栃木県下野市にある孝謙天皇神社に行ってきました。
<孝謙天皇神社>

住所:栃木県下野市上大領
駐車場なし
<現地解説>
今から1200余年の昔、下野国薬師寺の別当に弓削道鏡が配流された。
かつて道鏡は法王として孝謙天皇の最も厚い信頼を得ていました。
女帝は配流された道鏡をあわれみ、この地にまえり病没したと言い伝え
られていますが、女帝の崩御後、道鏡と共に女帝に仕えていた高級女官
の篠姫・笹姫も配流されてきた。
二人は奈良の都には永久に帰ることが出来ない事を悟り、女帝の御陵より
分骨をして戴き、銅製の舎利塔に納め当地にあった西光寺に安置し女帝の
供養につとめた。
その後西光寺は廃寺となり、村人達は舎利塔をご神体に祀り孝謙天皇
神社と改め、8月4日の崩御日に女帝を偲び、清楚なお祭りを催し今日に
至っています。
なお、二人の女官の墓は、ここより南500mの所に篠塚・笹塚として戦前
まで保存されていましたが、残念ながら現在はその跡しか残っておりませ
ん。
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栃木県下野市の孝謙天皇神社に行ってきました。
天皇の名を名乗る神社って珍しいですよね。僕もここと、山口にある
安徳天皇社くらいしか思い浮かびません。
先日久々に前を通りかかったので、寄ってみました。
孝謙天皇は奈良時代の天皇で、しかも女帝です。
孝謙天皇の治世には、藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)があったりした時期。
恵美押勝の乱の原因が道鏡によるもので、この乱後、孝謙天皇(重祚して
称徳天皇)と道鏡の治世になります。
孝謙天皇(女帝)と道鏡は実は男女の関係だったという話があり、道鏡は
異例の出世を遂げますが、宇佐八幡宮のご神託事件その後天皇の死去に
より実権を失い下野に流されます。
この神社の解説だと、流された道鏡を偲んでこの地に来た孝謙天皇が
この地で亡くなったとあるので、少し違うような気もします。
実際天皇は平城宮で亡くなっているというのが通説であり、下野で
亡くなったというのは俗説の一つと思われます。道鏡と天皇の親密な
関係があっての俗説なんでしょう。


孝謙天皇神社ではちょうどアジサイが咲いてました。
<孝謙天皇神社のアジサイ・平成26年6月29日撮影>



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