2023年11月19日

川之江城    (愛媛県四国中央市)

令和5年8月12日、四国中央市にある川之江城に行ってきました。

<川之江城>
川之江城.jpg
住所:愛媛県四国中央市川之江町1087−4
駐車場あり(無料)
入場料:100円

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<川之江城について>
南北朝時代、南朝方の武将であった河野氏の砦のひとつとして、土肥義昌が南朝:
延元2年/北朝:建武4年(1337年)に川之江城を築いた。しかし南朝:興国3年/
北朝:暦応5年・康永元年(1342年)に細川頼春の攻撃を受けて落城、土肥義昌は
討ち死を遂げた。交通の要衝であった川之江城はそれからも攻略対象となり、
南朝 : 正平19年/北朝 : 貞治3年(1364年)と、南朝 : 天授5年/北朝 : 永和5年・康暦元年
(1379年)にも落城の憂き目にあっている。
その後細川野州家の持城になっていたが、細川通薫は独力での川之江の維持が不可能
として、毛利氏の助力を求めて備中国へと去り、この地は河野氏に譲渡された。

河野氏の所領になった川之江城は妻鳥友春が城主となったが、元亀3年(1572年)に
三好氏配下の薦田大和守の攻撃を受けている。
その後、妻鳥友春は金子元宅を通じて土佐の長宗我部氏へ寝返ったため、河野氏配下
の河上安勝の攻撃を受けて落城、河上安勝が城主となる。
しかし、天正10年(1582年)に土佐の長宗我部氏の攻撃を受けて、川之江城は再び
落城、河上安勝も討ち死にした。

長宗我部氏の攻略からわずか数か月後の天正10年(1582年)5月上旬に、豊臣秀吉の
四国平定軍が四国へ侵攻を開始(四国攻め)。
怒涛の勢いで四国各地を席巻する。
川之江城も豊臣軍による攻囲を受けたが、攻囲中の7月25日に長宗我部氏は降伏して、
川之江城は開城となった。
以後の川之江地方は小早川氏、福島氏、池田氏、小川氏と目まぐるしく領主が変わっ
たが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後に伊予国に移封された加藤嘉明が
川之江を領すると、慶長7年(1602年)に城を織豊系城郭へと改築した。
しかし、嘉明が居城を伊予松山城へ移すと川之江城は廃城になった。

一柳直家が寛永13年(1636年)に川之江藩を立藩し、城を再築しようとしたが、寛永19年(1642年)に死去。領地は収公され、以後の川之江は天領になったため再築されることはなかった。
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川之江城に行ってきました。
川之江城は四国の交通の要衝にある城で南北朝時代からのお城です。
現在は昭和になって作られた摸擬天守があり、石垣の一部は加藤嘉明の時代の
構築物だそうです。摸擬天守は、犬山城を模したものだとか。
天守閣も100円で入場出来るので入ってきました。
この川之江城天守、景色が良い。目の前が海です。当時からそうだったのかは不明
ですが、海に面してる様な城なので、水軍との連携とかもあったのかなと。

川之江城2.jpg

川之江城3.jpg

川之江城4.jpg

川之江城6.jpg

川之江城7.jpg

川之江城9.jpg

川之江城8.jpg

非常に良いお城でした。ここまで行く道は狭いので、注意が必要です。

日本の城を巡る
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令和5年夏休み旅
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2023年10月18日

具定展望台   (愛媛県四国中央市)

令和5年8月12日、四国中央市にある具定展望台に行ってきました。

<具定展望台>
具定展望台.jpg
住所:愛媛県四国中央市寒川町 乙254-46
駐車場あり(無料)

四国中央市にある具定展望台に行ってきました。
ここは四国中央市を一望出来る展望台。
ここからの夜景は「日本の夜景100景」「日本夜景遺産」にも選ばれる夜景の
名所です。

この日は夜ではなく昼間の訪問。
昼間も良いですね〜。素晴らしい眺望です。四国中央市は製紙業が盛んですが、
製紙工場の風景がなかなか壮観です。

具定展望台6.jpg
こんな屋根付きの展望スポットです。
現地までの道のりも道路幅員は広く、容易に到着出来ます。

<具定展望台>
具定展望台2.jpg

具定展望台3.jpg

具定展望台4.jpg

具定展望台5.jpg

<動画>


令和5年夏休み旅
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2023年10月17日

土井構跡    (愛媛県西条市)

令和5年8月12日、西条市にある土井構跡に行ってきました。

<土井構跡>
土井構2.jpg
住所:愛媛県西条市中野1743
駐車場無し

<土井構跡について>
土井構3.jpg

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土井構(どいがまえ)跡に行ってきました。

この城館跡は、ここから約1.5キロ先にある高峠城の居館としての役割を果たし
た建造物です。
高峠城には「東之館」と「西之館」という2つの居館が」あったと伝えられていて、
この土井構は「東之館」にあたる建物跡との事です。

居館とはいうものの、周りに堀があり、石垣で囲まれた簡易的な城の役割も果たす
ものです。
現地は結構荒れてる感じです。あまり観光客も来ないんでしょうね。
駐車場もありません。最初どこに車を停めて見学するか悩みました。

ここからちょっと行った場所に伊曽乃神社があったので、伊曽乃神社の駐車場に
車を停め、伊曽乃神社参拝とあわせてこちらも見学しました。

<土井構跡>
土井構.jpg

土井構4.jpg

土井構5.jpg

土井構6.jpg

土井構7.jpg

土井構8.jpg

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令和5年夏休み旅
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2023年10月16日

伊曽乃神社   (愛媛県西条市)

令和5年8月12日、西条市の伊曽乃神社に行ってきました。

<伊曽乃神社>
伊曽乃神社2.jpg
住所:愛媛県西条市中野甲1649
駐車場あり(無料)

<伊曽乃神社について>
伊曽乃神社.jpg

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8月12日早朝に伊曽乃神社を訪問しました。
伊曽乃大社と呼ばれる大きな神社で、奈良時代には伊予国第一の大社として皇室から
の崇敬も厚かった様です。
その関係か、昭和天皇や現上皇ご夫妻、今上天皇陛下も伊曽乃神社を参拝している
との事です。
伊予国一宮では無いんですけど、その風格を感じる大きな神社です。

早朝という事もあり、参拝客はいませんでした。
大きな神社で誰もいない状況でとても閑かな感じで参拝する事が出来ました。

<伊曽乃神社>
伊曽乃神社.jpg

伊曽乃神社3.jpg

伊曽乃神社5.jpg

伊曽乃神社6.jpg

伊曽乃神社4.jpg

伊曽乃神社7.jpg

令和5年夏休み旅
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西条藩陣屋跡    (愛媛県西条市)

令和5年8月12日、西条藩陣屋跡に行ってきました。

<西条藩陣屋跡>
西条藩陣屋跡.jpg
住所:愛媛県西条市明屋敷234
駐車場あり(無料)

<西条藩陣屋について>
西条藩陣屋跡4.jpg

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西条藩陣屋跡に行ってきました。
伊予西条藩は一柳氏が藩主で、2代藩主の一柳直重が西条陣屋を築城しました。
陣屋は政治を行う政庁で、簡易的な城の役割を果たしました。

一柳氏は1665年に改易となり、その後紀州藩初代藩主徳川頼宣の三男の松平頼純
が3万石で入封します。
以後松平家が西条を治めます。松平家は定府大名で参勤交代を行わない為、藩主が
国に入ることは滅多に無かったでそうです。

現在陣屋跡地は西条高校の敷地になっております。
なので、中に入って良いのやら、悩ましく、結局外から見ただけになりました。

<西条藩陣屋跡>
西条藩陣屋跡2.jpg

西条藩陣屋跡5.jpg

西条藩陣屋跡6.jpg

西条藩陣屋跡7.jpg

西条藩陣屋跡3.jpg

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令和5年夏休み旅
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佐田岬       (愛媛県伊方町)

令和5年8月11日、愛媛県伊方町の佐田岬に行ってきました。

<佐田岬>
佐田岬灯台.jpg
住所:愛媛県西宇和郡伊方町正野2935
駐車場あり(無料)

伊方町の佐田岬訪問です。
愛媛県の地図を見るとどうしても気になるのが佐田岬半島。
八幡浜市から西方に細長く延びる半島で、約50キロの長さがあります。

やはり気になるので、初めて四国旅行をしたときに真っ先に訪問しました。
前回の訪問は平成8年11月16日です(写真のタイムスタンプより)
タイムスタンプ見ると早朝に写真を撮ってるので、かすかな記憶では、夜
佐田岬に行ってここの駐車場で車中泊したのではないかと思われます(^^;

その時から何と27年、再び佐田岬に到達しました。
今回の旅の目的地です。

今回は八幡浜で既に16時過ぎてて行くかどうか悩んだんですが、ここまで来て
目的地に行かないというのは無いなと思い、強行しました。
19時近くになりましたが、西日本は日没が遅いので、かろうじて明るい時間に
到着しました。

佐田岬灯台までは駐車場から歩いて時間がかかる為、駐車場から近い水尻展望台
という所から佐田岬灯台を眺めて帰還しました。

佐田岬灯台の建造は1918年(大正8年)です。

<佐田岬>
佐田岬灯台2.jpg

佐田岬灯台3.jpg

<1996年11月16日撮影分>
佐田岬灯台 1996.jpg

佐田岬灯台 199602.jpg

佐田岬灯台 199603.jpg

佐田岬灯台 199604.jpg
1996年撮影分は、カラリオフォト(35万画素)での撮影です。

令和5年夏休み旅
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岬・灯台巡り
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樺崎砲台跡  (愛媛県宇和島市)

令和5年8月11日、宇和島市にある樺崎砲台跡に行ってきました。

<樺崎砲台跡>
樺崎砲台跡.jpg
住所:愛媛県宇和島市住吉町2丁目4−34
駐車場あり(無料)

<樺崎砲台について・クリックすると拡大します>
樺崎砲台跡4.jpg

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樺崎砲台に行ってきました。
ここは幕末1855年に宇和島湾防御の為、宇和島藩が築造した砲台跡です。
幕末の宇和島藩は、幕末の四賢候と呼ばれた伊達宗城が藩主を務め、蒸気船を建造
したりもしており、非常に先進的な藩だったと思われます。

そんな宇和島藩、沿岸防衛にも強い意識を持っていたんでしょうね。
ここを含め数カ所の砲台を築造した様です。

現在、樺崎砲台跡は砲台が綺麗に残っています。
隣にある宇和島市歴史資料館の駐車場に車を停めて見学しました。
歴史資料館にはこの砲台に関する事も展示がありそうですが、時間が無かったので
今回は訪問しませんでした。

<樺崎砲台跡>
樺崎砲台跡2.jpg

樺崎砲台跡3.jpg

樺崎砲台跡5.jpg

令和5年夏休み旅
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2023年10月11日

宇和島城   (愛媛県宇和島市)

令和5年8月11日、宇和島市にある宇和島城に行ってきました。

<宇和島城>
宇和島城.jpg
住所:愛媛県宇和島市丸之内
駐車場あり(無料)
入場料:200円

<宇和島城について>
宇和島城9.jpg

宇和島城9za.jpg

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松山城に続いて現存12天守のひとつ、宇和島城に行ってきました。
愛媛県には現存天守が2つもあるんですね。

宇和島城は前回、平成20年に訪問しており今回で2回目の訪問。
15年振りです。
宇和島城はもともと藤堂高虎によって築城された城があったそうなのですが、
17世紀中頃に宇和島藩2代藩主・伊達宗利によって現在の天守に建て替えられ
ました。

天守に関しては伊達家の時代のものですが、石垣や堀に関しては藤堂高虎築城時の
ものが残っている感じです。
天守はそんな大きくはありません。

宇和島城8.jpg
中は宇和島城の博物館になっています。

宇和島城6.jpg

宇和島城7.jpg

<宇和島城石垣>
宇和島城5.jpg
これらの石垣は藤堂高虎の築城時のもの。

宇和島城4.jpg

宇和島城2.jpg

<井戸跡>
宇和島城3.jpg

日本の城を巡る
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令和5年夏休み旅
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坊ちゃんとマドンナ像    (愛媛県松山市)

令和5年8月11日、松山市で坊ちゃんとマドンナ像を見てきました。

<坊ちゃんとマドンナ像>
ぼっちゃんとマドンナ.jpg
住所:愛媛県松山市大街道3丁目 東雲口駅
駐車場無し

<坊ちゃんとマドンナ像について>
ぼっちゃんとマドンナ2.jpg

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松山と言えば夏目漱石の「坊ちゃん」の舞台。ではあるんですが、僕は実は読んだ
事がありません(^^;)

なもので、時にこの記事にはつっこみ無しです。
松山城ロープウェイの建物の入り口前に像があります。

ぼっちゃんとマドンナ3.jpg

令和5年夏休み旅
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銅像めぐり
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松山城    (愛媛県松山市)

令和5年8月11日、松山市にある松山城に行ってきました。

<松山城>
松山城.jpg
住所:愛媛県松山市丸之内1
駐車場あり(有料)
入場料:520円

<松山城について>
松山城9d.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
松山城に行ってきました。
松山城は関ヶ原の戦い後、初代松山藩主・加藤嘉明によって築城されたお城です。
松山市の中心部・勝山の山頂に築城された平山城。
日本に残る現存天守12城の一つで、日本百名城にも選ばれています。

朝10時過ぎにリフトで松山城に登りました。
結構朝早い時間だったんですが、さすが松山城。観光客であふれてました。

現存天守である大天守他、櫓、石垣などどれを取っても素晴らしい。
良いお城ですね。
松山城、20年以上前に一度行ったことがあったんですが、あまりに時間が開きす
ぎて、すっかり忘れてしまっていましたが、今回改めてその素晴らしさを実感しまし
た。外国人観光客も結構来ておりました。

松山城、一応駐車場あるんですが、そもそも大きくありません。
近隣のコインパーキングを利用する形になります。

<松山城>
松山城3.jpg

松山城4.jpg

松山城5.jpg

松山城6.jpg

松山城9b.jpg

松山城9c.jpg

松山城2.jpg

日本の城を巡る
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令和5年夏休み旅
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加藤嘉明公騎馬像   (愛媛県松山市)

令和5年8月11日、愛媛県松山市で加藤嘉明像を見てきました。

<加藤嘉明公騎馬像>
加藤嘉明像.jpg
住所:愛媛県松山市大街道3丁目8−22
駐車場無し

<加藤嘉明について>
加藤嘉明像3.jpg

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松山城ロープウェイ乗り場の近くにある加藤嘉明騎馬像を見てきました。

加藤嘉明は秀吉子飼いの武将で、賤ヶ岳の戦いで活躍した「賤ヶ岳の七本槍」の
一人。
関ヶ原の戦いでは東軍につき、その功績もあり加増され伊予松山藩初代藩主として
20万石を領しました。
その松山藩・初代藩主として加藤嘉明の騎馬像が松山城下にあるというものです。

<加藤嘉明公騎馬像>
加藤嘉明像4.jpg

加藤嘉明像2.jpg

令和5年夏休み旅
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銅像めぐり
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2020年02月23日

木浦城跡   (愛媛県今治市)

今治市の伯方島にある木浦城跡に行ってきました。

<木浦城跡>
木浦城跡.jpg
住所:愛媛県今治市伯方町木浦甲546
駐車場あり(無料)

標高98mの岩ヶ峰の山頂部に造られた山城で、その築城は古く
平安時代後期に紀氏によるものです。
その後、戦国時代には村上氏の居城として存在しましたが廃城と
なり、現在は城の痕跡は消え模擬天守が建造されて歴史公園に
なっています。
年末という事もあり天守の中にある歴史資料館は閉まっていて
見学出来ず。外観のみ見てきた感じです。

<木浦城からの景色>
木浦城跡4.jpg

木浦城跡5.jpg

<何故かどこでもドア>
木浦城跡2.jpg

木浦城跡3.jpg
なんだか分かりませんが、どこでもドアがありました(笑)

令和元年〜2年・年末年始の旅
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日本の城を巡る
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カレイ山展望台から能島城を眺める   (愛媛県今治市)

カレイ山展望公園に行ってきました。

<カレイ山展望公園>
カレイ山展望台.jpg
住所:愛媛県今治市宮窪
駐車場あり(無料)

標高232m、カレイ山山頂にある展望公園に行ってきました。
しまなみ海道の大島北部にあり、眼下には伯方島や能島城などを見る事が
出来ます。島の南部にある亀老山展望台は多くの観光客で賑わっていました
が、カレイ山には人が全然おらず、閑かな感じです。

しかしながら、カレイ山に着いた時には天気も良くなって
景色という意味で言うと亀老山にもひけをとらない絶景を堪能することが
出来ました。

ここに行ったのはひとつ理由があります。能島城を見る為です。
能島城は小説『村上海賊の娘』の主人公の本拠地でもある城です。
川のように流れる潮流の中に能島城はありました。

カレイ山展望台3.jpg
下にある小さな2つの島が能島城です。

普段は上陸することは出来ず、年に1回くらい上陸ツアーみたいなのがあって
その特だけ行ける様な城です。

とにかく潮の流れが速い!
この潮の流れを知り尽くした海賊がこの瀬戸内の海を跋扈したんだなと思うと
感慨深い物がありました。

<能島城>
能島城1.jpg

能島城2.jpg

<カレイ山展望台>
カレイ山展望台2.jpg

カレイ山展望台5.jpg

カレイ山展望台6.jpg

令和元年〜2年・年末年始の旅
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日本の城を巡る
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2020年02月19日

亀老山展望台    (愛媛県今治市)

今治市にある亀老山展望台に行ってきました。

<亀老山展望台>
亀老山展望台5.jpg
住所:愛媛県今治市吉海町南浦487番地4
駐車場あり(無料)

<亀老山について>
亀老山展望台7.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
しまなみ海道の大島にある展望台です。
この前の記事で書いた糸山公園から見て、海峡の対岸にある展望台になります。

標高約300m。大島随一の展望を誇る展望台です。
眼下には来島海峡大橋を眺め、対岸には今治市街を見る事が出来ます。
この日は青空も出ていたんですが、日が雲に陰ってしまい明るさが足りない感じ
なのが少し残念でした。
しかし、素晴らしい展望。大島に行ったらここは外せない場所だなと思いました。

風はめちゃくちゃ強かったです。

亀老山展望台3.jpg

亀老山展望台4.jpg

亀老山展望台.jpg

亀老山展望台2.jpg

亀老山展望台6.jpg

令和元年〜2年・年末年始の旅
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2020年02月16日

【再】糸山公園      (愛媛県今治市)

今治市にある糸山公園に行ってきました。

<糸山公園>
糸山公園.jpg
住所:愛媛県今治市小浦町2丁目5
駐車場あり(無料)

13年ぶりに糸山公園に行ってきました。
糸山公園は愛媛県の北端、来島大橋を一望する公園です。
平成18年に一度行っていたんですが、久しぶりに訪問してきました。

ここから見下ろす海峡は潮の流れが速く、潮流を見ているだけでも凄いところ
だなと思える場所です。

今回はここから来島を見下ろしてきました。
糸山公園 来島.jpg
こちらが来島。かつて村上海賊の一族である来島氏の拠点があった場所です。

久しぶりに海峡の景色を堪能しました。

糸山公園2.jpg

糸山公園3.jpg

平成18年訪問時の記事
http://rover.seesaa.net/article/23958036.html#more

令和元年〜2年・年末年始の旅
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金子城跡        (愛媛県新居浜市)

新居浜市にある金子城址に行ってきました。

<金子城址>
金子城址.jpg
住所:愛媛県新居浜市西の土居町2丁目9-11
駐車場あり(無料)

<金子城について wikipediaより引用>
桓武平氏村山党の流れをくみ、武蔵国入間郡金子郷を治めていた金子氏の一族・
金子広家が、建長年間(1249年 - 1255年)に所領であった伊予国新居郡に移住し、
その地を金子と名付け、領地を広く見渡せる丘陵地の頂に城を金子城を築いた。

その後戦国時代にかけて勢力を拡大し、新居郡はもとより東隣の宇摩郡の実質的
支配者として、伊予侵攻を謀る土佐国の長宗我部元親と和議を結び領地を安堵され
た。

天正13年(1585年)に羽柴秀吉が四国制覇に乗り出すと(四国征伐)、その命を受
けた毛利氏一族の小早川隆景の大軍により攻め滅ぼされ落城(天正の陣)、300年
以上にわたる歴史を閉じた。

その後は再建されることなく、現在は展望台・東屋・遊具等が整備され滝の宮公園
として市民の憩いの場となっている。昭和後期に市のシンボルとして復元する構想
が立てられたが、実際の金子城と異なり江戸時代の様式の天守を擁するものであっ
たために歴史研究家を中心に批判が相次ぎ難航し、自然消滅的に復元構想はなくな
った。金子城跡は昭和53年4月6日、新居浜市史跡に指定された。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
金子城に行ってきました。現在は滝の宮公園という公園になっている金子城跡。
城跡なんですが、現在城の遺構を見てとれるものは何も残っていませんでした。

城跡に展望台があり、ここから新居浜市街を一望することが出来ます。
天気が良ければとても景色が良いのではないかと思われますが、この日はあいにく
の雨でその景色も楽しめなかったのが残念でした。

金子城址2.jpg

金子城址3.jpg

金子城址4.jpg

令和元年〜2年・年末年始の旅
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マイントピア別子         (愛媛県新居浜市)

愛媛県新居浜市にあるマイントピア別子を観光してきました。

<マイントピア別子>
マイントピア別子.jpg
住所:愛媛県新居浜市立川町707−3
駐車場あり(無料)
入場料:1300円

<別子銅山の歴史>
別子銅山歴史.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
別子銅山観光をしてきました。
20年以上前に、別子銅山記念館には行ったことがあったんですが、ここは初めて。
最近東洋のマチュピチュと呼ばれ脚光を浴びていることもあり、楽しみにしての
訪問です。

が、、、、予想外の展開に。
東洋のマチュピチュと言われるのは東平というエリアなんですが、ここが冬期閉鎖
されているのを知りませんでした。
入口で東平に繋がる県道が閉じられていてびっくり。事前調査があまかったです(>_<)

やむなく引き返し、マイントピア別子のみ観光する事にしました。
別子銅山は1690年に発見され、翌年から1973年(昭和48年)に閉山するま
で銅を産出した日本屈指の銅山でした。そして住友家がその運営にずっと携わって
きた銅山でもあります。

鉱山は広い範囲にあったのですが、端出場地区という地区に別子銅山を観光する
ための施設としてマイントピア別子が1991年に開園されました。
坑道内に別子銅山の歴史や採掘の様子を再現した人形などが展示されています。

マイントピア別子2.jpg
列車に乗って坑道に向かいます。

ここから坑道内です。
マイントピア別子3.jpg

マイントピア別子4.jpg

マイントピア別子5.jpg

マイントピア別子6.jpg

マイントピア別子7.jpg

坑道内を楽しんだあと、帰りは歩きで戻りました。
マイントピア別子 打除鉄橋.jpg
打除鉄橋。明治時代に架けられたものだそうです。

マイントピア別子8.jpg
第四坑道です。地下から掘った銅鉱石を輸送するためのもので、一番最後に造られた
最大の坑道です。

諸々堪能しましたが、やはり東平を見たい!
また夏の時期にでも再訪したいと思いました。

令和元年〜2年・年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/472938573.html

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2020年02月09日

今治城    (愛媛県今治市)

日本100名城、今治城に行ってきました。

<今治城>
今治城.jpg
住所:愛媛県今治市通町3丁目1−3
駐車場あり(有料)

<今治城について>
今治城6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
今治城に行ってきました。ここに来るのは20年ぶりくらいです。超久しぶりに
つきほとんど覚えていない状況です。
1602年、藤堂高虎の築城。築城の名手による城という事で、非常に美しく、
堅固な石垣に囲まれた城です。

堀には海水が引き込まれています。以前行った高松城もそうでした。
海に近い城は海水引き込みの城もありますね。

明治維新後、建物はほとんど取り壊されほぼ残っていません。
現在は復元天守が鎮座しています。この日は年末という事もあり、お休みで中には
入れませんでした。

<今治城>
今治城3.jpg
今治城天守と藤堂高虎像。

今治城 藤堂高虎.jpg
藤堂高虎像。

今治城2.jpg

今治城4.jpg

今治城5.jpg

令和元年〜2年・年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/472938573.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html

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2018年11月04日

下灘駅      (愛媛県伊予市)

伊予市にある下灘駅に行ってきました。

<下灘駅>
下灘駅.jpg
住所:愛媛県伊予市双海町大久保
駐車場あり(無料)

下灘駅は伊予市にある予讃線の駅です。
海に近い駅として有名で、過去3回青春18切符のポスターデザインに採用
されています。

下灘駅 青春18切符.jpg

観光雑誌とかでも紹介されているため、多くの観光客で賑わっていました。
電車の駅ではありますが、車で来る客が多いこともあり、駐車場もちゃんと
整備されています。
この日は天気も良く、海に映える駅を見ることが出来ました(^o^)

下灘駅2.jpg

下灘駅3.jpg

下灘駅6.jpg

下灘駅4.jpg

下灘駅5.jpg

平成30年夏休み旅(後半)
http://rover.seesaa.net/article/461168660.html

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伊達秀宗の墓を参拝@等覚寺     (愛媛県宇和島市)

宇和島の等覚寺で伊達秀宗の墓を参拝しました。

<等覚寺>
等覚寺.jpg
住所:愛媛県宇和島市野川甲1157
駐車場あり(無料)

<等覚寺について>
等覚寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
等覚寺にある伊達秀宗の墓を参拝しました。
伊達秀宗は、伊達政宗の長子。長男ではありますが、側室の猫御前の子だった為、
仙台伊達本家の家督は次男の忠宗が継ぎました。
秀宗は、父政宗とともに大坂冬の陣に参陣し、その功績により宇和島10万石を
与えられました。
1658年に亡くなり、等覚寺に葬られます。等覚寺には他に宇和島伊達家の
歴代の藩主が葬られています。

<伊達秀宗の墓>
等覚寺3.jpg

等覚寺4.jpg

秀宗は長男にもかかわらず、本家の家督を継げず政宗に対し恨みも抱いていた様で、
1620年に起きた宇和島のお家騒動である和霊騒動では、政宗からつけられた
重臣が殺され、秀宗は政宗から勘当されてしまいます。
その後、勘当が解かれたあとは、親子心を開き親密な関係になったという話です。

平成30年夏休み旅(後半)
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著名人の墓
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大河ドラマの舞台
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2008年08月02日

大洲の町並み    (愛媛県大洲市 観光名所)

愛媛県大洲市の町並みを散策してきました。

<大洲の町並み>
大洲の町並み
住所:愛媛県大洲市大洲

大洲は鎌倉時代に城が築かれてから、城下町として栄えた都市です。
今も江戸〜明治の建物が残り、古都の雰囲気を感じる古都が出来る
事から「伊予の小京都」とも呼ばれています。

平成16年に大洲の町並みを散策しました。
商家の町並みや、昭和41年のNHK朝のテレビドラマ「おはなはん」
のロケが行われたことから名付けられた「おはなはん通り」など
非常に見所が多く、非常に良かったです。

<大洲の町並み>
大洲の町並み

大洲の町並み

おはなはん通り
おはなはん通りです。

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html



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2008年07月31日

卯之町の町並み    (愛媛県西予市 観光名所)

愛媛県西予市の卯之町の町並みを散策しました。

<卯之町の町並み>
卯之町
住所:愛媛県西予市宇和町卯之町
駐車場なし

1549年、領主西園寺実充が移転した城下町が起源。
江戸時代〜昭和初期までの建物が残ります。
白壁の町並みは見事です。

僕が卯之町を訪問したのは平成16年。愛媛町並み博の開催中です。
車で走っていると看板が出ていたので立ち寄りました。

国道から一本はいるといきなり白壁の昔ながらの町並みが現れまし
た。非常に良かったです。
卯之町には古い宿があって、若槻礼次郎や浜口雄幸も泊まったと
いう事が書かれていました。

卯之町

卯之町

卯之町

卯之町

卯之町

日本の古い町並み
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八日市・護国の町並み   (愛媛県内子町 観光名所)

愛媛県内子町の八日市・護国の町並みを散策してきました。

<八日市・護国の町並み>
内子の町並み
住所:愛媛県喜多郡内子町内子

内子は江戸時代中期から在郷町として栄えた町である。
八日市・護国の町並みは、かつてこんぴら参詣や四国遍路の旅人
が行き交ったところで、600メートルにわたって昔ながらの
町並みが残っている。
建物の多くは江戸時代末期から明治時代に建てられた物で、白ある
いは黄色味を帯びた漆喰の大壁造りである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
愛媛県内子町の八日市・護国の町並みを散策しました。
行ったのは4年前、愛媛町並み博というイベントの時です。

愛媛には昔ながらの町並みがいろいろ残ります。
そのうちのひとつがここ八日市・護国の町並みをです。
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された町並みは、
清閑で美しい町並みです。
規模も大きく、見応えがありました。内子に行くようでしたら
必ず見るべきスポットかと思います。

内子の町並み

内子の町並み

内子の町並み

内子の町並み

日本の古い町並み
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2006年09月27日

外泊石垣の里   (愛媛県愛南町 古い町並み 観光名所)

愛媛県愛南町にある外泊石垣の里に行ってきました。

外泊石垣集落
石垣集落 外泊
住所:愛媛県愛南町外泊
駐車場なし(ちょっと港に停めて散策出来ます)
見学自由

<外泊 石垣集落について・現地看板より>
愛南町西海地区は宇和海につきだした半島です。
半島北西部に位置する外泊は、狭い山の傾斜にがっしりと石垣に守られ
た家が建ち並び素朴な風景を魅せてくれます。
外泊地区は、隣接する中泊地区の人口が増加した幕末、当時の集落の指導者
でもある当主が分家移住を発案し、次男三男を対象に募集し興したと言われ
る。谷をおさめて川とし、これを基幹に屋敷の造成にとりかかり、全戸が
入居したのは明治12年頃だった。
独特の家並みを形成する周囲に高々と積み巡らされた石垣は、外洋からの
強風や塩害から、家屋を守るため造られたもので、その景観から「石垣の里
として知られています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
外泊の石垣の里に行ってきました。
石垣の里とは言っても、何かテーマパークがある訳ではなく、普通の
民家集落で、今も実際に人が生活をしています。
うえの解説にもありますが、幕末に建設が始まった石垣集落は、山の傾斜に
石垣を組み、そこに家が配置される構造で、見るとまさに要塞というのか
城というのか、圧巻の風景です。
古い町並みをいろいろ見てきましたが、ここ外泊の集落は異種独特の印象
です。宿場町でも商人街でもない、民家集落。しかも家が云々ではなく
石垣がメインですから。
石垣集落には民宿がありました、こういう民宿に泊まってみるのも趣があり
そうですね。

平成18年夏旅
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日本の古い町並み
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外泊石垣の里

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2006年09月25日

紫電改展示館    (愛媛県愛南町 観光名所)

愛媛県愛南町にある紫電改展示館に行ってきました。

<紫電改展示館>
紫電改展示館
住所:愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城5688
駐車場あり
入館:無料

<紫電改とは>
第二次世界大戦において、当時もっとも優れた局地戦闘機「紫電二十一型」
で、その全容は
全長9.34m
高さ3.9m
主翼11.99m
装備重量4.86トン
時速620キロメートル
エンジン2000馬力
20ミリ機銃四門を備え、独特の自動空戦フラップを駆使できる海軍航空の
掉尾をかざる優秀な戦闘機であった。

この紫電改は、昭和20年7月豊後水道上空で交戦したなかの一機である
と言われており、南宇和郡城辺久良の海底41メートルのところに眠って
いたが、昭和53年11月引き上げられ、展示館に展示されている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
紫電改展示館に行ってきました。
「紫電改?」、戦闘機より先にカネボウの育毛剤を思い出したのは僕だけ
でしょうか(^^;
あ、戦闘機ねと思うまでに少し時間がかかりました。
戦争にまつわる場所もいろいろ訪れているだけに、ここも立ち寄ってみま
した。入館料は無料で、中には海底から引き上げられた「紫電改」が
色など塗り直されて展示されていました。
意外に見学客も多く、にぎわっていました。
紫電改に関する解説などがある他、紫電改がらみのお土産も販売していま
した。僕は紫電改太鼓というお菓子を購入してきました。

また紫電改記念館の外から見る景色は非常に綺麗。
海を一望出来て、すごく良いです。
写真は続きをご覧ください。

平成18年夏旅
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紫電会展示館

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2006年09月23日

観自在寺    (愛媛県愛南町 四国40番札所 観光名所)

愛媛県愛南町の四国40番札所、観自在寺に行ってきました。

<観自在寺>
観自在寺 愛媛
住所:愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城2253−1
駐車場あり(無料)
境内自由

<由緒>
807年、弘法大師が人皇五十一代平城天皇の勅願に奉じてこの地を訪れ、本尊薬師如来、脇仏阿弥陀如来、十一面観音の三体の尊像を自作なさり、堂宇に安置し、開基されました。平城天皇の病気平癒のため、般若心経、護摩供の
秘法を修せらる。
後宇和島藩伊達家の祈願所として、法灯を伝え現在に至る。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
愛媛県愛南町の観自在寺に立ち寄りました。
ここは愛媛でも最南部に位置する町です。
国道を走っていると、四国札所「観自在寺」の文字を見て立ち寄りました。
「観自在」という言葉が気になりました。
僕の浅い知識ですが、仏教のお経は普通「我聞如是」、釈迦のお弟子さんが
私はかくの如く聞けり、という伝聞形式でつづられています。
しかし般若心経は違って、「観自在菩薩・・・・」という言葉でスタートし
ます。という事で、「観自在」という言葉を聞くと、ついつい般若心経を
思い浮かべてしまいました。
四国お遍路といえば般若心経ですし、この観自在寺は何か特別なものがある
のかな・・・、なんて思いながら立ち寄りました。

境内には十二支守、本尊八体仏という石仏が並んでまして、これがなかなか
良い感じでした。
本堂は再建ものらしく、比較的新しそうでした。
他に、天皇の松と石碑がある松の木、石の宝塔、観音像などがありました。
境内は庭の手入れもされていて、綺麗なイメージでした。

平成18年夏旅
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四国札所巡りの旅
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観自在寺(四国40番札所)

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観音水   (愛媛県西予市 日本名水百選)

日本名水百選にも選ばれる名水「観音水」です。

<観音水>
日本名水100選 観音水
住所:西予市宇和町明間
駐車場あり(無料)

洞窟の中から湧き出す西予市の名水。
水温は1年を通して14度と冷たい。

日本名水百選巡りをしているので、ここは外せないという事で行ってきました。県道宇和野村線を走り旧宇和町の中心地から数キロ、明間というところ
にこの観音水はあります。
県道から少しそれるのですが、曲がる場所を気づかず通り過ぎ、引き返す
羽目に。
県道を曲がると、「観音水」の旗があり現地まで誘導。

現地は駐車場も完備で、比較的環境は良かったです。

【水くみ場】
観音水 水くみ場
水くみ場はこんな感じ。僕の前に先客あり。
まだ朝早かったので、空いていたと思いますが、これが混んできたら並ぶ
事になるんだろうなと思いました。

【小川】
小川
観音水の脇の川です。
綺麗な流れの水です。清流という感じです。

観音水のところでは流しそうめんが営業中との事でしたが、まだ朝早かった
せいかやってませんでした。

平成18年夏旅
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日本名水巡り
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観音水(日本名水百選)

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2006年09月22日

明石寺   (愛媛県西予市 四国43番札所 観光名所)

平成18年夏旅は4日目(8月13日)に突入。
松山を出て、最初に行ったのが西予市にある明石寺(めいせきじ)です。

明石寺
西予市 明石寺
住所:愛媛県西予市宇和町明石201
駐車場あり(無料)
拝観自由

明石寺について・現地看板より>
本来の名前は「あげいしじ」ですが、現在は「めいせきじ」と呼ばれています。
土地の古老達はこの寺を親しみをこめ「あげいしさん」または「あげしさん」
と呼んでいます。この「あげいし」という名はその昔、若くして美しい女神が
願をかけ、深夜に大石を山に運ぶうち、夜明けに驚き消え去ったという話を
詠った御詠歌「軽くあげ石」からついたと伝えられています。
8月の縁日には西日本各地から多くの人が集まり終日賑わいをみせています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
欽明天皇の勅願により創建されたという古刹に出かけてきました。
最初に目指したのが西予市にある日本名水百選「観音水」だったんですが、
その途中に看板が出ていたので立ち寄りました。
朝8時台という早朝でしたが、すでにお遍路さんも多く来ており、賑やかな
感じでした。
ここは駐車場に車を停めて、本堂まですぐなので、苦もなく参拝できました。
実はここの寺で気になるポスターを発見しました。
詳しくはつづきをどうぞ。

平成18年夏旅
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四国札所巡りの旅
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明石寺

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2006年09月18日

糸山公園   (愛媛県今治市 展望スポット 観光名所)

愛媛県今治市の糸山公園で瀬戸内海を眺めてきました。

糸山公園
糸山公園 今治
住所:愛媛県今治市小浦町2-5-2
駐車場あり(無料)

愛媛県今治市の糸山公園に行ってきました。
どこか海を見る良い場所が無いかなと地図を見ていたところ今治市の先の方
に糸山公園というのがある事を知り立ち寄ってみました。
糸山公園の手前から坂道を上り、急に景色が良くなります。
展望台という標識を見てそちらに向かいました。
駐車場から歩いてすぐの場所に瀬戸内海を眺める展望台がありました。

景色は・・・、素晴らしい!
目の前にはしまなみ街道の来島大橋、そして瀬戸内海の来島海峡が広がり
船が行き来する風景が広がります。
穏やかそうに見える海峡なんですが、鳴門海峡の様に潮流は早いそうです。
夕暮れ間際だったので、日暮れまで待とうかと思ったんですが、今日の宿
が松山市だったので諦めました。
ここの夕暮れは良さそうだなと思いました。
良い場所を見つけたなという感じです(^^)

平成18年夏旅
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国分寺   (愛媛県今治市 四国59番札所 観光名所)

愛媛県今治市にある四国59番札所の国分寺に行ってきました。

国分寺
伊予国分寺
住所:愛媛県今治市国分4-1-33
駐車場あり(有料)

聖武天皇の勅願によって建立された国分寺。
伊予国の国分寺は今治市にあります。
ここ今治市の国分寺は四国霊場59番目の札所にもなっており、お遍路
さんも訪れるお寺です。
現在の本堂から徒歩数分のところに三重塔の礎石が跡地という事で残って
います。

<三重塔跡>
伊予国分寺 三重塔

あまり国分寺として解説があるとか、資料館があるとかそういう感じの
場所ではありません。普通のお寺だなっていう感じでした。
駐車場が有料ってのがちょっと・・・・。

平成18年夏旅
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四国札所巡りの旅
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伊予国分寺跡

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2006年09月17日

前神寺  (愛媛県西条市 四国64番札所 観光名所)

愛媛県西条市の四国64番札所「前神寺」に行ってきました。

前神寺
前神寺
住所:愛媛県西条市洲之内甲1426
駐車場あり(無料)
境内自由

<由緒・現地看板より>
四国霊場64番札所石鉄山金色院前神寺は、桓武天皇の勅願により建立され
、明治初期までは現在の石鎚神社の位置にありましたが、新政府の神仏分離
政策により廃寺になりました。
その後明治11年現在の地にかろうじて「前上寺」の名前で再興が許され、
元の「前神寺」の呼称が許されたのは明治22年でした。
ここは石鉄山東の遙拝所で、石鎚派修験道の本山として全国に30万人を
越す信徒を抱えています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
石鎚神社の次に、すぐ近くにある前神寺に行ってきました。
ここ前神寺は霊峰石鎚山に登る際、まずこの前神寺で身を清めてから
登るというお寺だそうです。
桓武天皇の勅願という事で、歴史的由緒あるお寺ですが、明治の廃仏毀釈
の中で、廃寺になったのが残念です。おそらく今の建物は明治期以降の
ものかと思います。

平成18年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/22395156.html

四国札所巡りの旅
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前神寺

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石鎚神社   (愛媛県西条市 観光名所)

平成18年夏旅3日目(8月12日)、愛媛県に突入。
最初に立ち寄ったのが石鎚神社です。

石鎚神社・口之宮
石鎚神社 口之宮
住所:愛媛県西条市西田甲797
駐車場あり(無料)
境内自由

<石鎚神社について・現地解説>
石鎚神社は関西第一の高峰石鎚山(1982メートル)を神体山として仰ぐ
奥宮頂上社、中宮成就社と土小屋遙拝殿・そしてここ口之宮本社の4社の
総称です。御祭神は、石鎚毘古命をお祀り申し上げ、伊弉諾尊、伊弉冉尊
の第2番目の御子にあたり、所願成就の神様として知られていますが、
ことに家内安全・厄除け開運・病気平癒の神として篤い信仰を受けています。
石鎚山は日本七霊山・日本百名山の一つに数えられ、今から1300年の
昔、役小角によって開山され、弘法大師も修行したと伝えられる修験道の
霊山です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
愛媛県に入ったあたりから天気がいまいち。
石鎚山か面河渓にでも行こうかと思ったんですけど、石鎚山の山頂の方は
雲がかかっていたため断念。
どうしようか悩みながら走っていると石鎚神社の前を通りかかりました。
石鎚山は山が信仰の対象という事で、神社も山の上にあるのかと思って
いたのですが、麓にも石鎚神社がありました。
石鎚神社は複数の宮があり、それらの総称だという事を知りました。
ここ西条市の麓にあるのは口之宮という宮です。

早速参拝してきました。
境内には石鎚の霊峰から湧き出る霊泉やがあり、霊泉も一口。
小高い場所にあるため、瀬戸内海方面を眺めると景色も良好です。
他の3つの宮は後日のお楽しみにしようと思います。

平成18年夏旅
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石鎚神社・口之宮

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