2021年12月25日

馬ノ山公園・古戦場   (鳥取県湯梨浜町)

鳥取県湯梨浜町にある馬ノ山公園に行ってきました。

<馬ノ山公園>
馬ノ山公園.jpg
住所:鳥取県東伯郡湯梨浜町上橋津
駐車場あり(無料)

馬ノ山公園に行ってきました。
ここは、橋津古墳群という古墳が何基もある場所で、そこを整備し展望台が
設置された公園です。

馬ノ山公園2.jpg

展望台に入ってみます。
馬ノ山公園3.jpg

展望台も入場無料。結構古い感じで、中は錆びてたりしてあまり管理されてる
様な感じがあいませんでした。

各方面への展望は良好です。
馬ノ山公園4.jpg

馬ノ山公園5.jpg
遠くに見える湖が東郷湖。

馬ノ山公園6.jpg

各所への展望が優れた馬ノ山。ここは1581年、鳥取城を落とした羽柴秀吉軍
が伯耆に進軍した際、毛利方の吉川元春が陣を敷いた場所です。
吉川軍6000に対し、秀吉軍6万という軍勢差ながら、秀吉軍は背水の陣を敷
いた吉川軍への攻撃を避け兵を引いたというものです。

馬ノ山公園7.jpg

令和3年春旅2 大遠征
http://rover.seesaa.net/article/481725269.html

古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html



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2021年12月19日

八橋城址   (鳥取県琴浦町)

鳥取県琴浦町にある八橋城址に行ってきました。

<八橋城址>
八橋城.jpg
住所:鳥取県東伯郡琴浦町八橋
駐車場無し

<八橋城について>
八橋城5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
八橋城址に行ってきました。
戦国時代初期の築城で行松氏の居城でした。

ここは伯耆国の要衝で、尼子氏と毛利氏の抗争の地ともなりました。
JR八橋駅の目の前に丘があり、そこが八橋城址です。

八橋城2.jpg
こんな階段を少しだけ登ります。
八橋城は特に何も残っていません。まさに跡です。

八橋城3.jpg

八橋城4.jpg

山頂部に酒井片桐飛行殉難の碑という碑のみありました。

<酒井片桐飛行殉難碑>
酒井片桐飛行士殉難の碑.jpg

酒井片桐飛行士殉難の碑2.jpg
昭和7年、朝日新聞の記者が八橋沖で墜落し亡くなった事による慰霊碑です。

令和3年春旅2 大遠征
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日本の城を巡る
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2021年12月12日

由良台場跡  (鳥取県北栄町)

鳥取県北栄町にある由良台場跡に行ってきました。

<由良台場跡>
由良台場跡.jpg
住所:鳥取県東伯郡北栄町由良宿
駐車場あり(無料)

<由良台場について>
由良台場跡6.jpg

由良台場跡8.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
道の駅大栄の脇にあるお台場公園が由良台場跡(国指定史跡)です。
ここは幕末に鳥取藩が設置した8ヶ所の台場のひとつです。
由良台場は綺麗に土塁が残っています。
国道9号線脇にあり、日本海に向けて砲の土台が数カ所設置されています。
ここは綺麗に整備されてて、砲台って感じがすごく良く分かります。

今回は道の駅大栄から歩いて行ったので少し距離がありました。
由良台場の南側に専用駐車場があるので、そちらから行った方が近くて良いです。

由良台場跡2.jpg

由良台場跡3.jpg

由良台場跡4.jpg

由良台場跡5.jpg

由良台場跡7.jpg

令和3年春旅2 大遠征
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鳥取藩・淀江台場跡   (鳥取県米子市)

米子市にある鳥取藩・淀江台場跡に行ってきました。

<鳥取藩・淀江台場跡>
鳥取藩・淀江台場跡.jpg
住所:鳥取県米子市淀江町今津
駐車場あり(無料)

<淀江台場について>
鳥取藩・淀江台場跡4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
淀江台場跡に行ってきました。
幕末、諸外国からの脅威に備えるため鳥取藩では沿岸部に8ヶ所の台場を造営
しました。そのひとつが淀江台場です。

今は御台場公園という公園になっています。
鳥取藩・淀江台場跡2.jpg

鳥取藩・淀江台場跡3.jpg
右奥が台場の土塁です。

令和3年春旅2 大遠征
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2021年10月30日

出雲街道・根雨宿   (鳥取県日野町)

鳥取県日野町にある出雲街道・根雨宿を散策しました。

<出雲街道・根雨町>
根雨宿.jpg
住所:鳥取県日野郡日野町根雨415
駐車場あり(無料)

根雨宿を散策しました。
令和3年5月20日、この日は1日中雨だったんですが、その観光のシメがここ
になりました。
地名も「根雨」。この日を象徴する様な名前の宿場町だなと思いました。

江戸時代に出雲街道の宿場町として栄えました。
本陣の門や、たたら経営の鉄師として栄えた近藤家の屋敷などが街道沿いに残り
ます。

全体として古い建物の密度は低い感じですが雰囲気は感じられる町並みでした。

<根雨宿>
根雨宿2.jpg

根雨宿3.jpg

根雨宿4.jpg

根雨宿5.jpg

根雨宿6.jpg

根雨宿7.jpg

根雨宿8.jpg

根雨宿9.jpg

令和3年春旅2 大遠征
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日本の古い町並み
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2021年10月20日

金持神社    (鳥取県日野町)

鳥取県日野町にある金持神社に行ってきました。

<金持神社>
金持神社.jpg
住所:鳥取県日野郡日野町金持1490
駐車場あり(無料)
境内自由

<金持神社について>
金持神社6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
名前に惹かれて吸い込まれました(笑)
日本全国広しと言えども、ここまで縁起の良い名前の神社はなかなか無いですね。
栃木県那須烏山市に大金神社ってのがありますが、それと双璧かなと。

ここ金持という地は、鎌倉時代〜南北朝時代にこの地を治めた金持氏の発祥の地です。

金持神社7.jpg

金運が上がるように参拝してきました。

金持神社2.jpg

金持神社3.jpg

金持神社4.jpg
絵馬はこんな感じ。金運祈願一色。
よくよく見ると、宝くじ当たったというお礼の札も。良いですね〜。
自分も、持ってる株が上がってくれる事を切に願ってきました(笑)

金持神社5.jpg
社殿内にある絵。濱田珠鳳氏の作「龍神の図」。

金持神社8.jpg
後から、これ買っておけば良かったと後悔(^^;

令和3年春旅2 大遠征
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B級観光スポット・珍スポット
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金持景藤の墓   (鳥取県日野町)

鳥取県日野町にある金持景藤の墓を参拝してきました。

<金持景藤の墓>
金持景藤の墓4.jpg
住所:鳥取県日野郡日野町金持
駐車場無し

<金持景藤について>
金持景藤の墓2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
カーナビで金持という地名を発見、気になっていたところこの金持景藤の墓という
案内を発見、立ち寄りました。

金持景藤、歴史好きな自分でも聞いたことがありません。
誰なんでしょう。
現地の解説を見ると、後醍醐天皇の隠岐脱出を名和長年らと共に助け、護衛した
人物との事。
金持氏はこの一体を治めた豪族で、南北朝時代は南朝方として戦ったそうです。

この地には宝鏡院塔があり、コンクリートの囲いでガードされていました。

<金持景藤の墓>
金持景藤の墓.jpg

金持景藤の墓3.jpg

令和3年春旅2 大遠征
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著名人の墓
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2019年09月22日

後藤又兵衛の墓@景福寺  (鳥取県鳥取市)

鳥取市の景福寺で後藤又兵衛の墓を参拝しました。

<後藤又兵衛の墓>
後藤又兵衛一族の墓.jpg
住所:鳥取県鳥取市新品治町135
駐車場あり(無料)
境内自由

後藤又兵衛の墓を参拝しました。
後藤又兵衛は黒田官兵衛に仕えた武将で、大阪の陣での活躍は誰もが
知るところです。
大阪で討ち死にした後藤又兵衛の墓が何故鳥取にあるのか?

黒田官兵衛亡き後、黒田長政と後藤又兵衛は人間的に合わず、黒田家を
出奔します。その後、池田輝政のもとで世話を受け、その時に池田家
家臣の三浦四兵衛の娘と結婚します。

大坂の陣後、又兵衛の妻は遺髪を持って三浦家に戻りますが、主家の
池田家が鳥取に移封になっていたため又兵衛の遺髪も鳥取に来ることに
なった様です。
遺髪のお墓という事です。

<後藤又兵衛の墓>
後藤又兵衛一族の墓2.jpg
又兵衛の墓参拝させて頂きました(・o・)


前に行った、大分県中津市にある後藤又兵衛の墓に関する記事はこちら。
<中津市にある後藤又兵衛の墓>
http://rover.seesaa.net/article/404278276.html

令和元年夏休み旅
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著名人の墓
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大河ドラマの舞台
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渡辺美術館    (鳥取県鳥取市)

渡辺美術館に行ってきました。

<渡辺美術館>
渡邊美術館.jpg
住所:鳥取県鳥取市覚寺55
駐車場あり
入館料:900円
■土・日及び祝祭日   午前10時〜午後5時
■月・水・木・金    午前10時〜午後3時

前から行きたかった渡辺美術館に行ってきました。
ここは医師・渡辺元が収集した約3万点の美術品を展示する美術館
です。
何年か前に鳥取に行ったときに、渡辺美術館のチラシをもらい見に行きたい
と思っていました。

渡辺美術館は甲冑が多いという事で特に有名。常設で100以上の鎧が展示
されています(ちなみに写真撮影OK)
鎧、刀剣など見所が多いのですが、海外の美術品や古民具など収蔵品のジャンル
が幅広いのも特徴。1時間くらいかけてゆっくり鑑賞してきました。
ここは歴史好きの方には特にお勧めです。家の近くにあったら通いたいくらい(^^;
また特別展とか訪問したいと思います。

<渡辺美術館>
渡辺美術館2.jpg

渡辺美術館3.jpg

渡辺美術館4.jpg

渡辺美術館6.jpg

渡辺美術館5.jpg
武田信玄の兜(レプリカ)

令和元年夏休み旅
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2019年09月18日

羽衣石城址      (鳥取県湯梨浜町)

羽衣石城(うえいしじょう)に行ってきました。

<羽衣石城>
羽衣石城.jpg
住所:鳥取県東伯郡湯梨浜町羽衣石
駐車場あり(無料)

<案内図・クリックすると拡大します>
羽衣石城2.jpg

羽衣石城は1366年南条貞宗によって築城された山城です。
以後南条氏の居城となります。
戦国時代に入り、大永の五月崩れと呼ばれる尼子経久の侵攻により落城。
南条氏は尼子傘下に入りますが、その後毛利氏に従ったり、秀吉の傘下に
入ったりしながら戦国を生き延びていきます。
関ヶ原の戦いで西軍に属した南条氏は所領を没収され羽衣石城も廃城と
なりました。

羽衣石城は標高372mの羽衣石山に築かれた山城です。
中腹くらいまで車で行けます。駐車場もあります。
山頂の本丸には2つのルートがあります。上の案内図にある様に、15分
ルートと20分ルートがあります。
今回は15分ルートで登って20分ルートでおりてきました。

羽衣石城9.jpg
これは登りの15分ルート。一応道は整備されています。ただかなり急な道
でかなり体力を要します。

天女のあしあとという岩がありました。天女伝説がある様です。
羽衣石城7.jpg

羽衣石城8.jpg

頑張って山頂の本丸跡にたどり着きました。まず素晴らしい眺望に感動し
ました。頑張ってきたかいがありました。
羽衣石城5.jpg

羽衣石城6.jpg
眼下には東郷池、そして遠くに日本海も見えます。

本丸跡に最近再建されたと思われる模擬天守がありました。
残念ながら中には入れない様です。
羽衣石城4.jpg

羽衣石城3.jpg

ここから帰りの降りになるんですが、帰りの20分ルートは更に厳しい道で
した。正直これを登ってこなくて良かった。20分ルートはかなりハードです。

羽衣石城天然の塁岩.jpg
この岩は積み上げたように見えるんですが、天然の岩だそうです。
こういう自然の岩も羽衣石城の守りに用いられたものと思われます。

往復で1時間程度かけて見てきました。夏に行くようでしたら、飲み物とか
タオルとか持って行った方が良いと思います。

令和元年夏休み旅
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日本の城を巡る
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大岳院       (鳥取県倉吉市)

倉吉にある大岳院に行ってきました。

<大岳院>
大岳院.jpg
住所:鳥取県倉吉市東町422
駐車場あり(無料)
境内自由

<大岳院について>
大岳院4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
倉吉の町並みを散策している時に立ち寄りました。
倉吉の観光マップに、里見家墓所という記載がありました。里見家ゆかりの寺が
鳥取にあるの?という感じでの訪問です。

大岳院2.jpg

大岳院3.jpg

まず境内にあるお墓が目に入りました。これが里見家墓所かなと思いましたが、
これは違いました。江戸時代の光格天皇ご母堂お林の方墓所とありました。

<光格天皇ご母堂・お林の方墓所>
大岳院7光格天皇ご母堂お林の方.jpg
こちらもまたなぜここにあるのか不明です(説明等無し)

<里見家墓所>
大岳院6.jpg

大岳院5.jpg

こちら里見家墓所です。解説によると里見家当主、里見忠義は倉吉に移封になり、
この地で亡くなったとの事。
更に調べたところ、里見家は忠義に跡継ぎが無かった為、里見家は改易になった
そうです。

忠義の墓のまわりに小さい墓がありますが、これは殉死した家臣の墓です。
この殉死した家臣が、里見八犬伝のモデルになった人物との事です。
里見家というと千葉のイメージが強いですが、鳥取で墓所や八犬士ゆかりを見る事
が出来て驚きがありました。

令和元年夏休み旅
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著名人の墓
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2016年09月19日

米子城     (鳥取県米子市)

鳥取県米子市にある米子城に行ってきました。

<米子城>
米子城.jpg
住所:鳥取県米子市久米町
駐車場あり(無料)

<米子城について>
米子城5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
米子城に行ってきました。
米子には何度も行っていますが、米子城って行ってませんでした。
鳥取と言えば鳥取城だし、米子のあたりまで来れば月山富田城や松江城
の方に目が行ってしまいます。
今回初訪問ですが、全然期待せずに行きました。

駐車場に車を停め、山道を登ります。
米子城4.jpg
こんな道を進むこと7〜8分かな。大規模な石垣、虎口跡などを見ながら
天守台に到着しました。
途中の石垣もとても規模が大きく、この城が壮大な城だったことが分かり
ました。それで天守台ですが、ここからの景色が本当に素晴らしかった(^-^)
米子市内をまさに一望。遠くには大山も見えます。こんな素晴らしい景色を
見る事が出来るとは。何で今までここに来てなかったのかと、我ながら何とも
という感じでした。

<米子城石垣>
米子城3.jpg

米子城2.jpg

<米子城天守跡>
米子城6.jpg

<米子城からの景色>
米子城からの景色.jpg
米子市内方面。

米子城からの景色2.jpg
米子港方面。

米子城からの景色3.jpg
遠くに大山を望みます。

平成28年夏旅 目指せ名護屋城ツアー
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日本の城を巡る
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2016年09月18日

若桜駅     (鳥取県若桜町)

鳥取県若桜町にある若桜駅に行ってきました。

<若桜駅>
若桜駅.jpg
住所:鳥取県八頭郡若桜町若桜345-2
駐車場あり(無料)

若桜鉄道若桜駅に行ってきました。
若桜の町散策で訪問したんですが、たまたま駐車場の所にあった若桜駅が
気になりました。
駅舎の前には、登録有形文化財の登録証が。確かに古くて風情のある駅舎
です。
調べてみると、この駅舎は若桜鉄道が開業した昭和5年当時の駅舎がその
まま使用されているという事です。

鉄道マニアではありませんが、最近駅舎とか秘境駅という様なジャンルに
少し興味があって巡るようになりました。

若桜駅3.jpg
ホームにいる謎の人形たち(なんか怖い・・・)

若桜駅4.jpg

若桜駅5.jpg

若桜駅2.jpg
たまたま電車も停車していました。

平成28年夏旅 目指せ名護屋城ツアー
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若桜鬼ヶ城跡     (鳥取県若桜町)

鳥取県若桜町にある若桜鬼ヶ城跡に行ってきました。

<若桜鬼ヶ城跡>
若桜鬼ヶ城跡.jpg
住所:鳥取県八頭郡若桜町若桜
駐車場あり(無料)

<若桜鬼ヶ城について>
若桜鬼ヶ城跡2.jpg

若桜鬼ヶ城跡3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
若桜鬼ヶ城に行ってきました。
若桜鬼ヶ城は但馬、姫路方面から鳥取に向かう街道の結節点に位置し、
交通の要衝である事から、戦国時代初期に若桜鬼ヶ城が築城され、
尼子氏、毛利氏、山名氏、織田氏などの間で様々な攻防戦が繰り広げ
られたお城です。

【右が播磨方面、左が但馬方面へ向かう街道です】
若桜鬼ヶ城跡6.jpg

そんな中でも、山中鹿之助を中心に尼子氏再興を目指した戦いの中で、
尼子軍が若桜鬼ヶ城に籠もり、毛利方の吉川元春・小早川隆景の軍勢と
戦い守り抜いた歴史の舞台の城でもあります。

城は江戸時代の一国一城令により破壊され廃城となります。
この城跡は意図的に破壊された城がそのままの状態で残るところも
見所の一つとなっています。

<若桜鬼ヶ城>
若桜鬼ヶ城跡8.jpg

若桜鬼ヶ城跡4.jpg

若桜鬼ヶ城跡5.jpg

若桜鬼ヶ城跡 天守台.jpg
天守台です。

若桜鬼ヶ城跡7.jpg

若桜の駅方面から山登りでくることが出来ますが、おそらく片道1時間位は
かかるのではないでしょうか。
車だと、山頂近くまで行くことが出来ます。車道は駅から山を西側から回り込
むように登り、城跡の南側に着きます。駐車場も大きな駐車場がありますので、
車で行くのがベストです。

平成28年夏旅 目指せ名護屋城ツアー
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大河ドラマの舞台
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2016年09月16日

若桜蔵通り       (鳥取県若桜町)

鳥取県若桜町にある若桜蔵通りを散策してきました。

<若桜蔵通り>
若桜蔵通り.jpg
住所:鳥取県八頭郡若桜町若桜
駐車場あり(若桜駅の観光駐車場利用・無料)

若桜宿は姫路と鳥取を結ぶ若桜街道の宿場町です。
明治11年、大火により若桜宿は焼失。その後再建にあたり蔵造り以外
を禁止した事からこの町並みが形成されたとの事です。
約300mにわたって蔵造りの町並みが続き、昔ながらの風情を感じる
事が出来ます。

わが地元川越も、明治26年の大火で町がほぼ焼失。唯一蔵造りの建物
が残った事から蔵造りの町並みが形成されたもので、若桜と川越の町並
みの形成は同じような流れだった事が分かります。

若桜の蔵は、下の方が木で造られていて、結構統一的なデザインの建物
なのが特徴。町並みに統一感があって良いですね。
良い風景を見ることが出来てとても良かったです(^-^)

若桜蔵通り2.jpg

若桜蔵通り3.jpg

若桜蔵通り4.jpg

若桜蔵通り5.jpg

若桜蔵通り6.jpg

若桜蔵通り7.jpg
何か争い事もありそうです・・・。

平成28年夏旅 目指せ名護屋城ツアー
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日本の古い町並み
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2015年07月15日

荒砂神社      (鳥取県岩美町)

鳥取県岩美町にある荒砂神社に行ってきました。

<荒砂神社>
荒砂神社.jpg
住所:鳥取県岩美郡岩美町浦富2475−17
駐車場あり(無料)

<現地解説>
草創は白鳳期(7世紀後半)、浦富元宮町鈴見山に勧請と伝える。
806年8月、蒲生川氾濫にて社地社殿悉く流失。同年現在地に建立鎮座。
大神社荒砂大明神と呼称した。
元亀三年、桐山城に居た山中鹿之助は当社に戦勝祈願し因幡守護山名豊国を
助け、鳥取城を攻略した。

現在の本殿は1813年建立。左甚五郎の高弟小倉圓三郎の手になる五段の
龍彫刻は実に見事。

五穀成就、海上安全、豊漁の神として信仰が厚い。
向島には恵美須神社が祀られ、特に漁師の人々の崇敬者が覆い。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
景勝地浦富海岸にある荒砂神社に行ってきました。
浦富海岸に行くのも久しぶりです。
天候が曇りだったのが残念です。良い天気だったらその美しさが際立つんですけど。

国府犀東という明治〜大正時代のジャーナリストの歌碑があります。
荒砂神社6.jpg
「天に明星、地に浦富の海にミューズの神が住む」と詠み浦富海岸の美しさを称えた
という事です。

浦富海岸の岩山みたいなところの上に荒砂神社はあります。
かつて山中鹿之助も祈願したという神社。
神社自体は小さいです。小さな社がひとつポツンとある程度ですが、古くからある神社
という事で、何となく威厳を感じました。

荒砂神社2.jpg

荒砂神社3.jpg

荒砂神社4.jpg

荒砂神社5.jpg

平成27年GWの旅
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2015年07月08日

河原城        (鳥取県鳥取市)

鳥取県鳥取市にある河原城に行ってきました。

<河原城>
河原城1.jpg
住所:鳥取県鳥取市河原町谷一木1011
駐車場あり
入場:無料

<現地解説>
文献によると、このお城山は1580年豊臣秀吉が鳥取城攻めで因幡地方に
やってきた時に陣をはった山で、丸山城と伝えられておりますが、この山
に建物としての城はなく、従って実在の城を復元したものではありません。
城名は公募により河原城と命名しました。
内部は町の情報発信基地として歴史・文化・自然などを各階毎にテーマを設
け展示しています。

最上階の展望室は115mの高さにあり、ここからは四季折々変化にとむ
中国山地をはじめ、千代川とその流域の鳥取平野とともにはるか北方の鳥取砂丘
も眺望することが出来ます。

河原城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
河原城に行ってきました。
立派な天守があるお城ですが、上の解説にあるように、秀吉が陣を敷いた場所という
歴史はあるものの、ここに城としての建物があった訳ではなく、平成6年に模擬
天守を作り公募で名前をつけたというお城です。
歴史好きとしては、ちょっとテンションダウンです(^^;

中は博物館になっており、この地方の歴史などが展示されています。
この日は甲冑展が行われていて、堪能してきました(事前に調べてこれを見に行きま
した)

河原城3.jpg

展望室からは近隣を一望出来ます。あいにくの天気で遠くは見えませんでした。
河原城4.jpg

河原城5.jpg

この地は、大国主命と八上姫出会いの地だそうです。
因幡の白兎のお話で、白兎がこの2人を結びつけたとかいう内容との事。
(僕も因幡の白兎の話はよく知らないもので・・・)
河原城6.jpg

平成27年GWの旅
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日本の城を巡る
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2015年07月05日

智頭往来・智頭宿     (鳥取県智頭町)

鳥取県智頭町にある智頭宿を散策してきました。

<智頭宿>
智頭宿.jpg
住所:鳥取県八頭郡智頭町智頭
駐車場あり(無料・観光駐車場あり)

<現地解説>
古くは『日本書紀』の大同三年(808年)6月、「因幡国智頭郡道俣駅馬二匹
を省く」と記された、その道俣という呼び名が智頭の事で、由来は道が分かれる
所といいます。
その後、上方街道と備前街道が分岐する要衝の地となったのは藩政時代ですが、
参勤交代の道筋、藩主池田候の宿泊地として本陣が置かれると商人や旅人の宿場
町として栄えました。あまり繁盛したので、1844年にはとうとう小売り商人
の逗留を禁止しました。今日、宿場町の面影が近隣の家並みに残っています。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
上方街道(智頭往来・因幡街道)と備前街道が分岐する宿場として栄えた智頭宿
を散策してきました。
ここに来る直前、10キロほど北の道の駅で豪雨にあいどうなる事かと思いました
が、智頭に着いたときには雨があがりました。最近局地的な雨が多いですね。

智頭宿は一本道をずっと見渡せる宿場町です。
遠くに見える山と昔ながらの町並みがとても良い雰囲気をかもしていました。
あまりお店はありませんが、宿場の中にあった造り酒屋の諏訪泉酒造さんで
お土産の日本酒を買ってきました(^-^)

<智頭宿>
智頭宿2.jpg

智頭宿3.jpg

智頭宿5.jpg

智頭宿4.jpg

智頭宿8.jpg

智頭宿6.jpg

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2015年07月01日

仁風閣      (鳥取県鳥取市)

鳥取城の敷地内にある仁風閣に行ってきました。

<仁風閣>
仁風閣.jpg
住所:鳥取県鳥取市東町2−121
駐車場あり(無料)
営業:9時〜17時 150円

<現地解説>
この建物は明治40年5月、時の皇太子殿下(のちの大正天皇)の山陰行幸に際し、
ご宿舎として、もと鳥取藩主池田仲博侯爵によって、扇御所跡に建てられた。
設計は明治建築最高の傑作である赤坂離宮の設計者として有名な宮廷建築家橋本
平蔵が補佐し、地元の工匠浜田芳蔵が施工にあたったものであり、フレンチ
ルネッサンス様式を基調とする木造二階建の本格的洋風建築で、中国地方屈指の
明治建築として著名である。
櫛型ペディメントを主要なモチーフにした瑞正な正面のたたずまいに、屋上の棟
飾りや階段室の八角尖頭屋根が変化を与え、背面一・二階吹き抜けのベランダは、
軽快で美しい構成を示している。
内部は、御座所・謁見所・御食堂の主要室をはじめとして、一・二階各室とも
室内装飾に意が払われ、マントルピース・カーテンボックス・シャンデリアなど
細部意匠にも見るべきものが多い。殿下ご到着の当日に、鳥取県下ではじめて
電灯がともされるなど、明治の文明開化を華々しくうたいあげた記念建築でもある。
「仁風閣」の名は、行啓に随行した海軍大将東郷平八郎によって命名されたもので
、その直筆の額は二階ホールに現在も掲げられている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
仁風閣に行ってきました。ここも平成9年の訪問以来です。
一昨年見た映画『るろうに剣心』でこの仁風閣がロケ地として使われていたので、
非常に懐かしく、久しぶりに行きたいなという気がおこりました。

鳥取では他に洋館って残ってるのかな。僕は少なくとも他は知りません。
山陰では珍しい現存する明治の洋館です。

仁風閣3.jpg

仁風閣5.jpg

仁風閣4.jpg
洋館なんだけど、畳の部屋があります。

<るろうに剣心ロケ>
仁風閣 るろうにロケ2.jpg

仁風閣 るろうにロケ.jpg
映画のシーンやロケの模様など写真が飾ってありました。

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鳥取城      (鳥取県鳥取市)

鳥取市にある鳥取城に行ってきました。

<鳥取城>
鳥取城.jpg
住所:鳥取県鳥取市東町
駐車場あり(無料)

<現地解説>
現在見られる石垣で作られた城の姿は1582年から1849年の約270年の間に
段階的に整備されたものです。特に1617年に入城した池田光政は、それまで5〜
6万石規模であった城を32万石の居城として一新します。
中野御門から続く大手登城路や、天球丸・二の丸も整備し、城の主要な部分はこの時
に完成しました。城内には、幕府の規制で三階以上の建物はありませんが、二ノ丸に
は創建時、最新の建築様式だった層塔型の三階櫓が山陰地方で初めて建てられました。
その後鳥取城は、藩主の生活と藩の役所を担った御殿を中心に増改築されていきます。
江戸時代の終わりには二ノ丸や三の丸が大きく拡張されたほか、三の丸の南側には
凶作に備えて籾を保管する倉庫群が造られました。
城内の建物は明治時代に大半が壊され、残った石垣も1943年の鳥取大地震で多く
が崩れました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鳥取城に行ってきました。
平成9年に行っていらいなので、18年ぶりの訪問となりました。
いやはやほんとに久しぶりです。
鳥取城に行こうと思ったきっかけは、一度行ったきりでもう本当に行っていないな
という事もありましたが、最近大河ドラマ『黄金の日日』を見ており、そこで鳥取城
攻防戦が出てきたからです。
昨年の大河ドラマ『軍師官兵衛』では、鳥取城の兵糧攻めは割愛されました。
「鳥取の渇え殺し」と言われる凄惨な戦い、ほとんどの映画やドラマではあえて外さ
れる戦いですが、『黄金の日日』ではそのシーンがギリギリのラインでえがかれてお
り、NHK大河の作品の中ではチャレンジした作品ではないかと思います。

現在残るのは石垣のみ。その石垣も秀吉の鳥取攻めの後から整備されたものです。
近代城郭として、機能的そして美しい石垣から江戸時代の実用的な城と見てとれ
ます。

<鳥取城>
鳥取城4.jpg

鳥取城3.jpg

鳥取城5.jpg

鳥取城6.jpg

鳥取城2.jpg

<鳥取城前の吉川経家像>
吉川経家像 鳥取城.jpg
鳥取城攻防戦で鳥取城の城将だった吉川経家の銅像です。

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2015年06月24日

鹿野城      (鳥取県鳥取市)

鳥取県鳥取市にある鹿野城に行ってきました。

<鹿野城>
鹿野城3.jpg
住所:鳥取県鳥取市鹿野町鹿野
駐車場あり(無料)

<現地解説>
1578年、羽柴秀吉が亀井茲矩等を先駆けとして毛利氏の支城となっていた鹿
野城を攻め落とし、羽柴軍山陰攻めの前線基地の役割を持ちました。
亀井茲矩は鹿野城の城番を命ぜられ、翌年の再出陣までの間、鹿野城を守るのみ
でなく、近くの諸城を攻め落とし、これらの功により城主に任命されました。
関ヶ原の戦いの後、世の中が落ち着くと、亀井茲矩は城の大拡張を行いました。
古い鹿野城は山頂に近い部分だけの山城でしたが、山麓を中心に本丸、周囲に
薬研堀、内堀、その外側に外堀を作り近世の城として面目を一新しました。
その一方でまえからの山城を整備しました。
城は仏教思想にもとづく「王舎城」の名が、また、櫓には南蛮貿易を物語る
「朝鮮櫓」「オランダ櫓」の名が残っている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鹿野城に行ってきました。
鹿野城の創建年代は不明との事で、毛利氏の山陰の拠点として存在していた様です。
亀井茲矩入城後に近世城郭として整備されたそうです。

今は建物は残っておらず、石垣などで往時をしのぶのみになっています。
公園として整備されていますが、出丸の中には鹿野中学校があったりして不思議な
感じのお城です(笑)

鹿野城2.jpg

<鹿野城>
鹿野城 二の丸.jpg

鹿野城.jpg

鹿野城4.jpg

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2015年06月21日

城下町鹿野      (鳥取県鳥取市)

鳥取県鳥取市(旧鹿野町)にある城下町鹿野を散策してきました。

<城下町鹿野>
城下町鹿野1.jpg
住所:鳥取県鳥取市鹿野町
駐車場あり(城下町内に何ヶ所か観光用駐車場あり)

<現地解説>
古くから因幡国西部の中心都市で、江戸時代初頭に亀井茲矩によって鹿野城が築か
れ城下町として整備された。町中には京格子のある町屋が点在している。
鹿野城が軍事上の拠点であったことにより、道はT字路・L字路などが多く、進入
経路にも工夫が見られる。
また、お寺は侵入者の発見などの目的で、城下町の至る所に点在している。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鳥取市の西部、旧鹿野町にある城下町鹿野を散策してきました。
ここは江戸時代初期に亀井茲矩によって鹿野城の整備が行われ、それにあわせ町
も作られたものです。
山中鹿之助の墓のある幸盛寺などもあり、歴史を感じる事が出来る城下町です。

<城下町鹿野>
城下町鹿野3.jpg

城下町鹿野6.jpg

城下町鹿野2.jpg

城下町鹿野5.jpg

城下町鹿野4.jpg

城下町鹿野7.jpg

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幸盛寺 / 山中鹿之助の墓    (鳥取県鳥取市)

鳥取県鳥取市にある幸盛寺(こうせいじ)に行ってきました。

<幸盛寺>
幸盛寺.jpg
住所:鳥取県鳥取市鹿野町鹿野1306
駐車場(近隣にある観光駐車場利用)
境内自由

<現地解説>
「我に七難八苦を与え給え」と三日月に祈ったという山中鹿之助幸盛公の墓は
この幸盛寺にある・幸盛公は尼子氏滅亡の後、尼子氏の再興と出雲の奪還のため
に活躍を続けたが、その雄図むなしく1578年備中国甲部川阿井の渡(岡山県
高梁市)で毛利氏のために謀殺された。
天正九年、鹿野城主となり気多高草一円を領した亀井茲矩公はもと湯新十郎といっ
たが幸盛公の養女を娶り、亀井氏を継いだもので、明照山持西寺をこの位置に移し、
寺号も鹿野山幸盛寺と改め、舅に当たる山中鹿之助を祀るとともに高梁から遺骨
を移し墳墓を築いたものである。

幸盛寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鳥取の城下町鹿野にある幸盛寺に行ってきました。
ここに尼子氏の家臣で尼子家復興を目指した山中鹿之助の墓があるというので訪問
しました。

<山中鹿之助幸盛の墓>
山中鹿之助の墓.jpg
こちらが山中鹿之助の墓です。
山中鹿之助と言えば、尼子家全盛期の武将ではなく、毛利氏に攻められ没落した後に
活躍した武将。特に尼子勝久を奉じて織田信長に従い中国攻めの先鋒をつとめた事でも
知られます。
しかしながら、上月城の戦いで毛利方に攻められ落城。尼子勝久は自刃、鹿之助も
殺され尼子氏復興の望みは絶たれます。

鹿之助の墓の脇には有名な鹿之助の言葉の碑がありました。
山中鹿之助の墓2.jpg
『我に七難八苦を与えたまえ』と三日月に祈ったという鹿之助の碑です。
山中鹿之助の兜は三日月の前立てですが、こだわりがあったんでしょうかね。

山中鹿之助の姉の墓2jpg.jpg
鹿之助の墓の目の前に鹿之助の墓より立派な大きな墓があります。
最初はこちらが山中鹿之助の墓かと思ったくらいです。これは鹿之助の姉の墓だ
そうです。

平成27年GWの旅
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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2015年05月14日

吉川経家の墓      (鳥取県鳥取市)

鳥取県鳥取市にある吉川経家の墓を参拝してきました。

<吉川経家の墓>
吉川経家の墓.jpg
住所:鳥取県鳥取市円護寺1159
駐車場あり(無料)

<現地解説>
吉川経家公は1581年の羽柴秀吉による鳥取城攻略に備え、中国地方の雄
毛利氏から鳥取城将として派遣されたものである。
羽柴秀吉の包囲作戦と、吉川経家の籠城とによる対陣は鳥取城の歴史の中で
最大の攻防戦であった。

この戦いは天下統一を目指して中国地方を征討しようとする織田信長と、これを
阻止しようとする中国地方の雄毛利氏との対立の中で展開された。

織田信長への服属の意を示した鳥取城主山名豊国の方針を不満とした森下道誉、
中村春続らの因幡国方衆は豊国を追放して毛利氏に鳥取守城のための城将派遣を
要請した。
1581年3月18日、毛利氏の一族で石見国福光城主吉川経安の嫡男経家が
城将として鳥取城に入った。

1581年7月12日、信長の派遣した羽柴秀吉は鳥取に到着し、鳥取城背後の
東北の山頂に本陣を置き、前面の袋川沿いに各陣をしいて2万余の軍勢により
兵糧を断つ鳥取城包囲作戦を展開した。

これを迎え撃つ鳥取城の兵力は芸州毛利氏よりの400と因幡国方衆1000余
であった。毛利氏からの援軍・食料の補給が阻止され、包囲後3ヶ月過ぎる頃に
は籠城兵糧つき、牛馬人等喰い候という状況となった。

ついに10月25日、吉川経家は城兵を助けるために開城し、自身は城中広間で
切腹した。時に35歳であった。
死の前日、10月24日に本家・吉川広家にあてた遺言状に「日本二つの御弓矢
境において切腹に及び候事、末代の名誉たるべく存じ候」と経家は記している。

織田信長と毛利氏という日本二つの御弓矢の正面対決による鳥取城包囲戦での
切腹を大きな名誉と感じていたのである。
この五輪塔はその吉川経家主従の墓と伝えられているののである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鳥取市にある吉川経家の墓を参拝しました。
鳥取城のある久松山の浦側の住宅地の中にひっそりとその墓はありました。

現地は円護寺吉川公園という公園になっています。
円護寺吉川公園.jpg

先日大河ドラマ『黄金の日日』を見てまして、鳥取城包囲戦の回がありました。
吉川経家は毛利氏より派遣された将で、もともと因幡の将である森下道誉や中村
春続らすれば経家は毛利氏を後ろ盾としているという旗印にすぎないという感じ
でした。実際そうだったんでしょう。
吉川経家は最期、秀吉からの助命の話を固持し城主として潔く自刃するという
事になります。ドラマでも経家は名将として、森下・中村の2名は悪人風に
描かれてました。

正直吉川経家について、表舞台ではこの鳥取での話しか知らないので、これが
僕の中でもすべてです。大河のシーンを思い返しながら経家の墓を参拝して
きました。

<吉川経家の墓>
吉川経家の墓2.jpg

大河ドラマ『黄金の日日』では浜畑賢吉さんという役者さんが演じております。
吉川経家 黄金の日日.jpg

昨年の大河ドラマ『軍師官兵衛』では鳥取城包囲戦は割愛されました。

平成27年GWの旅
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2009年10月01日

白兎海岸と白兎神社  (鳥取県鳥取市)

鳥取県鳥取市の白兎海岸・白兎神社に行ってきました。

<白兎海岸・白兎神社>
白兎神社.jpg
住所:鳥取県鳥取市白兎
駐車場あり

神話「因幡の白兎」によると、出雲の国の大国主命が因幡の国八上
の郷に住む八上姫という美しい姫をめとろうと旅をしている途中、
通りかかったこの因幡の浜辺で毛皮をはがされて泣いている白兎を
助けます。その白兎が大国主命と八上姫が結ばれると予言し、仲を
取り持ったとされることから、白兎を主神とする白兎神社は縁結び
の神様として信仰されています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
白兎海岸のところに道の駅があったので休憩で立ち寄りました。
そのついでに、白兎神社を参拝。

白兎が主神という事で、狛犬ならぬ狛兎がおられます。

白兎神社2.jpg

白兎神社3.jpg

大国主命と八上姫、そして傍らには白兎。因幡の白兎をモチーフにし
た土のオブジェが参拝口付近にあり、皆の写真撮影スポットになって
いました。
白兎神社1.jpg

因幡の白兎の神話で、兎が体を洗ったという御身洗池。
御身洗池.jpg
あまり水は綺麗ではありません・・・。

白兎海岸.jpg
こちらが白兎海岸。夏には海水浴場として賑わいます。
以前来たときには海水浴客で溢れていて、写真をとるどころではあり
ませんでしたが、この日は夕暮れで誰もいない海で、雰囲気が全然
違いました。

平成21年夏旅
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2009年09月30日

水木しげるロード  (鳥取県境港市)

鳥取県境港市の水木しげるロードを歩いてきました。

<水木しげるロード>
水木しげるロード.jpg
住所:鳥取県境港市大正町〜本町
駐車場(近隣有料駐車場)

水木しげるロードは、境港出身の漫画家水木しげるにちなみ、ゲゲゲ
の鬼太郎に登場する妖怪たち80体をブロンズ像のオブジェにして
配置し、子供から大人まで触れて楽しんでもらう約800メートルの
コミュニティロードです。

何年かぶりに散策しました。一番変わったな〜と思うのは人の数。
以前に比べ、観光客の数がかなり増えました。
観光バスでも観光客が来ていてびっくり。
あと、商店街をあげて妖怪グッズを扱い、歩いていて楽しい商店街
になりました。

水木しげるロード 鬼太郎.jpg

水木しげるロード こなきじじい.jpg

水木しげるロード 目玉おやじ.jpg

水木しげるロード ねずみ男.jpg

こんなねずみ男も発見(笑)
水木しげるロード ねずみ男?.jpg

平成21年夏旅
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2009年09月29日

山陰道青屋宿   (鳥取県鳥取市)

鳥取県鳥取市の山陰道青屋宿を散策してきました。

<青屋宿>
青屋の町並み title.jpg
住所:鳥取県鳥取市青谷町青谷
駐車場なし

勝部川・日置川合流地付近に今も残る古い町並み青屋。
そこはかつて、山陰道の宿場町として、また港町として栄えた町並み
です。和紙や木綿の生産が盛んで、大阪への船の積出港でもあり、
それらで栄えたことが忍ばれます。

青屋町並み巡りコースみたいなのがある様で、そんな看板を見かけ
ました。地味ですが、観光アピールしてるみたいですね。

青屋宿の町並み2.jpg

青屋宿の町並み3.jpg

青屋宿の町並み4.jpg

青屋宿の町並み5.jpg

青谷の町並み.jpg

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日本の古い町並み
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2009年09月26日

出雲往来溝口宿    (鳥取県伯耆町)

鳥取県伯耆町、出雲往来の宿場町溝口宿を散策しました。

<出雲往来 溝口宿>
出雲往来 溝口宿.jpg
住所:鳥取県伯耆町溝口
駐車場(駅の駐車場に停めました)

出雲往来は山陽道姫路宿から山陰道米子宿間を結ぶ街道です。
溝口宿は米子の隣の宿場で、大山のふもとにあります。
僕は伯耆溝口の駅に車をしばし停め、街道沿いの町並みを散策しま
した。駅近くに白壁の昔ながらの建物などあり、宿場の雰囲気を
残します。30分くらいで歩けますので、ちょっと散策する分には
良いところです。

出雲往来 溝口宿2.jpg

出雲往来 溝口宿3.jpg

出雲往来 溝口宿4.jpg

出雲往来 溝口宿5.jpg

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法勝寺宿      (鳥取県南部町)

鳥取県南部町にある法勝寺街道の法勝寺宿に行ってきました。

<法勝寺宿>
法勝寺街道.jpg
住所:鳥取県南部町法勝寺
駐車場あり

法勝寺街道は脇海道でしたが、米子から備後方面へ向かう街道とし
て300年にわたり栄えました。
1651年に鳥取藩9駅の一つとして駅馬20頭が置かれたのが宿場
の始まり。日野の鉄や雲州木綿の中継拠点としても栄えました。

今では残念ながら町並みはほとんど残っていません。
かつて宿場だったところをちょろっと散策して帰ってきました。

法勝寺街道2.jpg

法勝寺街道3.jpg

法勝寺街道4.jpg

平成21年夏旅
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2009年09月12日

旧加茂川沿いの町並み  (鳥取県米子市)

鳥取県米子市の旧加茂川沿いの町並みを歩きました。

<旧加茂川沿いの町並み>
加茂川沿いの町並み5.jpg
住所:鳥取県米子市尾高町〜岩倉町
駐車場あり(無料)

米子は吉川広家による米子城の建築に始まり、交通の要衝という
ことから江戸時代には商業が発展し「山陰の大阪」とも呼ばれま
した。加茂川はかつて中海に入ってきた船の荷を積んだ小船が行き
交ったところで、回船問屋後藤家住宅など、昔ながらの風情を残し
ている。

米子賀茂川沿いの町並み1.jpg

加茂川沿いの町並み2.jpg

加茂川沿いの町並み3.jpg

加茂川沿いの町並み4.jpg

加茂川は遊覧船でも観光出来るそうです。

平成21年夏旅
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2008年04月26日

鳥取砂丘の夕暮れ  (鳥取県鳥取市)

平成19年8月13日の夕暮れを鳥取砂丘で見てきました。

<鳥取砂丘の夕暮れ>
鳥取砂丘の夕暮れ
住所:鳥取県鳥取市福部町湯山
駐車場あり(無料)


鳥取砂丘で夕暮れが見たい!という事で、その時間に間に合うように
鳥取砂丘に向かいました。
倉吉観光を17時位に終え、急ぎ鳥取砂丘へ。
無事陽が沈む前に間に合いました。

鳥取砂丘は日本海側で、しかも海辺ですからとても夕陽が綺麗。
砂丘越しに眺めても良いですし、海に沈んで行く光景を眺めて
も良い。
僕は海からは少し離れて、砂丘越しに夕暮れを眺めました。
昼の砂丘も良いですが、夕暮れはもっと良いなと思いました。

平成19年夏旅
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続きをどうぞ

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倉吉の町並み   (鳥取県倉吉市 古い町並み)

鳥取県倉吉市の町並みを散策してきました。

<倉吉の町並み>
倉吉の町並み
住所:鳥取県倉吉市新町他
駐車場あり(無料)
市営無料駐車場があります

倉吉の地名は、16世紀に資料として現れますが、町並みは14世紀
に守護山名氏によって築かれたものです。
江戸時代には、鳥取藩家老荒尾氏が治め、木綿などを扱う商業活動
が活発に行われ、明治・大正まで大いに発展しました。
その町並みが、今に残ります。

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平成19年8月13日、もう夕方ですが鳥取の倉吉に着きました。
倉吉には古い町並みが残る事を知っていましたが、行ったことが
ありませんでした。
鳥取砂丘で夕暮れを眺めたいという希望があったので、倉吉行きは
悩みましたが、ここまで来たら引けないという事で、倉吉に向かい
ました。着いたのは16時すぎです。

有り難いことに、駐車場は無料。市営の駐車場に車を停めて、散策
開始です。

僕は堀がある様な町が好きなんですが、倉吉もまさにそう。
堀に流れる水、そして白壁土蔵の建物。非常に良いです。
来て良かった(^-^)、本当にそう思いました。

蔵の町並みの中で、冷えた梨ジュースを飲んで休憩。心安らぎます。
本当はもっとゆっくりしたかったんですが、鳥取砂丘も諦めきれず
1時間ほどで退散しました。
倉吉は、またゆっくり歩きたい町です。

平成19年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/51511781.html

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

<倉吉の町並み・重要伝統的建造物群保存地区>
倉吉の町並み

倉吉の町並み

倉吉の町並み

倉吉の町並み

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posted by 南行 at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 鳥取県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月05日

後醍醐天皇腰掛け岩   (鳥取県大山町)

鳥取県大山町(旧名和町)にある後醍醐天皇腰掛け岩を見てきま
した。

<後醍醐天皇腰掛け岩>
後醍醐天皇腰掛け岩
住所:鳥取県西伯郡大山町御来屋
駐車場なし

ここ鳥取県大山町(旧名和町)は後醍醐天皇をささえた名和長年ゆか
りの地で、隠岐島に流された後醍醐天皇は長年に助けられ、隠岐島を
脱出。そしてこの地に上陸します。
上陸した後醍醐天皇は、この岩の上に腰掛けられたそうです。

こういう話は本当かどうか良く分かりませんが、そう思って見ると
歴史のおもしろさがあります。

近くの名和神社とセットで観光すると良いでしょう。

後醍醐天皇腰掛け岩
後醍醐天皇の歌碑です。

平成19年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/51511781.html

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posted by 南行 at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 鳥取県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月16日

名和神社     (鳥取県大山町 観光名所)

鳥取県大山町の名和神社に行ってきました。

<名和神社>
名和神社住所:鳥取県西伯郡大山町名和556


<名和神社について>
建武の忠臣名和長年公をはじめ、一族42名をまつる神社。
1333年、長年公は隠岐島に流されていた後醍醐天皇の脱出
を助け、天皇を船上山に迎え鎌倉幕府を破った。
後醍醐天皇は、この年、鎌倉幕府を倒し、天皇親政を復活、長年
公はこの新政権で重用された。
現在の社殿は昭和10年に完成。建築界の重鎮伊藤忠太の指導の
もと、明治神宮を造営した角南隆が手がけた。
本殿から日本海を望むと海をこえ一直線上に後醍醐天皇隠岐行在所
がある。

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鳥取県大山町の名和神社に行ってきました。
国道9号線を走っていると、表示があるので以前から気になって
いた神社です。
名和という駅があって、これを見たときに名和長年関連の土地な
んだろうなって思ってました。
神社に行って、そのゆかりを見て「やっぱりね」という感じでした。

名和神社

名和神社

近くには、後醍醐天皇の腰掛け岩とかもあり、南北朝の歴史を感じ
る事が出来ます。

神社は駐車場、拝観とも無料です。

平成19年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/51511781.html

posted by 南行 at 07:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 鳥取県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする