2021年01月16日

東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所変電所跡 (熊本県荒尾市)

荒尾市にある東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所変電所跡を見てきました。

<東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所変電所跡>
荒尾変電所跡.jpg
住所:熊本県荒尾市増永2788−4
駐車場無し

<東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所変電所について>
荒尾変電所跡4.jpg

東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所変電所跡を見てきました。
昭和18年に造られた変電所で、半分自然の洞くつを使って造られた
ものです。
戦後米軍に一時接収されますが、その後荒尾市電の変電所として昭和
39年まで使われました。平成25年に九州財務局から荒尾市が所有権
を取得し、後世に残すため保存しているそうです。
造兵廠というのは軍の兵器製造工場で小銃・弾薬・火砲・軍刀などを
製造したものです。

荒尾造兵廠跡は、建物は廃墟化していますが、建物は残っています。
中は公開されていない様です。フェンス越しに建物を見学しました。
フェンスに説明板があるので、それで建物の事が分かりますが、それ
が無ければただの廃墟って感じです。

荒尾変電所跡3.jpg

荒尾変電所跡2.jpg

駐車場はありません。目の前が公園なので、公園脇に路駐しました。

令和2年夏旅3 九州大旅行
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戦争遺跡・軍事遺跡
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2021年01月11日

立花ァ千代の墓   (熊本県長洲町)

熊本県長洲町にある立花ァ千代の墓を参拝しました。

<立花ァ千代の墓>
立花ァ千代の墓3.jpg
住所:熊本県玉名郡長洲町腹赤746
駐車場無し

<立花ァ千代の墓について>
立花ァ千代の墓2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
熊本県長洲町にある立花ァ千代の墓を参拝しました。
立花ァ千代は大友家家臣・立花道雪の一人娘で、高橋紹運の子である宗茂を婿養子
に迎えます。
ァ千代は男勝りの性格で、宗茂との夫婦関係は良くなかった様です。

関ヶ原の戦い後、宗茂が改易されるとァ千代は肥後国玉名郡腹赤村の市蔵宅に居住。
この地で病にかかり亡くなりました。

その亡くなった地にあるのがこのお墓です。

<立花ァ千代の墓>
立花ァ千代の墓.jpg
お墓の形から、ぼたもちさんと呼ばれています。

駐車場はありません。入口付近にしばし路駐して、急ぎ参拝しました。

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願行寺・龍造寺隆信の首塚   (熊本県玉名市)

熊本県玉名市にある願行寺に行ってきました。

<願行寺>
願行寺.jpg
住所:熊本県玉名市高瀬335
駐車場無し

<願行寺について>
願行寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
願行寺に行ってきました。
玉名高瀬の町並みを散策している途中で立ち寄りました。
どんな由緒ある寺かまったく知らずの訪問です。

願行寺3.jpg

ここでびっくりしたのが、境内に龍造寺隆信の首塚があった事です。

<龍造寺隆信の首塚>
願行寺4龍造寺隆信の首塚.jpg

願行寺4龍造寺隆信の首塚2.jpg

沖田畷の戦いで討ち取られた龍造寺隆信の首は首実検後運ばれていましたが、
この地で急に首が重くなり動かなくなった為、やむなくここに葬ったとの事。
隆信の首が島津領に入るのを嫌がったのではという言い伝えがあるそうです。

意外なところで龍造寺隆信の首塚を発見してびっくり。
という事で参拝してきました。

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玉名の町並み   (熊本県玉名市)

玉名にある昔ながらの町並みを散策してきました。

<玉名の町並み>
玉名の町並み.jpg
住所:熊本県玉名市高瀬
駐車場無し

玉名の町並みを散策しました。
西南戦争・高瀬会戦の古戦場付近は菊池川中流域の交通の拠点で、昔から
港町、商人の町として栄えました。

花道通りという通りがあり、その通り沿いに歴史的建造物が点在しています。
密集度はそんなでもないですが、雰囲気は感じます。
酒屋など現在もその建物を利用して商売が行われているのも良かったです。

玉名の町並み5.jpg

玉名の町並み6.jpg

玉名の町並み4.jpg

玉名の町並み3.jpg

玉名の町並み7.jpg

玉名の町並み2.jpg

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西南戦争・村田三介戦死の地   (熊本県山鹿市)

山鹿市にある村田三介戦死の地碑を見てきました。

<村田三介戦死の地>
村田三介戦死の地.jpg
住所:熊本県山鹿市城
駐車場無し

村田三介は薩摩の人物で、明治政府では陸軍少佐を務めていましたが、
明治6年の政変で西郷に従い下野。
西南戦争の緒戦植木の戦いで乃木希典から軍旗を奪う手柄をあげています。

山鹿方面の戦闘、特に激戦だった岩間間道の戦いで戦死。
その戦死の地に碑が建っていました。

駐車場はありませんが、交通量も少ない場所なので、少し路駐して説明を
見てきました。

村田三介戦死の地2.jpg

村田三介戦死の地3.jpg

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2021年01月10日

西南戦争高瀬会戦・西郷小兵衛戦死の地    (熊本県玉名市)

熊本県玉名市にある西南戦争高瀬会戦の古戦場に行ってきました。

<西南戦争・高瀬会戦>
高瀬会戦5.jpg
住所:熊本県玉名市永徳寺414−24
駐車場無し

玉名市の高瀬会戦古戦場に行ってきました。
この戦いは作家司馬遼太郎が西南戦争の「関ヶ原」と称した戦いで、
この高瀬会戦において敗れた薩軍は北進を進める事が出来ず、以後守勢に
まわる形になったもので、この戦いが西南戦争における転機となった
ものです。

薩軍は山鹿、吉次・伊倉方面等に軍を展開し政府軍を抱囲する作戦をとります。
この戦いは、桐野利秋・篠原国幹・村田新八ら薩軍の主要な司令官が揃い戦った
野戦。薩軍としてはここで勝利をつかみたかったところですが、篠原隊の無断
退却や兵力の不足などにより結局退却する事になります。
戦いの途中、繁根木の堤防の上で指揮をとっていた西郷隆盛の末弟である西郷
小兵衛が討ち死にしています。

大正5年に建築された高瀬川鉄橋のすぐ近くに高瀬会戦の説明がありました。
高瀬会戦4.jpg

高瀬会戦.jpg

高瀬会戦3.jpg

高瀬会戦2.jpg



そこから西に数百メートル行った繁根木川の堤防の脇に西郷小兵衛戦死の碑
が建っています。

<西郷小兵衛戦死の碑>
高瀬会戦 西郷小兵衛2.jpg

高瀬会戦 西郷小兵衛.jpg
ほとんど訪れる人もいないのか、堤防脇の草が覆い茂った中に碑が建ってました。

ちなみに、どちらも駐車場がありません。
近隣のコインパーク等を利用する必要があります。
西郷小兵衛戦死の碑に関しては、徒歩でしか行けません。

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2021年01月06日

西南戦争・熊本協同隊 平川惟一戦死の地  (熊本県山鹿市)

西南戦争・熊本協同隊 平川惟一戦死の地碑を見てきました。

<西南戦争・熊本協同隊 平川惟一戦死の地碑>
西南戦争 平川惟一戦死の地.jpg
住所:熊本県山鹿市鍋田
駐車場無し

平川惟一は、肥後細川藩の藩士の子として生まれました。
明治維新後、陸軍中尉まで昇進しますが、征韓論争に敗れた事により下野。
明治10年、西郷隆盛が蜂起すると熊本協同隊を結成し桐野利秋率いる四番大隊
に合流します。平川は500名ほどいたという熊本協同隊の隊長として指揮を
とりました。

山鹿鍋田口付近で激戦のなか、流れ弾にあたり戦死しました。
その戦死の地に史跡の碑が建立されています。

山鹿の戦いは田原坂に隠れてしまってますが、非常に激戦だった様です。

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豊前街道・山鹿宿   (熊本県山鹿市)

豊前街道山鹿宿を散策してきました。

<豊前街道・山鹿宿>
豊前街道山鹿宿.jpg
住所:熊本県山鹿市山鹿1437−2
駐車場あり(無料)

山鹿宿を散策しました。
山鹿宿は豊前街道の宿場町です。豊前街道は藩政時代熊本の城下町と
豊前小倉を結んだ主要街道です。
熊本の細川忠利公が肥後の国に入る際、肥後国での最初の宿は山鹿宿で
山鹿の湯につかったという事です。

今回、山鹿宿の北側にある観光無料駐車場を利用しました。
そこから街道沿いを南下しながら散策しました。

熊本県には現時点で重要伝統的建造物群保存地区がありません。
ただ、山鹿の町を歩いてみて思いましたが、ここの町並みはとても風情が
あり、江戸時代の街道の面影を良く残していますね。
いずれ重要伝統的建造物群保存地区に指定されてもおかしくない町並みだ
と思いました。

<豊前街道山鹿宿>
豊前街道山鹿宿2.jpg

豊前街道山鹿宿4.jpg

豊前街道山鹿宿3.jpg

豊前街道山鹿宿5.jpg

豊前街道山鹿宿6.jpg

豊前街道山鹿宿7.jpg

豊前街道山鹿宿8.jpg

豊前街道山鹿宿9.jpg

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西南戦争山鹿口古戦場 薩軍本陣跡  (熊本県山鹿市)

山鹿市にあるせ西南戦争山鹿口古戦場 薩軍本陣跡に行ってきました。

<西南戦争山鹿口古戦場 薩軍本陣跡>
西南戦争山鹿口戦い2.jpg
住所:熊本県山鹿市山鹿1554
駐車場無し

<解説>
西南戦争山鹿口戦い.jpg

西南戦争山鹿口古戦場 薩軍本陣跡に行ってきました。
西南戦争において、山鹿口には桐野利秋の薩軍が布陣。この地で激戦が繰り広げ
られました。

現地は山鹿中央病院の敷地になっていて、病院の駐車場の前に説明板がある感じ
でした。

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天草四郎乗船之地   (熊本県苓北町)

天草四郎乗船之地に行ってきました。

<天草四郎乗船之地>
天草四郎乗船之地.jpg
住所:熊本県天草郡苓北町坂瀬川
駐車場あり(無料)

<乗船之地について>
天草四郎乗船之地2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
車でたまたま通りかかって立ち寄った場所です。
天草四郎乗船之地とありました。

島原の乱で一揆軍は天草の富岡城を攻撃。落城寸前まで追い詰めますが城を落とす
ことは出来ず。
そのまま一揆軍は海を渡り島原に向かいます。
その島原へ渡った地がここという事でした。

天草四郎乗船之地3.jpg

天草四郎乗船之地4.jpg

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千人塚    (熊本県苓北町)

苓北町にある千人塚に行ってきました。

<千人塚>
千人塚.jpg
住所:熊本県天草郡苓北町富岡3595
駐車場あり(無料)

<千人塚について>
千人塚3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
千人塚に行ってきました。
ここは島原の乱で討ち取られた一揆軍の1万の首を埋葬した塚のひとつです。
3つの場所に分けて埋葬したそうです。
この碑は天草の代官鈴木重成が、供養の為に建てたものです。

<千人塚>
千人塚2.jpg

島原の乱は3万以上の一揆軍が全滅したという戦。1万の首級を葬ったというのも
まんざらな話ではないんでしょうね。

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2021年01月05日

おっぱい岩   (熊本県苓北町)

苓北町にある「おっぱい岩」を見に行ってきました。

<おっぱい岩>
おっぱい岩.jpg
住所:熊本県天草郡苓北町坂瀬川
駐車場あり(無料)

おっぱい岩を見に行ってきました。
天草にある奇岩です。
何故か鳥居があり、その奥におっぱい岩はありました。

潮の満ち引きがあり、見れない事もある様です。
僕が行った時は潮が引いていて無事見る事が出来ました。

自然の神秘ですね〜、恐れ入りました。
天草行ったら見るべきスポットですね(^^;

おっぱい岩2.jpg

おっぱい岩3.jpg

おっぱい岩4.jpg

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B級観光スポット・珍スポット
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黒石原奉安殿跡   (熊本県合志市)

合志市にある黒石原奉安殿跡に行ってきました。

<黒石原奉安殿跡>
奉安殿跡2.jpg
住所:熊本県合志市豊岡1837
駐車場無し

<黒石原奉安殿について>
奉安殿跡5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
黒石原奉安殿跡に行ってきました。

奉安殿とは、戦前の日本において教育勅語や天皇・皇后のご真影などを掲示した
施設です。歴史は1910年代に設置が進んだという事。
現人神である天皇を崇拝する為の施設と言えます。
戦後、GHQによる神道指令(国家神道を廃止、神祇院を解体し政教分離を実現)
により奉安殿は撤去される事に。
それによって日本各地にあった奉安殿は破壊されますが、この奉安殿の建物は残り
ました。

当然中は何もありません。ただのコンクリートの建造物という感じです。
知らなければ何だろうと思うコンクリート建造物。
それがこういう歴史のあるものと分かれば見る目が変わりますね。
戦前日本にこういう天皇万歳施設があった事を知る人は少ないでしょうね。
当然自分も知りませんでした。

<黒石原奉安殿跡>
奉安殿跡.jpg

奉安殿跡3.jpg

奉安殿跡4.jpg

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2021年01月04日

富岡城   (熊本県苓北町)

熊本県苓北町にある富岡城に行ってきました。

<富岡城>
富岡城2.jpg
住所:熊本県天草郡苓北町富岡2240
駐車場あり(無料)

<富岡城について>
富岡城.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
富岡城に行ってきました。
富岡は天草地方の中心地で、関ヶ原以前は小西行長が領していましたが、関ヶ原で
西軍に付いた小西行長は斬首。
戦後、寺沢広高が入封します。
1602年に富岡城の築城にかかり、1605年に完成しました。

島原の乱では幕府方の拠点として、一揆軍と戦いを繰り広げたお城でもあります。

今回の旅で、予想外に良かった場所というと、ここかなと。
山の上に素晴らしい石垣。下から見た感じも良いし、上からの景色も素晴らしい。
とても見応えのある城でした。
実戦でここを落とすのは結構厳しい城だなと思いました。

<富岡城>
富岡城8.jpg

富岡城3.jpg

富岡城6.jpg

富岡城9.jpg

富岡城4.jpg

富岡城9a.jpg

富岡城5.jpg

<城からの風景>
富岡城7.jpg

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日本の城を巡る
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2020年12月29日

佐川官兵衛終焉の地   (熊本県南阿蘇村)

南阿蘇にある佐川官兵衛終焉の地に行ってきました。

<佐川官兵衛終焉の地>
佐川官兵衛の墓.jpg
住所:熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽5241
駐車場無し

佐川官兵衛は幕末の会津藩家老だった人物。
戊辰戦争では鶴ヶ城籠城戦等で活躍しました。

明治維新後、警視庁に出仕。
西南戦争では豊後口第一号警視隊一番小隊長として従軍し、南阿蘇の地で
討ち死にしました。

そんな官兵衛戦死の地に官兵衛塚という官兵衛を祀った塚があります。

<官兵衛塚>
佐川官兵衛の墓3.jpg

ここ、非常に分かりづらい場所にあります。

佐川官兵衛の墓2.jpg
車で走ってきて、案内等出ていません。僕もちらっと会津藩の旗が見えたので、
ここかなと思って立ち寄ったら碑があったという感じでした。

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2020年12月27日

竹迫城址   (熊本県合志市)

合志市にある竹迫城(合志城)に行ってきました。

<竹迫城址>
合志城址.jpg
住所:熊本県合志市上庄227
駐車場あり(無料)

<竹迫城について>
合志城址6.jpg

合志城址7.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
竹迫城址(たかばじょうし)に行ってきました。
竹迫城は鎌倉時代に築かれた城で、以後300年以上竹迫氏の居城でした。
竹迫氏が戦国時代に大友氏に従って豊後に移り、その後この城には合志高岑が入城
しました。
1585年、島津氏の攻撃により落城しました。

現在竹迫城址公園として整備されています。

確かに綺麗に整備されています。
しかしながら、それが逆に違和感を感じさせる城でした。あまりに綺麗に芝が整備
されていて、まるでゴルフコースみたいな綺麗さ。
歴史マニアはこういうのは望んでないんですけどね〜(^^;

<竹迫城址>
合志城址3.jpg

合志城址2.jpg

合志城址4.jpg

合志城址5.jpg

合志城址8.jpg

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2020年12月05日

佐敷城    (熊本県芦北町)

熊本県芦北町にある佐敷城址に行ってきました。

<佐敷城址>
佐敷城.jpg
住所:熊本県葦北郡芦北町佐敷
駐車場あり(無料)

<佐敷城について>
佐敷城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
佐敷城址に行ってきました。
ここは熊本県と鹿児島県の県境に近い位置にあり、旧国で言うと肥後と薩摩の境に
あたります。
肥後には加藤清正が配置されましたが、これは多分に薩摩の島津氏に対する対策と
考えられます。
島津氏への対策も意味もあり、1588年頃に加藤清正の家臣・加藤重次が入城し
ました。

さすがに国境の山城、残る石垣からとても堅固な山城であることが分かります。
一国一城令は廃城になったとの事ですが、再整備されているのか結構綺麗に石垣が
残っています。ここからは街道を移動する兵の動きも分かりますし、実戦向けの
山城と言えるのではないかと思います。予想以上に良かったです。

<佐敷城址>
佐敷城3.jpg

佐敷城4.jpg

佐敷城5.jpg

佐敷城6.jpg

佐敷城7.jpg

佐敷城8.jpg

佐敷城9.jpg

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2011年05月05日

日輪寺     (熊本県山鹿市)

熊本県山鹿市にある日輪寺に行ってきました。

<日輪寺>
日輪寺.jpg
住所:熊本県山鹿市杉1607
駐車場あり(無料)
拝観:200円

日輪寺は平安時代創建の古刹で、加藤清正や熊本細川家歴代藩主
にあつく庇護され隆盛を誇りました。

日輪寺本堂.jpg

境内には西国33ヶ所石体観音、赤穂浪士遺髪塚、おびんずる様、
などなど見所があります。

<西国33ヶ所石体観音>
日輪寺石体観音三十三基.jpg

<赤穂浪士遺髪塚>
日輪寺 赤穂浪士遺髪塚.jpg

また4月中旬頃から約35000株のつつじが咲き誇ります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
日輪寺に行ってきました。観光ガイドに赤穂浪士ゆかりの寺とあった
ので、どんなゆかりなのかな〜と思っての訪問です。

なんでも吉良邸討ち入り後、浪士は江戸白金の細川藩邸に預けられ、
藩邸では藩主細川綱利公自ら義士を玄関に出迎えて「武士の鑑だ」と
賞賛されたそうです。
接待役の堀内伝右衛門も義士が切腹するまでの50日間日夜その接待
に全力を傾けました。
義士らは遺言により浅野家墓所泉岳寺に葬られましたが、伝右衛門は
せめて遺髪なりともと願い出て許されもらい受け、それを自分の知行地
たる杉村に持ち帰り菩提寺(日輪寺)に遺髪塚を建立したという事です。

そんなかたちで、この日輪寺は赤穂浪士ゆかりの寺という事になっていま
す。境内には赤穂浪士の絵や大石内蔵助の石像などがあります。

日輪寺 赤穂浪士1.jpg

日輪寺 赤穂浪士 大石内蔵助像.jpg

あとひとつ、この寺で気になったのが「おびんずる様」。
やたらとでかいその姿に圧倒されました。

日輪寺 おびんづる様.jpg

全高なんと30メートルです。でかい!
しかも傾いてるところが異様です(^^;

日輪寺 おびんづる様3.jpg
まっすぐ立ってる訳じゃないんですよ、後ろにもたれているような
感じです。

中に入ることが出来、中には小さいサイズのおびんずる様が寝ておられました。

日輪寺 おびんづる様2.jpg
おびんずる様と言えば、撫でるのが基本。
撫でまくって帰ってきました。


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2011年04月26日

小楠公園    (熊本県熊本市)

熊本市にある小楠公園に行ってきました。

<小楠公園>
横井小楠像.jpg
住所:熊本県熊本市沼山津4-11
駐車場あり(無料)

横井小楠は幕末の政治家、思想家、福井藩の招聘により、藩政改革にあたり
ました。幕政改革にも参画、勝海舟や坂本龍馬、吉田松陰にも影響を
与えました。
明治2年天主教を広めようとしていると誤解され暗殺されました。
ここ小楠公園は横井小楠を顕彰するとともに、遺髪が埋葬された横井小楠の
お墓があります。

<横井小楠の墓>
横井小楠の墓.jpg

<横井小楠顕彰碑>
横井小楠顕彰碑.jpg

近くには横井小楠の生家の四時軒があり、この付近は横井小楠ゆかりの
地という感じでした。
横井小楠は幕末の奇才、暗殺されずに明治政府で活躍していればと思う
ところです。

銅像めぐり
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著名人の墓
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2011年04月23日

松合白壁土蔵の町並み   (熊本県宇城市)

熊本県宇城市にある松合白壁土蔵の町並みを散策しました。

<松合白壁土蔵の町並み>
松合白壁土蔵の町.jpg
住所:熊本県宇城市不知火町松合
駐車場あり(無料)

松合は港と醸造で栄えた町です。
深井入り江に臨んだ松合は、古くから宇土南浦の港町として知られ
ていました。気候に恵まれ醸造も盛んに行われ、江戸時代には万屋、
財布屋、阿波屋、新酒屋といった醸造屋が酒を生産していました。
松合は昔から火事が多いところでも知られています。
三方山に囲まれ、人家が密集していることから、火事の度大きな
被害をうけました。その為、代々の惣庄屋は被災住民の救済と
防火対策に心を砕いています。
海岸に居屋敷新地を造って住民を移し、跡地は火除道とし、辻には
井戸を掘って火事に備え、町筋には土蔵・白壁の家を配して防火を
はかるなど当時としては斬新な防災都市造りを行っています。
この町割りと平行して、港を整備しました。この工事が完成する
のは安政2年(1855年)で、以後、松合は肥後随一の漁港として
繁栄します。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
松合の土蔵の町を散策してきました。

熊本には古い町並みはあるのかな〜と思って地図を見ている
と、松合土蔵の町並みという文字を発見。行ってみました。
港町として栄えた町で、防火の観点から土蔵の町が並んでいます。
僕の地元川越も大火を期に蔵の町並みが並んだわけで、同じ様な
歴史の町かなと思いました。

平日だからでしょうか、観光客の姿もなく、ひっそりとしていて、
かえって昔ながらの町並みを楽しむのには良い感じでした。

<松合白壁土蔵の町並み>
松合白壁土蔵の町1.jpg

松合白壁土蔵の町2.jpg

松合白壁土蔵の町3.jpg

松合白壁土蔵の町4.jpg

松合白壁土蔵の町5.jpg

日本の古い町並み
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正勝寺     (熊本県南関町)

熊本県南関町にある正勝寺に行ってきました。

<正勝寺>
正勝寺山門.jpg
住所:熊本県玉名郡南関町大字関町1303
駐車場あり
境内自由

熊本県南関町にある正勝寺(しょうしょうじ)です。
南関御茶屋跡を観光したついでに足をのばしました。
お寺の創建は古く、1506年道栄によって建立されたお寺です。
正勝寺本堂.jpg

ここは西南戦争の史跡で、1877年、征討総督有栖川宮熾仁親王が
大本営を置き、高瀬・山鹿方面への出兵の指揮をとったところです。
お寺の前には有栖川宮熾仁親王に関する碑文が造られています。

正勝寺 有栖川宮.jpg

有栖川宮熾仁親王は和宮の婚約者だった人物として有名ですね。
公家ですから、戦闘の指揮などとれるとも思えず、まあ安全な所で
形ばかりの大将が鎮座という感じでしょうか(^^;

古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html

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2011年04月22日

南関御茶屋跡     (熊本県南関町)

熊本県南関町にある南関御茶屋跡に行ってきました。

<南関御茶屋跡>
南関茶屋跡1.jpg
住所:熊本県南関町関町1141−2
駐車場あり8無料)
料金:200円

南関茶屋は1850年に起工して、1852年頃に完成したもので、藩主
が参勤交代する時や、領内巡視の際に休憩、宿泊していたものです。
古文書によると、それまで御客屋が古く狭い上に間取りが悪く、藩主休泊
の時に混雑するという理由でこの地に立て替えが行われました。
建物は南北に長い造りで、北から御居間、御次の間、三の間と配されており、
屋根には細川家の九曜紋をあしらった鬼瓦や軒瓦が葺かれております。
明治25年に個人の所有となり、民家や料亭として使われました。
昭和3年には北原白秋の歓迎会がこの御茶屋で開催されています。
平成15年に国の史跡に指定されました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
南関町の南関御茶屋跡(なんかんちゃやあと)に行ってきました。
車で走っていたところ、史跡がある事を知り立ち寄りました。
入場料200円払って中に入ると、ボランティアガイドの方が
案内してくれました。
建物は幕末のもので、地元にある同じ時期の建物である川越城
本丸御殿にも通じるものがありました。
質素な様ですが、大名家の建物だけあって、凝った造りである
事は間違いありません。

南関茶屋跡2.jpg

ガイドの方の話では、薩摩から江戸に嫁入りする篤姫もここで
休憩されたという事です。
(大河ドラマでは船で嫁入りしていましたが、陸路が通説だそうです)

南関茶屋跡 篤姫の間.jpg

その篤姫の間で、お茶とお菓子で休憩。お茶は本格的なものを
入れていただきました。200円でこのサービスは良いですね。
優雅な気分にひたって帰ってきました(^-^)

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html


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2011年04月21日

水前寺成趣園    (熊本県熊本市)

熊本県熊本市にある水前寺成趣園に行ってきました。

<水前寺成趣園>
水前寺成趣園.jpg
住所:熊本県熊本市水前寺公園8-1
駐車場なし
開園:7:30〜17:30(閉園18:00)
料金:400円

細川忠利は、肥後入国に従ってきた豊前羅漢寺の僧玄宅のために、
1632年、今の成趣園に水前寺を建立しました。
その後、綱利の時、寺を北隣に写し、玄宅寺と呼び、その跡地に
庭園を築き、お茶屋を設けました。これが今の水前寺成趣園です。
年中絶えることのない清水の庭園は東海道53次をかたどったもの
と言われ、桃山式回遊庭園の代表的なものです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
泊まったホテルが水前寺成趣園の目の前だったので、朝の散歩で
水前寺成趣園に行ってきました。なんと言っても朝7時半から
開いてるのがうれしいですね。
開園と同時に行ったため、客は僕一人。広い庭園を独り占めという
感じでした(^-^)

庭園は東海道53次をかたどったものだそうです。

水前寺成趣園2.jpg

水前寺成趣園3.jpg

水前寺成趣園4.jpg
この山みたいなのは??と思ったら富士山でした。

水前寺成趣園5.jpg
他の庭園にはあまり無いような起伏に富んだ庭園です。

庭園の端には、水前寺を建立した細川忠利公、細川家の祖細川藤孝公
の銅像がありました。

細川忠利・細川藤孝像.jpg

細川藤孝公といえば、古今伝授。
細川藤孝公が、八条宮智仁親王に古今伝授をした古今伝授の間が移築されて
きています。
古今伝授の間.jpg
早朝のため、庭園は開園しているものの、古今伝授の間は開いていなくて
見ることが出来ませんでした。外から写真だけ撮影しました。

庭園内は桜も咲いていました。
桜の写真は続きをご覧ください。

続きを読む
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2011年04月19日

清浦奎吾生誕の地   (熊本県山鹿市)

熊本県山鹿市にある清浦奎吾生誕の地に行ってきました。

<清浦奎吾生誕の地>
清浦奎吾生誕の智.jpg
住所:熊本県山鹿市鹿本町来民1000-2
駐車場あり(無料)
資料館入館:210円(月曜休館)

清浦奎吾は嘉永三年(1850年)月照寺住職大久保了恩の5男と
して生まれる。漢学をはじめ広く学問を修めた清浦伯はわが国の法律
制定に大いに貢献し後に司法、農商務、内務大臣、枢密院議長を経て
大正十三年内閣総理大臣となる。
記念館はその偉業を偲ぶとともに顕彰し、後生に伝えるためのもので
ある。

清浦記念館.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
第23代内閣総理大臣清浦奎吾の生誕の地に行ってきました。
清浦奎吾は、5ヶ月の短命内閣なので、歴史上でもいまいち影が
薄いような気がします。清浦奎吾の人を見る上では、総理として
の実績より、それ以前の閣僚を歴任した実績の方が大きいのでは
ないかと思います。

清浦奎吾像.jpg

寺の住職の子という出自で変わってますが、勉学に励み出生した
という事で、すごいなと思います。

月照寺 清浦奎吾生家.jpg
山県有朋の側近になった事で、出生したのでしょう。

首相退任後は重臣として、昭和天皇を補佐し、最後は東条内閣後の
対応をするところまで政治に関与したそうです。
1942年に92歳で亡くなっています。お墓も生家のお寺の墓地に
ありました。

<清浦奎吾の墓>
kiyourakeigo.jpg

今回は月曜に行ったため、記念館が休館で見ることが出来ませんでした(>_<)

銅像めぐり
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著名人の墓
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鞠智城       (熊本県山鹿市)

熊本県山鹿市にある鞠智城に行ってきました。

<鞠智城>
鞠智城.jpg
住所:熊本県山鹿市菊鹿町米原443-1
駐車場あり(無料)

鞠智城(きくちじょう)は7世紀後半に大和朝廷が築いた
山城です。当時、東アジアの政治的情勢は、非常に緊張して
いました。
日本は友好国であった百済を復興するため援軍を送りました
が、663年の白村江の戦いで唐と新羅の連合軍に敗北しました。
このため、事態は急変し、直接日本が戦いの舞台となる危険が
生じました。
そこで九州には太宰府を守るために大野城(福岡県)、基肄城(佐賀県)、
金田城(長崎県)が造られました。鞠智城はこれたの白に食料や
武器、兵士などを補給する支援基地でした。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鞠智城に行ってきました。
きくちじょうと読みますが菊池市ではなく山鹿市にあります。
実際は広大な敷地だったようで、現在の菊池市にも範囲は広がる
様です。
この城は、南北朝の武将菊池氏の居城である菊池城とは別物です。

大和朝廷時代の城跡なので、今は何も残っていませんでしたが、
平成3年の発掘調査後、建物が何軒か復元されていました。
あとは礎石などです。

鞠智城2.jpg

鞠智城3.jpg

かなりの広大な敷地。すべて歩こうと思えばかなり時間がかかり
そうだったので、一部のみ見てきました。

「鞠智城温故創生之碑」という鞠智城のモニュメントです。
鞠智城4.jpg

日本の城を巡る
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菊池神社    (熊本県菊池市)

熊本県菊池市にある菊池神社に行ってきました。

<菊池神社>
菊池神社.jpg
住所:熊本県菊池市隈府1257
駐車場あり(無料)
境内自由

明治3年4月御鎮座、吉野朝に忠誠を尽くした菊池武時・武重・武光
父子三公を主神に菊池一族の殉国戦没の将士を祀ってあり、歴史館には
歴史を物語る古文書、家憲、千本槍、画像、能衣装、能面など数多く
展示されています。
例年10月13日から15日まで秋期大祭があり、その初日13日には、
御松囃子御能が征西将軍お手植えと伝える将軍木前において奉納され
ます。

菊池神社2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
熊本県菊池市にある菊池神社に行ってきました。
ここは南北朝で活躍した菊池一族を祭神とする神社です。
威厳ある雰囲気の神社で、まずは参拝しました。
境内には菊池武時の銅像があります。

菊池神社 菊池武時.jpg

小さな銅像ですが、騎馬武者姿の菊池武時です。

菊池神社は桜で有名なところ。桜も期待したのですが、まだ少し早かった
様です。平成23年3月28日現在桜はまだ咲き始めという感じでした。

<菊池神社の桜・平成23年3月28日撮影>
菊池神社 桜1.jpg

菊池神社 桜2.jpg

菊池神社 桜3.jpg

菊池神社 桜4.jpg

銅像めぐり
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<桜のある風景>
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小西行長供養碑    (熊本県山鹿市)

熊本県山鹿市にある小西行長供養碑を見てきました。

<小西行長供養碑>
小西行長の供養塔.jpg
住所:熊本県山鹿市鹿本町中富
駐車場なし

小西行長は堺の豪商の子として生まれ、年若くして豊臣秀吉に
仕え、数々の戦功により宇土城24万石の城主となった。
関ヶ原の戦いは敗れて京都六条河原で刑死。
宇土城開城とともに家臣は行長の弟隼人の遺児忠右衛門を
伴い、密かにこの地に隠れ住み姓も小材と改めた。
昭和36年の調査により、碑の下端にクルスの十字が陰刻され、
貴重な隠れキリシタンの遺跡であることが分かり町の文化財と
なった。

碑の全面には「慶長五年 西岳院殿行長即得大居士 十月六日」
と記され、行長の死後直ちに建てられた供養碑である。

小西行長の供養塔2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
たまたま山鹿市内の観光案内板で見つけたのがこの碑です。
小西行長は加藤清正とともに肥後に領地をもらっているので、どこか
にゆかりのものはあるんだろうなとは思っていましたが、偶然
こうやって発見するとうれしいものです。

確かに碑の下には十字のようなものが見えます。キリシタン大名で
あった小西行長の碑なんだなと分かる石碑です。

場所はすごく分かりづらいので、地図をさんしょうください。


著名人の墓
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2011年04月15日

菊池武光像/日本一の騎馬像   (熊本県菊池市)

熊本県菊池市にある菊池武光像を見てきました。

<菊池武光像>
菊池武光像.jpg
住所:熊本県菊池市隈府1273-1
駐車場あり(無料)

菊池氏は藤原氏の出。1070年15代の末裔則隆の時にこの
地を管領し菊池の姓を名乗る。
菊池武光は南北朝の動乱に、南朝の正統を信じ、1359年に後醍醐天皇
の王子懐良親王を奉じ、宮方4万の菊池勢をもって6万の武家方軍勢を
筑後川大原野に撃破、以後菊池の地は十数年余九州の政治文化の中枢となる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平成4年に造られた銅像だそうです。
現地に日本一の騎馬像という看板がありました。確かにでかい!

菊池武光像2.jpg

写真だといまいちよく分からないですけどね、いろいろな武将の像などを
見てきましたが、ここまででかいのは無いかな。
山形の最上義光像も大きいですが、こちらの方がさらにでかそうです。

南北朝の名将の銅像、かなりのインパクトです!

銅像めぐり
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2011年04月13日

拝聖院のヒガンザクラ   (熊本県熊本市)

熊本市にある拝聖院のシダレザクラを見てきました。

<拝聖院のシダレザクラ>
拝聖院のヒガンザクラ1.jpg
住所:熊本県熊本市室園町12-53
駐車場あり

熊本藩5代藩主、細川綱利公お手植えの彼岸桜で、現在の樹齢は
約350年の老木。熊本市指定の保存樹です。
訪問したのは平成23年3月29日9時くらい。日がまだ低かった
せいもあり、暗い写真になってしまいました・・・。
咲き具合は6〜7分くらいでしょうか。小さな花びらですが綺麗
に咲いていました。

拝聖院のヒガンザクラ2.jpg

拝聖院のヒガンザクラ3.jpg

拝聖院のヒガンザクラ5.jpg

桜以外で気になったのが由井正雪の腰掛け岩なる岩。
寺の裏山にありました。

由井正雪腰掛け岩.jpg

由井正雪が島原の乱の首謀者の一人森宗意軒ち天草で会ったと
あり、二十代の頃この知を訪れたらしいとの事。
明治時代の文献にはこの腰掛け岩を描いたものがあり、石工が
これを割ろうとしたところ割れず、石工が怪我をした。これは
由井正雪のたたりであろうと村人が噂したと記されているそうです。

意外なところに由井正雪の伝説があることに驚きました!

<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

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2011年04月02日

轟御殿跡の桜    (熊本県宇土市)

熊本県宇土市の轟御殿跡で桜を見てきました。

<轟御殿跡の桜>
轟御殿跡の桜1.jpg
住所:熊本県宇土市宮庄町
駐車場あり(無料)

宇土細川家第11代藩主細川立則公が1862年にこの地を隠居所
としたため、この一角を轟御殿と呼ばれます。
現地には原泉社、細川家累代の墓等があります。

<細川家累代の墓>
歴代細川家墓地.jpg

平成23年3月29日、轟御殿跡を訪問しました。
桜は5〜6分咲きくらいでしょうか。それでも良い感じでした。
轟御殿跡の桜2.jpg

轟御殿跡の桜3.jpg

桜の中に1本、樹齢200年超と言われる宇土市指定天然記念物のシダレサクラが
あります。こちらは満開でした!

轟御殿跡のシダレサクラ1.jpg

轟御殿跡のシダレサクラ2.jpg

<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

著名人の墓
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2011年03月29日

徳王の桜    (熊本県熊本市)

熊本県熊本市にある徳王の桜を見てきました。

<徳王の桜>
徳王の桜.jpg
住所:熊本県熊本市徳王町
駐車場あり

徳王の桜は熊本市指定の天然記念物の桜です。
この桜は熊本テレビの北側に位置し、幹周り3.2m、
樹高18.5m、根本周囲3.6m、枝張10.7〜12.3m、
とエドヒガンとしては熊本県内で最大級の桜です。
樹齢も500年以上と言われています。
例年見頃は3月下旬。平成23年3月29日現在満開でした(^-^)
やや分かりづらい場所にあるので、地図を参考にしてください。
駐車場は、数台分あります。

徳王の桜2.jpg

クリックすると拡大します。
徳王の桜 大.jpg

<桜のある風景>
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2009年07月04日

五老ヶ滝     (熊本県山都町)

熊本県山都町にある五老ヶ滝に行ってきました。

<五老ヶ滝>
五老ヶ滝.jpg
住所:熊本県上益城郡山都町長原
駐車場あり(無料)

熊本の有名な観光名所通潤橋。そこから歩いてちょっと行った所
にこの五老ヶ滝があります。
落差50メートルの直瀑です。
前日雨が降っていた影響もあり、もの凄い水量。
ゴーーーーーっていう激しい音。
正直ここまですごい状態の滝を見たのは初めてです。
普段はここまで激しい水では無いんでしょうね。

日本の滝百選には選ばれてませんが、選ばれててもおかしくない
素晴らしい滝だと思います。

日本の滝巡り
http://rover.seesaa.net/article/25540563.html


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