2014年12月14日

七ッ島展望所    (宮崎県延岡市)

宮崎県延岡市の七ッ島展望所に行ってきました。

<七ッ島展望所>
七ッ島展望所.jpg
住所:宮崎県延岡市浦城町
駐車場あり(無料)

リアス式海岸の日豊海岸国定公園を一望する展望台です。
延岡側から日豊リアスラインを走って数キロのところにあります。

七ッ島展望所3.jpg

七ッ島展望所2.jpg

七ッ島展望所4.jpg

現地には宮崎県出身の若山牧水の歌碑がありました。
七ッ島展望所 若山牧水歌碑.jpg

「山ねむる 山のふもとに 海ねむる かなしき春の 国を旅ゆく」

若山牧水の様に全国を旅して生きていきたいものです。

平成26年夏旅
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2014年11月08日

吉祥寺 / 西郷隆盛宿陣地    (宮崎県延岡市)

宮崎県延岡市にある吉祥寺に行ってきました。

<吉祥寺>
宮崎 吉祥寺1.jpg
住所:宮崎県延岡市北川町川内名6755
駐車場あり(無料)

<現地解説>
1877年8月11日夜、原時行宅を出た西郷隆盛一行は、五ヶ瀬川を下り
東海に出て、これより北川を遡り、北川町可愛に着く。児玉安治宅で昼食した
後に陸路熊田に向かった。
8月12日夕刻、熊田の役場から更に小川を渡り吉祥寺に入り宿泊する。
住職一山和尚は川坂の佐藤平四郎方からそば粉を取り寄せ、もてなした。
西郷はことのほか喜び何杯もおかわりしたと伝えられる。
この時、官軍は日向の富高にせまっていた。
8月13日には吉祥寺を出て、笹首の小野彦治宅に入り2夜を過ごす。
この際に最重要軍議が開かれ、和田越決戦が決議され、西郷隆盛が陣頭に
立つ決意をした。
8月15日に行われた和田越合戦は薩軍最後の組織的な戦闘であった。
敗れた薩軍は北川町の俵野に逃れ、同16日に党薩諸隊に解散令が出され
ている。18日早朝に可愛嶽を突破した薩軍は鹿児島まで約400キロを
敵中突破してゆくことになる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
西南戦争史跡の吉祥寺に行ってきました。
西南戦争最後の大激戦和田越合戦の直前に西郷隆盛はここ吉祥寺に宿をとった
そうです。

宮崎 吉祥寺2.jpg

当時の建物かどうかは分かりません。寺の前には西郷隆盛宿陣地跡の石碑が建て
られていました。

宮崎 吉祥寺3.jpg

吉祥寺前の風景。
宮崎 吉祥寺4.jpg

平成26年夏旅
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大河ドラマの舞台
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延岡城      (宮崎県延岡市)

宮崎県延岡市にある延岡城に行ってきました。

<延岡城>
延岡城1.jpg
住所:宮崎県延岡市東本小路
駐車場あり

<現地解説>
延岡城は、延岡藩主高橋元種によって1601〜1603年にかけて築かれました。
元種は松尾城を拠点としていましたが、鉄砲の普及による戦法の変化に対応するた
め五ヶ瀬川と大瀬川に囲まれた丘陵に県内最大の近世城郭を築きました。
当時は県城と呼ばれ、二つの河川を外堀とし、城内に内堀が造られました。
城は天守台、本丸、二の丸、三の丸からなる本城(城山公園)と、藩主の居宅である
西の丸(内藤記念館・亀井神社)の二郭で構成され、門・櫓などが整備されました。
なかでも二の丸にそびえる高さ22m、総延長約70メートルの石垣は「千人殺し」
と呼ばれ、本城郭を代表する石垣となっています。
江戸時代、延岡藩は有馬家、三浦家、牧野家などが入封し、幕末は内藤家7万石で
明治維新を迎えました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
延岡城に行ってきました。
かなり大きな城であったことがよく分かる城跡です。
今は櫓などは残っておらず、石垣のみがその偉容を感じる唯一のものです。

特に見るべきものは「千人殺し」という石垣です。
二の丸にある高い石垣(この記事の上の写真)は、石垣の一部を外すと石垣が
崩れ、千人の敵を一気に殺すといわれたものです。

<延岡城跡>
延岡城2.jpg

延岡城3.jpg

本丸跡
延岡城 本丸跡.jpg

延岡城からの景色
延岡城より.jpg

内藤政挙像(最期の延岡藩主)
内藤政学像.jpg

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銅像めぐり
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2014年10月01日

耳川古戦場 / 高城跡     (宮崎県木城町)

宮崎県木城町にある高城跡に行ってきました。

<高城跡>
高城跡.jpg
住所:宮崎県木城町大字高城
駐車場あり(無料)

<現地解説>
高城城跡は、小丸川とその支流である切原川に挟まれ、標高60mを数えます。
この城では1578年、1587年に二度にわたり、大合戦がありました。
その当時、日向で勢力を誇っていた伊東氏が島津氏に負けて大分に逃げ、親類の
大友氏を頼ります。大友氏はこの際、新興勢力の島津氏をつぶそうと、約5万の
大軍でこの城を攻撃しました。しかし、高城城主山田有信は僅かな兵力でよく防ぎ、
とうとう大友軍は大敗しました。

1587年には羽柴秀長の率いる15万の大軍と合戦することになりますが、この時
も山田有信はよく防ぎ、この城は落城しませんでした。
二度の戦いとも落城しなかった難攻不落の城として、名将山田有信の名とともに語り
継がれています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
耳川古戦場、高城跡に行ってきました。
ここは耳川の戦いで、島津軍の山田有信が陣取っていた城です。上の解説にもありますが、
大友の大軍を撃破しています。
その後退却する大友軍は、耳川で追い詰められ大勢が溺死する事から、耳川の戦いと言われて
います。

高城跡は公園となり、再現された模擬櫓の様なものが作られています。

高城跡3.jpg

高城から激戦地方面を見下ろします。

高城跡2.jpg

激戦地は今は一面の田んぼです。田んぼの中に「高城川合戦場跡」の碑がありました。

高城跡4.jpg

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古戦場めぐり
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日本の城を巡る
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2014年09月25日

今山大師     (宮崎県延岡市)

宮崎県延岡市にある今山大師に行ってきました。

<今山大師>
今山大師.jpg
住所:宮崎県延岡市山下町2丁目3998
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
1839年内藤政義の時代、城下の信徒たちが疫病封じに高野山金剛峯寺
から弘法大師座像を勧請し大師庵を建てたのがはじまり。
大師祭りは1889年四国霊場88ヶ所をかたどった石仏像を延岡および
近郷町村の人たちが、わが村の守護神として五穀豊穣、家内安全を祈って
奉納し、春を迎えた喜びにあわせて旧暦の3月21日に参拝したことから
盛んになっていった。さらに1957年信者や近郷近在の有志から浄財が
寄せられ、日本一の「弘法大師銅像」が建立されたことにより、県内一円は
もとより四国九州各地から毎年10万人以上が延岡のお大師さんとして
参拝客で賑わうようになっていった。

今山大師2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
延岡にある今山大師に行ってきました。
延岡駅前に大師様の案内があったので、訪問しました。
本堂裏に大きな弘法大師像がありました。昭和30年代に作られたものだそう
です。確かに大きい、日本一の弘法大師像(高さ17m)だそうです。

愛知県の蒲郡にも大きな弘法大師があったなと思い、今調べてみたところ、
こちらが18.78m。蒲郡の方が大きいのでは??
その辺は謎です。

まあこの今山大師も大きいのは間違いない。
非常にインパクトがある大師様なので、是非延岡に行った際には参拝したいもの
です。

今山大師3.jpg

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2014年09月21日

耳川古戦場 宗麟原供養塔    (宮崎県川南町)

宮崎県川南町にある宗麟原供養塔に行ってきました。

<宗麟原供養塔>
宗麟原供養塔.jpg
住所:宮崎県川南町川南1274
駐車場あり(無料)

<現地解説>
この供養塔は天正6年11月に行われた豊後大友氏と薩摩島津氏との合戦
(通称高城之戦)の戦没者を供養した塔である。合戦の勝利後、島津義久は
戦死者を敵味方の区別無く手厚く弔うよう高城城主山田有信に命じ、さらに
天正12年合戦の七回忌にあたって大施餓鬼を行うよう命じた。
供養塔の完成は銘によると天正13年2月である。

宗麟原供養塔2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
宮崎県河南町にある宗麟原供養塔に行ってきました。
ここは耳川古戦場の一角で、大友軍が陣取った場所です。そこにこの戦い
で亡くなった兵士の供養塔が作られています。

<耳川の戦い布陣図・クリックすると拡大します>
耳川古戦場一覧.jpg

耳川の戦いというと、耳川という川を挟んだ対峙かと思ってしまいますが、
実際は高城という城の攻防戦であり、ここで敗れた大友軍が退却する際、
追い詰められ耳川で大勢の溺死者を出したことから耳川の戦いという話です。

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2014年09月17日

西郷隆盛宿陣跡資料館    (宮崎県延岡市)

宮崎県延岡市にある西郷隆盛宿陣跡資料館に行ってきました。

<西郷隆盛宿陣跡資料館>
西郷隆盛宿陣跡資料館1.jpg
住所:宮崎県延岡市北川町長井6727
駐車場あり
料金:200円

<解説>
南州翁寓居跡(旧児玉熊四郎宅)は西南の役最後となる延岡、和田越の決戦
に敗れた西郷隆盛が明治10年8月15日から17日の夜の可愛嶽突破まで
宿陣したところである。
ここで解散布告を出し、最後の軍議を重ねており重要書類や当時日本で唯一
つしかなかった陸軍大将の軍服も焼いたとされている。
昭和8年12月5日には史跡として県指定を受けている。資料館には当時
西郷隆盛が愛用した硯・船形枕などの遺品の他、種々の戦争資料が展示
されている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
西郷隆盛宿陣跡資料館に行ってきました。
ここに来る前に和田越古戦場に行って、激戦の跡を見てからこちらの訪問です。
和田越で敗れたあと、ここに来て最後の軍議を行ったとの事です。

西郷隆盛宿陣跡資料館2.jpg
軍議の様子が人形を使って再現されています。

西郷隆盛宿陣跡資料館4.jpg
軍服を焼いたという場所。

西郷隆盛宿陣跡資料館5.jpg
西郷さんも使った井戸。

西郷隆盛宿陣跡資料館3.jpg

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和田越古戦場     (宮崎県延岡市)

宮崎県延岡市にある和田越古戦場に行ってきました。

<和田越古戦場>
和田越古戦場1.jpg
住所:宮崎県延岡市無鹿町
駐車場なし(駐車スペースあり)

<現地解説>
明治10年8月15日、朝霧の晴れる頃、一発の砲声を合図の如く戦いが
開始された。薩軍3500は長尾山、小梓山、和田越、無鹿山の陵線に布陣
し、政府軍50000は、稲葉崎・大武方面に布陣した。
この日、西郷隆盛は開戦以来初めて戦場に臨み、和田越山上に立ち樫山にあっ
た山県有朋中将と対峙した。

<布陣図・クリックすると拡大します>
和田越合戦図.jpg

激闘数時間、9時頃が銃砲声最も激しく、12時から薩軍の一部より崩れ
はじめ、午後2時に至って全軍退却し長井方面に敗走した。
この決戦に薩軍は100余名、政府軍は201名の多くの戦死者を出した。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
西南戦争の古戦場である和田越古戦場に行ってきました。
旧国道10号線沿いに石碑があります。
西郷隆盛は戊辰戦争、西南戦争を含めほとんど陣頭指揮はしておらず、この和田越
合戦が唯一の陣頭指揮を行った場所と言われています。
西郷はカリスマ指導者であり、現場の指揮は桐野であったり篠原らの側近が行って
いたわけですが、ここで西郷が陣頭指揮する事によって軍の士気を上げる狙いも
あったのかと思います。
西南の役では田原坂の戦いが有名ですが、和田越も激戦地の一つとして隠れた
歴史スポットかと思います。

西郷隆盛陣頭指揮の地.jpg

和田越古戦場2.jpg

現地の前の道路は広いですが、ここに至るまでに狭い道を通らなくていけないので、
注意が必要です。

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2014年09月03日

母智丘神社     (宮崎県都城市)

宮崎県都城市にある母智丘神社に行ってきました。

<母智丘神社>
母智丘神社.jpg
住所:宮崎県都城市横市町6691
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
大昔のことは明確ではありませんが母智丘神社は徳川時代の中頃まで
稲荷石と洞穴が知られておりその後神社が出来たものであります。
明治3年10月当時上荘内郷におりました地頭三島通庸が母智丘に参詣
し、社殿が荒れ果てているのを見て神社再興をはかったものであり、
明治33年に火災で焼失いたしましたが郡内有志の力で明治36年に
再建されました。
この丘の頂上に散在する巨石群は火山の噴出による赤ボラで地中に埋まって
いたものでありますが、母智丘神社再興工事の時に発掘されました。

母智丘神社2.jpg

母智丘神社3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
都城市にある母智丘神社に行ってきました。
古くからある神社の様ですが、現在の神社は明治時代になって三島通庸によって
再建されたものだそうです。
三島通庸は薩摩藩士で、明治時代の歴史のいろいろな局面で登場する重要人物
です。歴史好きだとこの人の名前はこれでもかというほど見ているので、あの
三島通庸が再建って事で驚きました。
この神社は巨石があり、古代より信仰の対象になっていたようです。

また母智丘神社は標高240mほどの高台にあり、展望台から都城市の景色を
一望する事が出来ます。夜景とかも綺麗かもしれません。

母智丘神社4.jpg

母智丘神社5.jpg

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2014年08月24日

興玉神社     (宮崎県都城市)

宮崎県都城市にある興玉神社に行ってきました。

<興玉神社>
興玉神社3.jpg
住所:宮崎県都城市安久町2955
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
興玉神社は明治6年に「久玉大明神」他近在の数社を「外山権現」の社地に合祀
したもので主祭神は猿田彦神である。
内神殿は本殿壇上に安置された一間厨子で、ほぼ純粋な禅宗様になり柱は円柱で
屋根は入母屋造りの板葺きである。
口伝によればこの内神殿はこの地より東方約1キロの正応寺の本尊である薬師如来
像を安置した薬師堂の厨子とされ、明治初年に村民の手により此処に移されたという。
この建物は1399年に建立された者で有り、宮崎県に現存する最古の建造物で
ある。

興玉神社.jpg

興玉神社2.jpg

平成26年夏旅
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2014年08月20日

関之尾滝     (宮崎県都城市)

宮崎県都城市にある関之尾滝に行ってきました。

<関之尾滝>
関之尾滝3.jpg
住所:宮崎県都城市関之尾町
駐車場あり(無料)

<関之尾滝について>
関之尾滝は約34万円前に加久藤カルデラで起きた巨大噴火の時に噴出した、
加久藤火砕流堆積物にかかっている滝です。高さ18m、幅40mの規模を誇り
1990年には「日本の滝100選」に選ばれています。
滝の右岸には溶結凝灰岩が形成される際に生じた柱状の規則的な割れ目(柱状節理)
を確認できます。

<関之尾滝>
関之尾滝.jpg

関之尾滝2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
宮崎県都城市の関之尾滝を見に行ってきました。
前日台風が来ていたこともあり、水はかなりの量で豪快な滝を見ることが出来ました。
ただ、遊歩道で滝の近くまで行ける様なのですが、この日は増水の為、途中で通行止
めになっていて滝に近づけませんでした。
けっこう離れたところから望遠で写真を撮りました。
かなり離れてはいましたが、豪快さは非常によく分かりました。

<動画もどうぞ>


平成26年夏旅
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日本の滝巡り
http://rover.seesaa.net/article/25540563.html

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祝吉御所跡 / 島津氏発祥の地    (宮崎県都城市)

宮崎県都城市にある祝吉御所跡に行ってきました。

<祝吉御所跡>
祝吉御所跡.jpg
住所:宮崎県都城市郡元町3420
駐車場あり
見学自由

<現地解説>
ここは島津氏の始祖忠久が鎌倉より下向して、御所を構えたところと伝えられる。
当地は古代・中世において「島津」と呼称され、全国有数の荘園として知られる
島津御荘の中心であった。
忠久は1185年8月、源頼朝によって領家の島津御荘下司職、ついで同荘八千町
の惣地頭職、薩摩・大隅・日向三ヵ国の守護に任ぜられるなど、その勢力のほどが
うかがわれる。忠久ははじめ惟宗姓を名乗ったが地名をとって島津と称した。
島津氏は武家の名門で有り、中世より近世まで日本の歴史上に大きな足跡を残した。
その名字がここに由来するのである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
島津氏発祥の地、祝吉御所跡に行ってきました。
島津氏と言うと薩摩というイメージで鹿児島を連想しますが、その発祥は宮崎県
都城市のここ祝吉御所だという事です。
それだけの由緒のある場所ですが、近くに行っても案内も無く、ひっそりと碑だけ
があるという状況でした。
せっかくならもっとアピールすれば良いのにと思いました。

平成26年夏旅
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2007年10月10日

細島灯台     (宮崎県日向市 観光名所)

宮崎県日向市の細島灯台に行ってきました。

<細島灯台>
細島灯台


<細島灯台について>
灯台のある細島は日向市東部にある陸繋島で天然の良港を形成して
おり、古くは宋・明との貿易寄港地として栄えた。
明治末開運の発達に伴い、細島港の整備が進んだので、宮崎県が
灯台を建設、明治43年に点灯した。その後火災に遭い焼失した
ので、同年12月六角レンガ造りに改築された。
昭和15年国に移管され、昭和16年にコンクリート造りに改築さ
れた。
高さ:11.4メートル

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
8月11日、最後の観光がここ細島灯台です。
美々津を出て、日もだいぶ傾いてきました。

宮崎は太平洋側なので、海に沈む夕陽は見れないので、夕方になる
と海はかなり暗くなってしまいます。
僕が細島灯台に着いたときにはもう日がそうとう影ってきてました
が、何とか間に合ったという感じでした。

日向市内から数キロ。細島半島の高台に細島灯台はあります。
灯台には入れませんが、灯台付近からの景色は良好です。
近くに馬が背という絶壁がありますが、今回はそこには行かずに灯台
だけ見てきました。

細島灯台

平成19年夏旅
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2007年10月08日

美々津の町並み   (宮崎県日向市 古い町並み)

宮崎県日向市(旧美々津町)の美々津の町並みを散策してきました。

<美々津の町並み>
美々津の町並み


<解説・現地看板>
美々津は古い歴史を持つ港町で、中世には集落が営まれていたと考え
られており、江戸時代にはいると高鍋藩の商業港として重要視され、
藩主秋月氏もこの港を参勤交代に利用していた。
保存地区に指定された上町・中町・下町は耳川河口に築かれた港の
隣接地にあたり、江戸時代から明治時代の平入り・妻入建物が数多
く残されている。
また港から南に延びる三本の主要路や、それらに直交するツキヌケ
は江戸時代にもうけられたものと伝えられており、旧い敷地割や石畳
などとともに美々津の歴史的景観を構成する重要な要素になっている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
古い町並みマニアとして、美々津は一度見てみたい町でした。
この町並みは国指定の重要伝統的建造物群保存地区に指定されて
いるからです。
国道10号をそれ、すぐにその町並みに到着します。
今までいろいろ古い町並みを見てきました。
宿場町、商家町、門前町、ここは港町という事で、古い町並みと
しては珍しいかなと思いました。

国道10号と日向灘の間の約7へクタールの地域に古い町並みが
残り、時間が止まった様な気分になれます。

観光客らしき人もあまりいなくて、僕くらいしかいないんじゃないか
な〜って感じでした。
もう夕方で史料館に入れなかったのが残念でしたが、良い町並みを
見せてもらったなと思いました(^-^)

平成19年夏旅
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2007年10月07日

日本海軍発祥の地   (宮崎県日向市 観光名所)

宮崎県日向市美々津町にある日本海軍発祥の地に行ってきました。

<日本海軍発祥の地碑>
海軍発祥の地
住所:宮崎県日向市美々津町

宮崎県日向市(旧美々津町)に行きました。
美々津は古い町並みが残る町という事で行ったんですが、その片隅
に「日本海軍発祥の地」なるものを発見しました。
日本海軍発祥?さて、何の事でしょう?
明治以降の近代海軍の事かと思いました。
ところがどっこい、少し違う様でした。

<石碑について・現地看板より>
日本海軍は天皇が統帥された海軍の事でありました。このことから国
が、神武天皇ご親率の水軍がはじめて編成され発信した美々津の地を
「日本海軍発祥の地」と定め、紀元2600年記念事業の一環と
して建立されました。碑文の文字は時の海軍大臣米内光政閣下のもの。
この碑は大東亜戦争の終戦直後進駐米軍によって破壊されましたが、
昭和44年に至り地元有志の強い要望により、防衛庁などの協力を得て
現在の通り復元されています。
日本海軍発祥の地

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
神武天皇の水軍。そりゃーすげー古い話ですな〜、というのが僕の
感想。
海軍っていうより、水軍ですよね。まあそれが日本海軍の発祥って
いうならそうかもしれませんが(^^;

こんな観光スポットがあろうとは、ちょっとびっくりしました(^-^)

平成19年夏旅
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海軍発祥の地

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2007年10月03日

都農神社   (宮崎県都農町 一之宮)

宮崎県都農町、日向国一之宮である都農神社に行ってきました。

<都農神社>
都農神社


<都農神社について>
社伝では、神武天皇が東征に向かう際に自ら祀ったのが創建という。
1871年、宮崎県内の神社では最初に国弊小社に列せられた。戦後は1948年に神社本庁別表神社となった。
日向の国一之宮でもある。

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宮崎市を出て北上。都農町の都農神社に立ち寄りました。
全国の一之宮巡りをしているので、日向の国一之宮の都農神社は
必ず行かねばならない場所でもありました。

国道10号線を走っていると「都農神社」の標識があり、そこを曲がってすぐに都農神社はありました。
大駐車場(無料)もあり車でもOKです。

うっそうとした森と前庭を過ぎるといよいよ神社です。
都農神社 前庭
この前庭みたいな所も良いところでした。

都農神社 本殿
こちら都農神社本殿です。建物が真新しかったです。
式年遷宮みたいな感じで作り替えているんでしょうか??

都農神社庭園
本殿脇庭園です。シダ科の植物があるあたり、南国の庭園という気が
しました。

平成19年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/51511781.html

一之宮を巡る
http://rover.seesaa.net/article/26834634.html

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2007年09月30日

平和台公園   (宮崎県宮崎市 観光名所)

宮崎県宮崎市の平和台公園に行ってきました。

<平和台公園>
平和台公園


宮崎神宮を出て、そこからすぐ近くにある平和台公園に向かいました。
平和台公園は少し高い丘の上にあり、中央にはシンボルの平和の塔が
あり、そのほか埴輪園やアスレチック施設などがある公園です。

僕の目的は、かつてお札のデザインにもなった平和の塔を見ることで
した。
この平和の塔は皇紀2600年(西暦1940年)を記念して造られ
た塔だそうで、塔の表側には「八紘一宇」の文字。裏には皇紀二千六
百年の文字があります。高さは37メートルながら、もっと大きい
様な威圧感がありました。

八紘一宇

現地では中国人と思われる観光客ご一行様。
中国語でガイドさんが説明をされていました。表にある「八紘一宇」
なんて文言をどう説明しているんだろうというのがすごく気になり
ましたが、言葉が分からないので何ともという感じです。
八紘一宇についてwikipedia

平和の塔を見て満足したあと、埴輪園に行きました。
なんでここに埴輪なのかは不明ですが、埴輪がゴロゴロ。

埴輪園

はにわ園

はにわ園を見て平和台公園を立ち去りました。

平成19年夏旅
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宮崎神宮    (宮崎県宮崎市 観光名所)

宮崎県宮崎市にある宮崎神宮に行ってきました。

<宮崎神宮>
宮崎神宮


宮崎神宮は神武天皇の孫が創建したと伝えられる歴史ある神社。
正確な創建年次は不明。御祭神は神武天皇。

古来より神武天皇域は神武天皇廟と称されて歴代領主の崇敬篤く、明治
維新に際し神武天皇の昔に復えるという事で特に注目重視された。
明治18年官幣大社に昇格、社名も宮崎神社から宮崎宮と改称され
大正2年に現在の宮崎神宮となった。

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宮崎市内にある由緒ある神社、宮崎神宮に行ってきました。
神武天皇といえば奈良の橿原神宮などが有名ですが、ここ宮崎神宮
も神武天皇の深いゆかりのある神社だそうです。

うっそうと繁る林の中に、宮崎神宮はあります。
さっそく本殿に参拝。大きな神社に感動しながらの参拝です。
ここが日向の国一之宮なのかな〜、なんて思いましたが、一之宮は
ここでは無かった様です。実はこの後一之宮にも行きましたので、
それは別記事にて。
ここでは神武天皇に参拝して終了です。

平成19年夏旅
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堀切峠    (宮崎県宮崎市 観光名所)

宮崎県宮崎市の堀切峠からの景色です。

<堀切峠>
堀切峠


国道220号線、宮崎市の南端部分に見晴らしの良い峠があります。
それが堀切峠です。
よく宮崎の観光パンフレットなどにも採用される有名な場所です。

堀切峠のすぐ近くに道の駅フェニックスがあり、今回はそこから
の写真を掲載しました。

どうも僕は堀切峠とは相性が良くない様で、前回来たときも今回も
あいにくの曇り。晴れていればこれほど見事な景色も無いんでしょ
うけど、残念です。

ここからは鬼の洗濯岩と呼ばれる隆起海岸の風景と、道の脇に並ぶ
フェニックスの木が見所。すごく南国な雰囲気です。

また道の駅フェニックスは宮崎のお土産も豊富。休憩がてら立ち寄る
と良いかと思います。

平成19年夏旅
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2007年09月26日

飫肥の町並み  (宮崎県日南市)

宮崎県日南市、飫肥の町並みを散策です。

<飫肥の町並み>
飫肥武家屋敷
住所:宮崎県日南市飫肥
駐車場あり(無料)

飫肥城大手門を出て左手の通りには武家屋敷の町並みが残ります。
ここは重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている武家屋敷の
町並みです。

武家屋敷群

写真を見ていただくと分かるかも知れませんが、飫肥城を観光して
いたときは晴れていたんですが、急に雨になりました。
しかもかなり激しい雨です。
そんな雨の中武家屋敷群を散策。正直言いますと、石垣の雰囲気は
良いんですが、公開されている武家屋敷が少ないので、建物の感じ
が分からず、そちらは残念でした。

そんな武家屋敷群の中に小村寿太郎の生家もありました。
小村寿太郎は飫肥の出身。日露戦争の講和条約であるポーツマス条約
の締結に尽力した人物です。
飫肥の出身と言うことは今回初めて知りました。
小村寿太郎 生家
生家の他、記念館もあり、小村寿太郎の功績について知ることが出来
ます。

武家屋敷の外れに振徳堂という1801年に造られた学問所があります。
振徳堂
こちらは立派な建物でした。

武家屋敷から離れたところも古風な雰囲気。
飫肥の町並み

鯉が泳ぐ堀
鯉が泳ぐ堀もあります。

見所満載の飫肥の町並みでした。

平成19年夏旅
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日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html



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2007年09月25日

飫肥城    (宮崎県日南市 観光名所)

宮崎県日南市にある飫肥城跡です。

<飫肥城跡>
飫肥城
住所:宮崎県日南市飫肥10-1
駐車場あり(無料)
入城:600円(共通券)

<飫肥城について>
飫肥城は東西約750メートル、南北約500メートルの地域に
大小13の曲輪と犬馬場などからなる広大な城である。
各曲輪はシラス台地を空堀で区切った壮大な規模で、南九州の中世
城郭において特徴的な形態である。
戦国時代には代々島津氏一族が城主であったが、1587年に飫肥藩
初代伊東祐兵が豊臣秀吉から飫肥を領地として与えられて以来明治ま
で伊東氏の居城となった。

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豫章館に続き、飫肥城に行きました。

島津氏と伊東氏の合戦の舞台でもあった飫肥。
そんな飫肥城を散策です。
立派な石垣は残りますが、それ以外は残っていません。
再建された松尾丸、天守があります。
天守部分は博物館になっており、伊東、島津両氏に関する飫肥城の
歴史などが展示されています。

飫肥城

飫肥城

平成19年夏旅
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飫肥城跡

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2007年09月23日

豫章館    (宮崎県日南市 観光名所)

宮崎県日南市の豫章館(ようしょうかん)に行ってきました。

<豫章館>
豫章館
住所:宮崎県日南市飫肥9-1-1
開館時間:9:30〜16:30
駐車場あり(無料)
(共通券600円:松尾の丸、歴史資料館、豫章館、小村記念館、
旧山本猪平家、商家資料館)

<豫章館について>
豫章館は飫肥藩主伊東祐帰が明治2年に城内から移り住んだ屋敷
で、庭の北隅に大きな楠の木があったことから豫章館と名付けら
れた。
この屋敷は大手門前に位置する飫肥城下ではもっとも格式の高い
武家屋敷である。薬医門と屋根付きの塀に囲まれた6500平米
の屋敷内には主屋、雑舎、蔵、御数寄屋があり、南面に広大な
枯山水の庭園が配されている。
主屋は六部屋をL字型に配し、玄関は千鳥破風の屋根を構え、
表玄関と脇玄関がある。
屋根はもとは茅葺きであったが、昭和初期に瓦葺きになった。
昭和58年に伊東家より日南市に寄付された。

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平成19年8月11日は飫肥の観光からスタート。
その飫肥で最初に行ったのがこの豫章館です。

豫章館で飫肥の観光の共通券(600円)を購入。
これでこの豫章館他、複数の施設に入ることが出来ます。

豫章館は飫肥伊東家の屋敷。
飫肥城の目の前にあります。
典型的な武家屋敷ですが、目を引かれたのは庭園です。
非常に綺麗な庭園。ソテツがあるためか、すごく南国ムードがあり
ます。庭園からの屋敷を写真を撮りましたが、これが良いアングル
でした。

平成19年夏旅
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豫章館

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2007年08月31日

都井岬    (宮崎県串間市 観光名所)

宮崎県串間市の都井岬に行ってきました。

<都井岬>
都井岬
住所:宮崎県串間市大字大納

平成19年8月9日、鹿児島志布志港から宮崎の都井岬に向かいまし
た。都井岬は野生の馬(御崎馬)が有名な岬です。
是非野生の馬が見たいという事で行ってみました。

御崎馬は江戸時代に高鍋藩で軍馬を放牧したものが、一部野生化した
馬たちです。繁殖も自然にまかされているそうです。

カーナビを都井岬にセットして走って行くと、「駒止の門」という
文字が見えました。これは馬が外に出て行かない様にしている門です。
ここで料金(400円)を支払って都井岬へ向かいます。
この400円は御崎馬の保護の為に使われるそうです。

そこから少しは知るといよいよいました御崎馬です!

御崎馬
いや〜驚きです。ここはサファリパークではありません。
こんな光景は凄いなと思いました。
普通に道路脇とかに馬がいるんですよ。

御崎馬

御崎馬
わが愛馬とのツーショットも撮ってみました(^-^)

野生の猿がいっぱいいるってのは見たことがありましたが、馬はさす
がに初めて。驚きました。

猿もいた
馬ばかりに気をとられていたら、ちゃんと猿もいました。

都井岬

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