2023年09月26日

若宮神明社   (愛知県一宮市)

令和5年8月9日、愛知県一宮市にある若宮神明社に行ってきました。

<若宮神明社>
若宮神明社.jpg
住所:愛知県一宮市奥町堤下二95
駐車場あり(無料)
境内自由

<若宮神明社について>
若宮神明社4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
若宮神明社に行ってきました。
この神社、伊勢神宮と非常に深い関係のある神社だそうです。
文禄年間(1592年〜1596年)に創建されたと言われ、御祭神は天照皇大神と
素戔嗚尊。
境内奥には、神宮荒御魂の御分霊も祀られ、白金龍王社として親しまれています。

そんな神社、気になったのは和傘を使ったアートな雰囲気。
ネットでそれが紹介されていたので訪問してみました。
確かに、和傘が寺を彩り、とても良い雰囲気です。
こんなお寺は初めて見ました。
なかなか良いですね(^-^)

若宮神明社2.jpg

若宮神明社3.jpg

若宮神明社5.jpg

<白金龍王>
若宮神明社6白金龍王.jpg

若宮神明社6白金龍王2.jpg

若宮神明社6白金龍王3.jpg

若宮神明社6白金龍王4.jpg

令和5年夏休み旅
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真清田神社    (愛知県一宮市)

令和5年8月9日、一宮市の真清田神社に行ってきました。

<真清田神社>
真清田神社.jpg
住所:愛知県一宮市真清田1丁目2−1
駐車場あり(有料:30分迄は無料)
境内自由

<真清田神社について>
真清田神社7.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
一宮市の真清田神社に行ってきました。
ここは尾張国一之宮になります。
もちろん一宮市の市の名前の由来もこの神社になります。

真清田神社の創建についてははっきりした事が分かっていませんが、古来より
尾張国一之宮として格式の高い神社として崇拝されてきました。

江戸時代には尾張徳川家の庇護を受けました。

第二次大戦における一宮空襲で神社の建物の多くが焼失。
昭和20年代に現在の社殿等が再建されました。
その再建は、戦後復興の象徴となったそうです。

私も久しぶりに真清田神社に行きました。
特に行こうと思っていた訳ではないのですが、たまたま前を通りかかったので、
久しぶりに寄ってみようかなと思って訪問しました。

さすが一之宮という大きな神社。早い時間ではありましたが、多くの参拝客が来て
いました。
駐車場は30分まで無料なので、ささっと参拝して出てきました。

<真清田神社>
真清田神社2.jpg

真清田神社3.jpg

真清田神社5.jpg


真清田神社6.jpg

真清田神社4.jpg

令和5年夏休み旅
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一之宮を巡る
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2023年09月09日

篠島を散策   (愛知県南知多町)

令和5年5月4日、南知多町の篠島を散策しました。

GW旅2日目、篠島を散策しました。

平成13年1月に訪問しており、それ以来の訪問。しかも平成13年は島に渡って
泊まっただけで、観光もせず帰っております。

今回は泊まるだけでは無く、島をぐるっと観光してみます。

知多半島の師崎から船に乗って篠島へ向かいます。
01篠島.jpg

02篠島.jpg
小型船で10分ほどで到着します。

03篠島.jpg
篠島は鯛やフグで有名です。現地には鯛のハリボテ?がありました。

あと、知らなかったのですが、篠島はしらすの水揚げ日本一なんだそうです。
泊まった宿でもしらすがごっそり出てきました(^-^)
04篠島.jpg

05篠島.jpg

宿に到着後、荷物を置いて島一周に向かいます。
宿前のビーチ。
06篠島.jpg

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2023年09月07日

大浜の町並み   (愛知県碧南市)

愛知県碧南市、大浜の町を散策しました。

<大浜の町並み>
大浜の町並み.jpg
住所:愛知県碧南市錦町 他
駐車場無し

ここ旧大濱町は、古くから開運の町として栄え、多くの寺が建立され
ました。「大浜てらまち」と呼ばれる寺町でもあります。

戦国時代には徳川家康が伊賀越えした時に、白子の浜からこの地に舟
で逃れ上陸した事でも知られます。

そんな大浜の町を散策しました。
寺が多く残る事や、酒蔵など昔ながらの町並みが残り、非常に良い
雰囲気の町でした。
人気のうなぎ屋さんかな、行列になっている店もあり。こういう町には
有名な鰻屋って結構ありますね。

<大浜の町並み>
大浜の町並み2.jpg

大浜の町並み3.jpg

大浜の町並み5.jpg

大浜の町並み4.jpg

大浜の町並み6.jpg

大浜の町並み7.jpg

大浜の町並み8.jpg

大浜の町並み9.jpg
この建物は旧大浜警察署です。

令和5年GWの旅
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日本の古い町並み
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2023年09月06日

聖崎公園   (愛知県南知多町)

愛知県南知多町にある聖崎公園に行ってきました。

<聖崎公園>
聖崎公園.jpg
住所:愛知県知多郡南知多町大井聖崎1−16
駐車場あり(無料)

聖崎公園は知多半島の南端部にある公園で、814年に弘法大師が修行の為
上陸した地という由緒があります。

前日、篠島を観光していた時に対岸に大きなタワーマンションが見えました。
そのマンションはチッタナポリタワーというそうなのですが、そのマンションを
間近に見ることが出来るのが、この聖崎公園です。
展望台もあり、そこから篠島や日間賀島も見ることが出来ます。

また、春には河津桜も見ることが出来るそうです。

聖崎公園3.jpg
こんな展望台があります。

聖崎公園2.jpg
展望台のところにある観音様。

<展望台からの眺望>
聖崎公園5.jpg
展望台から見るチッタナポリタワー
1994年築との事。バブル後ですが、まだこの頃はリゾートマンションも売れてた
時期ではありますね。

聖崎公園6.jpg

<上陸大師の像>
聖崎公園4上陸大師の像.jpg
海の中の岩の上に弘法大師の像があります。

令和5年GWの旅
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2023年08月23日

大浜陣屋跡   (愛知県碧南市)

愛知県碧南市にある大浜陣屋跡に行ってきました。

<大浜陣屋跡>
大浜陣屋跡.jpg
住所:愛知県碧南市羽根町1丁目13
駐車場あり(無料)

<大浜陣屋について・クリックすると拡大します>
大浜陣屋跡5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大浜陣屋跡に行ってきました。
ここは沼津藩主であった水野家が西三河の地を統治する為に作った政庁跡です。
簡易的な城跡です。
1769年に設置され、1872年(明治5年)まで存在しました。

現在は建物等は残ってなくて、公園として整備され、解説などがある程度でした。

大浜陣屋跡2.jpg

大浜陣屋跡3.jpg

大浜陣屋跡4.jpg

令和5年GWの旅
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日本の城を巡る
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2023年08月20日

津島社・織田信長初陣の地   (愛知県碧南市)

愛知県碧南市にある津島社に行ってきました。

<津島社>
津島社.jpg
住所:愛知県碧南市天王町7丁目26
駐車場無し

<津島社由緒>
津島社4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
津島社に行ってきました。
ここは村上義清ゆかりの神社で、義清が陣中に守り神として奉安していた牛頭天王
の像を大浜の住民が縁あって奉納したのが始まりという神社です。

また、歴史をさかのぼるとこの地は織田信長の初陣の地という歴史もあるそうです。

<信長初陣の地>
津島社3.jpg

1547年、三河大浜城主長田重元とこの地で戦ったのが信長の初陣と言われています。
信長14歳での初陣です。
太田牛一の『信長公記』では見事な初陣を飾ったことになっている様ですが、地元の
言い伝えでは返り討ちにあって何とか窮地を脱し、那古野城に撤退したという話にな
っているそうです。
この返り討ちにあったというのが正しい話なんでしょうね。

津島社はちょっとした公園みたいな感じになっていて、訪問時も子供連れの親子が
遊んでいるなどのどかな雰囲気でした。

津島社2.jpg

津島社5.jpg

あと、おそらく駐車場は無いものと思われます。
少しだけだったので、津島社前に車を一時停め、さっと見学させていただきました。

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大河ドラマの舞台
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古戦場めぐり
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徳川家康伊賀越え・三河上陸の地   (愛知県碧南市)

愛知県碧南市にある大浜稲荷神社に行ってきました。

<大浜稲荷神社>
大浜稲荷神社.jpg
住所:愛知県碧南市浜寺町2丁目67
駐車場あり(無料)

<家康伊賀越え・三河上陸の地について>
大浜稲荷神社2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
神君家康三河上陸の地に行ってきました。
1582年本能寺の変後、堺にわずかな家臣とともに滞在していた徳川家康は追手
から逃れながら伊賀を越え岡崎を目指しました。

伊賀を無事越えた後、白子の浜から舟に乗り三河に上陸したのがこの地だそうです。
そこにあるのが大浜稲荷神社です。

大浜稲荷神社3.jpg

大浜稲荷神社4.jpg

歴史の大きなイベント地巡りの一環で訪問しました。思いをはせるのが良いです!

スタンプラリーイベントも開催中の様でした。
大浜稲荷神社5.jpg

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肴町・順海町通り    (愛知県西尾市)

愛知県西尾市、肴町〜順海町通りを散策しました。

<肴町・順海町通り>
さかな町.jpg
住所:愛知県西尾市肴町、順海町
駐車場無し

愛知県西尾市の肴町・順海町には昔ながらの町並みが残っています。
肴町通りは藩政時代に城内と武家屋敷を結ぶ、いわば廊下の役割を果たし、
武家屋敷から近いこともあって、武士の日用品を取り扱う店が軒を連ねて
いました。

そこに接続するのが順海町通りです。
順海町通りの両側にある崇覚寺と唯法寺の2つの寺院に挟まれたこの細い路地
は、浄土真宗真宗大谷派唯法寺の第11世住職順海が、竹藪だったこの場所に
道を開いたとされるものです。

肴町通りは昭和の写真を見ると商店街としてかなりの賑わいをみせていた様
です。現在はいくつかの小店舗がありますが、賑わいはあまりみえません。
駐車場がある訳ではありませんし、モータリゼーションの中で衰退した昔な
がらの商店街という様な感じがします。
それがレトロ感を醸していて、僕はこんな雰囲気の場所は好きだったりします。

<肴町>
さかな町2.jpg

さかな町3.jpg

さかな町6.jpg

<順海町>
さかな町4.jpg

順海町通り.jpg

順海町通り2.jpg

順海町通り3.jpg

順海町通り4.jpg

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2023年08月16日

西尾城址     (愛知県西尾市)

愛知県西尾市にある西尾城址に行ってきました。

<西尾城址>
西尾城址.jpg
住所:愛知県西尾市錦城町231
駐車場あり(無料)

<西尾城について>
西尾城址5.jpg

三河国守護に任じられた足利義氏が築城した西条城が始まりと伝わる。
創建当時、中世期の規模については不明である。
1585年(天正13年)に酒井重忠によって、東の丸と帯曲輪の拡張と堀
や石塁の造成、櫓門、櫓類、天守などが増築された。1590年(天正18年)
田中吉政によって、三の丸の拡張や大手黒門、新門の楼門2棟、櫓門2棟が
建てられている。
このとき東の丸にあった大手門は、太鼓門と改称されている。

1657年当時の城郭構造は梯郭式の平山城で、西南部から本丸、二の丸、
姫の丸、北の丸、東の丸、三ノ丸、それを取り囲む惣構えが構えられていた。
本丸には3重櫓と3棟の2重櫓、二の丸には1棟の2重櫓、南東隅に複合式望楼型
3重の天守が建てられ、北の丸、東の丸、三の丸にそれぞれ2棟の2重櫓が建て
られていた。

天守は元々、本丸の北東隅に建てられていたと考えられており、1585年の改築
のときか正保2年頃までにで天守を本丸から移したといわれている。
正親による初代天守については、1585年に二の丸天守が建てられた後も
本丸隅櫓として残されていたとしている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
西尾城址に行ってきました。
大河ドラマ『どうする家康』の関連地として紹介された西尾城です。
吉良氏の居城で、家康との戦いの舞台ともなりました。
1996年に本丸丑寅櫓が復元され、現在綺麗な城址公園になっています。
ぱっと見復元とは思えない重厚感のある櫓がとても良い感じ。
麓にある西尾市資料館で西尾城の歴史なども勉強。こちらの資料館も無料なのが
大変ありがたいです。
思った以上に立派な石垣や櫓に感動!
非常に見応えがありました。

<西尾城址>
西尾城址6.jpg

西尾城址3.jpg

西尾城址2.jpg

西尾城址4.jpg

<旧近衛邸>
西尾城址公園内にある旧近衛邸です。移築してきた建物との事。
旧近衛邸3.jpg

旧近衛邸.jpg

旧近衛邸2.jpg

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子安弘法大師像     (愛知県蒲郡市)

蒲郡市にある子安弘法大師像を見に行ってきました。

<子安弘法大師像>
弘法大師像.jpg
住所:愛知県蒲郡市三谷町南山14
駐車場あり(無料)

<金剛寺について>
寺伝によれば、平安時代初期の大同年間(806年 - 810年)、弘法大師空海
によって開かれたと伝えられる。安産、子授かり諸願成就などで多くの参
拝者が訪れる。
三河新四国八十八ヶ所霊場の第45番・第46番(奥の院)の寺院で、弘法山
山頂に本堂があり自動車で登頂が可能である。
本堂横に三谷温泉南山駐車場(無料)がある。
本堂とは別の場所にある1937年(昭和12年)に滝信四郎によって建てられた
東洋一の大きさ(全高約30m、台座約7m、身長18.78m、錫杖22m)を誇る
子安弘法大師像が有名である。
1970年(昭和45年)、三谷漁業協同組合は弘法山に水族供養の鐘と鐘楼を
建設した。

<金剛寺>
金剛寺.jpg

金剛寺2.jpg

金剛寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
金剛寺にある子安弘法大師像を見に行ってきました。
20年くらい前に一度行ったのですが、久しぶりに訪問しました。
昭和12年に作られたという弘法大師像。山の上にあるのですが、下の国道を走って
いても見えるので、非常に存在感があります。

毎度近くは車で走っているんですが、そう何度も行くような場所ではない為、久しぶ
りの訪問になりました。

改めて見て、やはり存在感があります。
弘法大師像2.jpg
車の大きさと比べてその大きさが分かるかと思います。

かつてこの地にはロープウェイがあったんだそうです。
その跡地を利用して、近年ラバーズヒルという展望スポットが作られていました。

<ラバーズヒル>
ラバーズヒル.jpg

ラバーズヒル2.jpg
ここからは三河湾と蒲郡市街地を一望出来ます。

ラバーズヒル3.jpg
これがロープウェイの痕跡です。

令和5年GWの旅
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総持尼寺   (愛知県岡崎市)

岡崎市にある総持尼寺に行ってきました。

<総持尼寺>
総持尼寺.jpg
住所:愛知県岡崎市中町小猿塚37
駐車場あり(無料)

<総持尼寺について>
1351年(観応2年)、足利尊氏に仕えた高師冬は甲斐国で諏訪氏に包囲され自害。
約一月後には、おじの高師直、父の師泰、兄弟の師世ら高一族8人も摂津国武
庫川のほとりで殺害されてしまう。1355年(文和4年)、高師冬の妻だった明阿
は滅亡した一族の菩提を弔うため、寺院の建立を決意。足利尊氏に申請して、
姪の「いち」を住持として総持寺を建て重代相伝の地である菅生郷築山を寄進す
ることを許可された。2、3年後には完成したものと推定される。
創建時より1875年(明治8年)まで尼寺であった。

1603年(慶長8年)、徳川家康より寺領100石を寄進される。
寺領は島町、八軒町、六供杉本村に分散していた。1670年(寛文10年)、焼失。
江戸時代は長く龍海院末であったが、1766年(明和3年)に離檀した。

【クリックすると拡大します】
総持尼寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岡崎にある総持尼寺に行ってきました。
ここは家康の正室である築山殿ゆかりの地ということで訪問しました。
今川に人質状態になっていた築山殿と信康ですが、人質交換により岡崎に戻ります。
しかし、築山殿は岡崎城には入らず、この総持尼寺に滞在したそうです。
そんなゆかりか、境内には築山稲荷という神社もありました。

築山稲荷.jpg

境内にあった築山殿に関する説明です。
総持尼寺3.jpg

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2023年08月02日

東条城    (愛知県西尾市)

愛知県西尾市にある東条城址に行ってきました。

<東条城>
東条城2.jpg
住所:愛知県西尾市吉良町駮馬城山45
駐車場あり(無料)

<東条城について>
東条城.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
東条城址に行ってきました。
東条城は鎌倉時代に築城されたお城で、吉良氏の居城でした。
1561年に松平元康の攻撃にあい落城。その後東条松平氏が入城します。
後に城主松平家忠が無嗣で病没し、家康の四男・松平忠吉が家忠養子となりまし
たが東条城には入らず、東条城は廃城となりました。

現在は城址公園として適度に整備されています。
虎口等見て取ることが出来ますが、それ以外は良くわからず。
木の柵とか構築物が再現されています。

東条城は今年の大河ドラマ『どうする家康』でも関連地として紹介されました。

<東条城>
東条城7.jpg

東条城6.jpg

東条城3.jpg

東条城5.jpg

東条城8.jpg

東条城4.jpg

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2023年07月20日

上ノ郷城跡    (愛知県蒲郡市)

愛知県蒲郡市にある上ノ郷城址に行ってきました。

<上ノ郷城址>
上ノ郷城跡.jpg
住所:愛知県蒲郡市神ノ郷町
駐車場あり(無料)

<上ノ郷城について>
上ノ郷城跡2.jpg

上ノ郷城跡3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
築城年代は良く分かっていない城で、戦国時代には今川氏に服属した鵜殿氏の居城。
1560年、桶狭間の戦い後に今川氏を離れた松平元康は今川方の鵜殿氏の居城
上ノ郷城を攻撃。堅城でなかなか落ちなかったのですが、忍びの者の活躍で遂に
落城。城主・鵜殿長照は討ち死にします。
その後、久松俊勝の居城となりました。

上ノ郷城へは、すぐ近くにある赤日子神社の駐車場に車を停めて訪問します。
この駐車場がなかなか見つけづらい。しかも道路も狭い。
赤日子神社の西側にあります。

ここからミカン畑の中を歩いて城に向かいます。歩いて3分程度です。
現在は土塁程度しか遺構は残っていません。
今年は大河ドラマが家康という事もあり、解説があったり・旗がたっていたり、
少し関連地としてアピールされてる感はありました。

<上ノ郷城址>
上ノ郷城跡5.jpg

上ノ郷城跡6.jpg
石垣の様なものも見えます。当時のものかどうかは不明。

上ノ郷城跡7.jpg
こちら本丸跡。特に何もありません。

<上ノ郷城からの風景>
上ノ郷城跡8.jpg

上ノ郷城跡9.jpg

上ノ郷城跡4.jpg

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2023年07月15日

菅生神社   (愛知県岡崎市)

岡崎市にある菅生神社に行ってきました。

<菅生神社>
菅生神社.jpg
住所:愛知県岡崎市康生町630−1
駐車場あり(無料)
境内自由

<菅生神社について>
菅生神社6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
菅生神社に行ってきました。

西暦110年創建という非常に古い神社です。
松平家・徳川家の崇拝もあつく、徳川家康が25歳の時、厄除け祈願を行ったそう
です。
幕末まで岡崎城主代々の祈願所として諸々の寄進を受けており、岡崎城内鎮守の
守護神とされていました。

岡崎城東方歩いて数分の場所にあります。
家康公ゆかりという事で参拝しました。境内には綺麗な花手水があったり、今年の
大河ドラマの関係で松潤氏が参拝にきた事が書かれていたりしました。
岡崎城と一緒に観光すると良い場所かと思います。

菅生神社2.jpg

菅生神社5.jpg

菅生神社3.jpg

菅生神社4.jpg

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2023年06月28日

伊賀八幡宮    (愛知県岡崎市)

岡崎市にある伊賀八幡宮に行ってきました。

<伊賀八幡宮>
伊賀八幡宮.jpg
住所:愛知県岡崎市伊賀町東郷中86
駐車場あり(無料)
境内自由

伊賀八幡宮に行ってきました。
この神社は徳川家康を御祭神とした神社です。
もともとは、1470年に松平親忠が松平氏の氏神として社(やしろ)を伊賀国より
現在の地に移したのが始まりとされています。
今の社殿などは徳川家光によって整備され、本殿などが国指定重要文化財に指定され
ています。

建物は本当に立派ですね。本殿とか国宝でもおかしくない様な建物です。
写真撮り忘れましたが、徳川武将みくじとかいうおみくじもありました。

<本殿>
伊賀八幡宮4.jpg

<随身門>
伊賀八幡宮2.jpg

<家康石像>
伊賀八幡宮5.jpg

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一畑山薬師寺 岡崎本堂   (愛知県岡崎市)

岡崎市にある一畑山薬師寺岡崎本堂に行ってきました。

<一畑山薬師寺 岡崎本堂>
一畑山薬師.jpg
住所:愛知県岡崎市藤川町王子ケ入12−44
駐車場あり(無料)
境内自由

牛乗山山頂にある臨済宗の寺です。
一畑山というと、島根県にある一畑寺が思い浮かびます。
このお寺の開基は、その一畑寺の御分霊を頂き、昭和23年に現在の名古屋市
千種区春岡に開山されたものです。
その後、昭和55年に現在地に移り、開山式には福田赳夫元総理も来て行われ
たそうです。

一畑山薬師、非常に大きなお寺です。
一畑山薬師2.jpg
参拝客も多いです。

一番驚いたのが金箔貼の釈迦涅槃像。でかいです!
一畑山薬師 涅槃像.jpg

参拝後、休憩所があったので、しばし休憩です。
このお寺、食事処があるんですよね。
そばなど軽食だけですけど。

こんなのがあります。
一畑山薬師 メニュー.jpg

一畑山薬師 メニュー2.jpg
厄除け団子、モンドセレクションまで取ってるのが笑える(^^;

今回は厄除け団子と厄除け揚げたこ焼きを頂きました(笑)
厄除け団子.jpg

開運たこ焼き.jpg

令和5年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/499257153.html



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2023年06月21日

築山御前塚      (愛知県岡崎市)

愛知県岡崎市にある築山御前塚に行ってきました。

<築山御前塚>
築山御前塚.jpg
住所:愛知県岡崎市欠町石ケ崎52−1
駐車場あり(無料)

<築山御前塚について>
築山御前塚2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岡崎市にある築山御前塚に行ってきました。
ここは徳川家康の正室・築山殿の首が葬られた場所です。
築山殿は1579年に武田との内通を疑われ、浜松の佐鳴湖の付近で殺害されまし
た。同じく嫌疑をかけられた嫡男信康も数日後に二俣城で自害します。
今ちょうど大河ドラマの放送がこのあたりですよね。
今回の大河ではどの様に描かれるのかが気になります。

築山御前塚は現在、八柱神社の一角にあります。以前は違う場所にあったとの事で
すが、ここに移されたそうです。

<築山御前塚>
築山御前塚3.jpg

お墓は浜松市の西来院というお寺にあります。
http://rover.seesaa.net/article/456075249.html
こちらは平成29年12月30日に訪問しています。

令和5年GWの旅
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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徳川四天王像    (愛知県岡崎市)

岡崎市で徳川四天王の石像を見てきました。

<徳川四天王像>
住所:愛知県岡崎市康生通南3丁目11
   愛知県岡崎市唐沢町1丁目30
駐車場無し

令和2年、桜城橋の完成に合わせて造られた徳川四天王の石像です。
桜城橋の北側にある中央緑道に設置されています。

個人的な感想を言えば、デザイン的にはどうかなと思うんですけどね。
全国の格好良い銅像とか見て歩いてるもので。

<井伊直政像>
井伊直政.jpg
馬の首がもげている様に見えるのですが・・・・。

井伊直政2.jpg

<榊原康政像>
榊原康政.jpg
榊原康政10万石の檄文像。

榊原康政2.jpg

<酒井忠次像>
酒井忠次2.jpg
酒井の太鼓の逸話に基づく像です。

酒井忠次.jpg

<本多忠勝像>
本多忠勝.jpg

本多忠勝2.jpg

令和5年GWの旅
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大河ドラマの舞台
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銅像めぐり
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2023年05月31日

山中八幡宮   (愛知県岡崎市)

岡崎市にある山中八幡宮に行ってきました。

<山中八幡宮>
山中八幡宮クスノキ2.jpg
住所:愛知県岡崎市舞木町宮下8
駐車場あり(無料)
境内自由

<山中八幡宮について>
山中八幡宮5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山中八幡神社に行ってきました。
国道1号線で岡崎入ってすぐのあたり。この辺の1号線は何回走ったか分からない
くらい走っているのですが、そのすぐ裏にこの神社がある事を今まで知りませんでし
た。

今回、家康がらみの史跡を調べていたところ、この神社の存在を知り訪問することに
しました。

ちょうど大河ドラマ『どうする家康』が放映中という事もあり、現地には家康がらみ
の旗もたてられてました。
山中八幡宮6.jpg

この神社は、家康の父・松平広忠が再興した神社で、家康の初陣に際し必勝祈願を
した場所です。
また、この神社には「鳩ヶ窟」という穴があり、ここは三河一向一揆の際、逃げてき
た家康がこの穴に隠れたという伝説の場所でもあります。

<鳩ヶ窟>
山中八幡宮 鳩ヶ窟3.jpg

山中八幡宮 鳩ヶ窟.jpg

山中八幡宮 鳩ヶ窟2.jpg
確かに穴がありますが、奥がどうなっているのかうかがい知れません。

鳩ヶ窟を含め、家康がらみの歴史を感じて神社を参拝してきました。

<山中八幡神社>
山中八幡宮2.jpg

山中八幡宮3.jpg

山中八幡宮4.jpg

<山中八幡宮のクスノキ>
山中八幡宮クスノキ.jpg
境内にあるクスノキは天然記念物に指定されています。
このクスノキの樹齢は600年超と言われており、家康の時代には既にここに
あったものと思われます。

令和5年GWの旅
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大河ドラマの舞台
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2023年05月17日

東海道・藤川宿   (愛知県岡崎市)

岡崎市にある東海道・藤川宿の町並みを散策しました。

<東海道・藤川宿>
東海道藤川宿9a.jpg
住所:愛知県岡崎市藤川町中町北6
駐車場あり(無料)

東海道藤川宿を散策しました。
藤川宿は東海道53次、品川宿から数えて37番目の宿場町です。
1843年の「宿村大概帳」によると、藤川宿の総人口は1213人、
家数は302軒となっており、東海道53次の中では小さな宿場町の
部類に入ります。
しかし、藤川宿には本陣、脇本陣、問屋場、高札場などの施設もあり、
宿駅として充分な努めを果たすものでした。

今回は、道の駅「藤川宿」に車を停めて、藤川宿を散策しました。
藤川宿の中にも観光無料駐車場はあります。

藤川宿西棒鼻跡から歩き、脇本陣跡にある藤川宿資料館を見学、本陣
石垣跡などを観光しました。見学時間としては30〜40分ほどです。

藤川宿は昔ながらの町並みはそんなに残ってはいませんが、東海道松並木
であったり、雰囲気は非常に良いものがありました。
藤川宿資料館は無料で見学出来ます。

<東海道・藤川宿>
東海道藤川宿.jpg

東海道藤川宿2.jpg

東海道藤川宿3.jpg

東海道藤川宿4.jpg

東海道藤川宿5.jpg

東海道藤川宿6本陣.jpg
こちらが本陣跡です。

東海道藤川宿7.jpg

東海道藤川宿8.jpg
本陣石垣遺構です。

東海道藤川宿9.jpg
藤川宿資料館(脇本陣跡)

令和5年GWの旅
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東海道五十三次
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日本の古い町並み
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2022年09月24日

誓願寺・源頼朝生誕の地    (名古屋市熱田区)

名古屋市熱田区にある誓願寺に行ってきました。

<誓願寺>
頼朝生誕の地.jpg
住所:愛知県名古屋市熱田区白鳥2丁目10
駐車場あり(無料)

誓願寺に行ってきました。
ここは源頼朝生誕の地と言われています。

頼朝生誕の地2.jpg

頼朝の母は、熱田神宮の大宮司・藤原季範の娘の由良御前です。
由良御前は源義朝の正室。
義朝の妻が常盤御前が有名なんで、てっきり常盤御前が正室なのかと
思ってました。
常盤御前の子が阿野全成、義円、源義経らで、頼朝とは母違いの兄弟
になります。

誓願寺、熱田神宮前にある小さなお寺です。
お寺の前に頼朝生誕の地の碑があります。
頼朝生誕の地4.jpg

また、境内には頼朝産湯の井戸と言われる井戸がありました。
頼朝生誕の地3.jpg

令和4年夏休み旅 奈良・和歌山
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大河ドラマの舞台
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2022年01月30日

蒲フォルニア   (愛知県蒲郡市)

蒲郡にある蒲フォルニアに行ってきました。

<蒲フォルニア>
蒲フォルニア1.jpg
住所:愛知県蒲郡市西浦町稲村3
駐車場あり(無料)

蒲フォルニア(ガマフォルニア)なるところに行ってきました。
googleマップに出ていたので知りました。
西浦シーサイドロードという海沿いの道の一部なんですけど、
カリフォルニアの雰囲気に似ているからという事で、「蒲フォルニア」
と呼ばれる様になったとか。

そもそもカリフォルニアの風景を知らんので、何とも言えませんが、
まあ良い風景なのは間違い無いです。
ずっと前に、この近くの西浦温泉に泊まったことがありますが、ここの
事は知りませんでした。

自分の他にも車を停めて、車を背景に写真を撮ってる人もいました。

蒲フォルニア2.jpg

蒲フォルニア3.jpg

蒲フォルニア4.jpg

蒲フォルニア.jpg

蒲フォルニア7.jpg

令和3年秋旅1
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B級観光スポット・珍スポット
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2021年08月22日

足助城    (愛知県豊田市)

豊田市(旧足助町)にある足助城址に行ってきました。

<足助城>
足助城址.jpg
住所:愛知県豊田市足助町須沢39−2
駐車場あり(無料)
入場料:300円
営業時間:午前9時〜午後4時30分

<足助城について>
足助城址2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
足助城に行ってきました。
足助城は別名「真弓山城」と言い、標高約300mの真弓山に築かれた山城です。
築城年等不明ですが、1525年に松平清康(家康の祖父)がこの城を攻めた記録が
あることから、その頃には既に築城されていたものと思われます。
城主は戦国時代に西三河に勢力を持っていた鈴木氏。
三河松平氏とは従属・離反を繰り返しますが、1564年以降は松平氏に完全に
臣従しています。

この山城を、平成5年、発掘・建物などを再現して歴史公園として公開しました。
入場料を取るだけあって、非常に綺麗に整備されています。車である程度のところ
まで登っていけるので、歩くのは10分程度です。

<足助城>
足助城址3.jpg

足助城址4.jpg

足助城址5.jpg

足助城址6.jpg

足助城址7.jpg

足助城址8.jpg

足助城址9.jpg

足助城址9a.jpg
城からは足助の町並みを見下ろす事が出来ます。

令和3年GWの旅
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日本の城を巡る
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豊川稲荷    (愛知県豊川市)

豊川市にある豊川稲荷を参拝しました。

<豊川稲荷>
豊川稲荷.jpg
住所:愛知県豊川市豊川町1
駐車場あり(有料)
境内自由

豊川稲荷は1441年、東海義易によって創建されたお寺で正確には
「円福山 豊川閣 妙厳寺」と言います。
室町時代に今川義元によって伽藍が整備されました。室町時代の伽藍の場所は
現在地ではなく、江戸時代に現在地に移転しました。
現存する諸堂は江戸時代末期以降の再建です。

豊川稲荷参拝は今回で3回目。前回は5年前でした。
豊川稲荷は日本三大稲荷に数えられる(諸説あり)有名なお寺なので、まああえ
てこのブログで各必要も無いかなと思い、記事にしてませんでした。
このブログは誰でも知ってるところは書いても仕方ないかなと思ってるので。
なので、今回も記事にはしましたが、さらっと飛ばし気味で終了します。

豊川稲荷2.jpg

豊川稲荷3.jpg

豊川稲荷5.jpg

<豊川稲荷大本殿>
豊川稲荷4.jpg

豊川稲荷 大本殿.jpg

<豊川海軍工廠戦没者慰霊碑>
豊川海軍工廠供養塔.jpg
豊川稲荷の一角に豊川海軍工廠戦没者慰霊碑があります。
昭和20年8月7日、終戦の1週間ほど前にB29の空襲を受け、
2000人を超える犠牲者を出しました。その慰霊碑です。

<霊狐塚>
豊川稲荷6.jpg

豊川稲荷の奥にある霊狐塚。多くの狐を祀った場所。
東海一のパワースポットと言われているそうで、確かに独特な雰囲気があり
ました。

豊川稲荷7.jpg

令和3年GWの旅
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2021年06月06日

小田井城址      (愛知県清須市)

清須市にある小田井城址に行ってきました。

<小田井城址>
小田井城址.jpg
住所:愛知県清須市西枇杷島町小田井2丁目
駐車場無し

小田井城址に行ってきました。
応永年間(1394〜1428)、尾張国守護代・織田敏定によって清洲城の
支城として築城された城です。以降織田藤左衛門家の居城となります。

後に織田信雄に仕えていた織田忠辰が小牧長久手の戦いで敗れると、
織田忠辰は小田井城を追われ、小田井城は廃城となりました。

現在現地は公園で、一角に碑のみがある状況でした。
駐車場もありません。

小田井城址2.jpg

小田井城址3.jpg

小田井城址4.jpg
碑は大正5年に建てられたものの様です。

令和2年〜3年 年末年始の旅
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日本の城を巡る
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九之坪城址   (愛知県北名古屋市)

北名古屋市にある九之坪城址に行ってきました。

<九之坪城址>
九之坪城址2.jpg
住所:愛知県北名古屋市九之坪南城屋敷22−3
駐車場無し

<九之坪城について>
九之坪城址.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
九之坪城址に行ってきました。
斯波氏の家臣であった簗田政綱によって築城されたお城です。
斯波氏が衰退すると簗田政綱は信長に仕え、桶狭間の戦いにも功績があったとの
事です。
九之坪城(くのつぼじょう)は平城で、今は北名古屋市 高齢者活動センターふれあ
いの家という施設の一角に碑と説明文があるのみとなっています。

特にこれと言って遺構は確認出来ませんでした。

令和2年〜3年 年末年始の旅
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日本の城を巡る
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桜井城址     (愛知県安城市)

安城市にある桜井城址に行ってきました。

<桜井城址>
桜井城址2.jpg
住所:愛知県安城市桜井町城阿原50
駐車場あり(無料)

<桜井城について>
桜井城址.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
桜井城址に行ってきました。
小浦忠重によって築城された城と言われており、後に松平氏が安城に進出すると
松平氏の支配下となりました。
その後、松平氏が支配しますが、家康の関東移封に伴い廃城となった様です。
平城で、現在は児童公園の様な感じになっていました。

桜井城址3.jpg

特にこれといった城の遺構は見つけられませんでした。

令和2年〜3年 年末年始の旅
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日本の城を巡る
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小豆坂古戦場    (愛知県岡崎市)

岡崎市にある小豆坂古戦場に行ってきました。

<小豆坂古戦場>
小豆坂古戦場.jpg
住所:愛知県岡崎市戸崎町牛転38
駐車場無し

<小豆坂古戦場について>
小豆坂古戦場3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岡崎にある小豆坂古戦場に行ってきました。
小豆坂古戦場は、1度の特定の戦いの古戦場ではなく、要衝の地であった事から
何度もこの地で戦いがあった場所との事です。
特に、信長が出てくる前の世ですが、松平清康が殺された後、三河進出を図る
織田信秀と今川義元がこの地で2度大きな戦いをしています。

その際活躍した織田方の7人の武将が槍を立てたという槍立の松という石碑が
現地には建っていました。

<槍立ての松の碑>
小豆坂古戦場  槍立松.jpg

<血洗池跡>
小豆坂古戦場 血洗池跡.jpg

小豆坂古戦場2.jpg
古戦場の碑の前は幹線道路。特に案内も出ていないので、知らなければ通り
過ぎてしまうような場所です。

令和2年〜3年 年末年始の旅
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古戦場めぐり
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2021年06月05日

若宮八幡宮・徳川信康の首塚   (愛知県岡崎市)

岡崎市にある若宮八幡宮に行ってきました。

<若宮八幡宮>
若宮八幡宮.jpg
住所:愛知県岡崎市朝日町字森畔12
駐車場あり(無料)

<若宮八幡宮について>
若宮八幡宮4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
若宮八幡宮に行ってきました。
ここは家康の長男で、信長に武田への謀反の嫌疑をかけられて自刃した徳川信康
の首塚がある神社です。

信康の死は本当に謀反があったのかどうか、信康に嫁いでいた徳姫(信長の娘)との
不仲からのものなのか、いろいろな説があり今でも明確な事は分かっていません。

岡崎市内の若宮神社にこの信康の首塚がありました。

<徳川信康の首塚>
若宮八幡宮2.jpg

若宮八幡宮3.jpg

墓は浜松市の清瀧寺にあります。
http://rover.seesaa.net/article/429420654.html

令和2年〜3年 年末年始の旅
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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2021年05月31日

聖徳寺跡 信長・斎藤道三会見の地   (愛知県一宮市)

一宮市にある聖徳寺跡に行ってきました。

<聖徳寺跡>
聖徳寺跡3.jpg
住所:愛知県一宮市冨田413−5
駐車場無し

<聖徳寺跡について>
聖徳寺跡2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
聖徳寺跡に行ってきました。
ここは、1553年、織田信長と斎藤道三が初めて面会をした聖徳寺があった場所
です。
信長は道三と娘・濃姫と結婚しますが、道三は婿の信長と会った事は無く、うつけ
という噂の婿がどんな人物なのか面会したいと思い、この聖徳寺での面会が実現し
ました。その面会の後、道三は「我が子たちはあのうつけの門前に馬をつなぐよう
になる」と述べ、信長の事を評価したと伝わっています。

歴史好きな人なら誰でも知っているかと思われるこのイベント。
その場所はどこか調べて訪問しました。

聖徳寺は今は残っておらず、上の碑のみがあります。
現地は旧街道沿いのほんの一角で、非常に分かりづらいです。
車を停めておく場所もありません。
自分もずっと離れた場所にしばし路駐して、見学しました。

聖徳寺跡4.jpg

聖徳寺跡.jpg

聖徳寺跡5.jpg


令和2年〜3年 年末年始の旅
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大河ドラマの舞台
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2020年05月21日

古宮城址     (愛知県新城市)

新城市にある古宮城址に行ってきました。

<古宮城址>
古宮城址.jpg
住所:愛知県新城市作手清岳字宮山
駐車場無し

<古宮城について>
古宮城址6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新城市にある古宮城址に行ってきました。
古宮城址には現在白鳥神社という神社が鎮座しており、その裏に城跡の痕跡を
見る事が出来ました。武田信玄が馬場信春に命じて築城した城で、長篠城攻略の拠点
とした城です。

古宮城址2.jpg
神社の境内に城跡に登る道があります。ここを登って数分です。

現在分かるのは土塁と虎口の跡くらいですかね。
古宮城跡とか石碑もありません。

<古宮城址>
古宮城址4.jpg

古宮城址3.jpg

古宮城址5.jpg

日本の城を巡る
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平成31年3月6日訪問

[ここに地図が表示されます]


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2020年05月15日

亀山城      (愛知県新城市)

新城市にある亀山城に行ってきました。

<亀山城>
亀山城.jpg
住所:愛知県新城市作手清岳字城山
駐車場あり(無料)

<亀山城について>
亀山城2.jpg

亀山城6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三重の亀山城ではなく、愛知県新城市にある亀山城に行ってきました。

応永31年(1424)奥平貞俊によって築城されたというお城です。
関ヶ原の戦い後1610年に廃城になったそうです。

車で走っていて、岡に亀山城という看板が大きく出ているのが目に付き、すぐに
分かりました。山城ではありますが、5分もあれば登城出来ます。
土塁、曲輪、空堀などが綺麗に残っていて見応えがある城でした。

<亀山城址>
亀山城3.jpg

亀山城4.jpg

亀山城7.jpg

亀山城5.jpg

亀山城8.jpg

日本の城を巡る
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平成31年3月6日訪問

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2020年05月08日

甘泉寺 / 鳥居強右衛門の供養塔 (愛知県新城市)

新城市にある甘泉寺に行ってきました。

<甘泉寺>
甘泉寺.jpg
住所:愛知県新城市作手鴨ケ谷門前23
駐車場あり(無料)
境内自由

<甘泉寺について>
甘泉寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新城市にある甘泉寺に行ってきました。

ここには長篠の戦いで磔にされた鳥居強右衛門の供養塔があるというので訪問しま
した。

<鳥居強右衛門について>
鳥居強右衛門2.jpg

鳥居強右衛門は長篠城に援軍が来ている事を城兵に伝え、長篠城の落城を防ぎ
ました。
後に信長は強右衛門の事を知り感銘を受け、この供養塔を建立したとの事です。

<鳥居強右衛門の供養塔>
鳥居強右衛門の墓.jpg

長篠の戦いは設楽が原の馬防柵を使った鉄砲の戦いが有名ですが、その前哨戦で
ある長篠城の戦いでは鳥居強右衛門のお話が知られています。
長篠城のところにある資料館の入口看板にも強右衛門が磔になっている有名な
絵が掲げられています。

鳥居強右衛門.jpg

長篠の戦いの影の功労者って感じですね。

著名人の墓
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雨山合戦跡    (愛知県岡崎市)

岡崎市にある雨山合戦跡の碑を見てきました。

<雨山合戦跡>
雨山合戦跡.jpg
住所:愛知県岡崎市雨山町字竹ノ下
駐車場無し

雨山合戦跡の碑を見てきました。
雨山合戦は1556年、今川氏に反逆した雨山城主・阿知波定直に対し今川は
東三河の諸将に討伐を指示。
繰り広げられた戦いが雨山の戦いです。
阿知波氏は野田城主の菅沼定村を討ち取るも今川の大軍の前に敗北しました。

古戦場跡地に雨山合戦跡の碑がたっています。
岡崎の市街地からは車で30分以上かかります。

雨山合戦跡2.jpg

平成31年3月6日訪問

古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html

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posted by 南行 at 09:45| Comment(0) | 愛知県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

深溝城址   (愛知県幸田町)

幸田町にある深溝城址に行ってきました。

<深溝城址>
深溝城址.jpg
住所:愛知県額田郡幸田町大字深溝字丸の内5
駐車場無し

<深溝城について>
深溝城址2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
深溝(ふこうず)城址に行ってきました。

三協という会社の幸田工場脇に城跡の碑がたっていました。
大庭朝満によって1231年に築城されたという説がありますが、定かではない
様です。室町時代には松平氏の城となり、吉良氏との戦いの拠点になりました。

1615年に廃城となり、江戸時代は陣屋がおかれたそうですが、それも今は無く
城の遺構はほぼ確認出来ない状況です。
碑のみ城跡である旨を伝えています。

深溝城址3.jpg

平成31年3月5日訪問

日本の城を巡る
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posted by 南行 at 08:27| Comment(0) | 愛知県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月10日

免々田川菜の花・桜まつり    (愛知県田原市)

愛知県田原市、免々田川に河津桜を見に行ってきました。

<免々田川菜の花・桜まつり>
免々田川菜の花・桜まつり.jpg
住所:愛知県田原市福江町向田31
駐車場あり(無料)

免々田川菜の花・桜まつりに行ってきました。
免々田川の河津桜は平成16年に植樹されたもので、約300本が川沿いに
並んでいます。
河川敷には菜の花も植えられ、菜の花と河津桜が良いコントラストになって
いました。

交通は福江保育園をナビにセットして訪問。保育園前に桜祭りの駐車場があり
ます。

<免々田川菜の花・桜まつり・平成31年3月5日撮影>
免々田川菜の花・桜まつり2.jpg

免々田川菜の花・桜まつり3.jpg

免々田川菜の花・桜まつり4.jpg

免々田川菜の花・桜まつり5.jpg

免々田川菜の花・桜まつり6.jpg

免々田川菜の花・桜まつり7.jpg

免々田川菜の花・桜まつり8.jpg

桜の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

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posted by 南行 at 22:04| Comment(0) | 愛知県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

渥美半島菜の花まつり   (愛知県田原市)

渥美半島菜の花まつりに行ってきました。

<渥美半島菜の花まつり>
渥美半島名の花祭り.jpg
住所:愛知県田原市堀切町浜薮
駐車場あり(無料)
入場料:100円

渥美半島の先端、伊良湖岬の少し手前で渥美半島菜の花まつり開催中です(^-^)
平成31年3月5日訪問。満開で綺麗な菜の花を見る事が出来ました。
3月いっぱい菜の花まつり開催中との事です。
平日でしたが、駐車場もかなり混み合ってました。休日はかなり混みそうです。

<渥美半島菜の花まつり・平成31年3月5日撮影>
渥美半島菜の花祭り.jpg

渥美半島菜の花祭り2.jpg

渥美半島菜の花祭り3.jpg

渥美半島菜の花祭り4.jpg

渥美半島菜の花祭り5.jpg

渥美半島菜の花祭り6.jpg

渥美半島菜の花祭り7.jpg

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2018年03月21日

称名寺 / 竹千代命名の地   (愛知県碧南市)

碧南市にある称名寺に行ってきました。

<称名寺>
称名寺.jpg
住所:愛知県碧南市築山町2−66
駐車場あり(無料)
境内自由

<称名寺について>
称名寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
称名寺に行ってきました。
この寺は徳川氏ゆかりの寺で、境内には徳川氏の祖である世良田有親やその子の
松平親氏の墓があります。

<徳川祖廟>
徳川祖廟.jpg

徳川祖廟2.jpg

<大浜東照宮>
称名寺 東照宮.jpg

大浜東照宮.jpg
称名寺境内にある大浜東照宮です。祭神は徳川家康公です。

称名寺訪問の理由は、ここが家康の幼名「竹千代」の命名の地という話を聞いたから
です。

1543年、称名寺での連歌会で発句「神々の ながきうき世を 守かな」
に対して家康の父である松平広忠が「めぐりは広き 園の千代竹」と続けた事
から、時の住職が家康の幼名を「竹千代」と名付けたそうです。

称名寺の前には竹千代命名の地の碑が建っていました。
竹千代命名の寺.jpg

てっきり岡崎なのかと思いきや、碧南市にこういうゆかりの地があるんですね。
びっくりです(・д・)

平成29年〜30年 年末年始の旅
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著名人の墓
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2018年03月18日

蓮華寺 / 蜂須賀城址    (愛知県あま市)

あま市にある蓮華寺に行ってきました。

<蓮華寺>
蓮華寺.jpg
住所:愛知県あま市蜂須賀大寺1352
駐車場あり(無料)
境内自由

<蓮華寺について>
蓮華寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
あま市の蓮華寺に行ってきました。
弘法大師創建の古刹です。今回は城跡としての訪問です。
ここには戦国時代に蜂須賀城というお城があったそうです。蜂須賀といえば、秀吉
のもとで活躍した蜂須賀小六正勝が有名です。その小六の墓もこの寺にあります。

<蜂須賀城址の碑>
蜂須賀城址.jpg

<蜂須賀小六正勝顕彰碑>
蜂須賀小六顕彰碑.jpg

寺の裏に蜂須賀小六の墓があります。

<蜂須賀小六の墓>
蜂須賀小六の墓.jpg
台座が新しいので、これがそうなのか一見悩みました(説明等一切無いので)
墓碑見ると正勝公、家政公と書いてあります。これが蜂須賀小六正勝と子の家政の
墓です。

蜂須賀小六の墓2.jpg
脇を見ると天正十四年の文字。1586年、蜂須賀小六の没年が刻まれています。
家政の名が刻まれているところを見ると、墓碑は江戸時代に造られたものなんでしょうね。

蓮華寺の寺域から出て西へ100mほどの処に、蜂須賀小六旧居跡の碑があります。
蜂須賀小六旧居跡.jpg
ここに住んでたんですね〜(^-^)

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2018年02月22日

福島正則生誕の地    (愛知県あま市)

あま市にある福島正則生誕の地に行ってきました。

<福島正則生誕の地>
福島正則生誕の地4.jpg
住所:愛知県あま市二ツ寺屋敷
駐車場無し

<福島正則について>
福島正則生誕の地3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
福島正則は桶屋を営んでいた福島正信の長男としてこの地に生まれました。
母が秀吉の叔母だった為召し出され小姓として秀吉に仕えます。
武将として活躍し、賤ヶ岳七本槍の一人として武勇をとどろかせました。
家康のもとでも活躍し、広島城主となりますが、広島城無断改築の件を咎められ改易
になります。
晩年は不遇のなか、信州高井の地で亡くなります

福島正則生誕の地には立派な碑がありました。
ただ、知る人ぞ知るというか、観光地としては紹介されていないので、知らないと
行くことは無い場所かなと思います。
興味ある方は是非行ってみてはいかがでしょう。

福島正則生誕の地2.jpg

福島正則生誕の地.jpg

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2018年02月21日

勝幡城址 / 織田信長生誕の地  (愛知県稲沢市)

稲沢市にある勝幡城址に行ってきました。

<勝幡城址>
勝端城址.jpg
住所:愛知県稲沢市平和町城之内105
駐車場無し

<勝幡城について>
勝端城址2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
勝幡城に行ってきました。
今回の旅のテーマに武将の生誕の地巡りってのを入れていましたが、そのシメが
織田信長の生誕の地である勝幡城になりました。

実は信長の生誕の地って知りませんでした。てっきり那古屋城か清洲なのかと
思っていた次第で。あまり興味が無かったもので。

勝幡城は織田弾正忠家の居城で、織田家の中でも分家という事になります。
城の位置は推定の場所になりますが、日光川の堤防の下に城跡の碑がありました。

勝端城址3.jpg

また、そこから少し行った勝幡駅の北側駅前ロータリーには勝幡城のジオラマや
織田信秀、土田御前、織田信長の銅像もありました。

<勝幡城ジオラマ>
勝端城址4.jpg

<織田信秀、信長を抱く土田御前の像>
勝端城址5.jpg

勝端城址6.jpg
土田御前の顔がちょっと・・・・(^^;

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2018年01月24日

重原陣屋跡     (愛知県刈谷市)

刈谷市にある重原陣屋跡に行ってきました。

<重原陣屋跡>
重原陣屋跡.jpg
住所:愛知県刈谷市重原本町1
駐車場あり(無料)

<重原陣屋について>
重原陣屋跡2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
重原陣屋跡に行ってきました。
1792年に福島藩の板倉勝長によって陣屋が築かれました。刈谷で起こった一揆
の仕置きとして、福島藩の領地との交換が行われ、福島藩がこの地を治める事と
なりました。

江戸時代には結構飛び地みないなのがあって、僕の地元川越藩も三河は近江に飛び地
で領地を与えられていました。

現在、浄福寺というお寺の脇に重原陣屋跡の碑と此より東福島領の碑が建っています。

重原陣屋跡3.jpg

<浄福寺>
重原陣屋跡4.jpg

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2018年01月21日

本地城址    (愛知県豊田市)

豊田市にある本地城址に行ってきました。

<本地城址>
本地城址3.jpg
住所:愛知県豊田市本地町1丁目54−1
駐車場無し

<本地城について>
本地城址.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
本地城址(堤本地城)に行ってきました。
1402年、畠山六郎によって築城されたお城です。
畠山氏の滅亡とともに廃城となりました。
現在は本地八幡社という神社がある場所が本地城址で、本地城址の碑が建って
います。車を停める場所が無い為、路注して急いで見てきました。

本地城址2.jpg

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上野城址 / 榊原康政生誕の地   (愛知県豊田市)

豊田市にある上野城址に行ってきました。

<上野城址>
上野城址.jpg
住所:愛知県豊田市上郷町薮間17−8
駐車場無し

<上野城について>
上野城址2.jpg

上野城址6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
上野城址に行ってきました。
上野城は、応仁の乱の頃戸田宗光によって築城されました。
家康の父である松平広忠がこの城を手中にしますが、一向一揆の手に落ちたり、
変遷を経て再び家康の支配下となります。
廃城となった次期は不明です。

現在は上郷護国神社が鎮座しています。この一帯が上野城だった場所です。

上野城址5.jpg

上野城址3.jpg

上野城址4.jpg

この地には徳川四天王の一人・榊原康政の生誕の地碑があります。
調べたところ榊原氏は上野城主・酒井将監忠尚に仕えていましたが、榊原康政
は上野城で生まれた訳ではなく、近郷の生まれの様です。
榊原氏がここに仕えていたという事で、便宜的に碑が建てられたものと思われ
ます。

<榊原康政生誕の地>
上野城址  榊原康政生誕の地.jpg

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本多忠勝生誕の地    (愛知県岡崎市)

愛知県岡崎市にある本多忠勝生誕の地に行ってきました。

<本多忠勝生誕の地>
本多忠勝生誕の地.jpg
住所:愛知県岡崎市西蔵前町
駐車場無し

本多忠勝は1548年、三河国額田郡蔵前で松平氏譜代・本多忠高の長男
として生まれました。1549年に父が戦で討ち死にし、叔父の元で育て
られました。

その後、数々の戦功をあげ、徳川四天王の一人に数えられる名将となりました。

その生誕の地は何と民家の中にありました。
敷地内に入るのが躊躇われたため、望遠で碑を撮影しました。
説明板も敷地内にあるし、観光スポットとしては難易度高すぎです(^^;
せっかく名将の生誕の地ですから、皆が気軽に訪れる事が出来れば良い
んですけど・・・。

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2018年01月17日

井田城址 / 酒井忠次生誕の地   (愛知県岡崎市)

岡崎市にある井田城址に行ってきました。

<井田城址>
井田城址2.jpg
住所:愛知県岡崎市井田町字城山
駐車場無し

井田城址.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岡崎の井田城址に行ってきました。
岡崎の松平氏の一族にあたる酒井氏の居城で、酒井氏忠から5代にわたってこの
地を治めました。
後に徳川四天王の一人になる酒井忠次は1527年に井田城内で生まれています。

築城年、廃城年など詳しいことは分かっておらず、今は城山公園として小さな公園
になっており、井田城址の碑と小さな神社がありました。

<井田城址>
井田城址5.jpg

井田城址4.jpg

井田城址3.jpg

平成29年〜30年 年末年始の旅
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2017年03月20日

鳳来寺と東照宮    (愛知県新城市)

愛知県新城市にある鳳来寺に行ってきました。

<鳳来寺>
鳳来寺.jpg
住所:愛知県新城市門谷鳳来寺1
駐車場あり(有料)
境内自由

<鳳来寺について>
鳳来寺は703年、利修仙人によって開かれ、文武天皇から鳳来寺の名
を賜って建立されたと伝えられています。
以来広い信仰をもって栄え、源頼朝も厚く信仰し、七堂伽藍を寄贈し隆
盛期を迎えました。
特に子授けの薬師如来と評判高く、松平広忠夫妻が天下人となる男子を
祈願して授かったのが徳川家康であったというお話があります。
現在は真言宗五智教団の本山で、本堂は昭和49年に再建されたもので
す。

鳳来寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鳳来寺に行ってきました。ここも15年以上ぶりの訪問。
もう完全に忘れてしまっていました。
昔来たときは、ここに来るために鳳来寺パークウェイを使うんですが、
有料道路で結構良い値段取られた記憶があります。
今はこの道路、無料開放されていて普通にのぼってきましたが、駐車場
は有料でした。

鳳来寺は家康の母、於大の方が祈願し子の竹千代(のちの徳川家康)を
授かったというお話が有名です。
その事を後に顕彰したのが徳川家光で、この地に東照宮を建立しています。

<東照宮>
東照宮.jpg

東照宮2.jpg

東照宮3.jpg

今回鳳来寺に来たのは、鳳来寺が井伊直政ゆかりの地という事もあります。
1568年、武田の侵攻に対し今川氏真は小野道好に井伊直政を殺して
井伊谷を掌握しその軍勢を率いて加勢するよう命じます。
龍潭寺の南渓和尚により井伊直政は出家するとして鳳来寺に保護され、
14歳まで鳳来寺で過ごしたそうです。
今年の大河ドラマ『おんな城主・直虎』の関連地という事です。
こんな旗もたっていました。
鳳来寺4.jpg

あいにく、第3話以降大河ドラマ見ていません。一応録画はしてるんです
が、なかなか見る気が起きないという。そのうちまとめて見ますかね。

<鳳来寺からの景色>
鳳来寺3.jpg
鳳来寺は標高が高いので、景色も良かったです(^-^)

平成28年〜29年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/445480957.html

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

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2017年03月19日

安養院 / 織田信孝終焉の地       (愛知県美浜町)

愛知県美浜町にある安養院に行ってきました。

<安養院>
安養院.jpg
住所:愛知県知多郡美浜町野間東畠ケ90−1
駐車場あり
境内自由

<安養院について>
安養院3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
知多の安養院に行ってきました。
安養院は源義朝の墓がある野間大坊と隣接する地にあります。

このお寺を訪問した理由はひとつ、ここが信長の子・織田信孝終焉の地
だからです。

安養院2.jpg

織田信孝は清洲会議で岐阜城を与えられ織田家を継いだ三法師の後見役と
なりますが、その後秀吉と対立。賤ヶ岳の戦い後に捕らえられ、この安養
院で自刃しました。
お寺には、自刃の間、自刃の短刀、血染めの掛け軸などが残っているよう
ですが、今は一般公開されていません。
(恨みの品なので、公開していないそうです)

安養院4.jpg

織田信孝は、信長の後継者の器量を持ち合わせていた人物であったが故に
秀吉から追い落としにあい殺されたという事だと僕は思っています。

辞世の句「昔より 主を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」は
秀吉への怒りに満ちあふれた句ですね。

平成28年〜29年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/445480957.html

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吉川城址       (愛知県大府市)

大府市にある吉川城址に行ってきました。

<吉川城址>
吉川城址.jpg
住所:愛知県大府市吉川町1丁目
駐車場無し

吉川城は、1397年に吉加波入道によって築かれた平城とされ、戦国時代
には花井氏の居城になりました。
花井氏はその後、寺本城に移った為、1580年頃に廃城になった様です。

現在遺構は何も無く、国道155号線沿いに城址の碑が建っており、そこに
かつて城にあったという弁財天の祠があるのみです。

吉川城址2.jpg

吉川城址3.jpg

ここは碑のみ見て終了という所ですね。

平成28年〜29年 年末年始の旅
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日本の城を巡る
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