2020年11月10日

三好長慶像  (大阪府大東市)

大東市にある三好長慶像を見てきました。

<三好長慶像>
三好長慶像.jpg
住所:大阪府大東市谷川1丁目1
駐車場なし

<三好長慶について>
三好長慶像3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大東市役所の前にある三好長慶の銅像を見てきました。
2017年に造られた比較的新しい銅像です。
何故大東市役所前に銅像があるかと言うと、三好長慶が晩年を過ごした飯盛城が
大東市にあったからです。
大東市では、三好長慶に特別住民票を交付し、長慶で市を盛り上げていこうという
話だそうです。
今年の大河ドラマ『麒麟がくる』にも登場しましたしね。

三好長慶というと、松永久秀とともに足利将軍家を傀儡化した悪役として扱われる
事が多いですが、近年の研究で再評価されてきているそうです。

三好長慶像2.jpg
銅像を見る為の専用駐車場はありませんが、市役所の駐車場に少し停めさせて頂いて
銅像を見てきました。

令和2年夏旅3 九州大旅行
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銅像めぐり
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大河ドラマの舞台
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2020年01月19日

久米田寺         (大阪府岸和田市)

岸和田市にある久米田寺に行ってきました。

<久米田寺>
久米田寺.jpg
住所:大阪府岸和田市池尻町934
駐車場あり(無料)
境内自由

<久米田寺について>
久米田寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
久米田寺に行ってきました。隣にある貝吹山城に行くために来たのですが、
貝吹山城はどこが城なのかよく分からない状況。そのまま次に行こうかと思いまし
たが、目の前に大きなお寺があったので立ち寄りました。それがここ久米田寺です。

久米田寺の事はまったく知りませんでしたが、解説によれば行基が開発指導した
久米田池の管理の為に建立した寺院だとか。
その後、楠木正成や足利尊氏らにも崇敬を受け、足利尊氏が全国に設置した安国寺
のひとつになったとの事です。

境内には多くの堂宇があり、昔からの隆盛を感じる事が出来ました。

久米田寺3.jpg

久米田寺4.jpg

令和元年〜2年・年末年始の旅
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2020年01月05日

貝吹山城址    (大阪府岸和田市)

岸和田市にある貝吹山城址に行ってきました。

<貝吹山城址>
貝吹山城址.jpg
住所:大阪府岸和田市池尻町644
駐車場無し

貝吹山城址に行ってきました。
貝吹山城は三好義賢によって戦国時代に築城されたお城で、久米田寺の
前にある古墳をそのまま城としたものです。
1562年、久米田の戦いで三好義賢はここを陣所としますが、畠山高政
に敗れ討ち死にしました。
貝吹山という地名は陣貝を吹いた事が由来ではないかと伝承があるそうです。

現在現地には解説板等無く、知らなければここが城跡とは気付かない様な
状況です。古墳である事も案内も無いので、よく分からない丘の上にベンチ
があるだけという感じです。

貝吹山城址3.jpg

貝吹山城址2.jpg

貝吹山城址4.jpg

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日本の城を巡る
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綾井城址    (大阪府高石市)

高石市にある綾井城址に行ってきました。

<綾井城址>
綾井城址.jpg
住所:大阪府高石市綾園2-2
駐車場あり(無料)
境内自由

<綾井城について>
綾井城址5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
高石市にある綾井城址に行ってきました。現在は専称寺というお寺になっています。
応仁年間(1467〜1469)に沼間清成によって築城されたお城です。
戦国時代、沼間氏は泉州でかなりの力を持っており、織田信長に従いました。
当時の当主沼間義清は織田と毛利がぶつかった第一次木津川の戦いに参戦し討ち死
にしています。

今回の旅は和田竜の小説『村上海賊の娘』関連地を巡るという事で、登場人物の
中でも主要なキャラである沼間義清関連の綾井城を訪問しました。
現在は寺ですが、堀に囲まれていたりして城の雰囲気は感じる事が出来ました。

綾井城址2.jpg

綾井城址3.jpg

綾井城址4.jpg

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2017年02月05日

若江城址    (大阪府東大阪市)

東大阪市にある若江城址に行ってきました。

<若江城址>
若江城址.jpg
住所:大阪府東大阪市若江北町3丁目3
駐車場なし

<若江城について>
若江城址3.jpg

若江城址4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
東大阪にある若江城址に行ってきました。今は特に遺構等は残って
おらず、完全な城跡です。
若江城は南北朝時代に北朝方の畠山氏の居城として築城され、以後畠山
氏が城主を務めました。
応仁の乱では、畠山政長、畠山義就の戦いの舞台にもなりました。

その後、三好氏、織田氏と城主はかわり、織田信長の本願寺攻めでは
織田方の最前線の拠点として使われた様です。
本願寺と信長が和睦した事により、若江城は廃城となりました。

現在若江城跡には若江老人憩いの家という建物が建ってまして、
そこの若江城の碑がありました。

<若江老人憩いの家>
若江老人憩いの家.jpg

若江城址2.jpg

一番上に掲載した旧若江城の碑は、この憩いの家の道路をはさんで対面に
ある神社にあります。

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2017年02月01日

大坂夏の陣・後藤又兵衛奮戦の地   (大阪府柏原市)

柏原市にある大坂夏の陣・後藤又兵衛奮戦の地に行ってきました。

<後藤又兵衛奮戦の地>
後藤又兵衛奮戦の地.jpg
住所:大阪府柏原市片山町541
駐車場なし

大坂夏の陣、後藤又兵衛奮戦の地碑があると知り行ってきました。
場所は柏原市にある片山庭球場というテニスコートの駐車場の前にあります。
マニアな場所なので、知っていないとここに行くことは不可能という感じ
の場所です。

後藤又兵衛奮戦の地2.jpg

大坂夏の陣において、豊臣方は大坂城を打って出て野戦に出ます。
先陣の後藤又兵衛隊は、道明寺に布陣します。
作戦では、真田隊らの後詰めを待つことになっていましたが、霧の為真田隊
の到着が遅れます。
幕府軍が迫る中、後藤又兵衛は後詰めを待たず石川を渡り小松山に布陣し、
幕府軍と合戦に及びます。
幕府軍と激戦をくりひろげた後藤隊も数に勝る幕府軍を防ぎきれず、小松山を
降りて最後の決戦に及びます。
その最後の決戦地がこの場所と思われます。

石川と大和川の分かれる三角州の様な場所、ここで激戦があったのかとしみじみ
感傷にひたってきました(-.-)

後藤又兵衛奮戦の地3.jpg

後藤又兵衛奮戦の地4.jpg
前に見える小高いところが小松山になります。

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2017年01月31日

誉田八幡宮      (大阪府羽曳野市)

羽曳野市にある誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)に行ってきました。

<誉田八幡宮>
誉田八幡宮.jpg
住所:大阪府羽曳野市誉田3丁目-2-8
駐車場あり(無料)
境内自由

<誉田八幡宮について>
誉田八幡宮2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
誉田八幡宮に行ってきました。
誉田八幡宮は、応神天皇を祭神とした神社です。
応神天皇は4世紀後半に実在した天皇で、諱を誉田別尊と言うことから
神社の名前も誉田八幡宮となりました。
神社は応神天皇陵の隣にあります。

<拝殿>
誉田八幡宮4.jpg
この拝殿は豊臣秀頼の命により片桐且元を奉行として造成され、大坂の
陣により途中で止まっていた工事を徳川家光の命で完成させたというもの
です。横幅のある立派な拝殿です。

<放生橋>
誉田八幡宮 放生橋.jpg
神社と応神天皇陵の間にある橋です。鎌倉時代の造営。
橋は傾斜がすごく、本当にこの橋渡れるの?って感じの橋です。

<誉田林古戦場>
誉田林古戦場.jpg

誉田八幡宮3.jpg

上の説明にもあるように、誉田八幡宮付近は戦略上の要衝であった事から
数々の戦いの舞台になりました。
応仁の乱では、畠山政長と畠山義就がこの地でぶつかった様です。
また、大坂夏の陣では豊臣方の薄田兼相が陣を敷き、道明寺の戦いで討ち死に
しています。
ここからだと道明寺古戦場までは数キロですが、大坂の陣では薄田勢は霧で
到着が遅れ(諸説あり)、後藤又兵衛が討ち死にしてしまいます。

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2017年01月29日

木村重成像      (大阪府東大阪市)

東大阪にある木村重成像を見てきました。

<木村重成像>
木村重成石像.jpg
住所:大阪府東大阪市若江南町1−8
駐車場なし

木村重成が大坂夏の陣で布陣した若江の地に石像があります。
この石像は昭和7年に作られたものだそうで、観光ガイドなどにも載っている
名所なんですが、どこにあるのかいまいちよく分かりませんでした。

それもそのはず、民間の駐車場の奥のどこにも接していない残地の様な所に
あったからです。

像の説明があったであろう石碑は倒れています。
木村重成石像3.jpg
何かいわくがありそうな感じがします。
地上げされてここだけ残った様な雰囲気です。

像の下には木村重成夫人(青柳)の負烈碑なる碑がありました。
木村重成石像2.jpg
重成夫人を祀ったものでしょうか。

木村重成像は管理されている気配もなく、苔むした古い石像でした。
木村重成石像4.jpg
せっかくの像なのに、この扱いは残念ですね。

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2017年01月27日

蓮城寺で木村重成の位牌所を参拝

東大阪市にある蓮城寺に行ってきました。

<蓮城寺>
蓮城寺.jpg
住所:大阪府東大阪市若江南町2丁目3−7
駐車場(不明)

東大阪市にある蓮城寺に行ってきました。
ここは豊臣家家臣で、大坂夏の陣で討ち死にした若き武将木村重成の位牌が
あるお寺です。
木村重成は、大坂夏の陣で若江方面に布陣し藤堂高虎、井伊直孝らの軍勢と
戦い奮戦むなしく討ち死にします。

討ち死にした若江の地にある蓮城寺に木村重成の位牌があるというので訪問
しました。

山門の脇に木村重成霊牌所の碑もありました。
蓮城寺2.jpg

山門をくぐると、位牌堂があります。
木村重成公霊牌場.jpg

木村重成公霊牌場2.jpg
扉には明けて入って良いよという案内があります。
という事で入ってみます。

木村重成公霊牌場3.jpg
中央に木村重成公の絵。右に位牌があります。左は何故か加藤清正の小さな像
がありました。

木村重成像、凜々しい若武者って感じですね。
木村重成公霊牌場4.jpg

昨年の大河ドラマ『真田丸』で木村重成が登城しましたが、あくまで脇役。
もう少し木村重成にスポットをあてたドラマがあっても良いかなと思いました。

ちなみに駐車場は不明です。僕はとなりにある若江鏡神社に車を止めてそのまま
蓮城寺に来ました。

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2016年01月27日

妙国寺       (大阪府堺市)

堺市にある妙国寺に行ってきました。

<妙国寺>
妙国寺.jpg
住所:大阪府堺市堺区材木町東4丁1−4
駐車場あり
拝観料:400円

<妙国寺について>
妙国寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
妙国寺に行ってきました。
年末の為、有料拝観部分はお休みになっていて外観だけの拝観となりました。

妙国寺2.jpg

妙国寺を訪問したのは、ここで堺事件の首謀者たちが切腹させられた場所との
事でのものです。

<堺事件について>
堺事件.jpg
堺事件は1868年に起こった事件。堺を警備していた土佐藩兵とフランス水兵
との間のいざこざで、土佐藩兵が仏兵に銃撃。11人が死亡したというものです。
結果、事件に関連した土佐藩の20名が捕縛され切腹という事に。
ここ妙国寺で切腹しました。
フランス軍士官見聞のもと切腹が進められましたが、あまりの凄惨さに11人が
切腹した時点で切腹は取りやめられ、結果として9人が助かりました。

ここで切腹した11人を供養する供養塔が境内にありました。
土佐十一烈士供養塔.jpg

ほぼ同時期に神戸では神戸事件という同様の事件が起こっています。
1868年当時はまだ攘夷の流れが続いていたんですね。
鳥羽伏見のあたりでは、攘夷論は下火になっていたのかと思っていました。

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2016年01月25日

樫井古戦場 / 大坂夏の陣      (大阪府泉佐野市)

大阪府泉佐野市にある樫井古戦場の碑を見に行ってきました。

<樫井古戦場>
樫井古戦場.jpg
住所:大阪府泉佐野市南中樫井町
駐車場なし

<樫井の戦いについて・クリックすると拡大します>
樫井古戦場2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大坂夏の陣樫井古戦場に行ってきました。
堀を埋められた大坂城は籠城する状況にはなく、夏の陣では大坂方が城の外にうって
出ます。
和歌山城から出陣してきた徳川方浅野長晟の軍勢と豊臣方の大野治房の軍勢とここ樫井
でぶつかります。浅野勢5000×大野勢3000の戦いと言われています。
戦いは徳川方浅野勢の勝利に終わり、豊臣方の淡輪重政・塙団右衛門らが討ち死にし
ます。この戦いが大坂夏の陣の緒戦といえる戦いです。

樫井川にかかる明治大橋の袂に「樫井古戦場」の碑があるとともに、同じ通りを北に
少し行ったところにここで討ち死にした塙団右衛門、淡輪重政の五輪塔がありました。

<塙団右衛門五輪塔>
塙団右衛門の墓.jpg

塙団右衛門の墓2.jpg

<淡輪重政五輪塔>
淡輪六郎兵衛の墓.jpg

淡輪六郎兵衛の墓2.jpg

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2016年01月20日

臨江寺 / 今井家の墓・武野紹鴎の墓    (大阪府堺市)

堺市にある臨江寺に行ってきました。

<臨江寺>
臨江寺.jpg
住所:大阪府堺市堺区南半町東2丁1−3
駐車場(不明)

<臨江寺について>
臨江寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
臨江寺に行ってきました。
ここは堺会合衆の今井宗久、そして千利休の茶の師匠である武野紹鴎の墓がある
というので訪問しました。
寺の建物は最近のもので、お寺という感じも薄い建物です。
その建物の右側から裏手に入ると臨江寺の墓地があります。

そこに今井家墓地及び武野紹鴎の墓がありました。

<武野紹鴎の墓>
武野紹鴎の墓.jpg

<今井家累代の墓>
今井家の墓.jpg
今井家の墓はどれが誰の墓はよく分かりませんでした。
今井宗久の孫がつくったお墓との事。今井宗久やその子今井宗薫の墓などがここに
祀られているものと思われます。

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岸和田城           (大阪府岸和田市)

大阪府岸和田市にある岸和田城に行ってきました。

<岸和田城>
岸和田城.jpg
住所:大阪府岸和田市岸城町9-1
駐車場あり(無料)

<現地解説>
1334年、楠木正成の一族和田氏が当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築き、
根拠地としたことから「岸の和田氏」と呼ばれ、岸和田の地名の起こりになったと
言われています。
その後、信濃氏、細川氏、三好氏、松浦氏、中村氏、小出氏、松平氏とかわり、
1640年岡部宣勝が入城、以来13代続き明治を迎えました。
岸和田城の別称は「猪伏山縢城」。「縢(きちり)」とは機のたて糸を巻く
器具で本丸と二ノ丸を連ねた形が「縢」に似ているところから由来すると言われ
ています。
また、城は「千亀利城」とも書かれます。1827年雷火により五層の天守閣が
焼失し、昭和29年に三層の天守閣が復興されました。

岸和田城2.jpg

岸和田城3.jpg

岸和田城4.jpg
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岸和田城2回目の訪問です。今回も年末の訪問で、中に入ることが出来ません
でした。
天守閣は昭和に入ってからの再建との事ですが、立派な石垣・堀が見所です。
これぞ城って感じですね。
この岸和田城が岸和田という地名の由来という事をはじめて知りました。

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本願寺堺別院        (大阪府堺市)

堺市にある本願寺堺別院に行ってきました。

<本願寺堺別院>
本願寺堺別院.jpg
住所:大阪府堺市堺区神明町東3丁1−10
駐車場あり(無料)
境内自由

<本願寺堺別院について>
本願寺堺別院3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
本願寺堺別院に行ってきました。
本願寺堺別院は真宗本願寺派の寺院です。本願寺は、本願寺派(西本願寺)と
真宗大谷派(東本願寺)が大きな宗派になっていますが、最大の本願寺派の寺院
です。
現在の本堂は幕末の再建で、明治時代の廃藩置県後に堺県の県庁舎として使用された
との事です。

本願寺堺別院2.jpg

本願寺系の寺院は建物がとにかく大きいですね。どこの寺院も圧倒的な存在感
があります。
本堂前には本願寺の始祖蓮如上人の像がありました。
本願寺堺別院 蓮如上人.jpg

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2016年01月17日

石津川古戦場      (大阪府堺市)

堺市にある石津川古戦場に行ってきました。

<石津川古戦場>
石津川古戦場2.jpg
住所:大阪府堺市西区浜寺石津町中5丁3
駐車場なし

石津川古戦場に行ってきました。
1338年、南朝方の北畠顕家、南部師行らの軍勢と北朝方の高師直の軍勢がここ
石津で激突します。(戦いの経緯はこちら

善戦むなしく北畠顕家は若干20歳にして討ち死に。
北朝方の勝利に終わります。

石津川古戦場3.jpg

現在、旧紀州街道沿いの石津川の橋のたもとに北畠顕家奮戦の地という碑とともに
北畠顕家、南部師行の供養塔が建てられています。
<供養塔>
石津川古戦場1.jpg

<旧紀州街道>
石津川古戦場6.jpg

<石津川>
石津川古戦場4.jpg

石津川古戦場5.jpg

石津の戦いは南北朝の戦いの中でも有名な戦いのひとつです。
北畠顕家は『神皇正統記』を記した北畠親房の子で、若くしてその才能が
認められ出世していきます。官位は正二位権大納言兼鎮守府大将軍。

平成3年の大河ドラマ『太平記』でも石津の戦いは物語後半の一大イベントと
なりました。大河ドラマで北畠顕家を演じたのはゴクミこと後藤久美子さん。
後にも先にも大河ドラマで武将の役を女性が演じたのはこれ以外無いでしょうね。
良い感じだったのを覚えています。

<大河の北畠顕家>
北畠顕3.jpg

北畠顕家.jpg

顕家とともに討ち死にした南部師行は、明治時代になり南朝への忠誠が認められ
正五位を追贈されています。

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関口神社 / 三好元長最期の地    (大阪府堺市)

堺市にある関口神社に行ってきました。

<関口神社>
関口神社.jpg
住所:大阪府堺市堺区甲斐町東2丁1−29
駐車場あり(無料)
境内自由

<関口神社について>
関口神社2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
関口神社に行ってきました。
関口神社は古道のひとつ竹内街道の端に位置し、港を守る神社として創建された
様です。

関口神社3.jpg

関口神社4.jpg

境内には三好元長戦死跡という石碑がひっそりとありました。
関口神社 三好元長戦死の地.jpg

三好元長は三好長慶・十河一存らの父です。
三好元長は足利義維を擁し堺幕府をおしたてますが、後に対立した三好政長や細川晴元
らに攻められ自刃します。
その自刃の地がこの関口神社の様です。関口神社にそのあたりの解説等は無いので、
詳しくは分かりません。
こういう場所に歴史の舞台がひっそりと隠れていたりする事に驚きがありますね(^-^)

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2016年01月15日

宿院頓宮      (大阪府堺市)

堺市の宿院頓宮に行ってきました。

<宿院頓宮>
宿院頓宮.jpg
住所:大阪府堺市堺区宿院町東2丁1-6
駐車場なし

<宿院頓宮について>
宿院頓宮3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
堺の宿院頓宮に行ってきました。
ここは行こうと思って行った場所ではなく、堺市内を歩いていて偶然発見した
場所です。
神社の歴史は古いようですが、いつの頃からこの神社があったかどうかは分かって
いない様です。神社は正式には住吉大社宿院頓宮と言います。

神社には神話「海幸山幸」に出てくる潮干珠(しおひるたま)を埋めた飯匙堀
(いいがいほり)という堀があります。
この神話もよく知らないので、正直見てもふーんって感じでしたが、空堀の中に
岩が祀ってあり、パワースポット的なものを感じました。

<飯匙堀>
宿院頓宮 飯匙堀2.jpg

宿院頓宮 飯匙堀.jpg

<うさぎの像?>
宿院頓宮2.jpg
境内には兔のこんな像がありました。

平成27年〜28年 年末年始の旅
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2016年01月13日

与謝野晶子生家跡     (大阪府堺市)

堺市にある与謝野晶子生家跡に行ってきました。

<与謝野晶子生家跡>
与謝野晶子生家跡.jpg
住所:大阪府堺市堺区甲斐町西1−1
駐車場なし

<現地解説>
与謝野晶子生家跡2.jpg

与謝野晶子生家跡3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
堺市にある与謝野晶子生家跡に行ってきました。
与謝野晶子は堺の菓子商人の娘で、後に上京し歌人として活躍、与謝野鉄幹と電撃
的な結婚をします。

今、与謝野晶子の生家は残っていません。
与謝野晶子生家跡5.jpg
サンビル堺というビルの前に「与謝野晶子生家跡」の碑と歌碑があるのみです。

与謝野晶子生家跡4.jpg
生家前にある歌碑です。
「海恋し 潮の遠鳴り かぞへては 少女となりし 父母の家」
子供の頃過ごした家や、両親を懐かしむ歌ですね。

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堺市役所展望台       (大阪府堺市)

堺市にある堺市役所展望台に行ってきました。

<堺市役所展望台>
堺市役所 展望台.jpg
住所:大阪府堺市堺区南瓦町3−1
駐車場あり(有料)
展望台入場無料

堺市役所の21階に展望台があり、誰でも自由に入る事が出来ます。
まわりに大きな建物がないので、高さ80mから360度の展望が広が
っています。
あと、展望室には簡単な堺市の歴史の展示などもあり、ミニ博物館の
様にもなっています。
堺市役所 展望台6.jpg

以下、展望台からの写真です。

<南側>
堺市役所 展望台2.jpg
目の前に見える森が仁徳天皇陵です。鍵型に見えるのかなと期待して行った
のですが、ただの森にしか見えませんでした。残念(>_<)

<東側>
堺市役所 展望台3.jpg
森に見えるのは反正天皇陵です。
遠くに見える山は生駒の山々です。

<北側>
堺市役所 展望台4.jpg
北は大阪市方面です。
堺市役所 展望台5.jpg
望遠で見ると、あべのハルカスがはっきり見えます。

<西側>
堺市役所 展望台7.jpg
西は海側です。
夕陽が綺麗な様です。

9時から21時まで開いているので、夕陽とか夜景とかも良さそうですね。
景色が良くて、とても良かったです。無料なのがうれしいです(^-^)

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南宗寺       (大阪府堺市)

堺市にある南宗寺に行ってきました。

<南宗寺>
南宗寺.jpg
住所:大阪府堺市堺区南旅篭町東3丁-1-2
駐車場あり(無料)
拝観料:400円(9時〜16時)

<南宗寺について>
南宗寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
堺の南宗寺に行ってきました。前回訪問したのが2006年5月28日だった
ので、9年半ぶりの訪問になりました。
前回南宗寺に行ったとき、さらっと流してしまって有料拝観の部分には入らずに
帰ってしまっていました。

後で、この南宗寺にいろいろな見所がある事を知り、今回の再訪問となりました。

このお寺は三好長慶の創建のお寺です。
前に来たときにあったかな?覚えてないんですが、結構新しめの三好長慶の銅像
が出来ていました。
南宗寺 三好長慶像.jpg

三好長慶と言うと、将軍を傀儡にして権勢をふるった悪人的なイメージがしみ
ついていますが、近年その評価が変わっていているそうです。
南宗寺は三好氏ゆかりの寺で、その規模はとても大きなものです。

<坐雲亭>
南宗寺 坐雲亭.jpg

<唐門・重要文化財>
南宗寺 唐門.jpg

<枯山水庭園>
南宗寺 枯山水庭園.jpg

南宗寺には、いろいろな人物のお墓や供養塔があります。
それは続きをごらんください。

続きを読む
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2016年01月11日

今井屋敷跡      (大阪府堺市)

堺市にある今井屋敷跡に行ってきました。

<今井屋敷跡>
今井屋敷跡.jpg
住所:大阪府堺市堺区宿院町東3丁1−14
駐車場なし

<現地解説>
今井屋敷跡2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
堺の町を歩いていて偶然発見した今井屋敷跡です。
今はグリーンマンション堺宿院というマンションになっています。
そのマンションの前に碑が建っていました。

今井屋敷の今井とは堺会合衆の今井氏で、ここは今井宗久の子今井宗薫の屋敷跡
との事です。もともとは織田有楽斎の屋敷だった様です。

今井宗薫は歴史上はあまり有名じゃないですね。
僕も先日、大河ドラマ『黄金の日々』を見て知った様な感じです。
『黄金の日々』では、一昨年亡くなった林 隆三さんが今井宗薫を熱演されていま
した。今回は大河を思い出しながら今井屋敷跡の碑を見る事になりました(^-^)

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大河ドラマの舞台
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2015年02月08日

綱敷天神社     (大阪市北区)

大阪市にある綱敷天神社に行ってきました。

<綱敷天神社>
綱敷天神社 梅田.jpg
住所:大阪市北区神山町9番11号
境内自由

<現地解説>
嵯峨天皇は822年、津の国難波蒐我野に行幸され、この地で一夜を
過ごされた。天皇死後、皇子の左大臣源融は追悼のあまり843年この
神山の地に神野神社として奉祀された。
菅原道真公は901年、太宰権帥に左遷の時、この北野の地に着船、
神野神社に参拝され、紅梅樹が美しく咲いていたので船綱をといて
御座とし賞翫された。
今、御神宝とされている綱から綱敷天神社といわれ、学問の神様として
ご信仰があり、守り伝えられています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
梅田にある綱敷天神社に行ってきました。
泊まった宿の近くにあったので、朝一で寄りました。
菅原道真が、この地にあった紅梅を船綱を敷いて鑑賞された事からその名がつい
たものだそうです。
その後、従者の白太夫こと度会晴彦を召し、この地に留まりいつか戻る日まで
待つように言葉を残されたとの事です。
その際、白江の姓をたまわり、その紅梅の下に小祠を営み梅塚天神社と称し、道真
公を祀りました。
この梅が現在の大坂の「梅田」の地名の由来になったという話です。
この神社にそんな由来があるとは知りませんでした。

<綱敷天神本殿>
綱敷天神社.jpg

天神社といえば必ずある牛
綱敷天神社2.jpg

従軍記念碑
綱敷天神社3.jpg
これは日清戦争への従軍記念碑の様です。

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2015年01月11日

大村益次郎殉難報国之碑     (大阪市中央区)

大阪市にある大村益次郎殉難報国之碑を見に行ってきました。

<大村益次郎殉難報国之碑>
大村益次郎殉難報国の地.jpg
住所:大阪市中央区法円坂2丁目1番
駐車場なし

大村益次郎は長州鋳銭司の町医者の子として生まれ、
三田尻の梅田幽斉に蘭学、九州日田の広瀬淡窓に漢学、
さらに大阪の緒方洪庵について洋学・医学を学んだ。
1853年、宇和島藩に招かれて宇和島に数年留まり、後に江戸に出て
塾を開き、ついで幕府講武所の教授となった。
その後、長州藩に召されて江戸藩邸に入り、後に帰国して明倫館教授と
なった。
この頃いわゆる幕府による長州征伐がおこり、益次郎は参謀としてこれに
対処し幕府軍を破った。
その後、戊辰の戦いにも参謀として功があり、明治新政府の樹立に尽くした。
維新後は兵部大輔として大いに軍政を改革し、日本の国は日本国民全部で
守るべきだとして、大いに国軍の建設に尽力したが、明治2年9月4日
京都において、反対派のために襲撃を受け11月5日大阪で没した。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
京都で襲撃され重傷を負った大村益次郎は大阪に移され、ボードウィンの執刀による
左大腿部切断手術手術を受けました。しかしその後敗血症を発症し亡くなります。

この襲撃には薩摩の海江田信義などがかかわっているという事で、維新後の薩長の
勢力争いや、大村が推し進めようとした兵制改革に対する旧士族の反発などいろ
いろな要因があったものと思われます。
大河ドラマ『花神』を昨年見て気になったので、この碑を見る事が出来て良かった
です。

大村益次郎殉難報国碑.jpg

協賛者名
大村益次郎殉難報国碑3.jpg

大村益次郎殉難報国碑2.jpg

東條英機、林銑十郎ら首相の名前。
松岡洋右外相、松下幸之助、荒木貞夫陸軍大将の名前もありますね。

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2015年01月07日

崇禅寺 / 足利義教首塚・細川ガラシャの墓    (大阪市東淀川区)

大阪市にある崇禅寺に行ってきました。

<崇禅寺>
崇禅寺.jpg
住所:大阪府大阪市東淀川区東中島5丁目-27-44
駐車場あり(無料)
境内自由

崇禅寺は行基によって開基されたお寺です。
嘉吉の乱のおり、赤松満祐に殺された室町6代将軍足利義教の首は赤松勢により
この寺の観音堂付近に埋められます。後年幕府は管領細川持賢に命じ、将軍義教
の菩提を弔うため崇禅寺を再興させます。
その後、細川家の菩提寺のひとつになります。

時代は進み戦国時代、関ヶ原の戦いのおり石田三成によって人質にされそうに
なった細川ガラシャはそれを拒み、屋敷に火を放ち屋敷の中で生涯を閉じました。
その後、宣教師オルガンチノはガラシャの遺骨をひろい、細川家ゆかりの崇禅寺
に運び弔ったという事です。

崇禅寺にはそれゆえ室町6代将軍足利義教と細川ガラシャの墓が並んで建ってい
ます。

<足利義教首塚・細川ガラシャの墓>
足利義教首塚・細川ガラシャの墓.jpg
右が義教の首塚、左がガラシャの墓です。

室町幕府は応仁の乱でその権威を失った様な話ですが、実際は将軍が守護大名
である赤松満祐に殺されるという嘉吉の乱で権威は失墜したと言えるのではない
かと個人的には思っています。

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大河ドラマの舞台
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2012年05月27日

志紀長吉神社     (大阪市平野区)

大阪市平野区にある志紀長吉神社に行ってきました。

<志紀長吉神社>
志紀長吉神社.jpg
住所:大阪府大阪市平野区長吉長原2-8-23
駐車場あり(無料)

志紀長吉神社は平安時代794年頃の創建といわれる古社。
朱雀天皇、冷泉天皇の祭の場となった由緒ある神社です。

志紀長吉神社2.jpg

大坂夏の陣のおり、真田幸村は大阪城より退却命令が下され、
天王寺・茶臼山に退くことになったが、この途中戦勝を日蔭
明神(志紀長吉神社)に祈願し、神社の馬場にて休息をした
との事です。その時、六紋銭の軍旗と刀剣を奉納したという
事です。
刀剣は終戦後に没収され、六紋銭の軍旗が社宝として保存され
ています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
真田幸村のゆかりがあるという事で行ってみました。
大坂夏の陣のおり、この神社の馬場で休息したそうです。
六紋銭の軍旗は普段公開されていないようで、後で調べたら
年に1回お祭りの時に公開されるようです。

大河ドラマの舞台
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2012年05月23日

真田幸村休息の地   (大阪市平野区)

大阪市平野区にある真田幸村休息の地に行ってきました。

<真田幸村休息の地>
真田幸村休息所跡.jpg
住所:大阪市平野区長吉長原4−8付近
駐車場なし

<現地解説>
かつての戦国の武将真田幸村(1567〜1615)、大坂夏の陣
のおり、南河内誉田方面において東軍伊達政宗軍と一戦を交えた後、
古市街道を経て大阪城へ帰城途中、この地にて休息し志紀長吉神社
へ戦勝を祈願すると共に軍刀一振りと六紋銭の軍旗を奉納したあと、
1615年6月、大阪城落城の前日天王寺茶臼山にて東軍松平忠直
軍と奮戦の末壮絶な戦死を遂げた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
真田幸村休息の地という場所に行ってきました。
志紀長吉神社という神社を目指して行き、そこから表参道を歩き
大鳥居の先にこの碑はありました。
神社に奉納されたものから、ここで休息したことが分かったんで
すね。よもやこの様な石碑があるとは思いませんでした。

真田幸村休息所跡2.jpg

大河ドラマの舞台
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2011年10月15日

三光神社    (大阪市天王寺区)

大阪市天王寺区にある三光神社に行ってきました。

<三光神社>
三光神社.jpg
住所:大阪府大阪市天王寺区玉造本町14−90
駐車場なし
境内自由

創建は18代反正天皇の御代という神社。
神職として武内宿弥の末裔武川氏が代々奉祀されました。
三光神社は古来より日本全国で唯一の中風病除の神として
知られ崇敬者は全国に及びます。

戦国時代、大坂冬の陣において、真田幸村はこの地に真田丸を築きました。
そして、大坂の本城よりここに至までの抜け穴を造ったという事です。

現在三光神社一帯は桜の名所として知られています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
以前から行きたかった三光神社に行ってきました。
見たかったのはここにある真田幸村の銅像です。

三光神社 真田幸村像.jpg
ここは大坂冬の陣で、真田丸があった場所。そこに真田幸村が采配を
ふるう銅像があります。
上田駅前や安居神社などで真田幸村の銅像を見てきましたが、ここの
銅像はちょっとおじさんチック。まあこの銅像も味がありますね(^-^)

銅像の脇には真田丸から大坂城につながっていたという抜け穴(史跡)が
ありました。

史跡真田の抜け穴.jpg

史跡真田の抜け穴2.jpg

真田幸村、そして大坂の陣の史跡として三光神社に行けてとても良かった
です。

銅像めぐり
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平成23年夏旅
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大河ドラマの舞台
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2011年02月25日

太融寺/淀殿の墓   (大阪市北区)

大阪市北区にある太融寺に行ってきました。

<太融寺>
太融寺.jpg
住所:大阪市北区太融寺町3-7
駐車場なし
境内自由

太融寺は821年、嵯峨天皇の勅願により空海によって創建された
お寺です。嵯峨天皇の皇子で、河原の左大臣と言われた源融によって
七堂伽藍が整備されたそうです。

太融寺 源融.jpg

しかし、それも大阪の陣で焼失。その後再建されたものの、第二次大戦で
焼失してしまいます。現在の建物は戦後再建されたものです。

<本堂>
太融寺 本堂.jpg

僕は2007年12月9日に太融寺を訪問しました。
大阪梅田の駅から歩いていける距離にあります。
太融寺に行った理由は、境内に淀殿の墓があるというので参拝したいな
というものでした。
境内奥に淀殿の墓という石塔がありました。

<淀殿の墓>
太融寺 淀殿の墓.jpg
これはもともと大阪城公園造成にあたり、明治10年に移されてきたもの
との事です。
交通の便も良い場所ですので、参拝にもしやすいですね。
今年は大河ドラマの主役の一人でもありますので、是非参拝してみては
いかがでしょう。

大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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2011年02月09日

源氏三代の墓    (大阪府羽曳野市)

大阪府羽曳野市にある源氏三代の墓に行ってきました。

<源氏三代の墓>
住所:大阪府羽曳野市通法寺

大阪府羽曳野市は河内源治発祥の地と言われています。
ここに、源氏三代の墓はあるので、参拝してきました。

■源頼義(988〜1075)の墓
源頼義の墓.jpg
源頼義は平忠常の乱の際、父を助け乱の鎮圧に貢献し、はやくから東国武士
に武勇を知らしめました。
奥州安倍頼良の反乱(前九年の役)を鎮圧。
1075年、88歳でその生涯を閉じました。

■源義家(1039〜1106)の墓
源義家の墓.jpg

源義家は源頼義の長男。7歳の時に石清水八幡宮で元服し八幡太郎と名乗りました。
前九年の役の際、頼義に従い反乱を鎮圧し、武将の名声を高めました。
1083年、出羽の豪族清原氏の内紛(後三年の役)を鎮圧。武将としての
地位を不動のものにしました。1106年、京の自宅で死去。ここに葬られ
ました。

■源頼信(968〜1048)の墓
源頼信の墓.jpg

源頼信は清和源氏の源満仲の三男として生まれます。
藤原道兼や藤原道長に仕えました。1028年におきた平忠常の乱を鎮圧。
武家の棟梁としての確固たる地位を築きました。
1048年、81歳でこの地に死去。

■大僧正隆光(1649〜1724)の墓
大僧正隆光の墓.jpg

源頼信の墓の脇に隆光の墓がありました。
隆光は江戸幕府5代将軍徳川綱吉の学僧であり、江戸護持院の住職を務め、
いわゆる「生類憐れみの令」を公布させた人物です。
そのため、綱吉の死後は役目ご免の扱いを受け、自分が世話をしてきた
通法寺の住職に左遷させられ、のちに奈良市二条町付近の自宅で死去し
ましたが、ここ通法寺においても隆光の分骨所としての墓碑が残されて
います。

隆光の墓がこんなところにあるのは知らなかったので、ちょっとびっくり
しました。

平成22年〜23・年末年始の旅
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2011年01月29日

叡福寺    (大阪府太子町)

大阪府太子町にある叡福寺に行ってきました。

<叡福寺>
叡福寺.jpg
住所:大阪府南河内郡太子町太子2146
駐車場あり(無料)
境内自由

寺伝によると、聖徳太子は生前自分の墓をこの地に定めたと言います。
死後この地に葬られ、推古天皇によって土地建物が寄進されました。
これが叡福寺の始まりと言われています。
724年に聖武天皇の発願で伽藍が整備されました。
叡福寺は聖徳太子ゆかりの寺として、後の天皇などに信奉されます。
また、豊臣秀頼が中世に伽藍の再興をしています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大阪府太子町の叡福寺に立ち寄りました。ここも久しぶりの訪問です。
以前来たときは、観光客が結構いたような気がしたんですが、今回は
誰もいなくてひっそりしていました。

建物は立派で、寺域も広いです。
多宝塔は重要文化財に指定されています。
<多宝塔>
叡福寺 多宝塔.jpg

<本堂>
叡福寺 本堂.jpg

寺の裏にある古墳が聖徳太子の陵墓と言われる磯長陵です。
叡福寺 聖徳太子 磯長陵.jpg
天皇陵墓と同じように宮内庁の看板が立っていました。

平成22年〜23・年末年始の旅
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著名人の墓
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2011年01月27日

小野妹子の墓   (大阪府太子町)

大阪府太子町にある小野妹子の墓に行ってきました。

<小野妹子の墓>
小野妹子の墓.jpg
住所:大阪府南河内郡太子町山田
駐車場あり

小野妹子は飛鳥時代の政治家。推古天皇時代に使者として隋の皇帝
煬帝と会見。有名な「日出処天子」の話が残ります。
その墓は太子町にある科長神社脇の小高い丘にあります。

小野妹子の墓2.jpg

これが小野妹子の墓と言われているものだそうです。
かの有名な政治家の墓がこんなところにひっそりとあるんですね。
ちなみに聖徳太子の墓もここから数キロの所にあります。

小野妹子の墓へ向かう道は狭く、車の運転も超慎重になりました。
車で行く方は十分注意ください。

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2010年09月25日

八尾天満宮   (大阪府八尾市)

大阪府八尾市にある八尾天満宮に行ってきました。

<八尾天満宮>
八尾天満宮.jpg
住所:大阪府八尾市本町4丁目2-45
駐車場なし

八尾天満宮は八尾寺内町の鎮守で「八尾の天神さん」と言われる。
祭神は天穂日命ち菅原道真で、慶長年間に片桐且元が創建したと
言われている。
中門は寺内町の木戸門を移築したものと伝えられ、また境内には
寺内町開発者森本行誓の六代の孫、房吉寄進の灯籠がある。
近年は恵比寿神をまつり、1月8日は例年八日戎としてにぎ
わう。

八尾天満宮 本殿.jpg

八尾市内をさまよっている時に偶然発見して立ち寄った
神社です。由来を見たら片桐且元創建でした。
片桐且元というと摂津茨木城主なので、八尾と関係なさそう
なんですけどね。どういう関係かは不明です。
神社自体はアーケード街の中にある小さな神社でした。

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2010年08月15日

大聖勝軍寺   (大阪府八尾市)

大阪府八尾市の大聖勝軍寺に行ってきました。

<大聖勝軍寺>
大聖勝軍寺.jpg
住所:大阪府八尾市太子堂3-3-16
駐車場あり(無料)
境内自由

大聖勝軍寺は俗に「下の太子」とも言う。用明天皇の代に太子が阿刀の館に
よった物部守屋を討つため出陣され、信貴山毘沙門天の加護をうけて戦勝
を得られたので、ここに寺塔を建立されたものである。

大聖勝軍寺2.jpg

太子堂は太子植髪像を安置し、その傍らに日本最古の原形をとどめる四天王
像が侍っている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
八尾市にある大聖勝軍寺に行ってきました。
大聖勝軍寺は久宝寺の駅から南に10分ほど歩いたところにあります。
かつて、蘇我馬子と物部守屋の古戦場でもあります。
仏法を守るための戦いと言われており、聖徳太子は蘇我馬子側について
戦いました。

大聖勝軍寺1.jpg

聖徳太子は四天王像を彫って戦いに挑み勝利。その由縁で四天王寺が建立
されています。この大聖勝軍寺には太子の石像、それを取り囲む四天王の
石像があります。
大聖勝軍寺 聖徳太子像.jpg

境内には守屋の首を洗ったという守屋池
大聖勝軍寺  守屋池.jpg

また、寺を出てすぐの国道沿いに物部守屋の墓があります。
大聖勝軍寺  物部守屋の墓.jpg
物部守屋の墓は解説もなく、分かりづらかったです。逆賊って事で、扱い
が悪いんですかね・・・。

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html


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長曽我部盛親・物見松遺跡  (大阪府八尾市)

大阪府八尾市にある長曽我部盛親物見松に行ってきました。

<長曽我部盛親・物見松>
長曽我部物見松遺跡.jpg
住所:大阪府八尾市久宝寺2丁目2
駐車場なし

大阪府八尾市にある長曽我部盛親・物見松遺跡です。
ここをかつて今口と言い、古く久宝寺今口門があって、東口とともに
八尾に通じる道筋であった。
大阪夏の陣に大阪城から天王寺平野を経て進出してきた長曽我部盛親の
軍は、この地にあった大きな松の木の上から東方八尾方面の敵状を偵察
したと伝えられ、昭和の初め、坂本春湖ここに碑をたて記念とした。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大阪夏の陣で八尾に出陣した長曽我部盛親に関する史跡です。
長曽我部盛親の軍は大阪夏の陣で、八尾にて藤堂高虎の軍と戦いました。

この史跡は見つけるのに苦労しました。
久宝寺小学校脇に小さな碑があります。小学校を目印に行くと良いかと
思います。

長曽我部物見松遺跡2.jpg


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久宝寺寺内町   (大阪府八尾市)

大阪府八尾市の久宝寺寺内町に行ってきました。

<久宝寺寺内町>
久宝寺寺内町1.jpg
住所:大阪府八尾市久宝寺

久宝寺は戦国時代に寺内町として建設された歴史を持ちます。
蓮如上人は1470年の河内布教の際「帰する者市の如し」と言われる
ほど帰依する人が多かったので、この地に西証寺を建立しました。
西証寺は後に顕証寺と寺号を改め1541年頃この御坊を中心として久宝寺
寺内町が誕生しました。
ここには多くの真宗門徒が集まって自治を行い、また商工者も集まって経済
的にも繁栄していました。
現在も当時の面影を感じる町並みが残り、往時をしのばせます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
久宝寺寺内町に行ってきました。大阪の天王寺から大和路快速で1つめの
駅。ものの5〜6分で久宝寺に到着します。
駅の北側に歩いて5分ほどで寺内町に着きます。そこは昔ながらの町並み
が随所に残る町並みでした。

大阪には貝塚や富田林など寺内町がいろいろ残っています。
やはり、石山本願寺があった事なども影響しているのかもしれません。
久宝寺も顕証寺を中心として、長方形に区画された中に昔ながらの町並み
が残ります。その区画は地図で見ると城塞みたいにも感じました。

久宝寺寺内町2.jpg

久宝寺寺内町3.jpg

久宝寺寺内町4.jpg

久宝寺寺内町5.jpg

久宝寺寺内町6.jpg

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html


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家隆塚と清地蔵   (大阪市天王寺区)

大阪市天王寺区にある家隆塚に行ってきました。

<家隆塚>
藤原家隆の墓.jpg
住所:大阪市天王寺区夕陽丘町
駐車場なし

藤原家隆は藤原時代末期の5代の天皇に仕えた有名な歌人で79歳の時に
官を辞してこの地に隠棲した。その翌年の春の彼岸にここの高台から西の
海に落ちる夕日を見て、その荘厳さに心を打たれ
「契りあれば なにわの里に やどりきて 波の入日を 拝みつるかな」
と歌によみ、直に落髪して仏性と号し、その4月9日に消え入る様に
一生を終えました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天王寺区にある家隆塚です。
ここは藤原家隆の館跡。塚には供養塔もあります。
藤原家隆の墓2.jpg

現在の地名「夕陽丘町」は藤原家隆のこの話に基づくものだそうです。
確かにこの地は高台になっていて、西を見ればさぞ綺麗な夕陽を見ることが
出来たでしょう。とてもロマンチックですね。

家隆塚の入り口付近に清地蔵というお地蔵様がありました。
清地蔵.jpg
こちらは時代変わって明治時代に陸奥宗光が20才で亡くなった娘の清の
死を悼み等身の地蔵尊をこの地にお祀りしたものだそうです。

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html


posted by 南行 at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 大阪府 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

勝鬘院・愛染堂  (大阪市天王寺区)

大阪市天王寺区にある勝鬘院・愛染堂に行ってきました。

<勝鬘院・愛染堂>
愛染堂・勝鬘院1.jpg
住所:大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-36
駐車場あり(無料)
境内自由

推古天皇元年、摂政聖徳太子が建立した四天王寺施薬院であって、太子
がこの地で勝鬘経を講ぜられたので勝鬘院と言う。
ご本尊は愛染明王を奉安、愛染明王は愛敬福徳を授け給う本願があるので、
愛敬開運・商売繁盛を祈る参拝者があとをたたない。

愛染堂・勝鬘院 本堂.jpg

多宝塔は593年に聖徳太子の創建。
1597年に豊臣秀吉が再建した。高さ22m、建坪32平米、三手先造
り、本瓦葺き極彩色、様式は桃山時代で当時の粋を集め豪華雄大、彫刻
壁画亦妙技を尽くしている。
愛染堂・勝鬘院 多宝塔.jpg

境内には愛染の霊水という名水あり。
愛染の霊水.jpg

この水を飲めば愛染明王の御本誓により愛念を叶え、病癒え運開き給うとの
こと。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
四天王寺関係の寺のひとつだそうです。
天王寺を歩いていて偶然発見。多宝塔は豊臣秀吉再建で重要文化財。
都会の中にぽつんとある多宝塔は見事の一言でした。

日本の名水巡り
http://rover.seesaa.net/article/21971174.html


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2010年08月09日

一心寺   (大阪市天王寺区)

大阪市天王寺区にある一心寺に行ってきました。

<一心寺>
一心寺 仁王門.jpg
住所:大阪市天王寺区逢阪2丁目8-69
境内自由
駐車場あり(無料)

一心寺は1185年、慈鎮和尚の請により法然上人は四天王寺西門
の坂のほとり、すなわち古来「荒陵」とよばれてきた現在の一心寺
の地に四間四面の草庵を結び「荒陵の新別所」と称して止住せられ
ました。草庵は法然上人の本名をとって「源空庵」と呼ばれ、その後「一心寺」へと改称されました。

<本堂>
一心寺 本堂.jpg

<開山堂>
一心寺 開山堂.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天王寺に泊まっていたので、朝の散歩で一心寺に行ってきました。
ここは歴史好きにはたまらないお寺です。一度是非行きたいと
思っていました。
ここは大阪冬の陣で徳川家康が本陣をおいたお寺です。
もともと家康とはつながりの深いお寺だそうで、家康の8男
仙千代が夭折した際、葬儀はこの寺で行われているそうです。

大阪冬の陣の家康本陣ですが、夏の陣ではこのあたりは真田幸村
隊が陣取ります。すぐ近くには真田幸村最期の地安居神社もあり
ます。

境内には本多忠勝の次男で大阪夏の陣で討ち死にした本多忠朝の
墓があります。
一心寺 本多忠朝の墓.jpg
本多忠朝は酒で失態を演じ、家康に叱責された事を恥、夏の陣
では西軍の毛利勝永隊と激戦を演じ討ち死にしています。
それゆえ、酒封じの神として、禁酒を誓う人が訪れる場所になって
いるそうです。

境内には戊辰戦争に関する供養塔もありました。
一心寺 戊辰戦争東軍戦死者供養.jpg

一心寺 会津藩士の墓.jpg
会津藩とも関わりがあるみたいですね。

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html


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2010年01月07日

木村重成の墓   (大阪府八尾市)

大阪府八尾市にある木村重成の墓です。

<木村公園>
木村重成の墓.jpg
住所:大阪府八尾市幸町6

大阪府八尾市にある木村公園内に豊臣家の武将木村重成の墓がありま
す。この墓は1764年、重成の150回忌にあたって、重成の首を
落とした安藤長三郎の子孫で、彦根藩士安藤次輝が建てたもの。
昭和14年に大阪府の史跡として指定されている。

木村重成の墓2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
木村重成は大阪夏の陣で活躍した武将。河内若江の戦いで、藤堂高虎
、井伊直孝と戦い討ち死にしています。
その若江の近くにこの木村公園はあります。

何か普通の公園なんですけど、その中に木村重成の墓がぽつんとある
あたりが印象的でした。

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

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2009年10月07日

安居神社    (大阪市天王寺区)

大阪市天王寺区にある安居神社に行ってきました。

<安居神社>
安居神社.jpg
住所:大阪府大阪市天王寺区逢阪1-3-24
駐車場無し
境内自由

安居神社は菅原道真を祭神とした神社。かつて菅原道真が太宰府へ
左遷された時、当地で安居(休息)したという事から名付けられた
ものだそうです。

安居神社は真田幸村最期の地という事で有名です。僕もそれゆえに
安居神社に行きました。
大阪夏の陣にて、松平忠直の軍を迎え奮戦もついに安居神社境内の
一本松の下で戦死。時に49歳。
当時の松は枯死したが、昭和26年の社殿復興を機に記念植樹され
ています。
現地には真田幸村戦死跡之碑が建っています。

安居神社_真田幸村戦死の碑.jpg

平成22年8月9日に再訪しました。
行ってびっくり、いつの間にか真田幸村の銅像が出来ていました。
昨年作られた様です。
安居神社 真田幸村像.jpg
上田城前の様な勇壮な像ではなく、座って最期を迎える雰囲気
の銅像。こういう像も歴史マニアにはこたえますね。

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html


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2009年08月16日

千利休館跡    (大阪府堺市)

大阪府堺市にある千利休館跡に行ってきました。

<千利休館跡>
千利休館跡.jpg
住所:大阪府堺市堺区宿院町西1-1
駐車場無し
見学自由

千利休は堺の豪商魚屋の長男として生まれる。のちに武野紹鴎に
師事し、「わび茶」を大成させた。
1587年羽柴秀吉の北野大茶会をつかさどり、秀吉に次いで二番の
席をもうけるなど天下一の茶人としてその地位を築いたが、1591
年に秀吉の怒りをかい京都から追放され堺に謹慎していたが、京都
に呼び戻され切腹させられた。
この屋敷跡には利休が茶の湯に使ったと言われる椿井がある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
千利休館跡に行ってきました。
地図に出ていたので寄ってみました。堺市の中心部で、まわりには
ビルなどが見える中、ひっそりと千利休の館跡が残っていました。

ちょうど今放映中の大河ドラマ「天地人」でも千利休が出てきたの
で、タイミング的にも良かったです。
館跡って事で、特にコレっていうものが残っていませんでしたが、
昔をしのぶ事が出来ました。

<利休の館跡前からの風景>
千利休館跡 前の風景.jpg

平成21年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/125779471.html

千利休屋敷跡

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2009年07月09日

京街道枚方宿    (大阪府枚方市)

大阪府枚方市にある京街道枚方宿を散策してきました。

<京街道・枚方宿>
枚方宿.jpg
住所:大阪府枚方市岡本町・三矢町
駐車場(近隣有料駐車場利用)

徳川幕府は17世紀初頭から全国的に街道整備・宿駅設置をすすめ、
東海道の延長として伏見・淀・枚方・守口の4宿を設けました。
枚方宿は東見附から西見附まで約1.5km、問屋場・本陣ほか
旅籠や商家など多くの町家が軒をつらね宿場町として賑わいをみせま
した。紀伊徳川家は藩主吉宗が8代将軍についああと、6代藩主宗直
の1741年の参勤交代から大坂・京に将軍家の権威を示すために
東海道を通ることが多くなり、参府・帰国ともに枚方宿に泊まる事
を常としました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
京街道枚方宿を散策しました。
枚方宿って正直よく知りませんでした。東海道は京都までっていう
イメージだったので。
京街道(大坂街道)と言ったり、東海道の延長として扱われたり
する様です。
枚方は賑わいある町で、ショッピングで多くの人が歩く町のすぐ
裏に昔の面影を残す町が残っています。
良い感じですね(^-^)

京街道枚方宿1.jpg

京街道枚方宿2.jpg

京街道枚方宿3.jpg

京街道枚方宿4.jpg

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

京街道枚方宿
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2009年07月06日

桜井の別れ     (大阪府島本町)

大阪府島本町の桜井の駅跡に行ってきました。

<桜井の別れ>
桜井の別れ.jpg
住所:大阪府三島郡島本町桜井1

1336年、足利尊氏の軍勢との決戦を前に覚悟の出陣となった楠木
正成は桜井駅に子の正行を呼び寄せ、今後の生き方の教訓を与えた
あと生き別れの宴を催したとの事。
その後、兵庫県の湊川で楠木正成は討ち死にします。
謡曲「楠露」はこの桜井の別れをえがいたもので、松尾芭蕉の句
「なでしこに かかる涙や 楠の露」から引用されたものと言われ
ています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
先日真田父子の「犬伏の別れ」について書いたついでに、今日は
楠木父子の「桜井の別れ」について関連の地を書いてみました。

南朝方の勇将だった楠木正成の最後は負け戦と分かっての戦いでし
た。湊川の戦いは悲しいお話です。
歴史にたら・ればはありませんが、ここで楠木正成が死ななければ
南朝の未来も少しは変わったかもしれません。

楠木正成と正行の別れの地は大阪と京都の府境島本町にあります。
近くには天下分け目の戦いにもなった山崎の戦いの古戦場もありま
す。ここで別れた正行は後に南朝の有力武将として活躍します。

現地には、乃木希典筆の「楠木父子決別の地」の碑。
また明治天皇筆の石碑もあります。
桜井の別れ 明治天皇.jpg

楠木父子の像の下には「滅私奉公」の文字。楠木正成が子の正行に
残した教訓なのかもしれません。
桜井の別れ 楠木夫子像.jpg



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2009年01月30日

恩智神社     (大阪府八尾市 観光名所)

大阪府八尾市の恩智神社に行ってきました。

<恩智神社>
恩智神社 本殿
住所:大阪府八尾市恩智中町5−10
電話:072-943-7059
駐車場あり(無料)

創建は雄略年間(470年)と伝えられ、河内国守護と民の繁栄の
ためにお祀りされました。
国内での有数の古社で河内国総社にして、恩智大明神の威名にふさわ
しい神社として延喜式内明神大社に列されました。
持統天皇689年10月の御幸以来数回の行幸があり、994年
一条天皇が4月に幣帛をたまわり疫病・災等の災難よけを祈り
それ以来厄難除けの神社として夏祭りの御祓祭を始め、年間数回の
祓いの神事が行われています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
八尾に恩智神社という古社があるというので行ってみました。

恩智神社

国道170号線から、脇にそれて急な坂道を登っていくと恩智神社
があります。道が狭いのでやや不安になりましたが、神社には駐車場
もあり、一安心。
かなりの高台にあり、結構景色も良かったです。

古社ではありますが、建物は新しい感じでした。
気になったのが、「神兎」。

恩智神社 ウサギ

恩智神社 手水

さいたま市の浦和区にある調神社でも兎が神様の使いとしてあつかわ
れていましたが、ここもその様です。
狛犬より可愛らしいですね(^-^)

恩智神社 神龍
龍も神の使いとして鎮座していました。

平成20年冬旅
http://rover.seesaa.net/article/112075386.html

恩智神社

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2009年01月27日

竹内街道の町並み   (大阪府太子町 古い町並み)

大阪府太子町の竹内街道(たけのうちかいどう)を散策してきました。

<竹内街道>
竹内街道(大阪側)
住所:大阪府太子町大字山田
駐車場あり(道の駅太子に停めて散策)

推古天皇の613年に難波と飛鳥京の間におかれた日本最古の官道
竹内街道。
先日、奈良県側の町並みを紹介しましたが、竹内峠を越えて大阪側
の町並みを紹介します。
道の駅「近つ飛鳥の里太子」に車を停めて、すぐ裏にある旧竹内
街道を散策します。

大阪側は奈良側の様に古い建物はそんなに多くありませんが、道は
石畳だったり、竹内街道の旗がたっていたりと、古道をアピールす
る取り組みは大阪側の方が強いかなと思いました。

<竹内街道の町並み>
竹内街道(大阪側)

竹内街道(大阪側)

竹内街道(大阪側)

竹内街道(大阪側)

平成20年冬旅
http://rover.seesaa.net/article/112075386.html

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

竹内街道の町並み(大阪側)

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2007年04月21日

積川神社  (大阪府岸和田市 観光名所)

大阪府岸和田市の積川神社(つがわじんじゃ)に行ってきました。

<積川神社>
積川神社
住所:大阪府岸和田市積川町350
駐車場(多分無し)
境内自由

<由緒>
和泉国五社のひとつで、祭神は生井神・栄井神・綱長井神・阿
須波神・波比岐神の5神。
本殿は国指定重要文化財。
白河上皇筆「正一位積川大明神」の扁額がある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
今回の大阪の旅で、大阪府内最後の訪問地がこちら積川神社です。
本殿が重要文化財という事で、また古く由緒ある神社という事
で行ってみました。
本殿は、横からのぞき見る形になりますが、1602年に片桐且元
が修復したという本殿は趣があります。

岸和田の酒「だんじり」という日本酒の樽が置いてあるあたりが
岸和田らしくて良かったですね。

平成18年冬旅(主に大阪ツアー)
http://rover.seesaa.net/article/30664290.html

積川神社

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水間観音   (大阪府貝塚市 観光名所)

大阪府貝塚市の水間観音に行ってきました。

<水間観音>
水間観音
住所:大阪府貝塚市水間638
駐車場あり(無料)
拝観自由

<由緒>
聖武天皇の勅願により、行基が創建したお寺。
水間寺というが、通称水間観音として親しまれている。
1585年に根来衆方についていたため、秀吉の紀州攻めで
攻撃を受ける。
江戸時代には岸和田藩主岡部氏の庇護を受け復興。
1784年に火災で焼失するが、1811年に本堂を再建。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
貝塚市の水間観音に行ってきました。
ここは行く予定じゃなかったんですが、釘無堂(国宝)に行く
途中、三重塔が目についたので立ち寄ってみました。

天台宗別格本山という事で、由緒あるお寺でした。
目に付くのは大きな本堂。江戸時代末期の再建で、威圧感が
ある建物です。
三重塔も1834年の再建。井原西鶴の『日本永代蔵』の
モデルの塔だそうです。
なにぶん行ったのが大晦日って事で、出店が沢山。
おそらくお正月には多くの参拝客が来るんだろうなという事が
想像できました。
写真に出店が入ってしまうのは「ちょっと・・・・」って感じ
でしたけどね。

平成18年冬旅(主に大阪ツアー)
http://rover.seesaa.net/article/30664290.html

水間観音

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2007年04月19日

孝恩寺観音堂   (大阪府貝塚市 国宝建造物)

大阪府貝塚市の孝恩寺観音堂(釘無堂)に行ってきました。

<孝恩寺観音堂>
kouonji_kuginasido.jpg
住所:大阪府貝塚市木積798
駐車場あり
拝観自由

<現地解説より>
726年に聖武天皇の勅願を受け、僧行基によって建立されたと
される、機内四十九院の一つに数えられる寺院である。
現存の御堂は、鎌倉時代後期に再建されたもので、大阪府下で最古
の部類の建造物として、明治36年に国宝に指定されている。
建立寺、釘を使用していなかったことから、別名釘無堂と呼ばれ
ている。
また、当寺には平安時代中期の本尊阿弥陀如来をはじめ、地方
色豊かな19体の仏像群が重要文化財に指定され、安置されている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
貝塚市内を巡りましたが、一番の目当てだったのがここ、孝恩寺
観音堂。何と言っても国宝建造物です!

さすがに国宝なだけに、地元でも観光アピールしているんだろう
と思って現地に向かいました。
ところが・・・・、探せどどこにあるのか分からず。
カーナビで近くまで行っても標識も無し。
狭い道をウロウロしたあげく、やっとで到着したのは、外から
は普通のお寺って感じの所でした。

入ってみて、やっとでそこが国宝建造物の孝恩寺である事が
分かりました。(観光客はもちろん私一人)

そこには一つのお堂。これが観音堂(釘無堂)でした。
近くに寄ると、時間を経過した木造建築独特の木の色というのか
感触がありました。
ただ、遠くから見ると、そんなに古さを感じない、ちょっと
近代的なお寺デザインなのかな〜なんて思いました。

平成18年冬旅(主に大阪ツアー)
http://rover.seesaa.net/article/30664290.html

国宝建造物を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21220842.html

孝恩寺(釘無堂)

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2007年03月31日

貝塚寺内町   (大阪府貝塚市 古い町並み 観光名所)

大阪府貝塚市の貝塚寺内町に行ってきました。

<貝塚寺内町>
貝塚寺内町
住所:大阪府貝塚市北町
駐車場なし

<貝塚寺内町について>
貝塚寺内町は、南北約800メートル、東西約550メートル
の広さを持つ環濠城塞都市であった。
西は大阪湾、北は北境川、南は清水川を濠と見立て、これらを
つなぐ形で東に濠をめぐらしていた。
1648年の町絵図によれば、濠の内側には土塁が築かれ、
6ヶ所の町の出入り口には番所が置かれていた。
後年拡幅された中の町通りと府道堺阪南線を除けば、街路は
ほぼ当時のまま、現在も使われている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
貝塚の寺内町に行ってきました。
ここは、石山合戦で顕如が本拠とした願泉寺を中心とした寺内
町。
前日富田林の寺内町に行っていたので、こっちはどんなもの
かなと思って立ち寄りました。

規模でいうと富田林の寺内町の半分もありません。
残っている規模としては小さいですが、わずかに残るその古い
町並みに往時を偲ぶことが出来ます。

僕が行ったとき、ちょうど宅急便の車が配達で来ていました。
寺内町は道が狭いので、かなり苦戦してるのがやたらと印象に
残りました(^^;

平成18年冬旅(主に大阪ツアー)
http://rover.seesaa.net/article/30664290.html

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

貝塚寺内町

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2007年03月25日

兵主神社    (大阪府岸和田市 観光名所)

大阪府岸和田市の兵主神社に行ってきました。

<兵主神社>
兵主神社
住所:大阪府岸和田市西之内町1
駐車場あり(無料)
拝観自由

<兵主神社について・現地石碑より>
延喜式内社祭神は天照大神、八幡大神、菅原道真。
雨降りの神として崇敬を受けている。
社殿は豊臣秀吉の再建と伝え、国指定重要文化財。
明治6年に郷社に列格し、兵主神社と改称。
明治42年に下松村の八幡神社、菅原神社、厳島神社を
合祀し現在に至る。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
旅も泉南に入ってきまして、岸和田市の兵主神社に行って
きました。

ここも、本殿が国指定重要文化財という事で立ち寄ってみま
した。

先に書いた泉穴師神社同様、地域の氏神様的な神社で、僕が
行ったときにも参拝客は僕一人という状況でした。
ただ、大晦日という事もあり、正月の初詣に向けた準備が
進められていて、初詣ではにぎわうんだろうなという感じで
した。

本殿は秀吉の再建という国指定重要文化財。
しかしながら、神社の本殿って見づらいものなんですよね。
ここもその例に漏れず。一応見えるんですが。。。
普通に参拝して帰ることになりました。

こちらは拝殿
兵主神社

平成18年冬旅(主に大阪ツアー)
http://rover.seesaa.net/article/30664290.html

兵主神社

posted by 南行 at 11:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 大阪府 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする