令和5年8月12日、四国札所68番・神恵院、69番・観音寺に行ってきました。
<神恵院、観音寺>
住所:香川県観音寺市八幡町1丁目2−7
駐車場あり(無料)
境内自由
<神恵院>
<観音寺>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
神恵院と観音寺に行ってきました。
四国札所の68番と69番です。
一緒の記事にしたのは、この2つのお寺が同じ敷地内にあり、並んで建っているから
です。
観音寺市の有名な観光名所である銭形の展望台の裏あたりにこの寺があります。
入って左に神恵院、右に観音寺があります。
両方一気に参拝です。
ちょうど行ったとき、外国人のお遍路さんも参拝中でした。
外人さんもいるんですね、ちとびっくり。
この人たち歩いてまわってるのかなと思って見ていたところ、バスに乗り込んでおり
ました。外人向けバスツアーなんてあるのかな。
<神恵院>
<観音寺>
市の名前は「かんおんじし」ですが、お寺は「かんのんじ」です。
令和5年夏休み旅
http://rover.seesaa.net/article/500373303.html
四国札所巡りの旅
http://rover.seesaa.net/article/23563880.html
2023年11月19日
浦島太郎の墓を参拝 (香川県三豊市)
令和5年8月12日、香川県三豊市で浦島太郎の墓を参拝しました。
<浦島太郎の墓>
住所:香川県三豊市詫間町箱859−29
駐車場あり(無料)
<浦島太郎の墓について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
浦島太郎の墓を参拝しました。
浦島太郎伝説って日本各地にあり、以前京都の伊根に行ったとき浦島神社を参拝しま
したし、長野の寝覚ノ床も浦島太郎伝説地です。
ここ三豊市も浦島太郎伝説地で、この地で浦島太郎が箱を開けたという事。
この地の地名も「箱」なんですよね。
なるほど・・。
<浦島太郎親子の墓>
ご本人だけでなく、親子の墓との事です。
参拝させて頂きました。
その他、この地には浦島太郎にからむ亀の像とか、実際に亀が飼われていたり、ちょ
っとした観光地になっていました。
<常世亀>
<箱浦ビジターセンター館長の亀・トワ>
令和5年夏休み旅
http://rover.seesaa.net/article/500373303.html
著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html
<浦島太郎の墓>
住所:香川県三豊市詫間町箱859−29
駐車場あり(無料)
<浦島太郎の墓について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
浦島太郎の墓を参拝しました。
浦島太郎伝説って日本各地にあり、以前京都の伊根に行ったとき浦島神社を参拝しま
したし、長野の寝覚ノ床も浦島太郎伝説地です。
ここ三豊市も浦島太郎伝説地で、この地で浦島太郎が箱を開けたという事。
この地の地名も「箱」なんですよね。
なるほど・・。
<浦島太郎親子の墓>
ご本人だけでなく、親子の墓との事です。
参拝させて頂きました。
その他、この地には浦島太郎にからむ亀の像とか、実際に亀が飼われていたり、ちょ
っとした観光地になっていました。
<常世亀>
<箱浦ビジターセンター館長の亀・トワ>
令和5年夏休み旅
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著名人の墓
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2022年05月22日
直島の町並み (香川県直島町)
香川県直島町の町並みを散策しました。
<直島の町並み>
住所:香川県香川郡直島町
アートの島直島を散策しました。
前の記事で「家プロジェクト」の記事を書きましたが、直島はアートの島を
うたっております。
草間彌生さんのアート作品とか、不思議な銭湯など見所満載です。
また、直島は瀬戸内の離島。開発の手が伸びていないというのか、昔ながらの
町並みも良い感じに残っていました。
<直島の町並み散策>
直島銭湯「I♥湯」です(^-^)
直島を巡りにはレンタサイクルを利用しました。
車だと停める場所に難儀します。
アップダウンもあるので、電動自転車かスクーターのレンタルが一番良いかと
思います。
令和3年〜4年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/485076712.html
日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html
<直島の町並み>
住所:香川県香川郡直島町
アートの島直島を散策しました。
前の記事で「家プロジェクト」の記事を書きましたが、直島はアートの島を
うたっております。
草間彌生さんのアート作品とか、不思議な銭湯など見所満載です。
また、直島は瀬戸内の離島。開発の手が伸びていないというのか、昔ながらの
町並みも良い感じに残っていました。
<直島の町並み散策>
直島銭湯「I♥湯」です(^-^)
直島を巡りにはレンタサイクルを利用しました。
車だと停める場所に難儀します。
アップダウンもあるので、電動自転車かスクーターのレンタルが一番良いかと
思います。
令和3年〜4年 年末年始の旅
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日本の古い町並み
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2022年05月15日
直島・家プロジェクト (香川県直島町)
アートな島・直島で家プロジェクト巡りをしました。
<家プロジェクト>
住所:香川県香川郡直島町850-2
駐車場無し
見学料金:1ヶ所420円、6ヶ所セット1050円
チケットは上記住所の本村ラウンジ&アーカイブで購入します。
<家プロジェクトとは>
1997年、直島でも古くから存在する集落のひとつである本村地区に現存していた
古民家を改修・改造し、現代美術作品に変えてしまおうという試みで、ベネッセ
の福武總一郎の考案した直島プロジェクトの一環として企画、立案、実行された。
本村地区にはおよそ300年ほど前から栄えていた古い町並みが残り、焼杉板張り
の黒ずんだ古民家の立ち並ぶたたずまいが独自の風情をかもし出していた。
そこに現代美術のネットワークを展開させたものである。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
家プロジェクト巡りをしてきました。
直島観光の見所とも言って良いものです。
在していた空き家などを改修し、人が住んでいた頃の時間と記憶を織り込みながら、
空間そのものをアーティストが作品化しています。
1ヶ所420円ですが、1ヶ所単発で見てもって感じがします。
ここは纏めて6ヶ所見た方が良いと思います。
おお〜ってびっくりするものから、意味不明なものまでいろいろです(^^;
直島の本村地区に点在していて、全部見るには1時間半位見ておけば余裕かと思い
ます。
<家プロジェクト>
何故か家の中にいる自由の女神。
この自由の女神、1階から2階につきぬけて立っています(笑)
令和3年〜4年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/485076712.html
<家プロジェクト>
住所:香川県香川郡直島町850-2
駐車場無し
見学料金:1ヶ所420円、6ヶ所セット1050円
チケットは上記住所の本村ラウンジ&アーカイブで購入します。
<家プロジェクトとは>
1997年、直島でも古くから存在する集落のひとつである本村地区に現存していた
古民家を改修・改造し、現代美術作品に変えてしまおうという試みで、ベネッセ
の福武總一郎の考案した直島プロジェクトの一環として企画、立案、実行された。
本村地区にはおよそ300年ほど前から栄えていた古い町並みが残り、焼杉板張り
の黒ずんだ古民家の立ち並ぶたたずまいが独自の風情をかもし出していた。
そこに現代美術のネットワークを展開させたものである。
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家プロジェクト巡りをしてきました。
直島観光の見所とも言って良いものです。
在していた空き家などを改修し、人が住んでいた頃の時間と記憶を織り込みながら、
空間そのものをアーティストが作品化しています。
1ヶ所420円ですが、1ヶ所単発で見てもって感じがします。
ここは纏めて6ヶ所見た方が良いと思います。
おお〜ってびっくりするものから、意味不明なものまでいろいろです(^^;
直島の本村地区に点在していて、全部見るには1時間半位見ておけば余裕かと思い
ます。
<家プロジェクト>
何故か家の中にいる自由の女神。
この自由の女神、1階から2階につきぬけて立っています(笑)
令和3年〜4年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/485076712.html
2020年02月09日
呑象楼
呑象楼に行ってきました。
<呑象楼>
住所:香川県仲多度郡琴平町榎井85−1
駐車場なし
入場料:200円
呑象楼に行ってきました。
呑象楼は幕末の志士、日柳 燕石(くさなぎえんせき)の屋敷です。
二階で酒を呑むと、盃に金毘羅宮がある象頭山がポッカリと浮かぶところから、
“象頭山を呑む”意気を示す呑象楼と名付けられました。
日柳 燕石は交友も広く、吉田松陰や桂小五郎、高杉晋作らと交流があり、
幕吏から追われた高杉晋作を呑象楼に匿った事もあるそうです。
この日は年末という事もあり、建物内の見学が出来ませんでした。
外からだけ見てきた感じです。
令和元年〜2年・年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/472938573.html
<呑象楼>
住所:香川県仲多度郡琴平町榎井85−1
駐車場なし
入場料:200円
呑象楼に行ってきました。
呑象楼は幕末の志士、日柳 燕石(くさなぎえんせき)の屋敷です。
二階で酒を呑むと、盃に金毘羅宮がある象頭山がポッカリと浮かぶところから、
“象頭山を呑む”意気を示す呑象楼と名付けられました。
日柳 燕石は交友も広く、吉田松陰や桂小五郎、高杉晋作らと交流があり、
幕吏から追われた高杉晋作を呑象楼に匿った事もあるそうです。
この日は年末という事もあり、建物内の見学が出来ませんでした。
外からだけ見てきた感じです。
令和元年〜2年・年末年始の旅
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2020年02月02日
十河城址 (香川県高松市)
高松市にある十河城跡に行ってきました。
<十河城址>
住所:香川県高松市十川東町932
駐車場あり(称念寺の駐車場が寺の裏にあります)
<十河城について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
十河城址に行ってきました。
十河城は南北朝時代の築城と考えられる城で、代々十河氏の居城となりました。
十河氏は三好長慶の弟である一存を養子に迎え、勢力を拡大しますが、一存の死後
長宗我部元親の侵攻を受け衰退して行きます。
十河城も数度の戦いの後落城、城主十河存保は城を抜け出し秀吉を頼り落ちのび
ました。
十河存保はその後秀吉により再度讃岐3万石を与えられますが、戸次川の戦いで
討ち死に。十河氏も再度領地を没収され十河城も廃城になった様です。
今、十河城のあった場所には称念寺というお寺があり、十河城跡の碑と解説板が
ありますが、城跡を思わせる遺構は一切残っていませんでした。
令和元年〜2年・年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/472938573.html
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
<十河城址>
住所:香川県高松市十川東町932
駐車場あり(称念寺の駐車場が寺の裏にあります)
<十河城について>
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十河城址に行ってきました。
十河城は南北朝時代の築城と考えられる城で、代々十河氏の居城となりました。
十河氏は三好長慶の弟である一存を養子に迎え、勢力を拡大しますが、一存の死後
長宗我部元親の侵攻を受け衰退して行きます。
十河城も数度の戦いの後落城、城主十河存保は城を抜け出し秀吉を頼り落ちのび
ました。
十河存保はその後秀吉により再度讃岐3万石を与えられますが、戸次川の戦いで
討ち死に。十河氏も再度領地を没収され十河城も廃城になった様です。
今、十河城のあった場所には称念寺というお寺があり、十河城跡の碑と解説板が
ありますが、城跡を思わせる遺構は一切残っていませんでした。
令和元年〜2年・年末年始の旅
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日本の城を巡る
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2015年03月22日
福田海岸 (香川県小豆島町)
香川県小豆島町にある福田海岸に行ってきました。
<福田海岸>
住所:香川県小豆島町福田
駐車場あり
福田海岸は1968年に四国新聞社の主催による、さぬきの景勝地等百選
に選ばれた景勝地です。
東側に播磨灘を望み、雄大な景色です。
ここからだと日の出とかも綺麗に見えそうです。
<大きい画像・クリックすると拡大します>
平成26年・27年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/411697633.html
<福田海岸>
住所:香川県小豆島町福田
駐車場あり
福田海岸は1968年に四国新聞社の主催による、さぬきの景勝地等百選
に選ばれた景勝地です。
東側に播磨灘を望み、雄大な景色です。
ここからだと日の出とかも綺麗に見えそうです。
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平成26年・27年 年末年始の旅
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2015年03月18日
小豆島オリーブ公園 (香川県小豆島町)
香川県小豆島町にある小豆島オリーブ公園に行ってきました。
<小豆島オリーブ公園>
住所:香川県小豆郡小豆島町西村甲1941-1
駐車場あり(無料)
小豆島オリーブ公園は、オリーブの木々に囲まれた公園で、ギリシャ風
の建物や様々な体験施設をはじめ、オリーブの歴史と魅力に触れられる
スポットがたくさんあります。
平成26年12月31日の早朝に訪問しました。
早朝の為か年末のためか、各施設は閉まっていて見学する事は出来ません
でした。まあ姫路行きの船の時間もあるので、どちらにしろゆっくりする
事は出来ませんでしたが、瀬戸内の海を眺めるこの公園のおだやかな雰囲気
はとても良かったです。
平成26年・27年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/411697633.html
<小豆島オリーブ公園>
住所:香川県小豆郡小豆島町西村甲1941-1
駐車場あり(無料)
小豆島オリーブ公園は、オリーブの木々に囲まれた公園で、ギリシャ風
の建物や様々な体験施設をはじめ、オリーブの歴史と魅力に触れられる
スポットがたくさんあります。
平成26年12月31日の早朝に訪問しました。
早朝の為か年末のためか、各施設は閉まっていて見学する事は出来ません
でした。まあ姫路行きの船の時間もあるので、どちらにしろゆっくりする
事は出来ませんでしたが、瀬戸内の海を眺めるこの公園のおだやかな雰囲気
はとても良かったです。
平成26年・27年 年末年始の旅
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明王寺釈迦堂 (香川県小豆島町)
香川県小豆島町にある明王寺釈迦堂を見に行ってきました。
<明王寺>
住所:香川県小豆郡小豆島町池田4305
駐車場あり(無料)
境内自由
明王寺は小豆島霊場発祥の地。
釈迦堂は室町時代の建物としてまた、内陣の厨子彫刻彩画等、芸術的価値はひろく
世に知られ明治40年には国宝に指定され、香川県随一の重要文化財として又霊場
として人々の信仰もっとも厚い場所です。
釈迦堂はもともと高宝寺の釈迦堂で、正面三間、奥行き四間の寄せ棟造り本瓦葺き。
1522年4月に着工し、1533年4月に完成。
瓦には1528年寄進の銘があります。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小豆島の明王寺釈迦堂を見てきました。
小豆島唯一の重要文化財指定の建造物です。
室町時代後期の建物。
明治時代に指定された旧国宝で、今は国指定の重要文化財です。
平成26年・27年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/411697633.html
<明王寺>
住所:香川県小豆郡小豆島町池田4305
駐車場あり(無料)
境内自由
明王寺は小豆島霊場発祥の地。
釈迦堂は室町時代の建物としてまた、内陣の厨子彫刻彩画等、芸術的価値はひろく
世に知られ明治40年には国宝に指定され、香川県随一の重要文化財として又霊場
として人々の信仰もっとも厚い場所です。
釈迦堂はもともと高宝寺の釈迦堂で、正面三間、奥行き四間の寄せ棟造り本瓦葺き。
1522年4月に着工し、1533年4月に完成。
瓦には1528年寄進の銘があります。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小豆島の明王寺釈迦堂を見てきました。
小豆島唯一の重要文化財指定の建造物です。
室町時代後期の建物。
明治時代に指定された旧国宝で、今は国指定の重要文化財です。
平成26年・27年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/411697633.html
[ここに地図が表示されます]
平和の群像 (香川県土庄町)
香川県土庄町にある平和の群像を見てきました。
<平和の群像>
住所:香川県小豆郡土庄町吉々浦土庄港
駐車場あり
<平和の群像について>
小説「二十四の日瞳」は小豆島出身の作家壺井栄の作品で、昭和初期の
小豆島田ノ浦岬の文教場を舞台にした若い女性教師大石先生とその教え
子12人の物語である。
「平和の群像」は昭和29年の木下恵介監督・高峰秀子主演による映画化
を記念し、昭和31年11月10日に除幕された。
この群像には平和と幸せを求める永遠の願いが込められている。
群像は香川県丸亀市出身の矢野秀徳氏の作品。題字の「平和の群像」
は当時の内閣総理大臣鳩山一郎氏、碑文は当時の文部大臣大達茂雄氏
によるものである。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小豆島、土庄港のバスターミナルのところにある平和の群像を見てきました。
小豆島というと「二十四の瞳」というイメージもある位、壺井栄のこの作品は
有名です。
昭和29年の映画の記念として、この平和の群像は造られた様です。
小豆島の入り口土庄の港で、この群像が観光客を迎えてくれるという感じですね。
平成26年・27年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/411697633.html
<平和の群像>
住所:香川県小豆郡土庄町吉々浦土庄港
駐車場あり
<平和の群像について>
小説「二十四の日瞳」は小豆島出身の作家壺井栄の作品で、昭和初期の
小豆島田ノ浦岬の文教場を舞台にした若い女性教師大石先生とその教え
子12人の物語である。
「平和の群像」は昭和29年の木下恵介監督・高峰秀子主演による映画化
を記念し、昭和31年11月10日に除幕された。
この群像には平和と幸せを求める永遠の願いが込められている。
群像は香川県丸亀市出身の矢野秀徳氏の作品。題字の「平和の群像」
は当時の内閣総理大臣鳩山一郎氏、碑文は当時の文部大臣大達茂雄氏
によるものである。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小豆島、土庄港のバスターミナルのところにある平和の群像を見てきました。
小豆島というと「二十四の瞳」というイメージもある位、壺井栄のこの作品は
有名です。
昭和29年の映画の記念として、この平和の群像は造られた様です。
小豆島の入り口土庄の港で、この群像が観光客を迎えてくれるという感じですね。
平成26年・27年 年末年始の旅
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2015年03月15日
土渕海峡 (香川県土庄町)
香川県土庄町にある土渕海峡に行ってきました。
<土渕海峡>
住所:香川県小豆郡土庄町甲559-2
駐車場なし
<現地解説>
小豆島の西部に位置する土庄町の前島と、小豆島本島に挟まれた「土渕海峡」が
世界一狭い海峡として1997年板ギネスブックに掲載されました。
「土渕海峡」は延長2500m、最大幅400m、最小幅9.93mで漁船や
レジャーボートなどの小型船が航行する海峡です。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小豆島の土渕海峡に行ってきました。
小豆島っててっきりひとつの島だと思っていたんですが、2つの島だったんですね。
西側にある前島と小豆島本島との間にあるのが土渕海峡です。
最小のところで10mを切る狭さの海峡は、ギネスブックにも登録される世界最小幅
の海峡との事です。
現地はどう見ても川にしか見えませんでした。
これで海峡なんですね。びっくりです。
平成26年・27年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/411697633.html
<土渕海峡>
住所:香川県小豆郡土庄町甲559-2
駐車場なし
<現地解説>
小豆島の西部に位置する土庄町の前島と、小豆島本島に挟まれた「土渕海峡」が
世界一狭い海峡として1997年板ギネスブックに掲載されました。
「土渕海峡」は延長2500m、最大幅400m、最小幅9.93mで漁船や
レジャーボートなどの小型船が航行する海峡です。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小豆島の土渕海峡に行ってきました。
小豆島っててっきりひとつの島だと思っていたんですが、2つの島だったんですね。
西側にある前島と小豆島本島との間にあるのが土渕海峡です。
最小のところで10mを切る狭さの海峡は、ギネスブックにも登録される世界最小幅
の海峡との事です。
現地はどう見ても川にしか見えませんでした。
これで海峡なんですね。びっくりです。
平成26年・27年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/411697633.html
[ここに地図が表示されます]
中山の舞台 (香川県小豆島町)
香川県小豆島町にある中山の舞台に行ってきました。
<中山の舞台>
住所:香川県小豆島町大字中山字杉尾1487
駐車場あり
<現地解説>
舞台は天保年間(1830年頃)に琴平の金丸座の舞台を参考にして
再構築されたと伝えられている。
建築様式は茅葺き寄せ棟造りで、屋根の下部の四方に瓦を葺いた
「四方蓋造り」になっている。
間口は12.24m、奥行き10.15m、花道は上演の際に仮設
される廻り舞台、ブドウ棚、二重台、太夫座、セリ、スッポン等の
舞台構造を有し、江戸時代の典型的な歌舞伎舞台である。
この舞台で毎年10月10日に上演される「小豆島農村歌舞伎」は
昭和50年に香川県の無形民俗文化財に指定されている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
中山の舞台に行ってきました。
ここに来る前に肥土山の舞台にも行ってきており、小豆島にはこういう
歌舞伎舞台が残ってるんだなという事に驚きました。
農村歌舞伎は江戸時代に盛んにおこなわれたもので、埼玉でも小鹿野の歌舞伎などは
そこそこ知られています。
しかし大衆芸能であった歌舞伎が特別なものにかわり、歌舞伎舞台も無くなってい
ったのでしょう。歌舞伎舞台が残ってるっていうのはあまり知りません。
小豆島という小さな島に何ヶ所も舞台が残っているのは貴重だなと思いました。
平成26年・27年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/411697633.html
<中山の舞台>
住所:香川県小豆島町大字中山字杉尾1487
駐車場あり
<現地解説>
舞台は天保年間(1830年頃)に琴平の金丸座の舞台を参考にして
再構築されたと伝えられている。
建築様式は茅葺き寄せ棟造りで、屋根の下部の四方に瓦を葺いた
「四方蓋造り」になっている。
間口は12.24m、奥行き10.15m、花道は上演の際に仮設
される廻り舞台、ブドウ棚、二重台、太夫座、セリ、スッポン等の
舞台構造を有し、江戸時代の典型的な歌舞伎舞台である。
この舞台で毎年10月10日に上演される「小豆島農村歌舞伎」は
昭和50年に香川県の無形民俗文化財に指定されている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
中山の舞台に行ってきました。
ここに来る前に肥土山の舞台にも行ってきており、小豆島にはこういう
歌舞伎舞台が残ってるんだなという事に驚きました。
農村歌舞伎は江戸時代に盛んにおこなわれたもので、埼玉でも小鹿野の歌舞伎などは
そこそこ知られています。
しかし大衆芸能であった歌舞伎が特別なものにかわり、歌舞伎舞台も無くなってい
ったのでしょう。歌舞伎舞台が残ってるっていうのはあまり知りません。
小豆島という小さな島に何ヶ所も舞台が残っているのは貴重だなと思いました。
平成26年・27年 年末年始の旅
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肥土山の舞台 (香川県土庄町)
香川県土庄町にある肥土山の舞台を見てきました。
<肥土山の舞台>
住所:香川県土庄町肥土山字東甲2303
駐車場あり(無料)
肥土山の舞台は明治33年改築の舞台で、皿回し式回り舞台、ぶどう棚、太夫座、
せり、花道、二重台など舞台機構を具備しています。
客席は傾斜地になっていて、石積みが組まれています。
この舞台は歌舞伎舞台です。肥土山の歌舞伎は1686年、庄屋の太田伊左衛門典徳
が築造した蛙子池の水がこの離宮八幡神社境内に流れてきたことを喜んだ里人
がここに仮小屋を建てて芝居をしたのが始まりだそうです。
歌舞伎衣装蔵
平成26年・27年 年末年始の旅
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<肥土山の舞台>
住所:香川県土庄町肥土山字東甲2303
駐車場あり(無料)
肥土山の舞台は明治33年改築の舞台で、皿回し式回り舞台、ぶどう棚、太夫座、
せり、花道、二重台など舞台機構を具備しています。
客席は傾斜地になっていて、石積みが組まれています。
この舞台は歌舞伎舞台です。肥土山の歌舞伎は1686年、庄屋の太田伊左衛門典徳
が築造した蛙子池の水がこの離宮八幡神社境内に流れてきたことを喜んだ里人
がここに仮小屋を建てて芝居をしたのが始まりだそうです。
歌舞伎衣装蔵
平成26年・27年 年末年始の旅
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2015年03月08日
大坂城石切丁場・天狗岩丁場 (香川県小豆島町)
香川県小豆島町にある天狗岩丁場に行ってきました。
<天狗岩丁場>
住所:香川県小豆郡小豆島町岩谷93
駐車場あり(無料)
<現地解説>
大坂夏の陣に於いて灰燼に帰した大坂城を再築するため、徳川秀忠は1619年
に大坂城をはるかに凌駕する新しい大坂城の築城を63藩、64家の大名に
命じました。
築城工事は1620年から3期に分けて行われ、1629年まで10年の歳月を
要しました。
新しく築かれた徳川大坂城の石垣は総延長12キロ、高さ32メートル、使われ
た石材の総数は100万個を超えると言われ、世界屈指の巨大石造構造物とな
っています。
巨大で良質な石材を確保するため、諸大名は、小豆島をはじめとする瀬戸内の
島々等に石切丁場を開き、争うようにして大坂の地へ石材を運搬し、石垣を
築き上げたと言われています。
この天狗岩丁場は福岡藩初代藩主である黒田長政とその嫡男である忠之が採石
した場所であり、岩谷地区に残されている八人石丁場、豆腐石、亀崎、
南谷、天狗岩磯の角丁場と合わせて石切り丁場としては唯一国指定史跡と
なっています。
丁場跡には高さ17m、推定重量1700tを誇る大天狗岩をはじめ、巨大
な大坂城石垣を連想させる角取石などが累々と重なり、当時の石切り技術
を生々しく伝える矢穴痕跡や黒田家採石の証となる刻印が随所に見られる。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大坂城石切丁場の天狗岩丁場に行ってきました。
前日に八人石丁場に行ったところで、翌日今度は天狗岩丁場に行ってきました。
こちらも福岡藩の石切場で、大坂城の石が切り出されました。
福岡藩は当時藩主は黒田長政。今回の旅は黒田官兵衛関連の史跡めぐりだった
だけに偶然ではありますが、小豆島でも黒田の史跡を巡る事が出来ました。
天狗岩丁場には天狗岩と呼ばれる巨石が残っています。
当時の石切りの技術、そしてここから大坂まで運んだ技術など機械の無い時代
の人の力に驚かされます。
<天狗岩丁場>
平成26年・27年 年末年始の旅
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<天狗岩丁場>
住所:香川県小豆郡小豆島町岩谷93
駐車場あり(無料)
<現地解説>
大坂夏の陣に於いて灰燼に帰した大坂城を再築するため、徳川秀忠は1619年
に大坂城をはるかに凌駕する新しい大坂城の築城を63藩、64家の大名に
命じました。
築城工事は1620年から3期に分けて行われ、1629年まで10年の歳月を
要しました。
新しく築かれた徳川大坂城の石垣は総延長12キロ、高さ32メートル、使われ
た石材の総数は100万個を超えると言われ、世界屈指の巨大石造構造物とな
っています。
巨大で良質な石材を確保するため、諸大名は、小豆島をはじめとする瀬戸内の
島々等に石切丁場を開き、争うようにして大坂の地へ石材を運搬し、石垣を
築き上げたと言われています。
この天狗岩丁場は福岡藩初代藩主である黒田長政とその嫡男である忠之が採石
した場所であり、岩谷地区に残されている八人石丁場、豆腐石、亀崎、
南谷、天狗岩磯の角丁場と合わせて石切り丁場としては唯一国指定史跡と
なっています。
丁場跡には高さ17m、推定重量1700tを誇る大天狗岩をはじめ、巨大
な大坂城石垣を連想させる角取石などが累々と重なり、当時の石切り技術
を生々しく伝える矢穴痕跡や黒田家採石の証となる刻印が随所に見られる。
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大坂城石切丁場の天狗岩丁場に行ってきました。
前日に八人石丁場に行ったところで、翌日今度は天狗岩丁場に行ってきました。
こちらも福岡藩の石切場で、大坂城の石が切り出されました。
福岡藩は当時藩主は黒田長政。今回の旅は黒田官兵衛関連の史跡めぐりだった
だけに偶然ではありますが、小豆島でも黒田の史跡を巡る事が出来ました。
天狗岩丁場には天狗岩と呼ばれる巨石が残っています。
当時の石切りの技術、そしてここから大坂まで運んだ技術など機械の無い時代
の人の力に驚かされます。
<天狗岩丁場>
平成26年・27年 年末年始の旅
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2015年03月07日
池田の桟敷 (香川県小豆島町)
香川県小豆島町にある池田の桟敷を見に行ってきました。
<池田の桟敷>
住所:香川県小豆郡小豆島町池田字浜条
駐車場あり(無料)
<現地解説>
自然の地形を巧みに利用した切石積の傑作である。
桟敷の規模は幅64m、6〜8段の階段から出来ており、高さは約15mも
ある。古代ギリシャの野外劇場を思わせる桟敷であり、秋祭の太鼓台や神輿の
大練りを見物するために築かれたものと思われる。
構築年代については立証すべき資料が見当たらないが、亀山八幡宮古図面から
安政二年(1855年)以前の築構と推定される。
この桟敷の特長は規模の大きさもさることながら、桟敷のひとつひとつを村の
有力者その他が占有していたが、後になってそれを売買出来る仕組みになった
ことである。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小豆島にある池田の桟敷を見てきました。
ここは正直驚きました。
祭などを見るための見物席なんですね。ぱっと見城壁の様に見えます。
段々になっていて、横から見ると観客席なんだなって分かります。
観客席から見るとこんな感じです。
ここの桟敷からは数百人が祭などを見る事が出来ます。
能とかもやったのかな、昔からこういう観客席があって、イベントを
楽しんだのかと思うと興味深い物がありますね。
平成26年・27年 年末年始の旅
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<池田の桟敷>
住所:香川県小豆郡小豆島町池田字浜条
駐車場あり(無料)
<現地解説>
自然の地形を巧みに利用した切石積の傑作である。
桟敷の規模は幅64m、6〜8段の階段から出来ており、高さは約15mも
ある。古代ギリシャの野外劇場を思わせる桟敷であり、秋祭の太鼓台や神輿の
大練りを見物するために築かれたものと思われる。
構築年代については立証すべき資料が見当たらないが、亀山八幡宮古図面から
安政二年(1855年)以前の築構と推定される。
この桟敷の特長は規模の大きさもさることながら、桟敷のひとつひとつを村の
有力者その他が占有していたが、後になってそれを売買出来る仕組みになった
ことである。
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小豆島にある池田の桟敷を見てきました。
ここは正直驚きました。
祭などを見るための見物席なんですね。ぱっと見城壁の様に見えます。
段々になっていて、横から見ると観客席なんだなって分かります。
観客席から見るとこんな感じです。
ここの桟敷からは数百人が祭などを見る事が出来ます。
能とかもやったのかな、昔からこういう観客席があって、イベントを
楽しんだのかと思うと興味深い物がありますね。
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寒霞渓 (香川県小豆島町)
香川県小豆島町にある寒霞渓に行ってきました。
<寒霞渓>
住所:香川県小豆郡小豆島町神懸通
駐車場あり(無料)
<現地解説>
寒霞渓(かんかけい)は「日本三大渓谷美」のひとつと称され、東西8km、
南北4kmにわたり奇岩怪石がひろがり、春の新緑、夏の深い緑、秋の紅葉
水墨画を思わす冬と四季それぞれの色合いとのコントラストは他に類を見ない
すばらしさです。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小豆島に行ったら是非行きたいと思っていた寒霞渓に行ってきました。
そんなに大きな島ではありませんが、小豆島は起伏が激しい島です。
海沿いから山道をぐいぐいあがり、寒霞渓の頂上付近を目指します。
山頂の展望台の標高は約800mという事で、ここから眺める奇岩奇石や瀬戸内海
の美しさは絶賛に値します。
寒霞渓は日本書紀にも記載のある名勝で、古代から人々の心をとらえていたのでしょ
う。寒霞渓の名は明治初期の儒学者、藤沢南岳が寒霞渓と命名したものだそうです。
群馬の妙義山も奇岩の連なる山で似たような感じがしますが、遠くに海を眺める
寒霞渓は美しさという意味で、違った物があります。
その美しさにしばしの時間を過ごしました。もう少し空気が澄んでいれば尚良かった
なと。また是非訪問したい場所です。
<寒霞渓>
続きを読む
<寒霞渓>
住所:香川県小豆郡小豆島町神懸通
駐車場あり(無料)
<現地解説>
寒霞渓(かんかけい)は「日本三大渓谷美」のひとつと称され、東西8km、
南北4kmにわたり奇岩怪石がひろがり、春の新緑、夏の深い緑、秋の紅葉
水墨画を思わす冬と四季それぞれの色合いとのコントラストは他に類を見ない
すばらしさです。
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小豆島に行ったら是非行きたいと思っていた寒霞渓に行ってきました。
そんなに大きな島ではありませんが、小豆島は起伏が激しい島です。
海沿いから山道をぐいぐいあがり、寒霞渓の頂上付近を目指します。
山頂の展望台の標高は約800mという事で、ここから眺める奇岩奇石や瀬戸内海
の美しさは絶賛に値します。
寒霞渓は日本書紀にも記載のある名勝で、古代から人々の心をとらえていたのでしょ
う。寒霞渓の名は明治初期の儒学者、藤沢南岳が寒霞渓と命名したものだそうです。
群馬の妙義山も奇岩の連なる山で似たような感じがしますが、遠くに海を眺める
寒霞渓は美しさという意味で、違った物があります。
その美しさにしばしの時間を過ごしました。もう少し空気が澄んでいれば尚良かった
なと。また是非訪問したい場所です。
<寒霞渓>
続きを読む
小豆島大観音 (香川県土庄町)
香川県土庄町にある小豆島大観音に行ってきました。
<小豆島大観音>
住所:香川県小豆郡土庄町小馬越乙1
駐車場あり(無料)
拝観料:500円
スリランカより釈迦の歯を寄贈されたのをきっかけに造られたもので、
1995年に竣工した高さ約60mの釈迦像です。
中はらせん階段になっており、そこには小さな釈迦像が並んでいます。
エレベーターもあるので、それで上に登ると釈迦の歯を収めた間に到り
祭壇で祈る様な形になります。
窓は小さいですが外を眺める事も出来、遠くを展望することが出来ます。
別名「しあわせ観音」と言うそうです。
平成26年・27年 年末年始の旅
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<小豆島大観音>
住所:香川県小豆郡土庄町小馬越乙1
駐車場あり(無料)
拝観料:500円
スリランカより釈迦の歯を寄贈されたのをきっかけに造られたもので、
1995年に竣工した高さ約60mの釈迦像です。
中はらせん階段になっており、そこには小さな釈迦像が並んでいます。
エレベーターもあるので、それで上に登ると釈迦の歯を収めた間に到り
祭壇で祈る様な形になります。
窓は小さいですが外を眺める事も出来、遠くを展望することが出来ます。
別名「しあわせ観音」と言うそうです。
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2015年03月04日
二十四の瞳映画村 (香川県小豆島町)
香川県小豆島町にある二十四の瞳映画村に行ってきました。
<二十四の瞳映画村>
住所:香川県小豆郡小豆島町田浦甲931
駐車場あり(無料)
入場:9時〜17時 700円
二十四の瞳映画村は1987年公開の映画「二十四の瞳」の小豆島ロケのオープンセット
を活用した施設群です。
『二十四の瞳』は壺井栄の小説で1954年と1987年に映画化され、テレビドラマやアニメに
もなっている壺井栄の代表作です。
もともと二十四の瞳は、瀬戸内という設定だけで場所は特定していないお話だそうで、
映画などで壺井栄の出身地が小豆島だったため、この話も小豆島と結びつけて映画化され
たという事です。
映画村は二十四の瞳の世界を感じる事が出来る施設で、昔ながらの町並みが再現されて
います。
<二十四の瞳映画村>
僕は1954年の映画を見てここに行きました。87年の映画のセットなので、
87年の映画を見てから行くとより良いかもしれませんね。
続きを読む
<二十四の瞳映画村>
住所:香川県小豆郡小豆島町田浦甲931
駐車場あり(無料)
入場:9時〜17時 700円
二十四の瞳映画村は1987年公開の映画「二十四の瞳」の小豆島ロケのオープンセット
を活用した施設群です。
『二十四の瞳』は壺井栄の小説で1954年と1987年に映画化され、テレビドラマやアニメに
もなっている壺井栄の代表作です。
もともと二十四の瞳は、瀬戸内という設定だけで場所は特定していないお話だそうで、
映画などで壺井栄の出身地が小豆島だったため、この話も小豆島と結びつけて映画化され
たという事です。
映画村は二十四の瞳の世界を感じる事が出来る施設で、昔ながらの町並みが再現されて
います。
<二十四の瞳映画村>
僕は1954年の映画を見てここに行きました。87年の映画のセットなので、
87年の映画を見てから行くとより良いかもしれませんね。
続きを読む
2015年03月01日
南風台 (香川県小豆島町)
香川県小豆島町にある南風台に行ってきました。
<南風台>
住所:香川県小豆郡小豆島町橘
駐車場あり
南風台は小豆島東南部にある展望スポットです。
遠くは明石海峡大橋まで眺めることが出来るそうですが、この日はよく
見えませんでした。
木々が南国の雰囲気を感じさせますね。
平成26年・27年 年末年始の旅
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<南風台>
住所:香川県小豆郡小豆島町橘
駐車場あり
南風台は小豆島東南部にある展望スポットです。
遠くは明石海峡大橋まで眺めることが出来るそうですが、この日はよく
見えませんでした。
木々が南国の雰囲気を感じさせますね。
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大坂城石切丁場 八人石 (香川県小豆島町)
香川県小豆島町、大坂城石切遺跡・八人石丁場に行ってきました。
<八人石丁場>
住所:香川県小豆島町岩谷
駐車場あり(無料)
<現地解説>
大坂冬の陣・夏の陣によって徹底的に破壊された豊臣秀吉築城の大坂城は、
徳川秀忠、家光の命で西国大名六十四家によって大規模の改築がなされた。
1620〜1629年までの間に完工した。
当岩ヶ谷の石丁場は筑前福岡藩黒田長政、忠之父子が採石したところである。
黒田藩は採石後も番人を派遣して、この地の年寄役とともにこれらの丁場を
管理させた。
この八人石丁場は、八人の石工が一度に犠牲になったとの伝説がある巨大な
残石を中心にして海岸までの山中に数百個の石が確認されています。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小豆島にある八人石丁場に行ってきました。
現在の大坂城は徳川時代になってから修復されたもので、石垣もその頃のものだ
そうです。その石はどこから持ってきたかと思ったら小豆島から持ってきていた
んですね。知りませんでしたので驚きです。
この八人石丁場は、福岡藩黒田家が担当した場所との事。
ちょうど官兵衛がらみにの史跡めぐりをしていたところだったので、こちらも偶然
ですが黒田がらみの史跡を訪問する事になりました。
大きな石を鏨を使って切り出した残石が多く残っており、人力でこれだけの岩を
切り出したのかと思うと驚きます。
<八人石丁場>
こちらが一番大きな残石。ここで八人の石工が亡くなったとの事。
五輪塔は昭和17年に造られたものだそうです。
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<八人石丁場>
住所:香川県小豆島町岩谷
駐車場あり(無料)
<現地解説>
大坂冬の陣・夏の陣によって徹底的に破壊された豊臣秀吉築城の大坂城は、
徳川秀忠、家光の命で西国大名六十四家によって大規模の改築がなされた。
1620〜1629年までの間に完工した。
当岩ヶ谷の石丁場は筑前福岡藩黒田長政、忠之父子が採石したところである。
黒田藩は採石後も番人を派遣して、この地の年寄役とともにこれらの丁場を
管理させた。
この八人石丁場は、八人の石工が一度に犠牲になったとの伝説がある巨大な
残石を中心にして海岸までの山中に数百個の石が確認されています。
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小豆島にある八人石丁場に行ってきました。
現在の大坂城は徳川時代になってから修復されたもので、石垣もその頃のものだ
そうです。その石はどこから持ってきたかと思ったら小豆島から持ってきていた
んですね。知りませんでしたので驚きです。
この八人石丁場は、福岡藩黒田家が担当した場所との事。
ちょうど官兵衛がらみにの史跡めぐりをしていたところだったので、こちらも偶然
ですが黒田がらみの史跡を訪問する事になりました。
大きな石を鏨を使って切り出した残石が多く残っており、人力でこれだけの岩を
切り出したのかと思うと驚きます。
<八人石丁場>
こちらが一番大きな残石。ここで八人の石工が亡くなったとの事。
五輪塔は昭和17年に造られたものだそうです。
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2014年04月06日
丸亀城 (香川県丸亀市)
香川県丸亀市にある丸亀城に行ってきました。
<丸亀城>
住所:香川県丸亀市一番丁
入場:200円
駐車場あり(無料)
丸亀城は生駒氏が1597年から5年間をかけて西讃岐の支配の為築城した
が、一国一城令により廃城となった。
その後、生駒氏の転封により、讃岐は東西に二分され、西讃の拠点として、
山崎氏がその城跡に1643年より築城を開始した。
現在のほとんどの石垣は山崎氏によって造られたと考えられる。
山崎氏絶家後は、京極氏が入封し明治維新を迎える。
標高66mの自然の岩山である亀山を利用し、それを取り囲むように
四方に3段の石垣を巡らせ、山下部から三の丸、二の丸、本丸へと登って
行く縄張りとしている。山上部にはかつて現存する天守を含め12の櫓と
それらを繋ぐ渡櫓があり、山下部には藩主の住む居館や大手門、庭園など
があった。
天守は全国で最小ながら現存する木造天守12城のひとつであり、大手門
や御殿門も現存している点は貴重である。
また緩やかな勾配から次第に急になり最後は反り返る「扇の勾配」といわれ
る高さ20mを越える見事な高石垣が見所である。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
昨年の夏休みのネタ、まだ書ききれてませんでした(^^;
普段ならもういいやと書かないところですが、今は何故か書きたい気分
なので、思い出して書きます。
昨年夏、丸亀城に登城してきました。
日本100名城に指定されているお城です。僕は特にスタンプ集めとか
している訳ではありませんが、100名城は全部制覇しようと思っている
ところです。以前、前を通りかかった事はありましたが、登城するのは
今回が初めてです。
丸亀城の見所は何と言っても石垣。前に通りかかった時も、その美しい
石垣にほれぼれしたものです。
全国の城をいろいろ見てきましたが、丸亀城の石垣は壮観です。
自然の山を城として利用した丸亀城。
大手門を入ってから天守までの道のりはそんなに長くはないのですが、
勾配がかなり急な坂を登っていかなくてはなりません。
ものすごい暑さの中、ひーひー言いながら天守閣を目指しました。
天守閣からの景色もまた壮観。丸亀の町を一望出来ます。
実戦で使用された城ではありませんが、城としての防御も堅いだろうなと
思う名城です。
丸亀城というだけあって、濠には亀がうじゃうじゃ。
これまたびっくりです(^^;
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
平成25年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/372055300.html
<丸亀城>
住所:香川県丸亀市一番丁
入場:200円
駐車場あり(無料)
丸亀城は生駒氏が1597年から5年間をかけて西讃岐の支配の為築城した
が、一国一城令により廃城となった。
その後、生駒氏の転封により、讃岐は東西に二分され、西讃の拠点として、
山崎氏がその城跡に1643年より築城を開始した。
現在のほとんどの石垣は山崎氏によって造られたと考えられる。
山崎氏絶家後は、京極氏が入封し明治維新を迎える。
標高66mの自然の岩山である亀山を利用し、それを取り囲むように
四方に3段の石垣を巡らせ、山下部から三の丸、二の丸、本丸へと登って
行く縄張りとしている。山上部にはかつて現存する天守を含め12の櫓と
それらを繋ぐ渡櫓があり、山下部には藩主の住む居館や大手門、庭園など
があった。
天守は全国で最小ながら現存する木造天守12城のひとつであり、大手門
や御殿門も現存している点は貴重である。
また緩やかな勾配から次第に急になり最後は反り返る「扇の勾配」といわれ
る高さ20mを越える見事な高石垣が見所である。
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昨年の夏休みのネタ、まだ書ききれてませんでした(^^;
普段ならもういいやと書かないところですが、今は何故か書きたい気分
なので、思い出して書きます。
昨年夏、丸亀城に登城してきました。
日本100名城に指定されているお城です。僕は特にスタンプ集めとか
している訳ではありませんが、100名城は全部制覇しようと思っている
ところです。以前、前を通りかかった事はありましたが、登城するのは
今回が初めてです。
丸亀城の見所は何と言っても石垣。前に通りかかった時も、その美しい
石垣にほれぼれしたものです。
全国の城をいろいろ見てきましたが、丸亀城の石垣は壮観です。
自然の山を城として利用した丸亀城。
大手門を入ってから天守までの道のりはそんなに長くはないのですが、
勾配がかなり急な坂を登っていかなくてはなりません。
ものすごい暑さの中、ひーひー言いながら天守閣を目指しました。
天守閣からの景色もまた壮観。丸亀の町を一望出来ます。
実戦で使用された城ではありませんが、城としての防御も堅いだろうなと
思う名城です。
丸亀城というだけあって、濠には亀がうじゃうじゃ。
これまたびっくりです(^^;
日本の城を巡る
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平成25年夏旅
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2013年09月25日
白峰宮 (香川県坂出市)
香川県坂出市にある白峰宮に行ってきました。
<白峰宮>
住所:香川県坂出市西庄町1719
駐車場あり
保元の乱に敗れた崇徳上皇は讃岐国へ配流され、1164年にに崩御するまで讃岐で過ごした。
上皇の崩御後、遺体を当地の清水に浸しておいたところ神光が輝いたことから、二条天皇の宣
旨を受け1164年に造営されたと伝える。
江戸時代には崇徳天皇社野沢井宮・崇徳天皇明の宮などと呼ばれ、金華山妙成就寺摩尼珠院と
一体の存在として四国88ヶ所霊場の79番札所であった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
崇徳上皇をご祭神とする白峰宮に行ってきました。
白峰宮は並びに四国79番札所の天皇寺があります。
保元の乱で敗れ、失意のなか讃岐に流され余生を過ごした崇徳天皇
いろいろの言い伝えなども残っているようです。
亡くなった崇徳天皇をしのび、毎年天皇祭りというお祭りも開催されて
いるそうです。
鳥居の扁額には「崇徳天皇」と記されています。
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
平成25年夏旅
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<白峰宮>
住所:香川県坂出市西庄町1719
駐車場あり
保元の乱に敗れた崇徳上皇は讃岐国へ配流され、1164年にに崩御するまで讃岐で過ごした。
上皇の崩御後、遺体を当地の清水に浸しておいたところ神光が輝いたことから、二条天皇の宣
旨を受け1164年に造営されたと伝える。
江戸時代には崇徳天皇社野沢井宮・崇徳天皇明の宮などと呼ばれ、金華山妙成就寺摩尼珠院と
一体の存在として四国88ヶ所霊場の79番札所であった。
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崇徳上皇をご祭神とする白峰宮に行ってきました。
白峰宮は並びに四国79番札所の天皇寺があります。
保元の乱で敗れ、失意のなか讃岐に流され余生を過ごした崇徳天皇
いろいろの言い伝えなども残っているようです。
亡くなった崇徳天皇をしのび、毎年天皇祭りというお祭りも開催されて
いるそうです。
鳥居の扁額には「崇徳天皇」と記されています。
大河ドラマの舞台
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平成25年夏旅
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神谷神社 (香川県坂出市)
香川県坂出市にある神谷神社に行ってきました。
<神谷神社>
住所:香川県坂出市神谷町621
駐車場あり(無料)
境内自由
<現地解説>
神谷の渓谷にあった深い渕から自然に湧き出るような一人の僧が現れ、渕の傍らに
あった大岩の上に祭壇をもうけ、天津神を祀り国家安泰五穀豊穣を祈ったのが神谷神社
と創始と言われている。その後、嵯峨天皇の弘仁三年(812年)阿刀大足が社殿を
造営再興し春日四柱の神を相殿に勧請し益々霊験著しく阿野郡北一円の守護神として人々
の崇敬が深く、また境内を流れる川の奥に深夜神々が奏する神楽の鈴の音がするというので、
この里を神谷と呼ばれたとも言う。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
香川県坂出市にある神谷神社に行ってきました。
現地にあった看板には上の様な解説がありましたが、いまいちよく
分からない内容です。
古くからの由緒ある神社であろう事は理解できます。
ここに寄ったのは、国宝の本殿を見るためです。
坂出市のひっそりとした場所に、国宝建造物があるのは、今回車で
走ってて初めて知りました。
裏から撮影した、神谷神社の本殿(国宝)です。
鎌倉時代初期の建築。檜皮葺の三間社流造り。
見るからに威厳がある建物です。
ここを訪れる観光客は少なそうですが、一見の価値があるかと思います。
平成25年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/372055300.html
国宝建造物を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21220842.html
<神谷神社>
住所:香川県坂出市神谷町621
駐車場あり(無料)
境内自由
<現地解説>
神谷の渓谷にあった深い渕から自然に湧き出るような一人の僧が現れ、渕の傍らに
あった大岩の上に祭壇をもうけ、天津神を祀り国家安泰五穀豊穣を祈ったのが神谷神社
と創始と言われている。その後、嵯峨天皇の弘仁三年(812年)阿刀大足が社殿を
造営再興し春日四柱の神を相殿に勧請し益々霊験著しく阿野郡北一円の守護神として人々
の崇敬が深く、また境内を流れる川の奥に深夜神々が奏する神楽の鈴の音がするというので、
この里を神谷と呼ばれたとも言う。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
香川県坂出市にある神谷神社に行ってきました。
現地にあった看板には上の様な解説がありましたが、いまいちよく
分からない内容です。
古くからの由緒ある神社であろう事は理解できます。
ここに寄ったのは、国宝の本殿を見るためです。
坂出市のひっそりとした場所に、国宝建造物があるのは、今回車で
走ってて初めて知りました。
裏から撮影した、神谷神社の本殿(国宝)です。
鎌倉時代初期の建築。檜皮葺の三間社流造り。
見るからに威厳がある建物です。
ここを訪れる観光客は少なそうですが、一見の価値があるかと思います。
平成25年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/372055300.html
国宝建造物を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21220842.html
雲井御所跡 / 崇徳上皇御所 (香川県坂出市)
香川県坂出市にある雲井御所跡に行ってきました。
<雲井御所跡>
住所:香川県坂出市林田町
駐車場なし
<現地解説>
この地は保元の乱で敗れた崇徳上皇が配流となり、仮の御所として過ごされた場所と
伝えられ、1835年高松藩主松平頼恕公により雲井御所の碑が建立されている。
保元の乱は平安時代末期、摂関家の藤原頼長と忠通の争いと、皇室である崇徳上皇と
後白河天皇の争いが結びついて激しさを増し、1156年、鳥羽法王の死を契機とし
て一気に激化した争乱である。結果は崇徳上皇側の大敗に終わり、上皇は讃岐に配流となった。
当時38歳の崇徳上皇は、国府の目代である綾高遠の館を仮の御所と伝えられている。
仮の御所で3年を過ごされ、都を懐かしく思い、その御所の柱に御詠歌を記されたとされ、
その一首に
「ここもまた あらぬ雲井となりにけり 雲行く月の影にまかせて」
と詠まれたことから雲井御所と名付け、この地は雲井の里というと伝えられている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
坂出市に数ある崇徳上皇がらみの史跡のひとつ、雲井御所跡です。
保元の乱で配流されて、この地を仮の御所として3年間過ごしたそうです。
現在は江戸時代に造られた碑があるのみです。
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
平成25年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/372055300.html
<雲井御所跡>
住所:香川県坂出市林田町
駐車場なし
<現地解説>
この地は保元の乱で敗れた崇徳上皇が配流となり、仮の御所として過ごされた場所と
伝えられ、1835年高松藩主松平頼恕公により雲井御所の碑が建立されている。
保元の乱は平安時代末期、摂関家の藤原頼長と忠通の争いと、皇室である崇徳上皇と
後白河天皇の争いが結びついて激しさを増し、1156年、鳥羽法王の死を契機とし
て一気に激化した争乱である。結果は崇徳上皇側の大敗に終わり、上皇は讃岐に配流となった。
当時38歳の崇徳上皇は、国府の目代である綾高遠の館を仮の御所と伝えられている。
仮の御所で3年を過ごされ、都を懐かしく思い、その御所の柱に御詠歌を記されたとされ、
その一首に
「ここもまた あらぬ雲井となりにけり 雲行く月の影にまかせて」
と詠まれたことから雲井御所と名付け、この地は雲井の里というと伝えられている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
坂出市に数ある崇徳上皇がらみの史跡のひとつ、雲井御所跡です。
保元の乱で配流されて、この地を仮の御所として3年間過ごしたそうです。
現在は江戸時代に造られた碑があるのみです。
大河ドラマの舞台
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平成25年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/372055300.html
2013年09月23日
高松城/玉藻公園 (香川県高松市)
香川県高松市にある高松城に行ってきました。
<高松城跡>
住所:香川県高松市玉藻町2-1
駐車場あり(無料)
入場:200円
開園 : 5:30〜19:00
<高松城について>
高松城は別名玉藻城ともいい1587年、豊臣秀吉から讃岐に封ぜられた
生駒親正が1588年に工を起し、約3年の歳月をついやし1590年に完成
したが、その縄張り、つまり設計は当時有名な築城家黒田官兵衛がしたとされ
ている。
この高松城は全国にも珍しい水際城の跡である。昔から「讃州さぬきの高松様
の城が見えます波の上」と謡われていた。
生駒家が4代54年と、1642年常陸国下館から松平頼重が封ぜられて、
以来明治に至までの松平家11代228年の居城として、讃岐の政治経済文化の
中心地となったところである。
城跡は昭和29年に高松市が譲り受け、翌30年に「玉藻公園」として一般市民
に開放した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
高松城に行ってきました。
今回初訪問。何と朝5時半から開園という事で、観光客としてもありがたい限り
です。
この日は天気が良かったせいもあって、とにかく城が綺麗でした。
かなり広い敷地には、櫓、庭園、古い建物(披雲閣)など見所満載。
海水を引き込んだ堀には、海の魚が泳いでいる姿を見ることが出来ます。
よくありがちな、堀に泳ぐ鯉じゃないあたりが新鮮です。
おそらく泳いでいたのはボラでしょうか。たまに跳ねてました。
披雲閣は大正時代の建造物。昭和天皇・皇后夫妻も泊まったという由緒
ある建物です。
平成25年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/372055300.html
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
<高松城跡>
住所:香川県高松市玉藻町2-1
駐車場あり(無料)
入場:200円
開園 : 5:30〜19:00
<高松城について>
高松城は別名玉藻城ともいい1587年、豊臣秀吉から讃岐に封ぜられた
生駒親正が1588年に工を起し、約3年の歳月をついやし1590年に完成
したが、その縄張り、つまり設計は当時有名な築城家黒田官兵衛がしたとされ
ている。
この高松城は全国にも珍しい水際城の跡である。昔から「讃州さぬきの高松様
の城が見えます波の上」と謡われていた。
生駒家が4代54年と、1642年常陸国下館から松平頼重が封ぜられて、
以来明治に至までの松平家11代228年の居城として、讃岐の政治経済文化の
中心地となったところである。
城跡は昭和29年に高松市が譲り受け、翌30年に「玉藻公園」として一般市民
に開放した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
高松城に行ってきました。
今回初訪問。何と朝5時半から開園という事で、観光客としてもありがたい限り
です。
この日は天気が良かったせいもあって、とにかく城が綺麗でした。
かなり広い敷地には、櫓、庭園、古い建物(披雲閣)など見所満載。
海水を引き込んだ堀には、海の魚が泳いでいる姿を見ることが出来ます。
よくありがちな、堀に泳ぐ鯉じゃないあたりが新鮮です。
おそらく泳いでいたのはボラでしょうか。たまに跳ねてました。
披雲閣は大正時代の建造物。昭和天皇・皇后夫妻も泊まったという由緒
ある建物です。
平成25年夏旅
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日本の城を巡る
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長尾寺 / 四国87番札所 (香川県さぬき市)
香川県さぬき市にある長尾寺に行ってきました。
<長尾寺>
住所:香川県さぬき市長尾西653
駐車場あり(無料)
境内自由
<長尾寺解説>
長尾寺は、聖徳太子の開創と伝えられている。
古くより聖武天皇、行基菩薩がこの地を訪れ、霊感を得られ柳の木「楊柳」をもって聖観世音菩薩像の尊容を刻み本尊とし、 堂宇を建立して安置した。
菅原道真左遷のおり、志度房崎の沖に馳せ参じ「不期天上一円月。忽入海西万里雲」という句を贈り公は幼時の自画像を呈せられ自在天堂に祠る。
年々歳々多数の参詣、参籠を見、本坊、客殿等一新、日々法燈、香煙絶ゆる間なく今日に至る。
門前に元冦の役出征将兵の霊を慰めるために建てられた「経幢」(国重文)は、鎌倉時代から栄えたこの名刹を物語っており、また吉野山で義経と惜別した静 御前(宥心尼)が、母磯禅師(磯禅尼)と共にこの古里に帰って長尾寺で得度し、今は位牌となってまつられている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
長尾寺に行ってきました。ここは前にも来たことがあって、久しぶりの訪問です。
ここは四国88霊場の87番目の札所にあたります。
自分は札所巡りをしている訳ではありませんが、お寺の歴史的価値や、由緒など
に興味があり、四国のお寺を廻っています。
この寺は、義経の愛妾静御前が得度したお寺として知られています。
義経の子を産むが、頼朝に殺され、母の故郷讃岐に移りこの長尾寺で出家し、
菩提を弔う日々を送ったとか。静御前の一伝説だそうです。
静御前はいろいろな伝説があり、埼玉にも墓があったりと、実際はどの様な
晩年を送ったかはよく分からないみたいですね。
<長尾寺・静御前剃髪塚>
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
平成25年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/372055300.html
<長尾寺>
住所:香川県さぬき市長尾西653
駐車場あり(無料)
境内自由
<長尾寺解説>
長尾寺は、聖徳太子の開創と伝えられている。
古くより聖武天皇、行基菩薩がこの地を訪れ、霊感を得られ柳の木「楊柳」をもって聖観世音菩薩像の尊容を刻み本尊とし、 堂宇を建立して安置した。
菅原道真左遷のおり、志度房崎の沖に馳せ参じ「不期天上一円月。忽入海西万里雲」という句を贈り公は幼時の自画像を呈せられ自在天堂に祠る。
年々歳々多数の参詣、参籠を見、本坊、客殿等一新、日々法燈、香煙絶ゆる間なく今日に至る。
門前に元冦の役出征将兵の霊を慰めるために建てられた「経幢」(国重文)は、鎌倉時代から栄えたこの名刹を物語っており、また吉野山で義経と惜別した静 御前(宥心尼)が、母磯禅師(磯禅尼)と共にこの古里に帰って長尾寺で得度し、今は位牌となってまつられている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
長尾寺に行ってきました。ここは前にも来たことがあって、久しぶりの訪問です。
ここは四国88霊場の87番目の札所にあたります。
自分は札所巡りをしている訳ではありませんが、お寺の歴史的価値や、由緒など
に興味があり、四国のお寺を廻っています。
この寺は、義経の愛妾静御前が得度したお寺として知られています。
義経の子を産むが、頼朝に殺され、母の故郷讃岐に移りこの長尾寺で出家し、
菩提を弔う日々を送ったとか。静御前の一伝説だそうです。
静御前はいろいろな伝説があり、埼玉にも墓があったりと、実際はどの様な
晩年を送ったかはよく分からないみたいですね。
<長尾寺・静御前剃髪塚>
大河ドラマの舞台
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平成25年夏旅
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2013年09月18日
洲崎寺 (香川県高松市)
香川県高松市にある洲崎寺に行ってきました。
<洲崎寺>
住所:香川県高松市牟礼町牟礼字宗時2691
駐車場あり(無料)
洲崎寺は眺海山円通院と号し、大同年間(806〜)に弘法大師により創建
されました。本尊である「聖観音菩薩」は大師の作と伝えられています。
源平合戦・長宗我部氏の侵攻により焼かれるなど繁栄と衰退を繰り返し、1699
年に再興され現在に至っています。
源平合戦の時、義経の身代わりとなり討ち死にした佐藤継信の亡骸を、戦火
によって焼け落ちた本堂の扉に乗せて源氏の本陣瓜生ヶ丘まで運ばれたと伝えられ
ており、継信の菩提寺として毎年3月19日に慰霊法要が行われています。
平成12年に再興300年を記念して「屋島壇ノ浦の戦い」を表現した庭園が完成
しました。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
屋島半島の付け根付近には源平屋島古戦場の関連史跡がいろいろあります。
そのひとつ、洲崎寺に行ってきました。
屋島の戦いで、義経の身代わりとなって討ち死にした佐藤継信ゆかりのお寺です。
詳しくは上の解説のとおりです。
佐藤継信の墓は福島の医王寺にあり、そこは以前行ったことがあります。
http://rover.seesaa.net/article/31082509.html
佐藤継信・忠信兄弟は義経の側近として源平の戦いで活躍した人物。
そのゆかりの地という事で、史跡めぐりで訪れたいところです。
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
平成25年夏旅
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<洲崎寺>
住所:香川県高松市牟礼町牟礼字宗時2691
駐車場あり(無料)
洲崎寺は眺海山円通院と号し、大同年間(806〜)に弘法大師により創建
されました。本尊である「聖観音菩薩」は大師の作と伝えられています。
源平合戦・長宗我部氏の侵攻により焼かれるなど繁栄と衰退を繰り返し、1699
年に再興され現在に至っています。
源平合戦の時、義経の身代わりとなり討ち死にした佐藤継信の亡骸を、戦火
によって焼け落ちた本堂の扉に乗せて源氏の本陣瓜生ヶ丘まで運ばれたと伝えられ
ており、継信の菩提寺として毎年3月19日に慰霊法要が行われています。
平成12年に再興300年を記念して「屋島壇ノ浦の戦い」を表現した庭園が完成
しました。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
屋島半島の付け根付近には源平屋島古戦場の関連史跡がいろいろあります。
そのひとつ、洲崎寺に行ってきました。
屋島の戦いで、義経の身代わりとなって討ち死にした佐藤継信ゆかりのお寺です。
詳しくは上の解説のとおりです。
佐藤継信の墓は福島の医王寺にあり、そこは以前行ったことがあります。
http://rover.seesaa.net/article/31082509.html
佐藤継信・忠信兄弟は義経の側近として源平の戦いで活躍した人物。
そのゆかりの地という事で、史跡めぐりで訪れたいところです。
大河ドラマの舞台
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平成25年夏旅
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栗林公園 (香川県高松市)
香川県高松市にある栗林公園に行ってきました。
<栗林公園>
住所:香川県高松市栗林町1−20−16
駐車場あり(有料)
料金:400円
<パンフレットの解説文>
栗林公園のおこりは16世紀後半、当地の豪族佐藤氏によって築庭されたのに始まると
いわれ、寛永年間(1625年頃)に、当時の讃岐国領主・生駒高俊によって南湖一帯
が造園され、現在の公園の原形が造られました。
その後1642年、生駒氏の転封に伴い入封した初代高松藩主松平頼重公に引き継がれ、
さらに100年以上たった1745年、5代頼恭公の時に園内六十景命名をもって完成
しました。以来歴代藩主が修築を重ね、明治維新に至までの228年間松平家11代の
下屋敷として使用されました。
1871年高松藩が廃せられ、新政府の所有となり、明治6年公布された「公園に関する
太政官布告」にもとづいて明治8年県立公園として一般に公開されるようになり、さらに
昭和28年には文化財保護法による「特別名勝」に指定され現在に至っています。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
高松市内観光という事で、栗林公園に行ってきました。
高松で行ったことがあるのは屋島くらい。今まで高松をゆっくり観光したことがありま
せんでした
高松といえば栗林公園が何と言っても有名。さっそく行ってみました。
6月〜9月はなんと朝5時半開園。料金所の職員も大変だろうなと余計な事を考え
つつも、観光客にとっては早朝から観光出来るので時間を有効活用出来て助かります。
朝8時すぎくらいに栗林公園に行きました。
早朝でしたが、観光客も多く賑わっていました。
いろいろな日本庭園に行きましたが、栗林公園で印象的だったのはその広さと
立体感です。75万平米という広大な敷地。日本の庭園でどこが一番大きいのか
は定かではありませんが、ここは本当に大きい。
あとは上から眺めおろす庭園美ですね。何ヶ所か上から眺めおろすポイントがあ
りますが、それが非常に良い。他の庭園でもちょっとした高台はありますが、
栗林公園はそれがもっとすごい感じです。高い見晴台から庭園を見下ろす風景
が絶景です。
日本を代表するような大名庭園。とても感動しました。
写真が多いので、続きをどうぞ。
平成25年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/372055300.html
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<栗林公園>
住所:香川県高松市栗林町1−20−16
駐車場あり(有料)
料金:400円
<パンフレットの解説文>
栗林公園のおこりは16世紀後半、当地の豪族佐藤氏によって築庭されたのに始まると
いわれ、寛永年間(1625年頃)に、当時の讃岐国領主・生駒高俊によって南湖一帯
が造園され、現在の公園の原形が造られました。
その後1642年、生駒氏の転封に伴い入封した初代高松藩主松平頼重公に引き継がれ、
さらに100年以上たった1745年、5代頼恭公の時に園内六十景命名をもって完成
しました。以来歴代藩主が修築を重ね、明治維新に至までの228年間松平家11代の
下屋敷として使用されました。
1871年高松藩が廃せられ、新政府の所有となり、明治6年公布された「公園に関する
太政官布告」にもとづいて明治8年県立公園として一般に公開されるようになり、さらに
昭和28年には文化財保護法による「特別名勝」に指定され現在に至っています。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
高松市内観光という事で、栗林公園に行ってきました。
高松で行ったことがあるのは屋島くらい。今まで高松をゆっくり観光したことがありま
せんでした
高松といえば栗林公園が何と言っても有名。さっそく行ってみました。
6月〜9月はなんと朝5時半開園。料金所の職員も大変だろうなと余計な事を考え
つつも、観光客にとっては早朝から観光出来るので時間を有効活用出来て助かります。
朝8時すぎくらいに栗林公園に行きました。
早朝でしたが、観光客も多く賑わっていました。
いろいろな日本庭園に行きましたが、栗林公園で印象的だったのはその広さと
立体感です。75万平米という広大な敷地。日本の庭園でどこが一番大きいのか
は定かではありませんが、ここは本当に大きい。
あとは上から眺めおろす庭園美ですね。何ヶ所か上から眺めおろすポイントがあ
りますが、それが非常に良い。他の庭園でもちょっとした高台はありますが、
栗林公園はそれがもっとすごい感じです。高い見晴台から庭園を見下ろす風景
が絶景です。
日本を代表するような大名庭園。とても感動しました。
写真が多いので、続きをどうぞ。
平成25年夏旅
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2006年10月09日
「世界の中心で愛をさけぶ」ロケ地 (香川県高松市)
高松市の庵治地区は、「世界の中心で愛をさけぶ」のロケ地として有名になった場所です。
<世界の中心で愛をさけぶ ロケ地>
住所:香川県高松市庵治町
屋島を出て、その対岸にある高松市庵治町に向かいました。
ここは「世界の中心で愛をさけぶ」のロケ地として有名になり、高松市でも
映画の町として観光整備を行っています。
今回の旅で高松に来る予定ではなかったので、まさかここに来ることになる
とは思っていなかったんですが、映画は見ていたので、機会があったら行っ
てみようかなと思っていた場所でした。
ロケ地は半島に点在する様な感じなんですが、目標地点は半島の北西の皇子
神社あたりにして向かっていけば良いでしょう。
町の中心部に映画で使われた写真館が移築された資料館があります。
ここには映画に関連する資料も展示されているようです。あいにく早朝に
行ったので開いていませんでした。
皇子神社には、映画のシーンにもあったブランコ、その下には何度か登場
する防波堤があったりします。
個人的にこの映画はそんなに良いなと思わなかったんですけど、ロケ地巡り
は別。映画のシーンに出ていた場所に実際に行ってみるのって良いものです。
ブランコのある皇子神社は庵治地区を眺める事が出来て良い場所です。
ブランコには愛を誓う南京錠なんかが付けられていたりして、名観光スポット
になってしまってました。
僕はと言えば、愛を叫ぶ事もなく、朝飯食べてないので「腹へった〜・・!」
と叫んで、さぬきうどんを食べるべく立ち去りました(^^;
平成18年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/22395156.html
続きを読む
<世界の中心で愛をさけぶ ロケ地>
住所:香川県高松市庵治町
屋島を出て、その対岸にある高松市庵治町に向かいました。
ここは「世界の中心で愛をさけぶ」のロケ地として有名になり、高松市でも
映画の町として観光整備を行っています。
今回の旅で高松に来る予定ではなかったので、まさかここに来ることになる
とは思っていなかったんですが、映画は見ていたので、機会があったら行っ
てみようかなと思っていた場所でした。
ロケ地は半島に点在する様な感じなんですが、目標地点は半島の北西の皇子
神社あたりにして向かっていけば良いでしょう。
町の中心部に映画で使われた写真館が移築された資料館があります。
ここには映画に関連する資料も展示されているようです。あいにく早朝に
行ったので開いていませんでした。
皇子神社には、映画のシーンにもあったブランコ、その下には何度か登場
する防波堤があったりします。
個人的にこの映画はそんなに良いなと思わなかったんですけど、ロケ地巡り
は別。映画のシーンに出ていた場所に実際に行ってみるのって良いものです。
ブランコのある皇子神社は庵治地区を眺める事が出来て良い場所です。
ブランコには愛を誓う南京錠なんかが付けられていたりして、名観光スポット
になってしまってました。
僕はと言えば、愛を叫ぶ事もなく、朝飯食べてないので「腹へった〜・・!」
と叫んで、さぬきうどんを食べるべく立ち去りました(^^;
平成18年夏旅
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屋島寺 (香川県高松市 四国84番札所)
平成18年夏旅は5日目(8月14日)に入ります。この日最初に訪れた
のが高松市の屋島寺です。
<屋島寺>
住所:香川県高松市屋島東町1808
駐車場あり(無料)
拝観自由
宝物館は有料
<由緒・現地解説より>
屋島寺は鑑真和上が開創の基を開き、弟子の恵雲律師空鉢と号した人が
初代の住職となったと伝えられ、はじめは律宗であったが弘法大師が真言
宗に改めた寺で、四国84番目の札所。
本尊千手観音は平安時代前期の作であり、本堂は鎌倉時代の末頃の建築で
共に重要文化財に指定されています。
書院裏には名園雪の庭があります。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
久しぶりに屋島に行きました。屋島に行くのは11年ぶり。本当に久しぶり
です。
さすがに11年たったので、屋島ドライブウェイは無料開放されているの
では、という淡い期待をもっていったのですが、あえなく撃沈しました。
実は屋島寺に行くには屋島ドライブウェイという有料道路を通らなくては
ならないのです。
<屋島ドライブウェイ>
営業時間 5:00 〜 23:00
普通車610円
http://www2.neweb.ne.jp/wd/yashima/driveway.htm
610円を払い、ドライブウェイへ。
屋島は標高約300メートルの溶岩台地で、ドライブウェイで一気に登って
いきます。
屋島寺へ向かう途中には、源平の戦いで有名な屋島古戦場を眺める展望スポッ
トもあり、景色は非常に良いです。
数分で屋島の頂上へ。駐車場から屋島寺はすぐです。
本堂は鎌倉時代末期の建築と言うことで、古く威厳のある建物です。
本堂の他に、太子堂など複数のお堂があり、伽藍的にも大きいお寺です。
屋島は屋島寺はもちろんですが、源平の戦いにおける古戦場として、また
高松市内を眺める展望スポットとして必見のスポットです。
夜は夜景が綺麗なんじゃないかと思います。
ここは外せない観光地ですね。
平成18年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/22395156.html
四国札所巡りの旅
http://rover.seesaa.net/article/23563880.html
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
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のが高松市の屋島寺です。
<屋島寺>
住所:香川県高松市屋島東町1808
駐車場あり(無料)
拝観自由
宝物館は有料
<由緒・現地解説より>
屋島寺は鑑真和上が開創の基を開き、弟子の恵雲律師空鉢と号した人が
初代の住職となったと伝えられ、はじめは律宗であったが弘法大師が真言
宗に改めた寺で、四国84番目の札所。
本尊千手観音は平安時代前期の作であり、本堂は鎌倉時代の末頃の建築で
共に重要文化財に指定されています。
書院裏には名園雪の庭があります。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
久しぶりに屋島に行きました。屋島に行くのは11年ぶり。本当に久しぶり
です。
さすがに11年たったので、屋島ドライブウェイは無料開放されているの
では、という淡い期待をもっていったのですが、あえなく撃沈しました。
実は屋島寺に行くには屋島ドライブウェイという有料道路を通らなくては
ならないのです。
<屋島ドライブウェイ>
営業時間 5:00 〜 23:00
普通車610円
http://www2.neweb.ne.jp/wd/yashima/driveway.htm
610円を払い、ドライブウェイへ。
屋島は標高約300メートルの溶岩台地で、ドライブウェイで一気に登って
いきます。
屋島寺へ向かう途中には、源平の戦いで有名な屋島古戦場を眺める展望スポッ
トもあり、景色は非常に良いです。
数分で屋島の頂上へ。駐車場から屋島寺はすぐです。
本堂は鎌倉時代末期の建築と言うことで、古く威厳のある建物です。
本堂の他に、太子堂など複数のお堂があり、伽藍的にも大きいお寺です。
屋島は屋島寺はもちろんですが、源平の戦いにおける古戦場として、また
高松市内を眺める展望スポットとして必見のスポットです。
夜は夜景が綺麗なんじゃないかと思います。
ここは外せない観光地ですね。
平成18年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/22395156.html
四国札所巡りの旅
http://rover.seesaa.net/article/23563880.html
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
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2006年09月14日
琴弾八幡宮 (香川県観音寺市 観光名所)
香川県観音寺市の琴弾八幡宮に行ってきました。
<琴弾八幡宮>
住所:香川県観音寺市八幡町1-1-1
駐車場あり(無料)
境内自由
創建は大宝3年(703年)という古い神社。
日証上人がの創建で、琴の音と共に現れた八幡大菩薩の船を山上にあげ、
琴を神宝として祭ったという事です。
屋島の戦いの時には、源義経が木の鳥居を奉納し、戦勝を祈願したそうです。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
観音寺市の琴弾八幡宮に行きました。
琴弾公園の一角にあります。銭形や観音寺を見たあとで立ち寄りました。
駐車場は広く、100台くらい停められそうです。
そこから階段を上っていきます。上り始めた時にはすぐに本殿があるのか
と思っていましたが、なかなかたどり着かず。実は階段が381段もある
そうで、かなり疲れました。
途中、源義経が奉納したという木の鳥居があり、歴史的なものも感じる事
が出来ます。
また頂上(標高58メートル)からは、観音寺市内が一望出来、景色も良好
でした。
平成18年夏旅
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<琴弾八幡宮>
住所:香川県観音寺市八幡町1-1-1
駐車場あり(無料)
境内自由
創建は大宝3年(703年)という古い神社。
日証上人がの創建で、琴の音と共に現れた八幡大菩薩の船を山上にあげ、
琴を神宝として祭ったという事です。
屋島の戦いの時には、源義経が木の鳥居を奉納し、戦勝を祈願したそうです。
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観音寺市の琴弾八幡宮に行きました。
琴弾公園の一角にあります。銭形や観音寺を見たあとで立ち寄りました。
駐車場は広く、100台くらい停められそうです。
そこから階段を上っていきます。上り始めた時にはすぐに本殿があるのか
と思っていましたが、なかなかたどり着かず。実は階段が381段もある
そうで、かなり疲れました。
途中、源義経が奉納したという木の鳥居があり、歴史的なものも感じる事
が出来ます。
また頂上(標高58メートル)からは、観音寺市内が一望出来、景色も良好
でした。
平成18年夏旅
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観音寺と神恵院 (香川県観音寺市 四国68・69番札所)
香川県観音寺市の観音寺と神恵院に行ってきました。
<観音寺>
住所:香川県観音寺市八幡町 1-2-7
駐車場あり(無料)
拝観自由
<観音寺と神恵院について・現地看板より>
今から1000年前、日証上人が琴弾宮の別当の神宮寺として開基しました。
806年弘法大師が当山第7代の住職の時、本尊聖観世音菩薩をはじめ
諸像を安置、寺を建て観音寺と改め、四国霊場88ヶ所のうち琴弾宮を68
番、観音寺を69番札所と定めました。
明治初年神仏分離で琴弾八幡の本地仏を西金堂に移し68番本堂とし、四国
唯一の一寺二霊場となっています。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
観音寺市の観音寺に行ってきました。
市の名前も観音寺ですから、おそらくこの寺からきたものと思われます。
琴弾公園の銭形を見に行く途中で、標識を発見したので行ってみた感じ
です。
行ってみると、ここには2つの寺があり、それぞれ四国68番・69番
札所である事が分かりました。
ただ、68番の神恵院の方は建物もコンクリート造りみたいな感じで
趣はいまいちでした。
【神恵院・四国68番】
69番観音寺は、金堂が国指定重要文化財。
現在の建物は、1525年の建造物らしいですが、鎌倉時代の遺構も残す
由緒ある建物だそうです。小さいながら、歴史的由緒ある建物です。
【観音寺金堂・四国69番】
琴弾公園のついでに立ち寄ってみると良いかと思います。
平成18年夏旅
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四国札所巡りの旅
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<観音寺>
住所:香川県観音寺市八幡町 1-2-7
駐車場あり(無料)
拝観自由
<観音寺と神恵院について・現地看板より>
今から1000年前、日証上人が琴弾宮の別当の神宮寺として開基しました。
806年弘法大師が当山第7代の住職の時、本尊聖観世音菩薩をはじめ
諸像を安置、寺を建て観音寺と改め、四国霊場88ヶ所のうち琴弾宮を68
番、観音寺を69番札所と定めました。
明治初年神仏分離で琴弾八幡の本地仏を西金堂に移し68番本堂とし、四国
唯一の一寺二霊場となっています。
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観音寺市の観音寺に行ってきました。
市の名前も観音寺ですから、おそらくこの寺からきたものと思われます。
琴弾公園の銭形を見に行く途中で、標識を発見したので行ってみた感じ
です。
行ってみると、ここには2つの寺があり、それぞれ四国68番・69番
札所である事が分かりました。
ただ、68番の神恵院の方は建物もコンクリート造りみたいな感じで
趣はいまいちでした。
【神恵院・四国68番】
69番観音寺は、金堂が国指定重要文化財。
現在の建物は、1525年の建造物らしいですが、鎌倉時代の遺構も残す
由緒ある建物だそうです。小さいながら、歴史的由緒ある建物です。
【観音寺金堂・四国69番】
琴弾公園のついでに立ち寄ってみると良いかと思います。
平成18年夏旅
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2006年09月13日
有明浜の銭形 (香川県観音寺市 観光名所)
香川県観音寺市にある巨大銭形を見てきました。
<有明浜の銭形>
住所:香川県観音寺市有明町
駐車場あり(無料)
見学自由
<銭形いわれ>
1633年、時の将軍徳川家光公から讃岐巡見使を派遣するとの知らせを
受けて、丸亀藩主生駒高俊公が領内を巡見の際、地元の古老たちが領主の
歓迎のために一夜のうちに有明浜に銭形を作り上げたと伝えられています。
山頂展望台から眺めると円く見えますが、実際には東西122メートル、
南北90メートルの楕円形となっています。
以来砂上の一代芸術として長く保存されています。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
観音寺といえば「銭形」というほど有名なこの銭形を見ようと、有明浜に
行きました。
はじめ知らずに、銭形の脇に行ってしまい、何も見えず撃沈しました。
そう、下からでは銭形は何なのか全然分からないのです(仁徳天皇陵とかと
一緒)
銭形から少し離れた丘のようなところに銭形展望所というものがあります。
そこから銭形を眺めることになります。
車でさくっと上りましたが、歩くときついかなという感じです。
展望台からの銭形は見事でした。よくぞまあ砂でこんなものを造ったもの
で、恐れ入ってしまいます。
この銭形を見た人は健康で長生きし、お金に不自由しなくなるそうです。
そうあってほしいものですね(^^)
平成18年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/22395156.html
<有明浜の銭形>
住所:香川県観音寺市有明町
駐車場あり(無料)
見学自由
<銭形いわれ>
1633年、時の将軍徳川家光公から讃岐巡見使を派遣するとの知らせを
受けて、丸亀藩主生駒高俊公が領内を巡見の際、地元の古老たちが領主の
歓迎のために一夜のうちに有明浜に銭形を作り上げたと伝えられています。
山頂展望台から眺めると円く見えますが、実際には東西122メートル、
南北90メートルの楕円形となっています。
以来砂上の一代芸術として長く保存されています。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
観音寺といえば「銭形」というほど有名なこの銭形を見ようと、有明浜に
行きました。
はじめ知らずに、銭形の脇に行ってしまい、何も見えず撃沈しました。
そう、下からでは銭形は何なのか全然分からないのです(仁徳天皇陵とかと
一緒)
銭形から少し離れた丘のようなところに銭形展望所というものがあります。
そこから銭形を眺めることになります。
車でさくっと上りましたが、歩くときついかなという感じです。
展望台からの銭形は見事でした。よくぞまあ砂でこんなものを造ったもの
で、恐れ入ってしまいます。
この銭形を見た人は健康で長生きし、お金に不自由しなくなるそうです。
そうあってほしいものですね(^^)
平成18年夏旅
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2006年09月12日
紫雲出山 (香川県三豊市 浦島太郎伝説の地 観光名所)
香川県三豊市の紫雲出山(しうでさん)に行ってきました。
<紫雲出山>
所在地:香川県三豊市詫間町
JR詫間駅から車で35分
駐車場あり(無料)
紫雲出山の標高は352メートル、頂上部に平坦地を持つ台地であることか
ら、メサ状溶岩台地と呼ばれます。
紫雲出山は昭和30年に山頂部から弥生時代の高地性集落が発掘されてから
一躍注目をあびるようになりました。
山頂からは瀬戸内海、四国山地、そして遠く本州をのぞむことが出来る
展望の地です。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三豊市の紫雲出山に行きました。
紫雲出山のある荘内半島は浦島太郎伝説の地と言われているそうで、
この紫雲出山の名前の由来も、浦島太郎が開けた玉手箱から出た紫の
煙が立ち上った事からついたものだと言うことです。
車で走っていると伝説の地「紫雲出山」という看板を発見して、立ち寄って
みた感じです。
駐車場からちょっとした坂道を登ること数分で山頂に着きます。
山頂には昭和30年に発見されたという弥生時代の集落(復元)や展望台
などがあります。
展望台からの景色はとても綺麗で、瀬戸内海を一望出来ます。
夕陽を眺めたら綺麗な場所なんだろうなと思いました。
さと、僕が行ったのは8月12日でしたが、紫陽花がちょうど見頃。
ちょっと遅咲きなのかなと思いました。
また春には桜が綺麗に咲く、桜の名所だそうです。
平成18年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/22395156.html
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<紫雲出山>
所在地:香川県三豊市詫間町
JR詫間駅から車で35分
駐車場あり(無料)
紫雲出山の標高は352メートル、頂上部に平坦地を持つ台地であることか
ら、メサ状溶岩台地と呼ばれます。
紫雲出山は昭和30年に山頂部から弥生時代の高地性集落が発掘されてから
一躍注目をあびるようになりました。
山頂からは瀬戸内海、四国山地、そして遠く本州をのぞむことが出来る
展望の地です。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三豊市の紫雲出山に行きました。
紫雲出山のある荘内半島は浦島太郎伝説の地と言われているそうで、
この紫雲出山の名前の由来も、浦島太郎が開けた玉手箱から出た紫の
煙が立ち上った事からついたものだと言うことです。
車で走っていると伝説の地「紫雲出山」という看板を発見して、立ち寄って
みた感じです。
駐車場からちょっとした坂道を登ること数分で山頂に着きます。
山頂には昭和30年に発見されたという弥生時代の集落(復元)や展望台
などがあります。
展望台からの景色はとても綺麗で、瀬戸内海を一望出来ます。
夕陽を眺めたら綺麗な場所なんだろうなと思いました。
さと、僕が行ったのは8月12日でしたが、紫陽花がちょうど見頃。
ちょっと遅咲きなのかなと思いました。
また春には桜が綺麗に咲く、桜の名所だそうです。
平成18年夏旅
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2006年09月10日
弥谷寺 (香川県三豊市 四国71番札所 観光名所)
香川県三豊市の弥谷寺に行ってきました。
<弥谷寺>
住所:香川県三豊市三野町大見乙70
駐車場あり(無料)
拝観自由
行基の開基と伝えられるお寺で四国71番札所。
標高382メートルの弥谷山にあり、本堂拝観には300段以上の階段
を登る必要があります。
弘法大師が少年時代に修業をした寺であり、また天霧城主香川氏累代の
墓などがあります。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
四国に上陸して最初に行ったのがこの弥谷寺。
知らないお寺だったんですが、看板が出ていたので行ってみました。
駐車場に車を停め本堂に向かいます。
寺の入り口に階段を数百段上る旨の掲示があり、怯むもここまできたら
行くしかないという事で突撃。
いや〜、疲れました。真夏の炎天下の中の階段上りはこたえますね。
その階段を上り終えると戦国武将香川氏累代の墓が並んでいました。
香川氏って信長の野望やってたので名前は知っているんですけど、その程度。どうもこの弥谷寺というのは、香川氏の天霧城があったところ
みたいです。
香川氏の墓からさらに階段を上り、やっと本堂へ。
本堂にはお遍路の方が般若心経を唱えておられました。
僕も後ろから拝んできました。
平成18年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/22395156.html
四国札所巡りの旅
http://rover.seesaa.net/article/23563880.html
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<弥谷寺>
住所:香川県三豊市三野町大見乙70
駐車場あり(無料)
拝観自由
行基の開基と伝えられるお寺で四国71番札所。
標高382メートルの弥谷山にあり、本堂拝観には300段以上の階段
を登る必要があります。
弘法大師が少年時代に修業をした寺であり、また天霧城主香川氏累代の
墓などがあります。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
四国に上陸して最初に行ったのがこの弥谷寺。
知らないお寺だったんですが、看板が出ていたので行ってみました。
駐車場に車を停め本堂に向かいます。
寺の入り口に階段を数百段上る旨の掲示があり、怯むもここまできたら
行くしかないという事で突撃。
いや〜、疲れました。真夏の炎天下の中の階段上りはこたえますね。
その階段を上り終えると戦国武将香川氏累代の墓が並んでいました。
香川氏って信長の野望やってたので名前は知っているんですけど、その程度。どうもこの弥谷寺というのは、香川氏の天霧城があったところ
みたいです。
香川氏の墓からさらに階段を上り、やっと本堂へ。
本堂にはお遍路の方が般若心経を唱えておられました。
僕も後ろから拝んできました。
平成18年夏旅
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四国札所巡りの旅
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2006年09月09日
与島PAからの眺望 (香川県坂出市 展望スポット)
瀬戸中央自動車道のほぼ中間にある与島PAに立ち寄りました。
<与島PAからの眺望>
住所:香川県坂出市与島町
平成18年8月12日、岡山から瀬戸大橋を渡り四国を目指しました。
瀬戸大橋を渡っている最中。
瀬戸大橋の真ん中にパーキングエリアが1ヶ所あります。
それが与島PAです。
ここは瀬戸大橋を眺め、また瀬戸内海の景色を見る良いポイントです。
また、お土産屋さんでは、香川県のみならず四国のお土産をいろいろ購入
する事が出来ます。
夕暮れ時はまた何とも言えず良いところです。
実は与島PAに行ったのは10年ぶり。久しぶりで懐かしかったです。
平成18年夏旅
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<与島PAからの眺望>
住所:香川県坂出市与島町
平成18年8月12日、岡山から瀬戸大橋を渡り四国を目指しました。
瀬戸大橋を渡っている最中。
瀬戸大橋の真ん中にパーキングエリアが1ヶ所あります。
それが与島PAです。
ここは瀬戸大橋を眺め、また瀬戸内海の景色を見る良いポイントです。
また、お土産屋さんでは、香川県のみならず四国のお土産をいろいろ購入
する事が出来ます。
夕暮れ時はまた何とも言えず良いところです。
実は与島PAに行ったのは10年ぶり。久しぶりで懐かしかったです。
平成18年夏旅
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