2008年01月03日

豊後高田昭和の町  (豊後高田市 観光名所)

大分県豊後高田市の昭和の町に行ってきました。

<昭和の町>
豊後高田昭和の町
住所:大分県豊後高田市新町


<昭和の町について>
豊後高田市の商店街は江戸時代から明治・大正・昭和30年代にかけ
て国東半島一の賑やかな町として栄えていました。
しかし高度経済成長を境に徐々に元気を失い、現在を迎えています。
豊後高田「昭和の町」は、そんな商店街に再び賑わいと元気をよみ
がえらせようと平成13年9月にはじまったまちづくりです。

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豊後高田で昭和の町という町おこしが始まったという事を雑誌で知
り行ってみました。
昭和13年からはじまったという町おこし、最近の昭和レトロブー
ムにうまく乗ったなという感じがします。

おそらくそれまでは何でも無かったであろう商店街に観光客が大勢
押し寄せていました(僕もその一人ですが)

レトロな看板や、町の雰囲気、とても良いですね(^-^)

写真は続きをご覧ください。

平成19年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/51511781.html

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posted by けんけんけん at 12:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 大分県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

真木大堂    (大分県豊後高田市 観光名所)

大分県豊後高田市の真木大堂に行ってきました。

<真木大堂>
真木大堂
住所:大分県豊後高田市田染真木1796


<由緒>
真木大堂の古は、六郷満山65ヶ寺のうち最大の寺で本山本寺とし
て栄えた。
馬城山伝乗寺といい、奈良時代の養老年間に仁聞菩薩の開基で、飛騨
の匠が建立したと伝えられるが、仏像の作風からみて平安時代の建立
で往時は広大な境内の中に七堂伽藍を備えて隆盛を誇った大寺院であ
った。
当初の伽藍は火災で焼失し、江戸時代に再建された大堂のみが伝え
られる。
現存する九体の仏像(国指定重要文化財)は藤原洋式による優れた
できばえを示し、古来多くの人々の信仰と守護のもとに今日に至って
いる。

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国東の仏様めぐり、最後が真木大堂です。
真木大堂はかつて国東における最大の寺院であったそうです。
現在は大堂という本堂が残るのみです。
真木大堂の中には威厳ある仏像が残っています。あいにく中は写真
撮影不可なので、写真がありません。
真木大堂は建物より仏像こそ見所かと思いますので、是非中に入って
みてください。

平成19年夏旅
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元宮磨崖仏   (大分県豊後高田市 史跡 観光名所)

大分県豊後高田市の元宮磨崖仏です。

<元宮磨崖仏>
元宮磨崖仏
住所:大分県豊後高田市田染元宮
駐車場あり(無料)

元宮磨崖仏は、室町時代の作で国の史跡に指定されています。
富貴寺から真木大堂に向かう途中の県道沿いにありました。
不動明王を中心として、右に矜羯羅童子、毘沙門天、左に持国天、
地蔵菩薩が並びます。

大分には臼杵の石仏をはじめ歴史的な磨崖仏が多いですね!

平成19年夏旅
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元宮磨崖仏
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三の宮の景   (大分県豊後高田市 観光名所)

大分県豊後高田市の三の宮景に行ってきました。

<三の宮の景>
三の宮の景
住所:大分県豊後高田市田染上野
駐車場あり(無料)

富貴寺から真木大堂に向かう途中、「三の宮の景」という標識を発見
して立ち寄ってみました。
三の宮の景は桂川の河岸に連なる奇岩の渓谷です。
巨大な柱の様な岩がとても壮観な景色でした。

三の宮の景

三の宮の景

平成19年夏旅
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三の宮景
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2008年01月02日

富貴寺   (大分県豊後高田市 国宝 観光名所)

大分県豊後高田市の富貴寺に行ってきました。

<富貴寺>
富貴寺
住所:大分県豊後高田市田染蕗2395


<由緒>
718年仁聞が開基したと伝えられています。
富貴寺の阿弥陀堂は平安末期の建築で、九州最古の木造建築物。
国宝指定の建造物で、宇治の平等院鳳凰堂、岩手の中尊寺金色堂と
並ぶ日本三大阿弥陀堂に数えられています。

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国東観光の一番の目的地富貴寺(ふきじ)に行ってきました。
国宝建造物巡りをしている僕にとっては外せない場所です。

日本三大阿弥陀堂に数えられる富貴寺大堂は静寂の中に鎮座する
素晴らしい建物でした。
富貴寺大堂
ここに来る前に行った両子寺の様な大きな寺ではありませんが、この
阿弥陀堂を見るだけでもう満足です。
それだけの価値がありました。

写真などで紹介される富貴寺は紅葉の中の写真も多いです。
出来れば一度紅葉の富貴寺に行ってみたいなと思いました。

平成19年夏旅
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国宝建造物を巡る
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両子寺    (大分県国東市 観光名所)

大分県国東市の両子寺に行ってきました。

<両子寺>
両子寺
住所:大分県国東市安岐町両子1548


<由緒・現地看板より>
足曳山両子寺は718年、仁聞菩薩の開基とされているが創立年代
については明らかでない。
当寺院は神仏混合全国希有の寺で、六郷満山の正宗分中山十ヶ寺の
一つに数えられ、天台宗延暦寺派に属する。
鎌倉時代には、六郷満山の中心的寺院であったが、南北朝時代に入る
と南北争乱にこの一帯も巻き込まれ、混乱状態が続いたようで
ある。
16世紀には、吉弘氏が寺領支配権を握り、両子寺が支配下にあった。
江戸時代になると吉弘氏の滅亡などにより杵築公の崇拝を受け、その
保護のもと、杵築藩の最高祈願所となり、以後六郷満山の惣禄所と
して六郷満山を支配する事になったのである。

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国東半島めぐり、目当ての場所であった両子寺に行ってきました。
国東では両子寺と富貴寺が僕の中ではメジャーなお寺2つという
認識でした。
両子寺訪問して、やはりその認識は間違って無かったなというのが
印象です。古い建造物こそあまり残っていませんが、石像や山門、
そして寺全体のうっそうとした雰囲気が歴史的な雰囲気を感じさせて
くれます。
真夏に行ったので、青々した雰囲気でしたが、木々の感じからして
紅葉の時期が良いんだろうなと思いました。
しばし静寂の中、心穏やかになる事が出来ました!

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2007年11月20日

泉福寺    (大分県国東市 観光名所)

大分県国東市の泉福寺に行ってきました。

<泉福寺>
泉福寺
住所:大分県国東市国東町横手1913
駐車場あり(無料)
拝観自由

<泉福寺について>
1375年、飯塚城主田原氏能の母、無伝尼公の発願により建立。
明治4年までは九州曹洞宗の総本山として栄え、常住の僧侶も500
人を越えていたことが記録されています。

1581年8月、豊後国主大友宗麟の兵火によって諸堂を焼失しまし
たが、幸い仏殿(大雄殿)、開山堂塔の主要な建物は難を逃れ、
その後、1605年中津城主細川忠興によって再建されました。

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国東半島は古刹が目白押しです。
そんな国東の古刹のひとつ泉福寺に行ってきました。
細川忠興ゆかりのお寺という事と、重要文化財の建物があるという
事で楽しみでした。
行ってみてビックリ!

工事中じゃないですか(>_<)
残念でした。重要文化財の大雄殿はあいにく工事中で、囲いがあり
建物を見ることが出来ませんでした。
参拝だけして帰ることに。また次回のお楽しみですね。

<泉福寺>
泉福寺山門

泉福寺仏殿 工事中
大雄殿は工事中でした・・・。

平成19年夏旅
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2007年11月18日

杵築城    (大分県杵築市 観光名所)

大分県杵築市の杵築城に行ってきました。

<杵築城>
杵築城


<杵築城について>
1250年大友親秀の六男親重は豊後の国速見郡武者所として八坂
郷木付荘に封ぜられ、地名の木付を氏とし竹ノ尾の高台に築城した。
木付氏4代頼直のとき城を現在地の城山に移築、1394年竣工。
木付城と名付けた。
1593年、木付氏滅亡後藩主交代相次ぎ、1645年松平英親が
天封されてより明治に至るまで松平氏の治藩下に栄えた。
杵築の地名は1712年徳川6代将軍家宣下賜の朱印状に木付の文字
が杵築と書かれたことによる。

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杵築観光のシメに杵築城に行きました。
杵築城は杵築の街の端、八坂川の河口付近の高台にあるお城です。
天守は昭和45年再建のもので、中は博物館になっています。

もちろん高台という事もあり、天守からの眺めは良好です。
川が天然の堀みたいな形で、堅固な城だな〜ってのが感想です。

<杵築城城門>
城門_杵築

<杵築城からの風景>
杵築城からの風景

杵築城から

平成19年夏旅
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日本の城を巡る
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2007年11月12日

杵築の町並み   (大分県杵築市 古い町並み)

大分県杵築市を散策してきました。

<杵築の町並み>
杵築の町並み


杵築は江戸時代に松平氏3万2千石の城下町として栄えた城下町。
今でも随所に当時を思わせる町並みが残ります。

平成19年8月12日、杵築の町を散策しました。
杵築は坂道に古い町並みが融和して町並みを残しています。
酢屋の坂、勘定場の坂など杵築の町を見る良いスポットが何ヶ所
かあります。

時間にして2時間くらい杵築の街中を歩きました。
屋敷が建ち並ぶとかそういう町並みではないのですが、坂道が非常
に良い感じで、杵築ならではの町並みだな〜と思いました。
夏の炎天下、坂道は少し辛かったですが、町並みの良さに満足!
杵築は良い町ですね(^-^)

平成19年夏旅
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日本の古い町並み
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2007年11月09日

暘谷城    (大分県日出町 城跡)

大分県日出町、暘谷城(日出城)に行ってきました。

<暘谷城>
暘谷城


<暘谷城について>
1601年、日出藩初代藩主木下延俊は、入国後直ちに築城にかかり
翌年8月にはおおかたの普請ができ入城した。
城の縄張りは細川忠興が行い、石垣の構築は家臣で築城の名手、穴生
理右衛門が野面積みで築き、木材は鹿鳴越の大木を用いたと言われる。
暘谷城という名前は三代藩主木下俊長が中国古書『淮南子』より引用
し命名したと言われる。

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日出町の暘谷城に行ってきました。
別府から国東半島に向かう途中、偶然通りかかったお城です。
日出町は、ブランド魚である城下カレイが有名な町です。

その日出町の海を望む場所に暘谷城はありました。
公園の様になっていますが、実際城の石垣の上には小学校があり、
あまり観光チックな場所じゃありませんでした。

城跡は石垣が見事に残ります。あいにく天守等の建造物は残ってい
ません。
城からは綺麗な海を見下ろす事が出来て、この風景は良いなと思い
ました。

暘谷城

暘谷城

平成19年夏旅
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日本の城を巡る
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2007年10月17日

府内城     (大分県大分市 観光名所)

大分県大分市の府内城に行ってきました。

<府内城>
府内城
住所:大分県大分市荷揚町
駐車場なし(近隣のパーキングを利用)

府内城は1597年福原直高により築城が始められ、2年後には一部
が完成しましたが、直高の領地没収により中断。1601年、竹中重利
が築城工事を再開。石垣の築造には熊本藩の加藤清正の援助を受ける
などして1602年四重の天守閣がそびえる城郭が完成しました。

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大分市の府内城を散歩してきました。

泊まったホテルから数キロの場所だったので、ちょっと行ってみようか
な〜って感じでした。
現在は大分城址公園として整備され、とても綺麗です。
ぐるっと1周、まあ10分ほどでしょうかね。
天守閣こそ残っていませんが、加藤清正が関わったという石垣が
見事でした。

府内城

平成19年夏旅
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日本の城を巡る
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府内城跡(大分城址公園)
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