2025年03月21日

雲辺寺    (徳島県三好市 四国66番札所)

令和6年11月29日、雲辺寺を参拝しました。

<雲辺寺>
雲辺寺6.jpg
住所:徳島県三好市池田町白地ノロウチ763
駐車場あり(有料)

四国66番札所、雲辺寺を参拝しました。
逆打ちお遍路、最初の難所とも言うべきお寺です。
確かに道中の道は狭かったですが、まあ何とか到着。この後のお遍路、
もっと難道を走らされる事になるので、後から振り返るとまだまだ
余裕の道路だったなと。

雲辺寺は標高911mの高所にあり、四国お遍路のお寺の中でも一番
標高の高いお寺です。
もともと、善通寺建立の為の材木を探すため弘法大師が登山をしてい
たところ、美しい山に心をうたれ堂宇を建てた事が雲辺寺の最初という
事です。
その後、嵯峨天皇の勅願で弘法大師が千手観音を刻み本尊として安置
し、七堂伽藍が整備され12坊の末寺8ヶ寺という巨刹になりました。

雲辺寺7.jpg

雲辺寺3大師堂.jpg

雲辺寺5.jpg

雲辺寺.jpg

<おたのみなすび>
雲辺寺4おたのみなす.jpg
願い事をこめてこの茄子に座ると願いが叶うという話です。

<なごりもみじ>
雲辺寺8.jpg
このもみじの紅葉が終わると紅葉のシーズンは終わり、冬になるという事です。

<雲辺寺からの風景>
雲辺寺2.jpg

雲辺寺21.jpg
標高が高いだけあって、良い景色。
昔、土佐の大名・長曽我部元親はこの寺に登った時、眼下を見渡し四国制覇の
野望を抱いたという伝承があります。

令和6年秋旅2 四国お遍路
http://rover.seesaa.net/article/506220413.html

四国札所巡り
http://rover.seesaa.net/article/23563880.html

紅葉の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/22577081.html



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2020年01月28日

一宮城     (徳島県徳島市)

徳島市にある一宮城に行ってきました。

<一宮城>
一宮城.jpg
住所:徳島県徳島市一宮町西丁
駐車場あり(無料)

<一宮城について>
一宮城7.jpg

一宮城8.jpg
ぐるっと1周するルートがあります。1時間位見ておけば良いと思います。
左回りで行くことをお勧めします。右側の滝のあたりに鎖場があり、鎖を伝い
ながら登ることになります。結構厳しいです。

一宮城6鎖場.jpg
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
一宮城に行ってきました。
南北朝時代に小笠原長宗によって築城されたお城です。
戦国時代、長宗我部氏の支配下に入り、その後蜂須賀氏が阿波に入る際、最初に
入城したのがこのお城だそうです。その後徳島城に移ります。

約120mの山に築かれた山城で、複数の出丸を備え、実戦での実用性を追求した城
と言えるかと思います。続日本100名城に選ばれました。

山道は極めて厳しいエリアがあるので、しっかりした靴や格好で行く必要があります。

<一宮城>
一宮城2.jpg

一宮城4.jpg

一宮城5.jpg

一宮城3.jpg

<一宮城からの景色>
一宮城karano.jpg

一宮城karano2.jpg

令和元年〜2年・年末年始の旅
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日本の城を巡る
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2020年01月26日

撫養城    (徳島県鳴門市)

鳴門市にある撫養城に行ってきました。

<撫養城>
撫養城.jpg
住所:徳島県鳴門市撫養町林崎南殿町60−8
駐車場あり(無料)

<撫養城について>
撫養城2.jpg

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鳴門市の撫養城(むやじょう)に行ってきました。
撫養城は蜂須賀家政が阿波に入国した際、家臣の益田正忠に築城させた城です。
江戸時代に入り、1638年一国一城令により廃城になりました。

妙見山公園という公園の中にあり、今は模擬天守があります。
模擬天守は無料で入城出来、そこからの景色はとても良かったです。

<撫養城からの景色>
撫養城からの景色.jpg

撫養城からの景色2.jpg

撫養城からの景色3.jpg
鳴門海峡をこんなに綺麗に見る事が出来る場所があるんですね。隠れ名所を発見した
気分です。ここは良いです(^-^)

<妙見神社>
撫養城 妙見神社.jpg

撫養城 妙見神社2.jpg
この妙見神社の場所がかつての撫養城跡の様です。

令和元年〜2年・年末年始の旅
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2014年06月27日

勝瑞城跡    (徳島県藍住町)

徳島県藍住町にある勝瑞城跡に行ってきました。

<勝瑞城跡>
勝瑞城跡1.jpg
住所:徳島県板野郡藍住町勝瑞
駐車場あり(無料)

<現地解説>
勝瑞城は、室町時代の阿波国守護細川氏及び、その後三好氏が本拠とした城で
県内に残る中世城郭の中では珍しい平城である。
15世紀中頃に細川氏が守護所を土成町の秋月から勝瑞に移したとされ、その後、
勝瑞城を中心として形成された守護町勝瑞は、阿波の政治文化の中心として栄えた。
勝瑞城は京都の管領屋形に対して阿波屋形または下屋形とも呼ばれた。応仁の乱では
東軍の後方拠点となり、また両細川の乱では細川澄元党、次いでその子晴元党の拠点
となった。
1553年、家臣の三好義賢が守護細川持隆を殺害し、その実権を奪った。
この頃、三好長慶らは度々畿内に出兵し、三好の名を天下に轟かせた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
勝瑞城に行ってきました。細川氏、三好氏の拠点として栄えた城です。
見性寺というお寺がある森が勝瑞城跡になります。
東西80m、南北約60mの方形で周囲には14mの水堀がめぐっています。

勝瑞城跡2.jpg

この城は1582年、長宗我部元親の軍に攻められて落城したとの事です。

城跡にある勝瑞義冢の碑です。

<勝瑞義冢(しょうずいぎちょう)の碑>
勝瑞義家の碑.jpg
四国正学といわれた徳島藩儒官・那波魯堂(1727〜1789)の撰。
戦国大名三好家の盛衰と戦没者の慰霊文を記した歴史的な記録です。

日本の城を巡る
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平成25年夏旅
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2013年09月11日

上桜城跡   (徳島県吉野川市)

徳島県吉野川市にある上桜城跡に行ってきました。

<上桜城跡>
上桜城.jpg
住所:徳島県吉野川市川島町桑村
駐車場なし

<現地解説>
上桜城は、戦国時代の末、篠原紫雲長房が、その実戦の経験を生かし、この天然の
要害に築いた。山頂の本丸は、二の丸、三の丸を廻らし、西の丸には北と南に空堀
をもつ。元亀三年、長房は讒言によって、主君三好長治の率いる7000の兵に
よって攻められ、7月16日激戦の後、城兵全員が悲壮な戦死をとけ落城した。
いわゆる上桜の戦いで、城跡の麓には両軍戦死者の慰霊碑がある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
川島城を見た後、そこから数キロ南に行った山の上にある上桜城に行って
きました。やや細い山道を走り、城跡入り口から山道を歩くこと5分弱で
現地に着きました。

<城跡への道>
上桜城への道.jpg

現地はあまり管理されていないのか、草が生い茂っていました。
荒城という雰囲気です。

上桜城2.jpg

現地からは吉野川沿いに広がる平野が一望出来、とても見晴らしが良い
です。ここなら敵兵の動きもよく分かるでしょうし、城としても堅固な
感じです。

上桜城からの景色2.jpg

上桜城からの景色.jpg

川島城も遠くに見ることが出来ます。

上桜城3.jpg

平成25年夏旅
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2013年08月28日

川島城    (徳島県吉野川市)

徳島県吉野川市の川島城に行ってきました。

<川島城>
川島城2.jpg
住所:徳島県吉野川市川島町川島城山136−1
駐車場あり(無料)
入場無料(月曜定休)

<現地解説>
この城跡は、安土桃山時代に三好氏の家臣川島兵衛進が居城していた
ところである。
その後、1585年蜂須賀氏が重臣林能勝に兵300名をおいて阿波
の西押さえとした。
しかし、1615年一国一城令が出て廃城となる。
岩の鼻に立てば阿北の山々と吉野川の清流が一望に収まり、道感原には林道感
の碑、朝鮮女の墓また真福寺境内には板碑があり、史跡として古式ゆかしい
景勝地である。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
徳島県吉野川市の川島城に行ってきました。
戦国時代のお城で、今は立派な復元天守がありました。
訪問したのが月曜日だったんですが、なんと月曜はお休み(>_<)
せめてお盆は開けててほしかった・・・。
中には資料館・展望台などがあるそうです。

中に入れなかったのは残念でしたが、外から立派な城を見て
帰りました。

川島城.jpg

川島城3.jpg

平成25年夏旅
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2013年08月21日

阿波の土柱    (徳島県阿波市)

徳島県阿波市にある阿波の土柱を見に行ってきました。

<阿波の土柱>
阿波の土柱1.jpg
住所:徳島県阿波市阿波町桜ノ岡
駐車場あり(無料)

<現地解説>
この土柱は約130万年前の礫層が浸食されてできたものである。
礫層の軟らかい部分は又草木の成育の少ない部分が冬期に連呼する強い西風や急激な
雨水によって漸次浸食、下刻されて、雨谷をつくり、こうして出来た幾筋からの雨谷
は相互に闘争しつつ、雨毎に岩石や土砂を洗滌、流下して、掘れ溝を崖の上下に向かって
深めてゆく。昭和9年に国の天然記念物に指定されている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
10年ぶりくらいに阿波の土柱を見に行ってきました。
土柱はその名の通り、土の柱がそびえ立つ地形です。
これは雨や風により礫層が浸食されて出来たものです。

下から見あげる展望台の他、遊歩道も整備され土柱の上から見下ろす
事も出来ます。
本当に土の柱なので、ちょっとした事で崩れそう。10年前見たときとは
雨の浸食などで形が変わっていたのかもしれません。

阿波の土柱2.jpg

阿波の土柱3.jpg

阿波の土柱4.jpg

夜はライトアップされるようで、違った雰囲気を味わえるものと
思われます。

平成25年夏旅
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2010年03月08日

旗山    (徳島県小松島市)

徳島県小松島市の旗山です。

<旗山>
旗山1.jpg
住所:徳島県小松島市芝生町
駐車場あり

国道55号線を走っていたときに、「旗山」の標識を見て何かな〜
と思って立ち寄りました。
ここは源平の戦いにからむ史跡で、1185年屋島の戦いにのぞむ
源義経が阿波勝浦に上陸し、味方の士気を鼓舞するため、この小高い
丘に源氏の白旗をたてたという伝説があるという事です。

この義経ゆかりの地に1991年、市民の募金で作られた源義経像
があります。高さ6.7メートルは日本の騎馬像では一番大きいそう
です。

旗山 源義経像.jpg
勇壮な銅像ですね!

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html


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2009年01月18日

西光寺    (徳島県阿南市 観光名所)

徳島県阿南市の西光寺に行ってきました。

<西光寺>
西光寺.jpg
住所:徳島県阿南市赤池185
TEL:0884-42-0316
境内自由

徳島県阿南市の西光寺です。
ここは、阿波公方の史跡という事で行ってみました。
阿波公方とは、室町幕府10代将軍足利義稙が管領細川高国の専横
を憤り阿波に渡ったのが始まりで、その子の足利義冬が初代阿波公方
と言われています。
その後、義冬の子の義栄が三好氏に擁せられて京にのぼり、14代
将軍足利義栄となるが、足利義昭を擁す織田信長に追われ再び阿波に
逃れてきます。
その後も阿波公方は続き、江戸時代文化2年足利義根の阿波国退去
まで250年間続いたそうです。

その阿波公方の墓があるのが西光寺です。
歴代公方の墓がありますが、昭和17年の火災で古文書も焼失し、
現在はっきりしているのは、室町10代将軍足利義稙、初代阿波公方
足利義冬、室町14代将軍足利義栄の墓のみとの事です。

<歴代の墓>
西光寺 室町将軍の墓
(左・足利義栄の墓、中央・足利義稙の墓、右・足利義冬の墓)

阿波の国に室町将軍の墓があるのにはびっくりしました。
応仁の乱以降、室町幕府の権威は完全に失墜して、追われるように
阿波に来たんでしょうね。
室町幕府の将軍の墓にしては寂しい感じです。
あと、現地でもあまり観光的にアピールされてないので、本当に
ひっそりとある感じです。

<本堂>
両光寺 本堂

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

平成20年冬旅
http://rover.seesaa.net/article/112075386.html

阿波公方の墓

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2009年01月16日

丈六寺   (徳島県徳島市 観光名所)

徳島県徳島市の丈六寺に行ってきました。

<丈六寺>
丈六寺山門
住所:徳島県徳島市丈六町丈領32
駐車場あり(無料)
境内事由

丈六寺は寺伝によれば672年の創建。室町時代の1466年、
細川成之が高僧金岡用兼禅師を迎えて中興開基。
蜂須賀家が引き続き寺領200石を給し、一門及び重臣の墓がある。
平安時代の巨大な聖観音丈六座像は全国的に有名である。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
徳島市の丈六寺に行ってきました。
徳島市の郊外にあるお寺で、境内にある数々の文化財から、
「阿波の法隆寺」と言われる名刹です。

山門、本堂、経蔵、観音堂などなど国指定重要文化財が目白押し
です。確かにそれらの建物は威厳があり、歴史を感じさせてくれます。

<本堂>
丈六寺本堂

<経蔵>
丈六寺経蔵

<観音堂>
丈六寺観音堂

<徳雲院>
丈六寺徳雲院
徳雲院には血天井という恐い伝説があります。
戦国時代に長宗我部元親のだまし討ちにあい、丈六寺で殺された
新開忠之の呪いか、天井に手形・足形が残り、拭けど洗えど落ちない
のだとか。本当なら恐い話ですね。
<これが血天井>
丈六寺血天井

平成20年冬旅
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2008年07月30日

貞光二層うだつの町並み   (徳島県貞光町 観光名所)

徳島県貞光町の町並みを散策してきました。

<貞光二層うだつの町並み>
貞光2層うだつの町並み
住所:徳島県美馬郡つるぎ町貞光大北町〜大南町

貞光町は江戸時代に葉たばこの産地として栄え、阿波の国でも屈指
の商業規模を誇ったそうです。
その繁栄の名残が「うだつの町並み」です。
特に貞光のうだつは「二層うだつ」と呼ばれる独特のもので、正面
には家毎に異なる絵模様が施されています。

うだつの町並みと言うと、貞光より美馬市の脇町の方が有名ですが、
貞光も随所に残る古商家に「二層うだつ」が残り、風情ある町並み
を堪能する事が出来ます。

貞光2層うだつの町並み

貞光2層うだつの町並み

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html



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2008年07月29日

うだつの町並み   (徳島県美馬市 観光名所)

徳島県美馬市(旧脇町)のうだつの町並みです。

<うだつの町並み>
うだつの町並み
住所:徳島県美馬市脇町脇町
駐車場あり(無料)

うだつの町並みは、防火の観点から造られた建築様式で、ここ脇町
や岐阜県の美濃の町並みにも見ることが出来ます。
脇町のうだつの町並みは江戸時代から明治にかけて阿波藍の集散地
として栄えた町並みが今に残るものです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
徳島県美馬市(旧脇町)のうだつの町並みには2度ほど行っています。
2回目の訪問になった平成14年3月23日の写真を掲載します。

まだ美馬市になる前で、脇町のころの訪問です。
早朝にうだつの町並みを散策しました。
ここも個人的にはおすすめ出来る、昔ながらの町並みです。

うだつの町並み

うだつの町並み

うだつの町並み

日本の古い町並み
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2006年03月11日

熊谷寺   (徳島県阿波市 四国8番札所 桜 観光名所)

徳島県阿波市、四国8番札所熊谷寺(くまだにじ)です。

<熊谷寺>
熊谷寺1.jpg
住所:徳島県阿波市土成前田185
駐車場あり(無料)

<由緒>
四国霊場8番札所。
弘法大師作と言われる千手観音が本尊。
寺伝によれば、弘法大師がこの地のやや奥に当る閼伽ケ谷という所で修行されていると
き、紀州の熊野権現があらわれ、観世音菩薩の尊像を感得した。
本堂は火災で焼失後昭和46年に再建されたもの。

<ひとこと>
四国お遍路に興味がある訳ではないんですが、お寺の歴史的背景や古い建造物などに
興味があるので、四国の寺を巡っています。
ここ熊谷寺はそんな感じで、立ち寄ったお寺です。
埼玉県民の私としては、「くまがやじ」と呼んでしまうところですが、正しくは
「くまだにじ」ということです。
お寺に行くと、なんと、桜が見事に咲いているではないですか。
知らなかったのですが、この熊谷寺は桜並木が有名なお寺なのだそうです。
この日はあいにくの雨だったので、何でしたが、晴れていたらさぞかし綺麗であろう
なと思いました。

【熊谷寺・平成14年3月23日撮影】
熊谷寺2.jpg

熊谷寺.jpg
多宝塔もなかなか見事なものです。

(熊谷寺 おすすめ度 ★★★)

四国札所巡りの旅
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熊谷寺(四国霊場8番札所)
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