2022年09月24日

誓願寺・源頼朝生誕の地    (名古屋市熱田区)

名古屋市熱田区にある誓願寺に行ってきました。

<誓願寺>
頼朝生誕の地.jpg
住所:愛知県名古屋市熱田区白鳥2丁目10
駐車場あり(無料)

誓願寺に行ってきました。
ここは源頼朝生誕の地と言われています。

頼朝生誕の地2.jpg

頼朝の母は、熱田神宮の大宮司・藤原季範の娘の由良御前です。
由良御前は源義朝の正室。
義朝の妻が常盤御前が有名なんで、てっきり常盤御前が正室なのかと
思ってました。
常盤御前の子が阿野全成、義円、源義経らで、頼朝とは母違いの兄弟
になります。

誓願寺、熱田神宮前にある小さなお寺です。
お寺の前に頼朝生誕の地の碑があります。
頼朝生誕の地4.jpg

また、境内には頼朝産湯の井戸と言われる井戸がありました。
頼朝生誕の地3.jpg

令和4年夏休み旅 奈良・和歌山
http://rover.seesaa.net/article/490701559.html

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html



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2022年01月30日

蒲フォルニア   (愛知県蒲郡市)

蒲郡にある蒲フォルニアに行ってきました。

<蒲フォルニア>
蒲フォルニア1.jpg
住所:愛知県蒲郡市西浦町稲村3
駐車場あり(無料)

蒲フォルニア(ガマフォルニア)なるところに行ってきました。
googleマップに出ていたので知りました。
西浦シーサイドロードという海沿いの道の一部なんですけど、
カリフォルニアの雰囲気に似ているからという事で、「蒲フォルニア」
と呼ばれる様になったとか。

そもそもカリフォルニアの風景を知らんので、何とも言えませんが、
まあ良い風景なのは間違い無いです。
ずっと前に、この近くの西浦温泉に泊まったことがありますが、ここの
事は知りませんでした。

自分の他にも車を停めて、車を背景に写真を撮ってる人もいました。

蒲フォルニア2.jpg

蒲フォルニア3.jpg

蒲フォルニア4.jpg

蒲フォルニア.jpg

蒲フォルニア7.jpg

令和3年秋旅1
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B級観光スポット・珍スポット
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2021年08月22日

足助城    (愛知県豊田市)

豊田市(旧足助町)にある足助城址に行ってきました。

<足助城>
足助城址.jpg
住所:愛知県豊田市足助町須沢39−2
駐車場あり(無料)
入場料:300円
営業時間:午前9時〜午後4時30分

<足助城について>
足助城址2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
足助城に行ってきました。
足助城は別名「真弓山城」と言い、標高約300mの真弓山に築かれた山城です。
築城年等不明ですが、1525年に松平清康(家康の祖父)がこの城を攻めた記録が
あることから、その頃には既に築城されていたものと思われます。
城主は戦国時代に西三河に勢力を持っていた鈴木氏。
三河松平氏とは従属・離反を繰り返しますが、1564年以降は松平氏に完全に
臣従しています。

この山城を、平成5年、発掘・建物などを再現して歴史公園として公開しました。
入場料を取るだけあって、非常に綺麗に整備されています。車である程度のところ
まで登っていけるので、歩くのは10分程度です。

<足助城>
足助城址3.jpg

足助城址4.jpg

足助城址5.jpg

足助城址6.jpg

足助城址7.jpg

足助城址8.jpg

足助城址9.jpg

足助城址9a.jpg
城からは足助の町並みを見下ろす事が出来ます。

令和3年GWの旅
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日本の城を巡る
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豊川稲荷    (愛知県豊川市)

豊川市にある豊川稲荷を参拝しました。

<豊川稲荷>
豊川稲荷.jpg
住所:愛知県豊川市豊川町1
駐車場あり(有料)
境内自由

豊川稲荷は1441年、東海義易によって創建されたお寺で正確には
「円福山 豊川閣 妙厳寺」と言います。
室町時代に今川義元によって伽藍が整備されました。室町時代の伽藍の場所は
現在地ではなく、江戸時代に現在地に移転しました。
現存する諸堂は江戸時代末期以降の再建です。

豊川稲荷参拝は今回で3回目。前回は5年前でした。
豊川稲荷は日本三大稲荷に数えられる(諸説あり)有名なお寺なので、まああえ
てこのブログで各必要も無いかなと思い、記事にしてませんでした。
このブログは誰でも知ってるところは書いても仕方ないかなと思ってるので。
なので、今回も記事にはしましたが、さらっと飛ばし気味で終了します。

豊川稲荷2.jpg

豊川稲荷3.jpg

豊川稲荷5.jpg

<豊川稲荷大本殿>
豊川稲荷4.jpg

豊川稲荷 大本殿.jpg

<豊川海軍工廠戦没者慰霊碑>
豊川海軍工廠供養塔.jpg
豊川稲荷の一角に豊川海軍工廠戦没者慰霊碑があります。
昭和20年8月7日、終戦の1週間ほど前にB29の空襲を受け、
2000人を超える犠牲者を出しました。その慰霊碑です。

<霊狐塚>
豊川稲荷6.jpg

豊川稲荷の奥にある霊狐塚。多くの狐を祀った場所。
東海一のパワースポットと言われているそうで、確かに独特な雰囲気があり
ました。

豊川稲荷7.jpg

令和3年GWの旅
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2021年06月06日

小田井城址      (愛知県清須市)

清須市にある小田井城址に行ってきました。

<小田井城址>
小田井城址.jpg
住所:愛知県清須市西枇杷島町小田井2丁目
駐車場無し

小田井城址に行ってきました。
応永年間(1394〜1428)、尾張国守護代・織田敏定によって清洲城の
支城として築城された城です。以降織田藤左衛門家の居城となります。

後に織田信雄に仕えていた織田忠辰が小牧長久手の戦いで敗れると、
織田忠辰は小田井城を追われ、小田井城は廃城となりました。

現在現地は公園で、一角に碑のみがある状況でした。
駐車場もありません。

小田井城址2.jpg

小田井城址3.jpg

小田井城址4.jpg
碑は大正5年に建てられたものの様です。

令和2年〜3年 年末年始の旅
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日本の城を巡る
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九之坪城址   (愛知県北名古屋市)

北名古屋市にある九之坪城址に行ってきました。

<九之坪城址>
九之坪城址2.jpg
住所:愛知県北名古屋市九之坪南城屋敷22−3
駐車場無し

<九之坪城について>
九之坪城址.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
九之坪城址に行ってきました。
斯波氏の家臣であった簗田政綱によって築城されたお城です。
斯波氏が衰退すると簗田政綱は信長に仕え、桶狭間の戦いにも功績があったとの
事です。
九之坪城(くのつぼじょう)は平城で、今は北名古屋市 高齢者活動センターふれあ
いの家という施設の一角に碑と説明文があるのみとなっています。

特にこれと言って遺構は確認出来ませんでした。

令和2年〜3年 年末年始の旅
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日本の城を巡る
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桜井城址     (愛知県安城市)

安城市にある桜井城址に行ってきました。

<桜井城址>
桜井城址2.jpg
住所:愛知県安城市桜井町城阿原50
駐車場あり(無料)

<桜井城について>
桜井城址.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
桜井城址に行ってきました。
小浦忠重によって築城された城と言われており、後に松平氏が安城に進出すると
松平氏の支配下となりました。
その後、松平氏が支配しますが、家康の関東移封に伴い廃城となった様です。
平城で、現在は児童公園の様な感じになっていました。

桜井城址3.jpg

特にこれといった城の遺構は見つけられませんでした。

令和2年〜3年 年末年始の旅
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小豆坂古戦場    (愛知県岡崎市)

岡崎市にある小豆坂古戦場に行ってきました。

<小豆坂古戦場>
小豆坂古戦場.jpg
住所:愛知県岡崎市戸崎町牛転38
駐車場無し

<小豆坂古戦場について>
小豆坂古戦場3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岡崎にある小豆坂古戦場に行ってきました。
小豆坂古戦場は、1度の特定の戦いの古戦場ではなく、要衝の地であった事から
何度もこの地で戦いがあった場所との事です。
特に、信長が出てくる前の世ですが、松平清康が殺された後、三河進出を図る
織田信秀と今川義元がこの地で2度大きな戦いをしています。

その際活躍した織田方の7人の武将が槍を立てたという槍立の松という石碑が
現地には建っていました。

<槍立ての松の碑>
小豆坂古戦場  槍立松.jpg

<血洗池跡>
小豆坂古戦場 血洗池跡.jpg

小豆坂古戦場2.jpg
古戦場の碑の前は幹線道路。特に案内も出ていないので、知らなければ通り
過ぎてしまうような場所です。

令和2年〜3年 年末年始の旅
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古戦場めぐり
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2021年06月05日

若宮八幡宮・徳川信康の首塚   (愛知県岡崎市)

岡崎市にある若宮八幡宮に行ってきました。

<若宮八幡宮>
若宮八幡宮.jpg
住所:愛知県岡崎市朝日町字森畔12
駐車場あり(無料)

<若宮八幡宮について>
若宮八幡宮4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
若宮八幡宮に行ってきました。
ここは家康の長男で、信長に武田への謀反の嫌疑をかけられて自刃した徳川信康
の首塚がある神社です。

信康の死は本当に謀反があったのかどうか、信康に嫁いでいた徳姫(信長の娘)との
不仲からのものなのか、いろいろな説があり今でも明確な事は分かっていません。

岡崎市内の若宮神社にこの信康の首塚がありました。

<徳川信康の首塚>
若宮八幡宮2.jpg

若宮八幡宮3.jpg

墓は浜松市の清瀧寺にあります。
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著名人の墓
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2021年05月31日

聖徳寺跡 信長・斎藤道三会見の地   (愛知県一宮市)

一宮市にある聖徳寺跡に行ってきました。

<聖徳寺跡>
聖徳寺跡3.jpg
住所:愛知県一宮市冨田413−5
駐車場無し

<聖徳寺跡について>
聖徳寺跡2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
聖徳寺跡に行ってきました。
ここは、1553年、織田信長と斎藤道三が初めて面会をした聖徳寺があった場所
です。
信長は道三と娘・濃姫と結婚しますが、道三は婿の信長と会った事は無く、うつけ
という噂の婿がどんな人物なのか面会したいと思い、この聖徳寺での面会が実現し
ました。その面会の後、道三は「我が子たちはあのうつけの門前に馬をつなぐよう
になる」と述べ、信長の事を評価したと伝わっています。

歴史好きな人なら誰でも知っているかと思われるこのイベント。
その場所はどこか調べて訪問しました。

聖徳寺は今は残っておらず、上の碑のみがあります。
現地は旧街道沿いのほんの一角で、非常に分かりづらいです。
車を停めておく場所もありません。
自分もずっと離れた場所にしばし路駐して、見学しました。

聖徳寺跡4.jpg

聖徳寺跡.jpg

聖徳寺跡5.jpg


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2020年05月21日

古宮城址     (愛知県新城市)

新城市にある古宮城址に行ってきました。

<古宮城址>
古宮城址.jpg
住所:愛知県新城市作手清岳字宮山
駐車場無し

<古宮城について>
古宮城址6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新城市にある古宮城址に行ってきました。
古宮城址には現在白鳥神社という神社が鎮座しており、その裏に城跡の痕跡を
見る事が出来ました。武田信玄が馬場信春に命じて築城した城で、長篠城攻略の拠点
とした城です。

古宮城址2.jpg
神社の境内に城跡に登る道があります。ここを登って数分です。

現在分かるのは土塁と虎口の跡くらいですかね。
古宮城跡とか石碑もありません。

<古宮城址>
古宮城址4.jpg

古宮城址3.jpg

古宮城址5.jpg

日本の城を巡る
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平成31年3月6日訪問

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2020年05月15日

亀山城      (愛知県新城市)

新城市にある亀山城に行ってきました。

<亀山城>
亀山城.jpg
住所:愛知県新城市作手清岳字城山
駐車場あり(無料)

<亀山城について>
亀山城2.jpg

亀山城6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三重の亀山城ではなく、愛知県新城市にある亀山城に行ってきました。

応永31年(1424)奥平貞俊によって築城されたというお城です。
関ヶ原の戦い後1610年に廃城になったそうです。

車で走っていて、岡に亀山城という看板が大きく出ているのが目に付き、すぐに
分かりました。山城ではありますが、5分もあれば登城出来ます。
土塁、曲輪、空堀などが綺麗に残っていて見応えがある城でした。

<亀山城址>
亀山城3.jpg

亀山城4.jpg

亀山城7.jpg

亀山城5.jpg

亀山城8.jpg

日本の城を巡る
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平成31年3月6日訪問

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2020年05月08日

甘泉寺 / 鳥居強右衛門の供養塔 (愛知県新城市)

新城市にある甘泉寺に行ってきました。

<甘泉寺>
甘泉寺.jpg
住所:愛知県新城市作手鴨ケ谷門前23
駐車場あり(無料)
境内自由

<甘泉寺について>
甘泉寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新城市にある甘泉寺に行ってきました。

ここには長篠の戦いで磔にされた鳥居強右衛門の供養塔があるというので訪問しま
した。

<鳥居強右衛門について>
鳥居強右衛門2.jpg

鳥居強右衛門は長篠城に援軍が来ている事を城兵に伝え、長篠城の落城を防ぎ
ました。
後に信長は強右衛門の事を知り感銘を受け、この供養塔を建立したとの事です。

<鳥居強右衛門の供養塔>
鳥居強右衛門の墓.jpg

長篠の戦いは設楽が原の馬防柵を使った鉄砲の戦いが有名ですが、その前哨戦で
ある長篠城の戦いでは鳥居強右衛門のお話が知られています。
長篠城のところにある資料館の入口看板にも強右衛門が磔になっている有名な
絵が掲げられています。

鳥居強右衛門.jpg

長篠の戦いの影の功労者って感じですね。

著名人の墓
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雨山合戦跡    (愛知県岡崎市)

岡崎市にある雨山合戦跡の碑を見てきました。

<雨山合戦跡>
雨山合戦跡.jpg
住所:愛知県岡崎市雨山町字竹ノ下
駐車場無し

雨山合戦跡の碑を見てきました。
雨山合戦は1556年、今川氏に反逆した雨山城主・阿知波定直に対し今川は
東三河の諸将に討伐を指示。
繰り広げられた戦いが雨山の戦いです。
阿知波氏は野田城主の菅沼定村を討ち取るも今川の大軍の前に敗北しました。

古戦場跡地に雨山合戦跡の碑がたっています。
岡崎の市街地からは車で30分以上かかります。

雨山合戦跡2.jpg

平成31年3月6日訪問

古戦場めぐり
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深溝城址   (愛知県幸田町)

幸田町にある深溝城址に行ってきました。

<深溝城址>
深溝城址.jpg
住所:愛知県額田郡幸田町大字深溝字丸の内5
駐車場無し

<深溝城について>
深溝城址2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
深溝(ふこうず)城址に行ってきました。

三協という会社の幸田工場脇に城跡の碑がたっていました。
大庭朝満によって1231年に築城されたという説がありますが、定かではない
様です。室町時代には松平氏の城となり、吉良氏との戦いの拠点になりました。

1615年に廃城となり、江戸時代は陣屋がおかれたそうですが、それも今は無く
城の遺構はほぼ確認出来ない状況です。
碑のみ城跡である旨を伝えています。

深溝城址3.jpg

平成31年3月5日訪問

日本の城を巡る
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2019年03月10日

免々田川菜の花・桜まつり    (愛知県田原市)

愛知県田原市、免々田川に河津桜を見に行ってきました。

<免々田川菜の花・桜まつり>
免々田川菜の花・桜まつり.jpg
住所:愛知県田原市福江町向田31
駐車場あり(無料)

免々田川菜の花・桜まつりに行ってきました。
免々田川の河津桜は平成16年に植樹されたもので、約300本が川沿いに
並んでいます。
河川敷には菜の花も植えられ、菜の花と河津桜が良いコントラストになって
いました。

交通は福江保育園をナビにセットして訪問。保育園前に桜祭りの駐車場があり
ます。

<免々田川菜の花・桜まつり・平成31年3月5日撮影>
免々田川菜の花・桜まつり2.jpg

免々田川菜の花・桜まつり3.jpg

免々田川菜の花・桜まつり4.jpg

免々田川菜の花・桜まつり5.jpg

免々田川菜の花・桜まつり6.jpg

免々田川菜の花・桜まつり7.jpg

免々田川菜の花・桜まつり8.jpg

桜の名所巡り
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渥美半島菜の花まつり   (愛知県田原市)

渥美半島菜の花まつりに行ってきました。

<渥美半島菜の花まつり>
渥美半島名の花祭り.jpg
住所:愛知県田原市堀切町浜薮
駐車場あり(無料)
入場料:100円

渥美半島の先端、伊良湖岬の少し手前で渥美半島菜の花まつり開催中です(^-^)
平成31年3月5日訪問。満開で綺麗な菜の花を見る事が出来ました。
3月いっぱい菜の花まつり開催中との事です。
平日でしたが、駐車場もかなり混み合ってました。休日はかなり混みそうです。

<渥美半島菜の花まつり・平成31年3月5日撮影>
渥美半島菜の花祭り.jpg

渥美半島菜の花祭り2.jpg

渥美半島菜の花祭り3.jpg

渥美半島菜の花祭り4.jpg

渥美半島菜の花祭り5.jpg

渥美半島菜の花祭り6.jpg

渥美半島菜の花祭り7.jpg

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2018年03月21日

称名寺 / 竹千代命名の地   (愛知県碧南市)

碧南市にある称名寺に行ってきました。

<称名寺>
称名寺.jpg
住所:愛知県碧南市築山町2−66
駐車場あり(無料)
境内自由

<称名寺について>
称名寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
称名寺に行ってきました。
この寺は徳川氏ゆかりの寺で、境内には徳川氏の祖である世良田有親やその子の
松平親氏の墓があります。

<徳川祖廟>
徳川祖廟.jpg

徳川祖廟2.jpg

<大浜東照宮>
称名寺 東照宮.jpg

大浜東照宮.jpg
称名寺境内にある大浜東照宮です。祭神は徳川家康公です。

称名寺訪問の理由は、ここが家康の幼名「竹千代」の命名の地という話を聞いたから
です。

1543年、称名寺での連歌会で発句「神々の ながきうき世を 守かな」
に対して家康の父である松平広忠が「めぐりは広き 園の千代竹」と続けた事
から、時の住職が家康の幼名を「竹千代」と名付けたそうです。

称名寺の前には竹千代命名の地の碑が建っていました。
竹千代命名の寺.jpg

てっきり岡崎なのかと思いきや、碧南市にこういうゆかりの地があるんですね。
びっくりです(・д・)

平成29年〜30年 年末年始の旅
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著名人の墓
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2018年03月18日

蓮華寺 / 蜂須賀城址    (愛知県あま市)

あま市にある蓮華寺に行ってきました。

<蓮華寺>
蓮華寺.jpg
住所:愛知県あま市蜂須賀大寺1352
駐車場あり(無料)
境内自由

<蓮華寺について>
蓮華寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
あま市の蓮華寺に行ってきました。
弘法大師創建の古刹です。今回は城跡としての訪問です。
ここには戦国時代に蜂須賀城というお城があったそうです。蜂須賀といえば、秀吉
のもとで活躍した蜂須賀小六正勝が有名です。その小六の墓もこの寺にあります。

<蜂須賀城址の碑>
蜂須賀城址.jpg

<蜂須賀小六正勝顕彰碑>
蜂須賀小六顕彰碑.jpg

寺の裏に蜂須賀小六の墓があります。

<蜂須賀小六の墓>
蜂須賀小六の墓.jpg
台座が新しいので、これがそうなのか一見悩みました(説明等一切無いので)
墓碑見ると正勝公、家政公と書いてあります。これが蜂須賀小六正勝と子の家政の
墓です。

蜂須賀小六の墓2.jpg
脇を見ると天正十四年の文字。1586年、蜂須賀小六の没年が刻まれています。
家政の名が刻まれているところを見ると、墓碑は江戸時代に造られたものなんでしょうね。

蓮華寺の寺域から出て西へ100mほどの処に、蜂須賀小六旧居跡の碑があります。
蜂須賀小六旧居跡.jpg
ここに住んでたんですね〜(^-^)

平成29年〜30年 年末年始の旅
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2018年02月22日

福島正則生誕の地    (愛知県あま市)

あま市にある福島正則生誕の地に行ってきました。

<福島正則生誕の地>
福島正則生誕の地4.jpg
住所:愛知県あま市二ツ寺屋敷
駐車場無し

<福島正則について>
福島正則生誕の地3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
福島正則は桶屋を営んでいた福島正信の長男としてこの地に生まれました。
母が秀吉の叔母だった為召し出され小姓として秀吉に仕えます。
武将として活躍し、賤ヶ岳七本槍の一人として武勇をとどろかせました。
家康のもとでも活躍し、広島城主となりますが、広島城無断改築の件を咎められ改易
になります。
晩年は不遇のなか、信州高井の地で亡くなります

福島正則生誕の地には立派な碑がありました。
ただ、知る人ぞ知るというか、観光地としては紹介されていないので、知らないと
行くことは無い場所かなと思います。
興味ある方は是非行ってみてはいかがでしょう。

福島正則生誕の地2.jpg

福島正則生誕の地.jpg

平成29年〜30年 年末年始の旅
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2018年02月21日

勝幡城址 / 織田信長生誕の地  (愛知県稲沢市)

稲沢市にある勝幡城址に行ってきました。

<勝幡城址>
勝端城址.jpg
住所:愛知県稲沢市平和町城之内105
駐車場無し

<勝幡城について>
勝端城址2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
勝幡城に行ってきました。
今回の旅のテーマに武将の生誕の地巡りってのを入れていましたが、そのシメが
織田信長の生誕の地である勝幡城になりました。

実は信長の生誕の地って知りませんでした。てっきり那古屋城か清洲なのかと
思っていた次第で。あまり興味が無かったもので。

勝幡城は織田弾正忠家の居城で、織田家の中でも分家という事になります。
城の位置は推定の場所になりますが、日光川の堤防の下に城跡の碑がありました。

勝端城址3.jpg

また、そこから少し行った勝幡駅の北側駅前ロータリーには勝幡城のジオラマや
織田信秀、土田御前、織田信長の銅像もありました。

<勝幡城ジオラマ>
勝端城址4.jpg

<織田信秀、信長を抱く土田御前の像>
勝端城址5.jpg

勝端城址6.jpg
土田御前の顔がちょっと・・・・(^^;

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日本の城を巡る
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銅像めぐり
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2018年01月24日

重原陣屋跡     (愛知県刈谷市)

刈谷市にある重原陣屋跡に行ってきました。

<重原陣屋跡>
重原陣屋跡.jpg
住所:愛知県刈谷市重原本町1
駐車場あり(無料)

<重原陣屋について>
重原陣屋跡2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
重原陣屋跡に行ってきました。
1792年に福島藩の板倉勝長によって陣屋が築かれました。刈谷で起こった一揆
の仕置きとして、福島藩の領地との交換が行われ、福島藩がこの地を治める事と
なりました。

江戸時代には結構飛び地みないなのがあって、僕の地元川越藩も三河は近江に飛び地
で領地を与えられていました。

現在、浄福寺というお寺の脇に重原陣屋跡の碑と此より東福島領の碑が建っています。

重原陣屋跡3.jpg

<浄福寺>
重原陣屋跡4.jpg

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2018年01月21日

本地城址    (愛知県豊田市)

豊田市にある本地城址に行ってきました。

<本地城址>
本地城址3.jpg
住所:愛知県豊田市本地町1丁目54−1
駐車場無し

<本地城について>
本地城址.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
本地城址(堤本地城)に行ってきました。
1402年、畠山六郎によって築城されたお城です。
畠山氏の滅亡とともに廃城となりました。
現在は本地八幡社という神社がある場所が本地城址で、本地城址の碑が建って
います。車を停める場所が無い為、路注して急いで見てきました。

本地城址2.jpg

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上野城址 / 榊原康政生誕の地   (愛知県豊田市)

豊田市にある上野城址に行ってきました。

<上野城址>
上野城址.jpg
住所:愛知県豊田市上郷町薮間17−8
駐車場無し

<上野城について>
上野城址2.jpg

上野城址6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
上野城址に行ってきました。
上野城は、応仁の乱の頃戸田宗光によって築城されました。
家康の父である松平広忠がこの城を手中にしますが、一向一揆の手に落ちたり、
変遷を経て再び家康の支配下となります。
廃城となった次期は不明です。

現在は上郷護国神社が鎮座しています。この一帯が上野城だった場所です。

上野城址5.jpg

上野城址3.jpg

上野城址4.jpg

この地には徳川四天王の一人・榊原康政の生誕の地碑があります。
調べたところ榊原氏は上野城主・酒井将監忠尚に仕えていましたが、榊原康政
は上野城で生まれた訳ではなく、近郷の生まれの様です。
榊原氏がここに仕えていたという事で、便宜的に碑が建てられたものと思われ
ます。

<榊原康政生誕の地>
上野城址  榊原康政生誕の地.jpg

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本多忠勝生誕の地    (愛知県岡崎市)

愛知県岡崎市にある本多忠勝生誕の地に行ってきました。

<本多忠勝生誕の地>
本多忠勝生誕の地.jpg
住所:愛知県岡崎市西蔵前町
駐車場無し

本多忠勝は1548年、三河国額田郡蔵前で松平氏譜代・本多忠高の長男
として生まれました。1549年に父が戦で討ち死にし、叔父の元で育て
られました。

その後、数々の戦功をあげ、徳川四天王の一人に数えられる名将となりました。

その生誕の地は何と民家の中にありました。
敷地内に入るのが躊躇われたため、望遠で碑を撮影しました。
説明板も敷地内にあるし、観光スポットとしては難易度高すぎです(^^;
せっかく名将の生誕の地ですから、皆が気軽に訪れる事が出来れば良い
んですけど・・・。

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2018年01月17日

井田城址 / 酒井忠次生誕の地   (愛知県岡崎市)

岡崎市にある井田城址に行ってきました。

<井田城址>
井田城址2.jpg
住所:愛知県岡崎市井田町字城山
駐車場無し

井田城址.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岡崎の井田城址に行ってきました。
岡崎の松平氏の一族にあたる酒井氏の居城で、酒井氏忠から5代にわたってこの
地を治めました。
後に徳川四天王の一人になる酒井忠次は1527年に井田城内で生まれています。

築城年、廃城年など詳しいことは分かっておらず、今は城山公園として小さな公園
になっており、井田城址の碑と小さな神社がありました。

<井田城址>
井田城址5.jpg

井田城址4.jpg

井田城址3.jpg

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2017年03月20日

鳳来寺と東照宮    (愛知県新城市)

愛知県新城市にある鳳来寺に行ってきました。

<鳳来寺>
鳳来寺.jpg
住所:愛知県新城市門谷鳳来寺1
駐車場あり(有料)
境内自由

<鳳来寺について>
鳳来寺は703年、利修仙人によって開かれ、文武天皇から鳳来寺の名
を賜って建立されたと伝えられています。
以来広い信仰をもって栄え、源頼朝も厚く信仰し、七堂伽藍を寄贈し隆
盛期を迎えました。
特に子授けの薬師如来と評判高く、松平広忠夫妻が天下人となる男子を
祈願して授かったのが徳川家康であったというお話があります。
現在は真言宗五智教団の本山で、本堂は昭和49年に再建されたもので
す。

鳳来寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鳳来寺に行ってきました。ここも15年以上ぶりの訪問。
もう完全に忘れてしまっていました。
昔来たときは、ここに来るために鳳来寺パークウェイを使うんですが、
有料道路で結構良い値段取られた記憶があります。
今はこの道路、無料開放されていて普通にのぼってきましたが、駐車場
は有料でした。

鳳来寺は家康の母、於大の方が祈願し子の竹千代(のちの徳川家康)を
授かったというお話が有名です。
その事を後に顕彰したのが徳川家光で、この地に東照宮を建立しています。

<東照宮>
東照宮.jpg

東照宮2.jpg

東照宮3.jpg

今回鳳来寺に来たのは、鳳来寺が井伊直政ゆかりの地という事もあります。
1568年、武田の侵攻に対し今川氏真は小野道好に井伊直政を殺して
井伊谷を掌握しその軍勢を率いて加勢するよう命じます。
龍潭寺の南渓和尚により井伊直政は出家するとして鳳来寺に保護され、
14歳まで鳳来寺で過ごしたそうです。
今年の大河ドラマ『おんな城主・直虎』の関連地という事です。
こんな旗もたっていました。
鳳来寺4.jpg

あいにく、第3話以降大河ドラマ見ていません。一応録画はしてるんです
が、なかなか見る気が起きないという。そのうちまとめて見ますかね。

<鳳来寺からの景色>
鳳来寺3.jpg
鳳来寺は標高が高いので、景色も良かったです(^-^)

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2017年03月19日

安養院 / 織田信孝終焉の地       (愛知県美浜町)

愛知県美浜町にある安養院に行ってきました。

<安養院>
安養院.jpg
住所:愛知県知多郡美浜町野間東畠ケ90−1
駐車場あり
境内自由

<安養院について>
安養院3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
知多の安養院に行ってきました。
安養院は源義朝の墓がある野間大坊と隣接する地にあります。

このお寺を訪問した理由はひとつ、ここが信長の子・織田信孝終焉の地
だからです。

安養院2.jpg

織田信孝は清洲会議で岐阜城を与えられ織田家を継いだ三法師の後見役と
なりますが、その後秀吉と対立。賤ヶ岳の戦い後に捕らえられ、この安養
院で自刃しました。
お寺には、自刃の間、自刃の短刀、血染めの掛け軸などが残っているよう
ですが、今は一般公開されていません。
(恨みの品なので、公開していないそうです)

安養院4.jpg

織田信孝は、信長の後継者の器量を持ち合わせていた人物であったが故に
秀吉から追い落としにあい殺されたという事だと僕は思っています。

辞世の句「昔より 主を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」は
秀吉への怒りに満ちあふれた句ですね。

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吉川城址       (愛知県大府市)

大府市にある吉川城址に行ってきました。

<吉川城址>
吉川城址.jpg
住所:愛知県大府市吉川町1丁目
駐車場無し

吉川城は、1397年に吉加波入道によって築かれた平城とされ、戦国時代
には花井氏の居城になりました。
花井氏はその後、寺本城に移った為、1580年頃に廃城になった様です。

現在遺構は何も無く、国道155号線沿いに城址の碑が建っており、そこに
かつて城にあったという弁財天の祠があるのみです。

吉川城址2.jpg

吉川城址3.jpg

ここは碑のみ見て終了という所ですね。

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2017年03月15日

大草城址        (愛知県知多市)

知多市にある大草城址に行ってきました。

<大草城址>
大草城1.jpg
住所:愛知県知多市大草字東屋敷
駐車場あり(無料)

<大草城について>
大草城について1.jpg
大草城について2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大草城址に行ってきました。
結構細い田んぼの中の道を進み現地(大草公園)に到着しました。
途中、ここで本当に良いのか心配になりました(^^;

大草城は信長の弟・織田長益が築城したお城です。
織田長益、一般には織田有楽斎の方が通ってますね。
昨年の大河ドラマ『真田丸』では、有楽斎はものすごく良い味出して
おりました。ある意味大坂の陣では主役級でした(^-^)

大草城は、秀吉の世になり召し上げられた様で、完成を見ずに廃城と
なりました。
現在は大草公園として整備され、模擬天守が建造されていました。

大草城2.jpg

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2017年03月12日

尾張大野城         (愛知県常滑市)

常滑市にある尾張大野城址に行ってきました。

<尾張大野城>
尾張大野城6.jpg
住所:愛知県常滑市金山字城山
駐車場あり(無料)

<尾張大野城について>
尾張大野城7.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
尾張大野城に行ってきました。
ここは、浅井三姉妹の三女お江が最初に嫁いだ佐治一成の居城でした。
佐治氏は伊勢湾の海上交通を押さえる佐治水軍を率いていた一族です。
佐治一成とお江の結婚に関しては、経緯等よく分かっておらず、実際
は婚姻のみだったのではないかとも言われています。
後に離縁しています。

尾張大野城.jpg

尾張大野城3.jpg

大野城は、伊勢湾を見下ろす山の上にある山城です。
城のあったあたりは住宅地になっており、城山公園として整備されてい
ます。

現地には模擬天守がありますが、ちょっとしょぼい感じです(^^;
尾張大野城2.jpg

天守があった場所には佐治神社という小さな神社があり、佐治氏を祭神
としています。
佐治神社.jpg

<大野城からの景色>
尾張大野城4.jpg

尾張大野城5.jpg

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古木江城址    (愛知県愛西市)

愛西市にある古木江城址に行ってきました。

<古木江城址>
古木江城.jpg
住所:愛知県愛西市森川町村仲
駐車場なし

<古木江城について>
古木江城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
古木江城址に行ってきました。
道の駅「立田ふれあいの里」の川を挟んで東側に、小さな森の様なもの
が見えます。

古木江城4.jpg
これです。

この森の様なところが古木江城址との事です。
古木江城は、織田信長が長島の一向一揆の軍勢に対する為に築城したもの
で、織田信長の弟織田信興が城主をつとめました。
しかし、古木江城は一向宗により攻撃され、織田信興は討ち死に。
古木江城も廃城となりました。

今は古木江城の跡地に富岡神社という神社が鎮座しています。
城のところは駐車場はありませんが、道の駅に停めて訪問すれば良い感じ
です。

古木江城3.jpg

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2017年02月26日

蟹江城址       (愛知県蟹江町)

蟹江町にある蟹江城址に行ってきました。

<蟹江城址>
蟹江城址.jpg
住所:愛知県海部郡蟹江町蟹江本町城
駐車場無し

<蟹江城について>
蟹江城址2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
永享年間に北条時任により築城され、その後織田信長による伊勢の
一向一揆討伐拠点ともなった城です。
小牧長久手の戦いのひとつ、蟹江合戦の舞台で、合戦の損傷および
翌年の地震で倒壊し廃城となった様です。

今は住宅街の中に小さな公園様な感じで整備され、碑が建っています
が城の遺構はまったく見る事が出来ません。

蟹江城址3.jpg

駐車場も無く、ここまで車でつっこんで来ると戻るのが大変なので、手前
に駐車して歩いて行くと良いかと思います。

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大野城址        (愛知県愛西市)

愛西市にある大野城址に行ってきました。

<大野城址>
大野城址.jpg
住所:愛知県愛西市大字郷前
駐車場あり

<大野城について>
大野城址2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
愛西市にある大野城址に行ってきました。
大野城は1584年、蟹江城の支城の一つとして、織田信雄の家臣
佐久間正勝によって築城されたお城です。
小牧長久手の戦いのひとつである蟹江合戦はここを舞台に行われました。

今は遺構は特に残っていません。大野城の碑のみが建っています。

大野城址3.jpg

大野城址4.jpg

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2017年01月25日

豊臣秀吉生誕の地    (愛知県名古屋市)

名古屋市にある豊臣秀吉生誕の地に行ってきました。

<中村公園>
中村公園.jpg
住所:愛知県名古屋市中村区中村町
駐車場あり(無料)

中村公園に行ってきました。ここは豊臣秀吉生誕の地に明治18年豊国神社を
創建し、日本庭園などを備えた公園として整備したものです。
公園内に、豊臣秀吉生誕の地の碑や豊国神社、小出秀政という武将の館跡碑など
がありました。

この公園の隣には加藤清正生誕の地があり、二人が同郷である事がよく分かります。

<豊臣秀吉生誕の地>
豊臣秀吉生誕の地.jpg

豊臣秀吉生誕の地2.jpg

<小出秀政邸跡>
中村公園  小出政秀邸跡.jpg

中村公園  小出秀政邸跡.jpg

<豊国神社>
豊国神社2.jpg

豊国神社.jpg

<庭園>
中村公園2.jpg

駐車場はありますが、小さいのですぐに満車になってしまいそうです。

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2017年01月22日

本宗寺で石川数正の墓を参拝    (愛知県岡崎市)

岡崎市にある本宗寺に行ってきました。

<本宗寺>
本宗寺.jpg
住所:愛知県岡崎市美合町字平地50
駐車場あり(無料)
境内自由

本宗寺2.jpg

<本宗寺について>
本宗寺4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岡崎市にある本宗寺に行ってきました。目的は石川数正の墓参拝です。
石川数正は、家康が今川義元の人質になっていた頃から近習として
仕えた人物で、姉川・三方原・長篠など家康の元数々の戦いで軍功を
あげました。
しかしながら、小牧長久手の戦いの後家康の元を出奔し秀吉の傘下に
入りました。徳川家の軍事的機密を全て知り尽くした数正の出奔によっ
て家康は秀吉に対し攻勢に出ることが出来ず、結局一旦秀吉に臣従する
事になりました。
数正の出奔の理由はよく分かっていないのですが、その後の流れを見る
と秀吉の調略だったのではないかと思えますね。

石川数正は秀吉のもとで信州松本に入り、その子康長の代にわたる築城
になりますが、現存の松本城を築城しています。

石川数正の墓は故郷であるここ岡崎の本宗寺にあります。

<石川数正の墓>
石川数正墓所.jpg

石川数正墓所2.jpg

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著名人の墓
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2017年01月18日

加藤清正生誕の地 / 妙行寺   (愛知県名古屋市)

名古屋市中村区にある加藤清正生誕の地に行ってきました。

<加藤清正生誕の地>
加藤清正生誕の地.jpg
住所:愛知県名古屋市中村区中村町字木下屋敷22
駐車場無し

<加藤清正生誕の地について>
加藤清正生誕の地2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
加藤清正生誕の地に行ってきました。
加藤清正は尾張中村の生まれで、幼少時から秀吉の小姓として仕え
ました。賤ヶ岳の七本槍の一人に数えられ、その後の秀吉の天下統一の
戦いにおいて活躍しました。
この辺の話は僕がいちいち解説する必要もありませんね。

生誕の地は名古屋市中村区の中村公園の隣接地にある妙行寺というお寺
がある場所です。
加藤清正が名古屋城築城の残材を使用して妙行寺を再建したという事です。

境内には加藤清正の銅像がありました(^-^)
加藤清正生誕の地  加藤清正像.jpg
この銅像もなかなか格好良いですね!

妙行寺.jpg

妙行寺2.jpg

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2017年01月16日

性高院で松平忠吉の墓を参拝    (愛知県名古屋市)

名古屋市千種区にある性高院(しょうこういん)で松平忠吉の
墓を参拝しました。

<性高院>
性高院.jpg
住所:愛知県名古屋市千種区幸川町3丁目6
駐車場なし

<性高院について>
性行院.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
名古屋にある性高院に行ってきました。
カーナビに住所をセットして、現地に向かいます。
「あれ???」カーナビの目的地にお寺らしいものが無いな〜。
性高院っていうお寺みたいなんだけど。。。。
目的地を通り過ぎました。

ちょっと過ぎたところに車を停め、カーナビの目的地付近に戻ってみま
した。
そこで目撃したのが一番上の写真です。
マンションに性高院って書いてあるじゃないですか。
こりゃびっくり(性高院幸川マンションって言う様です)
集合ポストを見ると、本堂は8階にあるらしい。こんな寺初めてです(^^;

で、松平忠吉の墓はどこにあるんでしょう。案内等は見当たりません。
マンションの駐車場に行ってみました。
幸川マンション.jpg
ここから中に入ります。

幸川マンション2.jpg
お、この怪しげな囲い、何でしょう?
この囲いの中が松平忠吉の墓でした。
こんなマンションの駐車場の一角に隠れるようにあるとは、誰も気づき
ませんよこれじゃ。

性高院2.jpg

<松平忠吉の墓>
松平忠吉の墓.jpg
こちらが松平忠吉の墓です。
松平忠吉は徳川家康の四男で、徳川秀忠とは同母兄弟になります。
武勇にすぐれ、関ヶ原の戦いでは島津豊久を討ち取る武功をあげますが、
その時の怪我がもとで、1607年に28歳で亡くなります。

今年の大河ドラマ『おんな城主直虎』との関連で言うと、松平忠吉は
井伊直政の娘婿にあたる人物です。

ここは知らないと行けない場所ですね。

平成28年〜29年 年末年始の旅
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著名人の墓
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2017年01月15日

城宝寺で渡辺崋山の墓を参拝    (愛知県田原市)

田原市の城宝寺で渡辺崋山の墓を参拝してきました。

<城宝寺>
城宝寺.jpg
住所: 愛知県田原市田原町稗田50
駐車場あり(無料)
境内自由

城宝寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
城宝寺にある渡辺崋山の墓を参拝しました。
渡辺崋山は幕末の田原藩家老を務めた人物。
尚歯会に参加し、高野長英らと交流。
国防に関し『慎機論』を記した事が原因となり、蛮社の獄にて蟄居の身
となり、藩に追求が及ぶことを恐れて切腹しています。

遺骸は地元である城宝寺に葬られました。
渡辺崋山は画家としても有名で、鷹見泉石像などは歴史の教科書にも載る
ほどの名画です。

<渡辺崋山の墓>
城宝寺 渡辺崋山墓所.jpg

城宝寺 渡辺崋山墓所2.jpg
中央が渡辺崋山の墓になります。

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蔵王山展望台      (愛知県田原市)

田原市にある蔵王山展望台に行ってきました。

<蔵王山展望台>
蔵王山展望台.jpg
住所:愛知県田原市浦町蔵王1−46
駐車場あり(無料)
展望台入場無料

蔵王山展望台に行ってきました。蔵王山は標高250mほどの小さな山
ですが、周りに何も無いのでここからは360度パノラマで四方を
見渡すことが出来ます。
ここに来るのは2回目。前回はいつだったかなと写真のタイムスタンプを
確認したら2004年12月29日でした。今回2016年12月29日の
訪問という事で、ちょうど12年ぶりの訪問になりました。
偶然同じ日でした(^-^)
2004年の時の状況忘れましたが、写真を見ると夕方の訪問でしかもあま
り天気が良くなかった様です。

今回はばっちり晴れ。富士山まで見える空気の澄み方でした。
田原に来たらここは是非訪問したいですね(^-^)

<蔵王山展望台からの景色>
蔵王山展望台3.jpg

蔵王山展望台4.jpg
見える橋は三河湾大橋です。

蔵王山展望台2.jpg

蔵王山展望台5.jpg

蔵王山展望台  富士.jpg
遠くに富士山も見えました(^O^)

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田原城        (愛知県田原市)

愛知県田原市にある田原城址に行ってきました。

<田原城>
田原城2.jpg
住所:愛知県田原市田原町巴江
駐車場あり(無料)

<田原城について>
田原城5.jpg

田原城6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
田原城に行ってきました。
渥美半島の入り口付近にあるお城で、渥美半島統一の拠点として戸田氏
によって築城されたお城です。
1547年、今川義元の攻撃を受けて落城。今川家の手に落ちますが、
桶狭間の戦い後に徳川家康に攻め取られます。
今年の大河ドラマ『おんな城主直虎』の主人公井伊直虎の祖父直宗は
今川の配下として田原城を攻撃の際討ち死にしています。

江戸時代は田原藩の居城として、三宅氏が支配し明治維新を迎えました。

現在の建物は昭和以降に再建されたものです。
(石垣などは当時のものかな)

お城の遺構としては非常に綺麗に残っています。再建建物は田原市立博物館
になってますが、年末に訪問したためお休みで見る事が出来ませんでした(>_<)

<田原城址>
田原城.jpg

田原城3.jpg

田原城4.jpg
再建二の丸櫓。

田原城7.jpg

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2017年01月12日

仁連木城址      (愛知県豊橋市)

豊橋市にある仁連木城址に行ってきました。

<仁連木城址>
仁連木城址.jpg
住所:愛知県豊橋市仁連木町
駐車場なし

<仁連木城について>
仁連木城址3.jpg

仁連木城址4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
仁連木城址に行ってきました。
応仁の乱後に作られた戦国時代のお城です。
戸田宗光の築城で、以後戸田氏が城主をつとめます。
本丸跡で600平方メートルの広さ、今は大口公園として整備されています。

これがそうかな〜と思う程度ですが、土塁の跡が残っていました。

仁連木城址2.jpg

仁連木城址5.jpg
これが土塁跡かなと。

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2017年01月11日

牛久保城址       (愛知県豊川市)

豊川市にある牛久保城址に行ってきました。

<牛久保城址>
牛久保城址.jpg
住所:愛知県豊川市牛久保町城跡大手
駐車場なし

<牛久保城について>
牛久保城址4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
牛久保城址に行ってきました。
先に書いた牧野城址の記事にも関連しますが、牧野城と同じく牧野氏の
居城でした。

牛久保城に関しては、現在遺構と思われる物は残っていませんでした。
牛久保駅のすぐ近くに「牛久保城址」の碑だけがありました。

<牛久保城址>
牛久保城址3.jpg

牛久保城址2.jpg

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2017年01月09日

牧野城址      (愛知県豊川市)

愛知県豊川市にある牧野城跡に行ってきました。

<牧野城址>
牧野城址.jpg
住所:愛知県豊川市牧野町大藪
駐車場なし

<牧野城について>
牧野城址4.jpg

牧野城址5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
豊川市にある牧野城址に行ってきました。
牧野城は、徳川譜代の臣である牧野氏の居城として築城されました。
築城年代は1300年代後半という事で、応仁の乱より昔になります。

戦国時代の初期1500年代初頭に牧野氏は今橋城を築城しそちらに
拠点を移したことから、廃城となった様です。

牧野城は資料に乏しく、実戦で使われた城なのかどうか、よく分かって
いない様です。

一応土塁の様なものが確認出来ます。

<牧野城址>
牧野城址3.jpg

牧野城址2.jpg

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2017年01月08日

野田城址        (愛知県新城市)

新城市にある野田城址に行ってきました。

<野田城址>
野田城址.jpg
住所:愛知県新城市豊島
駐車場無し

<野田城について>
野田城址7.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
野田城址に行ってきました。
野田城は1508年、菅沼定則によって築城されたお城で、以後菅沼氏
の居城でした。
三方原の戦いの後、武田信玄は更に西へ進み野田城を攻めます。
小さいながら守りの堅い野田城に対し、信玄は城内の水を絶ち野田城を
攻め落とします。

野田城の陥落により、岡崎城も危機に陥りますがここで信玄は甲斐に
引き返して行き家康は難を逃れます。
信玄の病気が悪化したというのが理由ですが、信玄が野田城を攻めている
時、城内から聞こえる笛の音に誘われた信玄が銃で狙撃され、その傷が元
で退却する事になったという伝説もあるそうです。

何はともあれ、この野田城攻城戦は武田信玄の生涯最後の戦となりました。
城跡は綺麗に整備されています。
堀の跡なども確認出来ます。
駐車場はありませんが、ちょっとくらいなら路駐可能です。

<野田城址>
野田城址3.jpg

野田城址5.jpg

野田城址4.jpg

野田城址2.jpg

野田城址6.jpg

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2017年01月03日

阿寺の七滝    (愛知県新城市)

新城市にある阿寺の七滝を見に行ってきました。

<阿寺の七滝>
阿寺の七滝.jpg
住所:愛知県新城市下吉田沢谷下25-3
駐車場あり(有料)

<阿寺の七滝について>
阿寺の七滝6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鳳来寺同様、以前来たことある場所でしたが、あまりに間隔が開いた
ので、久しぶりに訪問しました。
前回の写真のタイムスタンプは1999年1月1日。およそ17年ぶり
の訪問になりました。一度行くと次に行くのは本当にさきになりますね。

それでも遊歩道のイメージは残ってました。こんなところ歩いたなと。
阿寺の七滝2.jpg

前に来たときも、今回も人は全然いませんでした。今回は帰り際に一組と
すれ違っただけです。

そんな遊歩道を歩いて15分ほどで阿寺の七滝に到着です。
日本の滝100選に選ばれている名瀑です。
ぱっと見では分からないんですが、七段になる滝が遠くからは1つの滝に
見える滝です。
冬ですが、意外に水量も多く、とても良い感じの滝を見る事が出来ました(^-^)

<阿寺の七滝>
阿寺の七滝3.jpg

阿寺の七滝4.jpg

阿寺の七滝5.jpg

動画もご覧ください


平成28年〜29年 年末年始の旅
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日本の滝巡り
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2016年05月24日

城山八幡宮 / 末森城趾   (愛知県名古屋市)

名古屋市千種区にある城山八幡宮/末森城趾に行ってきました。

<城山八幡宮>
城山八幡宮.jpg
住所:愛知県名古屋市千種区城山町2丁目88
駐車場あり(無料)

<城山八幡宮/末森城趾について>
城山八幡宮2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
城山八幡宮/末森城趾に行ってきました。
城山八幡宮は500年以上前から末森城趾の麓にあった神社で、江戸時代以降も
尾張藩主の信仰を受けた神社です。
現在神社はかつての末森城趾に鎮座します。

末森城は1548年、織田信秀のよって築城されました。
東の松平氏、今川氏に備えるためのお城です。その城主には信長の弟である
織田信行があたりました。
信行が信長に殺されると城主不在のまま放置され、いつしか廃城となった様です。
神社内に「末森城跡」の碑がありました。

末森城趾.jpg

城山八幡宮は縁結びの御利益もある様です。
連理木.jpg
この木は連理木と言って良縁祈願のご神木だそうです。

桃取石2.jpg

桃取石.jpg
こちらは桃取石です。最初に奥の青石に触れ、目をつぶって赤石にたどり着ければ
良縁成就するとの事。僕もチャレンジしましたが、なかなかうまく行かず。
まあ良縁は無理という事でしょうか(^^;

平成28年春旅1
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大河ドラマの舞台
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日本の城を巡る
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2016年05月22日

名塚城趾 / 白山神社    (愛知県名古屋市)

名古屋市西区にある名塚城趾に行ってきました。

<名塚城趾>
名塚城趾.jpg
住所:愛知県名古屋市西区名塚町4-70
駐車場なし

<名塚城について>
名塚城趾3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
名塚城趾に行ってきました。今現地は白山神社という神社になっています。
白山神社は白鳳年間(672〜686年)の創建という古社ですが、江戸時代に名塚城趾
に移ってきたとの事です。

名塚城趾2.jpg

名塚城は1556年におきた稲生の戦いに際し、敵方の動きを封じるために織田信長
によって築城された城です。佐久間盛重がこの城を守りました。
稲生の戦いは、弟織田信行を支持する柴田勝家、林通勝らが信行とともに謀反を
起こしたもので、信長が勝利した戦です。
この勝利によって、織田信長の尾張支配が固まっていった戦いでもあります。

平成28年春旅1
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大河ドラマの舞台
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日本の城を巡る
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2016年05月18日

桶狭間古戦場 / 瀬名氏俊陣地跡  (愛知県名古屋市)

名古屋市緑区にある桶狭間古戦場・瀬名氏俊陣地跡に行ってきました。

<桶狭間古戦場・瀬名氏俊陣地跡>
P名氏俊陣所跡.jpg
住所:愛知県名古屋市緑区桶狭間
駐車場なし

<瀬名氏俊陣地跡について>
P名氏俊陣所跡2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
桶狭間古戦場・瀬名氏俊陣地跡に行ってきました。
瀬名氏俊は、今川家の流れをくむP名氏の当主で、桶狭間の戦いでは先遣隊として
陣地の設営などを行っていました。
氏俊はこの地に陣地を設営したとの事です。今は特に何か残っている訳ではなく、
その旨を伝える石碑と解説板のみが残ります。

僕が訪問した時には、陣地前にある大池でちょうど桜が見頃を迎えていました(^-^)

<大池の桜>
大池の佐倉.jpg

大池の桜4.jpg

大池の桜3.jpg

大池の桜2.jpg

平成28年春旅1
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大河ドラマの舞台
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古戦場めぐり
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<桜の名所まとめのページはこちら>
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桶狭間古戦場 / 戦評の松   (愛知県名古屋市)

名古屋市緑区にある桶狭間古戦場・戦評の松に行ってきました。

<戦評の松>
戦評の松.jpg
住所:愛知県名古屋市緑区桶狭間神明
駐車場なし

<戦評の松について>
戦評の松3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
桶狭間古戦場・戦評の松に行ってきました。
と言っても、今はその松はありません。戦評の松跡ですね。
戦評の松2.jpg

一応その事を記念して植樹された小さな松の木はあります。

桶狭間の戦いの際、今川方はここで戦評定をした様です。

平成28年春旅1
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