらいところにありました。
山門から入り、住職らしい人に100円を渡し新選組墓所に向かいます。
住職らしき人が埋葬されている人物について説明してくれました。
多くの観光客は壬生寺とか八木邸には行くが、ここにはあまり来ない。真の新選組ファン
はここを参拝するものだと言っていたのが印象的でした。

さて本堂裏に新選組を弔った墓標が3基。その3基に大勢の人が祀られています。

光縁寺 松原忠司.jpg

光縁寺 山南 墓.jpg

四番隊組長・松原忠司、総長山南敬介の名前が見えます。
他に、七番隊組長・谷三十郎 、参謀・伊東甲子太郎なども埋葬されています。
伊東甲子太郎ら御陵衛士に関してはその後掘り起こされ、東山の泉涌寺塔頭戒光寺に埋葬されました。

今回は山南敬介の墓を参拝したいと思い光縁寺に行きました。
墓標に刻まれた名前を見て、ちょっと感動。手を合わせてきました。
確かに八木邸とか壬生寺には観光客が多かったですが、光縁寺には誰もいませんでした。
あまり知られてないんですね・・・。

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2010年08月23日

中岡慎太郎寓居   (京都市中京区)

京都市中京区にある中岡慎太郎寓居の碑です。

<中岡慎太郎寓居>
中岡慎太郎寓居.jpg
住所:京都市中京区河原町通四条上ル東側
駐車場なし

中岡慎太郎は土佐藩郷士で、土佐勤王党に参加。のちに陸援隊隊長。
坂本龍馬とともに薩長同盟、薩土盟約、大政奉還などに尽力するが、京都近江屋にて坂本龍馬と
ともに暗殺される。
その中岡慎太郎の寓居が四条河原町にあります。
ここは、脱藩後の中岡が身を寄せた土佐藩御用達書林菊屋の跡を示すものです。
今は京都あぶらとり紙専門店象というお店の前に石碑が建つのみです。

中岡慎太郎寓居2.jpg

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壬生寺    (京都市中京区)

京都市中京区にある壬生寺に行ってきました。

<壬生寺>
壬生寺.jpg
住所:京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町
壬生塚入場:100円
駐車場なし

壬生寺は律宗に属し、本尊は地蔵菩薩立像(重要文化財)である。
寺伝によれば、991年三井寺の快賢僧都により創建され、古名を地蔵院、宝幢三昧寺
などと呼ばれていました。
その後、火災により堂宇を焼失したが、1259年平政平により復興され、さらに1300年
円覚上人が仏の教えを無言劇に仕組んだ壬生狂言を創始し大いに栄えた。
昭和37年に本堂が焼失したため昭和45年に再建された。

壬生寺本堂.jpg

壬生寺境内は新選組が大砲や剣術、馬術の訓練をした場所として有名であり、壬生塚には近藤勇の
胸像、芹沢鴨らの墓がある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
京都の壬生寺に行ってきました。ここも以前来たことがあり、その時は境内を散策
しました。
今回は、壬生塚と言って、新選組の顕彰碑や墓がある塚に入りました。
壬生塚入場は100円かかります。

壬生塚には新選組隊士が祀られています。
祀られているのは以下の人たち。
壬生寺 祀られている人.jpg

芹沢鴨・平山五郎、河合耆三郎に関しては墓標がありました。

<芹沢鴨・平山五郎>
壬生寺 芹沢鴨・平山五郎の墓.jpg

<河合耆三郎>
河合耆三郎の墓.jpg

<近藤勇胸像>
壬生寺 近藤勇像.jpg

<新選組顕彰碑>
壬生寺 新選組顕彰碑.jpg

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2010年08月22日

新撰組屯所・前川邸  (京都市中京区)

京都市中京区にある前川邸に行ってきました。

<前川邸>
前川邸.jpg
住所:京都市中京区壬生賀陽御所町49
駐車場なし

前川邸は1863年から2年間、八木邸とともに新撰組の屯所となった
建物です。前川氏は八木氏同様、その祖先は越前の大名朝倉氏という共通
点があります。

前川邸は2年間の間に様々な事が起こりますが、何と言っても山南敬助の
切腹が大きな事件かなと思います。
前川邸には現在も山南敬助が切腹した部屋が残り、山南敬助を供養する
山南忌という催しがここ数年開催されているそうです。

あと、池田屋事件の際には古高俊太郎が拷問されており、その部屋も残されているそうです。

ただ残念ながら前川邸は原則非公開。たまに特別なイベント等で公開される
事もある様です。あと土日祝日のみ母屋・玄関で関連グッズの販売を行って
いるそうです。

いつか中を見てみたいなと思いますが、今回は外観のみで。

前川邸2.jpg

前川邸3.jpg

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新撰組屯所・八木邸  (京都市中京区)

京都市中京区にある八木邸に行ってきました。

<新撰組屯所・八木邸>
新撰組屯所遺跡八木家.jpg
住所:京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町24
駐車場なし
営業:9時〜16時半
入場:1000円

<現地解説>
八木家は、壬生村きっての旧家で、かつて壬生郷士の長老を務めていた。
また、幕末には新撰組の近藤勇、土方歳三らの宿所となり、旧壬生屯所
として知られている。
建物は長屋門が東側に開き、その奥に主屋が南面して建つ。
長屋門は1804年、主屋は1810年の造営と知られる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新撰組ゆかりの地、八木邸に行ってきました。
数年前に前を通りかかった事はあったんですが、中に入ってませんで
した。今回は中を見ました。

入場料はなんと1000円(高い!)
ちょっとびっくりしました。抱き合わせと言ってはなんですが、抹茶と
お菓子が付いてきます。

室内は撮影禁止なので、写真がありません。外観はこんな感じです。
八木家住宅1.jpg

八木家住宅2.jpg

中では解説員の方がいろいろお話をしてくれます。
建物入ってその説明を受ける間が芹沢鴨らの暗殺の部屋。いや〜いきなり
来ますね(^^;
部屋内には刀傷が。歴史を物語る建物に、新撰組マニアじゃなくても感動
するものがありますね(僕は新撰組好きですが)

八木家はもともと越前の戦国大名朝倉氏の子孫なんだそうです。
八木家の中には朝倉氏の家紋が描かれた棚がありました。

八木家は新撰組を感じる事が出来る一番の場所の様な気がします。

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2010年08月18日

霊山護国神社   (京都市東山区)

京都市東山区にある霊山護国神社に行ってきました。

<霊山護国神社>
霊山護国神社2.jpg
住所:京都市東山区清閑寺霊山町1
境内自由
霊山墳墓入場(300円)

霊山護国神社は明治天皇が明治元年に維新を目前に倒れた志士たちを祀る
様、詔を発した事により建立された神社です。
その詔に長州・土佐・福井・鳥取・肥後などの各藩が東山に祠宇を建立
しました。
祀られているのは各藩・公家等の維新に尽くした英霊です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
5年ぶりくらいで霊山護国神社に行ってきました。なにぶん大河ドラマ
の影響もあり坂本龍馬の墓でも久しぶりに行ってみようかと思った次第
です。
神社は自由に見ることが出来るんですが、霊山墳墓というお墓は有料。
お墓参拝にお金がかかるってのも珍しいです。
しかも入場する時に、電車の自動改札みたいなのを通って行くのも不思議
な感じがします(これは写真を撮ってなかった・・・)

さて、5年前に来たときはほとんど人がいなかったんですが、今回は
何でこんなに人がいるのってくらい観光客が来てました。
さすがは大河ドラマ効果。

こちらが坂本龍馬と中岡慎太郎の墓です。
霊山護国神社 坂本龍馬・中岡慎太郎の墓.jpg

その脇には小さいながら銅像もあります。
霊山護国神社 坂本龍馬・中岡慎太郎の像.jpg

大政奉還後、新しい世の中を見ることなくこの世を去った坂本龍馬。
生きていれば明治の世で活躍したでしょうね・・・。

他のお墓は続きをご覧ください。

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坂本龍馬・お龍 結婚式場跡  (京都市東山区)

京都市東山区にある坂本龍馬・お龍結婚式場跡です。

<坂本龍馬・お龍結婚式場跡>
坂本龍馬・お龍 結婚式場跡.jpg
住所:京都府京都市東山区三条通白川橋五軒町112
東山ユースホステル前

<現地解説>
当地は青蓮院の旧境内で、その塔頭金蔵寺跡です。
1864年8月初旬、当地本堂で坂本龍馬と妻お龍は「内祝言」すなわち
内々の結婚式をしました。
龍馬とお龍の出会いや内祝言の具体については1899年ごろにききとら
れたお龍の回想に詳しい。お龍は1906年まで生きていました。
一般には1866年の寺田屋事件のあと、西郷隆盛あるいは中岡慎太郎の
媒酌で二人は夫婦の契りをむすんだように言われますが、この話は根拠が
薄く、他の資料との検討からお龍の話こそ信用すべきだと思われます。
この地が選ばれたのは、お龍の父楢崎将作が青蓮院宮に仕えた医師で
あったためでしょう。その縁により金蔵寺住職智息院が仲人をつとめ
ました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
歩いていて偶然発見の石碑です。
地下鉄の東山駅でおりて、知恩院方面に向かって歩いていると石碑が
ありました。

青蓮院で結婚式をあげたのは始めて知りました。かなりびっくりです。
石碑の後ろには、龍馬とお龍の写真が貼られていました。

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2008年12月13日

方広寺    (京都市東山区)

京都市東山区の方広寺に行ってきました。

<方広寺>
方広寺
住所:京都府京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町527-2

京都駅からも歩いていける距離にある方広寺に何年かぶりに行って
みました。
方広寺は1595年に豊臣秀吉によって創建されたお寺で、天台宗
山門派に属します。かつては奈良の大仏をしのぐ巨大な大仏があった
そうですが、後に焼失しています。

方広寺といえば、大坂冬の陣のきっかけにもなった鐘の銘が有名
です。今でもその鐘は残っており、国指定重要文化財になっています。
方広寺の鐘
非常に大きな鐘です。

問題の銘の部分が、白く囲われて目立つようになっています。
国家安康君臣豊楽
「国家安康」「君臣豊楽」この2つの文です。
国家安康は徳川家康の「家」と「康」の字を分断している。
君臣豊楽は豊臣を主君として、豊臣の繁栄と徳川家を呪ったものだと
いういいがかりをつけたものです。

これは、家康と金地院崇伝、林羅山らが戦のためにつけたいいがかり
と思われます。

今でもその銘文を見ることが出来ますので、是非いかがでしょうか。

方広寺

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2008年12月09日

祇王寺    (京都市右京区 紅葉の名所)

京都市右京区にある祇王寺に行ってきました。

<祇王寺>
祇王寺
住所:京都府京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町32
駐車場あり
拝観料:300円

平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が剃髪し隠棲をしたお寺が祇王寺
です。
小倉山二尊院からほど近い場所にひっそりとあるお寺です。
祇王寺は紅葉の時期が一番良い時期という事で、今回で2回目になり
ますが、久しぶりに訪問しました。

夕方でやや暗くなってきてから行ったので、暗いんですが、それでも
紅葉の中に佇む草庵が閑かで良い感じでした。

祇王寺 紅葉

【紅葉の写真は続きをご覧ください】

紅葉の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/22577081.html



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二尊院    (京都市右京区 紅葉の名所)

京都市右京区の二尊院に行ってきました。

<二尊院>
二尊院
住所:京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27
駐車場あり
拝観料:500円

小倉山と号し、天台宗山門派に属する。
841年、嵯峨天皇の勅願によって慈覚大師が創立した。本尊に
釈迦如来、阿弥陀如来の二尊を祀る。
長く荒れていたのを法然上人の高弟湛空が再興した。
境内は楓樹が多く、本堂の後ろの山は百人一首の
「小倉山 峯のもみじ葉 心あらば 今ひとたびの 御幸またなん」
の歌で名高い小倉山で、昔から紅葉の名所として知られている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ここもまた久しぶりに訪問した二尊院です。
小倉山二尊院という名前で、百人一首ゆかりの地でもあります。
中学生の時に百人一首を暗記して、何度も「小倉山 峯の・・・」の
句を詠みました。その関係で、百人一首に関するこの場所には
非常に感慨があります。

本堂や勅使門も立派。また本堂にある後柏原天皇の勅額「小倉山」
もお見事です。

二尊院本堂

後柏原天皇勅額

また、このお寺には法然上人や角倉了以、公家の三条西家の墓など
歴史上の人物の墓も多数あります。

<法然上人廟>
法然上人廟

<三条西家の墓>
三条西家墓所

<角倉了以の墓>
角倉了以の墓

【紅葉の写真は続きをご覧ください】

紅葉の名所巡り
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著名人の墓
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常寂光寺    (京都市右京区 観光名所)

京都市右京区の常寂光寺に行ってきました。

<常寂光寺>
常寂光寺 山門
住所:京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3
駐車場あり(無料)
拝観料:300円

1596年、本国寺16世究竟院日愼がこの地に隠棲して開創した。
寺域が小倉山の中腹を占め、幽雅閑寂で天台四土にいう常寂光土の
観があるところから常寂光寺の名前が付けられたと言われる。
多宝塔(重要文化財)は1620年の建立で、並尊閣といい、前面に
霊元天皇の勅額を掲げている。
本堂は伏見城の一部を移転した物と言われる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
嵯峨嵐山の常寂光寺に紅葉を見に行ってきました。
ここも2回目なんですが、前回の記憶が相当曖昧のため、初訪問と
変わらない状況でした。
京都の主な寺が拝観料500円という中、拝観料300円はお手頃。

山門をくぐって、階段を登ると本堂があります。
常寂光寺 本堂
これは小早川秀秋が伏見城から移築したものだそうです。

本堂裏〜多宝塔にかけての紅葉が見事。
多宝塔は国指定重要文化財になっています。
常寂光寺 多宝塔

小倉山の中腹に位置するため、景色も良いです。
お寺に入ってからも階段をかなり上りますので、体力が必要かもしれ
ません。

【紅葉の写真は続きをご覧ください】

紅葉の名所巡り
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野宮神社    (京都府右京区 観光名所)

京都市右京区にある野宮神社に行ってきました。

<野宮神社>
野々宮神社
住所:京都府京都市右京区嵯峨野宮町1
境内自由

伊勢神宮に奉仕する内親王が潔斎のため居住された跡で、今三つの
祠があり、中央に天照大神を祀り、左右に愛宕、弁財天神を祀って
いる。
歴代天皇は未婚の皇女を神宮に奉仕せしめられ、これを斎宮と言った。
斎宮に立たれる内親王はまず皇居内の初斎院で1年あまり潔斎され
てからこの野宮に移り、3年間潔斎の後、初めて伊勢に向かわれたが、
その時の行列を斎王群行といった。
斎宮は垂仁天皇の時に皇女倭姫命をして奉仕せしめられたのが始まり
で、その後北朝時代に廃絶した。
野宮は源氏物語にも現れ、謡曲、和歌などに謡われているが、黒木の
鳥居や小柴垣は昔のままの遺風を伝える物である。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
野宮神社に行ってきました。
今回で3回目です。源氏物語にも出てくるところで、こと良縁に
御利益があるとか。
僕も以前、参拝したんですが、あまり良縁は無かったな〜と思い
つつ、立ち寄ってみました。

ちょうど紅葉シーズンという事もあり、ものすごい人の数。
参拝客も列をなしていたので、今回は参拝はしませんでした。

野宮神社

野宮神社って、実は紅葉も綺麗なんですね。
神社の奥の方にはカエデがあり、黄色く色づいて非常に良い感じ
でした。ここは無料で入れるので、気軽に立ち寄れるのが良いです。

【紅葉の写真は続きをご覧ください】

紅葉の名所巡り
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2008年12月08日

宝厳院の紅葉     (京都市右京区 紅葉の名所)

京都市右京区の宝厳院に紅葉を見に行ってきました。

<宝厳院>
宝厳院
住所:京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町36
拝観料:500円
(春と秋の特別拝観時のみ公開)

宝厳院は天龍寺の塔頭で、1461年室町幕府の管領細川頼之公
により創建された。
応仁の乱で焼失するが、再建されその後徳川幕府からも保護され
現在に至る。
宝厳院には獅子吼の庭(ししくのにわ)と呼ばれる庭園があります。
この庭園は室町時代中国に二度渡った禅僧策彦周良禅師によって
作庭された名園で嵐山を巧みに取り入れた借景回遊式庭園。
「獅子吼」とは仏が説法するという意味。
獅子吼の庭は、紅葉の名所として名高い。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天龍寺塔頭の宝厳院に行ってきました。
紅葉がきれいな庭園があるという事で行ってみました。
天龍寺を参拝している時は晴れていたんですが、急に曇って雨も
パラパラ。せっかくの紅葉が雨だと映えないのが残念です。

紅葉の名所として名高いだけあって、チケットの購入待ちだけで
20分位待ちそうな状況でした。
僕は事前に嵯峨嵐山チケットなる共通チケットを買っていたため、
別受付でさっと入れました(ラッキーでした)

獅子吼の庭と呼ばれる庭園をぐるっと巡る感じなんですが、庭園内
もものすごい人の数。庭園内の細い道は大渋滞。
ゆっくり写真も撮れない様な状況でした。

宝厳院の紅葉 混雑

本当に綺麗な紅葉なんですが、あいにくの天気と、ものすごい人混み
にゆっくり鑑賞出来なかったのが残念です。
ここはかなり良い場所なので、またいつか再度訪問したいと思います。

【紅葉の写真は続きをご覧ください】

紅葉の名所巡り
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2008年12月07日

天龍寺    (京都市右京区 紅葉の名所)

京都市右京区の天龍寺に行ってきました。

<天龍寺>
天龍寺 大方丈
住所:京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
拝観料:500円

臨済宗天龍寺派の大本山で、釈迦如来を本尊とする。
1994年に世界文化遺産に認定登録された。

足利尊氏が、後醍醐天皇の菩提を弔うため1339年、夢窓疎石
を開山に迎え創建した寺院。
寄進や天龍寺船の貿易収入により伽藍が整えられ、1386年には
京都五山の第一位を占め、大いに隆盛を極めた。
しかし、度重なる災火により堂宇を焼失し、現在の諸堂は明治以後に
再建された物である。

天龍寺 法堂

夢窓疎石の作庭と言われる池泉回遊式庭園は、曹源池を中心に遠景
の嵐山と近景の亀山の借景をたくみに取り入れており、国の史跡
及び特別名勝の一号に指定されている。

天龍寺 曹源池

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
嵯峨嵐山にある天龍寺に行ってきました。
天龍寺に行くのは今回が2回目です。前回は、外をぐるっと見ただけ
で、肝心の庭園に入ってませんでした。
今回は庭園にも潜入してきました。

今回思ったのは、庭園に入らないとこの寺の良さは分からないなって
事です。庭園の美しさ、紅葉の美しさ、すべてがここにありました。

ここの拝観料500円は決して高くないですね。非常に良い物を見せて
もらいました。

立派な大方丈と、曹源池もとても良かったです!

【紅葉の写真は続きをご覧ください】

紅葉の名所巡り
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天龍寺

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2008年04月26日

赤れんが倉庫群    (京都府舞鶴市 観光名所)

京都府舞鶴市の赤れんが倉庫群に行ってきました。

<赤れんが倉庫群>
赤れんが倉庫
住所:京都府舞鶴市北吸
駐車場あり


赤れんが倉庫群は、1901年旧海軍舞鶴鎮守府の開庁に伴い海軍が
建設した物を中心に数棟が残る建造物群です。
以前から国道27号線を走っていると気になる建物でしたが、今回は
車を降りて散策してみました。

横浜にも煉瓦倉庫などありますが、舞鶴の煉瓦倉庫の方が重厚感が
ある様な気がします。あと、あまり人がいないので、ゆっくり見る
事も出来ます。

ここ煉瓦倉庫群は、その雰囲気を生かし、映画のロケなどにも使われ
ています。最近で言うと、『バルトの楽園』『男たちのYAMATO』
などのロケに使われています。

平成19年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/51511781.html

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

続きをどうぞ
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2007年02月04日

「戦友」の碑   (京都市東山区 石碑)

知恩院近くでふと気がついた石碑をご紹介。

<「戦友」の碑>
戦友の碑
住所:京都市東山区林下町
良正院前

知恩院から青蓮院に向かっている時に、偶然古い石碑を発見しました。
よくよく文字を見てみると「ここはお國を何百里」とあるではないですか。
あ、これ「戦友」の歌詞だとピンときました。
実は軍歌は好きでして、受けねらいでこの「戦友」をカラオケで歌った
事があったりします。静まりかえったのは言うまでもありません(^^;
ここは「戦友」の作詞者で明星派の歌人真下飛泉がここに寓居していた事
にちなんでの石碑だという事が分かりました。

京都にはいろんなものがあって、驚きますね。

滋賀・京都紅葉巡りツアー(平成18年秋旅)
http://rover.seesaa.net/article/28834314.html

「戦友」の碑

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祇園新橋の町並み  (京都市東山区 古い町並み 観光名所)

京都市東山区の祇園新橋の町並みを散策してきました。

<祇園新橋の町並み>
祇園新橋の町並み
住所:京都府京都市東山区元吉町
駐車場(近隣コインパークなど)

<祇園新橋について・現地看板より>
この界隈は京洛の文化史にかかせない祇園発祥の地である。
約340年前の寛文10年(1670)祇園社領の中の弁財天町等の外
六町、正徳二年(1712)元吉町、末吉町の内六町が開かれ今日まで
一貫して繁栄してきた。
その間、江戸時代の町民の大衆文化の浮世草子浄瑠璃、歌舞伎音曲の
舞台となり、絢爛豪華を極め、今も伝統芸能として継承発展している。
現在では白川が流れ、町家造りの軒を連ねる新橋地区に限られ建築学上
からも重要な文化財とされている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平成18年12月2日、最後に行ったのが祇園新橋。
青蓮院から京阪三条駅に帰る途中で、通りかかりました。
ここは以前、出張で京都に来たときに、朝歩いた事があったんですが、
白川沿いの道は僕の中にある「これが祇園!」っていうイメージそのまま
の風景で感動した覚えがありました。
数年ぶりに祇園新橋へ。前は平日の早朝という事もあり人がほとんどいな
かったんですが、この日は休日の夕方という事で観光客も多く、にぎわって
いました。
祇園新橋は、京都の町家が並ぶ町並みです。
町家のずらっと並び、特に簾がかかる感じが僕は好きです。
石畳風に舗装された道を町家を見ながら帰り路を歩きました。
今回の京都のシメとして、ちょうど良い場所を通りかかったなという感じ
です。日本の古い町並みの中でも、ここは特におすすめ出来る町並みです。
重要伝統的建造物群保存地区。

滋賀・京都紅葉巡りツアー(平成18年秋旅)
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日本の古い町並み
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祇園新橋の町並み

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青蓮院    (京都市東山区 紅葉 観光名所)

京都市東山区の青蓮院に行ってきました。

<青蓮院>
青蓮院
住所:京都府京都市東山区粟田口三条坊町69-1
駐車場あり(無料)
拝観料:500円

<由緒>
天台宗三門跡の一つで、1144年天台座主行玄が住んだ三条白河房に始まる。1153年の大火後、鳥羽法王の命で殿舎を整備、比叡山東塔南谷に
あった行玄の住房青蓮坊の名をとって青蓮院と号した。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
知恩院の脇にある青蓮院。
知恩院の巨大な三門や御影堂の派手さに隠れてしまいますが、青蓮院は
歴史的由緒の詰まったお寺です。
門主を多くの皇族が占め、江戸時代に御所の火事の折には後桜町天皇の仮
御所となった場所でもあります。
また、親鸞上人の得度の寺、室町6代将軍足利義教が還俗前に出家して
いたなど、歴史マニアにはたまらないお寺です。

この日は、そんな歴史的由緒をかみしめつつ、紅葉の名所としても知られて
いるので、紅葉を見に行ってきました。
時間ももう15時になり、曇っているせいもあって、薄暗い状況。
紅葉はここが最後かなという状況で乗り込みました。

紅葉は見事!の一言でした。
小堀遠州作の霧島の庭は、ぐるっと一週する中、モミジの朱や黄色がとて
も綺麗。
紅葉も終盤だったため、落ち葉も多かったんですが、落ち葉が水に落ちて
水面を埋め尽くす光景も良かったです。

僕が青蓮院に行ったときに、ちょうど結婚式が行われていました。
こういう由緒あるお寺で結婚式ってのもまた良いものですね(^^)

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紅葉の名所巡り
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青蓮院

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知恩院   (京都市東山区 国宝建造物 観光名所)

京都市東山区、浄土宗総本山の知恩院に行ってきました。

<知恩院>
知恩院
住所:京都府京都市東山区林下町400
駐車場あり(有料)
境内自由

<由緒>
知恩院は法然上人の吉水禅房に始まるお寺。
法然の没後、1234年の勢観坊源智が廟堂を復興、仏堂、・御影堂など
を建立して大谷寺と称した。応仁の乱の兵火で焼失するもその後復興。
1523年には百万遍知恩寺と本山争いが起きるが、正親町天皇の綸旨で
知恩院が本山と決定した。
織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康の援助もあり隆盛。
特に家康は知恩院を信奉し、香華の寺とさだめて大伽藍の建造をすすめた。
三門は、1621年の建築で日本最大の三門として国宝に指定されている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
浄土宗総本山知恩院に行ってきました。
知恩院に行くのは2回目だったんですが、ここで毎度驚かされるのは
なんと言っても三門。
京都には威風堂々たる三門が多いですが、知恩院の三門はその中でも
一二を争うの三門です。
知恩院の三門は、日本で一番大きな三門なのです。国宝に指定されていて
見るとその大きさに圧倒されます。
各宗派の総本山はどこも威厳がありますが、知恩院は三門で一歩リード
という感じです。
本堂(御影堂)は国指定重要文化財。こちらも大きな建造物。

紅葉は知恩院の裏、安養寺方面にかけて綺麗なモミジを見ることが出来ます。

滋賀・京都紅葉巡りツアー(平成18年秋旅)
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紅葉の名所巡り
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国宝建造物を巡る
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知恩院

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円山公園   (京都市東山区 紅葉 観光名所)

京都市東山区の円山公園に行ってきました。

<円山公園>
円山公園
住所:京都市東山区円山町
駐車場なし
入場自由

<円山公園について>
平安の昔、今の円山公園一帯は一面真葛やススキなどが生い茂り、真葛ヶ原
と呼ばれていました。鎌倉時代、慈円僧正が
「わが恋は松を時雨の染めかねて真葛ヶ原に風さわぐなり」
と詠んでから一躍和歌の名所となり、以来多くの歌にうたわれました。
江戸時代にはいると安養寺塔頭の六阿弥が席貸を始め、次第ににぎやか
さを増してきました。
この頃から慈円山安養寺の円山がこのあたりの呼び名となったと伝えられて
います。
明治19年京都府は円山一帯を公園地に指定し明治22年市制が施行され
ると同時に京都府から京都市の管理に移されました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
八坂神社から裏手にある円山公園に行ってきました。
円山公園というと有名なのは祇園桜と言われる枝垂れ桜。
あいにく僕はその桜を見たことがないんですが、TVや雑誌などでも紹介
される有名なものです。
今日は円山公園に紅葉を見に来ました。
八坂神社から知恩院に向かうにあたり円山公園を通り過ぎたついでです。
円山公園もこの日は大変な賑わい。
桜のシーズンじゃなくても結構人は来ていました。
中央に庭園の池があり、この日は外国人芸人?が歌を歌っていました。
(流暢な日本語で歌を歌っていたのが印象的でした)

紅葉は公園の奥の方が綺麗です。
滝があるんですが、そのあたりや、知恩院へ向かう道の方など大変綺麗で
した。
桜のシーズンにまた円山公園に行ってみたいです。

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円山公園

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八坂神社   (京都市東山区 観光名所)

京都市東山区の八坂神社に行ってきました。

<八坂神社>
八坂神社
住所:京都府京都市東山区祇園町北側625
駐車場あり
境内自由

<由緒>
656年に創建され朝鮮半島から来朝しら八坂氏の祖が新羅の国牛頭山の
素戔嗚尊の神霊を八坂に移し感神院と定めたのが始まり。
八坂神社はながらく、「祇園社」「感神院」などと称しましたが、明治維新の神仏分離にともなって、「八坂神社」と改称しました。
有名な祇園祭は八坂神社の例祭です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
京都祇園の八坂神社に行ってきました。
祇園の交差点に八坂神社の楼門があって、車で走っていても目立つ神社
です。
以前、出張で祇園に泊まった時に、朝の散歩で八坂神社には行ったことが
ありましたが、「八坂神社って紅葉はどうなんだろう?」って思って久し
ぶりに行ってみました。

いや〜さすがは祇園の八坂神社、とにかく人が多い!
西楼門から入って、参道に出店があって、祭りの賑わいでした。
そんな中、本殿へ。
本殿は祇園造りと言われる造りで江戸時代の建造物(国指定重要文化財)
人混みの中参拝してきました。
で、紅葉はどうかというと、参道や本殿脇で綺麗な紅葉を見ることが出来ま
した。京都の名だたる紅葉の名所に比べると、まあ紅葉はぼちぼちという
ところです。

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紅葉の名所巡り
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八坂神社

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泉涌寺  (京都市東山区 観光名所)

京都市東山区の泉涌寺に行ってきました。

<泉涌寺>
sennyuji1.jpg
住所:京都市東山区泉涌寺山内町27
駐車場あり(無料)
拝観料:500円

<由緒>
泉山と号する真言宗泉涌寺派の総本山。
天長年間に弘法大師によって建立された法輪寺があったが、1218年に
宗より帰国した月輪大師によって再興され、以後歴代天皇・皇室の厚い崇敬
を受け、皇室の御香華院(菩提所)として栄えた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
泉涌寺に行ってきました。
泉涌寺は「御寺」と呼ばれ、皇室ゆかりのお寺として知られています。
僕が泉涌寺を知ったきっかけは、旅行地理検定試験の問題。
皇室ゆかりの寺っていう内容で、泉涌寺が出てこず、あえなくその問題を
落としました。そこで間違えたおかげで、「泉涌寺=皇室」とはっきりと
覚えました。
皇室ゆかりという事で、一般には開放されたお寺では無かったそうで、
1955年に一般開放されるまで、約700年間閉ざされていたという
事です。

JR東海「そうだ京都行こう・泉涌寺」
http://jr-central.co.jp/museum/kyoto/autumn_1998_01.html

この「そうだ京都行こう」の泉涌寺のポスターはインパクトがありました。
『この時代に生まれて良かった。700年の秘仏楊貴妃観音に会えました』
確かにそうですね、今に生まれなかったら泉涌寺を見ることは出来なかったんですから。
楊貴妃観音は、玄宗皇帝が亡き楊貴妃を偲んで作ったもので、たまたま
中国に渡った湛海によって日本に持ち帰られ、ここに安置されたものだそう
です。

滋賀・京都紅葉巡りツアー(平成18年秋旅)
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泉涌寺

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2007年02月02日

即成院   (京都市東山区 観光名所)

京都市東山区の即成院(そくじょういん)に行ってきました。

<即成院>
即成院
住所:京都市東山泉涌寺山内町28
拝観自由
駐車場なし

<由緒・現地看板より>
992年恵心僧都により伏見に建立された光明院を始まりとする。
寛治年間(1087〜1094)には、橘俊綱が山荘造営にあたり、当院
を持仏堂として傍に移設し、伏見寺または即成就院と呼ばれていた。
1594年、豊臣秀吉の伏見築城のための深草大亀谷に移転し、さらに明治
に至り泉涌寺山内に再興され、即成院と呼ばれるようになった。
本堂には国の重要文化財に指定されている本尊阿弥陀如来像を始め、
二十五菩薩座像が安置され、境内には那須与一の墓と伝えられる石造宝塔
がある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
泉涌寺の入り口付近に即成院というお寺があり、立ち寄ってみました。
ここには何と、源平の合戦で活躍した那須与一のお墓がありました。
(那須与一について Wikipedhia)

那須与一は下野国出身で、栃木県大田原市では那須与一で市をアピールみ
たいな事をしています。そんな事もあるので、まさか京都に墓があるとは
思わず、ちょっとびっくりしました。
お墓は本堂に入り、裏口から出てすぐの場所にあります。
一回本堂に入らないと墓には行けません。

そこには石の宝塔があり、それが那須与一の墓という事でした。
那須与一といえば、扇の的。お墓にも扇が何枚も飾ってありました。

<那須与一の墓>
那須与一の墓

著名人の墓
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滋賀・京都紅葉巡りツアー(平成18年秋旅)
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即成院(那須与一の墓)

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今熊野観音   (京都市東山区 紅葉 観光名所)

京都市東山区の今熊野観音に行ってきました。

<今熊野観音>
今熊野観音
住所:京都府京都市東山区泉涌寺山内町
駐車場あり(無料)
拝観自由

<由緒・現地看板より>
泉涌寺の塔頭で、正しくは新那智山今熊野観音寺という。
西国三十三観音霊場第15番目の札所になっている。
空海が自ら観音像を刻んで草堂に安置したのが当寺のはじめというが、
斉衡年間(854〜857)左大臣藤原緒嗣が伽藍を造営したとも伝える。
文暦元年(1234)後堀河上皇を当寺に葬るなど、暦朝の崇敬を得て栄え
た。
伽藍は応仁の乱の兵火で焼失したが、その後、復興されて現在に至っている。
本堂には空海作と伝える十一面観音像を安置する。
本堂背後の墓地には、慈円僧正、藤原忠通などの墓がある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
泉涌寺の塔頭今熊野観音に行ってきました。
泉涌寺を目指して歩いている途中で、今熊野観音の看板があり、紅葉が
綺麗そうだったので寄ってみました。

今熊野に関しては何も知らずの訪問でした。
良かったのはなんと言っても紅葉!
曇っていて、その分マイナスではあったんですが、それをもって余りある
綺麗さ。
この後行った泉涌寺はあまり紅葉という意味ではあまり見るべき所がなか
ったので、今熊野で紅葉を見ることが出来て良かったです。
本堂裏に保元の乱の関係者関白・太政大臣を歴任した藤原忠通のお墓
があることを帰ってきてから知りました。
事前に知っていれば見てきたんですけど、それが残念です。

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紅葉の名所巡り
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今熊野観音寺で紅葉を見る

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2007年01月27日

東福寺   (京都市東山区 紅葉 国宝 観光名所)

京都市東山区の東福寺に行ってきました。

<東福寺>
東福寺
住所:京都府京都市東山区本町15-778
境内自由
駐車場あり(無料)

<由緒>
恵日山と号し、臨済宗東福寺派の大本山である。
藤原道家が1236年、東大寺・興福寺とならぶ大寺の建立を発願して
東福寺と名付け、円爾弁円を開山に招いて1256年完成した。
その後火災を受けたが、室町初期に道家の計画通りに再建され、京都五山の
ひとつとして栄え多くの伽藍、塔頭が建ち並び、兵火を受けることもなく
明治に至った。
明治14年に惜しくも仏殿、法堂など中心部を焼失したが、今なお堂々たる
中世禅宗の寺観を保っている。
三門(国宝)は室町初期の作、禅宗三門として最古の遺構である。
禅堂、東司、浴室も室町時代の建物。
本堂、方丈は近時の再建で、開山堂に至る渓谷には多くの紅葉があって
通天橋からの景色は絶景。

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日向大神宮から電車に乗り、東福寺へ。
大黒ラーメンでお昼を食べて、ひと心地ついてから東福寺に向かいました。

東福寺に行くのは今回で3回目だったんですが、今回は過去2回とは
大違いでした。
東福寺というと、大寺院ではあるんですが、京都の観光スポットの中では、
観光客があまりいるイメージが無かったんですが、紅葉のシーズンは全然
違う様です。
紅葉を見るスポット、通天橋というのがあるんですが、そこに入るための
チケットを買うための行列が、見た感じ100人位!!
通天橋の上も相当混み合っている様な感じでした。
悩んだんですけど、並んでまで行く気力もなく、断念。

せっかくなので庭園でも見て帰ろうと思い、庭園(有料)の方に行きました。
これが正解でした。
この庭園の裏から、通天橋を眺める様な形で紅葉がきれいに見えるじゃない
ですか。混み合っている通天橋より、よほどこっちからの方が良かったです。
庭園は枯山水庭園で、こちらも眺めるのにはgood!

帰り際に巨大な三門(国宝)を眺めてきました。
紅葉は終盤戦で、散り気味でしたが2000本のモミジはすごく綺麗で
した。晴れていれば尚良かったんですけどね。
東福寺の紅葉は超おすすめです。(通天橋より庭園から見た方が良いかと)

滋賀・京都紅葉巡りツアー(平成18年秋旅)
http://rover.seesaa.net/article/28834314.html

紅葉の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/22577081.html

国宝建造物を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21220842.html

東福寺の紅葉

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日向大神宮   (京都市山科区 紅葉 観光名所)

京都市山科区の日向大神宮に行ってきました。

<日向大神宮>
日向大神宮
住所:京都府京都市山科区日ノ岡一切経谷町29
境内自由
駐車場あり(無料)

<由緒>
清和天皇の勅願により、天照大神を粟田山に勧請したことに始まり、その後
応仁の乱で焼失したが、寛永年間(1624−1644)に伊勢人野呂
左右衛門尉源宗光が再興したと伝えられる。
内宮・外宮の両本殿があり、ともに造営年代に関する資料を欠くが、社殿
文書や『拾遺都名所図会』から18世紀末にはすでに建っていた事が分かり
、部材が一部取り替えられているものの、市内では例の少ない神明造本殿
として貴重である。

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南禅寺を出て、地下鉄蹴上駅へ向かうところ、ちょっと寄り道して日向
大神宮(ひむかいだいじんぐう)に行きました。
ずっと左京区を歩いてきましたが、ここは山科区になる様です。
岡崎から山科へ向かう道路から細い急な坂道をあがっていくと日向大神宮
があります。

この神社は、「京の伊勢」と言われる神社で、伊勢神宮の様に内宮・外宮に
別れて本殿が存在します。
外宮・内宮と参拝し、最後に岩穴「天の岩戸」をくぐります。
これを潜ると願いがかなうとか。

また、日向大神宮は京都の隠れ紅葉の名所です。
南禅寺や永観堂は確かに有名ですが、とにかく人が多い!
日向大神宮の紅葉は非常に綺麗なんですけど、観光客があまり居ないので
快適です。
知る人ぞ知るんでしょう、三脚を持って紅葉の写真を撮る写真家の人たち
が何人かいて、シャッターチャンスをうかがっていました。
僕もこの神社はおすすめです。

滋賀・京都紅葉巡りツアー(平成18年秋旅)
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日向大神宮の紅葉

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南禅寺   (京都市左京区 紅葉 観光名所)

京都市左京区の南禅寺です。

<南禅寺>
南禅寺 三門
住所:京都市左京区南禅寺福地町
駐車場あり(有料)
境内自由
庭園や方丈などは別途拝観料が必要

<由緒>
臨済宗南禅寺派の大本山で、正式には瑞龍山太平興国南禅禅寺といいます。
1291年亀山上皇の離宮を大明国師に賜り禅林禅寺としたのに始まり、
足利義満の時、五山制度の中で五山を超える「五山之上」と言う禅宗寺院最高の寺格を賜り、五山文化の中心に在りました。
一説には亀山上皇が国寺多難の折から、東大寺にならって国家の精神的
統一をはかるために離宮を寺に改めたものとも言われています。
応仁の乱で衰退しますが、その後以心崇伝によって再興されます。
三門は藤堂高虎が大阪の陣の戦没者を弔うために建造(国指定重要文化財)
方丈(国宝)など見所も多い。

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若王子神社から、今回は永観堂をパスして南禅寺へ。
南禅寺はなんと言っても巨大な三門が印象深いお寺です(上記写真)
京都は、この南禅寺や東福寺、知恩院など巨大な三門を持つお寺が多い
ですね。三門だけで圧倒されます。
この三門、石川五右衛門が住み着いて「絶景かな」と言ったという話が
ありますが、実はこの三門の建築年代は五右衛門の死後という事で、その
お話は俗説の様です。

今回は久しぶりに南禅寺に来て、まずは紅葉を見たいっていうのと、琵琶湖
疎水の煉瓦水路の写真を撮りたいという2つの目的で行きました。
まずは紅葉。永観堂や真如堂の様に一面紅葉に染まるという感じではないで
すが、カエデの木も多く綺麗に色づいていました。
紅葉の雰囲気は良いですね!

次ぎに琵琶湖疎水。
以前来たとき、なんだか分からずにただ通り過ぎていました。
後でそれが琵琶湖疎水の煉瓦水路という事を知り、よく見なかった事を
後悔していました。
今回は、下から、そして上からよく見てきました。
今でも琵琶湖から水路を勢いよく水が流れています。
下から見上げると、色が変わった煉瓦が歴史を感じさせてくれます。
鎌倉時代から続く南禅寺という大寺院に、明治期の煉瓦水路があるあたり
がまたミスマッチなんですけど、これがまた南禅寺の魅力なんですね。

今回は拝観料を払って方丈(国宝)も見てきました。
方丈内の中庭には枯山水の庭園もあり、こちらの前でしばしぼけーっと
して来ました。

滋賀・京都紅葉巡りツアー(平成18年秋旅)
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南禅寺

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2007年01月20日

若王子神社   (京都市左京区 紅葉 観光名所)

京都市左京区の若王子神社に行ってきました。

<若王子神社>
若王子神社
住所:京都府京都市左京区若王子町2
拝観自由
駐車場なし

<由緒・現地看板より>
当社は1160年、後白河法皇が熊野権現を勧進して建立した若王子の
鎮守社で、社名は天照大神の別称若一王子にちなんでこのように名付け
られた。
以後室町幕府及び、武家の信仰を集めるとともに花見の名所としても知られ
1465年には足利義政により花見の宴が催された。
その後応仁の乱により社殿は荒廃したが、豊臣秀吉により再興され、社殿
および境内が整備された。
現在の社殿は1979年一社相殿に改築されたもので、以前は本宮・新宮・
那智・若宮の四棟からなっていた。
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京都市左京区、哲学の道の入り口付近にある若王子神社に行ってきました。
王子という言葉から、熊野という想像はつきましたが、分かるのはそれ
くらいで訪問しました。

現地看板から、花見の寺として足利将軍家や秀吉らに親しまれてきた寺とい
う事を知りました。
ちょうど季節的に花という感じでは無かったですが、入り口付近の紅葉は
綺麗でした。
紅葉の名所永観堂の近くという事もあり、多くの観光客が参拝に来ていま
した。

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若王子神社

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大豊神社   (京都市左京区 観光名所)

京都市左京区の大豊神社(おおとよじんじゃ)に行ってきました。

<大豊神社>
大豊神社
住所:京都府京都市左京区鹿ケ谷宮ノ前町1
駐車場なし
拝観自由

<由緒・現地看板より>
この社は少彦名命、応神天皇、菅原道真を祀っている。
社伝によると、887年宇多天皇の病気平癒のため尚侍藤原淑子が勅命
を奉じた勅願社であり、朝野の信仰が篤かった。建武の内乱、応仁の兵火
などによって焼失したが、本殿・末社・拝殿・絵馬堂が再建され、鹿ヶ谷
、法然院、南禅寺一帯の土産神として信仰を集めている。
特に末社大国社の狛鼠、日吉社の狛猿、愛宕社の狛鳶はそれぞれ神の使い
として有名である。

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安楽寺を出て、哲学の道沿いを歩いていくと、大豊神社の標識を発見して
立ち寄ってみました。
宇多天皇祈願所の石碑もあり、由緒ある神社なのかなって感じで行きました。

神社は小さくこじんまりとした感じです。
見所は由緒のところにも書きましたが、狛犬ならぬ、狛鼠に狛猿、狛鳶。
それぞれが神の使いだそうです。
狛鼠がかわいらしくて良かったです(^^)

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大豊神社

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posted by 南行 at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都府 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

安楽寺   (京都市左京区 紅葉 観光名所)

京都市左京区の安楽寺で紅葉を見てきました。

<安楽寺>
安楽寺 本堂
住所:京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町21
駐車場なし
拝観については、期間限定ですので注意してください。
安楽寺HPをご覧ください
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/anrakuji/anrakuji/top.htm

<由緒・現地看板より>
住蓮山と号し、浄土宗の寺院である。
鎌倉時代の初め、現在地より東1キロメートルばかりのところに、法然上人
の弟子住蓮房、安楽房の二僧が念仏道場を建てて人々に念仏をすすめた。
たまたま後鳥羽上皇の官女松虫、鈴虫両姫が教化をうけてひそかに出家する
事件がおこり上皇の立腹をうけ「念仏停止」の宣下によって二僧は死刑、
法然上人は土佐へ、親鸞上人は越後へ配流された。
室町時代の天文年間(1532〜1555)に二僧の供養のため伽藍を
この地に再興したのが当寺である。
本堂には阿弥陀三尊像を安置し、傍らには住蓮、安楽両上人、松虫・鈴虫
両姫の座像、法然上人張子の像等をまつっている。

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京都市左京区の安楽寺に立ち寄りました。
法然院を出て、南禅寺に向かったんですが、途中で人だかりを発見。何かと思って行ったところ、見事な紅葉のお寺を発見しました。
それがこの安楽寺です。
正直言って、全然知らないお寺でした(まだまだ未熟です)
紅葉の時期の特別拝観という事で、普段は拝観できない安楽寺を拝観出来る
という事で、400円払って拝観しました。
中では、お寺のゆかりについて、お坊さんがお話をしてくれました。
後鳥羽上皇の怒りで、法然や親鸞が配流された事は知ってましたが、ここ
がその事件ゆかりのお寺というのには驚きました。
親鸞は越後に流されています・関連記事

紅葉が見事なのは、入り口付近。
いや〜見事のひとことです。歩く人は必ずと言って良いほど立ち止まり、
タクシーも一端停車します。
正直あまり紅葉の名所として全国区の知名度では無いですが、本当に綺麗
な紅葉のお寺でした。

滋賀・京都紅葉巡りツアー(平成18年秋旅)
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紅葉の名所巡り
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安楽寺で紅葉を見る

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posted by 南行 at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都府 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする