2025年01月20日

石動山・大宮坊    (石川県中能登町)

令和6年10月17日、中能登町にある石動山・大宮坊に行ってきました。

<石動山・大宮坊>
石動山 大宮坊2.jpg
住所:石川県鹿島郡中能登町石動山 オ甲部3番地
駐車場あり(無料)

<石動山・大宮坊について>
石動山 大宮坊.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
古くから山岳信仰の地としてあがめられ、多くの僧が修行に励んだ地です。
かつては300を超える坊があった様ですが、今は石垣などの遺構を残すのみと
なっています。
戦国時代には僧兵もおり、軍事的な拠点としての意味合いもあった様です。
P1020041.jpg

石動山 大宮坊4.jpg

栄華をほこった石動山の中でも一番の格式をほこった大宮坊が再建され、自由に
見学出来る様になっていました。
石動山に関する歴史なども展示されていて。勉強になりました(^-^)

<大宮坊>
石動山 大宮坊3.jpg

石動山 大宮坊5.jpg

石動山 大宮坊6.jpg

石動山 大宮坊7.jpg

ここに通じる県道306号線の部分だけ道幅が狭く、前から車来ると
厳しいなという感じでした。

令和6年秋旅1
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トトロ岩      (石川県輪島市)

令和6年10月17日、輪島市にあるトトロ岩を見てきました。

<トトロ岩>
トトロ岩.jpg
住所:石川県輪島市門前町大泊
駐車場あり(無料)

権現岩っていう奇岩なんですが、トトロに見えるというのでトトロ岩とも言う
らしいです。
どうでしょう。
トトロ岩2.jpg
ううむ、確かにトトロに見えるかも(笑)

トトロ岩3.jpg

令和6年秋旅1
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天領・黒島の町並み    (石川県輪島市)

令和6年10月17日、輪島市の天領・黒島の町並みを散策しました。

<天領・黒島>
輪島市黒島.jpg
住所:石川県輪島市門前町黒島町
駐車場あり(無料)

<天領・黒島について>
輪島市黒島1.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
重要伝統的建造物群保存地区に指定されている黒島の町並みを散策してきました。
前から行こう行こうと思いつつ、行かずにこの日迄至りました。
そんな中、能登半島地震が発生。
輪島の朝市通りは全部燃えてしまい、こちらもどうなったのか。
気になっての訪問です。

黒島は日本海航路による海運業の発展の中で北前船の船主および船員の居住地として
栄えた町です。木造の昔ながらの町並みを見る事が出来ました。

輪島市黒島2.jpg

輪島市黒島3.jpg

輪島市黒島4.jpg

輪島市黒島5a.jpg

輪島市黒島5.jpg

これらの写真は、かろうじて被害が少なかった部分です。

実は、町並みはかなりの被害を受けていました。


続きを読む
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2025年01月18日

妙成寺   (石川県羽咋市)

令和6年10月17日、羽咋市にある妙成寺に行ってきました。

<妙成寺>
妙成寺.jpg
住所:石川県羽咋市滝谷町ヨ1
駐車場あり(無料)
拝観料:500円

<妙成寺について・wikipediaより引用>
妙成寺(みょうじょうじ)は、石川県羽咋市滝谷町にある日蓮宗の寺院。
山号は金栄山(きんえいざん)。日蓮の孫弟子に当たる日像が開祖。
日蓮宗の北陸本山で、能登随一の大伽藍をもつ。
本堂、五重塔、祖師堂、経堂等の諸堂が、国の重要文化財に指定されている。

IMG20241017092534.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
妙成寺に行ってきました。
ここは本当に久しぶり。自分の写真フォルダを見るに、前回行ったのは1999年
5月4日という事で、25年振りの訪問となりました。

妙成寺は羽咋市にある日蓮宗の大寺院。
加賀前田家との関係も深いお寺です。
とにかく、建造物ひとつひとつが大きく威厳があります。
本堂や五重塔など重要文化財指定の建物も多くあり、見所満載という感じです。
拝観料500円かかりますが、その価値は十分にあるかなと思います。

<山門>
妙成寺2.jpg

<本堂>
妙成寺9本堂.jpg

<祖師堂及び祖師堂の廊下>
妙成寺9a祖師堂.jpg

妙成寺9b.jpg

<五重塔>
妙成寺3.jpg

妙成寺4.jpg

<丈六堂>
妙成寺5.jpg

妙成寺6.jpg
こちらは丈六堂の中に安置されているお釈迦様です。

<千代保の墓>
妙成寺 千代保の墓.jpg
ここに千代保の墓があることを初めて知りました。
墓の前には寿福院殿墓と書いてありました。
千代保は、前田利家の側室で、3代藩主前田利常の母になります。
妙成寺は千代保の菩提寺として伽藍が整備されたという歴史があるそうです。

<妙成寺庭園>
妙成寺9c.jpg

令和6年秋旅1
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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気多大社     (石川県羽咋市)

令和6年10月17日、羽咋市にある気多大社に行ってきました。

<気多大社>
気多大社.jpg
住所:石川県羽咋市寺家町ク1−1
駐車場あり(無料)
境内自由

<気多大社について・wikipedieaより引用>
能登半島の付け根、羽咋市北方に日本海に面して鎮座する。
祭神の大己貴命は出雲から舟で能登に入り、国土を開拓したのち守護神としてこの地
に鎮まったとされる。
古くから北陸の大社として知られ、中世・近世には歴代の領主からも手厚い保護を受
けた。
現在は本殿など5棟の社殿が国の重要文化財に指定されているほか、国の天然記念物
の社叢「入らずの森」で知られる。

社伝(『気多神社縁起』)によれば、第8代孝元天皇の御代に祭神の大己貴命が出雲
から300余神を率いて来降し、化鳥・大蛇を退治して海路を開いたという。
また『気多社島廻縁起』では、気多大菩薩は孝元天皇の時に従者を率いて渡来した異
国の王子とし、能登半島一帯を巡行して鬼神を追放したと記される。
『気多社祭儀録』では、祭神は第10代崇神天皇の御代の勧請とし、神代からの鎮座と
する説もあると記される。
一説として、孝元天皇の御代には七尾市に鎮座し、崇神天皇の御代に当地に遷座した
とも伝えられる。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
能登国一宮、気多大社に行ってきました。
気多大社には2度ほど訪問しており、今回で3回目の訪問になりました。
震災で大丈夫だったかなと思い、訪問してみました。
見た感じこれといった被害は無さそうな雰囲気。まずは良かったです。
気多大社及び気多大社神宮寺・正覚院を参拝しました。

気多大社2.jpg

気多大社3.jpg

気多大社4.jpg

気多大社5.jpg

令和6年秋旅1
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一之宮を巡る
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旧海軍小松基地発電所跡    (石川県小松市)

令和6年10月17日、小松市にある旧海軍小松基地発電所跡に行ってきました。

<旧海軍小松基地発電所跡>
海軍小松基地発電所跡.jpg
住所:石川県小松市浮柳町丙7−1
駐車場無し

旧海軍小松基地で使われた自力発電所跡に行ってきました。
小松浮柳郵便局の裏にある朽ちた鉄筋コンクリートの構造物がそれです。
他の方の情報によると、解体しようにも権利者が多くまとまらず、放置されている
様です。
れっきとした戦争遺跡なので、私的には保存出来ないものかなと思います。
現在はレンタカー屋さんの敷地の様で、洗車機が発電所にくっつく様に設置されて
いました。

現地には解説等一切無いので、知らなければ何なんだろうという事で終わってしま
いそうです。

海軍小松基地発電所跡2.jpg

海軍小松基地発電所跡3.jpg

海軍小松基地発電所跡4.jpg

海軍小松基地発電所跡5.jpg

海軍小松基地発電所跡6.jpg

海軍小松基地発電所跡7.jpg
洗車機の設備やメーターが発電所跡に取り付けられてました(^^;

令和6年秋旅1
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戦争遺跡・軍事遺跡
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2022年08月17日

野田山前田家墓地    (石川県金沢市)

野田山前田家墓地に行ってきました。

<野田山前田家墓地>
野田山前田家墓地.jpg
住所:石川県金沢市野田町
駐車場あり(無料)

<前田家墓地について>
野田山前田家墓地2.jpg

野田山前田家墓地3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
金沢市郊外にある野田山墓地内にある前田家墓所に行ってきました。
野田山墓地って大きいんですけど、その一角に加賀藩主前田家の墓域があります。

大坂で亡くなった前田利家は生前野田山に埋葬する様遺言を残しており、それに
従い造られた墓地です。
ここには利家の嫡男利長や、利家の妻であるまつの墓の他歴代加賀藩主のお墓が
並びます。
荘厳な雰囲気の前田家墓域、だいぶ前に一回行っていたんですが、久しぶりに訪問
して参拝してきました。

墓域の前に結構広い観光用駐車場(無料)がありますので、気軽に参拝出来ます。

<前田利家墓所>
野田山前田利家墓所.jpg
初代藩主前田利長の父。信長に仕え出世。その後秀吉のもとで五大老筆頭となった
人物。

<前田まつ(芳春院)の墓>
野田山まつの墓.jpg
利家の妻まつの墓。利家を支え加賀藩の基礎を造り上げました。

<前田利長墓所>
野田山前田利長墓所.jpg
加賀藩初代藩主前田利長の墓です。利長は利家死後家督を継ぎますが、関ヶ原の戦い
では東軍につき前田家を存続させました。

<前田利久墓所>
野田山前田利久墓所.jpg
前田利家の兄利久の墓所です。利久は前田家の当主でしたが、信長により利家に家督を
譲らされます(病弱だったという話です)

令和4年GWの旅
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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2022年01月29日

津幡城址   (石川県津幡町)

津幡町にある津幡城址に行ってきました。

<津幡城址>
津幡城址.jpg
住所:石川県河北郡津幡町清水リ1−1
駐車場あり(無料)

<津幡城について>
津幡城址2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
津幡城址に行ってきました。
津幡城は、平維盛が寿永2年(1183年)倶利伽羅峠の戦いの際津幡川に面した、
小高い丘に砦を設けたのが始まり。
1584年、佐々成政の末森城攻略に際し、津幡城を改修し前田利家の弟・前田秀継
が入城しました。

現在は津幡ふるさと歴史館という資料館が城跡にありました。

また、城跡には室町時代、都から落ちてきた公家の冷泉為広の塚が残っています。

<為広塚>
為広塚.jpg

為広塚2.jpg

為広塚3.jpg

令和3年夏旅1
http://rover.seesaa.net/article/482621174.html

日本の城を巡る
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松任城址   (石川県白山市)

石川県白山市にある松任城址に行ってきました。

<松任城址>
松任城址.jpg
住所:石川県白山市古城町42
駐車場無し

<松任城について>
松任城址3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
松任城は平安時代末期には築城されていたという古城で、松任氏の館でした。
その後、一向一揆の松任組の本拠地として城郭として整備されました。
上杉謙信に攻められた際も持ちこたえ、謙信と和解に持ちこんでいます。

その後、前田氏、丹羽氏の在城を経て江戸時代の一国一城令により廃城となりました。
現在は本丸跡に城址公園が整備されてますが、特に城跡を思わせる様なものは
ありませんでした。

松任城址2.jpg

松任城址5.jpg

松任城址4.jpg

松任城址6.jpg

令和3年夏旅1
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日本の城を巡る
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2020年08月05日

弘法池 / 日本名水百選  (石川県白山市)

白山市にある弘法池に行ってきました。

<弘法池>
弘法池.jpg
住所:石川県白山市釜清水町78
駐車場あり(無料)

<弘法池について>
弘法池5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
日本名水100選、弘法池に行ってきました。
弘法大師のゆかりのあるわき水です。
弘法大師がこの地を訪れた際、遠く手取川から水をくんできている事に驚き、
錫杖で地を突き、湧き水を掘り当てたという伝説があります。

まあ伝説は伝説。この湧き水は甌(岩のくぼみ)穴からわき出る湧き水で、全国で
も珍しい湧き水です。
弘法池2.jpg

弘法池3.jpg
これが甌穴です。水がわき出ています。

甌穴は木の柵で囲まれてここから水を汲むことは出来ません。
弘法池4.jpg
こちらの水道から水を汲むことが出来るようになってます。
僕は1杯だけつめたい水を頂きました(^-^)

令和2年初夏旅(北陸)
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日本名水巡り
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仏御前荼毘の地・屋敷跡・墓  (石川県小松市)

小松市にある仏御前ゆかりの地に行ってきました。

<仏御前屋敷跡>
仏御前屋敷跡2.jpg
住所:石川県小松市原町
駐車場無し

<仏御前について>
仏御前屋敷跡3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平清盛の側室のひとり仏御前は清盛の元を去ったあと故郷である小松の原町に戻り
この地で過ごしました。
僕も仏御前の存在は大河ドラマ『平清盛』で知りました。
今回の旅で、原町の仏御前縁の地を知っていた訳ではなく、たまたま通りかかって
仏御前ゆかりの地ってあったので立ち寄った感じです。

国道360号線沿いに屋敷跡・墓がありました。

<仏御前屋敷跡・墓>
仏御前屋敷跡.jpg

仏御前屋敷跡4.jpg

ここから北にそれた道に入りすぐのところに荼毘の地への入口を示す案内がありまし
た。

仏御前荼毘の地3.jpg
ここから300mほどで仏御前の荼毘の地があります。

<荼毘の地>
仏御前荼毘の地2.jpg

仏御前荼毘の地.jpg

仏御前って20歳で亡くなってるんですね。
清盛の側室でしたが、良い人生だったのか、どうなんでしょうね。

令和2年初夏旅(北陸)
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大河ドラマの舞台
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2020年07月25日

鳥越城址    (石川県白山市)

白山市にある鳥越城址に行ってきました。

<鳥越城址>
鳥越城址.jpg
住所:石川県白山市杉森町1
駐車場あり(無料)

<鳥越城について・クリックすると拡大します>
鳥越城址9.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鳥越城址に行ってきました。
鳥越城は1573年頃に白山麓山内惣庄の旗本鈴木出羽守を城主とし、織田信長によ
る加賀一向一揆討滅の経路がはかられる中で、門徒集団である山内衆の抵抗の拠点と
して築城されたものです。
1573年なので、加賀一向一揆の拠点としては最後期のものと言えると想います。
城は1580年に柴田勝家の攻撃により落城。
その後も一向一揆との攻防は続きますが、1582年に佐久間盛政によって再度鎮圧
され、鳥越城もその役目を終えました。
2009年公開の映画『BALLAD 名もなき恋のうた』のロケ地にもなったそうです。

平成16年に一度訪問しており、2回目の訪問です。
その後、鳥越城は続日本100名城にも指定されました。
久しぶりの訪問で、前回行ったことをほとんど覚えていません。
初訪問みたいなもんです。

再建された石垣、櫓などあり、とても雰囲気の良い城です。
一度映画のロケにも使われた様ですが、歴史映画のロケ地にもすぐに使えそうな
雰囲気の城でした。

<鳥越城址>
鳥越城址2.jpg

鳥越城址4.jpg

鳥越城址8.jpg

鳥越城址6.jpg

鳥越城址3.jpg

鳥越城址5.jpg

鳥越城址7.jpg

令和2年初夏旅(北陸)
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日本の城を巡る
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多太神社    (石川県小松市)

小松市にある多太神社に行ってきました。

<多太神社>
多太神社.jpg
住所:石川県小松市上本折町72
駐車場あり(無料)
境内自由

多太神社4.jpg

<多太神社について・クリックすると拡大します>
多太神社3.jpg

<多太神社と斎藤実盛について>
多太神社5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小松市にある多太神社に行ってきました。
源平合戦の篠原の戦いにおいて義仲に討ち取られた斎藤実盛。
その実盛供養の為、木曽義仲は実盛の甲冑をこの神社に奉納し、祀ったとの事です。

また、江戸時代には松尾芭蕉がこの地を訪れ、実盛と義仲を想い句を残しており、
芭蕉の句碑も境内に造られていました。

<斎藤実盛像>
多太神社6.jpg

多太神社2.jpg

<芭蕉句碑>
芭蕉句碑.jpg

芭蕉句碑2.jpg

<芭蕉像>
芭蕉像.jpg


令和2年初夏旅(北陸)
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銅像めぐり
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奥の細道の旅
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浅井畷古戦場     (石川県小松市)

石川県小松市にある浅井畷古戦場に行ってきました。

<浅井畷古戦場>
浅井畷古戦場.jpg
住所:石川県小松市大領町1
駐車場無し

<浅井畷古戦場について>
浅井畷古戦場3.jpg

浅井畷古戦場4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
浅井畷古戦場に行ってきました。
関ヶ原の戦いのおり、前田利長は東軍につきました。小松城主丹羽長重は西軍に
ついた為、利長は丹羽長重の籠もる小松城を攻めますが小松城は堅城につき落とせず
押さえの兵を残し大聖寺城を攻め落とします。

その時、大谷吉継の謀略により加賀に上杉勢が攻め込むであったりという風説をなが
しました。
それに動かされた利長軍は加賀へ戻る動きをしますが、そこを丹羽長重の軍に追撃
されます。それが浅井畷の戦いです。

この地にはその際に討ち取られた前田軍の武将の墓があり、古戦場公園として碑や
解説板が設置されていました。

駐車場はありませんが、車通りも少ないので、前に少し路駐して現地を見学して
きました。

令和2年初夏旅(北陸)
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古戦場めぐり
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2020年07月11日

篠原古戦場・首洗池  (石川県加賀市)

篠原古戦場・首洗池に行ってきました。

<首洗池>
篠原古戦場跡.jpg
住所:石川県加賀市柴山町
駐車場あり(無料)

<篠原古戦場について>
篠原古戦場跡2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
篠原古戦場首洗池に行ってきました。
1183年、倶利伽羅峠での勝利の勢いで平家方を追う木曽義仲軍はこの地で平家
の軍勢とぶつかります。平家方は壊走しますが、斎藤実盛は踏みとどまり義仲軍と
戦います。
斎藤実盛はかつて大蔵合戦(埼玉県嵐山町)で義仲の父源義賢が源悪源太義平に攻め
られ滅ぼされた時、まだ子供だった駒王丸(のちの木曽義仲)を木曽の中原兼遠の
もとへ逃し助けた人物で、義仲の命の恩人でした。

その後、実盛は平家方として戦う事となり、かつて自分が助けた義仲の軍と戦う
事になります。実盛は髪を黒く染め、名を名乗らずに戦い討ち取られます。

ここ首洗池で首を洗うと染めた黒髪は白髪となり、その首は命の恩人である斎藤実盛
である事が分かり義仲は涙したという事です。

<首洗池>
篠原古戦場跡3.jpg

現地には義仲主従の像がありました。
篠原古戦場跡4.jpg

篠原古戦場跡5.jpg
実盛の首をかかえ泣く木曽義仲の像です。

令和2年初夏旅(北陸)
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大河ドラマの舞台
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古戦場めぐり
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銅像めぐり
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篠原古戦場・実盛塚    (石川県加賀市)

加賀市にある実盛塚に行ってきました。

<実盛塚>
実盛塚.jpg
住所:石川県加賀市篠原町
駐車場あり(無料)

<実盛塚について>
実盛塚4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
加賀市にある実盛塚に行ってきました。
ここは源平の合戦「篠原古戦場」で、実盛塚は平家方の武将・斎藤実盛を祀った塚
です。
1183年、倶利伽羅峠での勝利の勢いで平家方を追う木曽義仲軍はこの地で平家
の軍勢とぶつかります。平家方は壊走しますが、斎藤実盛は踏みとどまり義仲軍と
戦います。
斎藤実盛はこの時70歳をこえる高齢ながら、髪を黒く染め老将である事を悟られ
ぬ様に化粧し戦いに臨んだという事です。
この地で討ち取られた実盛は、義仲によりここに葬られました。
実盛塚の場所には大きな松の木。近づけない様になってるので、碑は確認出来ません
でした。

<実盛塚>
実盛塚2.jpg

実盛塚3.jpg

実盛塚の駐車場は道路を挟んで反対側にあります。

令和2年初夏旅(北陸)
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大河ドラマの舞台
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古戦場めぐり
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著名人の墓
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2020年07月09日

尼御前岬   (石川県加賀市)

加賀市にある尼御前岬に行ってきました。

<尼御前岬>
加賀尼御前岬.jpg
住所:石川県加賀市美岬町
駐車場あり(無料)

<尼御前岬について>
加賀尼御前岬4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
尼御前岬に行ってきました。
名前が気になるところですが、由来は義経一行の奥州への逃避に関わるものでした。
奥州に逃れる為北陸を進む義経主従ですが、先の安宅の関の警備がことのほか厳しい
事を知り、足手まといになることを危惧した尼御前がこの岬から身を投げたという
お話が岬の名前の由来だそうです。

尼御前岬、海の風景としては平凡な感じで驚く様な感じの場所ではありません。
歴史を感じる観光地って感じです。
また、ここから北陸道の尼御前SAに入る事が出来、レストランを使ったりお土産
を買ったりする事が出来ます。

<尼御前岬>
加賀尼御前岬3.jpg

加賀尼御前岬2.jpg

加賀尼御前岬6.jpg

加賀尼御前岬5.jpg

加賀尼御前岬7.jpg

令和2年初夏旅(北陸)
http://rover.seesaa.net/article/475924815.html

岬・灯台巡り
http://rover.seesaa.net/article/107423997.html

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加賀橋立の町並み   (石川県加賀市)

加賀橋立の町並みを散策してきました。

<加賀橋立の町並み>
加賀橋立の町並み.jpg
住所:石川県加賀市橋立町
駐車場あり(無料)

<加賀橋立の町並みについて>
加賀橋立の町並み3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
加賀橋立の町並みを散策しました。
ここは北前船の船主や船頭が居住した集落です。
江戸時代、北前船の港はとても栄えた様ですね。以前、富山の東岩瀬の町を歩いた
事がありましたが、ここも北前船の港として栄えた町でした。

加賀橋立は知名度はあまり無いですが、国指定重要伝統的建造物群保存地区に指定
されています。
町の規模は小さいですが、今でもその建物に人が住んでいるのがすごいなと思います。

<加賀橋立の町並み>
加賀橋立の町並み2.jpg

加賀橋立の町並み4.jpg

加賀橋立の町並み5.jpg

加賀橋立の町並み6.jpg

加賀橋立の町並み7.jpg

加賀橋立の町並み8.jpg


令和2年初夏旅(北陸)
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日本の古い町並み
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2020年07月08日

加佐の岬    (石川県加賀市)

加賀市にある加佐の岬に行ってきました。

<加佐の岬>
加佐の岬.jpg
住所:石川県加賀市橋立町
駐車場あり(無料)

加賀市にある加佐の岬に行ってきました。
加賀海岸で日本海につき出した岬で、先端には昭和27年に建築された
加佐岬灯台があります。

駐車場に車を停め、そこから歩いて5分位で岬、灯台に出る事が出来ます。
加佐の岬については全然知らずの訪問でしたが、行ってみて非常に景色が
良いのに驚きました。
ここは結構な穴場ですね。観光客は僕一人。ゆっくり景色を堪能してきま
した(^-^)

<加佐の岬>
加佐の岬3.jpg

加佐の岬7.jpg

加佐の岬4.jpg

加佐の岬5.jpg

加佐の岬2.jpg

加佐の岬6.jpg

<加佐岬灯台>
加佐岬灯台.jpg

<傷の松>
加佐の岬 松の傷.jpg
加佐の岬に向かう遊歩道に松の木があり、説明板がありました。
戦争末期、航空燃料の極端な不足から松の油を集めた痕跡だそうです。
松の木200本を使って航空機が1時間飛べる程度だった様です。

令和2年初夏旅(北陸)
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岬・灯台巡り
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2018年07月08日

小丸山城址      (石川県七尾市)

七尾市にある小丸山城址に行ってきました。

<小丸山城>
小丸山城.jpg
住所:石川県七尾市馬出町
駐車場あり(無料)

<小丸山城について>
小丸山城3.jpg

小丸山城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小丸山城跡に行ってきました。
以前、大河ドラマ『利家とまつ』を見て、小丸山城が出てきたので一度行きたいな
と思っていました。

七尾に入った前田利家は、この地に小丸山城を築城して入りました。
七尾城は難攻不落の名城ですが、山城ですので政治の拠点としては相応しくありま
せん。そこでこの城を築いて政庁としたのでしょう。

七尾の海にも近く、利便性は高かったんだろうなと思います。
現地は城址公園になっていますが、城の遺構って感じのものはほとんど見て取る事が
出来ませんでした。

<小丸山城址>
小丸山城4.jpg

小丸山城7.jpg

小丸山城5.jpg

小丸山城からの景色
小丸山城6.jpg

<利家とまつ像>
小丸山城 利家とまつ像.jpg
大河ドラマの放映にあわせて作られた銅像です。

平成30年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/459260218.html

銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

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長齢寺 / 前田利家父母の墓        (石川県七尾市)

七尾市にある長齢寺に行ってきました。

<長齢寺>
長齢寺.jpg
住所:石川県七尾市小島町リ52
駐車場あり(無料)
資料館入館料:400円
資料館営業時間 9:00〜16:30

<長齢寺について>
長齢寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
七尾にある長齢寺に行ってきました。
ここは前田利家の父母の墓があるお寺です。
父・前田利春は尾張国荒尾城主です。1560年に亡くなっているので、利家が
能登に入った頃改葬されたものと思われます。

<前田利家父母の墓>
長齢寺 前田利家父母の墓.jpg
本当に小さな石で作られたお墓です。

長齢寺 前田利家父母の墓2.jpg

<前田利家・前田利長の供養塔>
長齢寺 前田利家・前田利長の供養塔.jpg

長齢寺 前田利家・前田利長の供養塔2.jpg

平成30年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/459260218.html

著名人の墓
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大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

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永井豪記念館       (石川県輪島市)

輪島市にある永井豪記念館に行ってきました。

<永井豪記念館>
永井豪記念館.jpg
住所:石川県輪島市河井町1部123番地
駐車場なし
料金:510円
営業:8:30〜17:00

マジンガーZ、キューティーハニー、デビルマンなどの代表作を持つ永井豪氏
記念館です。永井豪氏は輪島の出身という事で故郷に記念館がオープンした様です。

作品は有名なので名前は知ってますが、この辺を生で見た世代って50代後半以上
の方かなと。僕なんかはあまりよく知らないところです。

展示は永井氏の略歴や、作品の紹介など。510円という入館料に対してはやや
ボリューム感は無かった感じがしました。

永井豪記念館2.jpg

永井豪記念館3.jpg

平成30年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/459260218.html


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2018年07月04日

穴水城址       (石川県穴水町)

穴水町にある穴水城址に行ってきました。

<穴水城址>
穴水城址2.jpg
住所:石川県鳳珠郡穴水町川島
駐車場あり(無料)

<穴水城について>
穴水城址.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
穴水城址に行ってきました。穴水城は能登畠山氏の家臣長氏の居城で、前田利家
が能登に入ってから長氏は前田家の家臣となりました。
戦国末期にはその名前がが無くなっているとの事で、関ヶ原の戦いの頃には廃城に
なったものと思われます。

現地は城址公園という感じになってます。道は細いですが、すぐに城址に到着。
駐車場は広く確保されています。
特に遺構はこれっていうのがありませんが、穴水城址の石碑が建てられていました。

穴水城址3.jpg

穴水城址4.jpg

<穴水城からの景色>
穴水城址5.jpg

穴水城址6.jpg

平成30年GWの旅
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日本の城を巡る
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2018年07月03日

朝市通り     (石川県輪島市)

輪島の朝市通りに行ってきました。

<朝市通り>
輪島朝市通り.jpg
住所:石川県輪島市河井町
駐車場あり

輪島と言えば日本四大朝市と言われる有名な朝市があります。
室町時代には既に市が開かれていたと言われ、明治時代に毎日開催される様に
なったそうです。
定休や年末年始のお休みなどある様ですが、毎日午前中に朝市が開かれます。

僕も何年か前に朝市を見て回った事があります。

今回は訪問したんですが、すごい雨の為まったく行われていませんでした。
人通りもまばらです。そんな寂しい朝市通りを散策しました。

輪島は元々港町。昔ながらの板塀の民家があったり、随所に昔ながらの趣が残る
町並みでした。

輪島朝市通り2.jpg

輪島朝市通り3.jpg

輪島朝市通り4.jpg

輪島朝市通り5.jpg

輪島朝市通り6.jpg

輪島朝市通り7.jpg

平成30年GWの旅
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日本の古い町並み
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2017年07月23日

ハニベ巌窟院      (石川県小松市)

小松市にあるハニベ巌窟院に行ってきました。

<ハニベ巌窟院>
ハニベ巌窟院1.jpg
住所:石川県小松市立明寺町イ1
駐車場あり(無料)
入場料:800円

<公式解説>
ハニベとは 昔 埴輪を作る 土で彫刻を作る人の事を言い 現在の
彫塑家の事を言います。
巌窟は 洞窟を意味し 院は寺と言う事で つまり彫塑家のつくった
洞窟の寺と言う事です。

という解説がありました。洞窟の中の寺、どんな感じでしょうか。
突撃です(^-^)

まず入り口の巨大な仏頭に威圧されます。でかいです。
ハニベ巌窟院2.jpg
なんなんでしょう(^^;
ひるまず進みます。
ハニベ巌窟院3.jpg
あやしげな像が。

ハニベ巌窟院4.jpg
更に進みます。

ハニベ巌窟院5.jpg
象だ!

ハニベ巌窟院7.jpg
ライオンだ!

ハニベ巌窟院6.jpg
西田幾多郎だ!?

もう何なのかよく分かりません(^^;

ハニベ巌窟院8.jpg
さあ、ここから洞窟に入ります。ここからが本番です(笑)

続きをご覧ください。


続きを読む
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今江城址     (石川県小松市)

石川県小松市にある今江城址に行ってきました。

<今江城址>
今江城址3.jpg
住所:石川県小松市今江町6
駐車場なし

<今江城について>
今江城址4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
今江城址に行ってきました。
富樫高家によって築城された城ですが、後に一向一揆に占拠されます。
織田軍の柴田勝家によって攻略され、佐久間盛政が入城。
しかし、本能寺の変後再度一向一揆が占拠。
その後秀吉の攻撃によって再度落城します。
関ヶ原の戦いにおいては、前田の先鋒部隊がこの城に入城しました。

小さな城ですが、戦国期の戦いの舞台として数々の戦いが行われたお城
の様です。

現在は今江小学校脇の丘に碑がたっている位で、城跡を思わせる物は
特に残っていませんでした。

今江城址.jpg

今江城址2.jpg

一番上の「今江城址」の碑は岸信介首相の筆によるものです。

平成29年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/449677065.html

日本の城を巡る
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2011年07月07日

手取川古戦場    (石川県白山市)

石川県白山市にある手取川古戦場に行ってきました。

<手取川古戦場>
手取川古戦場の碑.jpg
住所:石川県白山市湊町ヨ146
駐車場あり

1577年9月23日、上杉謙信と織田軍の戦いがこの手取川
一帯で行われた。
9月15日、上杉謙信は七尾城を攻略したが、織田軍総勢5万
が加賀手取川を越えたという情報を受け9月18日、馬を走らせ
南下した。
柴田勝家を総大将に前田利家、滝川一益らの勇将が謙信を待ち受けて
いたが、折しも七尾城落城の悲報が伝わると織田軍は浮き足立ち、
士気が低下したため、不利を悟った織田軍は9月23日夜陰に乗じて
退却を始めた。
ところが運悪く手取川の増水で逃げ場を失い、織田軍は千人余が
討ち取られ川に流された者、その数を知らずと言われたほど大打撃
を受けて退散した。
このとき謙信は「信長と雌雄を決する覚悟で臨んだが案外弱く、この
分なら天下を統一することは簡単だ」と言っている。
手取川での両軍の激突の様子を後世の人は
「上杉に逢うては織田も名取川(手取川) はねる謙信逃ぐるとぶ長(信長)」
という狂歌に詠んでいる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
手取川古戦場に行ってきました。
上杉謙信と織田軍の唯一の大合戦。どこかに石碑でもあるのかなと
思って探したところありました。
白山市、手取川の河口近くに呉竹文庫という施設があり、そこの
駐車場に手取川古戦場の碑があtりました。

今の手取川の風景はこんな感じです。
手取川古戦場2.jpg

手取川古戦場1.jpg
河口付近のため、河川敷も広く大きな川という感じ。
長閑な雰囲気でした。

平成23年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/199314988.html

古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html


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2011年06月20日

世界一長いベンチ   (石川県志賀町)

石川県志賀町にある世界一長いベンチに行ってきました。

<世界一長いベンチ>
世界一長いベンチ.jpg
住所:石川県羽咋郡志賀町富来領家町
駐車場あり

能登半島の国道を走っていると、「世界一長いベンチ」なる表示を発見。
なんだろうと思って立ち寄りました。

なんでも長さ460.9メートル、組み立てには800人が動員された
そうです。
ギネスにも登録されていて、1346人が同時に座ったという記録
が残っているそうです。

世界一長いベンチ2.jpg

世界一長いベンチ3.jpg

僕が行ったときには、座っている人もなく、寂しい状況。
話題作りに造られたのでしょうけど、こうなると寂しいもので。
ここから見る夕陽は綺麗との事。もっと観光客に来てもらって座って
もらわないとダメそうですね。

B級観光スポット・珍スポット
http://rover.seesaa.net/article/106120393.html

平成23年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/199314988.html



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2011年06月10日

弁慶謝罪の地   (石川県能美市)

石川県能美市(旧根上町)にある弁慶謝罪の地に行ってきました。

<弁慶謝罪の地>
弁慶謝罪の地.jpg
住所:石川県能美市道林町へ106
駐車場あり(無料)

石川県能美市にある弁慶謝罪の地です。

1187年2月10日、源義経は安宅の関所を弁慶と富樫の勧進帳
の問答により無事通過することが出来た。
そのあと、当道林寺で弁慶は「主を金剛杖で打った罪」を心から
謝罪しました。
義経は「機知の働きは天の加護」とその忠誠心を厚くねぎらった
という事です。

現在、その道林寺は残っていませんが、跡地に弁慶謝罪の地の石碑
及び、その銅像が造られていました。

<弁慶謝罪の像>
弁慶謝罪の地2.jpg
以前、安宅の関には行きましたが、こんな場所もあったのには
びっくり。歴史マニアとしては、こちらの方がぐっとくるもの
がありました(笑)

平成23年GWの旅
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大河ドラマの舞台
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銅像めぐり
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2011年05月29日

義経の舟隠し    (石川県志賀町)

石川県志賀町にある義経の舟隠しに行ってきました。

<義経の舟隠し>
義経の舟隠し 石川県.jpg
住所:石川県羽咋郡志賀町前浜
駐車場あり(無料)

義経の舟隠しは文治2年、兄頼朝の厳しい追手から逃れる義経と
弁慶が奥州へ下る途中に折からの海難を避けるため、入り江に48
隻の舟を隠したと伝えられる岩場です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
義経伝説の残る断崖絶壁です。
松本清張の小説『ゼロの焦点』の舞台になったヤセの断崖から
歩いて数分の所にあります。

長く窪んだ岩場になっており、ここに舟を隠した事になっています。
が、実際波が激しく、ここに隠したら舟が沈んでしまうのでは??
なんて思ってしまいました(^^;

義経の舟隠し 大.jpg
クリックすると拡大します。

平成23年GWの旅
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大河ドラマの舞台
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2011年05月27日

七尾城     (石川県七尾市)

石川県七尾市にある七尾城に行ってきました。

<七尾城>
七尾城趾.jpg
住所:石川県七尾市古城町
駐車場あり(無料)

七尾城は室町幕府三管領のひとつ、畠山氏から分かれた能登畠山氏
の居城である。
石動山山系の北端に位置し、標高約300メートルの尾根に長屋敷、
本丸・西の丸・二の丸・三の丸など曲輪を配置、この尾根から枝分かれ
する幾筋もの尾根にも大小無数の砦を配置している。
それ故に、七尾という地名は七つの尾根に由来すると言う。
築城年代は明かではないが、戦国期に入ってから逐次拡張・増強
されたとみられる。永正・天文の時代は最も政治的に安定し、文化が
栄えた。1526年、当代一流の歌人冷泉為広・為和親子が七尾城
に来訪し、1544年の記録では、城山山麓に城下町「千門万戸」
が一里あまりも連なったと見える。
1577年、越後の上杉謙信の攻略にあって落城、能登畠山氏は滅亡
した。本丸から三の丸にかけての一帯は、地形を巧みに利用した規模
雄大な縄張りと、石垣・土塁・空堀・それらを備えた曲輪の保存状態
が良いというので、昭和9年に国指定の史跡となった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
七尾城に行ってきました。
10年ぶりくらいの訪問で、すっかり記憶もふっとび、初めての
訪問みたいな感じでした。
標高300メートルの山城で、山頂付近まで車で登っていけます。
駐車場に車を停め、そこから本丸までは歩いて10分ほどです。

途中、石垣が残り、かつての壮大な城の面影を残しています。
七尾城趾2.jpg

七尾城趾3.jpg

七尾城趾4.jpg

本丸からは七尾湾を望み、景色は良好。上杉謙信も七尾を落とした時、
この景色を堪能した事でしょう。
七尾城より.jpg

城は広く、本丸から三の丸まで歩いて巡ろうとすると、40分くらい
時間がかかります。
また、百名城スタンプは麓の資料館にありますのでご注意ください。

平成23年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/199314988.html

日本の城を巡る
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大河ドラマの舞台
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2009年03月18日

主計町茶屋街   (石川県金沢市)

石川県金沢市の主計町茶屋街に行ってきました。

<主計町茶屋街>
主計町茶屋街
住所:石川県金沢市主計町
駐車場(近隣有料駐車場利用)

<現地解説>
藩政時代、金沢城下に入る浅野川大橋の畔のこの界隈は、人や物資
が行き交う大変繁華な場所であった。
明治も中程になると「ひがし」「にし」と並ぶ茶屋街として大いに
賑わったとされ、その頃の様子は、隣町の下新町に生まれ育った
泉鏡花の作品によく描かれるところとなった。
通りに面して一階を揃いの出格子とし、背の高い二階には吹き放し
縁側と座敷を備える姿は茶屋建築の特徴を良く残すとともに、その
多くは明治後期以降に三階建てとされた珍しい姿を見せている。
今も夕暮れ時には軒を連ねる茶屋の明かりが川面を照らし、
どこからともなく笛や三弦の音が聞こえる風情のある茶屋街である。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
主計町茶屋街は、「かずえまちちゃやがい」と読み、加賀藩士
富田主計の屋敷があった事から名付けられた名前だそうです。

川沿いに並ぶ町並みは、「ひがし茶屋街」とはひと味違った風情を
感じます。
夕暮れが良いと解説にも書いてありますが、確かにそんな感じがしま
す。今回は見ることが出来ませんでしたが、綺麗な夕暮れと主計町の
町並み、是非見てみたいです。

主計町茶屋街

主計町茶屋街

主計町茶屋街

平成19年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/40884949.html

日本の古い町並み
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2009年03月17日

総持寺祖院   (石川県輪島市)

石川県輪島市の総持寺祖院に行ってきました。

<総持寺祖院>
総持寺祖院
住所:石川県輪島市門前町門前1-18番甲地
駐車場あり(無料)
拝観:8:00〜17:00
拝観料:400円

総持寺祖院は、1321年瑩山禅師が創建した曹洞宗の大本山。
明治時代に火災に遭い、その後大本山の機能が横浜市の鶴見区に
移り、旧総持寺は総持寺祖院と呼ばれる様になった。
その後、建物は再建され、その大きな山門はこのお寺の存在感を
あらわしている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
石川県輪島市の総持寺祖院に行ってきました。
今回で2回目の訪問です。

総持寺は横浜の鶴見にもあるんですが、ここが移転先で、元々は
石川県の輪島市にありました。
明治期の火災で、横浜に移転。
移転はしていますが、元の場所にも巨大な山門やお堂など、とても
威厳のある建造物が数多く並んでいます。
建物の感じが、明治期の再建とは思えない様な感じで、歴史を
知って驚いた覚えがあります。

総持寺祖院

総持寺祖院

この時は、平成19年3月に起こった能登半島地震の影響で、総持寺
祖院の建物にも被害が及んでいました。
総持寺祖院 地震の影響

総持寺祖院 地震の影響

あれから2年、地震からの復旧はなったのか、気になるところです。

平成19年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/40884949.html

大本山總持寺祖院

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2009年03月16日

ヤセの断崖    (石川県志賀町)

石川県志賀町にあるヤセの断崖に行ってきました。

<ヤセの断崖>
ヤセの断崖
住所:石川県羽咋郡志賀町笹波地内
駐車場あり(無料)

高さが35メートルあるヤセの断崖から見る景色は迫力満点。
昔、その土地がやせていたとか、断崖から景色を見下ろすとやせる
思いがする、という事から名付けられたと言われています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
石川県志賀町のヤセの断崖に行ってきました。
ここに行くのは今回で2回目です。
昔、松本清張の小説『ゼロの焦点』を読んで、この断崖が舞台として
出てきたため、行ってみたいと思い訪問しました。
『ゼロの焦点』では、ヒロインがこの断崖から飛び降りるという話
でした。

確かにすごい断崖。荒々しい断崖で、とても迫力があります。
荒波が打ち寄せる風景はとても良いです。
断崖の反対側は、広々とした能登半島の風景。

ヤセの断崖
こちらの風景もまた良いですね。

こちらはヤセの断崖にある松本清張の歌碑です。
松本清張句碑
「雲たれて ひとりたけれる荒波を かなしと思へり能登の初旅」
この断崖から身を投げた女性の冥福を祈り詠んだ詩だそうです。

<クリックすると拡大します>
ヤセの断崖 大

平成19年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/40884949.html



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2009年03月14日

平時忠の墓   (石川県珠洲市)

石川県珠洲市にある平時忠の墓に行ってきました。

<平時忠の墓>
平時忠の墓
住所:珠洲市大谷町則貞
駐車場あり

平時忠の墓

この石塔群は、平時忠一族の墓と伝承され、もっとも背の高い
五輪の塔が時忠の墓とされる。
時忠は代々朝廷に仕えた公家で、智略家として知られた。
姉の時子は平清盛の妻、妹滋子は後白河天皇の女御となり憲仁親王
(のちの高倉天皇)を生んだことから権勢をふるい、正二位権大納言
にまで昇った。また源義経は娘婿でもあった。

1185年、壇ノ浦の合戦で捕縛され、能登の国配流となる。
『吾妻鏡』によれば、1189年に没し、源頼朝もその死を
惜しんだという。

この墓は室町時代後半に整備されたものとみられる。

平成19年GWの旅
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著名人の墓
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平時忠の墓

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2009年03月13日

白米の千枚田    (石川県輪島市)

石川県輪島市にある白米の千枚田を見てきました。

<白米の千枚田>
白米の千枚田
住所:石川県輪島市白米町
駐車場あり(無料)

水田は実際には1004枚ものミニ水田からなっている。
田の枚数が多いので千枚田と称するが、「狭い田」なので千枚田
だという説もある。
最も小さい水田は0.2平米、現在13戸の農家が幾多の苦労を重ね
ながら耕作を続けている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
石川県輪島市の白米の千枚田です。
千枚田は日本各地にあり、観光地として整備されているところも
多くあります。
傾斜地に小さな田んぼが連なる風景は、いかにも狭い土地を有効
活用した日本農業の偉大さを感じさせてくれます。

この白米の千枚田は観光地として、駐車場やお土産屋さんなども
ある千枚田観光の代表的な場所です。

白米の千枚田

田んぼのすぐ下が海で、とても美しい千枚田です。
道の駅になっているので、休憩がてら立ち寄ってみると良いでしょう。

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2009年03月12日

大谷川鯉のぼりフェスティバル  (石川県珠洲市)

石川県珠洲市で、大谷川鯉のぼりフェスティバルを見てきました。

<大谷川鯉のぼりフェスティバル>
大谷川鯉のぼりフェスティバル.jpg
住所:石川県珠洲市大谷町
駐車場あり(ありですが、混みます)

平成19年5月4日、石川県珠洲市の大谷川河口付近で開催中の
大谷川鯉のぼりフェスティバルを見てきました。
おそらく毎年開催なんだと思いますが、5月3・4日に開催との事
でした。

大谷川河口付近に約450本の鯉のぼりがはためいていました。
この日は風が強くて、まさに鯉のぼり日和。
非常に元気そうな鯉のぼりが非常に良かったです(^-^)

大谷川鯉のぼりフェスティバル1.jpg

大谷川鯉のぼりフェスティバル2.jpg

大谷川鯉のぼりフェスティバル3.jpg

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大谷川鯉のぼりフェスティバル

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2009年03月11日

椿の展望台   (石川県珠洲市)

石川県珠洲市の椿の展望台に行ってきました。

<椿の展望台>
椿の展望台
住所:石川県珠洲市折戸町木ノ浦
駐車場あり(無料)

石川県珠洲市の椿の展望台に行ってきました。
能登半島最北端、禄剛崎からほど近い所にある展望台です。

この展望台からは、能登半島の荒々しい海岸線と日本海を眺める
事が出来ます。

景色で言えば、禄剛崎よりこちらの方が良い景色です。
雄大な日本海、良いですね(^-^)
夕陽とかながめたら最高に良い場所かな〜と思います。

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椿の展望台

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禄剛崎    (石川県珠洲市)

石川県珠洲市の禄剛崎に行ってきました。

<禄剛崎>
禄剛崎灯台
住所:石川県珠洲市狼煙町
駐車場あり(有料)

この岬は能登半島の最北端で秋晴れの日には佐渡を望むことが出来
ます。
灯台下の集落を狼煙と言い、昔、北海警備の為に山伏山に狼煙台を
設け、狼煙をあげたことからこの地名がついたと言われています。

禄剛崎には灯台があります。この灯台は1883年点灯。
今も建設当時の明治の面影を残しながら、禄剛崎沖を運行する船舶
の道しるべとして重要な役目をはたしています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
能登半島最北端の禄剛崎に行ってきました。
狼煙の集落から丘の上に登ったところに禄剛崎灯台があります。
この灯台は、日本で唯一菊の紋章の入った灯台という事で、ちと
変わった灯台だそうです。

禄剛崎から眺める海は、綺麗で爽やかな感じです。
禄剛崎
この日は佐渡は見えませんでしたが、空気が澄んでいる日には佐渡
まで見ることが出来るという事です。

禄剛崎
ここからは釜山やウラジオストクまで800キロ未満。
そんな標識がたっていました。

禄剛崎

禄剛崎灯台前は、こんな感じで緑の広場。サッカーでもしたくなり
ますね(笑)

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岬・灯台巡り
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禄剛埼灯台

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2009年03月09日

ゴジラ岩   (石川県珠洲市)

石川県珠洲市でゴジラ岩を見てきました。

<ゴジラ岩>
ゴジラ岩
住所:石川県珠洲市馬緤町
駐車場あり

石川県珠洲市で奇岩「ゴジラ岩」を見ました。
道路を走っていると、上の様な看板。
奥能登の奇岩ですか、どんなのでしょう・・・。

ゴジラ岩
これがゴジラ岩。
ううむ、確かにゴジラが歩いている様にも見えますね。
言われればという感じですが(^^;

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さかさ杉   (石川県珠洲市)

石川県珠洲市にある「さかさ杉」を見てきました。

<さかさ杉>
さかさ杉
住所:石川県珠洲市上戸町寺社
駐車場あり(無料)

さかさ杉は樹齢約850年と推定され、幹周り6.74メートル、
高さ12メートル樹高に比べて枝の広がりがあり、それは30メー
トルにも及ぶ。
すべての枝が下方に垂れ、地面につくものもある。
こうした樹形はまことに珍しく見事であり、この名の由来がある
と思われる。(石川県指定天然記念物)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
車で走っていると、「さかさ杉」なるものをカーナビで発見して
立ち寄ってみました。
遠くからでもすぐに分かる大きな杉の木。
枝も不思議な感じに垂れていて、印象深い木です。

さかさ杉

自然の不思議というのか、木も変わったものが出来るものですね。
この木は一見の価値ありかと思います。

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倒さスギ

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恋路海岸    (石川県能登町)

石川県能登町の恋路海岸に行ってきました。

<恋路海岸>
恋路海岸
住所:石川県鳳珠郡能登町恋路
駐車場あり(無料)

約700年の昔、木郎の里の助三郎と、多田の里の鍋乃は、人目
をしのんでこの浜で逢瀬を重ねていた。暗い夜、鍋乃のともす灯は
助三郎の唯一の目標であり、愛する二人を結ぶ希望の灯でもあった。
鍋乃に想いをよせるもう一人の男源次は二人の仲をねたみ、灯を
崖のはずれに移してだまし、助三郎は深い海から帰らぬ人となり、
鍋乃も源次の求愛を退け、海に身をなげ助三郎の後を追った。
この悲しい恋の物語を秘めた浜は、いつの頃から「恋路」と呼ばれ
る様になったと伝えられる。

助三郎と鍋乃の像
恋路物語

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平成19年5月4日、石川県の恋路海岸に行ってみました。
前日和倉温泉に泊まっていて、そこから禄剛崎を目指す途中にある
海岸です。

恋路海岸

非常に穏やかな海岸で、朝早かったせいもあり、ひっそりとしていま
した。悲しい恋の物語のある海岸で、普段はカップルで賑わっている
という話です。
奇岩などあり、不思議な感じの海岸でした。

恋路海岸

恋路海岸

恋路海岸

平成19年GWの旅
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2007年07月29日

ひがし茶屋街  (石川県金沢市 古い町並み)

石川県金沢市のひがし茶屋街に行ってきました。

<ひがし茶屋街>
ひがし茶屋街
住所:石川県金沢市東山1丁目
駐車場あり(有料)

<ひがし茶屋街について>
藩政時代、金沢城下への入り口にあたる北国街道の浅野川、犀川両
大橋界隈には、お茶屋が建ち並んでいた。
文政三年(1820)になり正式に加賀藩の許しをえて、この
「ひがし」の茶屋街が犀川外の「にし」と共に開かれ、以来城下
随一のいんぎわいを見せた。
通りに面して一回を揃いの出格子、座敷を備える背の高い二階を
吹きっぱなしの縁側とする姿のお茶屋が並ぶ町並みは、藩政末期
以来の茶屋街の特徴をよく残している。
今も夕暮れ時には芸妓衆が行き交い、どこからともなく笛や三弦
の音が聞こえる風情あふれる茶屋町である。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
金沢の名観光スポット「ひがし茶屋街」に行ってきました。
「ひがし茶屋街」は古都金沢の風情をもっともよく残している場所
だと思います。
僕が「ひがし茶屋街」に行くのは今回が2回目。5年ぶりくらいで
しょうか久しぶりに散策してきました。

古い町並み好きの私にとって、ここ「ひがし茶屋街」は非常に心
やすらぐ街です。
京都の祇園新橋を思わせるような感じもします。
重要文化財にも指定された建物もあり、歴史的にも価値の高いところ
です。
ここは何度でも行きたい場所ですね。

平成19年GWの旅
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日本の古い町並み
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ひがし茶屋街
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2006年08月05日

安宅の関   (石川県小松市 源平関連 観光名所)

平成17年夏旅、最後の観光地安宅の関です。

<安宅の関>
安宅の関
住所:石川県小松市安宅町ヨ132
駐車場あり(無料)

守護富樫氏により設けたと言われる関所。
奥州へ逃れる途中の源義経主従がこの関を通過する折の話は、歌舞伎の
「勧進帳」でも有名です。
この安宅の関に行くのは今回で3回目。過去2回はそうとう前だったので
久しぶりに行ってみようかなと思って行ってみました。
安宅の関にある神社では、神社の方による安宅の関の解説、義経主従の
安宅の関でのお話などを聞くことが出来ます。

神社では、お守りをすすめられます。
突破するのが難しいこの「安宅の関」を突破出来た義経主従にちなんでの
お守りで、難関校突破などの御利益があるそうです。
私は特に試験なども控えておりませんので購入はしませんでした。

安宅の関には勧進帳を読み上げる弁慶像などあり、歴史を感じることが出来るスポットです。

平成17年夏旅
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安宅の関(源平関連)

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那谷寺   (石川県小松市 奥の細道 観光名所)

平成17年夏旅8月12日(最終日)は最初に小松市の那谷寺に行きました。

<那谷寺・なたでら>
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住所:石川県小松市那谷町ユ122
料金 拝観500円(庭園・書院拝観込みで700円)
拝観時間:8時30分〜16時45分

<由緒・寺の看板より>
那谷寺は泰澄神融禅師により717年に開創された神仏ともに祀る寺院で
十一面千手観音、白山比鷽澄⊆�然奇岩遊仙境を本尊とします。
那谷寺とは、花山法王の改名によるものです。
花山法皇は「私が求めている観音霊場三十三カ所はすべてこの山にある」と言われ、西国三十三カ所の第1番那智山青岸渡寺の「那」と、第33番
谷汲山華厳寺の「谷」をとって「那谷寺」と改め、自ら中興の祖となられました。
花山院はこの寺に晩年しばし住して観音浄土補陀落山の如き庭園として
境内を整備しました。中世兵乱により境内の堂宇はことごとく焼失、
ほとんどの建物は1640年、加賀藩主前田利常の寄進によるものであって、七棟の国指定重要文化財建造物と、名勝指定園があります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
松尾芭蕉が「石山の石より白し秋の風」という句を残した事で知られる
那谷寺。西国三十三ヶ所すべての御利益がこの寺にあるという名刹とい
う事で、今回初めて立ち寄ってみました。
朝8時半から拝観出来るという事で、朝一で参拝しました。
まだ朝はやいという事もあり、観光客もまばら。まばらではありますが、
8時台からそこそこ観光客が来ているところはすごいなと思いました。
境内は独特の雰囲気があります。
普通寺院っていうと、やれ仁王門だ、本堂がどうだっていうところに目
が行くところですが、この那谷寺は境内全体の雰囲気に目を奪われます。
奇岩を背景に、庭園風に造られた境内をぐるっとまわると、寺に参拝に
きたというより、庭園を見に来た様な気になります。
花山院や松尾芭蕉のゆかりの残るこの那谷寺は小松近辺では必見のスポッ
トかと思います。

平成17年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/19481587.html

那谷寺(奥の細道ゆかりの地)

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posted by 南行 at 19:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 石川県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする