2016年06月15日

福勝寺 / 新発田重家の墓     (新潟県新発田市)

新潟県新発田市にある福勝寺に行ってきました。

<福勝寺>
福勝寺.jpg
住所:新潟県新発田市中央町2丁目2-7
駐車場あり(無料)
境内自由

福勝寺2.jpg

<福勝寺について>
福勝寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新発田市にある福勝寺です。
このお寺、由緒等知ってて行った訳では無くて、たまたま通りかかった
ところ、新発田重家の銅像が目に入って立ち寄りました。

<新発田重家像>
福勝寺 新発田重家像.jpg

新発田重家は上杉家家臣でしたが、御館の乱の恩賞に不満をもった重家は
上杉景勝に反逆。足かけ7年に及ぶ新発田重家の乱が起こります。
7年に及ぶ戦いの末、結局新発田重家は上杉景勝の軍勢に攻め滅ぼされま
すが、ここまで上杉勢を退けた新発田勢の戦いは見事と言うべきでしょう。

そんな新発田重家の墓がこの福勝寺にあります。

<新発田重家廟>
福勝寺 新発田重家廟.jpg

<新発田重家の墓>
福勝寺 新発田重家の墓.jpg

新発田重家の墓の奥に佐治氏の墓がありました。

<佐治氏の墓>
福勝寺 佐治家の墓.jpg

福勝寺 佐治家の墓2.jpg

佐治氏は愛知県の知多半島に勢力を誇った一族です。
佐治氏の一族、佐治一成は浅井長政とお市の方の娘であるお江の方の最初の
夫でもあります。
その佐治氏は江戸時代、新発田藩の家臣として生き延びていた様です。

平成28年GWの旅
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著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

銅像めぐり
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2016年06月10日

村上城趾    (新潟県村上市)

村上市にある村上城趾(舞鶴城趾)に行ってきました。

<村上城趾>
村上城趾3.jpg
住所:新潟県村上市二之町
駐車場あり(無料)

<村上城について>
村上城解説.jpg

村上城解説2.jpg

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村上城に行ってきました。
戦国時代に上杉家家臣だった本庄氏の居城です。臥牛山の地形を巧みに利用した
山城で、本丸は標高135mの山頂に設けられました。

現在も当時の石垣が綺麗に残っていて、壮大な戦国期の山城の雰囲気を味わう事が
出来ます。
山城なので、ちょっとした山登りが必要です。片道20〜30分見ておけば登頂でき
ます。雨の日は避けた方が良いでしょう。

<村上城>
村上城趾4.jpg

村上城趾5.jpg

村上城趾2.jpg

村上城趾6.jpg

平成28年GWの旅
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日本の城を巡る
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2016年06月06日

五十公野城跡   (新潟県新発田市)

新潟県新発田市にある五十公野城(いじみのじょう)跡に行ってきました。

<五十公野城跡>
五十公野城.jpg
住所:新潟県新発田市五十公野
駐車場あり(無料)

<五十公野城について>
五十公野城は新発田氏の一族である五十公野氏の居城です。
築城年代は不明です。
一族の新発田重家が上杉景勝に反旗を翻すと当主五十公野信宗もそれに従います。
景勝方の藤田信吉の軍勢に攻められ、五十公野信宗は討ち死に。五十公野城は
廃城となりました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新発田市の五十公野城に行ってきました。
新発田市立東中学校の裏山が五十公野城跡です。

五十公野城5.jpg

東中学校の校庭の脇に五十公野城への入り口があります。
五十公野城3.jpg
この道を上っていきます。

五十公野城4.jpg
こんな道を歩くこと5分ほどで、一番上の写真にある「五十公野城趾」の碑が
あります。

城趾からの景色はこんな感じ。
五十公野城2.jpg
木が無ければ高所なので景色も良いんでしょうけど、木が邪魔していまいち
視界が広がりません。

実は知り合いの奥様の苗字が五十公野さんという方でした。
新潟の方と聞いているので、おそらくこちらの一族の方なんだろうなと。
そういう事もあったので、気になる城を制覇出来て良かったです。

平成28年GWの旅
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日本の城を巡る
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2016年06月01日

新発田城    (新潟県新発田市)

新潟県新発田市にある新発田城に行ってきました。

<新発田城>
新発田城.jpg
住所:新潟県新発田市大手町6丁目
駐車場あり(無料)

<新発田城について>
新発田城8.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
日本百名城、新発田城に行ってきました。
この城は戦国時代末期に、新発田重家の居城だったものに手を加え、溝口秀勝に
よって築城されたものです。以後江戸時代を通じて溝口氏の居城となりました。
幕末、新発田藩は一旦奥羽越列藩同盟に加わりますが、新政府軍に恭順し戊辰
戦争では大きな被害を受けず明治維新を迎えます。

新発田城は維新後取り壊され、表門と石垣・堀を残すのみとなっています。

<新発田城趾>
新発田城5.jpg

新発田城2.jpg

新発田城4.jpg

新発田城3.jpg

新発田城6.jpg

<堀部安兵衛像>
堀部安兵衛像.jpg
新発田城の前に建つ堀部安兵衛像です。
忠臣蔵で有名な堀部安兵衛は新発田の出身です。

平成28年GWの旅
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日本の城を巡る
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2015年11月09日

福島城趾     (新潟県上越市)

新潟県上越市にある福島城趾に行ってきました。

<福島城趾>
福島城趾.jpg
住所:新潟県上越市港町2丁目16−1
駐車場なし

<現地解説>
福島城趾3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
上越市にある福島城趾です。
福島城は、戦国の世の終わりとともに役目を終えた春日山に替わり、平地に造られ
た平城です。
江戸時代に入り、松平忠輝が福島城に入りますが、ものの数年で高田に新しい城
を作り移ったため、福島城は短い期間で廃城になりました。

城として使われた期間は短いですが、規模はそれなりに大きな城だった様です。
現在福島城趾は古城小学校の敷地になっています。
小学校の中に、福島城趾の碑や簡易の資料館もありました。

福島城趾2.jpg

福島城趾4.jpg

福島城趾5.jpg

平成27年秋旅2 信濃・越後・越中・飛騨城攻め!
http://rover.seesaa.net/article/427722656.html

日本の城を巡る
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2015年10月28日

勝福寺 / 上杉景虎供養塔    (新潟県妙高市)

新潟県妙高市にある勝福寺に行ってきました。

<勝福寺>
katu.jpg
住所:新潟県妙高市大字乙吉496
駐車場あり(無料)

勝福寺は戦国時代に鮫ヶ尾城の館があったところです。
館とは防御施設を備えた豪族や官吏などの邸宅のことで、平常時は城主が
起居してこの地域の行政を行いますが、戦が始まると本城(鮫が尾城)に
居を移して戦を指揮しました。

鮫ヶ尾城は上杉謙信が亡くなった後、上杉家の跡目をめぐり起こった御館の乱
で、上杉景虎が最後に籠城したお城です。
御館から逃れ、鮫ヶ尾城に来た景虎は景勝方に寝返った城主堀江宗親に攻
められ自害しました。

勝福寺には景虎の石造と供養塔が建てられていました。

<上杉景虎像>
勝福寺 上杉景虎像.jpg

<上杉景虎について>
上杉景虎像.jpg

<上杉景虎供養塔>
勝福寺 上杉景虎供養塔.jpg

著名人の墓
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大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

平成27年秋旅2 信濃・越後・越中・飛騨城攻め!
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2014年10月08日

栃尾雁木の町並み      (新潟県長岡市)

新潟県長岡市(旧栃尾市)にある雁木の町並みを散策してきました。

<栃尾雁木の町並み>
栃尾雁木の町並み.jpg
住所:新潟県長岡市栃尾表町 他
駐車場(秋葉公園の駐車場利用)

栃尾には雁木のある町並みが続いています。
雁木は一見行動の様に見えますが、実は各家の私有地でその上に私財をもって
造ったいわば自発的な往来道です。
冬期においても地域の生産・商業活動を断ち切らない為の先人の発想と隣り合う
家々の連係プレーによってなった町並みです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
久しぶりに栃尾に行ってきました。
前に来たときには栃尾城に行っただけで帰ってきましたが、今回は街中を
ゆっくり歩いてみました。
前の日に見附の街中を歩いて、雁木と呼ばれる木で造られたアーケードの様な
町並みを見てきました。

【見附雁木の町並み】
http://rover.seesaa.net/article/406653383.html

見附の町より規模が大きく密集した雁木の町が栃尾には広がっていました。
特に栃尾表町周辺は、雁木の町がずっと並び、とても雰囲気が良いです。
雪国ならではの文化、今残っているのはとても貴重ですね。

<栃尾雁木の町並み>
栃尾雁木の町並み3.jpg

栃尾雁木の町並み4.jpg

栃尾雁木の町並み5.jpg

栃尾雁木の町並み2.jpg

栃尾雁木の町並み7.jpg

栃尾雁木の町並み6.jpg

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

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2014年10月06日

見附雁木の町並み    (新潟県見附市)

新潟県見附市、雁木の残る町並みを散策してきました。

<見附雁木の町並み>
見附雁木の町並み1.jpg
住所:新潟県見附市本町3丁目付近
駐車場なし

見附は江戸時代、村松藩の支配下にあり繊維の町として栄え、旅籠や商家
などが建ち並びました。幕末には北越戊辰戦争に巻き込まれ町も大きな被害を
受けますが、その後復興。現在の本町3丁目付近には雁木の町並みが残り
ます。
雁木とは簡易アーケードの様なもので、青森の黒石では「こみせ」と呼ばれます。

町並みとして規模は大きくありませんが、本町3丁目界隈は往時の雰囲気を感じる
事が出来ます。

見附雁木の町並み5.jpg

見附雁木の町並み4.jpg

見附雁木の町並み3.jpg

見附雁木の町並み2.jpg

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

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佐取古戦場       (新潟県五泉市)

新潟県五泉市にある佐取古戦場に行ってきました。

<佐取古戦場>
佐取古戦場.jpg
住所:新潟県五泉市佐取7259(JR咲花駅前)
駐車場なし

1868年8月7日、会津藩領最北端の地である佐取に白虎隊を含む会津藩兵
が布陣。
8月10日ここに新政府軍が上陸し戦闘開始。阿賀野川対岸の小松、石間で激しい
戦闘となり会津軍は多くの戦死者を出し退却します。
白虎隊も星勇八が戦死、百瀬外次郎と小松八太郎は負傷しその後亡くなります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
咲花温泉に泊まって帰ろうとしたときに偶然発見した古戦場の碑です。
「佐取古戦場」??
さて聞いたことが無いです。

北越戊辰戦争の歴史本など何冊も読んでますが、この古戦場は全然知りませんでした。
長岡が敗れたあと、会津若松に攻め込まれる前の小さな戦いの様です。
昭和45年、若宮八幡神社の入り口に古戦場の碑が建立されたとの事です。

佐取古戦場2.jpg

こういう小さな戦いの碑も探せばあるものですね。
日本全国探せばどれだけ古戦場の碑ってあるのでしょう。
これからもいろいろ巡っていきたいです。

古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html

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2014年10月05日

赤坂峠古戦場     (新潟県三条市)

新潟県三条市にある赤坂峠古戦場に行ってきました。

<赤坂峠古戦場>
赤坂峠古戦場.jpg
住所:新潟県三条市駒込
駐車場なし

<現地解説>
慶応四年、大政奉還をめぐる新政府軍と同盟軍が戦った北越戊辰戦争の下田郷
における最大の激戦地跡である。
5月、長岡城の陥落により、両軍の戦線は県内各地に広がった。
そのうち村松藩を主力とする同盟軍500は、長岡・見附から交代し駒込の
石動社から観音堂に布陣した。
新政府軍の本陣は峠の向かい側杉沢におき前線は赤坂にあって対峙した。
6月1日朝、鹿峠・長沢の同盟陣地を背景とし、赤坂の的に総攻撃を敢行した。
村松藩は米沢・会津藩とともに松代藩を加えた相手方と激戦。
村松藩はこの戦いで隊長青木剛八が戦死、軍監奥畑傅兵衛は十数人を斬り倒した
が狙撃で倒されてまた立ち上がり、その勇猛な戦いぶりは後世に語り継がれた。
大正14年、峠の下にあるこの地に古戦場記念碑が建てられ、また赤坂峠も矢山
の峰伝いの道から現在の道に新たに拓かれたものである。

赤坂峠古戦場2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
赤坂峠古戦場に行ってきました。
北越戊辰戦争の古戦場で、長岡城が陥落後の戦いになります。
奥羽越列藩同盟側の村松藩(堀氏・外様)と会津・長岡・米沢藩。
新政府軍は長州藩奇兵隊と松代藩です。

村松藩という藩はあまりよく知りませんが、五泉・村松方面を治めた
外様の小藩の様です。
幕末は藩論が分かれ、藩主らの佐幕派と新政府軍に組みする派閥とで
混乱したようです。

赤坂峠の戦いは最終的に新政府軍の勝利に終わりますが、小藩ながら村松藩の
抵抗で新政府軍はそれなりの損害を受けたようです。

古戦場めぐり
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2014年09月28日

蔵王堂城跡     (新潟県長岡市)

新潟県長岡市にある蔵王堂城跡に行ってきました。

<蔵王堂城跡>
蔵王堂城跡.jpg
住所:新潟県長岡市西蔵王
駐車場あり(無料)

蔵王堂城の築城年代ははっきりしていないが、南北朝時代に蔵王堂城争奪戦
があったことが史料に無得ている。
室町時代になって、長尾氏の一族が在城し、上杉氏の会津移封後、堀直寄が
入城するが1605年信濃川浸食により今の長岡駅付近に長岡城を築城した
ため廃城となった(山川出版社『新潟県の歴史散歩』より引用)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新潟県長岡市にある蔵王堂城跡に行ってきました。
北長岡駅の近くにある平城です。
堀の様なものが残りますが、当時のものかどうか定かでありません。

蔵王堂城跡1.jpg

蔵王堂城跡3.jpg

蔵王堂城跡2.jpg

城跡の傍らに、上杉氏のあとに入城した堀直寄の立派な銅像がありました。

堀直寄像.jpg
小さな城跡に、この立派な銅像があったのにはびっくりでした。

日本の城を巡る
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銅像めぐり
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2014年09月25日

鬼小島弥太郎供養塔 / 龍隠院    (新潟県長岡市)

新潟県長岡市にある龍穏院に行ってきました。

<龍穏院>
龍穏院 長岡.jpg
住所:新潟県長岡市乙吉町
駐車場あり(無料)
境内自由

長岡にある龍穏院に行ってきました。
ここには上杉謙信の家臣で、猛将として知られる鬼小島弥太郎の供養塔があります。

<鬼児島弥太郎について>
鬼小島弥太郎は背丈六尺二寸(186cm)で、その力は三十人力であった
といわれ、その豪勇の故に鬼の一字が付けられたと言われています。
弥太郎は17歳の時、見いだされて長尾景虎(のちの上杉謙信)の家来となり、
槍の名手として活躍しました。
1560年の刈谷田川の合戦では、三条方の広瀬十郎と一騎打ちを行い、これ
を討ち味方を大勝に導きました。
しかし、帰陣の途中天神橋で広瀬十郎の子二人の不意打ちにあい、おどり
かかる広瀬兄弟を斬り伏せたものの、深傷のため割腹して果てました。

鬼小島弥太郎 供養塔.jpg

ここ龍穏院は鬼小島弥太郎の居城であった乙吉城があったところです。
供養塔は昭和に入ってから作られたもので、「鬼児島彌太郎城趾萬霊供養塔」
と書かれています。よって、弥太郎だけではなく、その他の万の霊を祀った
ものの様です。
鬼小島弥太郎の生涯はあまり分かっていません。長野の英岩寺というお寺にも
お墓があるそうです。

大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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2014年09月24日

鬼小島弥太郎戦死の地    (新潟県長岡市)

新潟県長岡市(旧栃尾市)にある鬼小島弥太郎戦死の地碑を見に行ってきました。

<鬼小島弥太郎戦死の地碑>
鬼小島弥太郎戦死の碑.jpg
住所:新潟県長岡市栃尾大野町3丁目4−2
駐車場なし

<現地解説>
鬼小島弥太郎は背丈六尺二寸(186cm)で、その力は三十人力であった
といわれ、その豪勇の故に鬼の一字が付けられたと言われています。
弥太郎は17歳の時、見いだされて長尾景虎(のちの上杉謙信)の家来となり、
槍の名手として活躍しました。
1560年の刈谷田川の合戦では、三条方の広瀬十郎と一騎打ちを行い、これ
を討ち味方を大勝に導きました。
しかし、帰陣の途中ここ天神橋で広瀬十郎の子二人の不意打ちにあい、おどり
かかる広瀬兄弟を斬り伏せたものの、深傷のため割腹して果てました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
長岡市(旧栃尾市)にある鬼小島弥太郎戦死の地碑を見てきました。
場所は栃尾の市街地から少し歩いたところ、デイケア施設「おおの苑」という
ところの裏庭にあります。

鬼小島弥太郎戦死の碑2.jpg
おおの苑の裏にこういう登り坂があり、この奥にあります。
現地に案内は無いので、知らないと絶対に着けません。
デイケア施設の裏庭に上の写真のような碑が建っています。

鬼小島弥太郎戦死の碑 天神橋.jpg
現在の天神橋です。

鬼小島弥太郎は存在したのかどうかもよく分かっていない武将ですが、その
豪勇ゆえ「鬼」の文字がつけられたと言われる上杉家の猛将です。
こんなところに戦死の碑文があったとは。全然知りませんでした。

大河ドラマの舞台
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越後丘陵公園でコスモス&バラ   (新潟県長岡市)

新潟県長岡市にある国営越後丘陵公園に行ってきました。

<国営越後丘陵公園>
越後丘陵公園1.jpg
住所:新潟県長岡市親沢町1126
駐車場あり(有料・310円)
入園:410円

国営越後丘陵公園でコスモスが咲いてるという情報を入手したので行って
みました。
国営越後丘陵公園は広さ150ヘクタール、芝生広場やばら園・コスモス畑などが
あり、北陸地方唯一の国営公園です。

昨日訪問しましたが、コスモスは咲き始め、バラは見頃を迎えていました。
コスモスの見頃は10月上旬くらいかなという感じです。
公園は広く、芝生広場では家族連れが大勢遊びに来ていました。

<越後丘陵公園のバラ> 撮影は平成26年9月23日
越後丘陵公園 バラ2.jpg

越後丘陵公園 バラ1.jpg

越後丘陵公園 バラ3.jpg

<コスモス>
越後丘陵公園 コスモス1.jpg

越後丘陵公園 コスモス2.jpg

越後丘陵公園 コスモス3.jpg

<シュウメイキク>
越後丘陵公園 シュウメイギク.jpg

売店で青バラソフトクリームというのが売ってました。

越後丘陵公園2.jpg
どうも青って色は食欲がわかないんですよね(^^;
味はバラ風味。そう思うとそんな感じもしますが、先入観が無ければ分からない
かも。

コスモスの名所
http://rover.seesaa.net/article/25051497.html

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2013年12月11日

村上の町並み   (新潟県村上市)

新潟県村上市の古い町並みを散策してきました。

<村上の町並み>
村上の町並み.jpg
住所:新潟県村上市三之町 他

村上の城下町は、堀秀治の家臣、村上頼勝が領主となり近世城郭への改築工事が始まり、
堀直寄の時代に完成を見ました。
堀氏の時代には3重の天守が建てられ、また城下町の構えや町割りも整備されました。
村上は城下町、寺町、商人町という3つの町並みがそれぞれ残り、それぞれに江戸時代の
面影を感じる事が出来ます。

<村上の町並み>
村上の町並み2.jpg

村上の町並み3.jpg

村上の町並み4.jpg

村上の町並み5.jpg

村上の町並み 芭蕉宿泊の宿.jpg
こちらは松尾芭蕉が泊まったという「久左衛門」の跡です。

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

平成25年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/372055300.html


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2013年08月18日

浄念寺 / 間部詮房の墓    (新潟県村上市)

新潟県村上市の浄念寺に行ってきました。

<浄念寺>
浄念寺1.jpg
住所:新潟県村上市寺町3-13
駐車場あり
境内自由

明応年間(1492〜1501)の頃、浄念上人の開基
白壁造りの本堂は1818年の再建で国指定の文化財。

浄念寺2.jpg

村上城主本多家・榊原家・間部家の菩提寺で、間部越前守詮房公
の御霊屋がある。元禄二年奥の細道の道中、松尾芭蕉と弟子の
曽良が参詣している。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新潟県村上市の寺町を散策しました。
寺町と言うだけあり、この一帯には寺が数々ならびます。
そんな中、松尾芭蕉が訪れたという浄念寺に行きました。
本堂は木でよく見えないのですが、白壁造りの珍しい本堂。
1800年代のお寺とは思えない様な感じです。商家の蔵みたいな
感じでした。

墓域には江戸幕府6代将軍家宣・7代家継の時に新井白石らとともに
幕政を取り仕切った人物で、側用人(老中格)です。
歴史の教科書でも正徳の治という事で、新井白石と間部詮房の名が出て
くるところで、そんな人物の墓が村上にあるとは知りませんでした。

墓石がこちら。
浄念寺 間部詮房の墓.jpg
寺の中のどこにも説明等ありませんが、墓石に享保5年没とあり、詮房の
死去の年と同一のため、この墓石が詮房のものと思われます。

8代将軍吉宗になった時失脚し、村上に左遷された様です。
歴史マニア好みのスポットですね。

平成25年夏旅
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著名人の墓
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奥の細道を歩く
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2012年12月01日

慈眼寺   (新潟県小千谷市)

新潟県小千谷市にある慈眼寺に行ってきました。

<慈眼寺>
慈眼寺 山門.jpg
住所:新潟県小千谷市平成2-3-35
駐車場あり(無料)
拝観(お寺に声をかければ無料で拝観出来ます)

慈眼寺は寺伝によると、天武天皇の白鳳年間、薩明大徳によって
国家鎮護の道場として創建されたという。
また観音堂に安置される本尊、聖観音菩薩は大同年間たまたま
教えを広めにこの地にこられた弘法大師が衆生済度を念じて
一刀三礼、彫られたものと伝えられている。
1691年にはご本尊を江戸に奉じて、出開帳したところ参拝の
善男善女が押しかけて引きも切らず、開帳法会を行うことついに
60日に及んだという。
この評判を聞き、5代将軍徳川綱吉公もわざわさ参詣し、供養料
として和歌一首を書いた扇子を奉納された。
この扇子は寺宝として現存している。

幕末の1868年5月2日、長岡藩家老河井継之助と新政府軍
軍監岩村精一郎がここ慈眼寺で談判をした。
談判は両軍の開戦を決するかどうかであったが、同時に明治維新
の理想を問うものもあった。
河井は中立の立場を守りながらも、なぜ新政府軍が会津藩を討とう
とするのかを問うたという。
その長岡藩の主張を岩村は理解できなかった。
両者は対立し、談判は不調に終わった。
それから小千谷の北東、朝日山などで激しい戦いがはじまり、やがて
戦火は越後の山野全体に及んだ。この談判の決裂が北越戊辰戦争に
大きな影響を与えた。
作家司馬遼太郎は『峠』で、不調に終わったこの談判を追想して
「継之助の恨みはこの北越の野になお息づいて残っているのであろう」
と書いた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新潟県小千谷市にある慈眼寺に行ってきました。
相当前に一回行っていたんですが、久しぶりに訪問しました。
平成16年に起きた中越地震でかなりの被害を受けたという話を聞き
気になっていました。
震災から8年がたち、現地はほぼ復旧していました。
ここは戊辰戦争で有名な「小千谷談判」の舞台となったお寺。
その会見の間も被害を受けたそうですが、ここも完全に復旧していま
した。とにかく何よりです。

お寺の方に声をかけると、本堂をあけてくれます。
本堂内に岩村・河井談判の間があります。

岩村・河井会見の間.jpg

ここで行われたのかと思うと、感慨深いものがあります。
戊辰戦争関連の史跡として興味ある方は訪れてみてはいかがでしょう。

<慈眼寺観音堂>
慈眼寺 小千谷.jpg

<慈眼寺本堂>
慈眼寺本堂.jpg


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2012年10月17日

上原コスモス園  (新潟県魚沼市)

新潟県魚沼市にある上原(うわっぱら)コスモス園に行ってきました。

<上原コスモス園>
上原コスモス園.jpg
住所:新潟県魚沼市吉平
駐車場あり(無料)
入園料等かかりません

道光高原越後ゴルフ倶楽部が管理するコスモス園で誰でも自由にコスモスを見ることが出来ます。
本数は不明ですが、4haの敷地にコスモスが咲きます。
見頃は9月下旬から10月中旬。
平成24年10月13日訪問、ちょうど見頃で満開でした。
あいにくの天気だったのが残念です。

<上原コスモス園・平成24年10月13日撮影>
上原コスモス園2.jpg

上原コスモス園3.jpg

上原コスモス園4.jpg

上原コスモス園からの風景.jpg
コスモス園からの風景です。

コスモスの名所
http://rover.seesaa.net/article/25051497.html


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2012年09月26日

茶屋峠  (新潟県津南町)

新潟県津南町の茶屋峠に行ってきました。

<茶屋峠>
茶屋峠1.jpg
住所:新潟県中魚沼郡津南町外丸
駐車場あり

マウンテンパーク津南スキー場の中を突っ切って山を登って
行ったところに茶屋峠という峠があり展望台があります。
この峠は上越地方と関東・信州をつなぐ街道の分岐にあたり、
見晴らしの良さから茶屋峠と言い乱世の昔から歴史ロマンを
見続けてきた峠です。
南北朝時代、長尾家と南朝の新田一族がせめぎ合いを演じ、
また戦国時代には越後守護の上杉房能が長尾為景に敗れ自刃
して果てた場所でもあります。
またこの地の地形は河岸段丘であり、9段に及ぶ河岸段丘は
日本一の規模という事です。正直僕はよく分からなかったですが、
津南の町を見下ろす茶屋峠の景色はとても素晴らしかったです。

<茶屋峠/日本一の河岸段丘>
茶屋峠2.jpg

茶屋峠3.jpg

茶屋峠 大.jpg
クリックすると拡大します。




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2012年08月22日

津南のひまわり畑  (新潟県津南町)

新潟県津南町のひまわり畑に行ってきました。

<津南ひまわり畑>
津南ひまわり.jpg
住所:新潟県中魚沼郡津南町沖ノ原台地
駐車場あり(普通車300円)

龍ヶ窪の名水と日本一の河岸段丘のまち津南。
そんな津南に大きなひまわり畑があります。

畑は3区画に分けられており、咲く時期がずらしてあります。
平成24年8月19日に訪問しました。
平成24年のひまわり祭の最終日という事でした。
1・2区画はすでに咲き終わっており、第3区画がほぼ満開
という状況でした。全部合わせると50万本という数の様ですが、
この日は1/3が満開という事でしょうか。
祭最終日ではありますが、満開のひまわりと青空でとても綺麗
でした(^-^)

<津南のひまわり・平成24年8月19日撮影>
津南ひまわり2.jpg

津南ひまわり3.jpg

津南ひまわり 大.jpg
クリックすると拡大します。



つなんのひまわり畑 マドレーヌ.jpg
イベントで売っていた「津南のひまわり畑」っていうマドレーヌです。
ひまわりの種入りというマドレーヌ。おいしかったです!


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2012年08月11日

安寿と厨子王供養塔   (新潟県上越市)

新潟県上越市にある安寿と厨子王供養塔に行ってきました。

<安寿と厨子王供養塔>
安寿と厨子王供養塔.jpg
住所:新潟県上越市中央3丁目
駐車場なし

<現地解説>
その昔、陸奥の国岩城の国信夫郡の国守岩城判官正氏は悪人の讒言に
より筑紫に流されました。
左遷されていたとき、妻と召使いの姥竹は安寿姫(14才)と厨子王丸(12才)
の二子を連れて岩城からはるばる父を訪ねて行く途中、この直江の津の應化の橋
の袂で山岡太夫に騙されて母親と姥竹は佐渡の二郎に、安寿姫と厨子王丸は
越中の人買い宮津の三郎に売られました。
知らずにいた四人も港を出ると北と西とに漕ぎ別れていく船にそれと気付き、
子を呼ぶ母、母を呼ぶ子、その悲嘆のうちに身を投げた姥竹を土地の人々が
あつく弔ってここに碑を建てました。
その後、安寿姫は悲しみのあまり沼に身を投げ死んでしまいました。
そこで姥竹の塔の脇にまた小さな塔を建てて弔いました。
厨子王丸が関白師寛に用いられ、丹後の国守となって佐渡にいた母を迎えて
この津を上ったとき、土地の人々は温情に感泣し、ふたりの塔に供養したと
言われ、それから人びとの手向ける香華が今も絶えないのであります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
上越市の直江津にある安寿と厨子王丸の供養塔に行ってきました。
森鴎外の小説『山椒大夫』で知られるお話です。
現地には森鴎外の山椒大夫の文学碑がありました。

山椒大夫の碑.jpg

ただ実際はこの安寿と厨子王丸が実在の人物かどうかはよく分かって
いないそうです。

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html


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2012年07月29日

天崇寺  (新潟県上越市)

新潟県上越市にある天崇寺に行ってきました。

<天崇寺>
天崇寺.jpg
住所:新潟県上越市寺町2丁目19
駐車場あり(寺町の共同駐車場を利用しました)

上越市にある天崇寺に行ってきました。
初めは長恩寺と言い、に上杉謙信が春日山城下に創建したそうです。
江戸時代に入り、松平氏により高田に移され松平家の崇敬厚いお寺となりました。
山門は1674年の建築。松平家の三葉葵の紋が刻まれています。

本堂は比較的新しい建築で、あまりお寺っていう感じの建物ではありません
でした。

天崇寺2.jpg
この本堂の建物にも三葉葵の紋が刻まれていました。

境内裏には立派なお墓があります。
天崇寺 高田姫の墓.jpg
右側の大きなお墓が徳川秀忠三女勝姫(高田姫)のお墓です。
勝姫は秀忠とお江の方の子で松平忠直の妻となった人物。
出家後は天崇院と名乗ったようで、そこから天崇寺というお寺の
名前もきたのかなと思われます(推測)
亡くなったのは江戸屋敷でとの事です。
左側のお墓は勝姫の子、亀姫の墓で、高松宮好仁親王に嫁いでいます。

<天明地蔵>
天崇寺 天明地蔵.jpg
境内にある天明地蔵。天明の飢饉の死者を弔うため作られたお地蔵
様です。

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html


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2011年12月18日

番神堂    (新潟県柏崎市)

新潟県柏崎市の番神堂に行ってきました。

<番神堂>
番神堂.jpg
住所:新潟県柏崎市番神2−10−42
駐車場あり(無料)
境内自由

日蓮宗妙行寺に属し、1274年佐渡から赦免の折、日蓮上人が
三十番神を勧請したと伝えられる。
番神堂は1871年10月下宿大火で類焼、1873年から再建に着手し、
1878年竣工した。
権現造りで棟梁には四代目の篠田宗吉、石工は小林群鳳、彫刻は
出雲崎の原篤三郎・脇野町の池山甚太郎、飾り金具は大久保の歌代佐次
兵衛の鋳造である。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新潟の柏崎にある番神堂に行ってきました。
ここは日蓮が佐渡の島流しから赦免され、再上陸を果たした地という
事で、日蓮宗の宗門史跡という碑が建っていました。

番神堂2.jpg

小高い丘の上に番神堂というお堂があり、そのはるか下の海岸に
日蓮が降り立ったという岩があります。

番神堂 日蓮聖人着岸の地.jpg
下に見える岩がそれだそうです。
今は海水浴客などで賑わっています。

そこを眺めおろすように日蓮聖人の像。
番神堂 日蓮像.jpg

今はとても景色の良い日本海側の丘という場所。
番神堂 番神岬からの景色.jpg
おそらくここから見る夕陽は綺麗なんじゃないでしょうか。
またそんな時間に行ってみたいところです。

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2011年12月12日

銭淵公園    (新潟県南魚沼市)

新潟県南魚沼市にある銭淵公園に行ってきました。

<銭淵公園>
銭淵公園1.jpg
住所:新潟県南魚沼市坂戸
駐車場あり(無料)

銭淵はかつてこの一帯に存在した魚野川の淵の名称で、銭淵
公園の名はこれに由来する。
1564年7月5日、坂戸城主長尾政景と千手城主下平吉長が
野田尻淵で舟遊びの最中争いとなり、二人とも溺死したが、
野田尻淵はここ銭淵とする説が有力である。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
銭淵公園に行ってきました。
上杉景勝の父、長尾政景が舟遊びをしていて溺死したという伝説
の地です。上の解説には下平吉長とともに溺死とありますが、一般的には
宇佐美定満と溺死したという話が有名ですね。
また、その伝説の地もここ銭淵という説もあれば大源太湖という説も
あり、いまいちはっきりしていないのです。
まあ歴史はいろいろ諸説あって想像するから楽しいので、まあはっきり
しないのもまたそれで良いんでしょうかね。

銭淵公園2.jpg

銭淵公園には喜平次と与六の像が建てられていました。
喜平次と与六.jpg
喜平次は上杉景勝、与六は直江兼続です。主従の若かりし頃の
銅像です。
また、ここには直江兼続伝世館館という施設があり、直江兼続に関する
資料が展示されています。この施設は大河ドラマの時につくられた
ものです。

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html

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2011年08月18日

北国街道出雲崎宿    (新潟県出雲崎町)

新潟県出雲崎町の北国街道出雲崎宿を散策してきました。

<北国街道出雲崎宿>
北国街道出雲崎宿.jpg
住所:新潟県出雲崎町尼瀬・羽黒町・鳴滝町・木折町他
駐車場なし(道の駅に停めて散策すれば良いかと思います)

江戸時代出雲崎は徳川幕府の天領となり、佐渡の金銀陸揚げの港として、
また北前船の発着港として栄えました。
また北国街道の宿場町として多くの人々が行き交い、この地方一帯の政治
文化、交通の中心都市でもありました。
海岸線に沿った約3.6キロメートルにおよぶ「妻入り」の家並みは北国街道
の名残であり、当時の面影を今に伝えています。
「妻入り」とは、切り妻側面の三角形の壁面方向に出入り口を設け、これを
正面とする建築様式の事です。
平成8年に歴史国道として選定され、同年6月には新潟県の「景観形成推進地区」
に指定されました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
良寛の里として知られる出雲崎。以前良寛堂に行ったときに、昔ながらの町並み
が続いているな〜という印象を受けつつも、車で流しただけでした。
今回は町並み目当てで出雲崎を訪問。歩いて街中を散策してみました。
約3.6キロにわたって続く町並み。歩くのはかなりしんどかったです。
板塀の様な外観の町並みが続きます。宿場町の木造の建築は多く見てきま
したが、出雲崎の建築は独特な感じがします。
全国的にも珍しいこの町並み、残していきたいものですね。

<出雲崎妻入りの町並み>
北国街道出雲崎宿 2.jpg

北国街道出雲崎宿 3.jpg

北国街道出雲崎宿 4.jpg

北国街道出雲崎宿 5.jpg

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html



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2010年12月13日

黒川石油公園   (新潟県胎内市)

新潟県胎内市の黒川石油公園に行ってきました。

<黒川石油公園>
黒川のくそうず.jpg
住所:新潟県胎内市下館1622
駐車場あり(無料)

越後の臭水の歴史は古く、日本書紀に天智天皇7年「越国、燃土と
燃水とを献る」と記されています。この塩谷山一帯には古くから原油が
自然に湧き出ることからここが献上地ではないかと言われております。
臭水坪跡には手掘り跡、上総掘り跡、また明治六年、英国人シンクルトン
指導のたて穴掘りの異人井戸跡があり、カクマ(シダ類)ですくう昔の
採油から、機械採油までの様子を見ることが出来る貴重な遺跡です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新潟県胎内市にある石油の遺跡に行ってきました。
国道7号線を走っていると、看板が出ています。
黒川のくそうずと言って、昔から知られた史跡です。

現地には油壺跡というのがあって、黒くなった土に油分が
含まれている場所があります。
黒川のくそうず 油壺.jpg

黒川のくそうず 油壺2.jpg
ここで迂闊に火を使ったらやばそうです。
実際こんな注意の看板がありました。
黒川のくそうず2.jpg
へたすりゃ山火事です。

公園内にはシンクルトン記念館という施設があります。
シンクルトン記念館.jpg
ここでは日本の原油採掘の歴史を見ることが出来ます。
日本にも原油資源が豊富だったら良かったんですけどね・・・。

ここは観光客もあまり来てませんが、興味深い施設でした。

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posted by 南行 at 19:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 新潟県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月13日

清津峡    (新潟県十日町市)

新潟県十日町市にある清津峡に行ってきました。

<清津峡>
清津峡1.jpg
住所:新潟県十日町市小出
駐車場あり(無料)
清津峡渓谷トンネル:500円

清津峡は日本三大渓谷のひとつに数えられる渓谷です。
清津川の中流、魚沼丘陵を貫流する約12キロメートルに及ぶ大渓谷。
峡谷の母体をなす見事な柱状節理をあらわすひん岩と、硬質の緑色凝灰岩とが
激流に磨かれて特有の渓谷美を作り出している。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
清津峡は日本三大渓谷でもあり、しかも紅葉の名所という事で、当然
知ってはいたものの、何故かいままで行ったことがありませんでした。

という事で先週行ってきました。
清津峡は清津峡渓谷トンネルという有料のトンネルから散策します。
かつては川沿いに遊歩道があったそうですが、岩の崩落事故で人が
亡くなってから通行止めに。
その後、平成8年に清津峡トンネルが出来て、再び見学できるように
なったそうです。
片道750mのトンネルに3ヶ所の見晴らし処と、最後にパノラマ
ステーションという展望所があります。

清津峡2.jpg

清津峡3.jpg
見晴らし処からは、清津峡の名物でもある柱状節理のギザギザした岩を見る
事が出来ます。その岩の大きさには圧倒されます。

最後に開けたパノラマステーション(クリックすると拡大します)
清津峡 大.jpg

率直な感想を書きますと、確かに渓谷はすごいです。
しかしながら、トンネルを歩いている間は何も見えず、750mの間に
あるたった3ヶ所からしか外を見ることが出来ないため、物足りなさを
感じました。
もう少し渓谷美が見えるようにならないものでしょうか・・・・。

紅葉の写真は続きをどうぞ。

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posted by 南行 at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 新潟県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月08日

大源太キャニオン   (新潟県湯沢町)

新潟県湯沢町にある大源太キャニオンに行ってきました。

<大源太キャニオン>
大源太キャニオン2.jpg
住所:新潟県南魚沼郡湯沢町土樽
駐車場あり(無料)

大源太湖とその周辺の地域を含めた一体を大源太キャニオンと
言います。
大源太湖は、その昔、長尾政景が琵琶島城主宇佐見定満と舟遊び
をした際殺されたとされる野尻ヶ池を利用して出来た砂防ダム
との事(異説あり)で、水深15メートル、昭和14年に建設
されました。

大源太湖.jpg

この湖の正面には東洋のマッターホルンと言われる大源太山
(1597m)がそびえます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新潟県湯沢町の大源太キャニオンに行ってきました。
ここも10年ぶりくらいの訪問です。
今回の目的は2つ。まずは紅葉を見ること。
紅葉が綺麗と聞いていたので、それを見たいと思いました。
また、最近、長尾政景が殺されたのがここ大源太湖という事実を
知り、これも背中を押すことになりました。
長尾政景が殺されたのは、長野の野尻湖という説もありはっきり
しませんが、上田庄を治めていた事を考えると、大源太湖が
というのは説得力がある様な気がします。

さて、紅葉ですが、平成22年11月7日現在見頃を迎えて
いました。青空に紅葉がとても綺麗に映えました。
また湖に写る紅葉も綺麗。とても良かったです。
湖は小さいので30分ほどで1周出来ます。軽く1周して紅葉を
楽しめるので良い場所かと思います。

<大源太湖の紅葉・平成22年11月7日撮影>
大源太キャニオン3.jpg

大源太キャニオン4.jpg

大源太キャニオン5.jpg

大源太キャニオン6.jpg

大源太キャニオン7.jpg

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

紅葉の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/22577081.html

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posted by 南行 at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 新潟県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月31日

長尾政景の墓    (新潟県南魚沼市)

新潟県南魚沼市にある長尾政景の墓に行ってきました。

<長尾政景の墓>
長尾政景の墓.jpg
住所:新潟県南魚沼市坂戸
駐車場あり(無料)

坂戸城主長尾政景は天文〜永禄年代越後戦国時代に活躍し、
上田庄、波多岐庄、藪神など魚沼一円を支配した代表的な
武将。長尾景虎との確執があったが、天文20年の盟約後は
謙信の関東征戦や、武田信玄との戦いに貢献した。
謙信の姉仙洞院を妻とし三子がある。嫡子景勝は後に
謙信の養子となり上杉景勝として越後を継承し戦国大名と
なる。長尾政景は永禄7年7月5日急死した。
死因は宇佐見定満による信濃野尻池における謀殺説と、
下平吉長による坂戸山麓野田尻における旧怨説の二説が
ある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
坂戸城登城のあと、麓にある長尾政景の墓に行ってきました。
上杉景勝の父にあたる人物ですが、死因も不可解で、謎が多い
人物の様に感じます。

坂戸山麓に今は公園(上田長尾氏史跡公園)として整備されています。
長尾政景の墓の他に、大河ドラマ『天地人』にあわせて作られた
と思われる上杉景勝供養塔、直江兼続供養塔、長尾氏歴代供養塔が
ありました。
長尾政景の墓は宇佐見定満の謀殺説による野尻湖の近くにもあります。

<上杉景勝供養塔>
上杉景勝供養塔.jpg

<直江兼続供養塔>
直江山城の墓.jpg

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

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2010年10月25日

坂戸城      (新潟県南魚沼市)

新潟県南魚沼市の坂戸城に行ってきました。

<坂戸城>
坂戸城.jpg
住所:新潟県南魚沼市六日町坂戸
駐車場あり(無料)

坂戸城のはじまりは定かではないが、南北朝時代に上杉氏の家臣
長尾氏が上田荘に入り領国支配を始めたと伝えられる。
以後、上田長尾氏は守護代長尾氏と並んで越後の国に重きをなした。
16世紀初頭に長尾房長によって山頂部から山麓部にかけて本格的な
山城が造られた。
房長の子長尾政景は謙信と盟約を結び臣従するに至った。
謙信の養子となった景勝は御館の乱で上杉景虎を破って越後国主と
なり、坂戸城は有力な支城としてその役割を果たした。
1598年、秀吉による景勝の会津国替えにともない、堀直寄が入城
したが1610年信濃国飯山に移り、坂戸城は廃城となった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
六日町にある坂戸城に行ってきました。昔、坂戸城というと、埼玉
の坂戸市にあるのかと思ってました(^^;
10年くらい前に一回坂戸城に行きました。というか麓まで行きま
したが、山頂の本城までは片道1時間の山登りというのを見て怯んで
退却しました。

今回は山頂登頂を目指しました。
登り初めて最初は楽々。すぐに上杉景勝・直江兼続生誕の地という
石碑を発見、歴史を感じることが出来ます。
坂戸城 上杉景勝・直江兼続生誕の地.jpg

こちらは石垣です。
坂戸城 石垣.jpg
堀氏が改修した遺構という石垣です。

さて、最初は楽勝でしたが、途中から急な山道。
1時間という事前情報でしたが、まさに1時間かかりました。
体力無いもので、山頂に着いたときには息がゼーゼー(^^;

ただ、山頂の景色はとても良いです。
魚沼の盆地が一望出来ます。
坂戸城 山頂.jpg

坂戸城 山頂2.jpg

坂戸城 山頂3.jpg

山頂 大1.jpg
クリックすると拡大します。

山頂には富士権現神社。参拝してきました。
坂戸城 山頂4.jpg

坂戸城の本城のあった山頂は標高634m。富士権現神社の中に新聞記事のコピー
があり、東京スカイツリーと同じ高さとありました。
言われてみればそうですね。びっくりです。
その高さを山登りするんですから大変です。

城観光というより、山登りです。熊出没注意の看板もありますので、
熊よけの鈴を持って、ちゃんとした装備で臨みましょう。

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

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2009年10月14日

杜々の森湧水   (新潟県長岡市)

新潟県長岡市、日本名水100選「杜々の森湧水」に行ってきま
した。

<杜々の森湧水>
杜々の森湧水.jpg
住所:新潟県長岡市栃尾西中野俣3996
駐車場:あり(無料)

昔から飲用水や潅漑用水として活用されてきた杜々の森湧水。
硬度の低い軟水。四季を通じてかれることなく湧き、夏の渇水時で
も1日2000トン湧き出している。
昭和60年、環境庁の「日本名水百選」に選ばれた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
10年振りくらいで杜々の森湧水(とどのもり)に行ってきました。
何とな〜くの記憶でしたが水汲み場の雰囲気は変わっていませんでした。

杜々の森湧水2.jpg

杜々の森湧水3.jpg
水汲み場はこんな感じです。自由に汲む事が出来ます。
名水100選の水汲み場って言うと、水のタンク持った人が大勢
ってところが多いですが、ここは行ったタイミングが良かったのか、
誰もいませんでした。
その場で1杯冷たい水を飲み、2リットルのペットボトルに水を
汲んできました。さっそくその水でお茶など作って楽しんでいま
す(^-^)

杜々の森は公園として整備されており、家族連れなどで賑わっていま
した。

杜々の森湧水4.jpg

日本の名水巡り
http://rover.seesaa.net/article/21971174.html



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2009年07月12日

鈴ヶ滝    (新潟県村上市)

新潟県村上市の鈴ヶ滝です。

<鈴ヶ滝>
鈴ヶ滝.jpg
住所:新潟県村上市高根
駐車場あり(無料)

平成13年8月15日、新潟県村上市(当時は朝日村)の鈴ヶ滝に
行ってきました。
日本の滝百選という事で1度は見たいなと思っていました。
順調に車を走らせていたんですが、最後の数キロが難所でした。
林道みたいな所で、道幅も狭く舗装もされていませんでした。
自分一人なら諦めて引き返そうかとも思いましたが同乗者もいる
という事で意を決して突撃。
車高が低い車だとかなり厳しいです。

さて、駐車場からは歩いて15分ほど。ちょっとした山道です。
鈴ヶ滝は小滝(落差38メートル)と大滝(落差55メートル)の
二つからなります。

<小滝>
鈴ヶ滝2.jpg

<大滝>
鈴ヶ滝3.jpg

鈴ヶ滝は奥州に逃れる義経主従が足を止めて鑑賞したという伝説
もある滝です。
あいにく水量が少ない状態だったのか、迫力はいまひとつという
感じでした。

もう一度見に行きたいかというと、道路が整備されたらと言わせて
頂きたいとおもいます。

日本の滝巡り
http://rover.seesaa.net/article/25540563.html



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2009年07月11日

龍ヶ窪の水    (新潟県津南町)

新潟県津南町の龍ヶ窪の水です。

<龍ヶ窪の水>
龍ヶ窪の水.jpg
住所:新潟県中魚沼郡津南町谷内1925
駐車場あり(有料)

龍ヶ窪の由来は、かつて干ばつに困った村人が龍の卵を盗み割ろうと
したところ親の龍が怒って村人を食べ殺そうとしました。村人は子供
だけは助けてほしいと懇願し、その気持ちにうたれた龍は、三日三晩
雨を降らしこの池をつくりました。そこから付いた名が「龍ヶ窪」
です。

龍ヶ窪の水は日本名水百選にも選ばれている名水で、水温は年間を通
して7〜8度、湧出量は日量4万3千トンになります。
その水の良さもそうですが、鬱蒼とした森の中に佇む池は緑を写し、
とても神秘的な感じを受けます。
何度行っても良いなと思うところです。

龍ヶ窪の水2.jpg

龍ヶ窪の水3.jpg

龍ヶ窪の水4.jpg

ミズバショウも咲いてました。
龍ヶ窪のミズバショウ.jpg

日本の名水巡り
http://rover.seesaa.net/article/21971174.html



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2009年01月04日

雲洞庵      (新潟県南魚沼市 観光名所)

新潟県南魚沼市の雲洞庵です。

<雲洞庵>
雲洞庵山門
住所:新潟県南魚沼市雲洞660
駐車場あり(無料)
拝観料 大人300円 小学生100円

<雲洞庵縁起・チケットの解説より>
今を去る1300余年、ここ越後の山深き寒村に一人の旅の尼僧さま
が訪れ、山よりこんこんとわきいずる霊泉で沢山の人を救い、庵を
むすんですまわれました。
この尼僧さまこそ、藤原家の主藤原房前公の母君であられたのであり
ます。
尼僧様なきあと、717年、薬師如来をたずさえられてこの地を
訪れた房前公は、山を金城山と名付け、母の菩提を弔うため、薬師如
来を本尊とする金城山雲洞庵を建立されたのであります。
以来藤原家の尼僧院として律宗に属し、600年間にわたり栄えたの
であります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
今日から大河ドラマ『天地人』が始まりました。
話の主人公は直江兼続。さっそく、この雲洞庵が出てきたので記事を
書いてみました。
雲洞庵は藤原不比等の子である4兄弟の一人藤原房前創建の古刹です。
10年ほど前に、そんな古刹を参拝しました。

昨年秋、久しぶりに雲洞庵を訪問してみました。
雲洞庵は上杉景勝、直江兼続主従が子供の頃勉学に励んだ地。
そういや来年の大河は直江兼続だったな〜と思いながらの訪問に
なりました。

山門を入ると石畳。この石畳の石には法華経の文字が刻まれ、踏みし
めると御利益があるそうです。
雲洞庵 法華経の石畳
踏んだりしたら失礼?!と思ってしまいますが、そういうものでは
無いようです。

本堂内に長生きの水ってのがあります。
藤原房前公の母の話にからむ霊泉です。僕も当然ながら飲んできま
した。
雲洞庵 長生きの水

本堂内には宝物館もあり、直江兼続公、上杉景勝公に関する資料も
展示されています。

1300年を越える古刹、随所に奥深い趣を感じます。
今年は大河ドラマの関係で、参拝客も増えるんでしょうね。

天地人の旗

写真、続きをご覧ください。

雲洞庵

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2008年10月05日

小出公園のコスモス   (新潟県魚沼市)

新潟県魚沼市の小出公園でコスモスを見てきました。

<小出公園のコスモス>
小出公園のコスモス
住所:新潟県魚沼市青島1609
駐車場あり(無料)
入場無料

新潟県魚沼市の小出公園でコスモスを見てきました。
小出スキー場の斜面に植えられた30万本のコスモスが見頃を
迎えています。
スキー場の斜面だけあって、景色は非情に良いです。
魚沼市街地を見渡す事が出来ます。

平成20年10月4日現在コスモスは見頃。
コスモスを見て、ついでに魚沼産こしひかりの新米でも味わって
来ればベストですね!

【写真は続きをご覧ください】

コスモスの名所
http://rover.seesaa.net/article/25051497.html

小出公園のコスモス

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2008年05月10日

乙宝寺   (新潟県胎内市 観光名所)

新潟県胎内市の乙宝寺に行ってきました。

<乙宝寺>
乙宝寺山門
住所:新潟県胎内市乙1112
駐車場あり(無料)

乙宝寺は新潟県屈指の古刹。
736年に聖武天皇の勅願により、行基、菩提遷那の二高僧に開創
されて以来、諸願成就、心願成就の祈願の道場として栄えてきた。
江戸時代には松尾芭蕉が奥の細道の旅の途中に立ち寄った事でも
知られている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新潟県胎内市の乙宝寺に行ってきました。
雑誌『サライ』2008年5月1日号を購入したんですが、特集
は奥の細道を旅するというものでした。

奥の細道は僕の旅のテーマの一つなんですが、乙宝寺には行った
事がありませんでした。
雑誌の写真にも、立派な三重塔などが出ていたので、行ってみよう
という気になりました。

朝8時半位に到着。僕以外には数人の観光客がすでに来ていまし
た。入ってすぐに雑誌で見た立派な三重塔。いやはやお見事です。

お寺には山門、大日堂、三重塔、地蔵堂など様々な建物が並び、
かつての大寺院の面影を感じます。また歌碑なども多く、古く
から歌などに詠まれたお寺なんだなという事もうかがえました。

あいにく桜の名木「きのと桜」はすでに葉桜になっていて、それが
残念でした。

平成20年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/95846916.html

奥の細道の旅
http://rover.seesaa.net/article/26835383.html



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2008年05月08日

塩谷の町並み   (新潟県村上市 古い町並み)

新潟県村上市(旧神林村)の塩谷の町並みを散策してきました。

<塩谷の町並み>
塩谷の町並み
住所:新潟県村上市塩谷
駐車場あり(塩谷の町見学用に駐車場スペースがあります)

塩谷は漁師町で、独特の妻入の建物が並ぶ町並みです。
観光ガイドなどには無いところです。僕も近くの道の駅でこの町の
事を知り立ち寄った感じです。
この町並みを見て、日本にはまだまだ人知れない良い町並みが残って
いるんだなと実感しました。

塩谷の町並み

塩谷の町並み

平成20年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/95846916.html

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

塩谷の町並み

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2007年01月04日

春日山城址と春日山神社  (新潟県上越市 城跡 観光名所)

新潟県上越市の春日山城跡に行ってきました。

<春日山城址>
春日山城址
住所:新潟県上越市大豆
駐車場あり(無料)
見学自由

<春日山城について>
春日山山上にあって、上杉謙信の居城であった。
南北長期にはすでに築城されていたものと思われているが、戦国期に
長尾為景、上杉謙信らが城として整え利用した。
本丸を構え、二の丸、三の丸をその下に配し、土塁豪を重ねて比隣に勢威を
示した。
頂上は蜂ヶ峰と称し、眺望に富み付近の居城を充分に監視することが出来た。
1598年に秀吉の命で上杉景勝が米沢に移ると、堀氏が入城し、その後
1607年に直江津に福島城を築き春日山は廃城になった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
上越市の春日山城址に行ってきました。
やはり、上杉謙信に関する史跡という意味では、その居城春日山城を外す
訳にはいきません。
僕個人的には今回で3回目になりますが、友達を連れて春日山城に行って
きました。
実は行くのは3回目なんですけど、春日山城の本丸には行ったことがあり
ませんでした。なぜかというと、山登りをしないといけないからです。
春日山城は山城で、駐車場のあるあたりから、本丸までは片道30分くらい
山道を歩かなくてはならないのです。

そんな事もあって、過去2回は、麓の春日山神社を参拝して、上杉謙信の
銅像を見て満足して帰っていました。
が、今回は山頂まで行こうという事になり、突撃しました。

山を登っている途中に、上杉家の武将の屋敷跡や、二の丸、三の丸跡など
があり、その解説などを見ながらジリジリと山を登って行きます。
まあ山登りとは言っても、足場は良いですし、そんなにきついものでは
ありませんが、普段運動をしていないと結構疲れます。

そんなこんなで頂上へ。
頂上は本丸跡です。ここからは、上越市の風景を一望出来ます。
ここで景色を眺めると、今までの疲れもふっとびます。
確かにここからなら、敵の動きなども良く分かるだろうなと思いました。
(春日山城は結局敵からは攻められなかったはずです)

春日山城巡りには、1時間位は時間を見ておいた方が良いと思います。
時間が無い場合は、ふもとの神社と謙信公の銅像、そして林泉寺あたりを
めぐる事をおすすめします。

上杉の歴史巡りと地酒ツアー
http://rover.seesaa.net/article/26422774.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

春日山城跡

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2007年01月03日

五智国分寺   (新潟県上越市 国分寺 観光名所)

新潟県上越市の五智国分寺に行ってきました。

<五智国分寺>
五智国分寺
住所:新潟県上越市五智3-20-21
駐車場あり(無料)
境内自由

<五智国分寺について>
国分寺は741年に聖武天皇の勅願により、行基和尚の尽力で全国に建立
されたお寺です。
当寺の越後国分寺がどこにあったかについては諸説あり位置は分かっていま
せん。現在の国分寺は1562年に廃寺になっていたものを、上杉謙信が
再興したものです。
その後何度か火災にあって焼失し、三重塔は1856年の再建、本堂は平成
9年の再建されたものです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
上越の五智国分寺に行ってきました。
僕は3度目の訪問になりましたが、友人連れという事で、上越の名所である
このお寺に立ち寄りました。
五智国分寺は名前の通り、国分寺のひとつで、越後国分寺になります。
上杉の歴史巡りという意味では、この国分寺を再興したのが上杉謙信とい
う関係もあります。

境内は結構ひろくて、しかも自由に見て歩くことが出来るので、散歩の人
とかもいて、何かとくつろぎの場という感じです。

その一角には、親鸞上人の史跡もあります。
親鸞上人は1207年に越後に流されていますが、その時にここ五智国分寺
に滞在しているのです。
ちなみに親鸞上人は越後で結婚して、子供ももうけています。

そんな歴史のある国分寺ですが、春には桜も綺麗なお寺です。

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

上杉の歴史巡りと地酒ツアー
http://rover.seesaa.net/article/26422774.html

国分寺を巡る
http://rover.seesaa.net/article/26833575.html

五智国分寺

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楞厳寺   (新潟県上越市 観光名所)

新潟県上越市(旧柿崎町)の楞厳寺(りょうごんじ)に行ってきました。

<楞厳寺>
楞厳寺
住所:新潟県上越市柿崎区芋島2727
駐車場あり(無料)
境内自由

<楞厳寺について>
楞厳寺は曹洞宗の古刹です。
1534年に上杉家の武将柿崎景家が林泉寺の天室光育を招いて建立し
たと伝えられています。現在の本堂は1712年の再建。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
今回の旅は上杉家に関する場所を巡ろうというのが趣旨でしたので、ここ
楞厳寺に立ち寄りました。
柏崎で生田万の墓を見て、つぎに琵琶島城に行くか楞厳寺に行くかで悩んで
楞厳寺にしました。本当は両方行きたかったんですが、時間が無かった・・。
楞厳寺には何があるかというと、上杉家の猛将柿崎景家のお墓があるのです。
柿崎景家について(Wikipedia)

柿崎景家は上杉謙信に使えた武将で、川中島の戦いなどで戦功があった人物
です。信長の野望などをやっていても、戦闘力が高いので、かなり愛用しま
した(笑)
そんな景家の墓がここ楞厳寺にひっそりとあります。
小さなお墓で、目立たないですが、戦国武将らしいお墓らしくて良いのでは
ないかと。また、楞厳寺には上杉謙信の幼少時の師でもある天室光育のお墓
もあります。最初天室光育って知らなかったんですが、春日山にある資料館
みたいなところで、謙信の師として幼少時に教育した人物だという事を後で
知りました。事前に知っていれば、また違ったんですけどね。

上杉の歴史巡りと地酒ツアー
http://rover.seesaa.net/article/26422774.html

著名人の墓を巡る
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

楞厳寺・柿崎景家の墓

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天領出雲崎時代館・石油記念館 (新潟県出雲崎町 資料館)

新潟県出雲崎町の天領出雲崎時代館・出雲崎石油記念館に行ってきました。

<天領出雲崎時代館・石油記念館>
住所:新潟県三島郡出雲崎町大字尼瀬6-57
駐車場あり
【開】9:00〜17:00
【休】水曜日(祝日の場合翌日)、年末年始
【料】大人500円、小人400円

道の駅「越後出雲崎天領の里」に併設された資料館です。
時代館・石油記念館は中でつながっており、500円で両方見ることが
出来ます。
江戸時代に天領だった出雲崎。樽廻船などの商船の寄港地としても栄えた
この町を紹介するのが時代館です。
資料館内では、その歴史などの展示を見ることが出来ます。

<時代館>
時代館

時代館

<石油記念館>
石油記念館
日本で初めて石油の採掘が行われたのが、ここ出雲崎だそうです。
僕のかすかな記憶では、日本の石油の輸入比率は99%。裏返せば1%は
国産という事です。それらは新潟で産出されていたかと思います。
石油記念館は、そんな歴史を展示すると共に、明かりに関する展示物など
もありました。全国でもこういう資料館は珍しいですね。道の駅立ち寄り
ついでに行ってみてはいかがでしょうか。

上杉の歴史巡りと地酒ツアー
http://rover.seesaa.net/article/26422774.html

出雲先時代館・石油記念館
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2007年01月01日

生田万の墓  (新潟県柏崎市 著名人の墓)

新潟県柏崎市にある生田万の墓です。

<生田万の墓>
生田万の墓
住所:新潟県柏崎市学校町1-88
駐車場なし

新潟県柏崎市にある生田万(いくたよろず)の墓です。
生田万は1837年折からの天保の飢饉による窮身の救済を求めて、柏崎陣屋
に討ち入り敗れ自刃した。
彼の墓は世間をはばかって永い間建てられず、明治32年戊申招魂所の片隅に
建立された。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
生田万は大塩平八郎らと同じ時期にその救済を求めて立ち上がった人物です。
歴史の教科書でも登場しますが、そんなに有名な人物ではないですね。

新潟県の歴史散歩を見ていたら、柏崎に生田万の墓があるというので行って
みたんですが、よほど歴史好きじゃないと行ってもつまらない場所かもし
れません。

しかも場所が分かりづらい。柏崎小学校の敷地の一部みたいなところにあり
ます(公道に面してます)
誰も足を止めるものも無いところですが、歴史マニアな方なら是非立ち寄っ
てみてほしい場所です。

上杉の歴史巡りと地酒ツアー
http://rover.seesaa.net/article/26422774.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html



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2006年12月24日

良寛堂

新潟県出雲崎町にある良寛堂に行ってきました。

<良寛堂>
良寛堂
住所:新潟県三島郡出雲崎町石井町
駐車場あり
見学自由

<良寛堂・良寛生誕の地>
この史跡は良寛の生家橘屋の屋敷跡です。
良寛は1758年出雲崎町の名主、山本以南の長男としてここに生まれました。もとの屋敷は現在地の2倍の広さで、ここは幕府のおふれを掲げた
高札場であったと言います。
現在の堂は大正11年の建立。佐渡島を背景に日本海上にうかぶ浮御堂の
構想になるものです。
堂内には良寛持仏の石地蔵をはめこんだ石塔を安置し、良寛の
「いにしえに かはらぬものは ありそみと むかひにみゆる 佐渡のしまなり」の歌を刻んでいます。

良寛について(Wikipedia)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
出雲崎出身の歌人・漢詩人の良寛出生の地です。
ここも以前来たことがある場所だったんですが、今回は友達連れでの再訪
となりました。

日本海を眺める様に良寛の像があり、その後ろに良寛の持仏を祀ったお堂
(良寛堂)があります。

【良寛堂】
良寛堂

良寛は江戸時代の歌人で、諸国を歩いた人物でもあります。
そんな意味で、放浪家の僕としては注目すべき人物なんです。
良寛については、今後本など読んで勉強したいなと思っています。

【良寛像】
良寛像
日本海に向かって鎮座する良寛の銅像です。

良寛とグレイ
友人が良寛の銅像と宇宙人のグレイが似ていると言っていたんですけど、
確かに、似ているかも知れません(笑)

上杉の歴史巡りと地酒ツアー
http://rover.seesaa.net/article/26422774.html

良寛堂

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2006年12月12日

直江兼続像   (新潟県長岡市 銅像)

新潟県長岡市(旧与板町)で上杉家重臣の直江兼続公の銅像を見てきました。

<直江兼続像>
直江兼続
住所:新潟県長岡市与板町与板
駐車場あり
与板歴史民俗資料館前

与板歴史民俗資料館前に建つ直江兼続公の銅像です。
直江兼続は、上杉景勝に仕えた上杉家の重臣で、文武両道に優れ、小田原遠征
や朝鮮出兵などで武功を揚げます。
また米沢藩初期の藩政に重きをなしました。

直江兼続は1581年に与板城主となり、上杉景勝の執政として活躍しました。兼続は与板城下の発展に力を尽くしたという事です。

そんなゆかりもあって、与板の歴史民俗資料館前には直江兼続公の銅像が
建てられたようです。
立派な銅像が建ってますので、直江兼続ファンの方は是非立ち寄りください。

上杉の歴史巡りと地酒ツアー
http://rover.seesaa.net/article/26422774.html

直江兼続公の銅像

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2006年12月11日

米百俵の群像  (新潟県長岡市)

新潟県長岡市にある米百俵の群像です。

<米百俵の群像>
米百俵の群像
住所:新潟県長岡市寺島町
ハイブ長岡の脇にあります。

長岡の米百俵の群像を見に行きました。
米百俵のお話は、戊辰戦争で敗れた長岡藩は財政困窮で日々の食べ物にも
苦しむ状況。そんな中、三根山藩から百俵の米が贈られる事となり、藩士
達は生活が楽になると喜びました。
ところが藩の大参事小林虎三郎はこの米を売却し、学校を設立する事を
決定。藩士達の猛反発に対し、虎三郎は、「百俵の米も、食えばたちまち
なくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」
と諭したそうです。

今日より明日への投資、見習うべきものがありますね。
このお話は、小泉純一郎前首相が所信表明演説かなにかで話した事により
有名になりました。
長岡郷土資料館などに、詳しくこのお話についての展示がありますので、
長岡に行ったときには是非寄ってみてはいかがでしょうか。

上杉の歴史巡りと地酒ツアー
http://rover.seesaa.net/article/26422774.html

米百俵の群像

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2006年10月31日

田中角栄の銅像  (新潟県南魚沼市 銅像)

新潟県南魚沼市にある田中角栄の銅像を見に行ってきました。

<田中角栄>
田中角栄像 南魚沼市
住所:新潟県南魚沼市浦佐
JR浦佐駅東口駅前にあります。

田中角栄は今更言うこともありませんが、第64・65代首相を勤めた人物
です。
田中角栄について(Wikipedia)

そんな田中角栄の銅像ってどこかにあるのかな〜と思って調べたところ、
新潟の南魚沼市・浦佐駅前にあるらしいという事で、何年か前に行って
きました。今回は、友達にも見せようと思い再訪しました。

JR浦佐駅って見たことある方は分かると思いますが、国道17号線沿いに
巨大な駅舎がどっしりと構える駅です。どこかのターミナル駅かと思わせる
様な大きな駅に、駅前には角栄氏の銅像。何か政治の臭いを感じてしまうのは
僕だけでしょうか。

まあそんな話はおいておいて、田中角栄首相の銅像が国道17号に面した
浦佐駅前にあります。右手をあげ、風格を感じる銅像です。
写真は今回撮った物ではなく、以前撮影した物です。
現在は、雨よけの屋根が新設されていました。
歴代首相の銅像も見て回ってますので、また他の人もご紹介したいと思います。

上杉の歴史巡りと地酒ツアー
http://rover.seesaa.net/article/26422774.html

田中角栄の銅像

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2006年06月04日

胎内のチューリップ畑  (新潟県胎内市 チューリップ)

新潟県胎内市に綺麗なチューリップ畑がありました。

<胎内のチューリップ・平成18年5月6日撮影>
胎内のチューリップ.jpg
住所:新潟県胎内市村松浜
駐車場なし(適当に停める場所はあり)

国道345号線を走っていると、道の傍らにチューリップ畑を発見しました。
新潟でチューリップというと五泉市が有名です。実は時間があったら五泉
のチューリップを見に行きたいなと思っていたんですが、あいにく旅の
スケジュールも押していて断念。チューリップは無理かなと思った矢先に
巨大なチューリップ畑を発見。
さっそく散策することにしました。
正直チューリップの観光地という感じではなく、個人の畑という様な感じ
の場所でしたが、花の名前とか書いてあったり、観光も意識した様な気配
も感じました。
規模は大きく、ずーっと遠くまでチューリップの花を見渡す事が出来て
非常に綺麗です。
出来ればこの記事はもっと早く公開したいところでしたが、遅れました。
是非来年行ってみてください。

胎内のチューリップ畑

続きをご覧ください

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親鸞聖人像  (新潟県胎内市 観光名所?)

新潟県胎内市、巨大な親鸞聖人像です。

<親鸞聖人像>
親鸞上人像1.jpg
住所:新潟県胎内市村松浜480−8
駐車場あり(無料)
1990年完成。高さ40メートル

国道345号線の胎内市内は海も見えず、防砂松が続く道路です。
ちょっとつまらないんですが、走っているとカーナビに親鸞聖人像の
文字が。気になったので見てみると、目の前に巨大な親鸞聖人が現れ
ました。
立ち寄ると入り口には「宗教法人越後の里親鸞聖人」の文字が。
普通巨大なものと言えば、観音様とか阿弥陀如来、釈迦如来の類かと
思いきや、親鸞というあたりがまたマニアな感じ。
新潟(越後)は親鸞が流された地だからなにがしかの関係があるのかも
しれません。
結局、外から外観を眺望しただけで帰ってきてしまいました。

よくよく見ると、敷地内には温泉の文字も。
どうも日帰り温泉も併設している様です。
温泉客の気配が感じられないのが恐いんですけど。

親鸞聖人像

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posted by 南行 at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 新潟県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

笹川流れ   (新潟県村上市)

新潟県村上市、国指定名勝「笹川流れ」をドライブしました。

<笹川流れ>
笹川流れ1.jpg
住所:新潟県村上市笹川
駐車場は随所にあり

国道345線沿いに広がる名勝。白砂の海岸と、日本海の海に削られた
岩の風景が見事。その距離は11キロに及びます。
沖合の岩の間を盛り上がるように流れる潮流を 中心地の笹川集落の名にちなんでつけられたそうです。
頼山陽の子、頼三樹三郎は男鹿と松島の美観を併せ持つと絶賛しています。

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久しぶりに笹川流れに行ってきました。
あつみ温泉を出て、一路新潟に向かったんですが、国道7号線は新潟県内
に入ると内陸に入ってしまうので景色はいまいち。海を見たいので、国道
345号線を進みました。
笹川流れは何度か来ていて、今回で5回目くらい。日本海の海が綺麗な
ドライブゾーンっていう印象です。
こんな事を書いては失礼にあたってしまうかも知れませんが、頼三樹三郎
が絶賛したという男鹿と松島の美観を併せ持つというのは言い過ぎかと
思います。正直男鹿の雄々しい景観と、松島の閑けさを感じる景色は
それを超えるものはなかなかありません。
ただ、笹川流れが悪いわけじゃありません。僕は夕暮れに来たことがない
んですが、ここは夕日が良いスポットだそうです。
日本海側ですので、海に夕日が沈んでいきます。夕暮れ時にドライブなど
したら非常に良い場所だろうなと思います。

岩は確かに奇岩が多いです。穴があいている岩など結構あります。
一見の価値ある場所だと思います。
道の駅のあるあたりは民宿もあり、食事だけの立ち寄りも出来ます。
以前、刺身など食べましたが、新鮮でおいしかったです。



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posted by 南行 at 20:23| Comment(2) | TrackBack(1) | 新潟県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月25日

妙宣寺と蓮華峰寺  (新潟県佐渡市 寺社)

佐渡には他にもいろいろありますが、今回はこれでシメという事で、
妙宣寺と蓮華峰寺をご紹介。

<妙宣寺>
妙宣寺.jpg
住所:新潟県佐渡市阿佛坊1
電話:0259-55-2061
駐車場、拝観料無料です。
妙宣寺は、鎌倉時代の創建。佐渡に配流された日蓮上人に仕えた日得上人による開基。
五重塔は新潟県下唯一で1825年築(国指定の重要文化財)。
妙宣寺はまず五重塔に圧倒されます。
境内も芝生で綺麗な雰囲気を醸し出します。

妙宣寺のある真野地区は承久の乱で佐渡に流された順徳上皇ゆかりの地で、順徳上皇
の火葬塚という真野御陵もあります。また、この地には佐渡国分寺もあり、佐渡の中
心であったんだろうなと思いました。

(妙宣寺 おすすめ度 ★★★)

<蓮華峰寺>
蓮華峰寺.jpg
住所:新潟県佐渡市小比叡182
電話:0259-86-2530
駐車場あり、拝観無料です。
実はこのお寺、事前にはまったく知りませんでした。
佐渡の最南端、沢崎の灯台を観光して、真野に向かう途中に偶然看板を発見
して立ち寄りました。
行ってみてびっくり。重要文化財クラスの建物がゴロゴロ。
威厳漂う伽藍に、立ち寄って良かったと思いました。
807年、空海の開基。都の鬼門にあたるこの地に創建したんだそうな。
小比叡山と言われる古拙です。
金堂、骨堂、鳥居、弘法堂など国指定の重要文化財に指定されています。
駐車場から、階段で下に下りてゆく珍しい伽藍配置。
一番下に本堂があります。
お寺ではありませんが、上野の国一ノ宮貫前神社も下におりてゆく神社で、
それを思わせました。

(蓮華峰寺 おすすめ度 ★★★★)
posted by 南行 at 19:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 新潟県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする