2014年10月22日

仙巌園     (鹿児島県鹿児島市)

鹿児島市にある仙巌園(磯庭園)に行ってきました。

<仙巌園>
仙巌園1.jpg
住所:鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
入場料:1000円
駐車場あり(有料:300円)

<現地解説>
磯庭園は正式名称を仙巌園といい、1658年島津氏19代島津光久が鎌田
出雲政近の大磯下津浜屋敷を御用地と成し、御仮屋を建てたのが始まりとされ
ています。
島津藩ではすでに18代家久が城山に鶴丸城を建て、島津氏の居城としており、
仙巌園に建てられた御殿は島津家の別邸として代々の藩主に受け継がれました。
江戸時代中期、21代吉貴の代には中国より江南竹が移植され、曲水の庭が
作庭されたと伝わっています。また27代斉興の代には庭地拡張が行われ、
同時に千尋巌、集仙台、筆塚などが造られました。
さらに廃藩置県後には29代の忠義が移り住み、正門が造られほぼ現在の形に
整えられました。
なお、この仙巌園は昭和33年に、名勝として国の文化財に指定されています。

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ここも久しぶりの訪問になった仙巌園です。
島津氏の別邸として整備され、目の前に桜島を眺める美しい庭園です。
数年前の大河ドラマ『篤姫』でも仙巌園が出てきましたね。

いわゆる日本庭園という感じではなく、芝生が美しい独特の雰囲気の庭園です。
鹿児島市を代表する観光地のひとつで、ここを運営しているのは株式会社島津興業
という会社。島津興業は島津家の方が運営している会社です。

<仙巌園>
仙巌園2.jpg

仙巌園3.jpg

仙巌園4.jpg

仙巌園5.jpg

仙巌園 桜島.jpg

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2014年10月05日

薩摩義士の碑    (鹿児島県鹿児島市)

鹿児島市にある薩摩義士の碑を見に行ってきました。

<薩摩義士の碑>
薩摩義士の碑.jpg
住所:鹿児島県鹿児島市城山町
駐車場なし

<現地解説>
岐阜県に木曽川治水工事の犠牲者を祀る神社があります。
治水神社といい、今も1755年の薩摩藩による工事に感謝する人々の参拝が
たえません。愛知、岐阜、三重の3県にまたがる濃尾平野は、今でこそ豊かな土地
に生まれ変わりましたが、昔は川床の高さが異なる木曽川、長良川、揖斐川の
3河川が合流し、度々大水害を引き起こしました。
1753年、幕府は薩摩藩にこの治水工事を命じ、藩はさっそく家老の平田靱負を総奉行
に任じ、約1000名を派遣しました。
平田は大坂の商人から22万両を借り工事に取りかかりましたが、梅雨の増水でせっか
く築いた堤が切れ、工事は困難を極めました。
さらに監督する幕府の役人の横暴や疫病の発生により、自刃、病死する者が続出。
完成までの1年3ヶ月の間に犠牲者は84名を数え、工費も40万両に達していた
のです。
平田総奉行はその責めを一身におい自刃。藩政時代は幕府への遠慮から彼らの偉業
は公表されず1920年ようやく慰霊碑が建ち、義士としてたたえられました。

薩摩義士の碑2.jpg

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江戸時代中期に木曽、長良、揖斐の3河川に関する治水工事を薩摩藩が行った事は
以前三重県のどこかの博物館に行ったときに見て知っておりました。
そして、大勢の犠牲者を出したことも、そこで知りました。

鹿児島では幕府に配慮し、平田靱負の件は公表されず、大正時代になってやっと
慰霊碑が作られた事は今回初めて知りました。
鹿児島市の鶴丸城の脇に薩摩義士の碑として祀られています。

また平田靱負の墓は京都市内の大黒寺に寺田屋事件の犠牲者の墓と並ぶように
あります。

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2014年09月10日

桐野利秋生誕の地    (鹿児島県鹿児島市)

鹿児島市にある桐野利秋生誕の地に行ってきました。

<桐野利秋生誕の地>
桐野利秋生誕の地.jpg
住所:鹿児島県鹿児島市吉野町
駐車場なし

<現地解説>
西郷を神のように敬い、父のように慕い、運命を共にした桐野利秋
(中村半次郎)は1838年12月2日貧しい下級武士の家に生まれました。
立木打ちで庭木全てを枯らすほど武芸の練習に励み、幕末動乱の京都では、
勤王の志士として活躍。
薩摩藩邸に兵学師範として招かれていた赤松小三郎をスパイとして暗殺する
など「人斬り半次郎」の名で恐れられました。
会津鶴ヶ城の受け取りという大役を見事果たしてからは西郷の右腕として認め
られるに至り、ぼっけもん(大胆者)桐野の名は戊辰戦争でとどろきました。
遣韓使節をめぐる政争では西郷に従い陸軍少将の地位をなげうって帰郷、
西南戦争の実質的な指揮官として1877年岩崎谷で西郷とともに38歳の
生涯を終えました。
西南戦争は一名「桐野のいくさ」と呼ばれています。
岩崎谷で西郷を介錯した別府晋介は桐野利秋の従兄弟にあたります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
人斬り半次郎として知られる桐野利秋(中村半次郎)生誕の地に行ってきました。

鹿児島城下から北に数キロ行ったところ、おそらく江戸時代には農村であった
ところに桐野利秋生誕の地はありました。

桐野利秋生誕の地.jpg

生誕之家などは残っていません。小さな公園になっており、桐野利秋生誕の地
という石碑が建てられています。

桐野利秋生誕の地3.jpg

桐野利秋生誕の地2.jpg

数年前に映画『半次郎』が放映されたり、最近桐野利秋に注目するものが多く
なってきている様な気がします。
純粋に西郷を追いかけた桐野は子供のように純粋な心の持ち主だったのですかね。

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福昌寺跡 / 島津家墓所    (鹿児島県鹿児島市)

鹿児島市にある福昌寺跡に行ってきました。

<福昌寺跡>
福昌寺1.jpg
住所:鹿児島県鹿児島市池之上町48
駐車場なし
見学自由
福昌寺は1394年、島津一族の石屋真梁禅師を開山に島津家7代元久が建てて
島津藩主の菩提所となった寺院です。曹洞宗の流れをくみ、南九州一円の僧侶
を支配する僧録所、さらには勅願所として、その末寺は九州はもとより中国・四国
にまで広がったと言われています。
1869年の廃仏毀釈で廃寺となり、跡地は玉龍高校となりました。
今は島津家の6代〜28代のお墓が残ります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鹿児島市にある福昌寺跡に行ってきました。
ここは島津家歴代のお墓が残っています。

<クリックすると拡大します>
福昌寺.jpg

不思議だなと思うのは、廃仏毀釈とはいえ、島津家累代のお墓があるような
お寺が墓だけ残して無くなってしまったのかという事です。
お墓だけは綺麗に残り、今も管理が行き届いています。見学は自由に出来ます。

<島津斉彬の墓>
福昌寺 島津斉彬の墓.jpg

<島津久光の墓>
福昌寺 島津久光の墓.jpg
歴代藩主の墓より、藩主ではない島津久光の墓が一番立派なのも不思議な
ところです。

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今泉島津邸跡    (鹿児島県指宿市)

鹿児島県指宿市にある今泉島津邸跡に行ってきました。

<今和泉島津邸跡>
今泉島津邸跡.jpg
住所:鹿児島県指宿市岩本2739
駐車場なし

<現地解説>
今泉小学校は今泉島津家の屋敷があったところです。
今和泉島津家とは1744年に第5代薩摩藩主島津継豊が弟の忠郷に
ながく途絶えていた今泉家を再興させた家のことです。その領地は今泉郷
と呼ばれ、現在の岩本・小牧・新西形の一部・池田・仙田からなり、1万
5000石の石高がありました。
今和泉島津家は、重富家、加治木家、垂水家とともに「一門家」と呼ばれる
藩最高の家柄でした。一門家は藩主の代役を務めたり、参勤交代から帰る
藩主を国境まで迎えに行くなど様々な役割を担っていました。
また藩主に同行して将軍に謁見する事が出来るのもこの一門家だけでした。
今泉島津家第5代忠剛の娘於一は1853年に島津斉彬の養女になり、名を
篤姫に改めました。そして、1856年13代将軍徳川家定に嫁ぎ、家定
が亡くなった後は、天璋院と名乗り幕末から明治の動乱の時期に徳川家の
存続に尽力しました。
現在当時をしのばせるものとして、手水鉢や井戸、隼人松原や領主仮屋敷跡
の石垣が残っています。

今泉島津邸跡4.jpg

今泉島津邸跡3.jpg

今泉島津邸跡2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鹿児島県指宿市にある今泉島津邸跡に行ってきました。
現在は指宿市立今泉小学校になっています。
よって当時のものはあまり残ってませんが、小学校の中に井戸があったり、その前
に広がる隼人松原などが昔を感じさせるものとして残っています。

大河ドラマ『篤姫』の放映時に作られたと思われる、篤姫の像が松原の前の海岸
にあります。

今泉島津邸跡 篤姫像.jpg
篤姫の幼少時「於一」と呼ばれていた頃の銅像です。

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2014年09月07日

今和泉島津家墓地     (鹿児島県指宿市)

鹿児島県指宿市にある今和泉島津家墓地に行ってきました。

<今泉島津家墓地>
今泉島津家墓地.jpg
住所:鹿児島県指宿市岩本3033
駐車場なし

<現地解説>
この墓地には今和泉島津家初代から6代までの代々の当主や、その家族を
あわせて13人の墓があります。天璋院篤姫の父である島津忠剛や兄の
島津忠冬もこの墓地に葬られました。

今和泉島津家は、藩最高の家柄であり、薩摩藩主である島津家を支える家
として江戸時代に重要な役割を果たしました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
指宿にある今泉島津家墓地に行ってきました。
この指宿界隈は、島津家の分家である今泉島津家が治めていた地です。
幕末、今泉島津家島津忠剛の娘お一は、島津斉彬の養女、また近衛忠煕の養女と
なり、13代将軍徳川家定の正室となります。

その篤姫の父、島津忠剛のお墓はこちらにあります。

<島津忠剛の墓>
今泉島津家墓地 島津忠剛の墓.jpg

<島津忠冬の墓>
今泉島津家墓地 島津忠冬の墓.jpg
篤姫の兄、忠剛の次の今泉当主忠冬の墓です。

<今泉島津家墓所>
今泉島津家墓地2.jpg

今泉島津家墓所には駐車場がありません。墓所の手前の少し広めのスペースがある
路上に車を停めて急いで参拝してきました。
墓所の前の道は狭いですが、一応先に抜けて行くことが出来ます。
墓所の先には車を停めるようなスペースはありません。
車で行く場合は注意が必要です。

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霧島神宮      (鹿児島県霧島市)

鹿児島県霧島市にある霧島神宮に行ってきました。

<霧島神宮>
霧島神宮.jpg
住所:鹿児島県霧島市霧島田口2608−5
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
当神宮は天祖天照大神の御神勅をかしこみ戴きて三種の神器を捧持し、高千穂峰に
天降りまして皇基を建てたもうた天孫ニニギノミコトをお祀りしている社です。
旧記によると欽明天皇の西暦540年、はじめ高千穂峯のほど近く脊門丘に
社殿が建立されたが、その後度々噴火炎上し、幾星霜を経て今から500年
前現在の社地へ御鎮座になりました。
今の御社殿は島津吉貴公が1715年に造営寄進されたもので、絢爛たる朱塗
りの本殿、拝殿、勅使殿等その配置はまさに輪奐の美をなし、西の日光とも
称される。
明治7年に「霧島神宮」と社号を改定、官幣大社。

霧島神宮2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天逆鉾でも有名な霧島神宮を参拝してきました。
有名な神社ですが、今回が初訪問です。
当然ながら規模も大きく、観光で来ている方も多数。
社殿は江戸時代に島津家のご当主より寄進されたものだそうです。

霧島神宮というと、坂本龍馬が新婚旅行で来たことも知られています。
高千穂に登り天逆鉾を抜いたという話。
霧島神宮にはそれにちなんで、龍馬の記念撮影スポットも。

霧島神宮 龍馬新婚.jpg
ううむ、あまり似てませんな(笑)

こちらはご神木の大杉です。

霧島神宮 大杉.jpg
樹齢は約800年だそうです。

霧島神宮 神聖降臨の碑.jpg
徳富蘇峰による「神聖降臨」の碑です。

今回霧島神宮でしっかり参拝してきました。
良いことあれば良いんですが。

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2014年09月03日

南州墓地     (鹿児島県鹿児島市)

鹿児島県鹿児島市にある南州墓地に行ってきました。

<南州墓地>
南州墓地.jpg
住所:鹿児島県鹿児島市上竜尾町2-1
駐車場あり(無料)

<現地解説>
「審議を貫いた巨星と群れ星ここに眠る」
1877年9月24日、城山で西郷隆盛が自刃して、ついに7ヶ月にわたった
西南戦争が終了しました。熊本城の攻防、田原坂の激戦に敗れた薩軍は、多く
の死傷者を出しながらも九州を南下して、故郷の城山を最期の決戦の場に選んだ
のです。
南州墓地には西南戦争に敗れた薩軍2023名もの将兵が眠っています。
1877年岩崎谷で戦死した西郷以下40名を仮埋葬したこの地にその2年後、
市内各所に埋葬されていた遺骨を移し、さらに6年後には宮崎・熊本・大分
の各県からも集められました。

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西郷隆盛が埋葬されている南州墓地に行ってきました。
墓地は南州公園という公園墓地になっており、西郷隆盛に関する資料を集めた
資料館もあります。時間が早かったので、今回は資料館には寄りませんでした。

歴史好きには外すことの出来ない場所です。
中心に西郷隆盛の墓。その並びに西郷の側近達が眠っています。

<西郷隆盛の墓>
南州墓地 西郷隆盛の墓.jpg

<篠原国幹の墓>
南州墓地 篠原国幹の墓.jpg
知略家で、桐野と並ぶ猛将。明治5年陸軍少将、近衛兵司令官。
西南の役では薩軍一番大隊長。明治10年吉次峠の激戦に陣頭指揮。
42歳で戦死。

<桐野利秋の墓>
南州墓地 桐野利秋の墓.jpg
無類の剛胆。勤王の志士として活躍し、中村半次郎の名で有名。戊辰の役に功あり。
明治4年陸軍少将。
西南の役では薩軍総司令官。明治10年岩崎谷で戦死。享年40歳。

<村田新八の墓>
南州墓地 村田新八の墓.jpg
明治4年宮内大丞となり岩倉具視一行に加わり欧米を視察。
明治7年帰国し辞職。
私学校砲隊の監督。西南の役では薩軍2番大隊長。
城山最期の日、西郷の死を見届けて自刃。享年42歳。

<別府晋介の墓>
南州墓地 別府晋介の墓.jpg
明治10年城山で戦死31歳。明治6年近衛少佐を辞し帰郷。
西南の役では6番7番連合大隊長として出陣。
9月24日早朝岩崎谷口に向かい突進中銃弾を受けた西郷の
命によりその介錯をつとめた。

<桂久武の墓>
南州墓地 桂久武の墓.jpg
日置島津家出身。藩の大目付役の後、在藩家老として維新の変革に尽くす。
西郷とは終世心の通じ合った人。
都城県令。西南の役では大小荷駄本部長。城山で戦死。48歳。

<大山綱良の墓>
南州墓地 大山綱良の墓.jpg
明治7年鹿児島県県令。西南の役に際し、軍資金、兵器、弾薬、食料を送る
など薩軍を援助した罪により神戸で捕縛、官位を剥奪された。
明治10年、長崎で処刑 53歳。

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2014年08月29日

西郷洞窟    (鹿児島県鹿児島市)

鹿児島市にある西郷洞窟に行ってきました。

<西郷洞窟>
西郷洞窟.jpg
住所:鹿児島県鹿児島市城山
駐車場あり(無料)

<現地解説>
「西南戦争最期の司令部」
1877年9月24日、午前4時政府軍の城山総攻撃が始まりました。
城山に立てこもる薩軍兵士はわずか300余。これを取り囲む政府軍は
何重の柵をめぐらし、その数4万。死を決した西郷は夜明けを待って5日間
過ごした洞窟を出ました。桐野利秋、別府晋介、村田新八、池上四郎と
いった私学校の幹部達も一緒です。
この日西郷の出で立ちは妻のイトが縫った縞の単衣に白い兵児帯。
ゆっくりと岩崎谷を下ります。その時流れ弾が西郷の腰に命中。別府の介錯
をあおいで49歳の生涯を閉じたのです。

西郷洞窟1.jpg

西郷洞窟2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鹿児島市の城山にある西郷洞窟に行ってきました。洞窟とは言いますが、洞穴という
感じの穴です。陸軍大将をつとめた西郷がここまで追い詰められた事に思うところがあり
ます。
洞窟の脇にはお土産屋さんがあり、そこに西郷隆盛の銅像があります。

西郷洞窟 西郷像.jpg
ちょっとこの西郷さんの顔はインパクトありますね(笑)

そのとなりに洞窟があり、そこに西南戦争を描いた錦絵が展示されています。
こちらは無料で見ることが出来ます。

西郷洞窟3.jpg

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2014年08月24日

私学校跡     (鹿児島県鹿児島市)

鹿児島市にある私学校跡に行ってきました。

<私学校跡>
私学校跡.jpg
住所:鹿児島県鹿児島市山下町6-1
駐車場無し

<現地解説>
この地はかつて島津藩の旧厩跡で、1874年に私学校が設立され、明治10年
の西南戦争により廃止されるまで西郷隆盛らによって私学校生徒の教育が行われた
ところである。
明治15年に県立鹿児島医学校及び付属病院が設立され、その後私立鹿児島病院
市立鹿児島病院と変遷、明治40年に県立鹿児島病院、昭和18年には県立鹿児島
医学専門学校付属医院となった。

私学校は鶴丸城厩跡に篠原国幹が監督する銃隊学校と村田新八が監督する砲学校
これを本校として城下に12、県下に136もの分校がありました。
私学校には教師としてオランダ人やイギリス人を招き、生徒をヨーロッパに留学
させる計画もありました。
私学校は年々強大化し、反政府の気運を高まらせ、ついに過激派生徒が暴走。
政府火薬庫襲撃によって西南戦争を引き起こし、私学校はわずか4年でその歴史を
閉じたのです。石垣には激戦の跡を物語る銃弾の跡があります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
私学校跡に行ってきました。
私学校は西郷隆盛らが作った学校で、この学校がその後西南戦争の引き金を引くこと
になります。
現在私学校の建物等は残っておらず、石垣のみが残ります。
石垣には西南戦争の銃弾跡が残り、西南戦争の激しさをうかがう事が出来ます。

私学校跡2.jpg

私学校跡3.jpg

私学校跡4.jpg
こちらが銃弾跡です。

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西郷隆盛終焉の地    (鹿児島県鹿児島市)

鹿児島市にある西郷隆盛終焉の地に行ってきました。

<西郷隆盛終焉の地>
西郷隆盛終焉の地.jpg
住所:鹿児島県鹿児島市城山町
駐車場なし

<現地解説>
西南戦争最終戦、城山洞窟を出た西郷はこの地で腰と大腿部を銃で撃ち抜かれ
倒れます。
「晋どん、もうここらでよか」と東を向き、皇居を伏し拝む西郷に別府晋介の
介錯の大刀が振り下ろされました。
1877年9月24日の事です。西郷を敬愛する私学校の生徒を中心に強大な
反政府勢力となった薩軍が2月15日に50年ぶりの豪雪をついて熊本に
軍を進めて以来、7ヶ月も続いた西南の役が終わったのです。
西郷の遺体が発見されたとき、政府軍の山県有朋中将は「翁はまことに天下の
豪傑だった。残念なのは翁をここまで追い込んだ時の流れだ」と語りいつまで
も黙祷したという事です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鹿児島市城山町の住宅街の一角に西郷隆盛終焉の地があります。
現在は石碑が建っています。

西郷隆盛終焉の地2.jpg

西郷隆盛終焉の地3.jpg
大河ドラマ『翔ぶが如く』を以前見ました。
ドラマは大久保の暗殺のあたりで終わるんですけど、その前の西南戦争が
クライマックスという感じでした。西南戦争の所は感動ものでした。
この地を訪れることが出来て良かったです。

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鶴丸城     (鹿児島県鹿児島市)

鹿児島市にある鶴丸城跡に行ってきました。

<鶴丸城>
鶴丸城.jpg
住所:鹿児島県鹿児島市城山町
駐車場無し
城内自由

<現地解説>
鶴が翼を広げた形をしていることから鹿児島城は別名鶴丸城と呼ばれていました。
1601年関ヶ原の戦いの後、島津家18代家久が上山城の補修と麓の居館造り
を思い立ち、父義弘の「ここは海に近すぎて危ない」という反対を押し切って
着工します。家久はこの地を政治経済の中心地として城下町の建設を始めたのです。
まず、居館を築き、その周辺に家臣の屋敷を移し、1606年城の前の橋が完成
したとされています。
城と言っても本丸、二の丸、下屋敷が並び、天守閣や 層楼のない屋形造りでした。
これは「城をもって守りとせず、人をもって城となす」という薩摩藩流の思想に
よるもので、藩内の各所には兵農一致のク士団が守る外城がめぐらされていました。
維新後は熊本鎮台の分営として使われ、1873年炎上。
残されたのは城壁と擬宝珠付きの石橋だけとなりました。

鶴丸城2.jpg

鶴丸城3.jpg

鶴丸城4.jpg

鶴丸城5.jpg
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
こちらの7年ぶりの訪問の鶴丸城です。
鹿児島市の中心にあり、かつての薩摩藩の政治の中心地です。
城を見るに、戦国の城という感じでは無く、政治の政庁という様な位置づけで、
いわゆる戦用の城ではありません。
天守閣が造られなかったのは、徳川家への服従を示したものではないかと
思われます。仙台伊達家も青葉城に天守を築きませんでしたからね。

前回来たときには無かった、天璋院篤姫の銅像が出来てました。

鶴丸城 篤姫像.jpg
大河ドラマに関する特別展を開催し、その収益でこの地に篤姫の銅像を
造ったとの事です。
僕の中では、ここ10年の大河ドラマで「篤姫」が一番当たりで、とても
印象深かったです。

鶴丸城の堀は蓮で埋め尽くされています。この日はやや遅かったものの
まだ咲いている蓮の花もありました。

鶴丸城6.jpg

平成26年夏旅
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銅像めぐり
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大河ドラマの舞台
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日本の城を巡る
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2014年08月23日

照國神社     (鹿児島県鹿児島市)

鹿児島市にある照國神社に行ってきました。

<照國神社>
照國神社.jpg
住所:鹿児島県鹿児島市照国町19-35
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
「英主島津斉彬を祀る」
早くから開国論を唱え、西郷、大久保を指導して幕政改革を目指した
島津家第28代当主斉彬は1858年7月15日、炎天下での閲兵が
災いしてその後にわかに発病、あっけなく49歳の生涯を閉じました。
幕末史に強烈な印象を残す英明藩主斉彬のリーダーシップは中央政界で
の活躍の他、藩政においても発揮され、集成館事業を手はじめに紡績
事業、造船事業を興し、電信、製鉄、写真、硝子、ガス灯など西洋文化
を積極的に取り入れ、日本の近代化の礎を築いたのです。
斉彬の開化事業は当時鹿児島を訪れたオランダ人技師が一目見て驚嘆する
ほどの水準にあった事が記録されています。
死後朝廷はその数々の功績をたたえ、照國大明神の神号を贈りました。
そこで1864年鶴丸城の西側の南泉院跡に一社を造営、照國神社が創建
されたのです。境内には島津斉彬、隣の探勝園には久光、忠義の銅像が
建っています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
久しぶりに照國神社に行ってきました。

照國神社2.jpg

泊まったホテルが照國神社の脇だったので、朝一番からの訪問になりました。
境内の資料館は9時開館という事で入れませんでしたが、境内は自由なので、
まずは本殿を参拝しました。

照國神社3.jpg
ご祀神は島津斉彬公です。

境内は結構広いんですけど、隣の探勝園という庭園と一体化しているからかも
しれません。
上の解説にもありますが、境内には島津斉彬公の銅像、となりの探勝園に島津久光、
島津忠義の銅像があります。

<島津斉彬像>
照國神社 島津斉彬像.jpg

<島津久光像>
照國神社 島津久光像.jpg

<島津忠義像>
照國神社 島津忠義像.jpg

あと、傍らに戊辰戦争の供養塔もありました。
照國神社4.jpg
供養塔の脇には戊辰戦争で亡くなった兵の名前がありました。
桜田門外の変で井伊を討ち取った有村次左右衛門や、西郷隆盛の弟西郷吉ニ郎の名前も。

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2014年08月22日

小松帯刀像    (鹿児島県鹿児島市)

鹿児島県鹿児島市にある小松帯刀の像を見てきました。

<小松帯刀像>
小松帯刀像.jpg
住所:鹿児島県鹿児島市山下町5−9
駐車場なし

<現地解説>
小松帯刀は1835年、喜入領主肝付家の三男として生まれ、20歳で吉利
の領主小松家の養子となり、小松帯刀と名を改めました。子供の頃から学問や
武芸に優れ、27歳で家老となり西郷隆盛や大久保利通などを重要な役目につ
けました。
寺田屋事件、生麦事件、薩英戦争を乗り切り、薩長同盟を結ぶなど明治維新に
向けて活躍しました。維新後も外交官など要職につきましたが34歳で亡くなり
ました。
この小松帯刀像は1867年に15代将軍徳川慶喜が二条城に諸大名を集めて
大政奉還すべきかどうか問うたとき、薩摩藩城代家老であった小松帯刀が
「大政奉還すべき」として他藩にさきがけて記帳したときの様子をイメージして
造られたもので、三公像(島津斉彬、島津久光、島津忠義)の建つ照國神社を
向いて建立されています。

小松帯刀像2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鹿児島市内、鹿児島市立中央公民館前にある小松帯刀像を見てきました。
場所で言うと、西郷隆盛像の目の前にあります。
小松帯刀はさきの大河ドラマ『篤姫』で準主役の様な形で紹介された
為一般にも知られる様になりました。
維新の影の立役者です。
この銅像も派手さは無いですが、格好良いですね。

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西郷隆盛像     (鹿児島県鹿児島市)

鹿児島県鹿児島市にある西郷隆盛像です。

<西郷隆盛像>
西郷隆盛像.jpg
住所:鹿児島県鹿児島市城山町4
駐車場なし

鹿児島市の国道10号線沿い、市立美術館の近くにある西郷隆盛像です。
この銅像は郷土出身の彫刻家、安藤照が習志野大演習で陸軍大将の制服
を身につけた西郷の姿を思い描き制作したものだそうです。
ちょっと顔が怖いような気も(^^;

西郷隆盛像2.jpg

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塩浸温泉龍馬公園    (鹿児島県霧島市)

鹿児島県霧島市にある塩浸温泉龍馬公園に行ってきました。

<塩浸温泉龍馬公園>
塩浸温泉公園.jpg
住所:鹿児島県霧島市牧園町宿窪田3606
駐車場あり(無料)

<現地解説>
慶応二年三月、寺田屋事件で九死に一生を得た坂本龍馬は、西郷隆盛らの
すすめで妻お龍とともに当塩浸温泉で傷をいやしながら霧島に遊び、二人の生涯
で最も楽しい生活を送った。
これが日本の新婚旅行の始まりと言われている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
坂本龍馬が新婚旅行で来たという塩浸温泉に行ってきました。
霧島の山奥のひっそりとした温泉です。

塩浸温泉竜馬公園5.jpg

現地は公園として整備されており、日帰り入浴施設や、龍馬に関する
資料館などがありました。

塩浸温泉竜馬公園3.jpg

塩浸温泉竜馬公園4.jpg
これは無料の足湯です。

行った時間が遅かったので、資料館や日帰り入浴施設はちょうど閉館という
ところでした。行くことが出来ず残念です。

<龍馬とお龍の像>
塩浸温泉竜馬公園6.jpg
現地には龍馬とお龍の銅像。

塩浸温泉竜馬公園.jpg
当地の階段は、龍馬たちが来た当時のものだそうで、歴史浪漫を感じる
事が出来ました。

塩浸温泉竜馬公園2.jpg

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2014年08月20日

嘉例川駅    (鹿児島県霧島市)

鹿児島県霧島市にある嘉例川駅を見に行ってきました。

<嘉例川駅>
嘉例川駅.jpg
住所:鹿児島県霧島市隼人町嘉例川2176
駐車場あり(無料)

嘉例川駅はJR肥薩線の駅です。
1903年開業で、その開業当時の駅舎が今でも残っています。
その駅舎は国指定有形文化財に指定されています。

僕は鉄道マニアでは無いので、駅の写真を撮りに行ったりはしないのですが、
今回は駅舎が有形文化財という事で、見に行きました。
いや〜、素晴らしい駅ですね。
ローカルな雰囲気満点です。
無人駅でホームにも出ることが出来ました。このホームの雰囲気も最高です。
たまたま電車も来たので写真を撮ってしまいました。

<嘉例川駅>
嘉例川駅2.jpg

嘉例川駅3.jpg

嘉例川駅4.jpg

嘉例川駅6.jpg

嘉例川駅5.jpg

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丸尾滝       (鹿児島県霧島市)

鹿児島県霧島市にある丸尾滝に行ってきました。

<丸尾滝>
丸尾滝.jpg
住所:鹿児島県霧島市牧園町高千穂丸尾
駐車場あり(無料)

<現地解説>
丸尾滝は高さ23m、幅16mの滝。硫黄谷温泉などから湧きだした温泉が
まざっているので滝壺は青白くなっています。
割れ目が並んでいるのは柱状節理といい、熱い溶岩が冷めるときに出来たも
のです。下の方は昔の地面と垂直になっています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
国道223号線沿いにある滝です。
ここもかなり豪快な滝で、国道から30m位は離れていると思うのですが、
それでも水しぶきが飛んでくる様な状況です。
水は温泉が混ざっているようで、滝壺が青白い色をしています。
秋田県にある奈曽の白滝も温泉が混ざって青白い滝壺でしたが、同じような感じ
でした。

大きい写真です(クリックすると拡大します)
丸尾滝 大.jpg

動画もどうぞ


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日本の滝巡り
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2009年07月02日

龍門滝     (鹿児島県加治木町)

鹿児島県加治木町にある龍門滝に行ってきました。

<龍門滝>
龍門滝.jpg
住所:鹿児島県姶良郡加治木町木田
駐車場あり(無料)

その昔、唐人が「漢土の龍門の瀑を見るがごとし」と賞したこと
からこの名があると伝えられる滝。
高さ46メートル幅43メートルあって、岩肌を見せながら滝壺
めがけて落ちるしぶきは豪快。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平成15年8月鹿児島県加治木町にある龍門滝に行ってきました。
平成2年に日本の滝百選に選ばれている滝です。

国道からも近く駐車場もあり、歩いてすぐという非常に観光客には
優しい環境です(^-^)

岩肌を滑り落ちる系の滝。水は少なく見えましたが、水しぶきで
マイナスイオンに満たされている様な感じがしました。
なかなか良かったです。

日本の滝巡り
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2007年09月19日

野間岬ウィンドパーク  (鹿児島県南さつま市 観光名所)

鹿児島県南さつま市に野間岬ウィンドパークに行ってきました。

<野間岬ウィンドパーク>
野間岬
住所:鹿児島県南さつま市笠沙町片浦
駐車場あり(無料)

平成19年8月10日、東シナ海に沈む夕陽が見たいと思い、さまよった末にたどり着いたのがここ、野間岬ウィンドパークです。

九州電力の風力発電用風車が並ぶ展望公園です。
国道をそれ、すれ違うのも厳しい様な細い道を進んで行きます。
途中、戻れなくなるんじゃないかという不安にかられつつも車を
すすめました。

そんな細い道を進む事数キロ。風車が見え、ウィンドパークの展望台に
到着です。
時刻も18時半を過ぎ、いよいよ夕暮れ時。
展望台みたいなのがあって、そこから夕陽を眺めました。

海に沈んでいくというより、目の前の風車の柱の中に沈んでいくよう
な感じです。それがまた良い感じ。
日が沈むまで、20分くらい佇んでいました。

もう少しアクセスの道路が良ければ良いなと思いました。
まあ、あまり観光客が来る所でもないのかなという感じでしたが。

平成19年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/51511781.html

野間岬ウィンドパーク

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泊浦の風景  (鹿児島県南さつま市)

鹿児島県南さつま市の泊浦の風景です。

<泊浦>
泊浦
住所:鹿児島県南さつま市坊津町泊
駐車場あり

<現地看板より>
泊浦は、湾形が広く遠浅で、沖合には松島・蒲鉾瀬・小島・双子瀬
などと呼ばれる島々が点在する。
ことに水平線はるかに沈む落日の景色は言語に尽くせないものがあり、
しばし見とれるほどの美しさを見ることが出来ます。
展望台に立つと広々とひらける東シナ海と、リアス式海岸が展望出来
ます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
火ノ神公園を出て、国道226号を北上。
少し走ると坂道を上り、展望の良い半島にさしかかりました。

車を停める場所ももうけられていたので立ち寄ったのがここです。
現地には上記解説の看板もあり、展望スポットという感じでした。

うえの看板にもあるように、夕陽が綺麗なんでしょうね。そんな
感じは非常にしました。

あいにく僕はここで夕陽を見なかったんですが、東シナ海の優雅な
景色を堪能してきました。
あとで、ここで夕陽を見れば良かったと後悔しました(^^;

平成19年夏旅
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丸木崎展望所

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2007年09月12日

火ノ神公園   (鹿児島県枕崎市 観光名所)

鹿児島県枕崎市にある火ノ神公園に行ってきました。

<火ノ神公園>
火ノ神公園

住所:鹿児島県枕崎市火之神岬町

鹿児島県枕崎市の火ノ神公園に行ってきました。
ここはとある時から行きたいと思っていた場所でした。

とある時っていうのは、ある映画を見たときからです。
その映画とは2006年放映の映画『男たちの大和』です。

戦艦大和に関する映画『男たちの大和』。久々に映画を見て感動
しました。そんな『男たちの大和』は枕崎市のいろいろな場所で
ロケが行われています。

ここ火ノ神公園は、元特別少兵神尾克己役の仲代達也さんと、二等兵
曹内田守の養女内田真貴子役の鈴木京香さんが、初めて出会うシーン
の撮影が行われた場所です。

男たちの大和 ロケ地

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2007年09月11日

万世特攻平和祈念館  (鹿児島県南さつま市)

鹿児島県南さつま市(旧加世田市)にある万世特攻平和祈念館に
行ってきました。

<万世特攻平和記念館>
万世特攻平和祈念館
住所:鹿児島県南さつま市加世田高橋1955番地3
TEL.0993-52-3979
駐車場あり

日本三大砂丘のひとつに数えられる吹上浜の南端に位置し、太平洋
戦争の戦局が急を告げつつあった昭和18年の夏から19年の末に
かけて本土防衛、沖縄決戦の軍航基地として建設された「萬世陸軍
飛行場」の跡地にある特攻に関する平和記念館です。

以前鹿児島に行ったときに、知覧の特攻記念館に行ったんですが、
今回は万世の記念館に行ってみました。
行ったのが平成19年8月10日。夏休みは終戦記念日や原爆投下の
日などがからむため、1年で一番平和について考える時期でもあり
ます。

展示は引き揚げられた実際の特攻機や、特攻で散華した少年達の遺影
や遺品、遺書などです。知覧の祈念館と共通します。

<特攻機>
特攻機

こちらは知覧でも展示される有名な写真。
犬を抱く少年兵
出撃直前に撮影された犬を抱く少年兵(荒木幸雄さん)。
この写真はいつ見ても心を打ちますね。

知覧の祈念館、万世の祈念館、是非一度は見学して過去の現実を
見ることが重要じゃないかなと思います。

平成19年夏旅
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2007年09月09日

出水武家屋敷   (鹿児島県出水市 古い町並み)

鹿児島県出水市の出水武家屋敷群に行ってきました。

<出水武家屋敷群>
出水武家屋敷群 鹿児島
住所:鹿児島県出水市麓町
駐車場あり(無料)

<解説>
江戸時代、薩摩藩は鶴丸城を本城とし、領内各地に113の外城と
呼ばれる行政区画をもうけ統治にあたっていました。
外城における統治の中心を麓(ふもと)と呼び、出水麓は藩内で最も
古く大規模で、他の外城も出水にならったと言われています。
出水麓は「高屋敷」と平良川左岸の「向江」の両武家地、そして
間に挟まれた町人地からなっていました。
高屋敷は1600年頃から約30年ほどの歳月をかけて城山から米
ノ津川に続く起伏の多い丘を整地し、道路を掘り、川石で石垣を
築いて作られたと伝えられています。
現在でも建設当時から改変されることの少なかった街路、その両側
に築かれた石垣や生け垣、庭の木が武家門や垣間見える武家屋敷
と相まって、落ち着いた街路景観を醸し出しています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

平成19年8月10日、曽木の滝を出て出水武家屋敷へ向かいました。
出水市は鶴が有名なところですが、それは冬の話。
鶴がいない夏は武家屋敷を見ましょう。

出水の武家屋敷は重要伝統的建造物群保存地区に指定された町並み
です。また個人的には高校の友達が出水の出身だったので、出水って
いう町を見てみたいなと言う気持ちもあって行ってみました。

武家屋敷の外れの方に観光駐車場がありました。無料なのがありがた
いところです。

そこからすぐに公開武家屋敷が2軒ありました。
税所家と武宮家です。
どちらも無料公開という事で、僕も敷地内に入って外から見てまわり
ました。

その後町並みを散策。
出水の武家屋敷群はその石垣の風景を堪能する感じの場所です。
基本的に武家屋敷は石垣から垣間見えるという感じ。

観光客もあまりいなくて、僕は古い町並みを独り占めした様な気分
で散策出来ました。

お土産屋とかあるような感じの場所ではありません。
ゆっくり町並みを堪能しましょう。

平成19年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/51511781.html

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

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2007年09月08日

曽木の滝    (鹿児島県大口市 観光名所)

鹿児島県大口市の曽木の滝を見に行ってきました。

<曽木の滝>
曽木の滝
住所:鹿児島県大口市曽木
駐車場あり(無料)

平成19年8月10日、最初に行った観光地がここ曽木の滝です。
以前から一度行ってみたいと思っていた滝です。
曽木の滝は「東洋のナイアガラ」と称される滝です。

まあ本家本元が凄い滝ですから、それに比べたら見てがっかりする
事間違いなしなので、あまり期待しないで行くことにしました。

曽木の滝は高さ12メートル、幅210メートル。川内川の水が
流れ落ちる滝です。
現地は公園として整備され、駐車場から歩いてすぐという場所で、
見学するにも容易な環境でした。

で、感想はというと、期待していなかった分、「意外にすごいじゃん」
っていう感じでした。
雨が降ったせいもあるんでしょうけど、水量も多く豪快な滝でした。
ナイヤガラと比べるから良くないんであって、この滝だけで見れば
充分すごい滝だと思います。

平成19年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/51511781.html

日本の滝巡り
http://rover.seesaa.net/article/25540563.html

曽木の滝

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2007年09月05日

佐多岬   (鹿児島県南大隅町 観光名所)

鹿児島県南大隅町、本土最南端の地佐多岬に行ってきました。

<佐多岬>
佐多岬
住所:鹿児島県南大隅町佐多馬籠
駐車場あり

以前から行きたいと思っていた佐多岬に遂に到達しました。
佐多岬は大隅半島の先端、日本本土最南端の地になります。

何年か前までは佐多岬ロードパークウェイという有料道路を走らない
と佐多岬には行けなかったのですが、最近無料開放されました。
佐多岬ロードパークウェイの終点からは有料の遊歩道を歩いて
佐多岬へ向かいます。

入園時間:8時〜17時
入園料:300円

トンネルをくぐり、歩くこと5分ほどですかね、佐多岬灯台を眺める
場所に出ます。現地には展望塔(有料)があります。
今回は展望塔には入りませんでした。外からでも充分綺麗です。

想像していたとおりの荒々しい風景。
対岸には薩摩半島の開聞岳も見えます。
ソテツが自生しており、南国ムードも満点です!

以前薩摩半島の長崎鼻には行っていたので、今回の佐多岬で本当に
本土の端まで来たなと言う達成感がありました。

現地は17時までしか居られないのが残念。
夕陽とか綺麗そうなんですけどね。

平成19年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/51511781.html

佐多岬

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