令和6年11月5日、日光市の華厳滝を見に行ってきました。
<華厳滝>
住所:栃木県日光市中宮祠2479−2
駐車場あり(有料)
日本の滝100選、華厳滝に行ってきました。
華厳滝は中禅寺湖の水が高さ97メートルの岸壁を一気に落ちる直爆。
私がこのブログで敢えて書くことも無い様な有名な滝なので、今まで
何度か行ってますが記事を書いてませんでした。
今回は紅葉の華厳滝を見たいなと思って訪問しました。
令和6年11月5日時点で、ちょうど紅葉見頃。紅葉の中の写真を
撮ることが出来ました(^-^)
天気が曇りだったので、明るさが少し足りないのが残念でした。
もう一枚、昔撮った写真です。
しかし、日光も外国人観光客だらけですね。
平日だというのに、バス乗り場は大行列でした。
日本の滝巡り
http://rover.seesaa.net/article/25540563.html
2024年11月21日
龍頭の滝 (栃木県日光市)
令和6年11月5日、日光市にある龍頭の滝に行ってきました。
<龍頭の滝>
住所:栃木県日光市中宮祠2485 竜頭の滝
駐車場あり(無料)
龍頭の滝に行ってきました。
龍頭の滝は男体山の噴火によって出来た溶岩の上を約210mにわたって
滑り落ちる滝です。
紅葉シーズンなので、久しぶりに行ってみました。
臨時駐車場も含め、何か所か駐車場があります。全て無料です(ありがたい)
一番のスポットはやはり龍頭之茶屋の展望スポットから見る龍頭の滝。
令和6年11月5日、中禅寺湖付近は紅葉見頃でしたが、龍頭の滝付近は既に
紅葉終わってました。龍頭の滝の方がやや標高高いから紅葉も早いんですかね。
滝の東側に遊歩道があり、そこを登った場所も綺麗に見えます。
そこからは、本当に滑り落ちる様な滝を見る事が出来ます。
ここ最近龍頭の滝付近では熊が出没している様なので、ご注意ください。
日本の滝巡り
http://rover.seesaa.net/article/25540563.html
<龍頭の滝>
住所:栃木県日光市中宮祠2485 竜頭の滝
駐車場あり(無料)
龍頭の滝に行ってきました。
龍頭の滝は男体山の噴火によって出来た溶岩の上を約210mにわたって
滑り落ちる滝です。
紅葉シーズンなので、久しぶりに行ってみました。
臨時駐車場も含め、何か所か駐車場があります。全て無料です(ありがたい)
一番のスポットはやはり龍頭之茶屋の展望スポットから見る龍頭の滝。
令和6年11月5日、中禅寺湖付近は紅葉見頃でしたが、龍頭の滝付近は既に
紅葉終わってました。龍頭の滝の方がやや標高高いから紅葉も早いんですかね。
滝の東側に遊歩道があり、そこを登った場所も綺麗に見えます。
そこからは、本当に滑り落ちる様な滝を見る事が出来ます。
ここ最近龍頭の滝付近では熊が出没している様なので、ご注意ください。
日本の滝巡り
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2024年09月18日
大金駅・大金神社 (栃木県那須烏山市)
令和6年8月5日、那須烏山市にあるJR大金駅・大金神社に行ってきました。
<大金駅>
住所:栃木県那須烏山市大金
駐車場あり(無料)
JR大金駅に行ってきました。
昔から名前が縁起が良いという事で、大金駅から宝積寺駅の硬券切符が
記念品として買われたりしていた様です。
しかし今は無人駅となった為、それが出来なくなりました。
まあそれは仕方ないので、駅の写真と駅の隣にある大金神社を参拝する
事にしました。
<大金神社について>
<大金神社>
大金という名前にあやかって造られた神社です。
令和6年8月5日、この日は歴史的な日でした。
日経平均株価が1日で4628円もマイナスに。長い株式投資経験の中でも
こんなに下がったのは初めてです。
大金神社で株価が下がらない様祈願させて頂きました。
<大金駅>
大金駅にはえびす様の絵があったり、御利益ありそうな感じの駅でした(^-^)
令和6年夏旅1東北旅
http://rover.seesaa.net/article/504324074.html
<大金駅>
住所:栃木県那須烏山市大金
駐車場あり(無料)
JR大金駅に行ってきました。
昔から名前が縁起が良いという事で、大金駅から宝積寺駅の硬券切符が
記念品として買われたりしていた様です。
しかし今は無人駅となった為、それが出来なくなりました。
まあそれは仕方ないので、駅の写真と駅の隣にある大金神社を参拝する
事にしました。
<大金神社について>
<大金神社>
大金という名前にあやかって造られた神社です。
令和6年8月5日、この日は歴史的な日でした。
日経平均株価が1日で4628円もマイナスに。長い株式投資経験の中でも
こんなに下がったのは初めてです。
大金神社で株価が下がらない様祈願させて頂きました。
<大金駅>
大金駅にはえびす様の絵があったり、御利益ありそうな感じの駅でした(^-^)
令和6年夏旅1東北旅
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2024年05月13日
乃木神社・乃木別邸 (栃木県那須塩原市)
令和6年4月16日、那須塩原市にある乃木神社に行ってきました。
<乃木神社>
住所:栃木県那須塩原市石林795
駐車場あり(無料)
境内自由
<乃木神社について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆」
那須塩原市にある乃木神社に行ってきました。
ここは、乃木希典の別邸があった場所で、希典が明治天皇の後を追って殉死した
後、地元の住民によって希典を祀る神社を造ろうという動きがあり、1916年に
乃木神社が造られました。
乃木希典夫妻、愛馬殿号などが祀られています。
今回乃木神社を訪問したのは乃木神社参道の桜並木と、境内にある枝垂れ桜を見よう
と思っての事です。
しかし、境内の枝垂れ桜は完全に散っており、参道の桜並木も最終版という感じ
でした(残念)
桜はダメだったので、普通の乃木神社を参拝し、乃木別邸を見て帰ります。
ここに来るのも20年ぶり位なので、久しぶりです。
<乃木神社本殿>
<愛馬殿号>
<乃木希典像>
令和6年春旅2 桜巡り
http://rover.seesaa.net/article/503027350.html
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<乃木神社>
住所:栃木県那須塩原市石林795
駐車場あり(無料)
境内自由
<乃木神社について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆」
那須塩原市にある乃木神社に行ってきました。
ここは、乃木希典の別邸があった場所で、希典が明治天皇の後を追って殉死した
後、地元の住民によって希典を祀る神社を造ろうという動きがあり、1916年に
乃木神社が造られました。
乃木希典夫妻、愛馬殿号などが祀られています。
今回乃木神社を訪問したのは乃木神社参道の桜並木と、境内にある枝垂れ桜を見よう
と思っての事です。
しかし、境内の枝垂れ桜は完全に散っており、参道の桜並木も最終版という感じ
でした(残念)
桜はダメだったので、普通の乃木神社を参拝し、乃木別邸を見て帰ります。
ここに来るのも20年ぶり位なので、久しぶりです。
<乃木神社本殿>
<愛馬殿号>
<乃木希典像>
令和6年春旅2 桜巡り
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2024年05月02日
幣石神社 (栃木県那須町)
令和6年4月16日、那須町にある幣石(おんべし)神社に行ってきました。
<幣石神社>
住所:栃木県那須郡那須町伊王野3313
駐車場無し
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
伊王野から白河の関へ向かう街道の棚倉との分かれ道になる場所にあるのが
幣石神社です。
この神社、源義経い関する伝説がある場所。
義経一行がこの神社で休憩し、武運長久を祈ったとの事です。
ちょっとした山の上に祠があるので、登ってみました。
かなりでかい岩がゴロゴロしています。
5分もかからずに登頂。
本当に小さな祠がありました。参拝します。
神社の前に岩が数個。このどれかが義経腰掛け岩らしいのですが、どれかは不明。
そのうちの一つに記念で腰掛けてきました(^-^)
神社での見所はもうひとつ。
上り口のところにあるヤマザクラです。この桜は樹齢200年と言われる古木です。
訪問時、まだギリギリ咲いてるかなという程度でしたが、咲いている所を見る事が
出来ました。
<幣石神社のヤマザクラ>
駐車場はありません。桜の前に少しだけ停めて参拝しました。
令和6年春旅2 桜巡り
http://rover.seesaa.net/article/503027350.html
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
<幣石神社>
住所:栃木県那須郡那須町伊王野3313
駐車場無し
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
伊王野から白河の関へ向かう街道の棚倉との分かれ道になる場所にあるのが
幣石神社です。
この神社、源義経い関する伝説がある場所。
義経一行がこの神社で休憩し、武運長久を祈ったとの事です。
ちょっとした山の上に祠があるので、登ってみました。
かなりでかい岩がゴロゴロしています。
5分もかからずに登頂。
本当に小さな祠がありました。参拝します。
神社の前に岩が数個。このどれかが義経腰掛け岩らしいのですが、どれかは不明。
そのうちの一つに記念で腰掛けてきました(^-^)
神社での見所はもうひとつ。
上り口のところにあるヤマザクラです。この桜は樹齢200年と言われる古木です。
訪問時、まだギリギリ咲いてるかなという程度でしたが、咲いている所を見る事が
出来ました。
<幣石神社のヤマザクラ>
駐車場はありません。桜の前に少しだけ停めて参拝しました。
令和6年春旅2 桜巡り
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大河ドラマの舞台
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2024年05月01日
芦野城の桜 (栃木県那須町)
令和6年4月15日、那須町の芦野城址に行ってきました。
<芦野城址>
住所:栃木県那須郡那須町芦野2901
駐車場あり(無料)
<芦野城について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天文年間(1532〜1555)、芦野資興によって築城された平山城です。
江戸時代も引き続き芦野氏がこの地を治め、この場所に政庁として陣屋が置かれ
ました。
今は建物等に遺構は残ってません。土塁や堀の跡が少し見て取れる程度です。
令和6年春旅2 桜巡り
http://rover.seesaa.net/article/503027350.html
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
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<芦野城址>
住所:栃木県那須郡那須町芦野2901
駐車場あり(無料)
<芦野城について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天文年間(1532〜1555)、芦野資興によって築城された平山城です。
江戸時代も引き続き芦野氏がこの地を治め、この場所に政庁として陣屋が置かれ
ました。
今は建物等に遺構は残ってません。土塁や堀の跡が少し見て取れる程度です。
令和6年春旅2 桜巡り
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日本の城を巡る
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岩観音 (栃木県那須町)
令和6年4月16日、那須町にある岩観音に行ってきました。
<岩観音>
住所:栃木県那須郡那須町芦野341
駐車場あり(無料)
<岩観音について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
那須町にある岩観音に行ってきました。
切り立った巨岩の山があり、その中腹にお堂があるお寺。
岩は芦野石という石で、加工しやすい事から門柱や石垣として利用される石だそう
です。
この場所には岩に彫られた磨崖仏や、仏像などが置かれ、古くから信仰の山だった
様です。
自分もまずはお堂に参拝しました。
そびえる岩には、仏像の様なものが彫り込まれ、右側には文字が刻まれています。
この文字は、日清戦争の折、芦野から出征した船山市之助という人物が戦地で活躍
した事を顕彰するものだそうです。
さて、今回岩観音を訪問したのは参拝もそうなんですが、桜を見にきました。
岩観音の彼岸桜という樹齢150年超の桜があるという事でした。
が、残念、彼岸桜は既に見頃を過ぎていました。
彼岸桜は終わってましたが、まだ一部の桜は咲いていたので、その桜を堪能して
きました。
桜以外も、水仙や菜の花など咲いてました。地元の方が植えてるのかな。
非常に良い感じです。
かつて、週刊現代で紹介された事がある様です。
令和6年春旅2 桜巡り
http://rover.seesaa.net/article/503027350.html
<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html
<岩観音>
住所:栃木県那須郡那須町芦野341
駐車場あり(無料)
<岩観音について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
那須町にある岩観音に行ってきました。
切り立った巨岩の山があり、その中腹にお堂があるお寺。
岩は芦野石という石で、加工しやすい事から門柱や石垣として利用される石だそう
です。
この場所には岩に彫られた磨崖仏や、仏像などが置かれ、古くから信仰の山だった
様です。
自分もまずはお堂に参拝しました。
そびえる岩には、仏像の様なものが彫り込まれ、右側には文字が刻まれています。
この文字は、日清戦争の折、芦野から出征した船山市之助という人物が戦地で活躍
した事を顕彰するものだそうです。
さて、今回岩観音を訪問したのは参拝もそうなんですが、桜を見にきました。
岩観音の彼岸桜という樹齢150年超の桜があるという事でした。
が、残念、彼岸桜は既に見頃を過ぎていました。
彼岸桜は終わってましたが、まだ一部の桜は咲いていたので、その桜を堪能して
きました。
桜以外も、水仙や菜の花など咲いてました。地元の方が植えてるのかな。
非常に良い感じです。
かつて、週刊現代で紹介された事がある様です。
令和6年春旅2 桜巡り
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<桜の名所まとめのページはこちら>
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2024年04月28日
足利銀行 黒羽支店 (栃木県大田原市)
令和6年4月16日、大田原市にある足利銀行黒羽支店を見てきました。
<足利銀行 黒羽支店>
住所:栃木県大田原市黒羽向町32
駐車場あり(無料・銀行利用者の為の駐車場)
以前から気になっていた足利銀行黒羽支店の建物を見てきました。
国道294号線沿いにあり、東北方面から帰ってくる時に前を通る
ので、古い建物で営業しているこの銀行が気になっていました。
この建物は明治時代末期に黒羽銀行の建物として建築され営業をし
ていたそうですが、黒羽銀行が経営悪化につき解散、その業務を足利
銀行が引き継いだ事から、足利銀行の支店となっています。
この建物は今も現役で使われており、国指定の有形文化座になって
います。
中は普通に銀行として営業中。こういう建物が今でも使われているのは
すごいですね。
黒羽の古い町並みに非常によくとけこんでいます。
令和6年春旅2 桜巡り
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<足利銀行 黒羽支店>
住所:栃木県大田原市黒羽向町32
駐車場あり(無料・銀行利用者の為の駐車場)
以前から気になっていた足利銀行黒羽支店の建物を見てきました。
国道294号線沿いにあり、東北方面から帰ってくる時に前を通る
ので、古い建物で営業しているこの銀行が気になっていました。
この建物は明治時代末期に黒羽銀行の建物として建築され営業をし
ていたそうですが、黒羽銀行が経営悪化につき解散、その業務を足利
銀行が引き継いだ事から、足利銀行の支店となっています。
この建物は今も現役で使われており、国指定の有形文化座になって
います。
中は普通に銀行として営業中。こういう建物が今でも使われているのは
すごいですね。
黒羽の古い町並みに非常によくとけこんでいます。
令和6年春旅2 桜巡り
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2024年02月01日
鷲子山神社 (栃木県那珂川町)
令和5年11月4日、鷲子山神社を参拝しました。
<鷲子山神社>
住所:栃木県那須郡那珂川町矢又1948
駐車場あり(無料)
境内自由
<鷲子山神社について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鷲子山神社を参拝しました。今回の長かった旅の最後の観光地になります。
鷲子山神社は栃木県と茨城県の県境にある神社です。
実際神社の参道の階段は真ん中が県境になっています。
本殿のこの建物も建物の真ん中が県境の様です。
じゃあどっちの県所属なんでしょう。
鷲子山神社の公式HPを見ると住所は栃木県那珂川町になっているので、所在は
栃木県の様です。
しかし、楼門や本殿などに関しては栃木県・茨城県両県の文化財として指定されて
いるそうです。いろいろ複雑なんですね(笑)
もともと水戸藩の領地だったんですけど、廃藩置県でここが県境になってしまった
事によってこういう事態になったそうです。
鷲子山の御祭神は、天日鷲命(アメノヒワシノミコト)といわれる鳥の神様です。
古い時代よりフクロウが、大神様の御使い・幸福を呼ぶ神鳥として崇敬されてい
ます。
境内に日本一巨大なフクロウ像がおられます。
このフクロウ、金運のフクロウさんだそうです。
とりあえず保有株の上昇を祈願しました(^-^)
ちなみに私はこの神社来るの2回目。前回来たのは平成12年4月23日。
23年振りの訪問です(写真データのタイムスタンプより)
こちらは23年前の写真です。
続きを読む
<鷲子山神社>
住所:栃木県那須郡那珂川町矢又1948
駐車場あり(無料)
境内自由
<鷲子山神社について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鷲子山神社を参拝しました。今回の長かった旅の最後の観光地になります。
鷲子山神社は栃木県と茨城県の県境にある神社です。
実際神社の参道の階段は真ん中が県境になっています。
本殿のこの建物も建物の真ん中が県境の様です。
じゃあどっちの県所属なんでしょう。
鷲子山神社の公式HPを見ると住所は栃木県那珂川町になっているので、所在は
栃木県の様です。
しかし、楼門や本殿などに関しては栃木県・茨城県両県の文化財として指定されて
いるそうです。いろいろ複雑なんですね(笑)
もともと水戸藩の領地だったんですけど、廃藩置県でここが県境になってしまった
事によってこういう事態になったそうです。
鷲子山の御祭神は、天日鷲命(アメノヒワシノミコト)といわれる鳥の神様です。
古い時代よりフクロウが、大神様の御使い・幸福を呼ぶ神鳥として崇敬されてい
ます。
境内に日本一巨大なフクロウ像がおられます。
このフクロウ、金運のフクロウさんだそうです。
とりあえず保有株の上昇を祈願しました(^-^)
ちなみに私はこの神社来るの2回目。前回来たのは平成12年4月23日。
23年振りの訪問です(写真データのタイムスタンプより)
こちらは23年前の写真です。
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2023年06月29日
磯山神社のあじさい (栃木県鹿沼市)
鹿沼市の磯山神社であじさいを見てきました。
<磯山神社>
住所:栃木県鹿沼市磯町66
駐車場あり(無料)
磯山神社に行ってきました。
つい先日、テレビで磯山神社が出ていて、あじさいが見頃という事だったので
行ってみました。
ちょうどあじさいまつりが開催中でした。
という事もあり、かなりの人出。訪問したのが16時位でしたが、結構な混み合い
具合で、駐車場も常にいっぱいいっぱいな状況でした。
何でも、夜はあじさいのライトアップもあるそうで、そちらも珍しいなと。
さすがにライトアップまでは待つ事が出来ないので、普通にあじさいを鑑賞して
きました。
参道の紫陽花並木が見事。ここまでずらっとあじさいが並んでるのも珍しいです。
結構圧巻な風景です。
何本のあじさいの木があるのか分かりませんが、珍しい品種もあじさいもあり、とても
見応えがありました(^-^)
<磯山神社のあじさい・令和5年6月25日撮影>
今年のあじさいまつりは明日、6月30日迄との事です。
<磯山神社>
住所:栃木県鹿沼市磯町66
駐車場あり(無料)
磯山神社に行ってきました。
つい先日、テレビで磯山神社が出ていて、あじさいが見頃という事だったので
行ってみました。
ちょうどあじさいまつりが開催中でした。
という事もあり、かなりの人出。訪問したのが16時位でしたが、結構な混み合い
具合で、駐車場も常にいっぱいいっぱいな状況でした。
何でも、夜はあじさいのライトアップもあるそうで、そちらも珍しいなと。
さすがにライトアップまでは待つ事が出来ないので、普通にあじさいを鑑賞して
きました。
参道の紫陽花並木が見事。ここまでずらっとあじさいが並んでるのも珍しいです。
結構圧巻な風景です。
何本のあじさいの木があるのか分かりませんが、珍しい品種もあじさいもあり、とても
見応えがありました(^-^)
<磯山神社のあじさい・令和5年6月25日撮影>
今年のあじさいまつりは明日、6月30日迄との事です。
2022年09月28日
足利城址 (栃木県足利市)
足利市にある足利城址に行ってきました。
<足利城址>
住所:栃木県足利市大岩町
駐車場あり(無料・織姫公園駐車場利用)
<足利城について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
足利城址に行ってきました。
足利城は平安時代後期の城で、藤姓足利氏初代の足利成行により築城されたと伝わ
ります。1512年以降は足利長尾氏の居城となり、戦国時代には4度合戦の舞台とな
っています。
城は両崖山という標高250mほどの山に築かれています。山城です。
今回は山城をリア攻めすべく訪問しました。
ルートは何ルートかある様なのですが、駐車場があるという事で織姫公園ルートで
行きます。
織姫公園で靴を履き替え、虫除けを塗って山に向かいます。
途中は、岩場があったりして、そこそこ険しい道のりです。
険しいですが、この日も小学生の団体らしき集団とすれ違ったりしましたし、
ちゃんとトレッキングシューズとか履いてれば問題ないかと思います。
トレッキングシューズ、飲み物、タオル、あとステッキくらいあれば良いですかね。
織姫公園から山頂までは、途中休んだり写真撮ったりしながらダラダラ向かって
40分ほどでした。
<足利城>
山頂には御嶽神社が鎮座していました。ここが本丸跡です。
昨年両崖山は山火事が発生して、1週間くらい火が消えませんでした。
その残骸みたいなものを見る事ができました。
火災の原因ははっきりしませんが、登山客のタバコが原因とも言われています。
<足利城からの景色>
景色も良いですね〜。天気が良い日に登れて良かったです。
行きは40分かかりましたが、帰りは20分ほど。1時間半もあれば行って帰って
これる感じです。
城の遺構はあまり分かりませんでしたが、ハイキングがてら良い感じでした(^-^)
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
<足利城址>
住所:栃木県足利市大岩町
駐車場あり(無料・織姫公園駐車場利用)
<足利城について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
足利城址に行ってきました。
足利城は平安時代後期の城で、藤姓足利氏初代の足利成行により築城されたと伝わ
ります。1512年以降は足利長尾氏の居城となり、戦国時代には4度合戦の舞台とな
っています。
城は両崖山という標高250mほどの山に築かれています。山城です。
今回は山城をリア攻めすべく訪問しました。
ルートは何ルートかある様なのですが、駐車場があるという事で織姫公園ルートで
行きます。
織姫公園で靴を履き替え、虫除けを塗って山に向かいます。
途中は、岩場があったりして、そこそこ険しい道のりです。
険しいですが、この日も小学生の団体らしき集団とすれ違ったりしましたし、
ちゃんとトレッキングシューズとか履いてれば問題ないかと思います。
トレッキングシューズ、飲み物、タオル、あとステッキくらいあれば良いですかね。
織姫公園から山頂までは、途中休んだり写真撮ったりしながらダラダラ向かって
40分ほどでした。
<足利城>
山頂には御嶽神社が鎮座していました。ここが本丸跡です。
昨年両崖山は山火事が発生して、1週間くらい火が消えませんでした。
その残骸みたいなものを見る事ができました。
火災の原因ははっきりしませんが、登山客のタバコが原因とも言われています。
<足利城からの景色>
景色も良いですね〜。天気が良い日に登れて良かったです。
行きは40分かかりましたが、帰りは20分ほど。1時間半もあれば行って帰って
これる感じです。
城の遺構はあまり分かりませんでしたが、ハイキングがてら良い感じでした(^-^)
日本の城を巡る
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2022年04月30日
上籠谷のフジ (栃木県宇都宮市)
宇都宮市の天然記念物「上籠谷のフジ」を見てきました。
<上籠谷のフジ>
住所:栃木県宇都宮市上籠谷町2955
駐車場あり(無料)
<上籠谷のフジについて>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
上籠谷(かみこもりや)のフジを見てきました。
宇都宮市指定の天然記念物。
個人宅にある藤の木なんですが、広い駐車場もあり、無料で一般公開されています。
樹齢は120年ほどとの事です。
令和4年4月30日現在、ちょうど見頃を迎えていました。
GW中くらいは綺麗な花を見る事が出来そうです。
<上籠谷のフジ>
<上籠谷のフジ>
住所:栃木県宇都宮市上籠谷町2955
駐車場あり(無料)
<上籠谷のフジについて>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
上籠谷(かみこもりや)のフジを見てきました。
宇都宮市指定の天然記念物。
個人宅にある藤の木なんですが、広い駐車場もあり、無料で一般公開されています。
樹齢は120年ほどとの事です。
令和4年4月30日現在、ちょうど見頃を迎えていました。
GW中くらいは綺麗な花を見る事が出来そうです。
<上籠谷のフジ>
2021年11月28日
長林寺で紅葉観賞 (栃木県足利市)
栃木県足利市の長林寺で紅葉観賞してきました。
<長林寺>
住所:栃木県足利市山川町1142
駐車場あり(無料)
長林寺は1448年、足利長尾家の菩提所として初代景人が創建したお寺
です。
足利七福神巡りで福禄寿尊のお寺になります。
そんな長林寺に紅葉を見に行ってきました。
足利で紅葉と言うと、鑁阿寺とか浄因寺、織姫公園もみじ谷などの名所が
あり有名ですが、ここも隠れ名所って感じで紅葉が綺麗なお寺です。
行ったのは先週の日曜日。ちょうど見頃で綺麗な紅葉を堪能してきました。
<長林寺の紅葉・令和3年11月21日撮影>
紅葉の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/22577081.html
<長林寺>
住所:栃木県足利市山川町1142
駐車場あり(無料)
長林寺は1448年、足利長尾家の菩提所として初代景人が創建したお寺
です。
足利七福神巡りで福禄寿尊のお寺になります。
そんな長林寺に紅葉を見に行ってきました。
足利で紅葉と言うと、鑁阿寺とか浄因寺、織姫公園もみじ谷などの名所が
あり有名ですが、ここも隠れ名所って感じで紅葉が綺麗なお寺です。
行ったのは先週の日曜日。ちょうど見頃で綺麗な紅葉を堪能してきました。
<長林寺の紅葉・令和3年11月21日撮影>
紅葉の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/22577081.html
2021年11月21日
天徳寺宝衍の墓を参拝 (栃木県佐野市)
佐野市にある天徳寺宝衍の墓を参拝しました。
<天徳寺宝衍の墓>
住所:栃木県佐野市山形町1178
駐車場あり(無料)
<天徳寺宝衍について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天徳寺宝衍(てんとくじほうえん)の墓を参拝しました。
佐野市の北部、飛駒に向かう途中にある報恩寺というお寺にあります。
天徳寺宝衍は佐野房綱といい、唐沢山城主・佐野昌綱の次男とされています。
1560年に一旦出家しますが、その後豊臣秀吉に仕え、小田原攻めに参戦、活躍
します。後に佐野家の家督を相続しました。
1601年に亡くなり、報恩寺に葬られます。
この墓碑は、1750年にその威徳を偲び造られたものだそうです。
著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html
<天徳寺宝衍の墓>
住所:栃木県佐野市山形町1178
駐車場あり(無料)
<天徳寺宝衍について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天徳寺宝衍(てんとくじほうえん)の墓を参拝しました。
佐野市の北部、飛駒に向かう途中にある報恩寺というお寺にあります。
天徳寺宝衍は佐野房綱といい、唐沢山城主・佐野昌綱の次男とされています。
1560年に一旦出家しますが、その後豊臣秀吉に仕え、小田原攻めに参戦、活躍
します。後に佐野家の家督を相続しました。
1601年に亡くなり、報恩寺に葬られます。
この墓碑は、1750年にその威徳を偲び造られたものだそうです。
著名人の墓
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2021年03月07日
足利氏発祥の地 (栃木県足利市)
2021年02月03日
戊辰戦役の碑・安塚古戦場 (栃木県壬生町)
栃木県壬生町にある戊辰戦役の碑を見に行ってきました。
<戊辰戦役の碑>
住所:栃木県下都賀郡壬生町安塚1849−2
駐車場無し
<戊辰戦役の碑について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
戊辰戦役の碑を見に行ってきました。
ここは戊辰戦争宇都宮城の戦いにおける一連の戦いの一つ「安塚古戦場」です。
ここで行われた戦闘で無くなった旧幕府軍の兵士34名を祀っています。
住所は壬生ですが、すぐ北に行くと宇都宮市という位置。
このあたりには宇都宮城の戦いに関する史跡などが点在しています。
知らなければ通り過ぎてしまう場所。
駐車場もありません。
これくらいのスペースがあるので、軽自動車くらいなら何とかなるかも。
古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html
新撰組関連の史跡
http://rover.seesaa.net/article/26835008.html
<戊辰戦役の碑>
住所:栃木県下都賀郡壬生町安塚1849−2
駐車場無し
<戊辰戦役の碑について>
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戊辰戦役の碑を見に行ってきました。
ここは戊辰戦争宇都宮城の戦いにおける一連の戦いの一つ「安塚古戦場」です。
ここで行われた戦闘で無くなった旧幕府軍の兵士34名を祀っています。
住所は壬生ですが、すぐ北に行くと宇都宮市という位置。
このあたりには宇都宮城の戦いに関する史跡などが点在しています。
知らなければ通り過ぎてしまう場所。
駐車場もありません。
これくらいのスペースがあるので、軽自動車くらいなら何とかなるかも。
古戦場めぐり
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新撰組関連の史跡
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2020年07月03日
戊辰戦争・小原沢古戦場 (栃木県日光市)
栃木県日光市、戊辰戦争・小原沢古戦場に行ってきました。
<戊辰戦争・小原沢古戦場>
住所:栃木県日光市藤原
駐車場あり(無料)
<小原沢古戦場について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小原沢古戦場跡に行ってきました。今市の戦いの後、会津藩の山川大蔵と旧幕府
伝習隊の大鳥圭介は会津西街道防衛に方針を変え、鬼怒川温泉に近い小佐越や小原沢
などに陣を敷きました。
当時このあたりは道も狭く、迎撃にはもってこいの場所だった様です。
会津・旧幕府軍もこの地で新政府軍の進軍を阻み、戦況は膠着状態となりました。
その後、二本松藩が落城し、会津若松に新政府軍が侵攻するに至り、山川大蔵も
日光口を放棄し会津にもどる事になります。
小原沢の激戦地は小さな公園になっていて、そこにここでの戦死者を供養する碑が
建っていました。
<小原沢古戦場>
古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
<戊辰戦争・小原沢古戦場>
住所:栃木県日光市藤原
駐車場あり(無料)
<小原沢古戦場について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小原沢古戦場跡に行ってきました。今市の戦いの後、会津藩の山川大蔵と旧幕府
伝習隊の大鳥圭介は会津西街道防衛に方針を変え、鬼怒川温泉に近い小佐越や小原沢
などに陣を敷きました。
当時このあたりは道も狭く、迎撃にはもってこいの場所だった様です。
会津・旧幕府軍もこの地で新政府軍の進軍を阻み、戦況は膠着状態となりました。
その後、二本松藩が落城し、会津若松に新政府軍が侵攻するに至り、山川大蔵も
日光口を放棄し会津にもどる事になります。
小原沢の激戦地は小さな公園になっていて、そこにここでの戦死者を供養する碑が
建っていました。
<小原沢古戦場>
古戦場めぐり
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大河ドラマの舞台
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杉並木公園・砲弾打込杉 (栃木県日光市)
日光市にある杉並木公園に行ってきました。
<杉並木公園>
住所:栃木県日光市瀬川
駐車場あり(無料)
杉並木公園は日光街道杉並木の保存を目的に造られた公園です。
日光街道の杉並木は松平正綱が、主君家康の没後、日光東照宮への参道にあたる
3街道に約20年あまりの歳月をかけてスギを植樹し、東照宮に寄進したことに始
まり、その後日光奉行により管理されたものです。
今も総延長35キロに渡り杉並木が残り、ギネスにも登録されています。
そんな杉並木の今市〜日光間の一部が杉並木公園になってます。
駐車場が何ヶ所かあり、そこに車を停めて歩きました。
杉並木の中は日陰になって涼しく、すがすがしい環境です。
旧街道の雰囲気を味わいながら散策し、今回見ようと思っていた砲弾打込松に
到着しました。
<砲弾打込杉>
これが砲弾打込杉。ここは戊辰戦争の激戦地なんです。
板垣退助率いる新政府軍と、会津藩・旧幕府軍の伝習隊がぶつかっています。
日光口の戦いの中で今市の戦いといわれる戦いです。
今市の戦いでは、新政府軍が優勢で会津藩と伝習隊はここから北の小佐越に
陣を移し会津西街道の防衛戦に戦いは推移していく事になります。
この砲弾は今市の戦いで撃ち込まれた砲弾です。
この打込杉の近くの別の杉の木にも砲弾跡みたいなのがありました。
やはりここは激戦地だったんですね。感慨深いものがありました。
砲弾打込杉は歩いていかないと見る事が出来ません。
古戦場めぐり
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<杉並木公園>
住所:栃木県日光市瀬川
駐車場あり(無料)
杉並木公園は日光街道杉並木の保存を目的に造られた公園です。
日光街道の杉並木は松平正綱が、主君家康の没後、日光東照宮への参道にあたる
3街道に約20年あまりの歳月をかけてスギを植樹し、東照宮に寄進したことに始
まり、その後日光奉行により管理されたものです。
今も総延長35キロに渡り杉並木が残り、ギネスにも登録されています。
そんな杉並木の今市〜日光間の一部が杉並木公園になってます。
駐車場が何ヶ所かあり、そこに車を停めて歩きました。
杉並木の中は日陰になって涼しく、すがすがしい環境です。
旧街道の雰囲気を味わいながら散策し、今回見ようと思っていた砲弾打込松に
到着しました。
<砲弾打込杉>
これが砲弾打込杉。ここは戊辰戦争の激戦地なんです。
板垣退助率いる新政府軍と、会津藩・旧幕府軍の伝習隊がぶつかっています。
日光口の戦いの中で今市の戦いといわれる戦いです。
今市の戦いでは、新政府軍が優勢で会津藩と伝習隊はここから北の小佐越に
陣を移し会津西街道の防衛戦に戦いは推移していく事になります。
この砲弾は今市の戦いで撃ち込まれた砲弾です。
この打込杉の近くの別の杉の木にも砲弾跡みたいなのがありました。
やはりここは激戦地だったんですね。感慨深いものがありました。
砲弾打込杉は歩いていかないと見る事が出来ません。
古戦場めぐり
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2020年05月06日
精忠神社 / 鳥居元忠畳塚 (栃木県壬生町)
栃木県壬生町にある精忠神社に行ってきました。
<精忠神社>
住所:栃木県下都賀郡壬生町本丸1丁目9−13
駐車場あり(無料)
境内自由
<精忠神社について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
精忠神社を参拝しました。
栃木県壬生町、壬生城址の北側の一角に精忠神社があります。
壬生藩は1712年に鳥居家が入封し、明治維新まで鳥居家が治めます。
入封に際し、城の北側に先祖である鳥居元忠を祀る神社を造りました。
それが精忠神社です。
今回精忠神社に行ったのには理由があります。
それは精忠神社にある畳塚という塚に関する話を知ったからです。
鳥居元忠は関ヶ原の前哨戦で、伏見城に籠城し三成方の軍勢に攻められ自刃します。
家康はその忠義を称え、元忠の血が染みついた畳を江戸城伏見櫓に置き、登城する
大名に忠義を偲ばせたとの事。
その畳、幕末の江戸城無血開城後、ゆかりの深い壬生へ運ばれ元忠が祀られる
精忠神社に奉納されたという事です。
こんな話があることを全然知りませんでした。旅行雑誌か何かの記事で知りました。
神社裏に「畳塚」という塚がありました。ここに畳が奉納されてるんですね。
<畳塚>
丁重に参拝してきました。まだまだ知らない歴史があるなと、つくづく思った
ところです。
令和2年1月12日訪問
<精忠神社>
住所:栃木県下都賀郡壬生町本丸1丁目9−13
駐車場あり(無料)
境内自由
<精忠神社について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
精忠神社を参拝しました。
栃木県壬生町、壬生城址の北側の一角に精忠神社があります。
壬生藩は1712年に鳥居家が入封し、明治維新まで鳥居家が治めます。
入封に際し、城の北側に先祖である鳥居元忠を祀る神社を造りました。
それが精忠神社です。
今回精忠神社に行ったのには理由があります。
それは精忠神社にある畳塚という塚に関する話を知ったからです。
鳥居元忠は関ヶ原の前哨戦で、伏見城に籠城し三成方の軍勢に攻められ自刃します。
家康はその忠義を称え、元忠の血が染みついた畳を江戸城伏見櫓に置き、登城する
大名に忠義を偲ばせたとの事。
その畳、幕末の江戸城無血開城後、ゆかりの深い壬生へ運ばれ元忠が祀られる
精忠神社に奉納されたという事です。
こんな話があることを全然知りませんでした。旅行雑誌か何かの記事で知りました。
神社裏に「畳塚」という塚がありました。ここに畳が奉納されてるんですね。
<畳塚>
丁重に参拝してきました。まだまだ知らない歴史があるなと、つくづく思った
ところです。
令和2年1月12日訪問
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梁田戦争 (栃木県足利市)
栃木県足利市で梁田戦争の古戦場めぐりをしました。
<梁田戦争>
住所:栃木県足利市福富町398−2(梁田公民館)
駐車場あり(無料)
資料館無料
<梁田戦争について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
栃木県足利市で梁田戦争の古戦場めぐりをしました。
梁田戦争は、1868年3月9日、足利市の梁田宿で繰り広げられた戦いで、戊辰
戦争の局地戦のひとつです。
旧幕府軍、古屋佐久左衛門率いる「衝鋒隊」と薩摩、長州、大垣藩兵が交戦しました。
衝鋒隊は古屋佐久左衛門、副将今井 信郎らによって組織された隊で、約900名の
兵力です。
衝鋒隊が梁田で休息中、正確には朝食をとっている時に薩長、大垣藩兵が奇襲攻撃
をしかけました。薩摩の指揮官は後に昭和天皇の教育係にもなる川村純義。
兵力に勝る旧幕府軍でしたが急襲を受け混乱、約2時間余りの戦いで衝鋒隊は壊走。
会津に落ち延びる事になりました。
あまり知られていない戦いですが、足利市の梁田公民館に資料館が併設されていて、
自由に見学することが出来ます。
<資料館>
梁田戦争に関する展示があります。ここで梁田戦争の概要を確認しました。
<弾痕の松・公民館敷地内>
木にモルタルを詰めた部分が銃弾が撃ち込まれた場所の様です。
この公民館のある場所が、まさに激戦地だったんですね。
<戦死塚・足利市梁田町540、長福寺境内>
戦死者を供養する戦死塚です。
旧幕府軍戦死者64名が埋葬されています。
<明治戊辰梁田役東軍戦死者追弔碑、同じく長福寺境内>
衝鋒隊士であった内田万次郎によって大正時代に造られた慰霊碑です。
<例幣使街道・梁田宿>
今の例幣使街道・梁田宿付近の風景です。
平成29年6月27日訪問
古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html
<梁田戦争>
住所:栃木県足利市福富町398−2(梁田公民館)
駐車場あり(無料)
資料館無料
<梁田戦争について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
栃木県足利市で梁田戦争の古戦場めぐりをしました。
梁田戦争は、1868年3月9日、足利市の梁田宿で繰り広げられた戦いで、戊辰
戦争の局地戦のひとつです。
旧幕府軍、古屋佐久左衛門率いる「衝鋒隊」と薩摩、長州、大垣藩兵が交戦しました。
衝鋒隊は古屋佐久左衛門、副将今井 信郎らによって組織された隊で、約900名の
兵力です。
衝鋒隊が梁田で休息中、正確には朝食をとっている時に薩長、大垣藩兵が奇襲攻撃
をしかけました。薩摩の指揮官は後に昭和天皇の教育係にもなる川村純義。
兵力に勝る旧幕府軍でしたが急襲を受け混乱、約2時間余りの戦いで衝鋒隊は壊走。
会津に落ち延びる事になりました。
あまり知られていない戦いですが、足利市の梁田公民館に資料館が併設されていて、
自由に見学することが出来ます。
<資料館>
梁田戦争に関する展示があります。ここで梁田戦争の概要を確認しました。
<弾痕の松・公民館敷地内>
木にモルタルを詰めた部分が銃弾が撃ち込まれた場所の様です。
この公民館のある場所が、まさに激戦地だったんですね。
<戦死塚・足利市梁田町540、長福寺境内>
戦死者を供養する戦死塚です。
旧幕府軍戦死者64名が埋葬されています。
<明治戊辰梁田役東軍戦死者追弔碑、同じく長福寺境内>
衝鋒隊士であった内田万次郎によって大正時代に造られた慰霊碑です。
<例幣使街道・梁田宿>
今の例幣使街道・梁田宿付近の風景です。
平成29年6月27日訪問
古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html
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2019年04月14日
万福寺のソメイヨシノ (栃木県野木町)
栃木県野木町にある万福寺で桜を見てきました。
<万福寺のソメイヨシノ>
住所:栃木県下都賀郡野木町野渡706
駐車場あり(無料)
境内自由
野木町の万福寺で桜を見てきました。
野木町のホームページによると、室町時代の連歌師として有名な猪苗代兼載という
人物にちなみ昭和30年代に植樹されたものだそうです。
ソメイヨシノなので樹齢はそんなでもありませんが、巨木で見応えがありました。
<万福寺のソメイヨシノ・平成31年4月7日撮影>
<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html
<万福寺のソメイヨシノ>
住所:栃木県下都賀郡野木町野渡706
駐車場あり(無料)
境内自由
野木町の万福寺で桜を見てきました。
野木町のホームページによると、室町時代の連歌師として有名な猪苗代兼載という
人物にちなみ昭和30年代に植樹されたものだそうです。
ソメイヨシノなので樹齢はそんなでもありませんが、巨木で見応えがありました。
<万福寺のソメイヨシノ・平成31年4月7日撮影>
<桜の名所まとめのページはこちら>
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2018年05月21日
那須神田城址 (栃木県那珂川町)
那須神田城址に行ってきました。
<那須神田城>
住所:栃木県那珂川町三輪13
駐車場あり(無料)
<那須神田城について>
神田城は、1125年に藤原資家によって築城されました。
その後、那須氏の居城となりますが、平安時代末期には廃城となった様
です。
城跡は土塁が比較的綺麗に残っています。土塁に囲まれた空間は畑になって
いました。
<那須神田城址>
平成30年いわき湯本温泉ちょい旅
http://rover.seesaa.net/article/457700247.html
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
<那須神田城>
住所:栃木県那珂川町三輪13
駐車場あり(無料)
<那須神田城について>
神田城は、1125年に藤原資家によって築城されました。
その後、那須氏の居城となりますが、平安時代末期には廃城となった様
です。
城跡は土塁が比較的綺麗に残っています。土塁に囲まれた空間は畑になって
いました。
<那須神田城址>
平成30年いわき湯本温泉ちょい旅
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日本の城を巡る
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2016年11月06日
日光市上三依付近の紅葉 (栃木県日光市)
日光市上三依付近で紅葉が見頃です。
<上三依の紅葉>
住所:栃木県日光市上三依
国道121号線(会津西街道)を会津田島から日光市方面に走って
きたところ、国道に併走する川があり、その川に沿って紅葉が
見頃になっていました。
車を停めて写真を撮っている人がいたので、僕も車を停め紅葉を
鑑賞しました。
ここは紅葉の名所として特に紹介されるような場所ではありません
が、川に沿ってかなりの距離で紅葉してました。とても美しい
紅葉です(^O^)
16時ちかい時間帯で、日が既に山に隠れてしまっていた。
日が当たれば更に綺麗でしょうね。
<上三依の紅葉・平成28年11月3日撮影>
平成28年秋旅2 米沢へ出陣!
http://rover.seesaa.net/article/443372694.html
紅葉の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/22577081.html
<上三依の紅葉>
住所:栃木県日光市上三依
国道121号線(会津西街道)を会津田島から日光市方面に走って
きたところ、国道に併走する川があり、その川に沿って紅葉が
見頃になっていました。
車を停めて写真を撮っている人がいたので、僕も車を停め紅葉を
鑑賞しました。
ここは紅葉の名所として特に紹介されるような場所ではありません
が、川に沿ってかなりの距離で紅葉してました。とても美しい
紅葉です(^O^)
16時ちかい時間帯で、日が既に山に隠れてしまっていた。
日が当たれば更に綺麗でしょうね。
<上三依の紅葉・平成28年11月3日撮影>
平成28年秋旅2 米沢へ出陣!
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紅葉の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/22577081.html
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2016年06月29日
合戦場 (栃木県栃木市)
栃木市の合戦場に行ってきました。
合戦場とはなんぞやという事ですが、「合戦場」は栃木市にある地名です。
そのまま「かっせんば」と読みます。
変わった地名、何か由来があるんでしょうという事で調べてみました。
この地名の由来は、1523年この付近で、宇都宮氏と皆川氏の戦(河原田合戦)
があった事によるものだそうです。
この戦いで、皆川氏は宇都宮氏の軍勢に劣勢にたたされ、かろうじて皆川城は
死守しました。
その後、江戸時代になると日光例幣使街道の宿場町となり賑わいを見せました。
今は栃木市郊外の住宅地という感じで、特に昔の面影が残っている訳ではありません。
合戦場で見所は、合戦場郵便局でしょうか。
ここに、金運があがるという金のポストがあります。
<合戦場郵便局>
住所:栃木県栃木市都賀町合戦場753
僕もこのポストをさわって、金運アップを祈願してきました(^-^)
最近世界経済の情勢が不透明ですが、良い方向に行ってほしいものです。
郵便局の前には、日立製作所創業者・小平波平氏生誕の地があります。
こちらのお宅、今でも人が住んでいる様で「小平」と表札も出ていました。
<東武鉄道・合戦場駅>
こういう変わった地名は由来を調べてみると面白いですね(^-^)
古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html
合戦場とはなんぞやという事ですが、「合戦場」は栃木市にある地名です。
そのまま「かっせんば」と読みます。
変わった地名、何か由来があるんでしょうという事で調べてみました。
この地名の由来は、1523年この付近で、宇都宮氏と皆川氏の戦(河原田合戦)
があった事によるものだそうです。
この戦いで、皆川氏は宇都宮氏の軍勢に劣勢にたたされ、かろうじて皆川城は
死守しました。
その後、江戸時代になると日光例幣使街道の宿場町となり賑わいを見せました。
今は栃木市郊外の住宅地という感じで、特に昔の面影が残っている訳ではありません。
合戦場で見所は、合戦場郵便局でしょうか。
ここに、金運があがるという金のポストがあります。
<合戦場郵便局>
住所:栃木県栃木市都賀町合戦場753
僕もこのポストをさわって、金運アップを祈願してきました(^-^)
最近世界経済の情勢が不透明ですが、良い方向に行ってほしいものです。
郵便局の前には、日立製作所創業者・小平波平氏生誕の地があります。
こちらのお宅、今でも人が住んでいる様で「小平」と表札も出ていました。
<東武鉄道・合戦場駅>
こういう変わった地名は由来を調べてみると面白いですね(^-^)
古戦場めぐり
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真名子城址 (栃木県栃木市)
栃木県栃木市(旧西方町)にある真名子城址に行ってきました。
<真名子城址>
住所:栃木県栃木市西方町真名子
駐車場なし
<真名子城について・現地解説>
宇都宮元綱が築城し、戦国時代には皆川氏の最前線として宇都宮氏の西方城と
対峙していたと伝えられています。山頂に主郭を置き、尾根筋には曲輪や堀切
を配置し、南西に伸びる尾根のほぼ先端には大きな二重堀切を設けています。
西側麓に根小屋という地名が残っていますが、これは城に付属する人々の
居住地と考えられます。
東側に近接する西方城は、堅固さと同時に進入してきた敵を防ぐ多くの工夫が
なされています。一方真名子城は自然の地形を活かし、堀切・段差といった
障害物を多く造ることにより敵を絶対に侵入させないという考え方で築かれて
います。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
栃木市にある真名子城(別名・赤壁城)に行ってきました。
このお城については全然知らなかったんですが、西方城に向かう途中、車で
走っていたところ「赤壁城」という矢印を発見して訪問しました。
この矢印があって、ここから登山道です。
登り初めてすぐにお墓があり、お墓の裏(左側)に登山道が進みます。
ここが分かりづらくて、最初お墓の前を通って進んでいったら、そのまま
元の道路に戻ってしまって迷いました。
山道は結構ハードです。
アップダウンもあり、本丸までは片道20分くらいの山登りになります。
足場も悪く、来ている人も少ないせいか蜘蛛の巣もすごくて、木の棒で
蜘蛛の巣を振り払いながら前に進みました。
本丸跡には小さなほこらがありますが、それだけです。
山城ですが、景色もまったく良くないので、城マニア以外は行っても
意味ないかなと思います。
これは、登山道の下の方で撮影した景色です。
近くには真名子かんとりー倶楽部があります。
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
<真名子城址>
住所:栃木県栃木市西方町真名子
駐車場なし
<真名子城について・現地解説>
宇都宮元綱が築城し、戦国時代には皆川氏の最前線として宇都宮氏の西方城と
対峙していたと伝えられています。山頂に主郭を置き、尾根筋には曲輪や堀切
を配置し、南西に伸びる尾根のほぼ先端には大きな二重堀切を設けています。
西側麓に根小屋という地名が残っていますが、これは城に付属する人々の
居住地と考えられます。
東側に近接する西方城は、堅固さと同時に進入してきた敵を防ぐ多くの工夫が
なされています。一方真名子城は自然の地形を活かし、堀切・段差といった
障害物を多く造ることにより敵を絶対に侵入させないという考え方で築かれて
います。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
栃木市にある真名子城(別名・赤壁城)に行ってきました。
このお城については全然知らなかったんですが、西方城に向かう途中、車で
走っていたところ「赤壁城」という矢印を発見して訪問しました。
この矢印があって、ここから登山道です。
登り初めてすぐにお墓があり、お墓の裏(左側)に登山道が進みます。
ここが分かりづらくて、最初お墓の前を通って進んでいったら、そのまま
元の道路に戻ってしまって迷いました。
山道は結構ハードです。
アップダウンもあり、本丸までは片道20分くらいの山登りになります。
足場も悪く、来ている人も少ないせいか蜘蛛の巣もすごくて、木の棒で
蜘蛛の巣を振り払いながら前に進みました。
本丸跡には小さなほこらがありますが、それだけです。
山城ですが、景色もまったく良くないので、城マニア以外は行っても
意味ないかなと思います。
これは、登山道の下の方で撮影した景色です。
近くには真名子かんとりー倶楽部があります。
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
[ここに地図が表示されます]
2016年06月26日
西方城址 (栃木県栃木市)
栃木県栃木市にある西方城址に行ってきました。
<西方城址>
住所:栃木県栃木市西方町本城1468
駐車場あり(無料)
<西方城について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
西方城に行ってきました。ここは宇都宮氏の一族、西方氏の山城です。
戦国時代、宇都宮氏の最前線の軍事拠点として重要視されていたと
考えられています。
深い堀や高い城壁によって防御するとともに、通路を屈曲、複雑化し
場内に進入してきた敵を多方面から攻撃できる様な工夫がされています。
長徳寺という寺の脇に城への登山口があります。
寺の前には駐車場も完備されています。
山道は結構ハード。片道20分くらいの山登りになります。
足場の悪いところもあるので注意が必要です。
<本丸跡>
山城なんですけど、景色はいまいちです。
二の丸の一部が開けて遠くを見ることができますが、ここだけです。
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
<西方城址>
住所:栃木県栃木市西方町本城1468
駐車場あり(無料)
<西方城について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
西方城に行ってきました。ここは宇都宮氏の一族、西方氏の山城です。
戦国時代、宇都宮氏の最前線の軍事拠点として重要視されていたと
考えられています。
深い堀や高い城壁によって防御するとともに、通路を屈曲、複雑化し
場内に進入してきた敵を多方面から攻撃できる様な工夫がされています。
長徳寺という寺の脇に城への登山口があります。
寺の前には駐車場も完備されています。
山道は結構ハード。片道20分くらいの山登りになります。
足場の悪いところもあるので注意が必要です。
<本丸跡>
山城なんですけど、景色はいまいちです。
二の丸の一部が開けて遠くを見ることができますが、ここだけです。
日本の城を巡る
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皆川城址 (栃木県栃木市)
栃木市にある皆川城址に行ってきました。
<皆川城址>
住所:栃木市皆川城内町699
駐車場あり(無料)
<皆川城について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
皆川城址に行ってきました。この城は皆川氏の居城で、合戦時に立て籠
もる軍事上のお城です。
平時に政治を行う居館はこの城の麓にありました。
城は竪堀など遺構をよく残しています。
城の本丸跡からは、東北自動車道を眺め下ろす事ができます。
今も交通の要衝ですが、戦国期にもこの地は交通の要衝で、そこを
守る役目を果たしたものと思われます。
秀吉の小田原攻めの際に落城しました。
交通は、麓にある皆川公民館を目指して行きます。
ここに駐車場があるので、停めて城跡に向かいます。
山城で、本丸までは片道10分ほど。城跡は綺麗に整備されているので
そんなに苦も無く登頂できます。
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html
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<皆川城址>
住所:栃木市皆川城内町699
駐車場あり(無料)
<皆川城について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
皆川城址に行ってきました。この城は皆川氏の居城で、合戦時に立て籠
もる軍事上のお城です。
平時に政治を行う居館はこの城の麓にありました。
城は竪堀など遺構をよく残しています。
城の本丸跡からは、東北自動車道を眺め下ろす事ができます。
今も交通の要衝ですが、戦国期にもこの地は交通の要衝で、そこを
守る役目を果たしたものと思われます。
秀吉の小田原攻めの際に落城しました。
交通は、麓にある皆川公民館を目指して行きます。
ここに駐車場があるので、停めて城跡に向かいます。
山城で、本丸までは片道10分ほど。城跡は綺麗に整備されているので
そんなに苦も無く登頂できます。
日本の城を巡る
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著名人の墓
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2016年04月27日
榎本城趾 (栃木県栃木市)
栃木県栃木市にある榎本城趾に行ってきました。
<榎本城趾>
住所:栃木県栃木市大平町真弓
駐車場なし
<榎本城について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大平町にある榎本城趾に行ってきました。
戦国時代、小山氏の居城だったお城で、秀吉の小田原征伐の際落城しました。
現在は土塁の跡がわずかに残るのみです。
場所が超分かりづらかったです。田んぼの中にちょっとした森があって、そこが
城跡って感じでした。
<榎本城趾>
日本の城を巡る
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<榎本城趾>
住所:栃木県栃木市大平町真弓
駐車場なし
<榎本城について>
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大平町にある榎本城趾に行ってきました。
戦国時代、小山氏の居城だったお城で、秀吉の小田原征伐の際落城しました。
現在は土塁の跡がわずかに残るのみです。
場所が超分かりづらかったです。田んぼの中にちょっとした森があって、そこが
城跡って感じでした。
<榎本城趾>
日本の城を巡る
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2016年04月24日
日光田母沢御用邸公園 (栃木県日光市)
日光田母沢御用邸公園に行ってきました。
<日光田母沢御用邸公園>
住所:栃木県日光市本町8-27
駐車場あり(有料:200円)
入場料:510円
<日光田母沢御用邸について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
日光田母沢御用邸公園に行ってきました。
ここは大正天皇の静養所として作られ、戦時中には今上天皇が疎開してこられた
場所でもあります。
戦後御用邸としての役割を終え、現在記念公園として公開されています。
大正時代の建築の粋を結集した建物は、和洋折衷の素晴らしい建物です。
今日は桜も咲いているという話を聞いての訪問です。
庭園からの写真は続きをどうぞ
続きを読む
<日光田母沢御用邸公園>
住所:栃木県日光市本町8-27
駐車場あり(有料:200円)
入場料:510円
<日光田母沢御用邸について>
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日光田母沢御用邸公園に行ってきました。
ここは大正天皇の静養所として作られ、戦時中には今上天皇が疎開してこられた
場所でもあります。
戦後御用邸としての役割を終え、現在記念公園として公開されています。
大正時代の建築の粋を結集した建物は、和洋折衷の素晴らしい建物です。
今日は桜も咲いているという話を聞いての訪問です。
庭園からの写真は続きをどうぞ
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2016年04月17日
思川桜・再 (栃木県小山市)
今日は久しぶりに栃木県小山市の思川桜を見に行ってきました。
この桜は咲く時期が遅く、4月中旬に見頃を迎えます。
今日は満開だったんですが、あまりの強風の為か、花見客はほとんどいません
でした(^^;
<思川桜・平成28年4月17日撮影>
<過去記事>
http://rover.seesaa.net/article/265178120.html
2月に購入したドライブレコーダーを使って桜並木を撮影してみました。
ドライブレコーダーのソフトを使ってyoutubeにアップ出来るのもありがたいです。
<ドライブレコーダーで撮ってみました>
桜の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html
住所:栃木県小山市大行寺1117
この桜は咲く時期が遅く、4月中旬に見頃を迎えます。
今日は満開だったんですが、あまりの強風の為か、花見客はほとんどいません
でした(^^;
<思川桜・平成28年4月17日撮影>
<過去記事>
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2月に購入したドライブレコーダーを使って桜並木を撮影してみました。
ドライブレコーダーのソフトを使ってyoutubeにアップ出来るのもありがたいです。
<ドライブレコーダーで撮ってみました>
桜の名所巡り
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住所:栃木県小山市大行寺1117
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天平の丘公園の桜 (栃木県下野市)
栃木県下野市、天平の丘公園で桜を見てきました。
<天平の丘公園の桜>
住所:栃木県下野市国分寺993−1
駐車場あり
天平の丘公園には約450本の桜が植えられています。
今ちょうど八重桜中心ですが見頃を迎えています。今日は強風の中でしたが
出店が出たりイベントが行われていたりで多くの花見客で賑わっていました。
あと4〜5日は満開の桜を楽しめそうです
<天平の丘公園の桜・平成28年4月17日撮影>
天平の丘に向かう途中の桜並木
桜の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html
<天平の丘公園の桜>
住所:栃木県下野市国分寺993−1
駐車場あり
天平の丘公園には約450本の桜が植えられています。
今ちょうど八重桜中心ですが見頃を迎えています。今日は強風の中でしたが
出店が出たりイベントが行われていたりで多くの花見客で賑わっていました。
あと4〜5日は満開の桜を楽しめそうです
<天平の丘公園の桜・平成28年4月17日撮影>
天平の丘に向かう途中の桜並木
桜の名所巡り
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2016年04月04日
種徳院の枝垂れ桜 (栃木県佐野市)
栃木県佐野市の種徳院で枝垂れ桜を見てきました。
<種徳院の桜>
住所:栃木県佐野市戸奈良町960
駐車場あり(無料)
<枝垂れ桜について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
栃木県佐野市、旧田沼エリアにある種徳院の枝垂れ桜です。佐野の中心部からは
車で15分〜20分位かかります。
寺に行くと、本堂前に2本の桜の古木があります。
樹齢は300年説と170年説とあるようで定かではありません。
木はかなり弱っており、西の木は綺麗に咲いていましたが、幹は空洞になっていて
いつまで持つかなと心配になってしまいました。
少しでもながく、綺麗な花を咲かせて欲しいものです。
<種徳院の桜・平成28年4月3日撮影>
【東の桜】
【西の桜】
クリックすると拡大します。
桜の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html
<種徳院の桜>
住所:栃木県佐野市戸奈良町960
駐車場あり(無料)
<枝垂れ桜について>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
栃木県佐野市、旧田沼エリアにある種徳院の枝垂れ桜です。佐野の中心部からは
車で15分〜20分位かかります。
寺に行くと、本堂前に2本の桜の古木があります。
樹齢は300年説と170年説とあるようで定かではありません。
木はかなり弱っており、西の木は綺麗に咲いていましたが、幹は空洞になっていて
いつまで持つかなと心配になってしまいました。
少しでもながく、綺麗な花を咲かせて欲しいものです。
<種徳院の桜・平成28年4月3日撮影>
【東の桜】
【西の桜】
クリックすると拡大します。
桜の名所巡り
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2015年12月02日
金蔵院 (栃木県佐野市)
栃木県佐野市の金蔵院で紅葉を見てきました(^-^)
<金蔵院>
住所:栃木県佐野市仙波町463
駐車場あり(無料)
<金蔵院解説・クリックすると拡大します>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
佐野の紅葉の名所、金蔵院に行ってきました。
市のHPを見ての訪問です。
場所が非常に分かりづらいです。僕の車のカーナビにはここに通じる道が無く、
非常に迷いました。
佐野市立常磐小学校の脇の細い道をぬけて行くと金蔵院があります。
市のHPを見たら紅葉のトンネルの様になっていたんですが、あいにく見頃は過ぎて
残すところわずかという状況でした(>_<)
紅葉最終盤ではありましたが、最後の紅葉を見る事が出来ました。
今度は見頃に見に来たいです(^-^)
<金蔵院の紅葉・平成27年11月29日撮影>
紅葉の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/22577081.html
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<金蔵院>
住所:栃木県佐野市仙波町463
駐車場あり(無料)
<金蔵院解説・クリックすると拡大します>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
佐野の紅葉の名所、金蔵院に行ってきました。
市のHPを見ての訪問です。
場所が非常に分かりづらいです。僕の車のカーナビにはここに通じる道が無く、
非常に迷いました。
佐野市立常磐小学校の脇の細い道をぬけて行くと金蔵院があります。
市のHPを見たら紅葉のトンネルの様になっていたんですが、あいにく見頃は過ぎて
残すところわずかという状況でした(>_<)
紅葉最終盤ではありましたが、最後の紅葉を見る事が出来ました。
今度は見頃に見に来たいです(^-^)
<金蔵院の紅葉・平成27年11月29日撮影>
紅葉の名所巡り
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赤見城跡 (栃木県佐野市)
栃木県佐野市にある赤見城趾に行ってきました。
<赤見城趾>
住所:栃木県佐野市赤見町3572
駐車場なし
<現地解説・クリックすると拡大します>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
赤見城趾に行ってきました。
赤見城は平安時代末期に足利俊綱によって築城され、戦国期まで唐沢山城の支城
として存在しました。
現在、現地は赤見城保育園という保育園になっており、綺麗に残った土塁の中に
保育園の施設がおさまっていて、何というか不思議な光景です。
敵に攻められたら保育園に籠城出来そうな感じです(笑)
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
<赤見城趾>
住所:栃木県佐野市赤見町3572
駐車場なし
<現地解説・クリックすると拡大します>
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
赤見城趾に行ってきました。
赤見城は平安時代末期に足利俊綱によって築城され、戦国期まで唐沢山城の支城
として存在しました。
現在、現地は赤見城保育園という保育園になっており、綺麗に残った土塁の中に
保育園の施設がおさまっていて、何というか不思議な光景です。
敵に攻められたら保育園に籠城出来そうな感じです(笑)
日本の城を巡る
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2015年11月30日
小谷城趾 (栃木県小山市)
栃木県小山市にある小谷城趾に行ってきました。
<小谷城趾>
住所:栃木県小山市上生井
駐車場なし(当該城跡前に車一台分のスペースがあります)
<小谷城について>
小谷城は平安時代末期に造られ、戦国時代に廃城になったお城です。
県道沿いにあるんですが、近くに行っても案内板があるわけでもなく、非常に
分かりづらい場所です。
現在は神明宮という小さな神社があります。あと、近くに牛舎でもあるのか
とにかく香ばしい臭いがしています(^^;;;;
ちなみに「おだにじょう」ではなく「こやじょう」です。
<小谷城趾>
日本の城を巡る
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<小谷城趾>
住所:栃木県小山市上生井
駐車場なし(当該城跡前に車一台分のスペースがあります)
<小谷城について>
小谷城は平安時代末期に造られ、戦国時代に廃城になったお城です。
県道沿いにあるんですが、近くに行っても案内板があるわけでもなく、非常に
分かりづらい場所です。
現在は神明宮という小さな神社があります。あと、近くに牛舎でもあるのか
とにかく香ばしい臭いがしています(^^;;;;
ちなみに「おだにじょう」ではなく「こやじょう」です。
<小谷城趾>
日本の城を巡る
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2014年10月26日
源三窟 (栃木県那須塩原市)
栃木県那須塩原市にある源三窟に行ってきました。
<源三窟>
住所:栃木県那須塩原市塩原1118
駐車場あり(無料)
入場:700円、JAF割引あり
<現地解説>
源平の争乱のおり、源頼政(源三位頼政)は戦いに敗れ、宇治の平等院で自刃した
が、その後、孫の源有綱も鎌倉の戦いに敗れてこの身を洞窟に隠し、再び立ち上が
る機会を待った。その時、洞内より流れ出る滝にて米をとぎ、そのとぎ汁を流した
ために発見され、あわれな最期をとげたと伝えられる。
この洞窟は鍾乳石の古い洞窟で、洞の長さおよそ40mほどの通り抜けとなって
おり、洞内の温度は年中15・6度で夏は涼しく冬は暖かく石柱、石筍などの
存在とともに塩原における考古学研究の貴重な所となっている。
洞窟を通り抜けると洞内より発見された鎧・兜を陳列する武具資料館がある。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
那須塩原にある源三窟という洞窟に行ってきました。
那須塩原には何度か言ってますが、ここは初訪問です。
ここは源頼政の孫、源有綱ゆかりの地。有綱は壇ノ浦の戦いで義経とともに戦った
義経の腹心で、その後義経ともども頼朝軍に追われ塩原に逃げ込み、地元の城主
であった塩原家忠に捕らえられこの洞窟で落人生活を送ったそうです。
再起を図り義経に合流しようと図りましたが、米のとぎ汁を頼朝軍に見つかり、発見
され無念の最期を遂げたそうです。
ここ那須塩原にこんな史跡があるのは知りませんでした。
ここから北に少し行ったところには湯西川があり、ここは平家落人の里として有名で
すが、平家だけでなく義経ゆかりの源有綱関連の地が近くにあったのは驚きです。
<源三窟>
入り口です。
入るとすぐ米をとぐ武将の人形があります。
右は滝です。洞窟の中に滝があり水が岩の隙間から湧き出ています。
源有綱とその家臣潜伏の図。
写真が多いので、続きをどうぞ。
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html
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<源三窟>
住所:栃木県那須塩原市塩原1118
駐車場あり(無料)
入場:700円、JAF割引あり
<現地解説>
源平の争乱のおり、源頼政(源三位頼政)は戦いに敗れ、宇治の平等院で自刃した
が、その後、孫の源有綱も鎌倉の戦いに敗れてこの身を洞窟に隠し、再び立ち上が
る機会を待った。その時、洞内より流れ出る滝にて米をとぎ、そのとぎ汁を流した
ために発見され、あわれな最期をとげたと伝えられる。
この洞窟は鍾乳石の古い洞窟で、洞の長さおよそ40mほどの通り抜けとなって
おり、洞内の温度は年中15・6度で夏は涼しく冬は暖かく石柱、石筍などの
存在とともに塩原における考古学研究の貴重な所となっている。
洞窟を通り抜けると洞内より発見された鎧・兜を陳列する武具資料館がある。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
那須塩原にある源三窟という洞窟に行ってきました。
那須塩原には何度か言ってますが、ここは初訪問です。
ここは源頼政の孫、源有綱ゆかりの地。有綱は壇ノ浦の戦いで義経とともに戦った
義経の腹心で、その後義経ともども頼朝軍に追われ塩原に逃げ込み、地元の城主
であった塩原家忠に捕らえられこの洞窟で落人生活を送ったそうです。
再起を図り義経に合流しようと図りましたが、米のとぎ汁を頼朝軍に見つかり、発見
され無念の最期を遂げたそうです。
ここ那須塩原にこんな史跡があるのは知りませんでした。
ここから北に少し行ったところには湯西川があり、ここは平家落人の里として有名で
すが、平家だけでなく義経ゆかりの源有綱関連の地が近くにあったのは驚きです。
<源三窟>
入り口です。
入るとすぐ米をとぐ武将の人形があります。
右は滝です。洞窟の中に滝があり水が岩の隙間から湧き出ています。
源有綱とその家臣潜伏の図。
写真が多いので、続きをどうぞ。
大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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日塩もみじラインの紅葉 (栃木県日光市・那須塩原市)
栃木県にある日塩もみじラインに紅葉を見に行ってきました。
<日塩もみじライン>
住所:栃木県那須塩原市・日光市
有料道路(610円)
日塩もみじラインは竜王峡から塩原温泉につながる山岳道路です。
標高は1000mを超え、景色も良好です。
有料道路で610円する事から、今まで一度も走ったことがありませ
んでした。特に道路としてバイパスみたいな使い方も出来ないので、
観光用道路という割り切りです。
名前からも分かるように、もみじが多く、紅葉の時期が良いという話
で今回初訪問です。
竜王峡側から入り、坂を登って行くと途中から道路わきが赤く色づき
標高1000m超の白滝付近は今ちょうど見頃という感じでした。
<日塩もみじラインの紅葉・平成26年10月26日撮影>
<白滝>
日本の滝巡り
http://rover.seesaa.net/article/25540563.html
紅葉の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/22577081.html
<日塩もみじライン>
住所:栃木県那須塩原市・日光市
有料道路(610円)
日塩もみじラインは竜王峡から塩原温泉につながる山岳道路です。
標高は1000mを超え、景色も良好です。
有料道路で610円する事から、今まで一度も走ったことがありませ
んでした。特に道路としてバイパスみたいな使い方も出来ないので、
観光用道路という割り切りです。
名前からも分かるように、もみじが多く、紅葉の時期が良いという話
で今回初訪問です。
竜王峡側から入り、坂を登って行くと途中から道路わきが赤く色づき
標高1000m超の白滝付近は今ちょうど見頃という感じでした。
<日塩もみじラインの紅葉・平成26年10月26日撮影>
<白滝>
日本の滝巡り
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紅葉の名所巡り
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2014年07月09日
孝謙天皇神社 (栃木県下野市)
栃木県下野市にある孝謙天皇神社に行ってきました。
<孝謙天皇神社>
住所:栃木県下野市上大領
駐車場なし
<現地解説>
今から1200余年の昔、下野国薬師寺の別当に弓削道鏡が配流された。
かつて道鏡は法王として孝謙天皇の最も厚い信頼を得ていました。
女帝は配流された道鏡をあわれみ、この地にまえり病没したと言い伝え
られていますが、女帝の崩御後、道鏡と共に女帝に仕えていた高級女官
の篠姫・笹姫も配流されてきた。
二人は奈良の都には永久に帰ることが出来ない事を悟り、女帝の御陵より
分骨をして戴き、銅製の舎利塔に納め当地にあった西光寺に安置し女帝の
供養につとめた。
その後西光寺は廃寺となり、村人達は舎利塔をご神体に祀り孝謙天皇
神社と改め、8月4日の崩御日に女帝を偲び、清楚なお祭りを催し今日に
至っています。
なお、二人の女官の墓は、ここより南500mの所に篠塚・笹塚として戦前
まで保存されていましたが、残念ながら現在はその跡しか残っておりませ
ん。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
栃木県下野市の孝謙天皇神社に行ってきました。
天皇の名を名乗る神社って珍しいですよね。僕もここと、山口にある
安徳天皇社くらいしか思い浮かびません。
先日久々に前を通りかかったので、寄ってみました。
孝謙天皇は奈良時代の天皇で、しかも女帝です。
孝謙天皇の治世には、藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)があったりした時期。
恵美押勝の乱の原因が道鏡によるもので、この乱後、孝謙天皇(重祚して
称徳天皇)と道鏡の治世になります。
孝謙天皇(女帝)と道鏡は実は男女の関係だったという話があり、道鏡は
異例の出世を遂げますが、宇佐八幡宮のご神託事件その後天皇の死去に
より実権を失い下野に流されます。
この神社の解説だと、流された道鏡を偲んでこの地に来た孝謙天皇が
この地で亡くなったとあるので、少し違うような気もします。
実際天皇は平城宮で亡くなっているというのが通説であり、下野で
亡くなったというのは俗説の一つと思われます。道鏡と天皇の親密な
関係があっての俗説なんでしょう。
孝謙天皇神社ではちょうどアジサイが咲いてました。
<孝謙天皇神社のアジサイ・平成26年6月29日撮影>
<孝謙天皇神社>
住所:栃木県下野市上大領
駐車場なし
<現地解説>
今から1200余年の昔、下野国薬師寺の別当に弓削道鏡が配流された。
かつて道鏡は法王として孝謙天皇の最も厚い信頼を得ていました。
女帝は配流された道鏡をあわれみ、この地にまえり病没したと言い伝え
られていますが、女帝の崩御後、道鏡と共に女帝に仕えていた高級女官
の篠姫・笹姫も配流されてきた。
二人は奈良の都には永久に帰ることが出来ない事を悟り、女帝の御陵より
分骨をして戴き、銅製の舎利塔に納め当地にあった西光寺に安置し女帝の
供養につとめた。
その後西光寺は廃寺となり、村人達は舎利塔をご神体に祀り孝謙天皇
神社と改め、8月4日の崩御日に女帝を偲び、清楚なお祭りを催し今日に
至っています。
なお、二人の女官の墓は、ここより南500mの所に篠塚・笹塚として戦前
まで保存されていましたが、残念ながら現在はその跡しか残っておりませ
ん。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
栃木県下野市の孝謙天皇神社に行ってきました。
天皇の名を名乗る神社って珍しいですよね。僕もここと、山口にある
安徳天皇社くらいしか思い浮かびません。
先日久々に前を通りかかったので、寄ってみました。
孝謙天皇は奈良時代の天皇で、しかも女帝です。
孝謙天皇の治世には、藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)があったりした時期。
恵美押勝の乱の原因が道鏡によるもので、この乱後、孝謙天皇(重祚して
称徳天皇)と道鏡の治世になります。
孝謙天皇(女帝)と道鏡は実は男女の関係だったという話があり、道鏡は
異例の出世を遂げますが、宇佐八幡宮のご神託事件その後天皇の死去に
より実権を失い下野に流されます。
この神社の解説だと、流された道鏡を偲んでこの地に来た孝謙天皇が
この地で亡くなったとあるので、少し違うような気もします。
実際天皇は平城宮で亡くなっているというのが通説であり、下野で
亡くなったというのは俗説の一つと思われます。道鏡と天皇の親密な
関係があっての俗説なんでしょう。
孝謙天皇神社ではちょうどアジサイが咲いてました。
<孝謙天皇神社のアジサイ・平成26年6月29日撮影>
[ここに地図が表示されます]
2014年07月06日
上三川城 (栃木県上三川町)
栃木県上三川町にある上三川城に行ってきました。
<上三川城>
住所:栃木県河内郡上三川町上三川
駐車場あり(無料)
<現地解説>
上三川城は1249年、宇都宮氏の一族である横田越中守頼業が築いた城
で、以来1597年に芳賀高武に攻められて落城するまで348年間
続いた城です。
現在では本丸を残すのみですが、元は東西400〜500m、南北
1000mの範囲に土手を巡らせた場所がいくつも並んだ広大で堅固な
構えを見せた城でした。
本丸の周りには、城主である横田家の墓や今泉家の墓などの城に関係の
ある史跡が残っています。
また、本丸の堀には上三川城落城にまつわる「片目のドジョウ」の伝説
が伝えられています。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
上三川城に行ってきました。1200年代の築城という事で、鎌倉時代
からのお城です。今は本丸跡が芝生で整備された公園になってます。
石垣もありますが、これは近年の復元ものだそうです。
落城にまつわる「片目どじょう」の話というのがあるそうです。
自害しようとした姫が、あやまって目を刺してしまい、その後堀に身を
なげて亡くなったとか。それ以降堀のドジョウは片目なんだとか。
城は堀に囲まれており、遊歩道が整備されています。
先週訪問しましたが、ちょうどアジサイが咲いていました。
<上三川城のアジサイ・平成26年6月29日撮影>
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
<上三川城>
住所:栃木県河内郡上三川町上三川
駐車場あり(無料)
<現地解説>
上三川城は1249年、宇都宮氏の一族である横田越中守頼業が築いた城
で、以来1597年に芳賀高武に攻められて落城するまで348年間
続いた城です。
現在では本丸を残すのみですが、元は東西400〜500m、南北
1000mの範囲に土手を巡らせた場所がいくつも並んだ広大で堅固な
構えを見せた城でした。
本丸の周りには、城主である横田家の墓や今泉家の墓などの城に関係の
ある史跡が残っています。
また、本丸の堀には上三川城落城にまつわる「片目のドジョウ」の伝説
が伝えられています。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
上三川城に行ってきました。1200年代の築城という事で、鎌倉時代
からのお城です。今は本丸跡が芝生で整備された公園になってます。
石垣もありますが、これは近年の復元ものだそうです。
落城にまつわる「片目どじょう」の話というのがあるそうです。
自害しようとした姫が、あやまって目を刺してしまい、その後堀に身を
なげて亡くなったとか。それ以降堀のドジョウは片目なんだとか。
城は堀に囲まれており、遊歩道が整備されています。
先週訪問しましたが、ちょうどアジサイが咲いていました。
<上三川城のアジサイ・平成26年6月29日撮影>
日本の城を巡る
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平家の里 (栃木県日光市)
栃木県日光市にある平家の里に行ってきました。
<平家の里>
住所:栃木県日光市湯西川1042
駐車場あり(無料)
入園料:500円
観覧時間:8時30分〜17時
平成24年10月7日、日光市湯西川にある平家の里を訪問しました。
湯西川温泉という温泉地でも知られる湯西川の里は平家落人の里と
して有名です。
そんな平家落人の里には独特な風土が残り、その風土風習を伝える為に
古民家などを移築してつくられた施設がこの平家の里です。
内容的には、この地方の風土風習を伝える資料館という感じであり、
源平の歴史などについて詳しく伝える歴史館という感じのものではあり
ません。ゆえにそういうのを期待して行くとがっかりしてしまう施設
かもしれません。
施設の見学時間としては30〜40分くらい。湯西川温泉に行ったつい
でに立ち寄ると良いかなと思います。
結構リアルな人形(^^;
これは平敦盛。
こちらは平清盛です。
<平家塚>
施設の片隅にある平家塚です。
平家の武将、平忠寶、平忠房とその家臣や姫達の武具、金銀財宝を埋めた所と
伝えられています。
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
<平家の里>
住所:栃木県日光市湯西川1042
駐車場あり(無料)
入園料:500円
観覧時間:8時30分〜17時
平成24年10月7日、日光市湯西川にある平家の里を訪問しました。
湯西川温泉という温泉地でも知られる湯西川の里は平家落人の里と
して有名です。
そんな平家落人の里には独特な風土が残り、その風土風習を伝える為に
古民家などを移築してつくられた施設がこの平家の里です。
内容的には、この地方の風土風習を伝える資料館という感じであり、
源平の歴史などについて詳しく伝える歴史館という感じのものではあり
ません。ゆえにそういうのを期待して行くとがっかりしてしまう施設
かもしれません。
施設の見学時間としては30〜40分くらい。湯西川温泉に行ったつい
でに立ち寄ると良いかなと思います。
結構リアルな人形(^^;
これは平敦盛。
こちらは平清盛です。
<平家塚>
施設の片隅にある平家塚です。
平家の武将、平忠寶、平忠房とその家臣や姫達の武具、金銀財宝を埋めた所と
伝えられています。
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
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2013年11月20日
大平山の紅葉 (栃木県栃木市)
栃木県栃木市の大平山の紅葉です。
<大平山の紅葉>
住所:栃木県栃木市平井町
駐車場あり(無料)
以前、大平山の桜について記事を書きましたが、今回は紅葉を見に行って
きました。
太平山の山頂は、謙信平と呼ばれます。
1568年、関東に出兵した上杉謙信は、当時の大中寺住職の斡旋
で北条氏康と和議を結びました。
その後、上杉謙信は太平山に登り、兵馬の訓練を行い、大平山お上
から南の関東平野を見渡し、あまりの広さに目を見張ったという故事
から「謙信平」の地名が生まれたと言われています。
その景色は絶景です。
さて、紅葉ですが、桜の時には気がつきませんでしたが、カエデが結構
あり、彩り豊かです。平成25年11月13日の訪問ですが、見頃には
少し早いけど、そこそこ良い感じでした。
<大平山の紅葉・平成25年11月13日撮影>
クリックすると拡大します。
紅葉の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/22577081.html
<大平山の紅葉>
住所:栃木県栃木市平井町
駐車場あり(無料)
以前、大平山の桜について記事を書きましたが、今回は紅葉を見に行って
きました。
太平山の山頂は、謙信平と呼ばれます。
1568年、関東に出兵した上杉謙信は、当時の大中寺住職の斡旋
で北条氏康と和議を結びました。
その後、上杉謙信は太平山に登り、兵馬の訓練を行い、大平山お上
から南の関東平野を見渡し、あまりの広さに目を見張ったという故事
から「謙信平」の地名が生まれたと言われています。
その景色は絶景です。
さて、紅葉ですが、桜の時には気がつきませんでしたが、カエデが結構
あり、彩り豊かです。平成25年11月13日の訪問ですが、見頃には
少し早いけど、そこそこ良い感じでした。
<大平山の紅葉・平成25年11月13日撮影>
クリックすると拡大します。
紅葉の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/22577081.html
2013年07月17日
例幣使街道・栃木宿 (栃木県栃木市)
栃木県栃木市、日光例幣使街道・栃木宿を散策してきました。
<例幣使街道・栃木宿>
住所:栃木県栃木市嘉右衛門町 他
日光例幣使街道は、徳川家康の没後、日光東照宮に幣帛を奉納するための
使者(日光例幣使)が通った街道で、宿場町が20ヶ所ほどあります。
そんな宿場の一つ、栃木宿を散策してきました。
栃木市は小江戸と呼ばれる古い町並みの残る町ですが、古い町並みは塚田
記念館のあるエリアと、岡田記念館のある例幣使街道エリアに分かれて
存在します。
岡田記念館エリアは、旧街道沿いに古い建物が点在し、宿場の雰囲気を
感じる事が出来ます。岡田記念館、翁島等歴史的建造物を見学しながら、
町並みを散策するのが良いですね。
<例幣使街道・栃木宿>
日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html
<例幣使街道・栃木宿>
住所:栃木県栃木市嘉右衛門町 他
日光例幣使街道は、徳川家康の没後、日光東照宮に幣帛を奉納するための
使者(日光例幣使)が通った街道で、宿場町が20ヶ所ほどあります。
そんな宿場の一つ、栃木宿を散策してきました。
栃木市は小江戸と呼ばれる古い町並みの残る町ですが、古い町並みは塚田
記念館のあるエリアと、岡田記念館のある例幣使街道エリアに分かれて
存在します。
岡田記念館エリアは、旧街道沿いに古い建物が点在し、宿場の雰囲気を
感じる事が出来ます。岡田記念館、翁島等歴史的建造物を見学しながら、
町並みを散策するのが良いですね。
<例幣使街道・栃木宿>
日本の古い町並み
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2013年05月01日
栃木蔵の町 (栃木県栃木市)
栃木県栃木市、塚田歴史伝説館脇から川沿いを散策しました。
<蔵の町栃木>
住所:栃木県栃木市倭町2−16
蔵の町栃木市に行ってきました。栃木市は埼玉県川越市、千葉県佐原市と
並び小江戸と呼ばれる蔵の町です。
川越の住民である私としては、「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」
と言われた歴史もあり、小江戸は川越だけだろという意識もあるんですけどね。
まあそれはさておき、最近は通り過ぎるだけだった栃木市を久々に歩いて散歩しま
した。
蔵があるのは商業の町として栄えたからで、巴波川の舟運で江戸に物資を運んで
いたそうです。
そんな木材回船問屋だったのが塚田家で、その蔵は現在資料館として公開されて
います。塚田歴史伝説館脇の巴波川沿いの風景は栃木市を代表する風景として冊子
などでよく紹介されます。
ちょうど時期も時期という事で、鯉のぼりも出ておりました。
<栃木の風景>
日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html
<蔵の町栃木>
住所:栃木県栃木市倭町2−16
蔵の町栃木市に行ってきました。栃木市は埼玉県川越市、千葉県佐原市と
並び小江戸と呼ばれる蔵の町です。
川越の住民である私としては、「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」
と言われた歴史もあり、小江戸は川越だけだろという意識もあるんですけどね。
まあそれはさておき、最近は通り過ぎるだけだった栃木市を久々に歩いて散歩しま
した。
蔵があるのは商業の町として栄えたからで、巴波川の舟運で江戸に物資を運んで
いたそうです。
そんな木材回船問屋だったのが塚田家で、その蔵は現在資料館として公開されて
います。塚田歴史伝説館脇の巴波川沿いの風景は栃木市を代表する風景として冊子
などでよく紹介されます。
ちょうど時期も時期という事で、鯉のぼりも出ておりました。
<栃木の風景>
日本の古い町並み
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2013年04月06日
龍興寺の枝垂れ桜 (栃木県栃木市)
栃木県栃木市の龍興寺で枝垂れ桜を見てきました。
<龍興寺>
住所:栃木県栃木市都賀町大柿1120
駐車場あり
主幹より元枝に、元枝より小枝にわかれ、バランス良く四方に枝垂れる
さまは、品格と貫禄を兼ね備え龍興寺の往時を偲ばせるものがある。
特に春早く他の桜花にさきがけて枝垂れ咲く様は見事で、訪れた人の目
を楽しませている。
目通り3.3m
木の高さ20m
樹齢300年
<龍興寺の枝垂れ桜・平成25年3月31日撮影>
<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html
<龍興寺>
住所:栃木県栃木市都賀町大柿1120
駐車場あり
主幹より元枝に、元枝より小枝にわかれ、バランス良く四方に枝垂れる
さまは、品格と貫禄を兼ね備え龍興寺の往時を偲ばせるものがある。
特に春早く他の桜花にさきがけて枝垂れ咲く様は見事で、訪れた人の目
を楽しませている。
目通り3.3m
木の高さ20m
樹齢300年
<龍興寺の枝垂れ桜・平成25年3月31日撮影>
<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html
長福寺の枝垂れ桜 (栃木県栃木市)
栃木県栃木市の長福寺で枝垂れ桜を見てきました。
<長福寺の枝垂れ桜>
住所:栃木県栃木市都賀町富張505
駐車場あり
栃木市の旧都賀町に長福寺というお寺があります。
寺に関しては、特に解説等も無いため由来等よく分かりませんが、このお寺は
花の寺として有名なお寺だそうです。
中でも枝垂れ桜が有名。境内には2本の立派な枝垂れ桜があります。
1本は樹齢約70年、もう1本は樹齢約200年という事です。
70年の方が木としては迫力があるかな。
<樹齢70年の枝垂れ桜>
クリックすると拡大します。
<樹齢200年の枝垂れ桜>
ちょうど水仙も見頃を迎えていました。
撮影は平成25年3月31日です。
<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html
<長福寺の枝垂れ桜>
住所:栃木県栃木市都賀町富張505
駐車場あり
栃木市の旧都賀町に長福寺というお寺があります。
寺に関しては、特に解説等も無いため由来等よく分かりませんが、このお寺は
花の寺として有名なお寺だそうです。
中でも枝垂れ桜が有名。境内には2本の立派な枝垂れ桜があります。
1本は樹齢約70年、もう1本は樹齢約200年という事です。
70年の方が木としては迫力があるかな。
<樹齢70年の枝垂れ桜>
クリックすると拡大します。
<樹齢200年の枝垂れ桜>
ちょうど水仙も見頃を迎えていました。
撮影は平成25年3月31日です。
<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html
2013年03月31日
千歳袋川堤桜並木 (栃木県足利市)
栃木県足利市、千歳袋川堤桜並木を見に行ってきました。
<千歳袋川堤桜並木>
住所:栃木県足利市千歳町
駐車場あり(桜小学校校庭が臨時駐車場になっています・無料)
栃木県足利市の千歳袋川堤桜並木を見に行ってきました。
出店も出ており、賑やかな感じ。花見客も大勢来ていました。
土日だけと思われますが、小学校の校庭が臨時駐車場になっており、車で
埋まっていました。ナンバーはほぼ地元。あまり関東で知名度がある桜の
名所ではありませんが、綺麗さで言うとなかなかのもの。
川の堤という事ですが、川というより下水?!という感じ。それがまた良い
雰囲気をかもしているのかも。線路が走っているようにも見える感じが
良いのかもしれません。
<千歳袋川堤桜並木・平成25年3月31日撮影>
クリックすると拡大します。
<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html
<千歳袋川堤桜並木>
住所:栃木県足利市千歳町
駐車場あり(桜小学校校庭が臨時駐車場になっています・無料)
栃木県足利市の千歳袋川堤桜並木を見に行ってきました。
出店も出ており、賑やかな感じ。花見客も大勢来ていました。
土日だけと思われますが、小学校の校庭が臨時駐車場になっており、車で
埋まっていました。ナンバーはほぼ地元。あまり関東で知名度がある桜の
名所ではありませんが、綺麗さで言うとなかなかのもの。
川の堤という事ですが、川というより下水?!という感じ。それがまた良い
雰囲気をかもしているのかも。線路が走っているようにも見える感じが
良いのかもしれません。
<千歳袋川堤桜並木・平成25年3月31日撮影>
クリックすると拡大します。
<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html
2012年11月25日
あしかがフラワーパークのイルミネーション (栃木県足利市)
栃木県足利市にある、あしかがフラワーパークで開催中のイルミネーション
を見に行ってきました。
<あしかがフラワーパーク「光の花の庭」>
住所:栃木県足利市迫間町607
駐車場あり(無料)
入園料:600円
点灯期間:2012年10月27日〜2013年1月27日
点灯時間:16:30〜21:00※土・日曜・祝日は〜21:30
2012年のイルミネーション「光の花の庭」を見に行ってきました。
180万球の光がおりなすイルミネーションが素晴らしいです。
あしかがフラワーパークはその名の通り、花園なんですけど、いろいろ
イベントをやっています。
あしかがフラワーパークと言えば有名なのは天然記念物の藤の花で、それ
を見に1回行ったことがありましたが、それ以外では初訪問。
これだけ大規模なイルミネーションやってるというのは知りませんでした。
ヤフージャパンの人気のイルミネーションランキングで、11月25日現在
全国1位になってます。
http://xmas.yahoo.co.jp/ranking/
人気ゆえに、とにかく混んでます。
暗くなる17時くらいに行った方が良いです。遅くなると駐車場が渋滞して
ます。
<あしかがフラワーパークのイルミネーション2012>
を見に行ってきました。
<あしかがフラワーパーク「光の花の庭」>
住所:栃木県足利市迫間町607
駐車場あり(無料)
入園料:600円
点灯期間:2012年10月27日〜2013年1月27日
点灯時間:16:30〜21:00※土・日曜・祝日は〜21:30
2012年のイルミネーション「光の花の庭」を見に行ってきました。
180万球の光がおりなすイルミネーションが素晴らしいです。
あしかがフラワーパークはその名の通り、花園なんですけど、いろいろ
イベントをやっています。
あしかがフラワーパークと言えば有名なのは天然記念物の藤の花で、それ
を見に1回行ったことがありましたが、それ以外では初訪問。
これだけ大規模なイルミネーションやってるというのは知りませんでした。
ヤフージャパンの人気のイルミネーションランキングで、11月25日現在
全国1位になってます。
http://xmas.yahoo.co.jp/ranking/
人気ゆえに、とにかく混んでます。
暗くなる17時くらいに行った方が良いです。遅くなると駐車場が渋滞して
ます。
<あしかがフラワーパークのイルミネーション2012>
2012年04月21日
小山(祇園)城 (栃木県小山市)
栃木県小山市にある小山城に行ってきました。
<小山城/祇園城>
住所:栃木県小山市城山町
駐車場あり
平安時代に藤原秀郷が築いたという伝承もありますが、正確な築城
年代は不明で、記録に見えるのは14世紀後半のころからです。
この城を築いたとき、城守りの神として祇園社をまつった事から
祇園城と言われるようになったと伝えられます。
西に思川をひかえた丘陵を利用して築かれ、築城されたころは現在の
城山公園程度の規模と思われ、小山氏の本拠となったのは15世紀に
なってから。戦国の動乱に際し、小山氏は越後の上杉氏や小田原の
北条氏といった有力な大名に攻略され、1575年に北条氏照によ
って祇園城は陥落、小山秀綱は追放されました。
その後、氏照が大規模に拡張・整備を行ったと思われます。
やがて北条氏も滅亡し、江戸幕府成立後本多正純が3万石で城主と
なり、最終的な縄張りを完成させ、東西約400m、南北約700m
におよぶ城郭となりました。
この本多正純も1619年に宇都宮に転封となり、祇園城は廃城と
なりました。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小山城(祇園城)に行ってきました。
藤原秀郷までさかのぼるという古い歴史を持つお城です。
最後の城主は本多正純だったんですね、これは知りませんでした。
本多正純というと宇都宮っていうイメージなもので。
思川を自然の堀とした要害のお城、今も堀の跡はよく残っています。
この日は桜を見に行きました。
お城は花見客でいっぱい。桜はちょうど見頃を迎えていました。
<祇園城の桜・平成24年4月15日撮影>
<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
<小山城/祇園城>
住所:栃木県小山市城山町
駐車場あり
平安時代に藤原秀郷が築いたという伝承もありますが、正確な築城
年代は不明で、記録に見えるのは14世紀後半のころからです。
この城を築いたとき、城守りの神として祇園社をまつった事から
祇園城と言われるようになったと伝えられます。
西に思川をひかえた丘陵を利用して築かれ、築城されたころは現在の
城山公園程度の規模と思われ、小山氏の本拠となったのは15世紀に
なってから。戦国の動乱に際し、小山氏は越後の上杉氏や小田原の
北条氏といった有力な大名に攻略され、1575年に北条氏照によ
って祇園城は陥落、小山秀綱は追放されました。
その後、氏照が大規模に拡張・整備を行ったと思われます。
やがて北条氏も滅亡し、江戸幕府成立後本多正純が3万石で城主と
なり、最終的な縄張りを完成させ、東西約400m、南北約700m
におよぶ城郭となりました。
この本多正純も1619年に宇都宮に転封となり、祇園城は廃城と
なりました。
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小山城(祇園城)に行ってきました。
藤原秀郷までさかのぼるという古い歴史を持つお城です。
最後の城主は本多正純だったんですね、これは知りませんでした。
本多正純というと宇都宮っていうイメージなもので。
思川を自然の堀とした要害のお城、今も堀の跡はよく残っています。
この日は桜を見に行きました。
お城は花見客でいっぱい。桜はちょうど見頃を迎えていました。
<祇園城の桜・平成24年4月15日撮影>
<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html
日本の城を巡る
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2012年04月20日
太平山の桜 (栃木県栃木市)
栃木市の太平山に桜を見に行ってきました。
<太平山の桜>
住所:栃木県栃木市平井町
駐車場あり(無料・有料あり)
標高345mの太平山には約4000本の桜が植樹されています。
太平山の山頂は、謙信平と呼ばれます。
1568年、関東に出兵した上杉謙信は、当時の大中寺住職の斡旋
で北条氏康と和議を結びました。
その後、上杉謙信は太平山に登り、兵馬の訓練を行い、大平山お上
から南の関東平野を見渡し、あまりの広さに目を見張ったという故事
から「謙信平」の地名が生まれたと言われています。
そんな謙信平に桜を見ようと向かいました。
時間は午後4時ちょっと前。太平山の麓に到着。
山頂を目指します。
國學院栃木側の道路が渋滞していたので、迂回の案内に従い回り込む
ように別の道へ。
途中まで順調だったんですが、その道も渋滞に。
そこからが長かった・・・・。
山頂の謙信平まで1時間もかかりました(>_<)
太平山はあじさいの名所でもあって、あじさいのシーズンも混むんですが
そんなの目じゃないほど混んでました。。。
時間が遅かったので油断してました。
駐車場に車を停めれたのが17時過ぎ。もうぐったりです。
時間が遅くなってしまい、やや暗くなってからの桜になたのが残念
でしたが、さすがはさくらの名所100選。
お見事な桜でした。
<太平山の桜・平成24年4月15日撮影>
クリックすると拡大します。
<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html
<太平山の桜>
住所:栃木県栃木市平井町
駐車場あり(無料・有料あり)
標高345mの太平山には約4000本の桜が植樹されています。
太平山の山頂は、謙信平と呼ばれます。
1568年、関東に出兵した上杉謙信は、当時の大中寺住職の斡旋
で北条氏康と和議を結びました。
その後、上杉謙信は太平山に登り、兵馬の訓練を行い、大平山お上
から南の関東平野を見渡し、あまりの広さに目を見張ったという故事
から「謙信平」の地名が生まれたと言われています。
そんな謙信平に桜を見ようと向かいました。
時間は午後4時ちょっと前。太平山の麓に到着。
山頂を目指します。
國學院栃木側の道路が渋滞していたので、迂回の案内に従い回り込む
ように別の道へ。
途中まで順調だったんですが、その道も渋滞に。
そこからが長かった・・・・。
山頂の謙信平まで1時間もかかりました(>_<)
太平山はあじさいの名所でもあって、あじさいのシーズンも混むんですが
そんなの目じゃないほど混んでました。。。
時間が遅かったので油断してました。
駐車場に車を停めれたのが17時過ぎ。もうぐったりです。
時間が遅くなってしまい、やや暗くなってからの桜になたのが残念
でしたが、さすがはさくらの名所100選。
お見事な桜でした。
<太平山の桜・平成24年4月15日撮影>
クリックすると拡大します。
<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html
2012年04月17日
下生井の桜 (栃木県小山市)
小山市下生井にある桜を見てきました。
<下生井の桜>
住所:栃木県小山市下生井
駐車場あり(無料)
旧思川の水路変更で出来た水辺付近を公園にした場所です。
ここに桜や思川桜がならびます。
平成24年4月15日現在満開でした。
<下生井の桜・平成24年4月15日撮影>
<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html
<下生井の桜>
住所:栃木県小山市下生井
駐車場あり(無料)
旧思川の水路変更で出来た水辺付近を公園にした場所です。
ここに桜や思川桜がならびます。
平成24年4月15日現在満開でした。
<下生井の桜・平成24年4月15日撮影>
<桜のある風景>
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